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示現流コミュの示現流エピソード

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ここでは、ちょっとした示現流のエピソードを語っていきたいです。
僕が人から聞いたり本で読んだりしたものです。
実際の体験なんて、現代じゃなかなかないですからね。

色々、面白い話を知っている方は書き込んでくださいね。

コメント(10)

まずは構えに関するものなのですが、示現流で有名な構えはとんぼの構えです。
最速を追及するうちに、この構えになったらしいです。振り下ろすのは最速らしいですよ。

幕末頃のエピソード。

ある示現流剣士が他流派の人と対峙した時に、相手の構えが完璧で打ち込む隙がなかったようです。
そして「どうしよう?」と思っているうちに相手が寄ってくる。
しょうがないので、チェーーイッと打ち込んでみた。
すると完璧だった相手の構えが崩れたわけです。
そこですかさずもう一度打ち込んで勝ったらしいです。

まさに攻撃は最大の防御といったところでしょうか・・・。
一の太刀を連発して勝つ。そんなエピソードです。
個人的に示現流が大好きです♪憧れますねぇ! いろいろと教えて欲しいです。
>フナオさん

長らくレスポンスできなくてごめんなさい。
ええ、私でよろしければこれから折に触れお話させていただきたいと思います。
一意専心。一刀両断っていう言葉が好きですね!チェストー!気合いをかけながら、斬っていく!素晴らしいです。
何かの著書で読んだ示現流開祖・東郷重位のエピソード…

囲碁(将棋?)を興じていた重位に弟子二人があることを自慢げに報告します。
それは町内を騒がせている野犬の群れを退治したときに、刀の刃が一度も地面に当たらなかったというのです。それほど自在に太刀を操ることを、師匠に褒めてもらいたかったのでしょう。

それを聞いた重位は黙って刀を抜き、碁盤を一刀両断にします。しかもその刃は畳を貫き、床板まで達していたそうです。

斬るとはこういうことだ
斬るなら大地まで斬れ

示現流の真髄を感じるエピソードでした。
質問にお答えします。
薩摩藩の剣法が示現流になったのは1604年頃からと言われています。
それまで、島津家(薩摩藩)は丸目蔵人のタイ捨流を剣法としていたそうです。
薩摩武士が示現流を修練したのは、関ヶ原の戦い以降だったのでは
ないでしょうか。
あすさま→
『はじめまして』のトピに、示現流の歴史のこと、いろいろ書いてありますよ〜。
…ワタクシもちょっとだけ書きました(^-^;)

タイ捨流は新陰流の始祖・上泉伊勢守の弟子である丸目蔵人が興した流派。
剣術と空手をミックスしたような、超・実戦向きの流派といえます。
…なので薩摩だけの剣術ではないんですが、なぜか九州一円でしか広まらなかったそうです。これもいろいろと説があるそうです。

斬ったり、蹴ったり、殴ったり…
なんでもありの流派ですね〜!
関ヶ原の合戦で西軍について戦ったのは島津義久ではなく、弟の島津義弘ですよ
私の一番好きな戦国武将です

関ヶ原敵中突破の際、義弘は東軍総大将 徳川家康の本陣をかすめて薩摩へと帰還しました。
追撃してきた徳川勢を食い止めるため、義弘の兵たちは身を挺して義弘を守りました。"捨てがまり"と呼ばれる戦法で、義弘の甥、豊久も義弘を守るために戦死します。
島津勢の必死の抵抗により、追撃してきた井伊直政は銃弾を受け、家康の三男である松平忠吉も重傷を負います。また戦国最強と名高い本多忠勝も馬を失います。
この必死の抵抗により、家康は島津を恐れ、西軍について戦ったにも関わらず領内安堵という処置で済みました。
島津義弘は民や家臣に愛され、島津の教えが民や兵の結束を強め、力となっていました。薩摩隼人の強さはここからも来ているのではないでしょうか?

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