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出雲そばコミュの大森のそば

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石見でも当然、いろんなそばが味わえますが、大田の「ロード銀山」のそばは、出雲の業者によるもののようです。

大田のそばは、原料が地元産(三瓶山麓等)であって然るべきとおもいます。近々、大森の「代官そば」を訪ねる予定ですが、出雲そばファンからは、如何に評価されるのでしょうか? その布置関係は?

コメント(11)

 三瓶蕎麦は子供の頃に食べたっきりでどこのお店だった価値と覚えてないぐらいなので現状を把握しているとは言い難いのですが。
 で、先に個人的意見であることを先にお断りしておきます。

 まず、出雲蕎麦ファンと言っても千差万別で評価軸が一定というわけではない現実を理解された方が宜しいかと思います、また、然るべき、と言う固定概念を捨て去ることが肝要だと思います。

 出雲蕎麦の需要を県内産の蕎麦粉だけで満たしているわけではありません、これは結構重要なことです、であるならば出雲の蕎麦は原料が出雲産ではないから出雲蕎麦ではないのか?そうではありませんよね、出雲なりの打ち方、食べ方等々それを満たせば出雲蕎麦と言って差し支えないんじゃないでしょうか。

 で、その辺りを前提として置いてと。

 三瓶蕎麦ですが、出雲蕎麦の影響を確かに色濃く受けております、これはすべての店に共通するわけではありませんが、割子や釜揚げなどの食べ方辺りが共通なのはよく知られています。
 また地元産の原料を使うことを謳い文句にするお店もあると思います、また、これも店によるようなのですが、三瓶蕎麦は割子でも一般に茹でた後水で締めないことがあるそうです。

 また、最近は割子などではなくざるなどのごく一般的な蕎麦の食べ方で、地元産の原料に拘るなど店によって色々な個性があるようです、むしろ色々突き詰めずに、あるがままの三瓶蕎麦を楽しみ感じていただいた方がより蕎麦を楽しめるんじゃないでしょうか。
幼少時より、出雲蕎麦になれ親しみ、いわば刷り込まれてしまった者としては、大げさにいえば、つい三瓶蕎麦にはカルチャーショックを覚えたくなります。
いろいろな個性を享受するためにも、積極的に議論するのは、良いことです。
或る大田の友人も、出雲蕎麦を愛でながらも、三瓶でそばを栽培しています。
 三瓶近辺の蕎麦の歴史について知りたいのでしたら、このコミュのレビューに入れてあるのですがワンラインの「おいしい出雲蕎麦の本」、「山陰蕎麦街道」辺りをお読みになった方が宜しいんじゃないでしょうか。

 歴史から成立過程がわかります、と言うことは出雲蕎麦との関係も多少なりとも飲み込めるはずですし、疑問がそれなりに解決するんじゃないでしょうか。
先日、初めて「お食事処おおもり」に入らせてもらい、昼間から地酒をやりながら、安心して至福の時間を過ごすことができました。ワサビ、やまかけ(じねんじょ)、天ぷら3点(輸入冷凍エビ?含む)が特長で、\990といたってリーズナブル。
次の機会は、大田・邑智地区で、他の店を探訪したいとおもいます。外見に拘わらず、出雲蕎麦とは似て非なるものとして娯しむべきでしょう。(仙ノ山から南東方面の眺め、景観は、昔からお気に入りです。)

ここで参照したのが、荒木英之『松江食べ物語』(山陰中央新報社、1994)です。該博な知識、経験により、松江の食文化の真髄、精華を照らし出して余すところがない快著ですが、1960頃をさかいに、自然環境、農、食等の劣化、貧困化がすすんだことに警鐘をならしているのを看過できません。

宍道湖の主要魚種(シジミ、エビ類含む)の漁獲量は、70年代前半をピークに下降の一途を辿っていて、今日、事態はますます危機的です。

将来の子孫の生存のために、蕎麦に着目してみるのも有効でしょう。




―――冬場の毎月のつごもりに釜揚げを振舞うのが、松江の商家の習いだった。深夜まで提灯と付け帖を提げて、寒い雪空の下で集金に走り回った者たちへのオカッツアン(女主人)からのねぎらいである。
お忌み荒れが始まると、新岩海苔と新蕎麦の季節である。浦方や山家のおばさんたちが、入れ替わり松江の街を売り歩くようになる。薬味のうち、揉み海苔だけ少し多めに入れ、浅漬けか、湯通しした新黒田セリをのせたアツアツの釜揚げがいい。
豪家や表だなの商家では、かもじ海苔(十六島のり)を5センチほど切ってホイロしたのをのせる。―――


―――「お忌みさん荒れ」は「ブリ起こし」で、突然の水温低下に驚いた北国の太ったブリが、一斉に出雲浦を南下する。また天下一とされた松江のスズキも、一斉に宍道湖から下る。
「お湯かけ蕎麦」は少し硬ゆでの蕎麦に塩ブリの切り身をのせ、熱い蕎麦湯をかけて蓋をし、白く色変わりしたら、蕎麦つゆを掛けて進める。薬味は釜揚げと同じで、ブリから強いうまみが出るので、花かつおは省く。マルゴでは劣る。
松江鱸のお湯掛け蕎麦も天下の名物である。こちらは捕れて数時間目がいい。塩はしない。まるで松阪牛かマグロのトロのように、サシのいっぱい入った雪氷のような白身である。やはりチューハンやセイゴでは駄目。青ダツもいい。―――
 今「松江食べ物語」は手に入りますかね、書店で簡単に読めるものではないですよ?
 まあ県立図書館とか辺りでは貸し出し可能な奴もあるんで読めますが、ウチには幾つかありますけどね、波積屋辺りでは抜粋した奴が読めたかもしんない。

 わりと出雲蕎麦関係の書籍では基礎資料とされる奴ですが、底本がありまして「出雲新風土記」という書籍が「松江食べ物語」の参考にされています、その辺りは出雲蕎麦の本辺りで参考図書としてあげられてますんでわかりが良いでしょう。

 でまあ、これは「知られざる出雲そば」より、「蕎麦屋語録」に良い言葉があったんで転載します。

「たかがそばにこだわらんことです。そばでは世界を救えんでしょう」

 難しいことなんか考えず、肩の力を抜きましょう、たかが蕎麦です、楽しめなくなったらお終いですよ。
それでは、きっと、怠慢の誹りを免れないでしょう。本物志向で、「半可通」(にわかグルメ、知ったかぶり)を厳しく斥けるのが、荒木氏の真骨頂に他なりません。

己の生命、生活を、とりあえず、5、6代前(江戸後期)まで溯って捉えれば、祖先たちが遺してくれたもののうち、何を喪失し、破壊した(しつつある)のか、批判的に吟味したくなるのが、健全でしょう。

危機だからこそ、自ずと勇気が湧き上がってくるというものではないでしょうか? 常住危機です。



『真のしあわせは自由のなかにあるのではない。義務の甘受のなかに存在する。』(サン〓テグジュぺリ)

易曰。憧憧往来。朋従爾思。子曰。天下何思何慮。天下同帰而殊塗。一致而百慮。天下何思何慮。

 いや、私、怠慢と誹られても別に構いませんけど。

 自分が一体出雲の食(に限った話ではないか)文化についてどれだけ知っていると言うんでしょう、日々精進あるのみ、調べれば調べるほど「語るほど知ってはいないなあ」と言う事を実感します。
 批判的に吟味だとか、健全とは何だとか言うにはまだまだ私は何も知ってなぞいませんので。

 ああ、そう言うなら口を出すな、喋るなと仰るならそれでも構いませんが。

 
わたくしも、あまりにも怠慢だったことを反省しております。手をこまねいて傍観してるだけでは、みっともなさ過ぎます。



 で、一つ伺いたいんですが。

 いつからここは出雲の食文化荒廃を憂えるお話を始める事になったんですか。

 正直反応した私の責任も痛感しておりますが、健全だの批判的に吟味だの、そんな高尚な話を始めてどーするんだろうと言う気がしないでもありませんが、反省する方向が違うように思うんですが。
あくまでも憂わない限り存在意義はあり得ません。
何のために生きてきたのでしょう?
 皆様、管理人でもないのに続けちゃって申し訳ありません、最初にお断りしておきます、ごめんなさい。

>ウップルイ様
 敢えて指摘しなかったんですが、はっきり申し上げないとご理解頂けない様なので。

>あくまでも憂わない限り存在意義はあり得ません。
>何のために生きてきたのでしょう?

 つまり、私の様な現状に関する憂いをはっきり表明しない様な人は存在する価値も無い、今まで生きてきた事すら疑問だと仰っておられると理解しました、言い過ぎだ、そんな意図はなかったと仰るかも知れませんが、ご自身の書かれている事はそう受け取られる可能性があると言う事を理解して下さい。

 そしてまず、冷静になって、ご自分の書かれた文章を客観的にお読みいただいて、文章の視点の高さをご理解下さい、異論を持つ相手の人生を云々出来る、中々素晴らしい視点の高さと申し上げておきます。

 その上で何故「高尚」な話と言ったのか、何故私は賛意を示さないのか、お解りにならないようですのではっきり申し上げます。

 文章の視点の高さ、と先に指摘しました。
 ご自身は問題意識を持ちとても偉いのだ、と暗に仰っているように見えます、壇上から演説する様な感じですね。

 正直申し上げて「存在意義を問う」以前の問題です、そう言う文章で共感を得ることが出来るとお考えだと思いますがそれは難しいでしょう、頭の高さが文章に表れています。
 何故同じ事がもっとやわらかい言葉で書けないのでしょうか、何故同じ視線に立って純粋に楽しめないのでしょうか、相手に自分の所まで来いと仰るわけでしょうか。
 自分は怠慢だと仰いましたね、ええ、はっきり言わせて頂ければ「場の空気を読む事」に非常に怠慢です、確かにコミュニケーションの場です、討論もコミュニケーションの一環でしょう。
 しかし、出雲そばに関する情報の交換に何故討論が必須なんでしょうか、確かにトピックを立てたのは貴方です、貴方が討論を希望しているのにそれに異論を唱えるのは確かにどうかと思われるかも知れません、でも、なんで自分の意見に異論が出るのか、考えたこと無いんですか。

 貴方の問題意識が高いのはわかりました、しかし、本来なら理解を求めるべき相手からこの場でその話題を続ける事に否定的な見解を貰うや「何のために生きてきた」と見ず知らずの他人の人生の意義を問うなんて、実に素晴らしい発言、これで貴方は相手に理解を求める事が出来ると本気で考えておられるのでしょうか、それとも私が黙れば、貴方に「全面的に賛成」すれば良かったんですか、別に私の人生に意義がないなんて言ってないと仰るかも知れませんが、貴方が考えて行ったであろうその発言はそう受け取られても仕方のない危険なものだった事を理解頂きたい。

 こちらがはっきりその話はどうだ等申し上げなかったのはこちらの責任であり、このような議論を続けてしまったことはこちらにも責任の一端があります、管理者でもないのにしゃしゃり出て来やがってと不快に感じられたかも知れません、それは申し訳ないとお詫びします、ですが、演説を遮る権利ぐらいはこちらにあっても良いでしょう。

 回答他頂く積もりはありません、演説を続けて頂いてもそれは結構です、難しい単語を並べて煙に撒いてもそれは個人の自由ですから。
 ただ、その為にどう評価されるのか、貴方の思うとおりにみんなが評価する(無論貴方を理解してくれる人はそりゃ居るでしょう)訳じゃない事、ここのコミュにいる人は前にも述べましたが千差万別なんです、その人達と評価を戦わせることそのものを否定はしませんが、貴方の評価がみんな諸手を挙げて受け入れてくれるなんて事はあり得ないことを理解しないと、多分先に進まないと思います。

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