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草々コミュの「かしめ」(小説)

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 鏡の中に自分がいて、その上半身裸になっている肉体からは、鎖骨、肩骨、胸骨や肋骨などが、外から見ても、その存在が確かめられるくらいに張り出しているのだが、それは健康な筋肉を伴った肉体美というよりは、単純に不健全な食生活、拒食気味といえるくらいに不足している回数の食事や、その反動により周期的に発揮される、あからさまで醜い飽食のため、贅肉が削ぎ落とされたというだけであると、自虐的に自身の体について考察してみるものの、少なくとも襦袢を着ているかのようにみえてしまう、肥えた裸よりは嫌悪を感じずに済むせいか、それを大した問題として捉えることはなく、むしろ若干の満足を覚え、この痩せた体をいかにして保っていくか、ということに意識がいってしまい、それゆえ拒食傾向が進んでいるのだろうと分析してみた。鎖骨は、その名の通り、重い頭を乗せるだけで精一杯に見えるほど細い首、そこに幾本の血管が巡っていて、たおやかな起伏を促し、しかし、ただ一箇所中央の喉仏だけが急激な突起を作っているのだが、そんな首の周りを引き締めるように、鎖のように巻きつき、何か拘束しているように見え、特に中心から出ている左右対称な鎖のラインの突き出し方から、小さな凸の唐突さの不気味さもあいまって、理不尽な何かに締め付けられているかのようにすら感じられてしまうのは、あまり神経質な見方であろうか、そういったネガティヴな思惟を続けるに従い、すっかりそれにのせられてしまい、自分の体であっても、それを思うようには動かせないのではないかという疑いにまで発展してしまう。僕は、その拘束に対して、ささやかでも反抗の意識を示すためであろうか、例の凸、鎖骨の中心をなしているような凸に、わずかに汗の湿り気を帯びた指先で軽く触させるとと、肌は不快にざらざらしていたが、ただの薄い膜にすぎず、そのすぐ下に固い、けれどもそれは柔い皮膚との比較に過ぎず、実際には中身のないプラスチックの塊のように、空洞になっているのかも知れない、骨の存在をことさら強く感じ、その先ほど感じた空洞感を確かめるように、とんとんと指を何度かはじいてみるのだが、この二十歳という年齢を考えれば幼いと見られるのであろう、冷静さを保てない時に生じる爪を噛む癖により、爪はしばしばささくれ立ち、また、痛々しく不揃いな短さでもあり、この場合それが幸いして、指で骨をたたくことによって、皮膚を傷つけるということはなかったのだが、その行為によって生じた音は、がらんとしたドレッシングルーム内に響き、その乾いた音のシェイプは、身の詰まっていないカルシウム体を想像させるに十分であった。表層と深層、両者の貧弱さは露呈され、わかっていたこととはいえ、苦笑を伴わずにはいれず、そんな自分を戯画化するように、ユーモアというオブラートに包み、再び、今度ははっきりと意志を持って、存外良いパーカッションとして機能する自らのすかすかの骨を打ち鳴らしてみた。鎖骨以外にも、その周辺を取り巻く骨たちを意識的にたたいてみると、例えば、ティンパニのように、それぞれの場所は微妙な音高の差があり、絶対音感を持っていないため、どれがABCの音に対応するかはわからなかったのだが、メロディめいたものを奏でることも可能であった、とはいっても、どの音もはっきりとした高低は持たず、やはり旋律を受け持つには、その楽器の性質が合わないようで、どれもくすんだ鈍いものになってしまい、音楽的な面白みには欠けた。逆に、これを完全なるリズムマシーンと捕らえたならば、その機能にふさわしいものになるだろうと考え、かつ、そう複雑な拍子は叩きがたいこの楽器で演奏ができ、なおかつ、その演奏効果が高い曲は何かと、ライブラリの中を検索してみると、その条件にあう最上位の曲は、L. v. Beethovenの交響曲第五番、日本でのみ通用する標題「運命」を持つ楽曲の、第一楽章冒頭であった。たたたーん、と骨を四回叩くことを基本として、演奏はきわめて簡単に行うことができ、頭の中で流れる弦楽器、管楽器とともに、フルオーケストラの中にいるという軽い恍惚を感じつつ、その第一主題を幾度となく繰り返したが、実はこのとても有名なモティーフの最初に書かれている音符、つまり、この30分に渡るシンフォニーの頭に書かれている音符は、休符であることはあまり知られていない。指揮者たちはみなこのスコアを入念に勉強し、それだけで一曲まるごとの印象が変わってしまうといっても過言ではない、この休符を一体どんな扱いにするのかということに、大いに頭を悩ませ、例えば、その休符を強く感じ、んたたたーん、のように処理することや、あるいはまるでその休符が無きものであるかのように捕らえ、最初のアタックに注意を払い、棒を振る者もいて、どの演奏もそれぞれ解釈を示し、結局、楽譜などというものに絶対はなく、その人の見方一つでいかようにも変質するということを、壮大な楽想とともに、「運命」は雄弁に語り、僕は自分の聞いたディスクを参考にいくらかのケースを想定し、そのように叩いてみて、どれが自らの感じるところに近いかを、楽譜も見ないまま、傲慢にも考えて、次第に、「骨音」とでも表現すればいいのか、その良く乾き歯切れのいい音質み親しみを覚えた。いつまでもそうして演奏会を続けているわけにもいかず、ここはプールに入るための準備をするところであることに、ふと思い当たり、唐突に自分のしていた行為の稚拙さに羞恥を抱くことになったのだが、なぜか強く惹きつけられていたことも事実であり、しかし、それは何に起因しているのかはわからず、鏡の中にいる自分に、お前なら知っているだろうと決め付け、問いかけるかのように、体の各部位を動かしてみると、その動きと同時に見えるはずの鏡の中の動きが、時に緩慢であったり、あるいは、自らの思う行動を先取していたりといったように見え、それはもちろんありえないことであるから、まずは目を疑い、動かした手足を疑い、そして、つるつるとしていて手入れの良く行き届いた鏡に疑いをかけたが、その検証は無駄に終わり、特にこれといった異常は見受けられず、判然としないままであったが、やはりこの更衣室で時間を使っていることには変わりないと気づき、そろそろプールに向かおうと、心中の幾らかの疑念を無理矢理削ぎ落として、階段を下り、細く暗い、緩く傾斜した通路を抜け、地階へと歩いていった。
 人の声は高い天井を介してやたらと反響をして、良いホールでのコンサートの休憩時間に、それまでのプログラムに対する苦言、こういった場では批評の八割は非好意的なものであるが、これからの展望、これもやはり期待ではなく、この曲の正統な解釈は自分が持っているという勝手な考えに支配された地口、それらを語る人たちによって形成されるざわめきにも似た、混沌とした雰囲気を、実はそんなににぎわっているわけでもない、このプールはたたえており、ここではそれに加えて、ぱしゃぱしゃと水が撥ねる音が、幾重にも重なり縺れていた。水中、空気中を往復するため、音はそれ以上に多様な変質をみせ、おそらく音の発信源はそう多くないのであろうが、やはりそれがたくさんあるような錯覚にとらわれてしまい、また、音が閉鎖的な細い通路を抜けてくるということも影響してか、音の数の相対的な多さに戸惑い、眩しい光を直接目にしてしまった時のように、貧血や眩暈を起こし、そのため、はじめのうちは、勢いよく泳ぎ回ることはできず、水の中に、頭を除いた体全体をずるりと沈めたまま、その場で何回か深呼吸をしてみたり、あるいは、数十秒というまとまった時間潜ってみたり、ということを繰り返して、徐々に体を慣らしていかなくてはならなかった、そして、ようやく体が多層に渡る世界に慣れてくると、その境界を何度も行き来してみたり、そのたわみ、歪みに浸ってみたりということができるようになり、所謂水泳というものにたどり着くのであった。一度順応性がつけば、とりあえずは安心で、ここでもやはりゆっくりとしたペースではあったが、クロール、背泳ぎ、平泳ぎと順番に25メートルのコースを泳いでゆき、そのプールサイドにかかげてある大きな時計、秒針と分針のみが赤と青で貼り付けられているのだが、それでスピードを調整しつつ、特に記録というものを意識しているわけではないが、それでもやはり自己のベストラップを更新しようとスクロールを続けるのであるが、今日は更衣室での一件があり、こちらはプールの中央の柱にかかった、時刻のわかる丸い時計によると、そのために費やせる時間は、そこまで多くはないことを示していて、いつもよりも早めにペースをあげていった。しかし、こういうあせっている時にこそ、物事はうまくいかないもので、ここはお金を払い会員になった人間全員の共有の場所ではあり、自分の思うようにコースを使うことはできず、まずは列に並び、25メートルを泳ぐと、再び泳ぐためにまた列に並び直し、もちろん、空いているならば待ち時間なしで泳ぎ続けることも可能ではあるが、この日に限っては、向こうの方にある、進行方向や泳ぎ方に関係なく、自由に水と戯れるだけの、広く解放された場所には人が少なく、こちらの規定の多い本式の水泳用のレーンの方に人が集まっており、更に悪いことに、いつもはこっちを使っていない、言い方は悪いが、あまりにも緩慢とした泳ぎをする中年の女性たちが、何を思ったのか、もしかしたら昼のテレビ番組、健康に良いことを謳い文句に、どんなものも商品にしてしまう番組で、水泳をきちんとやることの重要さ、むろんスポーツクラブが裏で噛んでいるに違いないのだが、それを説かれたのかもしれないが、こちらに来ているせいで、待ち時間なしというわけにはいかず、苛々と水面をにらんでいなくてはならなかった、彼女たちの泳ぎは、無論、見るに値するのもではなかった。いつもとは異なった間隔での水泳は、あの貧血や眩暈を再び促し、それに耐えながらベストラップに挑むことは正に無謀なことであり、僕は二重に苛まれることを恐れて、今日の泳ぎを諦めざるをえなかったが、だからといって、このまますぐシャワー室に行くというのは時間的にも金銭的にも不経済であり、仕方なく向こう側の広いプールに向かったわけであったが、その短い道中でも、足が少しふらつき、脳をはじめとした、頭の内容物の重さを認識させられることなり、他人にやられることを忌み嫌っている、水飛沫が必要以上にあがる、転げ落ちるようなやり方での入水をもって、そのプールにたどり着いた。そんな体の状態であったから、もちろん、水中で自由に体を動かすことなどできず、こんな様だったなら、妙な無理はせずに上がってしまえばよかったと、一抹の後悔を感じつつ、それでも、一度自分で決めたことを曲げることはできずに、動くでもなく、止まったら止まったで、ふらつきを覚えるのだから、止まるでもなく、何とも中途半端にプールの中をのろのろと動き回り、顔を上げては二種類の時計に目をやったり、泳者がかぶる色とりどりの帽子のけばけばしさにうんざりしたり、そして、過剰なまでに放射された電灯の光によって生じた、水面に揺れる自分の影が、一瞬たりとも定位置で止まらず、むしろ隣人の立てる波による、多次元的な動きを契機にして、自分から離れていってしまうのではないかという、それくらい不安定であったことに、それはこれまでずっとそこで起きていた現象であったにもかかわらず、始めて気がついたのであった。25メートルプールの方では、溌剌とした同世代の男が、先の自分と同じように、ゆるい泳ぎを続け、曖昧な列を呈す女性たちの、瞬間の隙を見つけては、さっとそこに体を差し出し、自分の待ち時間の短縮に勤め、やはり彼も自己の最速を目指しているのであろう、無駄がなく整った、美しく、けれども力強いフォームでの泳ぎを披露し、ぐんぐんとスピードを上げていく姿を見ると、自分の姿の醜さを感じずにいられず、今日はもうあがってしまうことにした、水面からあげた瞬間に、影はつうと離れていった。会員番号16325、福地大介という名前、性別男、生年月日昭和59年12月5日、二十歳、などが書かれた会員書を、硬貨・お札・カードの他に、すでに期限を超過している、各種料金、税金の払い込み書などで膨れ上がった財布から取り出し、受付で提示して、形ばかりで意思など何もないはずなのに、それでも労いが込められているように思わせるような、そんな受付の女性の、お疲れ様の上手い発声は、水泳そのものによって疲れを及ぼしたわけではない僕にとっては、皮肉にも感じられ、暖房がききすぎて、空気が強い粘性を持ったような、ぬるい待合室から、けれども、外は冷たい風に吹かれているだろうという想像のもと、マフラーの脇を締めなおし、出て行った。
 ついさっきまで雨が降っていたようで、いつもであれば、不純物の混じり、うらぶれた白さを見せるアスファルトの歩道に、いくからかの黒点が染みていて、また、夏ならば黴臭くにおったのであろうけれど、この季節特有の、高い緊張感を持ち、張り詰めたような冷たい雨の匂い、それは無臭であり、逆説的に強い印象を抱かせる、そんな残り香が、そこここに感じられ、体を蝕むような冷気が、雨を伝って侵入を試みたのだろうと考えさせたのだが、その量は決して多いものではなく、それを示すように、一定の雨量を伴えば、道をふさぐような格好で構える、大きな水溜りは存在していなくて、空白の窪みが、そのままの形で残っていた。それでも、いくらかの小さな水溜りは、その姿を見せていて、おそらく工事現場でも近くにあるのだろう、その水は純粋に雨水によってのみ構成されているのではなく、そのどこかにある現場から流れてきた、濁った油をその水面にたたえており、それが、冬の太陽の、ごくごく微少であるが、鋭角に絞られたように直線的な日差しに反射して、透明な水面の表面に楕円状に横たわる、油の輪の中央では、まがまがしく滲んだ玉虫色の渦を作っており、そこからは、ところどころに深い鈍色を見せる多層的な雲に覆われた、灰色の空が見え、その水溜りに近づいていくと、ぱっと全体に影の黒が落ち、それでも景色の反射は続いていて、極めてゆがんだ形で、僕の姿を映した。避けようという心積もりに欠けた左足が、そのエッジに触れると、風景はその瞬間崩れ、凹レンズが放つ乱反射のように、肉体をばらばらにされ、刹那な飛行を体験した雨水と油の混合体の大部分が、再びその窪みに戻ってくる一方で、完全にスピードを持った飛沫は、鏡としての機能が失われただけでなく、もうその故郷に帰ってくることはできず、乾いた歩道をわずかに湿らせ、染みともいえないような、小さな痕跡だけを残して消えた。道は駅へと続いており、多くの人の往来による熱によって、そこら一帯では、雨降りの記憶をなくすくらい、水を乾かしていた。駅の中は、突然の雨もその原因であろうが、電車を利用する人たちで溢れていたが、その誰もが、寒さを懸念してか、歩調を早め、どの瞬間も停止といった行為を避けているようにさえ思わせ、彼らが作る無数の直線運動は、駅構内を完全に包囲しているかのようであり、それにうまく入っていけないため、また、横幅が狭く、立体的な動きを遮る、あの改札機に通すはずの定期券が見つからず、一人点としてそこに留まることを余儀なくされた。プラットホームは、その許容量の限界ゆえ、人々が動き回り障害物を作るといったことしなかったが、逆に、そこにある物すべてが障害物であるというように感じさせ、けれど、それは完璧に黙してたたずむものではなく、各々の小さな領土を利用し、その範囲内での小刻みな振動や、かすかな囁きの集合体である、大きなざわめきが発生していて、全体としての動的な性質は、外でのそれと大差はなく、その隙間を何とか探しては、せめていつか来る電車に乗る体制ぐらいは整えておきたいという、小さな願望でさえ、淡く飲み込んでいってしまった。それでも、何本かの電車を見送った後で、ようやく乗り込むことができたが、そこはさらにキャパシティが小さくなっており、詰め込まれた人々の熱量は増し、扉やつり革などをしとどに濡らし、窓ガラスをくもらせるために、車内のどの部位も人の汚れにまみれているようで、そのどこにも触りたくなくて、ましてやその発生源である群集になど、服を通しても距離を零にしたくなかったから、僕の動きは極めて不自由なものになり、それでも、急停車や発進などの偶発的なアクシデントに振り回され、その思いは常に実現を阻まれ、それによってひどい窮屈さを覚えた。
 耐え難い苦痛から放たれて、相対的な喜び、すなわち、単純に外にいるということは、相対的にはプラス軸にもマイナス軸にも傾いていないため、平時なら喜びなどに昇華されないであろうが、電車内での甚だしい負の状態から見れば、例え零であっても、あるいは零に近いならば、それが依然マイナスのものであっても、それは大きな快楽に感じられるのであり、その心地よさは体中を満たしていくのだが、しかし、今度は温度の著しい差異が、寒波をより強いものに仕立て上げ、先の喜びの反作用のようにして体に入り込んでくるために、結果としては、先ほどと変わらないような不快な状態が、降り立った駅から自宅までの十分間を支配することを予感させた。マフラーのわずかなほつれから侵入を試みる風は、やはり、その冷酷さにより、歓迎したいものとして捉えることを拒否したくなるが、しばらくして、駅前の賑わいが急激にフェイドアウトした、五分間後ほどの世界においては、電車内での他人が迫ってくるような不快感は薄まり、やり方に若干の強引さはあるが、肌に直接吹き込んでくる風は、僕から何か促そうという、そんな目的を喚起させ、それは決して気分を悪くさせるだけのものではなかったが、その理由はわからなかった。外から内に至るというベクトルであるはずが、中から外に行こうとするという全く逆のものにも感じられ、また、それは強制的な力によって生み出されたものでも、特定のバイアスを持ったものでもない、言ってみれば他人に染まっていない、自分自身のものであるかのような印象を受けた。家までの道程の途中には、ある程度の大きさをもった公園があり、桜がむせび泣く、春の真昼や、新緑が眩しい、初夏の午後や、黄金色に染まった銀杏が織り成す、晩春の夕暮れには、多くの人が訪れ、わずかな憩いの時間を楽しんでいたのだが、今の寒すぎる季節ゆえ閑散としていて、景観が開けており、人ごみを嫌う人間、すなわち自分のことであるが、そんな人間にとっては、休んでいくにはちょうどいい塩梅とも言えるのであり、少し寄っていくことにした。朽ち果てて乾いた落葉たちは、そこら一帯に無遠慮にばら撒かれていて、他のどの季節にも感じられない、一種寂寥とした、けれども長い目で見れば、やがて迎えるのであろう開花のために、貴重な肥料となるために、土と一体となって折り重なろうとしているのであり、それは決して、一固体の死のみを表しているのではなく、その背後にある、生の息吹をも示唆するのである、一側面では語れない風景が広がっている。先ほどの雨で、それが大した量でなかったであろうという推測は、道すがらされたのだが、それにもかかわらず、地面を這う葉たちの体に、場合によっては、完全に二つに分離されたものもあり、痛々しい傷がついていたのは、その雨が、老いてぼろぼろになった肉体を痛めつけのだろうか。ある考察は、新たなる考察を生んでいき、それは、一つの確固とした事実があるだけで、それが持つ記憶というものは、もちろん、こういった考えを進めている間にも、時が流れ、現在が過去へと追いやられるという、無数に繰り返される運動は続いているのであるが、解釈によってのみ表出されるものである、ということを示しているのであり、それが結局、どんなに大きな論拠に支えるものであったとしても、過ぎてしまった時間に対しては、どんな推測も、その範疇を出ることはできないのだ。しかし、それは、絶対的な力を持つ事実のみを信じるリアリストにとっては耐え難いことなのかもしれないが、足りない部分を想像力で補おうとするロマンティストにとっては、その空想の範囲をどこまでも広げていいという許しがでたということであり、彼らにとっては、真実というものが持つ虚偽性は、歓迎すべきことなのだ。公園内は、いくつかのブロックに分かれていて、それは、野球を主として様々なスポーツに対応する運動場、中央に、前衛芸術のオブジェに見えなくもない、いくつかの直方体が不規則的に重なった噴水があり、その水飛沫がかからないくらい離されたところにはベンチが据えられている広場、下は柔らかい砂になっていて、それは、高いところから落ちても大丈夫という、安全に基づいたものであるのだろうが、はっきりとした赤や白で彩色され、こちらも自然的な建造物というよりはシュルレアリズムが根底に見え隠れする、また、これも安全面に特化したのだろう、勢いよくぶつかっても怪我をしないように、全体が丸みを帯びている遊具郡、夏のみの限定運営で、それは屋外なのだから当然のことであるが、シーズンではないこの季節に見られる、本来ならば涼やかな水をたたえているはずのところに、一年越しのごみや錆で汚れ、侘しさが残るプールなど、用途によって区分されていた。大抵の人が休んでいくのは、噴水のそばのベンチであり、目の前の視界が水の戯れによって歪み、何か現実離れした気分をも喚起するのが面白いのか、あるいは、絶えず流れるしゃらしゃらした音に対して親しみを覚えているのか、いずれにしても、穏やかな時間をすごせるということで人気があり、時季によっては賑わいを見せることもあった。すぐ脇の道路からは、低いうなり声を上げた車が往来し、その道を挟んで向かい側には近代的なマンション、世帯数の莫大さと、オートロックをはじめとしたセキュリティを強調して売り出しているが、そういったものに取り囲まれている中で、この公園は、どこも高い針葉樹が植えてあり、無機質な建物をその巨木が隠していて、実際に噴水近くのベンチからは、園内に配置されたもの以外のものを見ることができず、すでに述べたように、それらの全てが自然物というわけではないのだが、少なくとも、普段飽き飽きするほど見ているものともまた違うわけで、そのため、街から一歩踏み出しただけなのに、別の空間へとやってくることができたという、そんな極めて心地よい錯覚に襲われるのだ。
 景観を損なわないように、墨のほうでぽつんと佇んでいる自動販売機から、暖められた無糖のコーヒー、しかし、舌先にわずかに残る甘さはどこからきているのだろうとも思わせる、その飲料を取り出し、手の平の暖、めぐりめぐり全身の暖をとるために、右手左手と往復させながら、ベンチへと着席した。そこは車道と遠く離れているせいか、公園内を通り道として利用している人たちの自転車が、緊張した空気を切り裂く音以外は、噴水の音で遮断されているため、静けさがあたりに立ち込めていて、歩いている人たちが立てる音は、自分の耳には届かず、たまにやってくる、散歩に連れてきてもらい、大喜びをする犬や、その他のペット、相当意外な動物を伴う人もいるのだが、彼らの鳴き声が間歇的に聞こえてくるくらいであったし、どれも良く飼いならされているらしく、むやみやたらに吠え立てるということもなく、また、飼い主たちは糞尿の始末もきちんとしていて、そのため公園内の清潔は保たれている。特に記述されていなくても、感のプルタブを開ける前に、上下に激しく振ってしまい、チャコールの液体が、飲み口のすぐそばで泡立っているのを見ると、コーヒーとクリームが良く混ざっただろうという満足を覚え、一口一口と飲み進めていく、この間コーヒーは、清涼飲料などと比べると、やや小さなサイズだから、一気に飲もうとすればできるわけだが、そうすることによって、側面から得られる熱も、すぐに失われてしまうわけで、それなしでここにい続けるには寒すぎるということがわかっているから、そうはせず、ちびちびと舐めるように感のふちに唇をつけ、なくなるまでの時間をゆるやかにして、ここの滞在を長くしようとしたのは、家に帰ったところで、対してすることもなく、暇を抱えることがわかっていたからであり、こうして漫然と噴水を眺めることで、単調な生活にアクセントをつけようと、潜在的に想っているのかもしれなかった。ふと、左前方を見やると、背筋をぐっと伸ばし、見方によっては尊大な態度にも見えるほど、姿勢よく歩いている男がいて、その顔になんとなく見覚えがあったのは、先ほど上がってきたばかりのプールで、中年女性たちの混雑にもかかわらず、効率よく自らの泳ぎを進めていった、あの男その人であるかのように感じられたからである、といっても、プールでは妙な光の撥ね方により、そこで会った人の顔面は、妙に屈折して覚えられる場合が多いため、また、そもそも彼は知り合いなどではなく、今日たまたま見ただけという曖昧な記憶のために、その人だと断定することはできなかったが、全体から発せられる印象というのは、とても似通っていた。挨拶を使用などとは、全く考えていなかったが、その存在が気になってしまったがために、失礼だとは思いつつ、彼の行き先を目で追っていると、自分としてはさりげなく行ったつもりでいても、彼はすぐにそれに感づいて、こちらの方へ寄ってくると、こんにちは、陽があるなら声をかけてくれればいいのに、と親しげに話かけてきて、しかし、返事を待つことなく、僕の隣に腰を下ろし、自らをNと名乗り、もちろん動呼んでもらっても構いはしない、と付け加えて、身振りを交えながらの自己紹介を始め、親睦の印としての握手をこちらに求めてきて、その勢いに圧倒された僕は、口を挟むことができないまま、その差し出された手を握った。すでにNという名前を知っているのだから、あなたは誰ですか、と問うことは躊躇われ、仕方なく、それでも、えたいが知れない人物が相手であるため、細心の注意を払いつつ、こちらの方も自己紹介を行うと、彼は満足したような表情を見せ、失礼だが君はもっと大胆にスクロールをした方が、早く泳げると思うよ、といきなり水泳論を展開し始め、少なくとも、始めに予想した、彼が、プールで見た男であろうという、というのは当たっているということが証明されたわけであるが、実際、あのプールはたいした幅を持たないため、これは難しい注文かもしれないが、常に大海原で泳いでいる、くらいのイメージを持っておいた方がいいんだ、と彼の話は止まらない、なんとなく相槌を打ちつつ、ただ、彼の言っていることは、決して間違っているわけではなく、理に適っているようにも思え、彼の話に耳を傾けていると、話し始めたときと同じように、突然、話をやめ、それで、君はどう思うかな、と僕の方へ意見を求めてきたものの、急に話を振られたために、うまい対応はできず、は、はい、それが正しいようですね、と漠然とした言い方をするだけで精一杯であったが、彼はやはり満足したように、顔に笑顔を浮かべると、そうか、それはよかった、まあ、参考にしてくれたら嬉しいよ、と言うなり、ベンチから立ち上がり、その動作はせかせかとあわただしいわけではないが、プールでの、列の隙間を縫って移動するときのような、迅速な動きで、あっという間に去っていった。お喋りによる時の経過とともに、熱が失われてしまった缶を左手に持ちながら、ぽつんとそこに残された僕は、なんとなく腑に落ちない点があるものの、いいアドヴァイスをもらったのではないかと、その改善された泳ぎを、頭の中で描きつつ、家へと帰ることにした。
 住んでいるアパートの部屋の向かいにある、腰から頭の天辺までくらいの窓は、嵌め殺しになっていて、開くことはなく、けれども、右隅の一部分がわずかに欠損していて、これはもう管理人、元コミュニストであるがため、顔を合わせれば、まず政治討論始める人物で、そういったことにまったく興味の持てない、彼の罵りの言葉を借りれば、ノンポリな僕は、そのたびに辟易するのだが、そんな彼に何度か修繕を要求いたのものの、この建物は単純に古いだけではなく、建築上の一定の価値があり、無論、中流家庭で育ったに僕が親の援助で借りられるくらいだから、そう大した代物でもないのだが、みだりに現代の技術を用いて直すことは好ましくないと、彼は考えているらしく、小さな不良程度では、動いてくれないというのが現状であり、雨風がしみこんだ木枠に近い場所にある、その故障は、この時期ならば冷気を遮る機能の不全だけでなく、それだけならドアの密閉で何とかなる問題であるからいいのだが、空気がそこを通り抜けることによって、奇妙な音を発生させ、夜な夜なそれは不気味にうなり、睡眠を阻む存在になっていたのだ。ただ、その音も慣れるに従ってある種幻惑的で甘美な現代音楽、トーンクラスター、隣接した音の塊を多用して、ひたすらに不協和音を賛美する類のものでなく、自然回帰の思想に基づき、民族楽器や、教会旋法を下敷きにした西洋音階ではなく、さまざまな地域特有の音階、それからその土地に古くからあるプリミティヴなリズムを使った類の音楽に聞こえないこともなく、それは眠りの世界にいざなうララバイでこそなかったが、邪魔をするものとも思えなかった。再び雨が降り出したらしく、降りはじめの微かな数では、何か他のものの所作にも見えなくない、空から地への直線は、そうでなく、雨そのものであるとこがわかるくらい、まとまった束になって落ち始め、ここからははっきりとは確認できないが、庭の土に滋味を持った色を与え始めているのであろう、そして、窓の裏面にも雨が打ち始め、そこで放たれた粒が小さな破裂を起こし、瞬間ごとに景色を変えていき、窓ガラスの表面に、わずかに汗で湿り気を帯びた指先が触れると、その水滴の運動が、ガラスを隔てた表裏であるにもかかわらず、じかに感じているような錯覚に襲われ、それが、手のひらにある無数の毛穴が受け取る、ひんやりとした冷たさの具合を強め、さらにそれは、単に指先だけにとどまらず、ゆっくりと、まるで血液が循環するように、しかし、十八秒で心臓から心臓への旅を終える、それのスピードではなく、もっと穏やかに、けれども、確実に体中の隅から隅までに巡っていき、最終的には、その窓ガラスと繋がってしまったかのように、冬の冷気を完全に共有し始め、そのため、もはや向こう側のものではない、毎瞬違うものである、外の風景の中に、もう一人の自分の姿を発見し、それは、窓に向かって腕を差し出しているという今の立ち振る舞いのそのままで、また、ガラスを介しての距離の絶対値も全く同じであり、わずかに驚きを感じさせたが、実は鏡の機能も持った、窓ガラスが映した自分であるのだから、これらすべての一致は当然だが、その像はそれ以上の現実感を持ち、さも動きたそうな、唇を軽くつり上げた、落ち着かないしぐさを見せ、それに触発されるように、僕は窓ガラスへ長いため息を吹きかけ、それとも、像自身の行動に合わせているだけかもしれなかったが、そこに角を緩くした四角形の曇りができると、貼り付けていた五指のうち、人差し指を除いた四本をゆっくりと離し、それを、つつ、と柔く撫でながら、それは惑星の周囲を回る、衛星の動きのようでもあったが、その曇りまで運んでいき、上方にまず一画点を打ち、少し左に落ち着けた後、大きく右に流してウ冠を作り、中に収めるように三本の横線を描き、その中心を突き出して二太刀の払いを加えると、「実」の文字が完成するが、それは左右対称の記号であるがために、自分のほうから書いたのか、あるいは、もう一人の自分のほうから書いたのかということはわからない、その文字は、長い横棒の端や、払いの先からにじみ始めていたが、どこから見ても確固として存在していた。ゆっくりと指をはがしていくと、同時に向こう側でも、その動作が行われ、折角の結びつきが失われてしまったかのような悲しみに襲われる。雨脚が強くなってきたせいか、窓のわずかな欠損からも、雨粒が侵入してきて、こちらにいる僕の服を濡らし、もしも、向こう側にいるとしたらずぶ濡れになってしまうだろうな、という想像をし、けれどそれも悪いものではないかと、ふと思った。
 部屋の中は、角張った何個かの調度品、クローゼット、冷蔵庫、机、椅子、ベッド、本棚、テレビ、ビデオ、デスクトップPCといったものがしんと置かれているだけで、床にものが落ちているということはなく、ただ、そのしわ寄せをこうむった形で、机の上は雑然と、アクセサリや筆記用具、本、紙などが折り重なって積まれていた。間接照明が部屋を照らし、けれど、そうしておくには天気は悪すぎるために、全体に薄暗い部屋の中で、茫漠と薄い光の包み込んでいるようであったが、特に気にもせず、そのままの状態で本を読み続けていたのは、本の世界を中断し、再びスイッチの元に行くという行為に億劫を感じたという、極めて怠惰な理由からであった。雨の音は、締め切った部屋にも響き渡り、どこにも隙間がないからこそ、それがまるでこの部屋の中での出来事のような、強いリアリティを喚起し、活字に篭った自分という存在を通して、その中の登場人物まで、南の島の明るい太陽の下でのストーリィであるはずなのに、そのしだれを聞いているような、そんな感覚に陥った、しかし、そんな物語の不整合は、一見グロテスクなファンタジィではあるが、受け入れられないものではなかった。その島の鮮やかな昼はしだいに長けていき、夕闇があたりを覆ってきて、暖色と寒色が混ざり合った渦が見えることを確認できる頃には、まもなくすれ違うようにして、夜がやってきて、それに伴い人物たちはにわかに行動をはじめ、しかし、肝心の主人公の少年は、無理に自分から動くことはせずに、密やかに呪文の言葉を口にして、その肉体を、浮かんでいるこの島と一体になり、静かな眠りにつき、その他の住民たちの様子を窺うことに決め、その代わりに、この夜をより神秘的に、けれどもとても活動的なものにする魔法を使った。カンテラの光がぼおっと灯り、また、他のどこかでは、自家発電の自転車に乗って、一晩もたせるだけの電気を貯めようと必死にそのペダルをこいでいたりもして、けれども、まっすぐにつながった闇を絶やすことがないようにと、その光源はどれも遠慮がちに配置されていて、これから起こるであろう、不思議な時間に備えて、神聖に準備されているようであり、椰子の木は、そのわずかな輝きを受け取っては、その地肌がもつごつごつとした起伏を浮かび上がらせ、闇の中に自らの影を映し出し、葉が揺らめくたびにちらつく。浜辺では、どこか異国の風が運ばれてきて、常に島全体が揺らめいているようで、いつまでも止むことはなく、そこらに転がる、三重、四重ものとぐろを巻いた重そうな巻貝を洗うように、波が寄る、夜。遠く森の中から、誰かに持ってこられたのか、砂上に窪みを作るように椰子の実がそこに落ちていて、そのすぐそばにある桟橋から出た、船をつないでおくための長いロープは、長年使い古されたために繊維はほつれ、切れかかっていたが、張り詰めた緊張感で、それをも結び縒る、夜。主人公は完全に寝入ってしまって、しかし、彼の大きな鼻提灯には、ちゃんと魔力が宿っていて、島中に渡っているわけであり、中央に位置された宮殿では王位継承の儀式が、ちょうど今から執り行われんとするばかりであったが、それは不正当な継承者による策略によるものであり、本来、次期王として育て上げられた青年は、魔法の力によって、門番は眠らされ、何重にもロックされた扉は開けられたために、幽閉されていた檻の中から出てくると、近寄ってくる、そのずるがしこい偽りの後継者が差向ける家来たちを、自慢の剣でばったばったとなぎ払い、ついに大広間へと辿り着いた。すでに死んだものと知らされていた、勇敢なる王子が、再びこの王宮に踏み入れたことを知った、従順な大臣たちは、自分か夢か幻を見ているのではないかと、目を疑ったものの、繊細かつ大胆なその剣術は、まさに彼そのものであり、ちょうど相対している男に騙されていたという事実に始めて気づかされて、怒りの目をそちらの方へ向け、彼らが脇に携える剣の柄に手をかけたのだが、まんまとわなにかかった自分も情けないと思い、自らの手で全てもけりをつけたい、本物の王子は、部下たちを制止し、正々堂々とした真剣勝負を提案し、剣をもう一度構え直した。重く鈍い、剣と剣がぶつかりあう音が、火花とともに鳴り響き、その決闘の行方を見守る側近たちは、自分が何もできないもどかしさかもあり、絶えず手の平を強く握りしめ、誠実で真摯な真の王子が、勝負を決する一撃をきめるのを、今か今かと待ち望んでいたが、その瞬間はついにやってきて、大振りに斬りつける偽の王子の、剣を返す時にできる隙を見つけると、一気にその懐まで飛び込んでいって、剣を強く上に振り上げると、一層大きな火花が散り、弾き飛ばされた剣は、床に叩きつけられ突き刺ささったのを見届けた、本物の王子は、自らの勝利を確信した。それまで、固唾を呑んで見守っていた者たちは、わあと鬨の声をあげ、王子は帰ってきたこと、偽者の計略を見事打ち砕かれたこと、二重の喜びを感じ、物語はようやくにして終結を迎えるため、王位継承をかねた、祝祭を開く準備が進められ、主役である王子は、どの人からも惜しみない賛辞の言葉をもらったが、その中でも、一番会いたかった、彼の愛する婚約者の前では、戦いのときとはうって変わった柔らかい表情を見せ、その頬に口付けがなされ、今までの苦労がすべて消え去っていくようであった。冷めない熱を帯びて、夜を徹して宴は続けられることとなり、人々は、大いに食べ、飲み、歌い、踊り、今日の日の素晴らしきことを末代まで伝えていこうという決意のもと、あのスペクタクルの一部始終を何度も何度も語り合い、けれど、それはすべて王子の活躍であり、不思議な力で、その彼を救った、主人公の少年について言及されることはなかった。悪党による支配を退け、新しい正義の王が誕生して、すべてが上手くいった、それは、少年の魔法による、夜。誰にも知られることのないままであったが、少年は、自分の愛するこの島の平和が守られるのであれば、別にそれで全く構わないと考えていたから、こんなにも安らかに眠りを続けていて、それは、その魔法を使うにはかなりの体力が消耗され、体を休めるためでもあり、その次の朝は、昨晩の興奮を聞きつけた、何も彼の事情を知らない友達が、慌しくやってくるまで目を覚ますこはなく、その友人の熱っぽい語りも半分眠ったようにして聞いていたため、怒りをかってしまったのは不本意であったが、その他には何も不満なことなどなかった。
 雨音は突然に、ドアベルの非自然的な音によって、それが、人の注意を呼び起こすように作られているため、仕方がないのだが、その存在を小さなものにしてしまい、入れ替わりに侵入してきたのが、その甲高いベルであったが、この部屋を訪れる者は少なく、それは自らの非社交性を露呈しているのだが、いずれにしても、そのために、この音を聞く機会は乏しく、一瞬、何が起こったのかを正しく認識することができなかった。しかし、その音はコンヒューズをさらに煽るかのように回数を増やし、それでも飽き足らず一回ごとの間隔も狭まっていき、けれど、逆に異常が極限まで達すると、それ以上の異常はあり得ないという安堵を生み出し、逆に冷静な思考を取り戻すことができ、扉のほうへと歩を進めることにし、たどり着くなり、相手も確かめずに扉を開けた、冷静な思考は、すでに向こうにいる人物を予測していた。「あ、ごめん、寝てた?」と姉は自らの行為を恥じるように、申し訳なさそうに、けれど、楽しそうな笑みとともに、そう言ったが、寝ていたわけではなく、ただ本を読んでいて、突然の訪問に、迅速な対応ができなかっただけであったと、簡単に説明し、何か用でもあったのであろう、両手にはそれぞれ、内容物でいっぱいになった半透明のビニール袋、どちらもそれなりの大きさであったが、それを抱えている姉を部屋の中に招き入れることにしたが、そんな配慮をする前に、彼女はつかつかと玄関をくぐり、早速、その重そうな二つの荷物を台所に降ろし、自身はベッドに乗った。すっかりくつろいだ表情を見せる姉は、「これ重かったんだから」と、ここまでの苦労を物語るような表情を作り、僕からのねぎらいの言葉を求めているようであったが、訪問の理由がまだわからないため、まずはそれを尋ね、けれど、姉はその質問に答える代わりに、苦労から、軽い驚愕の表情へと移行させて、「まだ察してないの?」と、それは呆れも含まれていたが、逆に問い返した。無言で首を振る僕の姿に、肩をすくめ、目を大きく見開いた姉は、先ほどは大胆に床に放ったはずであったが、そんなことはとっくに忘れてしまったようで、二つの袋のうちの一つから、丁寧に、低い円柱状の箱を取り出し、それになされた過剰な包装をゆっくりと、そして、やはり丁寧にはがし、その中にある、生クリームによって壁面と中央部、こちらには赤いいちごがのせてあったが、そこらが盛り上っている、全体がクリーム色に近い白で覆われた丸いケーキを、僕の顔面に突き出し、そこに徐々に納得が浮かび上がってくるのを確認すると、今度は、この入れ物の下部から、何本かのろうそくを取り出し、「さすがに全部並べると汚くなっちゃうから、これだけにしたの」と、コメントをはさみつつ、それらを、柔らかいケーキのスポンジに刺していった。「今日はあんたの誕生日でしょ? あんたどうせ友達いないんだから、一人寂しくしていると思って来てみたの」姉は、ようやく自分の推理をみんなの前で披露できることに喜びを隠せない、フィクションの中でしか存在しないであろうが、イメージとしてはみなが共有しているであろう、そんな名探偵の悪戯っぽい笑い方をして、「あんた、もしかして自分の誕生日にすら気づいていなかったの?」と確信に迫る言葉を投げつけた。姉はこういったやり方で、人と触れ合うことに喜びを感じているのだろう、そして、それは単に自分のだけの楽しみではなく、相手のほうからも楽しんでもらおう、という趣向を凝らせており、けれど、これは誤解されやすいのだが、決して押し付けがましくはなく、常に相手のことを思い遣っているのであり、そういったことをたやすくやってのける彼女に対して、密かに尊敬の意を持ち合わせているのだが、それは僕には到底できないことであり、また他の多くの人は、自分ではできているつもりでいても、相手を無視したものとなり、まったくできていないということが多々あるためであった。若干反応は悪かったであろうが、サプライズは見事に成功を収め、一通りの満足を得た姉は、折りたたみ式の小さな食卓を出すように指示を出し、そこにケーキを無事に着陸させると、他にもいろいろと入っているのであろう、膨らんだ袋の方へ歩み寄り、「料理を作るからそこで待ってて」と声をかけた。台所の電気を点け、火がともり、気づいたように部屋の間接照明を、さらに明るいものへと切り替えると、それを契機にして、部屋はやわい暖かさを得たようで、また、素材たちが放つ、軽やかな料理の音、米を回転させる腕の音、レタスをむく指の音、にんじんを刻む包丁の音、カップへ水を注ぐ水道の音、玉葱を飴色にするフライパンの音、ルーを溶かすなべの音、それらの音は無駄な反響を持つことはなく、小気味よくはじけるばかりで、この部屋の印象を明るいものへと変えた。手際のよい姉の手さばきは、表面がきらきらしたご飯、レタス、トマトで簡潔に彩られ、わずかなチーズが刺激を加え、フレンチソースの乳白色が、その表面に円を描くサラダ、じゃが芋や白菜が浮かび、その間を埋める海は、過剰ではない粘性を持ち、それが食欲に訴えかけるクリームシチューをテーブルの上に並べ立て、もちろん、その周辺には嫌味でない程度に、フォーク、スプーン、箸が整って置かれ、そして、最後に、これが一番袋を持つ指に負担を立てていたのであろう、青々とした爽やかな葡萄畑と、鉤のついた横文字が滑る、ボジョレヌーヴォーのボトルを、中央に配置されたケーキの、すぐ横に据えた。赤ワインのボトルは、安っぽい食卓にはそぐわず、といっても、そこまで高貴なわけでもないが、堂々とした風格をたたえ、特に、赤紫の全体のカラーに対しての、古紙を思わせる、やや埃がかったような、けれど不潔感はない白いラベルと、くびれのフォルムを経由して、突端にまかれた光を帯びた緑色のパッケージのコントラストが美しく、そこにゆったりと鎮座しているのが相応しいように見えたため、姉が、自分で用意してきた、コルク抜きを取り出し、その栓を抜こうとしているのを見ると、その絶妙なバランスが崩されてしまい、何か変質が起こるような気がして、その行為に待ったをかけた。狼狽した僕を見て、「何? 自分でやる?」という風に姉は聞いたが、それは意図とは異なる形での、言葉の解釈であり、手に持っていた器具を手渡されたところで、どうしていいのかもわからず、けれど、せっかくここまで順調にきていたイヴェント、しかも自分を想い開かれたものであり、それを自らの手で滞らせるのに、強い違和を感じ、それならば、間歇的な衝動でもって空けてしまえと、まずは先端の包装をはがし、続いてコルクに取り掛かろうとするが、その腕は、必要以上に力が入ってしまいそうであり、姉はその不自然な力みを敏感に察知したのか、「ああ、そんなに力を入れたてって意味ないよ。こう、うまくやらなきゃ」と、身振りを交えてアドヴァイスをし、僕はそれを参考に、ぎりぎりとコルク抜きを回し、ある程度の深さまで、その先がコルクの層に埋まるのを確認した後、小刻みに左右に動かしながら、コルクをゆっくり引き上げていった。ぽん、と軽い弾性のある音と後とともに、ワインの香りが広がり、そして、すぐにすでに奏でてあった料理郡のそれと調和し、食卓では華やかな明るさが絶頂を迎えたことは、ボトルの均整に関して抱いていた懸念を払拭するのに十分であり、コルクがないボジョレヌーヴォーも、やはりコルクがあるボジョレヌーヴォーと同様に、相応しい格好をしていることを気づかせた。これも用意済みであった、二つのワイングラスに、僕はお酒があまり飲めないので、その逆をいく姉と量の差はあったが、空けたばかりの赤ワインが注がれ、二十一歳の誕生日を祝する意味の「乾杯」の言葉とともに、ガラスの煌きの音をたてると、そこにきてようやく、自分が二十歳というひとつのラインを越えたことに実感が持て、「でも、選挙は行ってないでしょうし、面倒くさい手続きはほっぽってあるのでしょう?」と、グラスとの口付けの間に茶々を入れる姉には、すっかり見透かされてはいたが、少なくとも、線上にいるがゆえに持たされていた過剰な意識、そこから放たれたように思えた。おそらく彼女が厳選して買ってきたものであろうから、下手な感想は言いたくないが、どうしても、酒の味というものに慣れないので、ワインには、唇に浸しては離し、浸しては離しを繰り返しているため、彼女のほうが圧倒的に増えているのであろう体内のアルコール分は、その舌をいつも以上に滑らかにして、僕はそれを聞くことに徹し、時々相槌を打つ程度に発言をとどめたが、僕のどんな短い一言に対しても、姉はいちいち、吸い込まれそうな眼差しと、満足そうな微笑みを返した。

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