ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

知の統合コミュの 知の挑戦 E.O.ウィルソン

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
科学的知性と文化的知性の統合を試みる

ウイルソンは、社会生物学で、人間をアリのようにとらえた。すべてが物理過程で説明できるとした。私はウイルソンは嫌いだったが、ナチュナル的は出版物が読んでウイルソンは少し変化をしたとおもった。理系と文系の融合を図ろうという本書のテーマは、いってみれば、ウイルソンの第3期になるわけだが、一言で言えば、「より強固な社会生物学」として帰ってきた。物理過程で文化的知性も統合できるというものだ。
 

*イオニアの魔力

科学の統一を信じること−これをイオニアの魔力という。単なる作業問題としてではなく、世界は整然とした自然法則からできていると深く信じることを指す。

ルーツは紀元前6世紀のタレスにさかのぼる。タレスは「万物は究極的に水からなる」と考えた。最終的には見当違いであったが、その真の重要性は、世界の物質的基盤と自然の統一性を述べた形而上的思考にある。

その魔力は科学のほかの分野にも広がり、少数者の頭のなかでは自然科学を超えて、社会科学にも、さらには人文科学にまでおよんでいる。

私たちは、身のたけ以上の目的をもちたがる。私たちは人間の精神というもっとも深い動因のために、命を吹き込まれた塵以上のものにならざるを得ない。私たちは、どこからきて、なぜここにいるのかを語る物語をもたねばいられない。

聖書は、初めて文字で宇宙を説明し、私たち自身をその宇宙の重要な存在と位置付ける為の試みだったのではなかろうか?

おそらく科学はそれと同じ目的を達成するための、より検討された新しい立脚点に立つ続編なのだろう。

もしそうなら、その意味において、科学とは、解放され拡大された宗教である。

それがイオニアの魔力の源であると私は信じる。

 

神による啓示よりも科学による客観的事実の探求を志向するのは、信仰への渇望をみたすもう一つの道である。めざすのは人間精神の委譲ではなく、人間精神の解放による魂の救済である。

その中心教義がアインシュタインが認識していた、「知識の統一」である。確かな知識が充分にまとめ上げられたとき、私たちはきっと、私たちが何者であるか、なぜここにいるのかを理解するだろう。

イカロスは翼というテクノロジーを手に入れ、大空をとんだが、太陽に向かって飛んだため、その蝋がとけ、海に落ちてしまった。これは、我々がテクノロジーを使い間違えた時の末路を暗示しているようだ。

イカロスは愚かな人間の象徴として語られるのか?いやその彼の大胆さは、人間のせめてもの長所をあらわしていると考えたい。

太陽が翼の蝋を溶かす前にどこまで高く飛べるみてみましょう。

 

*学問の大きな枝

 

最初にほぼ正しい理解に到達したのは17世紀〜18世紀の啓蒙期の思想家だった。法則に従う物質世界や、知識の本来的な統一や限界のない人間の進歩の可能性について彼らの前提はいまも心に受け入れやすく、なければ困り、知的向上を通して最大に価値がわかる。

もっとも偉大な精神の活動はつねに、自然科学と人文科学を結びつける試みだった。これからもつねにそうであろう。現在、知識の断片化が進み、その結果として哲学が昏迷しているのは、現実世界の反映ではなく、学術研究の所産である。

consilience(コンシリエンス=統合)は統一化への鍵である。

科学の枠を超えて、学問の大きな枝を統合することが可能であるという信念は、まだ科学ではない。

それは形而上的な世界観であり、しかもごくわずかな科学者と哲学者だけが共有する、少数派の世界観である。

だいいちに原理で証明できるものでもないし、反証可能な検証を基盤とすることもできない。少なくともこれまでに考えられた範囲ではできない。支えとなるのはせいぜい、自然科学の過去の成功を敷衍することぐらいだ。

統合の最大の魅力は、知的冒険ができるという見通しと、より確実性をもって人間の条件を理解できるという意義にある。

コメント(1)

これは良い本ですね、僕も原書で複数、購入してしまいました。またTEDでの講演にも登場していますね。人間的にもとても惹かれる学者です。邦訳については若干、異議あり、の部分もありました。しかし、むしろこのような貴重な邦訳をお子なっち高谷敬意を表したいと思います。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

知の統合 更新情報

知の統合のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。