ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

廃村コミュの北海道・道央の廃村

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
●私が確認した北海道・道央の「学校跡を有する廃村」(学校の所在は昭和34年,高度過疎集落24ヶ所を含む)は76ヶ所です。
 ※ 道央=石狩・空知・後志・胆振・日高の5支庁
 ※ '05年9月11日初版作成,'06年5月3日更新
 ※ へき地校の数 =328校

・北海道の面積は,都道府県の中で突出して大きく(7万8423k?:H.17,北方領土を除く,2位の岩手県の約5倍),へき地校の数(1308校),廃村の数(約200ヶ所)ともに突出しています。その中で,北海道の中心部・道央の人口(3,427,224人:H.17)は,北海道全体の人口の60%強です。
・道央(空知支庁)には夕張市北炭夕張炭鉱(昭和57年閉山),大夕張炭鉱(昭和48年閉山),美唄市三菱美唄炭鉱(昭和47年閉山)など,多くの炭鉱がありましたが,山間部にあったものの多くは廃村(ゴーストタウン)になっています。主な炭鉱系廃村として,三笠市奔別(昭和46年閉山),沼田町浅野・昭和(ともに昭和43年閉山)などがあります。
・炭鉱以外の鉱山集落の廃村として,千歳市千歳鉱山,石狩町八ノ沢,古平町稲倉石,京極町脇方,壮瞥町黄渓,平取町仁世宇などがあります。
・北海道内には85校のへき地5級校がありました(本土部58校,島嶼部27校)。このうち,道央には16校ありましたが,当別町三番川,月形町月形炭鉱,雨竜町国領,神恵内村オブカル石・トーマル,蘭越町川上,静内町高見,浦河町女名春別は廃村に,穂別町福山は高度過疎集落になりました。
・最大規模の廃村は夕張市の北炭夕張(福住・丁未を含む)で,児童総数 4601名です。これに続くのは美唄市東美唄(旭台・常盤台を含む,児童数4116名),夕張市鹿島(鹿島千年を含む,児童数3578名)です。北炭夕張,東美唄,鹿島は,全国的にもベスト3の規模を誇る巨大廃村です。
・戦後の開拓集落の廃村として,夕張市白金,神恵内村トーマル,穂別町豊進,静内町高見などがあります。また,林業関係の廃村として苫小牧市丸山,穂別町累標沢があります。
・ダム関係の廃村としては,夕張市鹿島・鹿島東=夕張シューパロダム(貯水量 4億3300万m3=道最大,平成16年竣工,水没戸数 289戸),芦別市滝里=滝里ダム,穂別町長和=穂別ダムなどがあります。
・積丹町浜婦美,神恵内村オブカル石,えりも町苫別は,離島以外では珍しい海のそばの廃村です。

コメント(38)

平成18年のGWに久しぶりに芦別市滝里の資料館の脇に滝里にゆかりのある記念碑群を見てきました。移設されたのは校門、馬頭観音、架橋記念碑、水天宮などです。

碑文に拠ると明治36年に富山県からの開拓者が移住、明治38年に駅逓と学校が開設。大正2年に鉄道が開通。最盛期には180戸、941人の集落を形成したとのことです。昭和51年にダム建設計画が発表。昭和61年に補償基準が調印されました。

ダム資料館は以前訪問したことがあるのですがダムに沈んだ一軒一軒の航空写真が閲覧できたと思います。

いつ通っても湖面が眩しいばかりでなかなか昔のことが想像できません。

写真1-校門
写真2-滝里神社
写真3-記念碑
>きたたびさん
 滝里小学校,調べてみると閉校は昭和58年(1983年),
 開校が明治38年(1905年)とすると,78年の歴史があったのですね。

 たまたま昨日,同じく道央で駅のあった廃村,蕗之台について
 「幌加内町史」で調べたのですが,
 駅の開設は昭和16年,林業や鉄道関係の方の入植があり,
 戦後,昭和22年に日鋼開拓団(室蘭から)の入植があり,
 分校の開校は昭和24年とのこと。
 閉校は昭和37年(離村も同年)なので,その歴史は13年です。
 
 何年間の歴史があったのかは,集落の様子を推測する上で重要な数ですね。
 閉校年に加えて,できる限り開校年も調べたいと思う次第です。
本日,コクトで,「千歳市史」で藤の沢を調べているうちに,
藤の沢分校の本校があった水明が廃村(集落跡)であることがわかりました。
水明は,王子製紙の発電所関係の集落だったらしいです。
「学校跡を有する廃村」,いよいよ999になりました(^_^;)
記念すべき4桁はどこになるのでしょうか?
とても楽しみです(^_^)
http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CHO-75-9&PCN=C11A&IDX=7
住宅の中心地が学校跡ではないでしょうか?

現在公園になっていたかと思います。学校跡の表記があったかもしれません。
水明の地名は水明郷(Suimeikyou)で,郵便番号も設定されていました。
なかなか風流な名前ですね(^_^;)
#水明小学校は,へき地等級1級,児童数73名(S.34),昭和39年閉校。
私が確認した北海道の「学校跡を有する廃村」は285ヶ所になりましたが,
ここまで進んだ段階で,千歳空港のすぐそばに廃村が見つかるとは…
この道は奥が深いです(^^;)
>ふよさん
 古い地形図で確認したところ,水明郷の小中学校は,住宅地ではなく
 千歳第一発電所の少し下流(川沿い)にあったようです。
 住宅地(郵便局マークあり)から学校跡までは,かなり急な下り坂だった感じです。

おまけの話題
 ついに本日,夕方のコクトの調査で,
 「学校跡を有する廃村」(集落跡,高度過疎集落,冬季無人集落),
 1000ヶ所になりました(*^_^;*)
旧日高町は現役の小学校こそ一校に統合されてしまっていますが千栄(写真1)、富岡と木造の学校の建物が今も残る地域です。

千栄から南に向かうとやがて民家は途絶え、さらに進んでいくと三島小学校の記念碑が突然現れます。(写真2)(写真3-向かう途中の道)碑文に拠ると大正7年福島団体が入植。太平洋戦争時は三井鉱業と手によりクロームの採掘が行われたとありました。福島と三井から二文字を取り「三島」となったとのこと。昭和49年に三島小学校は千栄小学校に統合されています。

本当に今は民家の痕跡さえもほとんど見当たらない地に学校があったという事実に驚かされました。
「国土情報ウェブマッピングシステム」、空中写真シリーズ第3弾、
ということで、美唄市東美唄(三菱美唄炭鉱跡)です。
#撮影時期は昭和51年。

そうなんです。沼東小学校の様子を見たかったんですよ(^_^.)
沼東小学校は昭和49年閉校。閉校年度の児童数は65名。
しっかりと円形校舎が2棟、めがねになって建っていますね(^_^)
何年ぐらいまで残っていたのでしょう?
毎年の空中写真があったら、一目瞭然なのですが・・・(^^;)

時間がいくらあっても足らなくなるので、この辺でやめにします(^^)
「廃校廃村・高度過疎集落」リストの調べ、煮詰めの段階になって、
中学校の閉校の様子もわかるようになりました。

リスト中で最も近い時期に閉校となったのは、札幌市南区の
豊羽鉱山です(平成14年閉校)。
中学校で、近い時期に閉校となったものをあと2つ挙げると、
青山中央(当別町、平成12年閉校)、鹿島(夕張市、平成8年閉校)と、
すべて北海道・道央です。
5万図(定山渓 S.45)を見ると、定山渓から10kmの山中に
大きな鉱山街があったことがわかります。

●豊羽鉱山(Toyoha-kouzan) 札幌郡豊平町(札幌市南区)
   豊羽小学校
   へき地等級2級、児童数260名(S.34)、平成14年閉校
   豊羽中学校
   へき地等級2級、生徒数66名(S.34)、平成14年閉校

札幌の豊平区は「とよひら」ですが、豊平峡は「ほうへい」ということもあり
留萌の豊平の読み方には、昨日まで悩んでいました(^^)
支笏湖は丸山遠見近くの廃集落
丸山地区へ行ってきました。
小学校の記念碑と神社跡等が確認出来ました
雪解けが完全ではなかったので再度訪問予定です。
おそらく昭和58年から60年に廃集落となったと思うのですが
資料がなく謎が多いです。
>ブーさん
 丸山は、昭和50年までに消えたところが多い林業集落としては珍しく、
 昭和50年代後半まで残った集落です。

 ●丸山(Maruyama) 苫小牧市
   丸山小学校 へき地等級1級、児童数47名(S.34)、
   昭和56年閉校

 閉校時期と離村時期の関係は、何とも言えませんが、
 他と比較すると、閉校時期=離村時期か、 閉校時期から1年以内=離村時期
 という感じがします。
 心当たりの資料があったら、裏付けたいものです(^_^;)
>HEYANEKOさま

記念碑の裏側に下記のような記載があります。

昭和24年東小学校丸山分校として開校
昭和26年丸山小学校として独立
昭和57年3月31日児童数減少のため閉校。

廃村年まで載っているか今度苫小牧史で確認してみたいと思います。
本日,やや早いのですが、月例(8月1日)の更新で,
Web(「廃村(4)」)に,北海道・道東(新規)と北海道・道央(再掲)の
廃校廃村リストをアップしました。
  http://heyaneko.web.fc2.com/ghle_48.html
  http://heyaneko.web.fc2.com/ghle_01.html

fc2の使い方に慣れてきたので、これから徐々にfc2の記事が多くなる
見込みです。
北海道・道央の廃校廃村リストの要領で、dinからfc2へ移行するページも
出てくるかもしれません。

 画像1:dinの美唄市沼東小学校の体育館跡(43.7kB)
 画像2:fc2にアップした美唄市沼東小学校の体育館跡(156 kB)

道東のページのトップ画像は、「学舎の風景」Webのpiroさんにお借りしました。
どうもありがとうございます。
すいません。URLに誤りがありました。
正しくは、
  http://heyaneko.web.fc2.com/ghl_48.html
  http://heyaneko.web.fc2.com/ghl_01.html
です。

「松尾鉱山とその周辺の廃村めぐり」から帰ってきたところです。
岩手と秋田で、全部で9ヶ所の廃校廃村をまわりました。

URLの誤り、さらにあったようです(^^.)
正しくは、
  http://heyaneko.web.fc2.com/ghl-48.html
  http://heyaneko.web.fc2.com/ghl-01.html
でした。

「松尾鉱山と…」は、梅雨明け前で雨にも降られましたが、
晴れた日も多くあり、いろいろ収穫がありました(^_^.)
のんびりと、岩手、秋田のトピに印象深かったことを書いていこうと思います。
はじめまして

八の沢の廃校とは 旧油田にあった学校のことでしょうか?

5年程前の林道ツーリングで保存されている校門と神社跡を確認した記憶があります


当時の採掘風景の写真を見ると 沢山の櫓が林立していて 現況からは想像がつきませんね

「長大な石狩川の河口を送油管が渡っていて 戦時中に米軍機がこれ見よがしにくぐり抜けていった」という話も聞いたことがあります
>八の沢の廃校とは 旧油田にあった学校のことでしょうか?
そうだと思います。

>河口を送油管
へえ〜。河口で渡っていたんですか〜。
どんな感じだったんでしょうかね?
はじめまして。

今年の春に壮瞥町駒別に行って来ました。
山の頂上付近は酪農用の牧草地になっているし、麓には民家があるので廃村とは言えないのかもしれませんが、酷い林道の途中に小学校(駒別小学校)の記念碑を見つけたので報告します。
piroさん

・・・・これって・・・・あの道の駅でニアミスした時じゃないですか???

そうです、多分piroさんが行かれる前日に私が行っております。
しかし酷い道でした・・・それをずっと上っていくと頂上付近は広大な牧草地で農機がせわしく作業中でした・・・。

・・・碑のあった場所は特に開けているわけでもなく、グラウンドがあったようにも思えません。
他に建物の基礎があるわけでもないので、集落はわき道の奥にあったのかもしれません。
・・・念のため車でわき道を行きましたが巨大な倒木に阻まれ断念しました・・・。
>ふゆをさん
 壮瞥町駒別のご報告、ありがとうございます。
 私は行ったことはないのですが、「廃村千選」の調べ物では、
 黄渓とともに、迷うことなく廃村のフラグを立てたところです。
 piroさんの「学舎の風景」Webの記事を見ても、
 「すごいところだなあ…」と思いますし…
 
 立派な記念碑が立っているのですね。
 「学舎の風景」Webを見ていても、感じることなのですが、
 北海道は、学校跡の記念碑建立に積極的な感じがします。
年末ということで?大夕張でも。

大夕張炭鉱については市街地については様々な紹介がありますが、
鉱業所の施設については不明な点も多く、
いろいろ教えて頂ける方がいらっしゃると嬉しいです。

※写真1

大夕張といえばやはり「キリ助」

※写真2

戦没者慰霊碑
日高地方の気になっていた廃校へ行ってきました。

写真左は新富小学校。
木造のかわいらしい校舎が残っていましたが、
大きく育ってしまった木々が邪魔をして全体像がおぼろげに。
辺りは大規模化した酪農地帯がわずかに谷あいに続いています。

写真右は女名春別小学校。
登山の本で読んだ通りの教員住宅のみがありました。
人気のないところかと思っていたら、
牧草地の一角で拍子抜けしました。

大泉分校はかなりの悪路を現地周辺まで行きましたが、
学校がどこにあったのか特定できませんでした。
かろうじて廃屋が一軒残っていました。
>きたたびさん
 お久しぶりです。お元気でしょうか。
 女名春別はへき地5級、新富はへき地4級ですが、
 拓雄とは異なり、拓けた感じのする場所です。

 ともに、学校跡の様子の画像を目にするのは今回が初めてです。
 だんだん謎が解かれていきますね〜(^_^;)
浜婦美に行って来ました。

道は途中から分からなくなり、とりあえず、崖下へ沢のほうへ降りて、沢づたいに海まで出たという感じです。
まだまだ下草が多く、神社跡などを発見することが出来なかったので、再訪の余地ありです。
来春には再訪予定です。
行ってみたいなあ〜浜婦美
番屋が残っているのが良いですね。
>28 ふよさん

陸路を行くのはなかなか大変でした。
途中の道が崩れていなければ・・・もう少し楽なんでしょうけれども(^_^;)

シーカヤックの人たちはよく来るそうです。

番屋のほかにもいろいろ痕跡はあるので、来春、もう一度行ってきっちり確認したいと思います。

>ふゆをさん
 浜婦美の情報、ありがとうございます。
 番屋が残っているのは、漁村の廃村らしくでよいですね(^_^)
 廃校廃村的には、分校跡がどうなているのか、気になります…

 ●浜婦美(はまふみ)
   美国小学校浜婦美分校
   北海道積丹郡積丹町
   へき地等級3級、児童数9名(S.34)
   昭和3年開校、昭和40年閉校
ナルセさん

確かに道は崩落していましたが、私は陸路で行きました。

一度目は車で行き落ちかけ、二度目は最初から徒歩で(^_^;)

学校の建物、残っていたのですね、なるほど。
その情報は10年前とかじゃないでしょうか。

実は10月に訪問の際、地図上で学校マークのあった場所に行きました。
大き目の潰れた家屋があります。
閉校後は集会所に使用されていた感じです。
便槽が一般家庭よりも大きいことと、玄関にあった靴箱から分校跡で間違いないと思います。

校庭はないですが、玄関前に花壇がありました・・・・縁石は日本酒の瓶・・・・(^_^;)
浜婦美の情報、ありがとうございます。 >ナルセさま、ふゆをさま
分校跡は、倒壊しているようですね・・・

>縁石は日本酒の瓶・・・・(^_^;)
は、年末に訪ねた、倉沢の2階建て社宅跡でも見かけました。
大夕張のキリ助、足がもうほとんど水に漬かっている画像が某所にUPされていました。サーチャージまであと1m、完全に胴体まで水没しそうです。
大夕張のキリ助後日情報。満水時はすっかり「いい湯だな」状態にキリ助が水没してしまいました。
11/18の北海道新聞南空知版にその状況が掲載されました。
11/25現在水はキリ助の足元の道路付近まで水が引きました。無事です。
キリ助に会いに2月某日大夕張に行って来ました。キリ助は元気そうでした。

ログインすると、残り6件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

廃村 更新情報

廃村のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング