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安岡正篤コミュのはじめましてと自己紹介

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けっこう、はじめましてのスレがたってますので、こちらに統一することにします。

皆さん、お気軽に書き込みください。

コメント(127)

はじめまして
武士道と申します。

安岡正泰先生の講座がありますので紹介させていただけませんでしょうか。


安岡正泰先生による日本精神、武士道精神についての講演が
下記の日程、場所で開催されます。

 (東京)
  日時 平成21年6月6日 13時30分から16時30分
  場所 PHP研究所東京本部

 (京都)
   日時 平成21年6月7日 10時00分から13時00分
   場所 PHP研究所京都本部

この講演は、NPO法人武士道協会の武士道定期講座の第2回目として
開催されます。定期講座は5回まで予定されており、月に1度開催されています。

特別協賛委員としてご希望のかたや、初めての方でもお気軽にご参加ください。
またとない機会ですので、是非参加してください。

問い合わせ
 武士道協会事務局 PHP研究所内
 075-681-5514

詳細は下記を参照してください。
http://www.bushido.or.jp/pdf/20090407teikikoudoku.pdf  

近頃、世襲問題が騒がしいが、一つ切り口を変えて線引きをしたらどうだろうか。

それは食い扶持収入の安定の為にすることと、安岡氏の謂う地方郷村のリーダーの人成りを涵養する習慣的学習と環境に則した特異にもみえる人格の有り様である。

ここでは財があるだけの豪農ではなく、篤農家と呼ばれる人々である。
その昔、名字帯刀を許され、徴税、裁判(掟、習慣による陋規)や,一旦危機が訪れたら米蔵を開け、時に権力者と対峙する。

そのような気概が果たして瞬時に出来るだろうか。

あるいは「今年は涼しくていいですね」との侍従の言葉に「東北は冷害で大変だろう・・」。あるいは「雑草を刈りました」には「雑草とてそこで生きている、無闇に刈らないように・・」とは昭和天皇のエピソードである。

巷では天邪鬼だとか、゛格好付け゛と嘲笑されそうだが、これも附属性価値である地位、名誉、財力、学校歴に無欲で恬淡な肉体に浸透された継続学である。


昨今、問題になっているのは、喰い扶持安定の為の学校歴(学歴ではない)であり、既得権化された特殊なエゴ集団ではあるが、どうも、゛いいたい、やりたい自由゛なのか、しかも分別なき民の主たる「民主」意識なのか、安岡氏はデモクラシー変じて「デモクレージー」とよび、価値の混在より自己の混在と座標の消滅を憂いていた。

「君、座標を確立するには無名の位置におって、下座観と世の中の過去と将来、つまり歴史の俯瞰が大切だ。其の観点は将来を逆賭(先見)することにもなる。これは有力だ。無名は有力ということだ」

初対面から聴き慣れない簡潔さであり根本を押さえた応答だった。

弟子と称するものはいたが、弟子はいなかった。ただ、安岡ブランドを喰い物にしたり、半知半解な言辞の聞きかじりを他に広言するものを批評もせず眺めていた。筆者もそれを観人則として自己に問いかけている。

正明さん(長男)も父から教えられたことはなかった。ただ皮肉にもある試験に落ちたとき「試験は落ちるもか・・」と呟かれ、参ったという。
背中で学んだということだろう。

学問には世襲はない。安岡ブランドや縁者をもてはやす風潮は堕落だ、と草葉の陰から一喝されそうだ。
はじめまして。
僕は「活眼活学」を手に取って以来、
様々なことの道を開いてくださった
安岡先生を敬慕しています。

さらに興味がある方々の声が拝見できる
コミュニティがあって嬉しい限りです。

さらに郷学や先人の知恵を学び、
教育・学問というものを体感して
行きたいと思います。

まずは「人生の五計」にあるように
日用心法から心がける毎日です。
安岡氏の説くものはマニュアル学ではない。とくに明治以降の官制学(文部省)の六、三、三制カリキュラムに忌諱された独立した人間学的要素と古典を加味した説である。

原典は安岡氏ではなく、あくまで歴史の森羅万象に刻まれた逸話や隣国の古典の応用活学である。

また明治人の実直さと緊張、おおらかな洒脱、エリートに有りがちなニヒリズム、全てを複雑にも抱合して臨機や臨度に符合させた柔軟性である。

政財界との係わりを云々され、それが恰も大物然として持て囃され、安心材として数多の金屏風として重用されたことは氏としても鬱積したものがあった。

とくに政財界の腐敗,官吏の堕落、大衆の流行迎合性などは筆者もその呻吟を幾度か聴き問答した。


だがこれは決して学問の堕落や完成度ではなく、人そのものの欲望に起因する、もしくは良質な異物でも摺りあうことによって生ずるであろう嫉妬、競争心のコントロールであり、他に配慮忖度する心の在るを知らない家庭や社会の修得錬度
の衰えとして考えたものである。

その衰えに対する問題意識は過去の歴史に刻まれた栄枯盛衰に観ることが必要なことだとも考えた。


安岡氏の数々の格言、経国論は以上の解決の為に必須な前提として提供したものである。あくまで自身が問題意識を立て、運命論に怠惰にならず、立命(やりたいこと、でなく、やるべきことの行動発起)を促したのである。

惜しいことに現代人は書籍に宿ることが多い。格言に頷くしか手が無い。氏の意思は一時の清涼剤ではなく、立って興すための前提である。

知って教えず、学んで行なわずして何が人生だろうか。

安岡氏は殊の外、脇が甘かった。
政財界から官僚や暴力団、大陸浪人や外国の諜報員など数多である。ときには騙されることもあった。そして酒席にも出向き艶のあることもあった。

ただ巷の評論家と異なり政局を語ることはなかった。政敵同士の相談にも応えた。難しくも、切なくも、憂いて余りある己の立場を考慮した。

きっと壷中天有りの境地であり、六然とは自身に制した銘でも有ったと思う。
筆者がその雰囲気と風が感じられたのは書斎でピースを気持ちよくたしなむ時だった.
はじめまして。

あたしは、安岡先生の『一日一言』をあるステキな尊敬してやまない心の師に頂いて知りました☆

本当に改めて気づかされる心に響くコトバに包まれて……出会えて幸せ感じてます。

なかなか周囲の友達と安岡先生の話ってわかってもらえないから

このコミュニティはあたしにとってさまさまです☆

はじめまして!

昨日、安岡記念館に行ってきました。
http://plaza.rakuten.co.jp/kaitene/diary/200907110000/

あとで、その様子をYoutubeにアップしてみます。
わーい(嬉しい顔)

ユーチューブにアップしてみました。ウインク


皆様はじめまして。

私淑する師のトピがあると知り、お邪魔しました。
私は比叡山とは全く関係はありませんが、師の
「一灯照隅 万灯照国」という薫陶を念頭に置き
ながら日々生かせていただいております。

どうぞ宜しくお願いいたします。
はじめまして。

私は、戦時中の安岡先生が上海にいらした時期に、秘書をしていたという、
今年で94歳になる祖父を持つ者です。
その頃、祖父は高島屋で宮内庁に卸の仕事をしており、戦争、政治、商売の間で安岡先生がどんなことをおっしゃったか、今でも思いついたときに逸話を始めます。

幼いころから、そんな歴史教科書の裏側のような昔話を聞き、書物や手紙の解釈を聞かされ、育ちました。

25歳になりますが、そういったものが
自分の感性や性格にしみついていると感じます。

資本主義が崩壊し、あのアメリカが、「I」ではなく「We」と言い出した。
とっても壮大なことではありますが、そんな今だからこそ、
日本の精神文化の美しさや安岡先生の言葉を世界中の人たちに
知ってもらう時ではないのかなぁ。
そして、その先には平和があるんじゃないかな?なんて思ってみたり。。。

特に専門的に日本文学や日本史を学んだわけでもなく、
勉強不足の若輩者ではございますが、皆様の見解や諸説を
拝読させていただいております。
身内にそんな者がおりながら、何も知らないのは随分品が無いと思い、
少しづつ勉強したいと思う今日この頃です。

どうぞよろしくお願いいたします。
はじめまして。バルビローリと申します。

安岡正篤氏の本は難しくて何が何だかわからなかったのですが、
息子さんの安岡正泰さんの講演を聴き、会話をさせていただいた中から、
また、お孫さんの安岡定子さんの絵本から影響を受け、
もう一度チャレンジをしております。

「美しく」「気高く」生きる。

そう自分に約束をして毎日生きております。

現代の日本人に欠けてしまっている要素を集約すれば、
この「美しさ」と「気高さ」だと思っています。

物事を客観的に判断し、
あらゆる物事をきちんと自分の頭で考えることを
大切にしていきたいと思っています。

また、ブログやメルマガで、
武士道を介して「美しく、気高く」生きることについて、
また自分の頭で考えることをしております。
最近は「葉隠」をテーマに考察しています。
 
【ブログ】
●武士道・一日一話
http://nippon-bushido.seesaa.net/

【メールマガジン】
●武士道・一日一話
http://www.mag2.com/m/0000292314.html


皆様、よろしくお願いいたします。
初めまして

致知を読み
安岡正篤先生を知りました。

先生の本を読めば読むほど共感するばかりです。

今は、人生信條を大切に読んでいます。


これからも、心と体の栄養源にしていきたいと思います。

ありがとうございます。
20代前半の時、百朝集と出会いました。
読みやすく分かりやすく人生への示唆が適切になされていました。爾来、時々、手にとって心の栄養にしています。
             或る日の郷学夏季合宿 中央 正明氏



始めまして、とは申しても半年ぶりに再開しました


以下
どうも自称弟子が多いし、いまでも噴出する。輩出するのではない。

ことさら自称は差し支えないだろう。

食い扶持を図って金屏風にするにはホドいいものだが、半知半解を惑わすことはいけない。

御長男の正明さんはよく小会の旅先で歎かれていた。
「父を錯覚している」

漫画になっても、映像になっても、その導入の切り口は拘らない。しかし、虚偽はいけない。その人間の説くものが虚構の中に漂い、アンチョコな学徒を生み出すだけだ。

知はあっても識が無いような、道理のない偏った筋道をつくってしまう危険がある。

そもそも安岡学などは存在しない。と本人が書斎に対座したとき語っていた。
あの当時は講義などの始めはあっても終わりの予定もなく、教がすすめば半日あまり皆正座して聴講していた、とも。

厳しくも愉しい思い出との事
初めまして
陽明学に基づく世相と人生の相談コーナーを立ち上げようと準備中の者です。
因みに答えるのは私では無く、安岡先生最後の直弟子若しくは門下と言われる80代の実業家です。
キャッチフレーズは知行合一です
宜しく御願いします。
はじめまして

数年前、TVで細木数子さんが(嫌いな方すいません)おっしゃっていた安岡先生の言葉を聞いて知り、とても感銘しました。

僕は声優を目指している25才の若造ですが、これから安岡先生の本を読んで勉強したいと思っています。

よろしくおねがいします
はじめまして

司馬遼太郎の著書にたびたび登場する「陽明学」というのには昔から興味を持っていたのですが、どのような内容なのか? まったく知りませんでした。

そして、去年の夏ころに安岡正篤氏の「王陽明」という本を買ったのですが、本棚にしまったままで眠らせておりましたところ、先日なんとなく読み始めたら・・・
非常に薄い本で、あまり期待をせずに読み始めましたが、安岡先生の学問の質に圧倒されました

目標は「腹中、書有り」

皆様と一緒に勉強させていただける縁をいただいた事に、感謝いたします。
数年前父から安岡正篤先生の本をもらいました。その後父は脳梗塞になり今は上手く話せません。父からのメッセージとその時以来読み興味を持ちました。ご教授下さい。
はじめまして。
大学在学中に安岡先生の著書に出会い感動。それから、先生の著書に読み耽る毎日です。

一隅を照らす生き方ができるよう、日々学んでいきたいと思います。

どうぞよろしくお願いします。
はじめまして

私は、致知から安岡先生の書物にでありました。
今更ながらはまり、ここ1週間で5冊読破しましたが、何べんも読みたいと思います。
また、同じく安岡先生や四書五経に縁のある方と交流できるとうれしいです。

ご著書の中で人生の五計についての中に毎朝5時に起きるのがよろしい、墨をすり書くのがいいと書いてあったので一昨日前から実践しています。書いているのは「朝聞夕改」。

いま、「いかに生くべきか」を読み始めましたが、最初から熱くて感動しました。
今私は30になったところですが、安岡先生は30代にしてこの境地か、とまた沸々と尊敬の念が湧いてきました。

著書に出会い、学ぶことができる幸せを噛みしめていますが、同じく学ばれていり方と交流したく思います。
初めまして。
体育学部4回生です。
今「運命を開く」を読ませていただいてます。
自分みたいな若者には少し難しい字であったり、文章であったり、表現であったりするのですが、吸収できるものは全て吸収しようと思っております。
よろしくお願いします!!!!
はじめまして。

致知から安岡正篤先生を知りました。

まだまだ勉強不足ですが宜しくお願いします。
はじめまして。

六中観 忙中閑あり

毎日、多忙な日々ですが、心をなくさぬよう、少しずつ、自己陶冶していきたいです。

一日一話をもとに読み深めていきたいと思っています。
はじめまして。

2年程前から、安岡正篤先生の本を読み始めました。
陽明学を勉強中です。
現在、「人間」としての生き方 を読んでいます。
安岡先生の本は難しいですが、最近読みなれてきたせいか、
少し、面白く読めるようになってきました。

よろしくお願い致します。
致知を購読していて、安岡先生を知りました。安岡先生の著書などを読んで、勉強していきます!よろしくお願いします!!
はじめまして
私自身が苦しい時に出会った本の著者が安岡先生でした。色々勉強出来たらと思います。よろしくお願い致します。
二松学舎大学で伝集録・陽明学を学んだ隠居です
経学はまるでお経のように書かれたものを暗誦して知の箱に納めるものだが、修めることとは異なる。

対する人間学は「人師」によって成る
経師は遭い易いが、人師は遇い難し.

「遭う」と「遇う」参照願いたい。

いつごろからか安岡氏の解説なり説くことを「安岡学」と称しているが、氏はそれを嫌っている。また弟子もいない。あの人は弟子だとは云う筈もない、と。

数多の弟子は自称である。もし金屏風にして名利を得る者がいれば、それは詐称であると。

自身が修める学び、それは知と識(道理)の合致であり、己に浸透させる「身学」である。

己の知と行(おこない)は見せるものでも、知らせるものでもなく、ましてや知行合一は己の潜在能力に向けるものだ。その潜在能力、つまり真の己を知ることが安岡氏の説く「我、ナニビトゾ」である。

講堂の掲学も「我、ナニビトゾ」と自身の探求だった。

書物は端緒になる。安岡氏もそこに表れた道の縁なのだ。

そのように考えて欲しい、それが願いだった。

しかも学問は一子相伝ではない。「安岡」はブランドではないと嫡男正明氏の嘆きだった。

ちなみに、染井の墓石は自然石である。
はじめまして。

20歳の誕生日に安岡正篤の「青年の大成」を父にプレゼントしてもらいました。

現在は毎朝、安岡先生の一日一言を音読して、仕事をスタートしています。

安岡先生の教えを学んで、人生が変わってきました。
これからも勉強頑張りたいと思っています。

よろしくお願いします。
はじめまして。

20代の半ばに安岡正篤先生の本を初めて買いました。
31歳の誕生日から何日も経たないうちに、安岡先生の本を久しぶりに買いました。

たとえ少しずつであっても、先生の本を読みたいです。

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