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邪馬台国コミュの邪馬台国時代の地形認識

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さて、別トピでも書かれていますが、ちょっと魏志倭人伝に書かれた地名についての考察をば。

魏志倭人伝の中には実にたくさんの国の名前が出てきています。地名は言語の化石と言われるぐらい、なかなか変化しないのは考古学の常識で、実際に千七百五十年以上前の地名が、現在まで残っているという驚異的な長命ぶりです。そこで、従来はあまり重視されてこなかった、邪馬台国の配下の国として国名のみが列挙されている国についての。

斯馬國 已百支國 伊邪國 都支國 彌奴國 好古都國 不呼國 姐奴國 對蘇國 蘇奴國 呼邑國 華奴蘇奴國 鬼國 為吾國 鬼奴國  邪馬國 躬臣國 巴利國 支惟國 烏奴國 奴國

ここで自分が注目しているのは、奴国が重複して登場する点です。コレに関しては原田さんも
 ◎二度出てくる奴国を同名の別国ではなく、
  同じ国の重出とみなす。
という説が一般的です。では、ここで「なぜ重出したのか?」という点まで踏み込んで考えてみたいと思います。

別トピでも書きましたが、三国志はその成立の過程で、陳寿が司馬氏に対してその業績を課題に記述せざるをえなかったという事情があります。なので、その地理や戸数に関しては大幅な水増しがなされ、西の大国・大月氏に匹敵する大国として描かれているという可能性があります。

しかしながら、実際に邪馬台国からの死者が語った文化風俗の記述や、邪馬台国に至った中国の使節団の記録から採録したと思われる記述には、相当に正確な部分が含まれる(全部ではない)というのも、また多くの学者が指摘するところです。それでは、地名だけが列挙された配下の二十一カ国については、どこから採録した記録なのか?

邪馬台国を巨大国家に見せるための陳寿の捏造? その可能性も否定できませんが、たぶんに邪馬台国側の魏への自己申告を、魏側の記録感が書き留めた可能性があります。なぜそう言えるのか、以下自分の仮説を。

コメント(7)

安本美典氏が『封印された邪馬台国日本神話が解き明かす77の謎』で言及していますが、九州の甘木市周辺と畿内大和地方に地名と方角が、ほとんど一致するという事実があります。

以下に、対比一覧を引用します。
九州(甘木)………… 近畿(大和)
笠置山………………… 笠置山
→春日………………… →春日
→三笠山……………… →三笠山
→住吉神社…………… →住吉神社
→平群………………… →平群
→池田………………… →池田
→三井………………… →三井
→小田………………… →織田
→三輪………………… →三輪
→雲提(うなで)…… →雲梯(うなで)
→筑前高田…………… →大和高田
→長谷山……………… →長谷山
→加美………………… →賀美
→朝倉………………… →朝倉
→久留米……………… →久米
→三猪(みずま)…… →水間
→香山(高山)……… →天の香山
→鷹取山……………… →高取山
→天瀬(あまがせ)… →天ヶ瀬
→玖珠(くす)……… →国樔(くず)
→鳥屋山……………… →鳥見山
→上山田……………… →上山田
→山田市……………… →山田
→田原………………… →田原
→笠置山……………… →笠置山

これが3個とか5個とかの一致ならば、偶然の一致ですまされるでしょうが、24個の一致。これは偶然ではあり得ない数の一致です。元々九州に住んでいた人間が、近畿に移住して、故郷を懐かしんで近畿に地名を移した、と考えるべきでしょう(逆に、ヤマトの人間が九州に進出した証拠という意見もありますが、ひとまず置いておきます)。

ここで重要なのは、邪馬台国の時代かそれに近い時代の人間が、地形を認識するときの世界観というか認識の方法として、
「ある地点を起点にグルーッと一回りする地理認識」
を持っていたと言うことです。
http://www.catv296.ne.jp/~sensyo/yamataikoku-yasumotosetu.htm
さて、コレを前提に、奴国が重出した理由について考えてみましょうか。邪馬台国時代の人間が「ある地点を起点にグルーッと一回りする地理認識」 としたら、魏に朝貢したときに「おみゃあさんの支配してる国はどれぐらいあるがや?」と聞かれたときに、どう答えるか?

当然アイウエオ順には言わないでしょう。いろは順でもないでしょう。たぶん、日頃自分たちが認識している地形・国名の並び順で、ずらずら〜っと列挙した可能性があります。また、通訳に立った在日中国人が、そういう文章を提出したのかもしれませんが、その場合もやはり当時の人間の地名認識方法が反映された可能性は高いです。

なので、自分の可能性としてこの21カ国は、笠置山からスタートして笠置山に回帰する円形の地名認識と同じく、奴国を起点として奴国に回帰する、邪馬台国の首都を中心としたそれを取り囲む国々の列挙の可能性を、まず立ててみました。その上で、21カ国の比定地が北九州の地名と円形に連続するのならば、その中心地が邪馬台国である可能性が高まります。
と言うわけで、致命的に連続するところを年頭に、いろんな方の説を比較しながら独断と偏見で列挙してみました。

斯馬國…………志免町・須恵町
已百支國………福岡県遠賀郡遠賀川流域の伊佐座
伊邪國…………福岡県朝倉郡の弥永(いやなが)
都支國…………筑穂町・筑紫野市周辺(安本説では筑紫)
彌奴國…………福岡県朝倉郡三和町
好古都國………井沢説では博多(安本説では和名抄の遠賀(をか)郡)
不呼國…………嘉穂郡穂波町・糟屋郡宇美町
姐奴國…………佐賀県三養基(みやき)郡(安本説では姐に当てはまる万葉仮名の事例が無い)
對蘇國…………佐賀県鳥栖
蘇奴國…………佐賀市(和名抄では佐嘉)
呼邑國…………吉野ヶ里の近くの古賀
華奴蘇奴國……佐賀県神埼郡・神埼町(和名抄に神崎の郡名)
鬼國…………… 佐賀県小城(おぎ)郡 (または杵島郡)
為吾國…………佐賀郡東与賀(ひがしよか)町・諸富町古賀
鬼奴國…………杵島(きしま)郡 (または基肄郡?)
邪馬國…………杵島郡山内町 (または八女)
躬臣國…………北九州市洞海湾(かつて「くきのうみ」と呼んだ)
巴利國…………有田や伊万里の周辺?
支惟國…………佐賀県三養基郡(昔は基肄(きび)郡) 個人的には東松浦郡北波多村
烏奴國…………東松浦郡相知町(近くに伊岐佐の地名があり、製鉄の可能性が)
奴國……………福岡県那珂川周辺
多少のズレはあっても、だいたい福岡の那珂川からスタートして、志免町・須衛町・宇美町・筑穂町・嘉穂町・甘木市・朝倉町・八女市・山門郡・三池町を経由して、佐賀県の諸富町から東与賀町・杵島郡・西松浦郡・伊万里・唐津・東松浦郡という、邪馬台国連合の全体的な輪郭が見えてくるような気がします。

ここで重要になってくるのが、21カ国の比定地として、伊邪國は大分の宇佐ではないかとか、彌奴國は美濃ではないかとか、鬼國は紀伊のことではないかとか、日本中どこにでも比定できるという弱点があります。

ところが、そういう比定地に関しても、よく見ると連続性があります。
 斯馬國…………筑前の国志麻郡・福岡県大島村
 已百支國………福岡県遠賀郡遠賀川流域の伊佐座
 伊邪國…………大分県宇佐
 都支國…………大分県中津市
 彌奴國…………杵築市美濃崎
と言う形で、福岡を起点に豊後水道に向かってグルッと回る地名にも、対応しています。コレはいったいどういう事でしょうか。

安本氏の説のように、「九州→畿内」か「畿内→九州」かの移植の主従関係は保留したとしても、古代の日本人が地名をほぼ方角語と移植するという性癖があったのは間違いないです。とすると、最初は福岡から佐賀にかけての小さな村落連合国家だった邪馬台国が、勢力を拡大するに連れてその勢力圏に、故国の地名を移植した可能性があります。アメリカの地名が「ニューなんたら」というパターンが多いのといっしょで。

この場合、3で挙げた地名が比較的狭い地域で固まっているのに対して、上記の地名は大きな範囲である点からも、福岡・佐賀→大分方面という地名の移植が起きた可能性が高いと思われます。そしてこの現象は、近畿でも見られます。九州の小さな地域の名称が、近畿ではより大きな地域を指す名称となっている傾向があります。

例えば、現在の糸島は魏志倭人伝の中では伊都国、志摩国という形で国になっています。これが近畿では伊勢、志摩となり、海に面した地域の地名として、より大きな形で使われています。山の地名としては、九州の耳納(みのう)・日田(ひた)・熊(くま)の地名が、近畿では美濃(みの)・飛騨(ひだ)・熊野(くまの)と、非常に類似しています。そして地域的にスケールアップしているという特徴も同じですね。
さらに、福岡から見ると北の方角に「漢の那の倭國王」の金印出土地として有名な志賀の島(しかのしま)がありますが、近畿の琵琶湖という日本最大の湖を擁する地域が「滋賀」であり、畿内から見るとも共に北方にあることも指摘されています。

安本氏は、この笠置山から始まる地名の一致が、九州南部にも見られるとして、一度南九州に邪馬台国の勢力が移ったと考えています。土岐個人は、この説には賛成できません。なぜ邪馬台国は大分方面に勢力を伸ばして宮崎方面に勢力を伸ばしたのか? それは、左回りに勢力を伸ばそうとしても、狗奴国の存在がそれを許さなかったからではないかと、自分は考えます。

熊本の球磨地方から鹿児島の曽於郡にかけて勢力を張っていた狗那国に対抗するために、もっといえば挟み撃ちにするために、前進基地として日向にもそれなりの人間と兵力を常駐させた結果、地名のコピーができたのではないかと考えれば説明がつきます。

なぜか? それは、今まで邪馬台国論争では、まったく話題にも上がらない我が故郷、鹿児島県鹿屋市周辺にも、安本氏が指摘した24箇所の地名と半数以上が一致しかねない、地名の一致があるからなんです。いくらなんでも、邪馬台国が鹿屋に移住はせんでしょう(笑)。宮崎も鹿屋も、出先機関による地名の移植と考えて問題はないです。もちろん、宮崎に邪馬台国の勢力がいったんせんとして、出先機関が鹿屋市周辺にやってきた可能性も否定できませんが。
ちなみに鹿屋市周辺の地名に関しては、地元の人間の利を生かして適当にピックアップしたのが以下の地名群です。まだまだ未整理で候補地は複数ありますが、現在の鹿屋市役所当たりを中心に、いびつながらも丸く連続する感じです。郷土史家の方が、ちゃんと研究してくれるとありがたいんですが。

九州(甘木)………近畿(大和)…鹿屋市周辺
笠置山………………笠置山…………笠野原(昔はかさのばる)
春日…………………春日……………鹿屋
三笠山………………三笠山…………笠野原?
住吉神社……………住吉神社………東住吉
野方(額田)…………………………曽田町・野里町(野方?)
平群…………………平群……………生栗須?
池田…………………池田……………池園(池段・池田?)
三井…………………三井……………不明
小田…………………織田……………谷田(他に細山田も)
三輪…………………三輪……………御岳(高隈山の第二峰)
雲提(うなで)……雲梯……………打馬・上野(名貫も)
筑前高田……………大和高田………田崎・田淵・浜田が隣接
長谷山………………長谷山…………横山(霧島が丘を含む)
加美…………………賀美……………不明
朝倉…………………朝倉……………姶良(あいら)
久留米………………久米……………獅子目・西目川路
三猪(みずま)……水間……………不明
香山(高山)………天の香山………高山町
鷹取山………………高取山…………不明
天瀬(あまがせ)…天ヶ瀬…………広瀬川
玖珠(くす)………国樔(くず)…国見山
鳥屋山………………鳥見山…………不明
上山田………………上山田…………前田(細山田?)
山田市………………山田……………後田(前田・細山田?)
田原…………………田原……………菅原(中原?)
笠置山………………笠置山…………笠野原
と言うことで、「ある地点を起点にグルーッと一回りする地理認識」という仮説で、邪馬台国が北九州にあった可能性を、自分なりに妄想してみました。Blogの方ではもうちょっと詳しくいろんな説を紹介しながら検証していますので、興味がある方はお読みいただけたら幸いです。

邪馬台国はどこですか? 改訂版その1
 http://www.doblog.com/weblog/myblog/6362/830602#830602
邪馬台国はどこですか? 改訂版その2
 http://www.doblog.com/weblog/myblog/6362/830652#830652
邪馬台国はどこですか? 改訂版その3
 http://www.doblog.com/weblog/myblog/6362/830658#830658
邪馬台国はどこですか? 改訂版その4
 http://www.doblog.com/weblog/myblog/6362/830661#830661
邪馬台国はどこですか? 改訂版その5
 http://www.doblog.com/weblog/myblog/6362/832610#832610
邪馬台国はどこですか? 改訂版その6
 http://www.doblog.com/weblog/myblog/6362/832647#832647
邪馬台国はどこですか? 改訂版その7
 http://www.doblog.com/weblog/myblog/6362/832648#832648


狗奴国についても、自分なりの仮説があるので、また機会を見て書き込めたら書き込んでみます<m(__)m>

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