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グループC耐久まにあっくす!コミュの耐久レースののドライバー

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初トピ立ち上げです。

昔の耐久レースのドライバーの組み合わせ見てると、
以外なドライバーの組み合わせが多い事に驚きます。

ここで、耐久レースのドライバーについて談義してみませんか?

個人的に、異色に思えるのは、
1984のWECニュルブルクリンク1000kmで、
JOESTチームのポルシェ956Bに
あのAセナ/Sヨハンソン/Hペスカロロが乗ったことです。

私の手元には、リザルトしかありませんが
Aセナが耐久レースに出たことは、
あまり知られてないと思います。

その他、
最強の組み合わせや、
異色組み合わせがありましたら、
カキコ願います。

コメント(39)

90年TAKA−Qトムストヨタ
亜久里/ダンフリース/ラバーリア

このラバーリアというドライバーについて?なので、どなたか御存知の方おられませんか?
ロベルト・ラヴァーリア

80年代から90年代にかけて
主にBMWのワークスドライバーとして活躍したドライバーです。
箱スペシャリストの一人と言えます。
89年、95年、ニュル24時間での優勝経験もあります!!

簡単ですが・・・。
ロベルト・ラヴァリアというドライバーは
ツーリングカーにてシュニツァーBMWチームで活躍した
ドライバーですね。スパ24時間ではゲルハルト・ベルガー
、マルク・スレールとコンビネーションを組んで出場、
優勝したりしております。耐久でもBMWとのコネクションが
あり、キャリア後期は主にマクラーレンF1-GTRを
ドライブしていました。

現在では自分のチームを結成し、WTCCにBMWチームスペイン/
イタリアとして、アントニオ・ガルシア、アレックス・
ザナルディを擁して参戦しています。
デイトナで優勝した当時日本人最強トリオ。
長谷見昌弘、星野一義、鈴木利夫!
>KEI∞LM24hさん
>トゲさん

 情報提供ありがとうございました。結構箱系のドライバーだったんですね。箱系のドライバーがCカーでは主流なんでしょうか。それとも箱系やフォーミュラ系の両方がごっちゃ混ぜなんでしょうか。晩年のCカーはやはりフォーミュラ系のドライバーが主流だったような気がします。

 組み合わせとしては、
 サードから出た(90年ル・マン)
 ラッツェンバーガー/ラファネル/長坂 というコンビ。前二人はおなじみですが、これに長坂さんが加わったというのも異色だと思いましたし、同じく90年ル・マンで初登場したチャージマツダ787の、ガショー/ハーバート/バイドラーのトリオも最初みたとき、「こりゃ本腰いれてるな」という意気込みが感じました。

 あと、ル・マン以外では90年WSPCで星野とギルバートスコットが組んだこと。「日本一早い男」と、後に佐藤琢磨のマネージャーとなった男がコンビを組んだという、今となっては貴重な組み合わせと思うのは私だけでしょうか。。
>JJさん

あの時代まではある意味ゴチャゴチャでした。
結構掛け持ちで走る人も多く

Cカーなどには結構F1ドライバーとかも多く乗っていましたし。
今ほどカレンダーが重なったりしていなかったという事もありますが・・・。

個人的には87年のルマンの
星野和義/松本恵二/高橋健二
このコンビもなかなか凄いと思いますね・・・(笑
>KEI∞LM24hさん
 ですよね。今はカナダGPとバッティングするし、契約上「他のレースには参加しない」という条項を設けているケースが多いみたいですし。90年は、亜久里、ガショー、ハーバート、ピロ、JJレート、ララウリ…たしかヨハンソンも。この時代が好きでしたね。
 ところで、ポルシェがワークス降りた以降も、ハンス・シュトゥックとか乗ってましたでしょうか?
シュトゥックは この前やってたマスターズGP(で呼び方合ってるのかな? あやふやです)に出てましたよね。

ドライバー組み合わせでは無いのですが 87年のル・マンでクロース・メルセデスに岡田秀樹選手が乗ったのは快挙だったと個人的には思ってます。
確か決勝は乗る前にリタイヤだった様な…
>四弦操縦士
 そうそう、岡田秀樹選手。この経歴にはビックリしました。関谷正徳選手とのコンビでレイトンハウスのF3000で活躍したのは知ってましたが、メルセデスに乗っていたんですよね、ル・マンで。年齢的にもF1にまだ間に合いそうな年齢だったしもしかしたら…と思ったら、まぁ、夢は夢としてとっておきましょう。

 あと、93年の関谷/利男/アーバインのトヨタTS010のコンビは最高だと思いますし、割と最近では右京/利男/ドリキンのTS020は最高ですw“夜になったら早い男”を2人擁したこのトリオは文句無く最高でした。確か利男さんがル・マンのファーステストラップを記録したんじゃなかったかな?あの時、プライベートのBMWに邪魔されながらも2位に入賞したレースだったと思います。

 鈴木利男…遅咲きながらも切れのある走りを見せ遂に38歳にしてF1スポット参戦を果たした味のあるドライバーでした。エディー・アーバインが「はっきり言って鈴木利男に後ろから来られるのが一番イヤだった」と言わしめたドライバー。後にF1のワールドチャンピオン争いをするようになったドライバーにそう云わしめたのは彼がどれほどの実力者だったかという証明でもあると思います。
古い時期の組み合わせですいませんが、84年耐久シーズンでトムスチームが中嶋悟/松本恵二コンビで出てた時はすごいと思いました。当時の日本のトップフォーミュラのトップドライバーのコンビでしたので、ポルシェで走ってたらチャンピオンを取れたと思います。

シュトゥックはポルシェがワークス活動を止めた後はアウディワークスでIMSA−GTOやDTMをメインにレースに出てますね。ル・マンではヨーストから出場してます。
87年クーロスメルセデス61号車>
 岡田秀樹選手がドライブしたのは、確か前の年に日本に来ていて、JSPCかどこかで彼と組んだマルク・サックウェルがザウバー側に推薦してハンドルを握る事になったんじゃなかったかな?
 記憶があやふやだったりします(汗)

 Cカーじゃないんですが、日本人の快挙だと95年フェラーリのワークス(正確にはエネアSRLでフェラーリ公認クラブチームだったような)に乗った太田哲也選手も自分感動しましたよ!
 2人に共通してる事は、どっちもほとんどドライブしないうちにリタイアしたということですが、太田哲也選手は翌年もフェラーリF40(チーム内3号車)をドライブして、ドライコンディションでのフェラーリF40最長走行記録(16時間リタイア)を持ってるような……

92年デイトナトリオ>
 例の日本人トリオも有名ですが、90年ルマンでも同じトリオで勝負したニッサン・アメリカ陣営の最強トリオ
 ジェフ・ブラバム / チップ・ロビンソン / ディレック・デイリー組とか結構好きでした。
 日本のトリオと同じニッサンワークスでありながら、ニスモとNPTIとのチーム・マシンの違い、マシンの方向性やスタイルの違い(でも一緒のカラーリング!)
 同じニッサン勢同士のつばぜり合いも自分好きでした。

異色メンバー>
 NPTIネタだと他にも、89年ルマン25号車のR89C、NPTIの最強コンビ、ブラバムにロビンソンに加え、インディで有名なアリー・ルィエンダイクが、実はニッサンのCカーでルマンに出てます。
 結構がんばって朝の地点で4〜5番手につけてたような。
皆さん凄い!
 そこでBクラスのドライバーでいくと、原田純/嶋村健太/吉川とみ子のスパイスS88C・フォードDFZが印象深いですね。4年落ちくらいのマシンで健闘しました。
 あの時はBRMが参戦していて、ウェイン・テーラー/アリ・トイボネン等が乗っていましたが最後の一人が思い出せません。。。どなたか御存知の方、ヘルプお願いします。
JJさん>
 BRMの3人目はリチャード・ジョーンズです。
 ちなみに予選通過タイムをクリアしたのはウェイン・テイラーのみで、2人は予選落ちタイムだったんですが優遇措置で決勝も走行を許されたんだっけか。
 リチャード・ジョーンズは94年にもポルシェ911RSRが全盛のなか968ターボS(ザイケル・モータースポーツからの出場、後にこのチームに走る会計士こと鈴木光冶選手が、ドライブしてルマンに出場(96年?)してる)でルマンに出場してます。
 イギリス人だったはず。(あやふや)

原田・嶋村・吉川組>
 元祖チーム日本ですね!
 いくら近藤ちんがチーム日本と主張しても、個人的には元祖チーム日本はこのスパイスフォードでしょ(爆)
(そういえば彼も94年にこのチームでドライブしてたから、チーム日本なのか?!)
 
 個人的に吉川とみこ選手は、日本一のスパイスフォードドライバーだと思う。
 本人も確かどこかでスパイスのクルマをかなり扱いやすくてドライブしやすいとか、すごい誉めてたのを覚えてます……
 93年にクラージュから出場するんですが、直前までスパイスフォードで走りたくて、いろんなチームに打診してたとか。
>>Pooさん
 長谷見さんと星野さんが組んだ、というのはル・マンでは'89と'90しか無かったと記憶しています。

 国内の耐久では、もっと古く'78の富士LDで組んだ時だけかも…しかも、この時のマシンはアルピーヌA441!まさか、20年後のルノーと日産の関係など想像もできませんでした。
耐久な話ではないんスけど、IMSAーGTPでジェフ・ブラバムの時代があったじゃないですか。

そん時に、ブラバムったら大クラッシュして入院してお休み中に追い掛けてくるのがチームメイトのチップ・ロビンソン。

ところが、シリーズ末期にブラバムが復活して、辛くもタイトルを死守する。

そんな年があったのを思い出しました。
>四弦操縦士さん

 申し訳ございません。9のコメントで敬称をつけるのを忘れてしまいました。改めてお詫び申し上げます。
ふーみソさん>
 確か91年だったと思います。
 どこだったか(ロードアメリカだったかな?)でジェフ・ブラバムが負傷して、84号車のチップ・ロビンソンが追撃してきて、最終戦デ・ルマーでドライバータイトルの可能性があったのがジェフ・ブラバムとチップ・ロビンソン、シーズン半ばでデビューしたジャガーXJR16(確かシーズン最多6勝をマークしてたはず)のデイビー・ジョーンズだったような
(激しくうろ覚え)

 トヨタ勢のファン・マニュエル・ファンジオ?は序盤戦の出遅れで、後半戦に投入されたイーグルMk-3で猛追するものの、着実なニッサン勢に追いつけず、シボレー・イントゥレピッドのトム・ケンドールはポイントの取りこぼしが多く、彼も脱落。

 最終戦を迎えた地点で確かブラバムとロビンソンのポイント差は同ポイントか、ロビンソン有利だったような記憶があります。
 しかも確かブラバムはドクターストップがかかってて、怪我が治ってない状態で強引に出走したはず。

 しかしいざスタートすると、レース半ばでロビンソンの84号車がリタイヤし、ブラバムが3位入賞か何かで、タイトルをもぎ取ったような。
 優勝はデイビー・ジョーンズのジャガーだった記憶があるんですが……どうだったんでしょうか(汗)

 91〜92年のIMSAはめちゃめちゃ面白かったです。
 91年はニッサンがタイトルを取るんですが、後半戦の主役は完全にジャガーXJR16とトヨタイーグルMk3でしたね。
 92年になると完全にニッサンは苦しい戦いになって、勝ったのは第2戦マイアミ市街地だけ。
 暴力的な速さを見せるジャガーXJR14とトヨタイーグルの一騎打ちだったような。
 その後方でヨースト962、ニッサンNPT−Bが上位を伺い、たまに冴えた走りを見せるシボレーGTP(イントゥレピッドの進化版)が構図をかき回し、中盤戦以降熟成されてきたマツダRX7-92Pがそれに加わるような勢力図だったはず。

 92年のセブリング12時間(セブリング7連勝をかけたニッサンと予選最速のトヨタイーグルの接戦)と第5戦ライムロックパーク(リードするアキュラスパイスに食い下がるビュイッククッズとのコースレコード連発の接戦)はグループC(正確にはGTPだけど)の個人的ベストレースにですよ!
 JSPCを見た自分にとって長谷見さんのパートナーは、アンデルス・オロプソンというイメージが強いんですねw
 トヨタだったら…関谷正徳&ピエル=アンリ・ラファネエル、小河等&ジェフ・リース、(トムス)ラッツェンバーガー&長坂(サード)という組み合わせが多かったような。
 そこで一つの謎。。何故ドリキンはCカーに乗らなかったんだろうか。一時期F3なんかにも出ていたが、「フォーミュラは面白くない」とあっさりやめちゃったけど、Cカーくらいは乗って欲しかったなぁという印象があります。
 
90年代前半の土屋さんの主戦場は まだGr.Aでしたよね、あの時代はドリフトが今みたいに市民権を得て無くて インターテックでもドライブしながら無線で実況やらされたりイロモノ的な扱いが多かった様な気がします。
Cカーでは無いのですが TS020で出場した富士1000kmの時は激走してましたね ユーズドタイヤで18秒台をコンスタントに刻んでましたし 土屋さんは立派なスポーツカードライバだと思いますよ☆
JSPCでトムスは上記のドライバー以外に乗っけたのはパオロバリラ(雨の富士1000KMを優勝)、ロスチーバー、とか居ましたね。。。テストでは日本人のその当時の若手を含めいろいろな人が乗りましたけどね。なつかしいですね!
土屋圭一選手>
 Cカーは何処かで乗ってると思います。
 もっとも、レースではなくイベントやテストかもしれませんが、Cカーは乗ったことあるようなニュアンスの話をどこかでしていた記憶があります。

 で、肝心のJSPCやCカー全盛の時は彼はまだペーペーだった記憶が……
 JSPC前座の富士JSSで、アウトフレーズRSファインFD3Sをドライブしていた記憶があります。
 90年の第2戦富士は確か雨で中止になったと思うんですが、その前座、土砂降りの中開催されたJSSで、彼のRX7がすごい勢いでドリフトしながらトップを独走していた印象があります……

 彼はアドバンのスポンサーを持っていたので、乗るとしたらアドバンポルシェ(もしくはタイサンSG)だったんでしょうけど、当時F3で目立った成績も出せてなくて(結構予選落ち多かった記憶があるですよ)彼が一般的に実力が評価されるようになったのはグループAで国さんと組んでからではなかったのでしょうか……

 TS020をドライブしたのはおそらく、97年のルマンでのインパクトでしょう。
 予選から決勝を通して、ポルシェワークス2台とヨーストとのトップ争いで、マクラーレン勢はエースカーの42号車が序盤に脱落し、ニッサン勢も欠陥で脱落していく中、土屋圭一のドライブするチーム郷のラークマクラーレンが、プライベーターながらマクラーレン勢ではトップのペースでレースを運んで見せ関係者の評価が高かったからではないかと思います。


トムスのドライバー>
 パオロ・バリラとロス・チーバーは89年に組んでルマンにも出場してますね〜
 あっけなくエンジンブローして日が暮れる前に姿を消しましたけど……
>Minagiさん
>90年の第2戦富士は確か雨で中止になったと思うんですが、その前座、土砂降りの中開催されたJSSで、彼のRX7がすごい勢いでドリフトしながらトップを独走していた印象があります……

 91年の全日本F3000でも本体のF3000が雨で延期になった時、JSSでRX7を乗りながら、ドリドリしながらブッちぎりで優勝したのを覚えています。それから『ドリキン土屋』という愛称を覚えたんです。
 やはりどうなんでしょう。彼のレースにはレースに勝つというのはもとより、“魅せる”レースというのも意識していたのでは、そういう気がしてなりません。
90年の富士1000kmでの土屋選手の走りは 当時中学生ながらテレ東の放送を見てビビってました。 豪雨の中最終コーナーを真横向いて立ち上がってましたもんね。
あの頃 今みたいにCSが整備されてたら耐久好きには堪らない中継になってたでしょうね 6時間レース漬けって最高ですよ♪
CM明けた途端 レースが3時間進んでるなんて事も無いでしょうし。

全然ドライバーと関係無くなっちゃいましたね ( ̄▽ ̄;)
トムスのドライバーで印象に残っているのは
ジョニー・ダンフリースです。
一般的にはジャガーのル・マン88年優勝トリオのひとりですが
ワタシはそのとき中継見てなかったもので
89年に最終コーナーでドライブシャフト折って
日没まで懸命の修復をしていたイメージが強いです。
トヨタ最後の一台をピットに届けるための
貴族らしからぬ頑張りに感動しました。

そのダンフリース、今はお城に独り暮らしで何もしてないそうですが
本当でしょうか?
>ダンフリーズ
向こうの爵位もちかなんかのお貴族さまですもんねー。
消息は知りたいんだよなぁ。


爵位もちといえば(また脱線ネームですが)、プリンツ・レオポルト・フォン・バイエルンは元気なんだろうか。
ジョニー・ダンフリーズ>
 覚えてますよ!89年最大のハイライトの一つでしたね!
 ポルシェカーブでクラッシュ、満身創痍のトヨタをピットレーン50m前まで運んでくるんですがそこでドラシャがこわれてストップ。
 3時間くらいずっとコース傍らで作業してたんじゃないかなぁ……
 その地点でミノルタ、デンソーの二台は戦列を去っていて、残った1台のタカキューをスタッフと無線でやり取りしながらあと50m(たしかコース横断しないといけない状況だったと思う)走らせようと、オイルまみれになって作業してましたね……
 その間ずっとピット側は「もうやめよう、来年があるから……」ってダンフリーズを説得するんですが、彼は「あと50mだ、すぐたどり着くからピットで待機していてくれ!」ってずっと躍起になって作業してたんですよね……

 前年のルマンのウィナーがボロボロになったマシンをコース脇で修理するなんて……
 結局オフィシャル側が日没とともにコース脇での作業は危険すぎると彼を説得しトヨタ勢は全てリタイアになったんだっけか。

 ちなみに出身はデンマークだったかで、たしか数年前ジョン・ニールセン率いるRNモータースポーツ(デン・ブラ・エイビス)から「ルマンに出場しないか?」と打診があったそうです。
 そのときは出場しなかったけど、ひょっとしたらこの先ジョン・ニールセンと組んで出場するかもしれませんねぇ。

プリンツ・レオポルド・フォン・バイエルン>
 JTCCでシュニッツアーM3に乗ってたドライバーですよねぇ、確か貴族ドライバーという事で結構話題になったですが、成績はソーパーに隠れてしまったような。
 他には93年ルマンで、ミグM99というグルジア国籍の胡散臭いGTをドライブしたアルフォンソ・ド・オルレアンズ・ボルボンもスペインの貴族。
 C2時代にチェンバレンのスパイスフォードに乗っていた、フェルデナント・デ・レセップスもスエズ運河を設計したレセップス博士の息子だったか甥だったかで、結構な豪族(言い方古っ)なんだとか。
ダンフリーズ>
あの時 動き出した瞬間にテレビ中継のハンディーカメラのケーブルが引っ掛かって止まっちゃったんですよね。 あの時はピットの入口が最終コーナー曲がった後にあったんで あれが無ければ戻れたかもしれないですよね。。。
トピ言い出しっぺでありながら、週末チェッカーのケンケン5です。
皆さん、活発なレスありがとうございますm(__)m
レスの活発さに、正直驚いてます。
結構Cカー好きな人が多い事が、嬉しいですね。

>トムスのドライバー
結構、異色揃いだったりしますね。
86年以前だったら、中嶋悟を中心として松本恵二・関谷正徳・など、
87年以降でしたら、G.リース・A.ジョーンズ・小河等・関谷正徳・鈴木恵一・P.バリラ・S.ヨハンソン・R.チーバー・など、
異色なところでは、87年の国内耐久の最終戦にM.バルディも乗った記憶が・・・(ミノルタ87Cで2台参戦し、前半でリタイヤ)
世界戦では、J.ダンフリーズ・J.ワトソン・R.ラバーリア・鈴木亜久里・などが思いつきます。
こう見ても、F1経験者や耐久のスペシャリスト・ハコ職人が多数乗っていたと思います。
個人的には、トムスは関谷・小河組が好きですね。

>R.ラバーリア
シュニッツアーBMW M3(E30)のエースというイメージが強いですね。話しが逸れますが、Gr.AのBMWのドライバーも、F1経験者とハコ職人でおもしろい組み合わせが多いと思います。

>日産のドライバー
やはり、ニスモの星野一義・長谷見昌弘を中心とした組み合わせのイメージが強いですね。
よく考えると、鈴木利夫はトヨタ・ニッサンの両ワークス車に乗った貴重な存在ですね。
個人的には、87年のパーソンズ車の和田孝雄・A.オロフソン組が好きですね。87年国内耐久最終戦の、#25ロスマンズポルシェとの4位争い(?)バトルはスゴかった記憶があります。

>J.ダンフリーズ
確か、中嶋が入る前年86年のJPSロータスF1のセカンドカーに乗っていましたね。
87年のWSPCのブランズハッチでは、M.バルディと組んでリキモリ962GTIに乗った記憶もあります。87年終盤よりTWRジャガーに乗り、トヨタに乗りましたね。
確かに、カッコイイですな…(^^;

>ドリキン
やはり、チーム国光のGT−Rからブレイクした記憶があります。
彼の「魅せるレース」をする姿勢が、そのままファンの多さにつながっていると思います。
訂正…(汗
和田孝雄 → 和田孝夫 でした。

思い出のレースで盛り上がってますので、ドライバーネタでスレがあるかと探しましたがありましたね!

89年フジインターチャレンジ1000キロはまだ海外からエントリーしたチームや招聘されたドライバーが多かったのですが、ジョニー・ハーバートとジャン・アレジが武富士ポルシェに乗っていた記憶があります。
あと、サードトヨタに往年のルノードライバーだったジャン・ピエール・ジャブイーユがサードドライバーでしたねー

92年に実現したJビルヌーヴ、Eアーバイン、Tクリステンセンのトリオです。
確か、当時「トムス少年隊」って言われてたような。(笑)

もしも10年後にこのトリオが実現してたら凄かったですね。
84年にISEKIポルシェに片山義美選手が乗っていたのは意外な感じがしました。
同年のルマンではローラマツダ、WECではマツダロータリーターボにも乗っていましたし。

89年にレイトンハウスポルシェにトヨタドライバーの関谷正徳選手が乗っていたのも意外な感じがしました。

あとは90年にかつてワークスポルシェでドライブしていたD.ベルや
B.ウォレックが来日してJSPCに出ていた時はすごいなーって思いました。
> みやさん

こんにちは
片山右京選手が片山義美選手と間違えられて、ヨーロッパのチームからオファー受けてル・マンに出た時がありました。
クラージュかクーガーというコンストラクタのクルマに乗り、炎上リタイヤしていたはずです。

デレック・ベル選手は、5月のフジ1000キロで、霧が凄くて驚いていたインタビューを覚えています。

>ダンフリーズ

>Minagi@椰麟祭さん
1989年ルマンのあのシーンには、そんなエピソードがあったんですか!?
ちょうどその年が自分にとっての初ルマン体験でして、
ダンフリーズ車が止まったままの状況を現地のピット上から眺めていたのですが、
なんだかTVカメラのケーブルを踏んだらしいことは後で聞きましたが、
そんな内輪なエピソードがあったとまでは知らず。

今はもう存在していない某青年誌での、
トヨタ車を応援するルマン観戦企画に参加したわけですが、
レース本番ではトヨタ車群は意外とあっさりとリタイアしてしまったので、
拍子抜けでした。。。

レース前日はトヨタドライバー達全員が集まるランチパーティーにも参加しましたよ!
全員にサインを書いてもらったブルゾン、今も大事に持ってます。

結果としては着実に走り切ったザウバーメルセデスが優勝したわけですが、
個人的に印象に残っているのは、実はマツダ車です。
ホームストレートを駆け抜けていくときの張り裂けるような超高音、
そしてダンロップブリッジ手前シケインに向けてシフトダウンしていくときの
重低音という、エンジン音のコントラストが意外でした。
チェッカーフラッグ前の3台揃ってのパレード走行は、実に美しかったですね。

1989年の頃は、まだインターネットなどもなかったですし、
現地ではやはり英語やフランス語に堪能でないと
何が起きているのか全然わからなかったですし、
なにせコースがとてつもなく広いので、ピット近辺をベースにしていると、
ユーノディエールなんてとてもたどり着けない。。。
でもたしか翌年からはユーノディエールにはシケインが設置されてしまったわけなので、
いまどきルマンの話題をするときなどは、
「オレは完全直線だった頃のルマンを知っている」とホラ吹いてます。。。

土屋圭市選手は、どこかの噂話で聞いたので明確ではないのですが・・・
確か、ADVANポルシェをテストしたと聞いた事があります。
当時はADVAN(横浜ゴム)との契約だったし。

ジョニー・ダンフリーズ
WSPC@ディジョンでのレースでトヨタ88Cを一人でドライブし、
メルセデスC9と互角の闘いを繰り広げましたね?
(G・リースは体調不良で決勝は、走ってない気が^^;)

それよりも驚いてるのが、B・ウォレック
ポルシェ使いのイメージが強いのですが
(ランチャ、ジャガーetcもドライブ。BPRシリーズではマクラーレンF1も)
1994年のルマン24時間レースで「トラストトヨタ94C−V」を
ドライブした事がびっくりでした。
ボブ(本名ロベール)・ウォレク、耐久のドライバーの中で一番大好きです。
89年ル・マンの伊太利屋イェストでの大奮闘、
91年デイトナのポール〜マシンを乗り換えての優勝、
94年鈴鹿1000kmで汗びっしょりになっての優勝といったところが特に印象深いです。
デイトナでは5勝もしてるのにル・マンでは1勝も出来なかった不運が惜しい…
勝たせてあげたかったなぁ。
シモさん>
 ウォレック、自分も密かに応援していました……

 本名は「ロベール」なんですけど、両親は「ボブ」って名づけたかったらしいですね。
 だけど、ボブっていう名前はなんだったか、アメリカ系って思われるとどうのこうの?みたいのだったか、そういう理由で戸籍上はロベールで、通り名として「ボブ」と呼ばれていたとか、そういうのだった気がします。
 94年の鈴鹿1000kmっていうと、ポルシェ"ジタンブロンド"ですよね。
 父親にせがんで鈴鹿まで見に行った記憶があります、911ターボSかっこ良かった!!
 しかし、見に行ったのはサードMC8Rのデビュー戦だったからで、肝心のMC8Rは……

 36の書き込みでたぬさんも描いてますが、94年にトラストのトヨタ94CVに乗ってますね。
 本人はポルシェを選ばずに、トヨタのマシンに乗ることに若干なりの迷いがあったとか、当時のルマンプレビューのインタビューで答えていた記憶があります。
 確か「トヨタに乗ることが一番優勝に近いと思ったんだ」みたいな事を話していました。

 序盤からレースをリードするトラストトヨタだったんですが……
 まさかのギアボックストラブルで、この年も勝てませんでしたね……
若き日の
ミハエル・シューマッハ
カール・ヴェンドリンガー
クロイツポイントナー

のザウバーメルセデスC11かな?

マツダ787Bの
ハーバート
ガショー
バイドラー

のトリオ。ジョニーが脱水症状で表彰台立てなかったんだよなあ。

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