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真実を伝えよう!(旧館)コミュの通州虐殺の惨状を語る1

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 このコミュニティに参加されてるあきらさんが、昭和12年10号の月刊『話』に掲載されている通集事件の現地座談会をテキスト化して6回に渡って日記で紹介されたので、折角なのでコミュニティの方にも紹介させて頂きます。

あきらさんの日記はこちら
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=495436196&owner_id=7906057


(以下引用)
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この記事は文春新書 昭和十二年の「週刊文春」菊池信平[編]p.159〜177からの引用です。

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月刊「話」昭和12年10月号
日支事変現地特ダネ特撮!!
通州虐殺の惨状を語る 生き残り邦人現地座談会
血河屍山の現地で天人倶に赦さゞる暴虐を語る!!痛憤未曾有の座談会だ
(『昭和十二年の「週刊文春」』菊池信平[編]p. 159-177 文春新書)

座談会前記『天人倶(とも)に赦さゞる通州大惨劇の跡を追う』
武島義三

■城門に残る無数の弾痕

 通州惨劇の悲報が伝えられてより、憤怒と焦燥と憂慮の裡(うち)に四日間の時日が経過した八月二日、実地調査の為に派遣せられることゝなった×× 通州調査隊のトラックに私は便乗する事が出来た。北平〔注・現在の北京〕通州間の一帯には未だ敗残兵が出没するとの情報があったので、調査隊の方でも万全を期して各員も拳銃なぞを装備して、まかり間違ったら、非戦闘員ながら警備兵と力を合わせて一戦をも辞せぬという悲壮な決心を眉宇に示していた。何時もなら、頻繁に自動車や馬車が走り、行商人や旅人が行き交うこの街道も今日は犬の子一匹通らないで、突進するトラックの翻弄に委せて居る。

 高梁(こうりゃん)を見ている内にふと、私は若しや、あの陰に反乱兵が伏せて居て不意打ちをしやあしないかと思った。すると何となく気になって、バンドを廻して腰の拳銃を腹の方に移して一人心構えをした。運転台のドアーの処に立てた日章旗は突風に靡いてパタパタと音を立てゝ居たので、これに威圧されてか不届者は一人も飛び出さなかった。とやこうして居る内に、早くも通州の城門外に到着した。

 調査員は皆、何回も通州に来たことがある人達ばかりだったが、城門を見ると「ひどくなっているなぁ」と嘆声を洩らした。

 処々に砲弾で毀された個所があり、小銃や軽機関銃の弾痕は城壁の銃眼のあたりに集中されて無数の穴を抉って居た。

 これは三十日の夕刻、保安隊反乱の報を聴き、南苑攻撃中の〇〇部隊が救援を命ぜられて到着した時、この城門を楯に頑強に抗戦した敵を撃滅した際の乱闘を物語るものである。

 門の傍には土嚢や石塊を積んで壕が築いてあり二人の日本兵が仁王立ちとなって守備に任じていた。もう城内の治安は完全に日本軍によって維持せられているのだ。

 城門を入ると、ムッとした屍臭が鼻を突いて先ず我々を驚かした。電線はズタズタに切れて地面に垂れていた。通りに面した人家は表戸を堅く閉され、住民は遁げ去って空になっている様だ。

 支那人の家は表から見ても別に損傷はなく壁に流弾の跡が残っている位だった。 人の声は少しもせず、蝉だけが我物顔にジイジイと鳴いて居た。

 程なく守備隊に着いた。砲弾に毀わされた舎屋の上に日の丸と監視兵が立っていた。何と言う惨憺たる姿であろう、車から降りると我々の到着を知って生き残った同胞が憔悴と恐怖に血走った眼を泣きはらして出てきた。私はその一群を見るなり目頭が熱くなるのを止める事は出来なかった。頭や顔、手や足に包帯を巻いた婦人や子供、その包帯には未だ血潮がにじんでいた。男物の浴衣を着た妙齢の婦人もいればオカッパ頭を鋏で虎刈にした女の子もいた。半島人の子供が「祝出征」と書いた日の丸を持って嬉しそうな表情をしてその中に立っていた。

 支那服のもの、洋服のもの和服のもの色々様々な服装をしていたが、流石は日本婦人だけあって髪の乱れもかき上げとっさの間にも身だしなみだけは忘れないゆかしさには感心させられた。

 男子は頭と両手を包帯した者が一人いたきりで後は皆、死体の収容だとか調査、仮埋葬、後かたづけなどに働きに行っているそうだ。

 その内、ある婦人が進み出てつゝましやかに…御苦労様で御座います…と挨拶をしたが我々は胸がせまって何と返答して良いやら言葉に窮した。…なんともお気の毒で御座いました、…我々はどうお慰めしてよいやらわからない位です…と分別のありそうな調査員中の一人が答えた。

 一行は思い思いの調査に取りかかった。


■凄絶!戦の跡

 満鉄出張所、領事館警察署、民会事務所、日本人民家、商店、飲食店、冀東銀行、冀東政府等を順次歩いてみたが、何処もかしこもいずれ劣らぬ乱暴狼藉の跡が歴然としていた。

 私は嘗て満州事変の時に、新京の郊外の城市や南嶺の支那兵営を激戦の直後に行って支那兵や軍馬の死屍が累々として兵舎の焼け跡に余燼が濛々として居るのを見た経験があるが、激戦の跡という感じは、どちらも同じだが、むごたらしさと言う点から見れば数百倍もこっちがひどいと思った。

 日本人の家屋は必ず見る影もなく荒らされて居り、破壊された家屋を見て、あそこもやられたなと思うと必ずそれが日本人の家屋なのである。死臭がするなと思うと道路といわず、溝といわず死屍が横たわっていて、それが日本人であると必ず正視の出来ない程、残虐な凶刃が振るわれているのだ。

 最後に近水楼に行ってみた。近水楼はこの前、来たときに一泊さたことがあり、其の時天津にも北平にもこんないい旅館はないねぇ、天津の芙蓉館や北平の扶桑館の方が建物や設備はいいかも知れないが、とてもこの窓の眺めはない…と誉めて給仕にきた女中を喜ばせたことがあったが、それ程景色のいい地点にあるのである。

 きれいな蓮池に囲まれ、玄関の前と後の方向に池を亙る通路があって旅館の廻りの樹木は緑滴るばかりであった。

 「近水楼はひどいぞ」と言われて、予め覚悟はして入ったがあまりの残忍な状態に変わり果てているので思わず悪寒と戦慄を感じた。

 玄関からそれに続く広間などは滅茶苦茶で血沫は飛び、どす黒い血潮は餅を置いたように厚みを持って床の上に固まっていた。持ち出した衣類や器具のこわれがそこら一面に散っていて客だか家の人だか判らない屍体が六つ、一カ所に並べられていた。私は死屍を見る毎に合掌して懇ろに霊を慰めることにしてきたが今日はそれを何回やっただろう。数え切れないほどである。私は二階に泊まった事があるので土足のまま直ぐに上がってみたが戸障子から襖、畳まではがされてよくもこれまで荒らしたものだと思われる程だった。

 階下に降りて来ると料理場に続いた女中部屋を覗いていた五〜六人の人達が…「あッ!ひどいなぁ」…と嘆声を洩らして後ずさりをしたので私も肩越しに見ると、血液が一時に逆流するかと思われる程、愕然とした。

 そこには六〜七人の女中が、頭といわず、顔、首、胸、手足、殊に腹部より下に対しての残忍極まる鬼畜もなさざる虐行を敢えてしてあった。

 夜になってから〇〇隊長の許しを得て一室を提供してもらって生き残った人々の生々しい死線突破の体験談を聴くことにした。

 私は北平から来た〇〇の東氏、天津から来た××の吉村氏と相談して予め居留民の内の分別のありそうな人を選んで夕食後にすみませんが色々お話を承らせて頂きたいのですが…とかれこれ十名位に頼んで歩いた。夜の幕が全く降りて不気味な闇に包まれる頃、暗い洋灯を中心にして、集まったのは私と東、吉村の三人と五名の生存者だった。内の一人は半島人で包帯姿も痛々しかった。婦人の方にも一人二人出て頂くつもりでいたが傷心に身も心も疲れて休んでいられたので遠慮することにした。

 銃痕の散らばった壁や血沫の飛ぶドアーを背景にした、激戦の跡の一室で兵隊さんの食事の卓を囲んで座談会をやるのである。これ程、凄絶味のある座談会は恐らく前代未聞であろう。


________________________________

…出席者…
北京よりの調査員 東 達人
天津よりの調査員 吉村 四郎
生存者      森脇 高英、竹原 重夫、廣田 利雄、大橋松一郎、朴 永良
本誌特別特派記者 武島 義三

■デマ宣伝に踊らされた保安隊

記者:お集まり下さいまして有難うございます。未だ昂奮からさめぬ精神的にも肉体的にも疲労困憊の極に居られる皆様から貴重な時間を割いて戴きまして誠に有難う御座います。本日当地に参りまして諸方面よりの調査隊や救援隊の方々と一緒に惨劇の跡を見ましたが、何と申し上げてよいやら言葉を知りません。見れば見るほど、その暴虐振りに憤怒を感じ、切歯扼腕するばかりです。

 私は三十日の正午頃はじめて北平の〇〇で通州がやられたという報を聴きましたが此んな時にはデマが多いので、またデマではないかと思ったのです。

 処が時刻が経つに随って真実だと言うことになり、通信機関も破壊せられていて、真相が充分判らないので本日参った次第であります。

 今夜は皆様より詳しくお話を承って、よくその真相を伝え一日も早く冀東地区を蔽った暗雲を一掃して再び輝かしい太陽を招きたいと考えて居ります。僭越ですが私が進行係を受け持たせて頂きまして話を進めたいと存じます。先ず最初にお伺いしたいのは、北支事変勃発当初、この冀東地区にどんな反響があったかという事であります。

森脇:廬溝橋事件勃発の時には別に関心は持たなかったようですが、次々と起こった北寧、平関両鉄道沿線の戦闘に対してはやはり動揺していた様であります。
 南京系の新聞が相当、入り込んでいますし、流言や誹語が盛んの様でしたから、不安がって居た事と思います。

竹原:然し冀東地区内に居る自分らは大丈夫だと言う自信は十分あった事は確かです。其の証拠に事変が起こってからでも公園に夕涼みの散歩をする者の数は多く、白河の岸で雲雀を鳴かせている人達は平素と変わりありませんでした。

 支那人は多少でも自分らの生命や財産を脅かされる懸念のある時は一刻も愚図々々しないで何処かへ遁げて行きますよ。

記者:通州事件の勃発する前後の様子や保安隊の蜂起する迄の様子をお話下さい。

廣田:我が香月〔清司〕司令官が宋哲元宛に通告した最後的な撤収要求が、支那側にさえ誠意があったならば二十七日正午に履行せられる筈なのですが、戦時行動を拡大するばかりで少しも履行の様子がないので、我が軍の南苑攻撃が開始されたのです。

 其の為に通州門外に駐屯して居た約一個大隊の二十九軍の一部の不穏な動揺の色ありとの情報があったので、二十七日の夜から二十八日の払暁にかけて、日本軍が空陸呼応して攻撃し、終(つい)に敵を沈黙させて全員の武装解除をしたのです。この武装解除の時には通州保安隊の一部も駆けつけてその手助けをした位です。この時から保安隊には少し動揺の様子があったのです。
森脇: これは僕の考えですが保安隊には相当前から根強く中央よりの指令に働いてる煽動分子が入り込んでいたと思います。少なくも保安隊の幹部は完全にその指示に依って行動したと思っています。中央は新聞やラジオによって宣伝をやったのです。

 即ち…蒋介石は日本軍に対し二十四時間以内に北支より撤退せよ、然らざれば三百台の飛行機を以て、大挙、北平、天津を空爆するぞと通告せり…とか、支那軍は至る処に大勝を博して日軍を潰滅し北平、天津、豊台は完全に支那軍が占拠し、廊坊は奪還せり…とか支那軍飛行機は、満州国を襲撃しシンヨウ(奉天)市内は火災を生じ錦州も同様にて、目下暴動反乱が蜂起せり…とか、蒋介石は目下鄭州にあり全軍の指揮に当たっていると言う様なのですが、それで保安隊の幹部連も、そら中央がやった、我々も愚図々々しては居られないと言うので二十七日か八日に一同を集めてその訓示をしたそうです。南京では二十九日、冀東保安隊が反乱を決行するというので北支一斉に反撃の密令を出したので、通州と同様に天津、豊台、廊坊、順義等に逆襲があったのです。ところが死に物狂いになってやってみたけれども少数の通州日本軍が意外に頑強で、これをやっつけるのを苦心している内に、援軍が到着するし、空襲はされる、危ないと思ったのでその鬱憤を無力の居留民の虐殺で果たし、行きがけの駄賃に金目のものを掠奪してしまったのです。

記者:当時、通州にはどの位の同胞がいたのですか。

大橋:正確な数字が判らないのです。民会や警察の名簿に載っていたのは内地人男八十名女二十二名、半島人男百四名、女七十八名、計二百九十五名とかいうことですが、北平からわざわざ避難して来た者も四、五十名居る様ですし、名簿に載ってない旅行や視察に来た人もいますから困るのです。ですから、三百八十名位の見当なのです。

竹原:それも何処か一廓を定めて日本人の地帯でも作って其処にでもいたならばまだしも、これだけが城内各方面にちりぢりばらばらに住んでいたのですから、尚、酷いのです。それに外部からの匪賊の襲撃ででもあったならこれほどではなかったのですが、平素、警備していて事情のよく判っている保安隊がやったのですから手がつけられません。保安隊員は各戸の財政的状態迄あらまし知っていますから、こんな災禍を見たのです。

記者:今日迄の生存者、屍体発見はどの位あったのですか。

竹原:皆で百三十名位じゃあないですか。屍体は百二十体位ですから、合計二百五十。

記者:すると未だ百二三十の人々が生死不明ということになりますね。

大橋:これが大変なのですよ。氏名がわかっている人で屍体の発見されないのや、屍体があっても氏名や身許が判らないのもあります。判明者は荼毘に付していきますが、判らないのは腐敗しますから仮埋葬します。


続きは以下
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=20753656&comm_id=1796617

コメント(7)

若い人に伝えていかないといけない事実ですので、私の日記にも貼らせて頂きますm(_ _)m
譲吉さん
有難うございます。貼り付けが携帯では無理なので、こうして紹介していただけると有り難いです。また写真からの文字起こし有難うございました。より広く読んでいただければと思います。
あきらさんの日記読んでみますね。
通州事件があったことは知ってましたが、もっと詳しくなりたいので。

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