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ミイラ・ミイラ・ミイラコミュの泥炭ミイラ(Bog mummy)

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ボグ(・∀・)イイヨーイイヨー!!

泥炭(ピート)は、寒い地方で、枯れた植物が完全に分解せずに沼地に堆積してできたもので、ごく初期の石炭だそう。

泥炭ミイラというのは湿地の沼などに沈んだ死体が泥炭のように分解されずに残ったものですな。

コメント(115)

ハラルドスカーの女性 その6

調査時に解剖されたのか、腹部に縫合跡がありますな。
Stidsholtの女性

Stidsholtの女性(Stidsholt Woman)は1859年にデンマークのユトランドのStidsholt-moseの沼地で発見されました。

頭部が首の第3と第4の椎骨の間で切断されており、頭部以外は発見されていません。
彼女が死亡した年代がいつごろかについては、鉄器時代と推定されているようですが、正式には不明とされています。
現在はデンマーク国立博物館で展示されているようです。
Stidsholtの女性 その2

この横顔のアングルの画像しか見つからないですな。
トールン人 その3

普段は3枚目の画像のように帽子をかぶってるんですが、帽子を脱いだ状態で展示されている画像がありました。

泥炭ミイラなのでやはり髪が赤毛になってますな(・∀・)
トールン人 その5

後頭部。
展示されてるトールン人の実物は頭部のみで胴体はレプリカなんですが、レプリカ胴体にくぼみがあって、そこに実物の首が入れてあるような感じですね。
トールン人 その6

足元からのアングル。
トールン人 その7

展示室の様子など。
リンドウ人 その2

1984年8月1日にイギリス、チェシャー州の泥炭地(リンドウ・モス)で見つかった約2,300年前(紀元前1世紀頃)のケルト人の遺体。
大英博物館蔵。

リンドウ人(Lindow Man)は"Lindow II"とも呼ばれているんですが、"Lindow II"が見つかる1年前の1983年5月13日に女性の遺体が見つかっていて、"Lindow Woman(Lindow I)"と呼ばれています。

"Lindow Woman(Lindow I)"は「約1700年前、女性-30〜50歳代、眼球、視神経とともに腐敗した脳が見つかっている」とのことですが画像は見つからなかったです。

このリンドウ・ウーマンについてはこんな逸話が…

「ちなみに、このリンドウ・マンの発見前、1983年5月13日に女性の遺体が発見されました。その直後、近くに住む男性が1960年に自分の妻を殺したことを告白します。この男性は、その妻の遺体が発見されたと思い込んで観念したわけですが、実際は約2,000年前の女性だと判明しました」

ミイラの洋書7.リンドウ人
https://blog.goo.ne.jp/garfsn1958/e/332370ecc026b2c405ff72d4ddff1aa1
リンドウ人 その4

頭部が、見る角度によってはすごく平べったく見えます。
リンドウ人 その5

正面から見た顔。
Husbäke Man その3

ドイツ、ニーダーザクセン州アマーラントの沼で1936年に発見された泥炭ミイラ。
今から2000年前の帝政ローマ時代の遺体で、20歳ぐらいの男性。

>>42-43でも紹介しています。
Husbäke Man その4

発見時の様子。
展示では仰向けになってますが、うつぶせ状態で発見されたんですな。
クローニーカバンマン


クローニーカバンマン(Clonycavan Man)は2003年にアイルランド、ミーズ州バリバー近郊のクローニーカバンで発見された鉄器時代の湿地遺体。


以下はウイキペディアより。
泥炭採掘中に偶然発見されたが、採掘用の機械によって遺体は切断されてしまい、上半身のみが現存している。
現在ダブリンのアイルランド国立博物館で展示されている。

頭蓋骨は鋭利な道具で切り開かれ、頭頂部には脳にまで達する深い傷、顔面にも鼻筋から右目の下にかけて大きな裂傷がある。

これらの傷は斧のような鋭利な道具によってつけられたとみられ、クローニーカバンマンは儀式の生贄として殺害されたと考えられている。

放射性炭素年代測定の結果から紀元前392年 - 紀元前201の間に死亡したことが判明している。
死亡時の年齢は20代前半とみられる。

クローニーカバンマンの最大の特徴はその髪型にある。
髪を上に持ち上げて、植物の油と松脂から作られた整髪料で固定し、髪ひもで結んでいる。クローニーカバンマンの身長は約160cmと推測されているが、この髪型は背をより高く見せる効果があったと考えられる。


このミイラが整髪料で髪を固めていたことから英語の記事で「鉄器時代のデヴィッド・ベッカム」と紹介されたりしてました。
当時はベッカムの最盛期だったですな(・∀・)
クローニーカバンマン その2

正面から見るとかなり平らです。
クローニーカバンマン その3

おそらく発見時の様子と、胴体の断面側から見た画像。

展示されてる状態だと前髪にボリュームがあるポンパドゥールのような?髪型に思えるんですが、発見時の姿を見ると後頭部に髪をまとめた髪型だったようです。
クローニーカバンマン その4

頭部復元像。
たしか最初に発表されたのが1枚目の左側の像で、生え際の剃りこみがありませんでした。
オールドクロウハンマン

オールドクロウハンマン(Old Croghan Man)は2003年にアイルランドで発見された鉄器時代の湿地遺体。
名前は発見地にほど近いオファリー県デインジアン北方のクロウハン・ヒルにちなんでつけられた。現在ダブリンのアイルランド国立博物館で展示されている。

ニュースなどで、同じアイルランドで3か月前に発見されたクローニーカバンマンとセットで紹介されることが多かったような印象があります(・∀・)


身長は腕の長さから1.98mと推定。これほどの高身長は当時のアイルランドではきわめてまれであった。爪にはマニキュアが塗られていたことから身分の高い人物であったと推測される。

紀元前362年 - 紀元前175年の間に死亡したと考えられ、死亡時の年齢は20代前半と推定。
衣服はまとわず、左腕に高貴な人物であることを示す革製の腕輪を装着していた。

死因は胸を刺されたことで、死後に首を切り落とされ胴体も上下に切断された。片腕には抵抗した痕跡とみられている傷がある。

この地を治めていた王であったが天候不順や不作のため生贄にささげられた説、失脚した支配者説などが唱えられている。
オールドクロウハンマン その2

こちらは発見直後?の姿。
1枚目は背中側、2枚目が腹側。
オールドクロウハンマン その2

腕輪はレプリカではなく、ミイラが身に着けていたものに防腐処置を施して再装着しているそう。
オールドクロウハンマン その3

手。爪が残っています。
エクトヴィズガール その3

白黒画像は1982年に撮影されたものですが、現在と同じように髪の毛しか見えないですな。
中国の泥炭ミイラ

>>39で紹介した「泥炭鞣尸」ですが、↓によると1957年に浙江省で発見された、清朝の時代のものだそうです。

屍體界的一枝獨秀——泥炭鞣屍
https://kknews.cc/story/39mz9la.html

「では、この珍しい現象は、中国で何件見つかったのだろうか。 データベースも検索してみたが、中国は広大な国土を持ち、純天然乾燥死体や純天然蝋化死体が発見されているにもかかわらず、泥炭なめし死体の記録はわずか2例しかないのである」

「最初の泥炭なめし革の死体は、1957年に浙江省無錫市の楊家部(ようかぶ)で発見された。 発見当時、棺は酸性の赤土がある場所にあり、土の酸性が水と一緒に棺に入り、遺体を浸した。 酸性の環境があることで、体の腐敗を止め、保存することができた。 遺体は男性であること、頭からつま先まで丸まっていることが特徴で、200年以上前の清朝、乾隆帝の時代に死亡していた。 棺桶から取り出された遺体は、皮膚が白く鶏皮のようで、顔の輪郭がはっきりし、体の内臓が収縮していた」


…2件目は、比較的最近発生したもののようで(刑事事件であったため、その詳細は本稿では割愛する、とのこと)、
25歳の女性の遺体が11月にシーツに包まれて畑に1メートルの深さに埋められたが、翌年7月に捜査員によって掘り起こされた。地中には腐った植物から出る酸性の腐植酸が存在し、深さ1メートルの場所で空気から隔離されたため、遺体はこのケースに特徴的な鞣された状態(内臓が縮み、皮膚が灰白色になる)になった、とのこと。
>>100の「浙江省無錫市の楊家部(ようかぶ)で発見された」の部分が間違っていて、

原文が「在浙江吳興楊家埠發現的」で、正確には「浙江省呉興の楊家埠で発見」でした。
(・∀・;)

この部分は機械翻訳して出た文章をそのまま使ったのですが、なぜか「吳興」が「無錫市」に翻訳されていました。

吳興区がある浙江省湖州市と江蘇省無錫市は隣接しているので、無錫市にも吳興という地名があるのかもしれません。
>>39で紹介した正体不明の「软尸」画像ですが、写真の上に「软尸 在浙江吴兴县 发现 死亡时间距今200余年」(軟尸 在浙江呉興県 発現 死亡時間距今200余年…柔らかい死体 浙江省呉興郡で発見 200年以上前に亡くなった)とあるので、>>100の「泥炭鞣尸」と同じものですね(・∀・)


さらに「在浙江吴兴县 发现」で検索したところ、徐英含という人を紹介するページがヒットしました。
徐英含氏は中国の法医病理学の重鎮で、サイトは彼の経歴を紹介するものでした。

徐英含:道路是走出来的,时间是挤出来的
https://news.sciencenet.cn/htmlnews/2019/4/425302.shtm

彼は1953年に浙江大学で最初の法医学の教師となり、すぐに手腕を発揮した、とあり、その一例として「软尸」のことが書かれていました。

「1957年4月17日、浙江省呉興県楊家埠で『骨がないように見える』軟体死体が発見された。その特徴は、時間が経っても腐敗せず、骨が柔らかく、自由に丸めたり折ったりできることであった。地元の人たちはこの奇妙な死体を『妖怪』ではないかと疑った」

「この疑惑は払拭されなければならず、それは徐英含の役目である。彼は楊家埠で墓地の土の性質、付近の水質、死体の生前の履歴を調べ、検死解剖、化学検査、細菌検査などを行った。
その結果、この死体は清朝の乾隆帝時代、約200年前に埋葬されたもので、棺の外の酸性の水分が棺の中に浸透、長期間にわたって作用して死体が腐敗しなくなったのと同時に、骨は脱灰して柔らかくなっていた、と結論した」
ユルデナーフェルトマン

ユルデナーフェルトマン(Jührdenerfeld Man)は1934年にドイツ、ニーダー ザクセン州のユールデナーフェルト (フリースラント地方)で発見された泥炭ミイラ。
かつてはボックホルナーフェルトマン(Bockhornerfeld Man)と呼ばれていました。
>>37でも"Bockhornerfeld Man"という名前で紹介しています。

両腕と右脚が欠損しており(獣に食べられたとみられる)、死亡年齢は約35歳、
放射性炭素年代測定では、皮膚サンプルでは紀元前170 〜 西暦45年、毛髪サンプルでは紀元前55 〜 西暦25年とされています。
ユルデナーフェルトマン その2

右脚が欠損と書きましたが、右脚は骨が残ってるような感じも。
ユルデナーフェルトマン その3

頭部など。
>>[105]
mixi、たまにしか覗かなくなってしまいましたが
ロロさんがupして下さるミイラを楽しみにしています!
ずっと続けてくださりありがとうございます。
知らないミイラをここでいつも知ることができます顔(笑)
>>[106]
ありがとうございます(・∀・)

以前に比べると最近はミイラ関連のニュースとかwebというかSNSにUPされるミイラ画像とかが増えてきて、まだまだ紹介してないミイラがありますね。

ただ、トップに書いたトピック一覧の順番にミイラを紹介してるんですがトピックによっては(日本とか)新しいネタがぜんぜん見つからなくて大変という…(・∀・;)
ユルデナーフェルトマン その4

頭部。
2000年前のミイラ化した少年を泥炭地から発掘。骨や皮膚の保存状態は「驚異的に良い」
2024.01.29
https://artnewsjapan.com/article/1996

北アイルランド・ロンドンデリー州のベラーイーにある泥炭地で、2000年前のミイラ化した少年が見つかった。

今回見つかった人骨や皮膚などは10代の少年のもので、泥炭地や湿地に埋まった遺体が自然にミイラ化(屍蝋化)した「湿地遺体(bog body)」。放射性炭素年代測定の結果、2000年から2500年前にさかのぼると考えられている。

死因は特定できず、頭部が欠損しているが、分離されたのが生前なのか死後なのかについては専門家も判断できないとした。
エーリンの女性 その2

>>20で紹介したエーリンの女性(Elling Woman)。
後頭部の髪の編み込みが特徴なので、うつぶせの画像しか見つからないですね。
エーリンの女性 その3

こちらの画像は首から下の部分に服の布のようなものが見られます。
エーリンの女性 その4

エーリンの女性は1938年6月20日にBjeldskovdal湿原で発見されました。

泥炭採掘者が掘削機で遺体を掘り当てた際に下半身が破壊されてしまったとのこと。

画像はエーリンの女性を前面から写した画像。
エーリンの女性 その5

現在の展示のようす。
エーリンの女性 その6

彼女は羊皮のマントと子牛の皮のマントに包まれて沼地に埋葬されていたとのこと。
エーリンの女性 その7

首を吊るされて殺害されたのは、彼女を生け贄・人身御供とするためだった、とのこと。

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