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邪馬台国コミュの纒向遺跡で発見ラッシュ?

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野生蚕で作った巾着袋、卑弥呼献上?…纒向遺跡
(2013年5月31日 読売新聞・関西)

 邪馬台国の有力候補地・奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で1991年に出土した3世紀後半の巾着袋が、野生の蚕(かいこ)「天蚕(てんさん)」の糸で織られていたことが、市纒向学研究センターの調査でわかった。魏志倭人伝では女王・卑弥呼が243年に中国・魏に絹織物を贈ったと記され、天蚕の献上品が海を渡った可能性もあるとしている。
 巾着袋は高さ3・4センチ、幅3センチ、厚さ2・4センチで同遺跡の東部で出土。平織りの絹を使い、口を麻ひもで縛ったもので、全体に漆が塗られていた。
 絹糸を分析した結果、たんぱく質「フィブロイン」のアミノ酸配列の特徴から、天蚕と判明した。袋には貴重品を入れたとみられるが、医療用のコンピューター断層撮影法(CT)で調べたところ、空間があるだけで、中身は不明だった。
 国内では当時すでに、蚕を桑で飼育する「家蚕(かさん)」が中国から伝わっており、周辺では天蚕と併せて両方から糸を取っていたとみられる。天蚕はクヌギやナラの葉を食べ、緑色の繭をつくる。家蚕に比べ、糸は軽く、柔らかいのが特徴という。
 魏志倭人伝には「正始四年(243年)、倭王(卑弥呼)…倭錦(色糸を使った絹織物)…を上献す」と記されている。
 今回の研究成果は、同センターが30日発表した研究紀要に掲載している。
 石野博信・兵庫県立考古博物館長(考古学)の話「古代の絹製品作りは畿内より九州が進んでいるとされてきたが、畿内でも多様な品を作っていたことがうかがえる」
(2013年5月31日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130531-OYO1T00303.htm?from=main3
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絹製品は国産か 纒向遺跡から出土 奈良女子大など調査
(産経新聞 2013.5.31 02:01)

 邪馬台国の有力候補地とされる桜井市の纒向(まきむく)遺跡で平成3年に出土した巾着(きんちゃく)袋状の絹製品が、自然界にいる在来種の蚕(かいこ)の絹でできている可能性が高いことが30日、奈良女子大などの調査で分かった。古代中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」には、倭(日本)の人々が養蚕して糸をつむんでいたとする記述もあり、関連が注目される。
 絹製品は高さ約3・4センチ、幅約3センチ、厚さ約2・4センチ。口はひもを数回巻き付け、縛っていた。
 古墳時代前期の溝から大量の土器や木製盾などと一緒に出土していた。
 奈良女子大の中沢隆教授(生命有機化学)のチームが、絹製品から採取したタンパク質のアミノ酸配列を分析。自然界にいる在来種の蚕の可能性が高いことが判明した。
 当時の中国で一般的な家蚕(かさん)のアミノ酸配列とは一致しなかった。
 中沢教授は「絹は、天蚕(自然界の蚕)のまゆから作られた国産の可能性が高い。天蚕を飼うことは難しいと思うが、魏志倭人伝にあるように、飼っていた可能性も考えられる」としている。
 さらに県立橿原考古学研究所の調査で、絹製品の全面に漆が付着していることも判明した。
 内容物は、紐状の物体と想定されるが、特定はできなかった。
 桜井市纒向学研究センターは「何かに取り付けられた装飾品の可能性もある」としている。
 こうした研究成果は、センターが発表した研究紀要「纒向学研究」に掲載された。桜井市立埋蔵文化財センターが100部を限定販売する。1冊千円。問い合わせは、センター((電)0744・42・6005)。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130531/nar13053102010002-n1.htm
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奈良・纒向遺跡:出土の花粉はバジル 卑弥呼の時代か
(毎日新聞 2013年05月30日)

 大和王権発祥の地とされる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)で、1991年に出土した花粉が3世紀中ごろのバジルだとする論文を、金原(かねはら)正明・奈良教育大教授(環境考古学)が30日発表した。熱帯アジア原産のバジルは、江戸時代に薬用として中国から持ち込まれたとされていた。国内最古例の発見で、女王・卑弥呼(248年ごろ没)の時代の国際交流を物語る貴重な発見と言える。
 桜井市纒向学研究センター研究紀要に掲載された。花粉は、同遺跡の中心部にある3世紀中ごろの溝(幅約1.5メートル、深さ約1メートル)の土壌から、ごく微量検出され、何の植物か分からないままだった。金原教授によると、顕微鏡で別の発掘調査で集めたシソ科メボウキ属のバジルの花粉と比較した結果、形態がほぼ同じだったという。更に細胞の傷み具合から、後世に混入したものではないことが分かった。
 同じ溝からは、過去に中国から染織技術と共に持ち込まれたとされるベニバナの花粉が見つかったほか、寄生虫の卵も確認され、染織の廃液や汚水を流していたとみられる。バジルも上流から流れてきた可能性が高い。
 バジルは寒さに弱いため日本での自生は難しく、国外から持ち込まれたらしい。葉は香りが強く、夏から秋にかけて白や紅色がかった花を咲かせる。種は水につけるとふくらみ、ゼリー状の物質が出る。3世紀中ごろの用途は不明だが、江戸時代には目に種を入れるとごみが取れるとして「目箒(めぼうき)」という和名が付いた。
 3世紀の日本について記した「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」には、中国・魏と卑弥呼が都とした邪馬台国などとの交流が記されている。金原教授は「ベニバナと同様、魏を通じてバジルが持ち込まれた可能性がある。纒向遺跡が国際色豊かな特異な地だったことを示している」と話している。【矢追健介】
 【ことば】纒向(まきむく)遺跡
 奈良県桜井市の三輪山西部の裾野に広がる3〜4世紀の大規模集落遺跡。東西約2キロ、南北約1.5キロで最古級の前方後円墳とされる纒向石塚古墳や、卑弥呼の墓との説がある箸墓(はしはか)古墳などが点在する。各地から持ち込まれた土器が出土し、邪馬台国の最有力候補地とされる。
http://mainichi.jp/feature/news/20130531k0000m040037000c.html
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3世紀の東アジアでの分布状況がよくわからないバジルの花粉まで持ちだして魏との関係を主張するというのは、纒向遺跡では鏡のような明確な大陸系の出土品が乏しすぎるからだったりしますな。絹の出土にしても、これだけでは九州の優位は揺るがないわけですし、国産であることは魏との国交を裏付ける資料としては有利には働かないわけで。


ちなみにこちらの出土品も纒向遺跡と関連づけられてはいますが・・・
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奈良県で国内最古の木製仮面 大福遺跡、2例目
(2013/05/31 11:18 共同通信)

奈良県桜井市の大福遺跡で、弥生時代後期末―古墳時代初め(2世紀後半〜3世紀前半)の木製仮面が見つかり、市教育委員会が31日までに発表した。農耕祭祀に利用されたとみられる。木製仮面の発見は邪馬台国の有力候補地・纒向遺跡(同市)で出土した3世紀前半ごろのものがあり、2例目となるが、今回のものはややさかのぼる可能性があり国内最古という。
 仮面は顔の半分のみ。長さ23・4センチ、幅7センチ、厚さ5ミリで、弥生―古墳時代に木棺や木製埴輪などに使用された針葉樹のコウヤマキ製。目の部分がくりぬかれ、顔にかぶるためにひもを通したとみられる小さな穴もあった。
http://www.47news.jp/CN/201305/CN2013053101001334.html
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最古の木製仮面出土 奈良・大福遺跡
(産経新聞2013.5.30)

 奈良県桜井市の大福(だいふく)遺跡で、弥生時代末期−古墳時代初め(2世紀後半ごろ)とみられる木製仮面の一部が出土し、市教委が30日、発表した。市内の纒向(まきむく)遺跡では平成19年、3世紀前半の木製仮面がほぼ完全な形で出土しているが、これよりも今回の仮面は古く、国内最古の木製仮面という。
 仮面はコウヤマキ製で、縦約23センチ、横約7センチ、厚さ約5ミリ。人の顔をかたどった仮面の右半分にあたり、目や口の部分をくりぬいて表現している。ひもを通す小さな穴も付いていた。
 大福遺跡は弥生時代後期から古墳時代前期にかけての大規模集落跡で、初期ヤマト政権の中心部ともされる纒向遺跡の南約3キロに位置する。
 今回の仮面は、木製甲(よろい)など他の木製品とともに溝の中から出土。纒向遺跡の仮面と比較し、仮面の一部と判明した。祭祀(さいし)用に使われた後、壊れて棄てられたとみられる。
 市纒向学研究センターの寺澤薫所長(考古学)は「纒向遺跡で初期ヤマト政権が成立し、その王権の下で作られた仮面で、纒向の仮面と同じ性格のものだろう。『カミ』(神)を表現し、農耕祭祀に使われたと考えられる」としている。
 仮面は9月29日まで、同市芝の市立埋蔵文化財センターで公開される。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130530/wlf13053019240025-n1.htm
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国内最古の木製仮面、大和王権誕生の地で出土
(2013年5月31日12時18分 読売新聞)

奈良県桜井市教委は30日、同市の大福(だいふく)遺跡で2008年に出土した2世紀後半の木片が木製仮面の一部だったと発表した。
 北東約3キロにある邪馬台国の有力候補地・纒向(まきむく)遺跡で07年に出土した3世紀前半の木製仮面よりも古く、国内最古となる。一帯は大和王権誕生の地で、市教委は何らかの祭祀(さいし)で使われたとみている。
 木片はコウヤマキ製で、弥生時代から古墳時代に移行する2世紀後半の溝から出土。その後の研究で、仮面の半分(長さ23・4センチ、幅7センチ、厚さ0・5センチ)と判明した。楕円(だえん)形の穴で目を表し、口の一部も残っていた。ほおの横にひもを通す穴があり、人がかぶったらしい。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20130531-OYT1T00367.htm?from=ylist


「奈良県では2番目だ」と言えるのは、その1番目の方が本当に仮面か、確かめられてからですね。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=575612098&owner_id=509182

コメント(1)

纒向が国指定史跡に決まりましたね。

なぜ今頃?その背景は哀しい理由が?という感じのエントリーを書きました
http://d.hatena.ne.jp/emiyosiki/20130622/p3

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