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邪馬台国コミュの朱を扱う集団の集落跡か、福岡県・水分遺跡

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自分の日記にもupした件ですがこちらにもトピたてます。

水分遺跡:新発見、竪穴式住居跡と二重環濠の一部−−久留米 /福岡
毎日新聞 ‎2011年11月17日‎

 ◇かめ切削、二鉢に 中には祭祀用顔料
 久留米市は17日、調査発掘中の同市田主丸町常盤の水分遺跡から、弥生時代後期の17棟分の竪穴式住居跡や二重環濠の一部を発見したと発表した。住居跡の一つからは、赤色顔料を入れていた土器製の鉢2点やガラス製の勾玉(まがたま)1点、小玉238点などがまとまって出土した。
 水分遺跡は、国道210号バイパスの建設に先立って昨年11月から発掘が続いている。今回は、約3000平方メートルを調査した。
 市文化財保護課によると、赤色顔料が入った鉢などが見つかった住居跡は縦5・8メートル、横5メートル、深さ60センチ。中央に炉の跡があり、周辺には大量の土器などが散在していた。
 見つかった土器のうち2点の鉢は、焼成後のかめを縦に二つ割りにして作られたもので、それぞれの切削面が合致する。中には水銀系の赤色顔料が入っていた。
 焼成後のかめを切削して二つの鉢として利用した例は極めて珍しいという。当時、赤色顔料は祭祀(さいし)に利用されたもので、見つかった住居跡には祭祀に使う品物をまとめて保管していたらしい。
 この日、発掘現場を視察した九州歴史資料館長の西谷正・九州大学名誉教授(考古学)は「一つの住居跡からこれだけの多種多様な品物が出土する例は全国でも珍しい。相当な有力集団が住んでいたと思われる」と話した。
 23日午前10時から、現地説明会が開かれる。問い合わせは同課0942・30・9225。【松尾雅也】
〔筑後版〕
http://mainichi.jp/area/fukuoka/news/20111118ddlk40040397000c.html
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住居跡から赤色顔料 久留米の水分遺跡
西日本新聞 - ‎2011年11月18日 01:27

 福岡県久留米市は17日、同市田主丸町の「水分(みずわけ)遺跡」で、弥生時代後期後半−終末期(2−3世紀)の竪穴住居跡17棟と二重の環濠(かんごう)(幅2・6メートル、深さ60センチ)が見つかったと発表した。住居跡からは、祭祀(さいし)などに使われた赤色顔料が多く見つかり、西谷正・九州大名誉教授(九州歴史資料館長)は「顔料を扱うことで力を持った特徴ある集落だった可能性がある」としている。
 市によると、住居跡17棟のうち9棟から赤色顔料が出土し、赤色顔料の一つ「ベンガラ」を祭祀行為でまいたとみられる跡も見つかった。
 住居跡のうち1棟の内部からは甕(かめ)を縦半分に割った鉢(縦39センチ、幅26センチ)一対が出土。内側には貴重品だった赤色顔料の「水銀朱」が付着していた。住居内で水銀朱を加工した跡とみられる。同じ住居跡には勾玉(まがたま)、ガラス玉のほか、鉄や銅、骨製の矢尻もあった。
 筑後川沿いには一定間隔で集落跡が点在。弥生時代の有力集落にみられる二重環濠があることから、市文化財保護課は「この地域での中心的集落と考えられる。当時の顔料の使い方を探る手掛かりにしたい」と話す。
 西谷名誉教授は、鉄製矢尻が中心の時代に銅製や骨製も見つかったことから「鉄製が足りないほど戦闘が活発だった可能性がある」と指摘している。市は23日午前10時から現地説明会を開く。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/273858
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弥生時代集落の住居跡から「朱」 福岡、顔料扱う集団か
2011/11/17 21:15 共同通信

 福岡県久留米市田主丸町の水分遺跡で、2重の環濠を持つ弥生時代後期(2〜3世紀)の集落跡が発見されたと、同市が17日発表した。集落の住居跡から、赤色顔料の水銀朱やベンガラがまとまって見つかったほか、顔料加工に用いたとみられる鉢も出土した。
 市によると、住居17棟のうち9棟で赤色顔料を確認。西谷正九州大名誉教授(九州歴史資料館長、考古学)は「朱(赤色顔料)は当時の貴重品で、このような高い割合で見つかるのは珍しい。交易などの形で朱を扱う集団の集落だった可能性がある」としている。
 うち1棟からは、ベンガラが付着した土器などが見つかった。
http://www.47news.jp/CN/201111/CN2011111701001083.html
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いわゆる魏志倭人伝は倭国の物産の中に朱を数えているわけで、その記述の対象となった2〜3世紀の拠店集落の遺跡について、その担い手が朱を扱う集団だったとの推定がなされるというのは大変な事件です。

……しかし、この発見、邪馬台国九州説がマスコミ的に有力だったころなら大騒動になっていたでしょうね。

コメント(3)

私もそんなに知り尽くしてる訳では有りませんが。卑弥呼様邪馬台国の本書いて居る人の地元を押してる人が多いと想います。

誰しもそんな凄い歴史を自分の身近に感じたいと想います。悪い事では無いとは想います。純粋に卑弥呼様邪馬台国を愛してるんです。

きっとそう想うのは私達には、なんらか邪馬台国の末裔であり血が受け継がれてるかも知れません。

解らない事はまだまだ沢山ありますが、せっかく同じ興味を持つ皆様で仲良く参加して行きたいと願います。

又色々と教えて下さい。ヨロシクお願いします。
はじめまして。
私は全然詳しくはないのですが、すごく考古学が好きです。

田主丸の遺跡からベンガラや水銀朱の赤色顔料が見つかったんですね。みてみたかったわ。きれいだったでしょうね☆

たしか、福岡・八女の方にベンガラ村?とか言う資料館のようなところがあったような…。田主丸と八女は一山越えたところに位置するので、関連あったりするんでしょうか。

吉野ヶ里遺跡の戦闘によるとみられる負傷人骨もですが、筑紫野市の隈・西小田遺跡の戦闘によるとみられる負傷人骨などからも、佐賀、八女、甘木、筑紫野一帯の平野で、当時は朱なども含め、いろんな利権にからんだ、国々による大規模な戦闘があったのかもしれませんね。

私は邪馬壹国・前原(平原遺跡)説が有力だと思ってます。
糸島と言う水陸ともに土地の利にも叶ってるし。
韓国にあったとされる加羅?任那?の鉄鉱石を運んで糸島のたたら場で製鉄してたのかな?とか。時代は違いますが。

母の実家が福岡市西区周船寺という前原と近いところなのですが、『ばあちゃんが裏山とかから、まが玉とかいっぱい出てきたって言ってたよ。王さま(女王さま?)のお墓もあるんだよ。』って小さい頃、聞かされてました。

それだけじゃなく、【「倭人伝」を読む穸 陳寿が記した邪馬台国】 著・生野眞好 を読んで、倭人伝に記された国々への行き方、方角、距離(日数)、交通手段など、とても的確に分析されてるな、と感じました。

邪馬壹国に関係が深いと思われる、今回の田主丸の遺跡。とても興味深いですね!

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