ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

聖書のおはなし小部屋コミュの隔ての壁を越えて?

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
※希望の光(患難から栄光へ)P1394〜1398に基づく。
※使徒行伝8章に基づく。


**使徒8:25〜
<25使徒たちは力強くあかしをなし、また主の言を語った後、サマリヤ人の多くの村々に福音を宣べ伝えて、エルサレムに帰った。
26しかし、主の使がピリポにむかって言った、「立って南方に行き、エルサレムからガザへ下る道に出なさい」(このガザは、今は荒れはてている)。
27そこで、彼は立って出かけた。すると、ちょうど、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財宝全部を管理していた宦官であるエチオピヤ人が、礼拝のためエルサレムに上り、
28その帰途についていたところであった。彼は自分の馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
29御霊がピリポに「進み寄って、あの馬車に並んで行きなさい」と言った。
30そこでピリポが駆けて行くと、預言者イザヤの書を読んでいるその人の声が聞えたので、「あなたは、読んでいることが、おわかりですか」と尋ねた。
31彼は「だれかが、手びきをしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と答えた。そして、馬車に乗って一緒にすわるようにと、ピリポにすすめた。
32彼が読んでいた聖書の箇所は、これであった、/「彼は、ほふり場に引かれて行く羊のように、/また、黙々として、/毛を刈る者の前に立つ小羊のように、/口を開かない。
33彼は、いやしめられて、/そのさばきも行われなかった。だれが、彼の子孫のことを語ることができようか、/彼の命が地上から取り去られているからには」。
34宦官はピリポにむかって言った、「お尋ねしますが、ここで預言者はだれのことを言っているのですか。自分のことですか、それとも、だれかほかの人のことですか」。
35そこでピリポは口を開き、この聖句から説き起して、イエスのことを宣べ伝えた。
36道を進んで行くうちに、水のある所にきたので、宦官が言った、「ここに水があります。わたしがバプテスマを受けるのに、なんのさしつかえがありますか」。
37〔これに対して、ピリポは、「あなたがまごころから信じるなら、受けてさしつかえはありません」と言った。すると、彼は「わたしは、イエス・キリストを神の子と信じます」と答えた。〕
38ふたりが水から上がると、主の霊がピリポをさらって行ったので、宦官はもう彼を見ることができなかった。宦官はよろこびながら旅をつづけた。
39その後、ピリポはアゾトに姿をあらわして、町々をめぐり歩き、いたるところで福音を宣べ伝えて、ついにカイザリヤに着いた。 >


このお話はとても有名なお話なので、皆さんよくご存知と思います。

『このこのエチオピア人は、名声の高い、有力な人であった。
神は、彼が改心したら、自分の受けた光を人に分かち、福音のために大きな感化を及ぼすことをご存知であった。
神の天使たちが、光を求めるこの求道者に付き添っていたので、彼は救い主へ引き寄せられていった。聖霊のはたらきにより、神はこのエチオピア人を光へ導くことのできる人と接するよう導かれた。』

ピリポは、聖霊によって、ピリポはこの宦官と接することができ、
エチオピア人は彼のイザヤ書の説明によって、理解が与えられました。

『聖書の説明が進むにつれて、宦官の心にますます興味が沸いてきて、ピリポが話し終わった時には、宦官は与えられた真理を受け入れる気持ちになっていた。
彼は自分の社会的な高い地位を理由に、福音を拒むようなことはしなかった。』

それから、ピリポは彼にバプテスマを授けました。

このエチオピア人は、何をあらわしているでしょうか。

『このエチオピヤ人は、ピリポのような伝道者たち、すなわち神のみ声を聞いて、神からつかわされるところに行く人たちから、教えを受ける必要のある部類の人々を代表している。
聖書を読んでも、その真の意味をわからないでいる者が多い。
世界中の男女が何かを求めて天を仰いでいる。光と恵みと聖霊を求める魂から、祈りと涙とねぎごとが天にのぼっていく。
多くの者は、み国の入り口にたって、刈り集められるのを待つばかりになっているのである。
 光を求め、福音を受け入れる準備のできた人のところに、一人の天使がピリポを導いた。今日も天使たちは、聖霊に舌を清めていただき、心を純化し高めていただく働き人の歩みを導くのである。
ピリポに送られた天使は、自分自身でエチオピヤ人に働きかえることもできたが、それは神の働かれる方法ではない。
神は人が同胞のために働くように計画しておられる。』

すべてのクリスチャンには、ピリポと同様の任務が与えられています。

『まじめな決心をしてこのわざに携わる者は、救い主に魂が導かれるのみることができる。神の任命を実践するときに伴う感化力は、人を信服させずにはおかないのである。
 出て行ってこの任務を果たす責任は、按手礼を受けた牧師にだけ負わされているのではない。キリストを受け入れた者はみな、同胞を救う仕事に召されているのである。』

クリスチャンがこの責任を忘れると、怠惰になり、教会全体に影響します。
また牧師がこのことを信者たちに伝えないなら、一人ひとりは大切な務めがあることを忘れ、他人の魂の尊さを忘れてしまいます。

イエスはぶどう園の働き人についてのたとえを話されました(マタイ20:6〜7)。そして招いておられるのです。

**マタイ20:6〜7
<五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか』。彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。 >

『奉仕の精神が教会全体にゆきわたって、教会員が残らず各々の才能に応じて主のために働くのを、神は長い間待っておられる。福音事業の任命を完成するために、神の教会の会員が、光の必要な自国や外国の伝道地で、それぞれ定められた働きをするならば、まもなく全世界に警告がゆきわたり、主イエスは力と大いなる栄光を持ってこの世にもどってこられるのである。
「この御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界にのべつたえられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。」(マタイ24:14)』


では、これでおしまいです。


(隔ての壁・完)

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

聖書のおはなし小部屋 更新情報

聖書のおはなし小部屋のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。