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「愛国心」コミュのちょっと気になるナショナリズム

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「愛国心」これも、ちょっと関連するトピックスですね。これは、ちょっと「ウルトラマン」と似てますかね。
 なぜ、「ウルトラマン」が人気があるかというと、「悪い怪獣をやっつけるからですよね。「日本」が人気がないのは、特に最近は「人の気持ちを害することを平気でする」からでしょうかね?

あるアメリカの海軍大佐が、FENというかEagle810で行ってました。「愛国心」と「ナショナリズム」の違いについてですが、「愛国心とは国がやっていることに誇りを持つこと」、「ナショナリズムとは国がやることなら何でもに誇りに思うこと」だそうです。
 さて、この「日本」とかいう国のことですが、「南京大虐殺」とか「朝鮮侵略」、「従軍慰安婦」とかいろいろ「誇れる」ことをやってきたようですけど、やはり「愛国心」かな・・・
 一部に変な教科書を釣っている人たちがいたりするといううわさを聞きますが、彼らがすべきことは「教科書づくり」ではなく「愛するに値する国づくり」ではないでしょうか。

 でなければ、彼はなにを「象徴」することになるのでしょうね?

コメント(10)

どの国の歴史を見ても、同じような汚点があります。今回は、韓国や中国や日本が問題になっていますが、歴史を紐解けば明らかなように、人間はさまざまな国、宗教、民族、理念の下に常に「残虐」、「人間的」そして「非人道的」行動を繰り返してきました。そして、われわれの「現在」はその結果として現在の状態を得ているわけです。そして、どの時代にも「いいところもある、悪いところもある」わけです。たとえば、ルネッサンスのイタリア。数多くの革新的芸術を生み出す一方、残虐かつ偏狭な宗教裁判の血塗られた歴史を描き出しています。
 歴史を語るときには、非常に多様な解釈、力動、価値判断が可能であり、あってしかるべき名のではないかと思います。
 理学の世界でよく言われる言葉があります、「より広い現象を説明できる理論がより正しい理論」。
 歴史的記述では、「広い解釈、力動を説明できるものがより正しい歴史観」ないかとおもうのですが、いかがでしょうか。
リンカーンの言葉
 「国があなたに何をしてくれるのかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えてほしい」
この言葉の意味することは?

人に置き換えるとわかり易いかもしれませんね。幼子を抱える親はもちろん「子供が自分に何をしてくれるかではなく、自分が子供に何をしてあげられるか」を考えますよね。もちろん、生活環境によっては、間引きしたり、男女の生みわけをしたりした後の話かもしれませんが。

 男女や夫婦の間ではどうでしょう。お互いが、そんなふうに考えていられたら理想的でしょうね。少なくとも、そういう部分がないと、「愛」を維持していくことはできないのではないでしょうか。

 どちらにしろ、「愛するに値する国」と「愛するに値する国民」が存在しない限り、「愛国心」はナショナリズムになるか、愚衆政治の温床となるかのどちらかではないでしょうか。
おもしろいですね。「情報」によって「愛国心」が影響を受けるという考え方は。非常に新鮮な刺激でした。
 つまり、「南京での日本軍による虐殺行為は無かった」という情報に基づけば、貴方は「大日本帝国」が大東亜戦争において、中国で行ったことに誇りを持てると言うことですか? また、数が3万人だったら問題ないけど、35千人だったら問題ないと言うことでしょうか?
 ちなみに、「心的リアリティ」という臨床心理学用語をご存じでしょうか?つまりは、「主観的理解」と入っても差し支えない物ですが、人をひいては、「国」を動かすのはこの「心的リアリティ」であって、「情報」ではないのではないでしょうか。
 「愛」は心です。事実ではありません。まず「愛」についての理解を深めてから、再び「愛国心」というモノをお考えになるというのはいかがでしょうか。
>具体的に何を指して仰っているのか分かりませんが、私は支那事変には誇りを持っていません。

ありがとうございます。このトピックで重要なのはこの一言。個々の事実の具体的な「真偽」を問うことに何の意味があるのでしょう。上の議論でもありましたが、「大虐殺」のクライテリアさえ、無い中で何を語ることができるでしょうか。
それに加えて、60年という月日、戦争という混乱、「侵略」されたという感情、「侵略」と言いたくないという感情。そのような物が渦巻いている状況で、個々の事実の積み上げには、それほど意味があるとも思えません。

ありがとうございました。
「ナショナリズムからの脱出」

 前にも、どこかで書きましたが、「郷土愛」と「愛国心」を同列に考えるのは、ちょっと違うのではないかと思います。所謂、ナショナリズムは、どちらかというと「郷土愛」に近いものの様に思えます。「郷土」に主体はありません、どちらかというと「一方的に愛される」客体だけ、それから「郷土愛」ではないでしょうか。そこには、何の「証明」も「事実」も「正しさ」も入らない。しかし、「愛国心」ということになると話が違ってきます。
 このトピックに沿って言えば、この国が、「どんな誇れる事をしてきたか」、「どんな賞賛に値することをしてきたか」という主体性を問われることとなります。ここで初めて「情報」が問題になってくるのだなと、「ベンツ 吉田」さんのお話を聞いていて思いつきました。
 しかし、「負の情報」は「負の愛国心」しか生みません。だからこそ、もし「誤った」負の情報があるなら、何とかしたいところなのでしょうね。しかし、ここに、根本的な問題があります。「愛国心」に必要なのは「負の情報」ではなく「正の情報、誇れるべき情報」では無いでしょうか。
 もちろん、過去から、そのような情報を寄せ集めて来ることは可能でしょう。たとえば、「エジプトでは紀元前4000年前には、組織的国家が存在し、治水、農耕が始められていた」といえば、現在のエジプト国民には、何とはなしに誇らしげな気持ちを起こされるものでしょう。
 しかし、今の「日本」、何が「誇れる」でしょうか?「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」がいなかった?それが誇れますか?僕には全然関係無いように思われます。
 この国は、「何をするために、何をしてきたのか」、「どんな信念に基づいて、何を創造してきたのか」考えてみる必要があるような気がします。
 いや、むしろ、これから「何をしていくのか」をより多くの人が考えていけば、この「国」も変わって行くのではないでしょうか。
忘れたころのご返答ですみません。

時々、頭の回らない期間がありなにもかけなくなります。というか、時々頭が回るのかな。

確かに、僕には「愛国心」がどういうものか、「理解」できないのです。たとえば、この匿名の方のコメントを見て思うことは、「公の利益」の不明確さです。つまり、「公」の範囲をどう定義するか、その範囲を「国境線」で定義しなければならない理由など何もないように思われます。たとえば「国連」は「公」の利益のための組織ではないですか?だとすれば「公」は「国」を超えます。あるいは「EU」は「国」でしょうか?少なくとも、利益共同体であることは確かです。しかし、それが「愛国心」とどんな関係にあるのか、僕にはすぐには思いつきません。

また、この匿名さん、「歴史など関係ない」といいながら、「クニの始まり」のところでは、ご自身で歴史に言及されているように見えますね。

さらに、「利益共同体」とおっしゃいますが、「国」は少なくともその内部にさまざまな「利害対立」を含んでいます。たとえば「日本」という国は、どんな「利益」を共有していると言うのでしょうか?
久しぶりに全体を読み返して見ました。いくつかのご意見を返していただいた方には大変感謝しています。
再度、ここでナショナリズムと愛国心について、まとめをしておきたいと思います。
 私の結論としては、「ナショナリズムは無責任、愛国心は責任を伴う」ということに尽きると思います。
 ちなみに、私は「コスモポリタン」であり「インターナショナリスト」であり「ローカルガバナンス」の信奉者です。そういった視点で見たとき、宇宙の中のひとつの地域である「国」を他から切り離して、内向的に省察するのは、少なくとも僕にはばかげた無責任な行為に見えます。
 僕もここで「愛国心」について語るつもりはありませんが、少なくともそれと紙一重の「ナショナリズム」の持つ危険性については、気になるところです。

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