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中皮腫治療の情報交換コミュのはじめまして☆★

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私の母は2年前、悪性胸膜中皮腫と診断され、兵庫医科大学病院に入院し抗がん剤治療を始めました。

クボタの旧神崎工場によるアスベストにより50年経って発症しました。

抗がん剤治療はアレルギーの副作用のため途中で中止になりましたが、幸いにも病巣は動かず小康状態を保っています。このままの状態がいつまでも続いて欲しいと願っています。

母は10年間尼崎のクボタ工場の近くに住み父は15年、私は5年間住んでいました。


私自身、知らない間にそんなリスクを背負っていたことはショックだったのですが、まだ家族の中で2人発症したと言う事は聞いたことがないと母は言うのですが…本当なんでしょうか?

この病気について話しあえる人がいなくてこのコミュニティーに参加させてもらいました。
よろしくお願いします。

コメント(46)

> 琥珀@通背さん

中皮腫が治った人はいるのでしょうか?
私の母もセシリヤ姫さんのお母様と同じく、クボタの旧神崎工場のアスベストが原因でした。
神崎工場のかなり近くの中学校に通っていた様です。
私の母は最初、医師の知識不足で発見が遅れ、気づいた頃には手術もできないような末期の状態でした。幸い、抗がん剤がよく効いたので余命が少し延びたと思うのですが…
そして兵庫医大に転院を決めました。
私は母親に人参ジュースをよく作りました。
ガンにきくといわれているレシピをたくさん調べて、よく作った記憶があります。
新薬が早くでてくれることを祈っています。
> セシリヤ姫さん

清田と申します。
家人が5年ほど前にびまん性腹膜中皮腫と診断され、ずっと抗癌剤投与を続けております。
シスプラチンは効果が見られず、アリムタも認可前でしたので、ジムザールという薬ですが、徐々に投与間隔をあけることができております。
医師からは投与を止めて経過観察も勧められており、本人も日常生活に不安無い状況にまで回復しました。
完治かというと未だ自信がありませんが、この様なケースもありますこと、お知らせ致したく。
携帯からですので、取り急ぎ短文にて失礼致します。
> なつみさん

ありがとうございます。


つらい事思い出させてしまっているみたいで申し訳ないです。


私の母は右肺全体に胸水がたまり息苦しさにたえられなくなり近くのお医者さんに診てもらいました。レントゲン写真を見て母は肺ガンを覚悟したそうです。総合病院を紹介してもらい検査を受けた結果、結核と診断されて3ヶ月程入院投薬治療を受けました。でも新薬を投与しても胸水はなくならずもう一度検査して中皮腫の疑いということで兵庫医大に転院しました。


3ヶ月の間結核の強い薬を飲んでいたため副作用で体力が落ちていたのと国への手続きの関係ですぐ治療出来ず、 結局本格的に治療始まったのは発症してから半年後でした。

でも抗がん剤がよく効いて病気の進行を抑える事が出来て喜んでいたのですがやはり副作用で中止せざるを得なくなってしまって…


でも今は胸水は残っているのですが、抗がん剤やめて身体楽になったと言って母は喜んでいます。


中皮腫は進行が速く状態が良い期間が続き悪くなったらあっという間に亡くなると聞いているので、とても不安です。


次悪くなったら今までと同じように抗がん剤の投与は出来ないと言われています。
> 琥珀@通背さん

そうですよね…笑顔ですね…


入院中の母のお見舞いに行っているときは絶対母の前で泣かないでおこうと決めていたのに母が泣くと一緒に泣いてしまってそんな自分に落ち込んでました。


今はもう泣かなくなりましたがでも母が自分が亡くなった後、父の事を頼むねと言われる涙が出てきてつらいです。でも出来るだけ前向きに悲観的にならず頑張ろうと思います。

ありがとうございます。
> kenji00さん

清田様 ありがとうございます。
とても心強いお話で希望が持てます。


奥様もすごく頑張られたのですね。

奇跡は起こると信じて私も頑張ろうと思います。


奥様が完治されることを本当に願います。

ありがとうございました。
>セシリヤ姫さん

はじめまして。

自分は現在進行形のバリバリの39歳胸膜中皮種患者です。
4年前に発症して左肺全摘手術、その後放射線、アリムタもやりました。

心が折れたらすべて終わりです、絶対に負けちゃダメですよ!。  
とは言っても自分も最初はかなりへこみましたけどね(笑)。

夜、病棟で一人検査結果を聞き家族に電話。
結婚10年目でやっと生まれた1歳3ヶ月の息子の声を電話口で聞いた時のあの悲しさ、絶望感、涙が止まらなかったのを思い出します。

自分もネットで調べましたよ。
でも、どれもこれもいい事書いてないので、一切見るのやめました。

結局行き着く所は可能性が1%だろうと何%だろうと現実を受けとめ「生きたい!」と気持ちの一念で戦うしかないって事です。

悲観してたって病気は治らないですからね。

セシリヤ姫さんのつらい気持ちは痛いほどわかります、でも家族がつらいオーラを出したらお母さんもつらくなります。
ウチの家族は普通ですよ〜、「もうちょっといたわってくれ〜泣き顔」って言うくらい(笑)。

お母さんを一生懸命フォローしてあげて下さい。

読みづらい文章でごめんなさい、自分の気持ちが少しでも伝わってくれれば嬉しいです。

余談ですが、自分は来月からまた入院してまた抗がん剤治療を始めます。
頑張りますよ〜わーい(嬉しい顔)
> chachaiさん

ありがとうございます。 chachaiさん自身大変なのに励ましていただいて本当にありがとうございます。

病気に負けず頑張っておられるchachaiさんの言葉に勇気づけられました。私も頑張ります。 chachaiさんも頑張って下さい。
またお話聞かせて下さい。

今は病院なのでしょうか?
はじめまして、ネガティブな情報に耐えられなくなってある時期から、この種の情報を見なくなってしまいました。11/25の健康診断(人間ドック)をきっかけに、1月には抗癌剤投与、3/4左肺中皮全摘手術とあっという間に病人です。私もクボタ近くで暮らしていました。58歳の発病(?)いつのどれが問題なのか...
> のーさんさん

はじめまして。母は70歳で発症し2年たちました。手術は体力的に無理で、抗がん剤治療は副作用で中止しています。でも病巣は動かず、母は治ったみたいと言っています。私は奇跡が起こってくれると信じています。
日記読ませて頂いてますが、たくさんあるので時間かかりそうです。 またお話聞かせて下さい。
> セシリヤ姫さん お母様がそう思っておられるのなら、良かったですね。

コメントありがとうございます。クボタの近くに生まれてから35歳まで住んでいました。2009年5月初旬より後は、薬の副作用で思考力が無く、私らしくなかったようです。日記にも変なこと書いてるかもしれません。Mixi日記は気軽にメモ代わりに使えるので使ってきました。病状を個別にメールで連絡するのが大変だったから、知り合いにはこれを読んでねと。
ところが、Mixiは辞めたから等「別のブログ」で公開せよと言う人が出てきました。体調不良でもあり、体力の関係でどちらか一方しか記載してなかったり...。
ここんとこ思考力が戻りつつあり、Mixi主体になっています。

お母様は私より一回り以上年齢が上ですので、接点は無さそうですね...役に立つような日記は無いと思います。お知りになりたいことがあれば、いつでも気軽にどうぞ。お役にたてれば幸いです。
はじめまして。
57歳の父が数日前に悪性胸膜中皮腫と診断され、昨日から入院しています。
中皮腫なんて初めて聞いたのでネットで色々と調べてみると、
暗い情報ばかりで絶望し、ここ数日うまく睡眠が取れず一日中泣いて過ごしました。
言霊っていうのがあると思うのでここに色々と書き込むことに躊躇してしまうのですが、藁にもすがる思いなのでここで情報交換させていただきたいと思います。治療のことは分からないので先生にお任せしつつ私もこれから序々に勉強していくとして、今はとにかく前向きになれる力が欲しいです。
ここのコミュは中皮腫に対していくらか明るくなれるので、今後もよろしくお願いします!
ちなみに、父がお腹が痛いと言い始めたのが今年の5月くらいで、もともと腎臓の持病を持っていて病院に通っていたのでそこで相談すると帯状疱疹と診断されました。最近まで帯状疱疹の治療を行っていましたが一向に良くならないのでよくよく調べてみると、胸水が溜まっていたとのことでした。
アスベスト環境で仕事をしていたのは、今から30〜40年前の60ヶ月程だそうです。
出来ることなら当時の父の元へ行って「今すぐその仕事をやめて!」と言いたいです(;;)
私の父親も帯状疱疹から病気が判明しました。
診断された時のじぶんの行動も何にも覚えていません。



ここで皆さんの経験された事や実践されていること、治療中の方の話を伺って参考にしてください。

無理しないでください。辛いときは
ここで吐き出せばいいんです。みんなわかりあえます。


帯状疱疹って誤診の例もあるのですね。
うちの父の場合は帯状疱疹特有のポツポツの症状がなかったので「本当に帯状疱疹?」と疑っていたのですが、やっぱり違うってことが分かった時には、もう手術も出来ないところまで中皮腫が進行していました。
帯状疱疹を疑ったときにどうして中皮腫を発見できなかったのだろう?と悔やまれます。
とにかく前向きに治療するために、今日からニンジンづくしで頑張ってもらいます!今日はさっそく母が牛蒡とニンジンの皮ごとキンピラ持って病院に行きました!家族みんなで一緒に頑張って生きたいと思います。
はじめまして
私の父は今年9月肺に水が溜まり入院。悪性胸膜中皮腫と診断されました。

35年前現場仕事でアスベストを使用していましたが、しばらくし独立。現在その頃勤めていた会社は倒産していて労災認定は難しいようです…

先週から抗ガン治療のため入院していますが、医師からはステージ4まで増殖していてかなりの進行性なため手術は不可能、また生存率は1年後50%2年後20%と言われました。

治療は先生にお任せするしかありませんが、まだ効果等全くわからないので体験された方がいらっしゃったらお話お伺いしたいです。

はじめまして。
昨年11月に父が悪性胸膜中皮腫と診断されました。
今日、右肺全摘予定で手術を受けましたが、中皮腫は手強かった。
病巣が予想以上に進んでおり、予後を考えて、摘出中止の決断をしました。
悪い所を取ってしまえば元気になれる…そう思っていた父が受けるショックの大きさを考えると、ツライです。
はじめまして
私の母が二年前職場の健康診断で異常が見つかり検査入院などで悪性胸膜中皮腫と診断されそのあと左はいを切除後また再発してしまいがく〜(落胆した顔)ビタミンの注射とアリムタの抗がん剤治療をしてましたが腹水がたまってしまいいま再入院しました。腹水をとって検査があり来週の月曜日家族みんなが病院に呼ばれてます。今後の治療計画をドクターより言われる予定です。今はすごい気持ちがまいってて仕事が手につきません…
私は母にはまだこれからもずっと生きていてほしいです。すみません何か中皮腫の事でいい情報があれば教えて下さい。今はわらにすがる思いです。
> ピョンコ(*^^*)さん
はじめましてわーい(嬉しい顔)
お母さんの突然の病気告白、ビックリされたかと思います。
私は胸膜ではなく腹膜の方なのですが、胸膜にはアリムタが一番と聞いてます。
中皮腫はかなり根気よく治療を続けていかなければ治らない病気と言われてます。
私は中皮腫になって、今年で六年付き合ってます。それでもまだ抗がん剤治療は続いてます。
腹水は辛いですよね。
私も大量腹水でかなり苦しみました。幸いにも私の場合は最初の手術で腹水を取り、その後三回ぐらい、腹水を抜いただけで、その後は腹水は出なくなりました。
最初に肺の手術をされたんですね。その後の再発はどうですか?
この病気と付き合って行くには、焦らずじっくりと腫瘍をやっつけて行く事だと思ってます。何かと不安はかなりあると思いますが、諦めずに前向きに行きましょうね。
長文で失礼しました顔(願)


はじめまして。
貴重なスペースをお借りします。

造船・重機連絡会と大阪じん肺・アスベスト弁護団が「じん肺・アスベスト電話相談」を実施します。
造船関係だけでなく、アスベスト環境に少しでも思い当たる節があればご相談してみてはいかがですか。

当然 無料で秘密も厳守です。

「ちょっと最近おかしいかな?」って思われた方も「もしかして・・・」と不安な方も

全国、最寄りの相談窓口で親身に相談にのってくれます。
初めまして

私の父が悪性胸膜中皮腫で亡くなり来年で13回忌になります

当時は情報も少なく、また聞いた事のない病名で見つかった時には手術も出来ないと言われ余命を宣告されました

今なら色々な情報もあり相談する場所もあり、もう少し罹患するのが遅かったら良かったのにと思います

皆様の役には立てないかもしれませんが相談相手にはなれると思うので宜しくお願いします

はじめまして

主人が中皮腫と診断されて一年経過しました。 治療も終り今は血液検査 などの定期健診です。
ネットの書き込むのも勇気かなと思い参加させていただきたいと思います。
抗がん剤治療 左肺摘出手術 横隔膜も人工となりました。

初期段階と言われてオペ前説明レベル4

五年生存率 15パーセント
オペ後から 半年たちました。

わーい(嬉しい顔)今は療養生活しています。よく笑いましよ。 よく寝ますけどねわーい(嬉しい顔)

ああ★ちょっとシンミリしてきちゃいました。 顏あげなきゃねわーい(嬉しい顔)

 初めまして。
 30代、現在腹膜中皮腫を治療中の患者当人です。
 (“教授”というのは仲間うちの通り名で、特定の研究機関・教育機関の肩書きではありません)

 日記で治療に関することをかいたりしています。
 また、情報交換等出来ればいいなと思い参加させていただきました。

 どうぞよろしくお願い致します。
はじめまして。

先月末、私の母(60代)が腹膜中皮腫と診断され、来週より、入院し、抗がん剤治療を受ける予定です。

わからないことばかりで、本人・家族共々戸惑っておりますが、いろいろ情報を参考にさせていただきたいと思い、参加させていただきます。
よろしくお願いいたします。
はじめまして。

私の母が去年の7月に悪性中皮腫と診断されました。
その時はこのままだと余命4ヶ月と宣告されました。

そして去年の10月に悪性細胞を取り出するため、右肺の摘出手術を行いました。
手術は成功し、体力が戻り次第抗がん剤治療を進めていけば大丈夫だろうと言う話だったのですが体力がなかなか戻らず…
そうこうしてる間に再発が見つかりました。

そして体力もない為、手術も抗がん剤治療もできていない状況で今に至ります。

本人の意思で現在自宅療養中ですがとても厳しい状況です。
担当医からはいつ何が起こってもわからない段階まで来ているとの話がありました。

何もできない自分が不甲斐ないです。
でも奇跡が起きると信じてできることはやっていこうと思います!

なのでいろいろな情報交換ができたら嬉しいです。
宜しくお願いします。
(拡散希望)各位 
東京地裁・三菱自動車アスベスト労災被害死亡事件
厚生労働省記者クラブ 記者会見要旨(11月13日水曜1300〜1400) ご案内

*厚生労働省記者クラブには、事前連絡をすれば、記者クラブ以外の報道関係者も入室できます

〒107−0062 東京都港区南青山 
原告  河西保夫

〒108−8410 東京都港区芝5-33−8 
被告  三菱自動車工業株式会社 代表者代表取締役  益子 修
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
冠省 アスベストによる労務環境で2010年11月11日に死亡した三菱自動車元社員(父)の遺族(長男)です。以下、記者会見要旨です。

●2011年、政府労災認定もでて、前身の三菱重工(1964年入社)では、自動車業界では初の企業責任を認めた在籍期間中の企業補償もされたのですが、肝心の三菱自動車(1970年に重工より独立)側は、かたくなに企業責任を回避するばかりか、非公式の解決金による隠ぺい(公表を規制)を提案してきました。

自動車業界では、すでにアスベスト労災認定死亡者だけで100名を突破しましたが、ホンダ裁判のように企業責任をめぐる裁定が、二転三転して、先行する造船、建設業のようにアスベスト被害産業としての認知、解明、報道はされていません。よって548万人の自動車業界就業者、幹線道路住民、自動車ドライバー(04年までブレーキなどに使用)のアスベスト曝露リスク意識は、いまだにありません。

亡父の事例は、すでに三菱重工が在籍期間中の企業補償を実施したという点で、国内自動車メーカー初のアスベスト企業補償のケースといえるはずですが、全国新聞各紙は取材をするものの、マスコミ報道は一部を除いてありません。

●そこで、東京簡易裁判所で本年7月19日にアスベスト労災被害死亡の補償請求調停申立事件をおこし、10月24日まで民事調停を行いましたが、不成立となり、11月7日に東京地裁に民事事件として告訴し、受理されたので記者会見にてご報告をいたします。

・申 立 て の 趣 旨

1 被告は、元従業員でアスベスト労災被害死亡した故河西斎(かわにしひとし)の相続人代表たる原告に対して、補償金・慰謝料として、金**万円を支払え。

2 被告は、原告の父である故河西斎、他がアスベスト労災被害死亡した事実を内外に公表し、三菱自動車工業関係者に、アスベスト発病リスクがあることと、潜在被害者への発病予防告知に努めよ。

3 被告は、原告がアスベスト労災被害死亡の件や調停等の公表をブログなどですることで、企業活動に影響が出たとしても、損害賠償等の請求をするな。


●告訴のポイントは、事実上の解決金提示による企業責任を認めながら、10年前のリコール隠ぺい事件と同じような過ちを繰り返す三菱自動車への警告、
「自動車業界で隠蔽されている100名以上のアスベスト労災死亡事件の公表とドライバー、幹線道路住民への健康被害警告、予防告知」要請です。

2年にわたる和解協議の過程ででてきた三菱側からの、遺族側の日記ブログ、mixiやfacebook等SNSなどの書き込みの消去や公表の差し止め、報道責任による損害賠償請求予告などの和解条件は、調停で譲歩されましたが、労災死亡事件の責任、公表は「話し合いの余地はない」という拒絶的なものでした。

アスベストによる自動車業界死亡事件は、三菱自動車関連で11名の労災死亡、マツダ31名、日産、ホンダ、ダイハツ、トヨタ、部品メーカー、整備工場などで、労災認定だけで100名規模の死亡事例。埼玉地裁に告訴された曙ブレーキの調査からは、「退職者、家族、周辺住民の8人に1人が健康被害が出ている」という調査データがでており、業界に本格的な調査がはいれば、クボタショック以上の大規模なリスクがあるのではと言われています。

「胸水は中皮腫(アスベスト)を疑え!」(専門医の警告)という最新臨床では、早期発見が延命治療につながるのですが、国家補償制度の認知もふくめ国民の大半がアスベストリスクに無知のままです。
04年のクボタショック以降も増大し続け、すでに年間3000名規模の死亡被害となった戦後最大のアスベスト公害の現状を再報道し、自動車業界の潜在被害者の救済、発病防止告知にご協力ください。


・記者会見参加者  
河西保夫(原告、東京、出版社代表)
向笠眞弘(支援者、連合加盟フリーランサー系、インディユニオン書記長)2名予定

・会見時の資料、撮影イメージなど
被害者の河西斎の写真パネル、「自動車業界とアスベスト危機」の要旨のフリップ
配布資料「記者会見要旨」「東京地裁訴状要旨」
「選択」2013年11月1日号「自動車業界を脅かすアスベスト問題」記事など
以上

●連絡先:河西 ファックス03−3498−5340   kawany69@gmail.com
04年以前の国産車はアスベストをブレーキに使用。
ドライバーや幹線道路住民には健康被害リスクが
あります。12年度だけで業界50名が労災死亡。
国民年間1万人死亡で増加中ですが、業界は因果
関係を否定しています。
●東京地裁・三菱自動車アスベスト死亡隠蔽事件
厚生労働省記者クラブ会見Ustream IWJ チャンネル4
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/111326
はじめまして。先日義父が中皮腫と診断されました。肺水が大量で酸素吸入をしています。
手術は心疾患もあるため出来ないとの事で今日から抗がん剤治療を始めました。
まだまだわからないことだらけです😢皆さんよろしくお願いしますm(__)m
初めまして、ヤスと申します。
2013年9月父が左肺に胸水貯留を認め入院、胸腔穿刺をした所、血性胸水が出たので詳しく検査した所、中皮腫である事が判明。
あらゆる検査結果等から医師の判断はステージ1〜2の二層型、手術適応有りとの事で手術を行い予防的抗がん剤を4クール行い退院。
しかし退院から一ヶ月右胸の痛みを訴え病院へ結果微量の胸水があり再度検査入院、結果右胸膜及び腹膜への転移もしくは浸潤が発覚それから4ヶ月余りでこの世を去りました。
私の父は最悪な結果になってしまいましたが何か少しでも情報を発信できたらと想い参加させていただきました。
今活動があるのかはわかりませんが皆様是非よろしくお願いいたします。

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