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三浦綾子コミュの三浦綾子の言葉 3

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三浦綾子の言葉( https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=16537&id=78658050 )の投稿が1000に達したためコメントのアップが出来なくなりました。

三浦綾子の言葉 2 を開設しました。 ( https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=16537&id=89267457 )
それも投稿が1000に達したためコメントのアップが出来なくなりました。

三浦綾子の言葉 3 を開設しました。
宜しくお願い申し上げます。


まず自分を誤魔化して生きて行くような生き方をするくらいなら、死んだほうがよいと思います。正直に率直に生きていきたい。

(三浦綾子『生命に刻まれし愛のかたみ』)




facebook三浦綾子読書会のページから転載させていただきます。
https://www.facebook.com/pages/%E4%B8%89%E6%B5%A6%E7%B6%BE%E5%AD%90%E8%AA%AD%E6%9B%B8%E4%BC%9A/296384877097509?fref=photo

コメント(471)

「これが時代というものだよ」
誰かがそう言いました。それでは時代とはいったい何なのか。今まで正しいとされて来たことが間違ったことになるのが時代だと言うのか。何時の時代でも悪いことを「時代」や「社会」のせいにしてしまってことたれりとする風潮があるが、本当にそれでいいのか。

(三浦綾子『さまざまな愛のかたち』)
十三年という長い月日を病むことは、たしかにひとつの不幸であろう。しかし、それさえもわたしの成長に役立っていることを思うと、学問や、趣味のみならず、わたしたちの日常のできごとのすべてが、神の与え給う豊かな糧のような気がする。むろん、それは、成長しようと、ねがう者にとってである。

(三浦綾子『あさっての風』)
「自分の非を素直に認めたり、まぬけさを客観的に笑えたら、これは立派だよ。
人間、立派ということは、こういうことじゃないかな。
ここには劣等感も傲慢もない。
あるがままの自分を見つめる澄んだ心だけがある。
寛(ひろ)い心と言ってもいいね」  

〈三浦綾子「死の彼方までも」〉
 どんなに忙しくても、
 1日に10分の時間を誰かのために割くことはできないか。
 電話でもいい、
 葉書でもいい、
 その人のために祈るだけでもいい。
 要は小さな一歩から始め得るのではなかろうか

(三浦綾子『小さな一歩から』)
「中学に行って勉強し、大学に行って勉強するわなぁ、そやけどなあ、それは知識が広くなるだけのことや。愚かさはますます増えるんじょ。」

(三浦綾子『ちいろば先生物語』)
「月や花は、人が美しいと言おうが言うまいが美しい。同じく、みにくいものも、ほめられようがけなされようが、みにくいのだ」

(三浦綾子『愛すること信ずること』)
「何になるか」はパンの問題である。
「どう生きたいか、どんな人間になりたいか」は魂の問題である。
それは人間の尊厳の問題であり、真の意味の自由の問題である。
むろん、パンの問題も大事だが、人間はそれだけで生きるものではない。

(三浦綾子「孤独のとなり」)
「人間とは何か」を知ることが、相手を知り、自分を知ることになる。

(三浦綾子「孤独のとなり」)
「約束を破るのは、犬猫にも劣るものだよ。犬や猫は約束などしないから、破りようもない。人間よりかしこいようなものだ」
(だけど、大した約束でもないのに)
信夫は不満そうに口をとがらせた。
「信夫。守らなくてもいい約束なら、はじめからしないことだな」

(三浦綾子『塩狩峠』)
「理解してほしい、慰めてほしい」という、人から受ける姿勢から「理解してあげたい。慰めてあげたい」という、与える姿勢に変わる時、悩みのほとんどは解決していることを、わたしはその時から今まで、何十回となく経験させられてきたのである。

(三浦綾子『あさっての風』)
「私たちが、人の言葉をきちんと受け止められないのは、人の心を大事にしないところにあるのではないか。人の言葉に謙虚に耳を傾けようとする姿勢があれば、私たち人間は、様々な面において、もっと向上する筈である。

(三浦綾子『遺された言葉』)
「わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさってください」という、謙遜な祈りを、私たちもまたキリストにならって祈るべきではないだろうか。

こうした思いを持って、私たちが日々を生きる時、自分の思いのままに生きる時とは、全く違った自己のあり方が生まれ、事業のあり方が生まれ、家庭のあり方が生まれるのではないだろうか。

(三浦綾子「泉への招待」」)
 『言葉というものは、その人間の歩んだ道で学んだものの集積が、ひとつに要約されて現されることが多い。
 だからその言葉は、たくさんの人の影響を受けているともいえる。
 それはともかく、数多くの言葉を胸のうちに蓄えるということは、生きていく上に重要なことである。』
                                  
(三浦綾子『あなたへの囁き』)


写真は Painted Desert です。
『(みんな生きていたかったのだ)
 啓造は、自分が死んだ人々の命を引きついで生きているように思えた。あるいは自分の頭を刺し通したはずの釘が、ほんのわずかのことで、誰かの頭をつき刺しなかったとはいえなかった。
 そう思うと、今生きて帰ることが、たんなる幸運とはいえないような気がした。

 もっと厳しい、もっと重たい命をそそぎ込まれた思いであった。
汽車の中まで照り映えるような、紅葉と美しい水の大沼もすぎた。新しい命を得てながめる風景は、くるしいほどに美しかった。

 (あの宣教師は助かったろうか?)
 あの胃けいれんの女に、自分自身の救命具をやった宣教師のことを、啓造はベッドの上でも幾度も思いだしたことだった。
 啓造には決してできないことをやったあの宣教師は生きていてほしかった。あの宣教師の生命を受けついで生きることは、啓造には不可能に思われた。

 あの宣教師がみつめて生きてきたものと、自分がみつめて生きてきたものとは、まったくちがっているにちがいなかった。』

(三浦綾子『氷点(上)』)
失敗は人間になくちゃあならねえもの
かもしれねえと、思っている。
一度も失恋もしたこともなければ、
金のやり繰りに苦労したこともない
人間なんてえのは、どんなものかねえ。
人の涙も、悲しみも、思いやることが
できねえんじゃねえか。

(三浦綾子『愛の鬼才』)
 今日のテーマは「あなたは戦争をどう考えるか」ということですが、わたしは戦争とは、人権無視、人格無視、国民の意見を踏みにじる、恐るべき国家権力の一つの姿だと思いますね。

 国家権力が、武力を持っているからこそ戦争は起きるわけですよ。敵を武力によって攻撃する前に、まず自国民を武力によって黙らせる!これが戦争のさきがけであります。

 国民の口を封じておいて無理矢理戦争に突入する。このことをあなたがたは今、ここにしっかりと銘記していただきたい。
 「戦争は起きるものではない。起こすものだ」と言った人があります。まことにそうであります。』


(三浦綾子『青い棘』)

写真はJapan's declaration of war from 8 December 1941
(日本の宣戦布告文 英訳)
>>[448]
「原爆は落ちたんじゃない、落とされたんよ」
『愛はもったいないということは言わない、愛する者は。

 その人のために使う時間、相手のために使う時間、
こんなやつとこんなところでしゃべってるよりどこかへ行ったほうがいいとか、
自分のしたい時間に何かするとかじゃなくて、
その人のために費やす時間をもったいないと感じない。

(『三浦綾子対話集3』より)
 『現代の私たちは、思った以上に、「しかし仕方がなかった」と言い過ぎる。私たちは、いかなる苦境に遭遇しても、簡単に「仕方がない」と諦めてはならないのではないか。

 とことん粘り強く問題に取組む精神を養っていたいものである。』

(『明日をうたう』)
『挿木(さしき)をした時に、水を与えすぎると、けっして根を張らないということである。枝は青々と芽吹いても、決して自らしっかりと根を土におろさないのだそうである。ところが水分を控えめに与えると、かえって自然に備わった生命力が水を求めて、しっかりと根を張ってくるという。

 人間の成長も同じであろう。何の悩みも問題もないほどに与えられ、保護されてはならない。悩みのゆえに人は自分を反省し、謙遜(けんそん)を学び、他の人に対する思いやりもうまれるのではないだろうか。』

(『あさっての風』)
『土の上にまいた水がただちに乾いてしまったとしても、その水が土地を潤したことだけはまちがいなく事実である。

 毎日毎日読む本が、何の役に立たないようでも、知らぬ間に地下水のように心の底を潤すようになるのである。』    

(三浦綾子『わが青春に出会った本』)
           
『人間が持つべき真実の生き甲斐とは、いかなる人間にも通用するものでなければならないと思っています。

 その人が生き甲斐と思っているものを取り去った時、果たして何が残るか。只むなしさだけが残るとしたら、わたしはその人の生きがいと思っていたものを、本当の意味で生き甲斐だと言い得ないように思うのです。

本当の生き甲斐とは、誰もが奪うことのできないものだと、わたしは思うのです。』
 
(三浦綾子『小さな郵便車』より)
相手を憎むということは、結局は両刃の剣でね。自分を絶えず傷つけ苦しめるだけだ。

(三浦綾子『残像』)
愛というのは、相手を疲れさせることじゃないのよ。窒息させることじゃないのよ。愛するということは、生き生きした命を与えることなのよ。

(三浦綾子『石の森』)
愛とは、なすべきことをなす意志なのです。
情に流されるのが愛だとまちがわないでほしいのです。

(三浦綾子『小さな郵便車』)
愛について語ったからといって、愛し得るわけではない。

(三浦綾子「帰りこぬ風」)
愛は正に不可能を可能にするものだ。

(三浦綾子「ナナカマドの街から」)
あなたの気持ちはわかります、と言えば、わかるものか、とあなたは怒鳴る、
わからないと言えば、どうしてわからないのか、と怒鳴る。

どちらも甘えです。静かに話し合うという忍耐心が私たちには必要なのです。

(三浦綾子『ナナカマドの街から』)
いかなる人も、むなしさを感じる時がある。が、その時こそ、静かに立ちどまって考えるべきなのだ。ある人はいった。「むなしいというのは、自分の生き方がまちがっていると鋭く直感している証拠である」本当だと思う。

(三浦綾子『ひかりと愛といのち』)
生きようとする時、必ず道はひらけるのだ。

(三浦綾子『孤独のとなり』)
今の君にぼくが贈るのは、
「われわれ人間はすべて、弱さと過ちからつくられている。われわれの愚かさを許し合おう。これが自然の第一歩の掟(おきて)である」
という言葉です。この言葉を、真剣に考えてください。 
 
〈三浦綾子「帰りこぬ風」〉
美しいものには、美しい実りがある。

( 三浦綾子「続・氷点(上) )
お互いはお互いの鏡です。こちらが冷たい顔をすれば、相手も敏感に感じて冷たくなります。心の底からにっこり笑えば、相手もそのあたたかさに感じて、微笑を返します。よほどのへそ曲がりでない限り、人間というものは、そのように反応し合うものだと、私は思います。

(三浦綾子『小さな郵便車』)
己が憲法ということは、神を神とせず、自分を神とすることだ。神を神としない罪、それ以上の罪はない。

(三浦綾子「聖書に見る人間の罪」)
主よ なぜですか
なぜ赤いナナカマドも
緑濃い針葉樹も
空に向かって
立っているのですか
人間もまた
空に向かって
立っているべきなのですね

でもなぜか
うつ向いて
天を見上げようとはしないのです

どうか
天にいます
父なる神を
仰ぐ者と ならせてください

(三浦綾子 『祈りの風景』)
終わったと思う時点から、始まるということが人生にはある。

(三浦綾子「自我の構図」)
書かれた字や言葉さえ誤るわたしたちである。日常生活の中で、他の人の表情、そぶりを、自分の先入観念や偏見によって、意外な誤解をして暮らしているかも知れない。とにかく、人間が誤りやすいものであることを自覚することは人生にとって非常に大切であると思う。

(三浦綾子『あさっての風』)
こんにちは!
ロンです。
いつも有難うございます。

ほぼ毎日、三浦綾子さんの作品から選んだ言葉をアップしてきましたが、著作権管理者との話し合いが必要になりましたので、当面アップは見合わせることとします。
多分近日中にこのトピを削除することになると思います。

今まで有難う御座いました。
>>[470]
話し合いが円満に収まるといいですね。
今までありがとうございます。🤗

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