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超流派・ヨーガコミュのガウリー・マーの生涯

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ガウリー・マーの生涯(1)

聖者の生涯「ガウリー・マー」







 一般的に、この世界には人間の三つのタイプが見出せます。
 第一のタイプは、主に世俗的な楽しみに関心を持ち、第二のタイプは、この世を楽しみつつ同時に神にも心を留め続けます。そして第三のタイプは、神の探求に完全に専念します。
 主は、様々な方法で彼らと遊ぶことができるように、様々な気質や傾向をもつ人間をお創りになられました。
 ガウリー・マー、またはマザー・ガウリーは、上記の第三のグループに属しています。彼女は完全に神に身を捧げました。

 ある日、ある聖者が道中に、南カルカッタにあるカーリーガートへ母なる神を訪ねたとき、彼は、彼に敬意を払いたいと思った年配の女性によって呼び止められました。
 当時9歳だったガウリー・マーは、すぐ近くで何人かの女の子と遊んでいましたが、その聖者を見たとき、たまらない魅力を感じ、彼のもとに駆けつけておじぎをしたのでした。

 聖者は尋ねました。

「あなたの友達は遊んでいるのに、あなたは私のもとに来た。どうしてだい?」

 ガウリー・マーは答えました。

「ああ、みんなはああいうふうに遊ぶのが大好きなんです。でも、私は好きではありません。私はハートを惹きつけられる魅力を感じたから、あなたのもとに来たんです。」

 聖者は少女の頭に手を触れて祝福し、言いました。

「あなたがクリシュナへの無私の愛に到達しますように。」



 後にガウリー・マーは、この聖者がカルカッタから10マイル北にあるベルガリアのニムタにアシュラムを持っていたことを、偶然、彼女たちの近くにいた年配の女性から聞きました。
 ガウリー・マーは、両親に何も言わず家を出て、人々に道を尋ねながら、そのアシュラムに向かいました。
 彼女が到着したとき、聖者は自分の小屋の中で瞑想していたので、彼女は待っていました。
 しばらく経ってから、聖者は心から彼女を歓迎し、彼女が近くの家に滞在するための手配をしました。

 その翌日はラーサプールニマ――クリシュナがゴーピーたちと遊んだ秋の夜の満月でした。
 聖者はガウリー・マーにガンガーで沐浴するように指示し、彼女が沐浴から戻ってきたとき、彼は彼女をイニシエートしました。

 一方、彼女の実家では、彼女の留守が発覚し、ひどい騒ぎになっていました。彼女の兄は、彼女がニムタに行ったと年配の近隣の女性から聞いて、彼女を連れ戻しに行きました。

 彼が到着したとき、聖者は言いました。

「どうか彼女を叱らないでください。彼女はほんの幼い少女です。黄色い鳥を鳥籠で飼うのは難しいことなのですよ。」

 その後、彼女はグルの許可を得て、家に帰りました。

コメント(3)

ガウリー・マーの生涯(2)


 家族によって与えられたガウリー・マーの本名はムリダーニーでしたが、彼女はまたルドラーニーとも呼ばれました。彼女の出家名はガウリー・プリで、シュリー・ラーマクリシュナとホーリーマザーはよく彼女のことをガウル・ダーシー(ガウラーンガのしもべ)と呼ばれました。
 また、彼女の肌の色がシヴァの配偶者である母なる女神ガウリーのそれのように黄金色だったので、彼女はガウリー・マーとして知られるようになりました。

 ガウリー・マーは7人の子供の4番目として1857年に生まれました。彼女には、2人の兄弟と4人の姉妹がいました。彼女の父親パールヴァティ・チャラン・チャットパーディヤイと母親ギリバラ・デーヴィーは、ともに熱心に神に献身していました。
 パールヴァティ・チャランは正統派のブラーフミンで、彼は、ときどきヨーロッパ人の上司に嘲笑されているにもかかわらず、額に宗教的な印をつけて会社に行っていました。
 ギリバラはとても心優しく、また非常に有能でした。彼女はたくさんの宗教歌や賛美歌を作曲し、それらはナーマサーラとヴァイラーギヤ・サンギーターマラで出版されました。彼女は、自分の父親の富や財産を相続していたので、家族全員がカルカッタの邸宅でほとんどの時間を過ごしていました。

 かつて、ある占星術師がガウリー・マーについてこう預言しました。

「この少女はヨーギニーになるだろう。」


 幼少の頃から、彼女は家族の聖堂を飾ることが好きで、彼女独自の方法で主を礼拝していました。
 彼女はしばしば貧しい人たちや無力な人たちに施しを与えていました。また、彼女は厳格な菜食主義者であり、おいしい食べ物やおしゃれな服を欲しがったことは一度もありませんでした。

 ある日、彼女は兄とボートである場所に出かけました。その途中で、彼女は思いました。

「どうして女性は宝石を身に付けるの? もしわたしがどんな装飾品も持ってないとしたら、わたしは不幸でなければならないのかしら?」

 彼女は手首に家族が与えてくれた金の腕輪をつけていました。ふと思いついて、彼女はそれをはずし、噛んでみました。金にまったく味がないと分かったとき、彼女はそれをガンガーに投げ捨てました。
 その後、もちろん彼女は両親に叱られました。
ガウリー・マーの生涯(3)


 彼女は叔父のチャンディに、インドの聖地についての話、特にヒマーラヤ地方の人たちのことを聞くのが大好きでした。これは彼女の想像力を掻き立て、彼女自身、それらの場所へ旅行することを切望していました。

 子供であるにもかかわらず、ガウリー・マーは、恐れ知らずで妥協しませんでした。また、どんな外的な苦難も、彼女が正しいと思った決心から少しも彼女を逸脱させることはできませんでした。
 彼女は最初に、彼女の学術的な才能が認められ、金メダルを与えられた南カルカッタのキリスト教の伝道者の学校に送られました。
 しかし、彼女は学校を去りました。なぜなら、彼女は宣教師たちの偏狭な宗教観を容認することができなかったからでした。他の少女たちもガウリー・マーの前例に続き、彼女たち全員がヒンドゥー教の学校に入学しました。

 ガウリー・マーは鋭い知性と優れた記憶力を持っていました。10代のはじめの頃、彼女はサンスクリットの文法を学び、多くの神と女神への賛歌を記憶し、同様に、ギーター、チャンディ、ラーマーヤナ、マハーバーラタの一部を暗記していました。

 ガウリー・マーがイニシエーションを受けてからしばらく後、ヴリンダーヴァン出身の出家尼僧が彼女の家の客として訪れました。
 この尼僧は、彼女が毎日礼拝していたダーモーダル・シーラというヴィシュヌの石像を持っていました。

 旅立つとき、尼僧は彼女の最愛のヴィシュヌをガウリー・マーに与えて、こう言いました。

「この神の像は私のすべてのすべてで、生きているのよ。でも彼はあなたと恋に落ちたので、彼をあなたにさし上げるわ。
 わが子よ、彼を礼拝しなさい。それはあなたのためになるでしょう。」

 ガウリー・マーはこの貴重な贈り物を受け取り、自分の夫としてこの主の像を見なしました。これ以後、彼女の人生の残りの間ずっと、彼女はどこへ行くときも主を持ち運び、主に奉仕しました。


 俗世間に対する彼女の無執着に気づいた彼女の親戚は、彼女が10歳になったときに、結婚の手配を試みました。
 しかしガウリー・マーは、はっきりとその考えを拒絶して言いました。

「私は、絶対に死なない人と結婚します。」

 彼女は彼女の最愛の夫、主ヴィシュヌで心満たされていたのでした。

 しかしながら、彼女が13歳になったとき、彼女の意志に反して花婿が選ばれ、結婚の日取りが決められてしまいました。ガウリー・マーは極めて大きなショックを受けました。
 ある日、彼女はとても憤慨して、結婚式のためにまとめられたものを捨て始めました。その後、彼女はヴィシュヌの像とチャイタニヤの写真を持って部屋に入り、部屋の中から鍵をかけました。親戚の多くが彼女を慰め、結婚することを説得しようとしましたが、彼女は譲りませんでした。

 その夜、彼女の母親は、彼女にドアを開けて中に入れてくれるように彼女に頼みました。ガウリー・マーは母親の言うことに従いました。
 娘の苦痛や苦悩を見て、ギリバラは言いました。

「わが子よ、あなたは俗世間への本当の無執着を持っているから、私はあなたが結婚することを強制すべきではないわね。
 私は今をもって、あなたを神に捧げるわ。主があなたをすべての危険からお護りくださいますように。」


 ギリバラは、夫と他の親戚たちが彼女を叩きさえするかもしれないほど彼女を怒っていたのを知っていたので、ひそかに裏口を通り、隣の家にガウリー・マーを送り出しました。そして親戚たちの怒りが落ち着くまで、ガウリー・マーをそこに隠しました。このようにして、神は結婚の束縛から彼の信者をお救いになったのでした。
ガウリー・マーの生涯(4)


 すべての人々を同じカテゴリーの中に入れることはできません。ある人々は在家の生活を送らなければならず、他の人たちは出家生活のために生まれてきました。それぞれが、自身の場所において偉大です。

 ガウリー・マーは遍歴の出家尼僧になることを切望していましたが、一人旅は少女にとっては容易ではありませんでした。
 彼女はチャンスを待ち、彼女の道が示されることを神に祈りました。


 1875年、彼女が18歳のときに、ガウリー・マーはガンガーサーガル(ガンガーとベンガル湾の合流点)への巡礼に、叔父と叔母、そして何人かの近隣の人たちと共に出発しました。

 滞在3日目に、彼女は巡礼者の群集の中に姿を消しました。親戚や近隣の人たちは彼女を探して3日間無駄に過ごした後、カルカッタに戻りました。
 ギリバラはその知らせを聞いて悲しみに打ちひしがれ、病に倒れました。家族は彼女を見つけた者には千ルピーの報酬を与えると公表し、インドのさまざまな聖地に使者を送りました。


 親戚から逃げた後、ガウリー・マーは彼らの動きが観察できる場所として、彼らのテントの近くの茂みの中に身を隠しました。そして彼らが去ったのを見るとすぐに、彼女はヒマーラヤ地方から来た僧と尼僧の集団に加わりました。彼女は、彼女だと分からないように、尼僧のような服を着ました。
 一団は電車、または徒歩による移動でさまざまな聖地を訪れ、最終的にハリドワールに3ヵ月後に到着しました。
 ガウリー・マーはかつて、苦行を実践する苦行者たちの場所であるハリドワールやリシケシについて、彼女の叔父のチャンディから聞いたことがありました。
 今や、ヒマーラヤとガンガーのパノラマのような景色を実際にその目で見て、神の悟りに対する彼女の情熱は、今まで以上に呼び起こされました。


 ガウリー・マーは、リシケシから、デーヴァプラヤーガ、ルドラプラヤーガ、ケダルナート、バドリナートを訪れ、その後ハリドワールに戻りました。
 その後間もなくして彼女は、ヤムノートリー(ヤムナー河の源流)、ガンゴートリー(ガンガーの源流)、ジュワラムクティ、カシミールにあるアマルナートも訪れました。
 彼女は親戚に捕まるのを恐れて、平野には下りて行きませんでした。自分を隠すため、彼女は髪を切り、黄土色の衣を身に着けるか、またはときどきは、長いローブと男性がよく身に着けるようなターバンを巻いていました。彼女はまた自分の肉体に灰や泥を塗りつけることで身体的な美しさを隠そうとし、さらに時には、誰も彼女に近づきたがらないように、わざと狂ったふりをしました。
 彼女はヴィシュヌの像を首にかけて持ち運び、包みの中には、少しの日用品およびカーリーとチャイタニヤの絵、そしてチャンディとシュリーマド・バーガヴァタムの2冊の本を持っていました。
 彼女は滅多に話しませんでしたが、彼女の身元についてしつこく尋ねられたときは、自分は結婚しており、夫と共に暮らしていたのだと言いました。言うまでもないことですが、それは主ヴィシュヌが彼女の夫であるという意味でした。


 この遍歴時代、ガウリー・マーは、例えば断食、沈黙行、瞑想、経典の学習などのさまざまな苦行を実践しました。
 ときどき彼女は、日の出から日没まで、自分のマントラを繰り返しました。
 彼女はしばしば托鉢のために家々を回りましたが、いくらかの場所では、村人が彼女のために食事や住まいを提供するのを買って出てくれました。このようにして3年間、彼女は険しいヒマラヤ地方の聖地を徒歩で旅し、その間、寒さ、飢え、そして他の試練に耐えました。

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