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群馬桜友会コミュのピラ校と音楽センター

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こんなことでトピックを作成するのもいかがなものかと思ったのですがタイトルの件なんとなく似てませんか?

最近配布された高崎市の広報に音楽センターのことが詳しく掲載されています。ピラ校もそうでしたがある一定の時期に建設されたモダニズムといわれるカテゴリーの建物のようです。

幼少の頃、藤五デパートの行きかえりにながめては「なんだか変わった絵が描いてあるけど中はどうなっているんだろう?」と不思議に思っていました。初めて中にはいったのは親に連れられて行った群馬交響楽団の演奏会だったような気がします。以後中学高校と吹奏楽関係では何かとお世話になりました。そんなわけで個人的にもピラ校同様非常に愛着があります。しかし・・・。

そういう感情だけでは解決できない問題をかかえているのも事実です。なんとか残したいという気持ちの一方、モニュメントではないので時代の要請に応えられない以上やむを得ないかなという気もいたします。

ピラ校はその形状からも大学のシンボルでした。音楽センターも独特のデザインまた多くの費用が市民の寄付でまかなわれたという意味でも高崎市のシンボル的な建物です。

ピラ校が取り壊され中心部にポッカリ穴があいたような感じです。高崎の中心部にもポッカリ穴があくのはなんとなくつらいなあというのが今の気持ちです。

コメント(5)

音楽センターとの関わりは「高校入学式」から始まり、ブラザーズ・フォア、赤い鳥、ポール・モーリア・オーケストラ、ベンチャーズ、ハイ・ファイ・セット、サーカス、渡辺真知子・・・などなどのコンサート。(一緒に見た連れはそれぞれ違っていたりして)
そして一度だけ音楽センターで公演した「松任谷由実〜水の中のASIAへ〜」。
彼女も「この会場はとてもレトロな作りで素敵なんですけど、舞台が狭いのでセットの3分の2しかお見せできませんが、その分たくさん心をこめて歌いますね
」なんて言っていましたねー。もう28年前の話です。

人を集める以上「安全性」と日々進化する「エンターテイメント性」の対応は追求しなければならないのでしょうけれど、シンボリックな存在だったからね。

それに青春の日々のほのかな思いも詰まっている建物です。壊されるとなると淋しいですね。
「自分史」の1コマが削除されるような感じです。
そうなんですかあ、ユーミンが音楽センターに来たことがあるんですね。ユーミンがいいなあと思い始めたのは私の場合少し遅くて就職してからでした。

それにしても不思議なことがあります。

よくヨーロッパ方面で国立歌劇場とかなんとかって名前で古〜い(建ててから100年くらいたってるような)音楽ホールが登場しますよね。確か小澤征爾がウィーンフィルだったかニューイヤーコンサートで指揮してたのも両サイドに2階席や3階席のついた形式のそれだったような気がします。

どうしてあちらではそういうホールが残っているのでしょうか?またなぜ日本ではそういうホールを残せない(作れない?)のでしょうか?

つごう4回ほどヨーロッパ旅行をしたことがあります。行くたびに思うのは「豊かさ」でした。GNPとかの指標ではすでに日本のほうがが豊かなはずなのですが、何かヨーロッパ的な「余裕」というものを感じないわけにはゆきません。

音楽センターに関しては築約50年。やむをえないのでしょうがダメなら壊して新しいのを作るという方法に逆に何か「貧しさ」を覚えます。

「そんなキレイ事を言ったって」という意見もよくわかるのですが・・・。
ユーミンは当時でも大仕掛けな舞台演出を行っていましたが、数年前の「シャングリラ」ツアーなどから比べれば10%以下の規模でしたね。

ヨーロッパはベルリンのイベント含め4回行きましたが、建築物の景観は素晴らしいです。それも中世からずーっと使われてきているアパートメントでも。
建物は同じ高さを数世紀にわたり保ってきたことは文化なんでしょうね。

日本と違い地震がない、基本建材は石、湿度が低い、日本みたいに建築基準がたびたび変わらない、またみだりに直せない条例をもっている…などなど日本とは条件も違いますが、日本の建築には「選挙」もからんでいるんですかねー。
うがちすぎかな?
音楽センターは中学時代ブラバンでしたので、
連合音楽祭等でよく行きましたね。
コンクールもやっていたような。
ショパンさんは吹奏楽部だったんですね、あれ前に伺ったかな。
私はスポーツが苦手なもので専ら文化系です。

tomikenさんが音楽センターでユーミンのライブに行かれていたとは驚きです。
「水の中のASIAへ」(1981年)は私も好きなアルバムです。
1曲目の「スラバヤ通りの妹へ」が好きでした。
1981年は「J.BOY」以前の浜田省吾の代表アルバム「愛の世代の前に」が
発表された年です。

音楽センターは広報たかさきをみても、音響に関しては構造上の問題が
あるようですね。
最近は良いアーティストが他に流れているのが残念です。
確かに思い入れのある建物ですが、私は建て直し派かな。
予算的な問題はありますが…。
確かに「高崎音楽センター」は老朽化と設備が現代の音楽会には合わなくなっている、収容人員から開催される商業目的エンターテイメントが限定されるのは事実のようです。(県民会館もそうなんですが・・・)

ただ各自治体でいっとき、「文化センター」なるものを作りあげ、どこも催し物の企画に汲々としています。結果的に今はその維持にかなりの税金を投入しているのも事実です。
大型&本格的エンターテイメントが開催できうる施設はもっと広域で考えていいのじゃないかって思いますね。群馬にひとつありゃいいのかなって…それが高崎だったら言うことありませんが。

sussyさん、2006年愛知万博でのユーミンのコンサートは「水の中のASIAへ」のうち『スラバヤ通りの妹へ』と『HongKongNightSight』をアジアのアーティスト達と一緒に歌っていましたね。
『スラバヤ通りの妹へ』は私も大好きな楽曲です。あの感性は同時期の中島みゆきや、かぐや姫とは異次元の世界でした。

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