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カナダの歴史と政治コミュの保守党、同性結婚見直し動議提出

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 与党保守党は7日、2006年1月の選挙公約であった「同性愛結婚を認めつつ、伝統的結婚の定義の復活を求める」動議を提出した。ハーパー首相は政党幹部や閣僚に自由投票をするように指示、数名の閣僚は既に反対投票の意向を示している。自由党も自由投票を許可する模様だが、ディオン党首を始め反対者が多いと見られている。ケベック連合や新民主党は党全体で反対票を投じることが判明しており、動議は否決される見方が強い。カナダでは、「同性愛者の結婚する権利」を認める判決が相次ぎ、昨年、同性愛結婚も合法となっている。

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下院で7日、「同性愛結婚を認めつつ、伝統的結婚の定義の復活を求める」動議が採決された。この動議に内心賛成の与党保守党と、内心反対の野党自由党はいずれも党議拘束せず自由投票となったが、両党議員が互いに、党の方針と反対に投票する相手議員に喝采する中、123対175で否決された。
ハーパー首相はこの結果を受け、「将来この問題を蒸し返すことはしない」と約束した。
 2002年7月12日オンタリオ州高等裁判所は、結婚に関するカナダの現行法が異性愛者間に限定されているのは、憲法の「カナダ権利と自由憲章」における平等の権利を侵害しているとする判決を下し、同時に連邦政府に2年の猶予を与え、同性婚を認可する法律を制定するよう勧告した。
 2003年6月10日にはオンタリオ州最高裁判所が、同性婚に関する高裁判決を支持し、さらに高裁が認めた2年の猶予を破棄して、判決はただちに有効と宣告した。この判決を受けて即日、カナダ初の合法的同性結婚として、原告団のマイケル・レシナーとマイケル・スタークが挙式した。レシナーは弁護士で、同性結婚を推進する活動に長年従事している。なお受理されたカナダ最初の同性婚は、2001年9月29日に結婚したポーラ・バーレロとブランカ・メジアスで、役所が両者の名前が女性であることに気づかず婚姻届を受理したもの。これに先立ち2001年1月14日、トロントのメトロポリタン・コミュニティ教会でブレント・ホークス牧師の司式によって、カナダ初の合法的と思われる同性婚がケビン・ブラサとジョー・バーネル、エレイン・ボツールとアン・ボツールの2組行われているが、合法性に疑義があり婚姻届は受理されなかった。

 オランダと異なり、オンタリオ州住民あるいはカナダ市民でなくとも結婚証明書は発給されるため、アメリカやその他の国から大勢の同性カップルが結婚するためカナダに入国したが、カナダの結婚証明が自国でも有効かどうかについては各国で事情は異なっており、アイルランドとイスラエルではその有効性を巡る訴訟が続いている。
 その後2003年7月8日にブリティッシュ・コロンビア州、2004年3月19日にケベック州、2004年7月14日にユーコン地方、2004年9月16日にマニトバ州、2004年9月24日にノバスコシア州、2004年11月5日にサスカチュワン州、2004年12月21日にニューファンドランド&ラブラドル州、2005年6月23日にニュー・ブランズウィック州で同性婚が認可された。
 オンタリオ州最高裁の判決を受けクレチエン首相は2003年6月17日、連邦政府は上告せず、連邦レベルで同性婚を認可する法律を導入すると公約し、カナダだけでなく世界を揺るがす問題がスタートした。政府案は、以下のようなものだった。

1.婚姻は市民のものであり、全ての他者を除く二人の人(persons)の合法的な縁組である。
2. この法律の中の何ものも、宗教団体が宗教上の信仰によらない結婚を拒否する自由に影響を及ぼさない。

 そこで野党カナダ同盟は「婚姻は、全ての他者を除く1人の男性と1人の女性による縁組と定義する」という動議を下院に提出した。ハーパー党首は「ゲイの結婚を市民権問題として表現する試みには嫌悪感を覚える」と語った。
 クレチエン首相は「社会は進化した。今こそ、同性結婚の正当性を認める時だ」と語ったが、自由党は1999年には同性結婚を否定する動議を提出したばかりであり、党内には根強い反対があった。
 新民主党のスヴェント・ロビンソン議員は「私と私のパートナーであるマックスとの関係より、あなたたちの結婚の方が正当だなどとどうして言えるのか」と語った。
 ケベック連合のリアル・メナード議員は「まるで娘に『私は人種差別主義者ではないが、おまえに黒人と結婚してほしくない』と言っている父親のようだ。あるいは『私は平等を重んじるが、おまえには働く権利があるなどと思ってほしくない』と妻に言う夫、とたとえてもいい」と語った。

 30人以上の議員が棄権し、自由党からは多くの議員が造反したが、動議は新民主党とケベック連合の大多数が反対し、9月16日137対132の僅差で否決された。


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図:同性婚への態度を変えてきたクレチエン首相をおちょくったマンガ。

・1972年:インディアン問題および北方開発大臣「×××××」(読みとれない)
・1980年:法務大臣 「今はその時期ではない」
・2003年:総理大臣「今こそその時だ!」
 2004年9月13日オンタリオ州最高裁判所は、離婚法も同性婚を除外しており違憲であると宣告した。2004年12月9日には、連邦最高裁判所が同性婚を合憲と判断した上で、連邦政府が連邦議会に法制化を働きかけるよう勧告した。

 クレチエン首相から政権を引き継いだマーチン首相は、2004年6月の総選挙で過半数割れながらかろうじて政権を維持したが、2005年春の予算の成立を危ぶまれていた。予算否決の場合は解散となり、同性婚を認めるC-38号法案は廃案となってしまう。ところが5月17日ベリンダ・ストロナック議員が、保守党を離党し電撃的に自由党に入党する。彼女が保守党内で同性婚賛成の立場をとってきたのが理由の一つだった。予算案は下院で152対152の同数となり、議長採決で可決された。解散は際どく回避され、同性婚法案は廃案を免れた。

 このころになると、同性婚法案成立が濃厚となり、各地で激しい反対運動が展開されるようになる。キリスト教福音派のテレビ番組「ヘントリー・ストリート100番」の元司会者デビッド・マンニスは、結婚の伝統を守る人々を率いて、エリザベス女王に手紙を送る運動を開始した。手紙には「ご支援を頂ければ、多くの人々が立憲君主制を支持します。道徳及び社会の風紀を破壊する今回の法案を改めるよう、何卒ご支援をお願いします」と綴られていた。彼はカナダの国会で同性婚法案が可決されても、エリザベス女王の命令により総督の裁可を与えず廃案にすることが可能だと主張した。
 首相の選挙区の牧師フランシス・ジェルマーは「マーチン首相が次の選挙で落選するよう希望する。なぜなら彼は悪魔の選択をしたからだ。人は神に仕えるか悪魔の言いなりになるか、どちらか一つしかないのだ」と語った。

 同性婚法案は、2005年6月28日下院で158対133で可決、7月19日には上院で47対21で可決され、翌日総督の裁可を与えられ成立した。こうしてカナダは、オランダ、ベルギー、スペインに続き、同性婚を認めた4番目の国となった。
 自由党のスコット・ブライソン議員が8月18日、別荘があるノバスコシア州シェベリー村でマクシム・サン=ピエール氏と結婚式を挙げ、同性結婚した最初の下院議員となった。結婚式にはステファン・ディオン自由党党首、ポール・マーチン前首相、ジョー・クラーク元首相などそうそうたる顔ぶれが参列した。
 ディオン党首はこうコメントした。
 「カナダが進むべき道を示していることを、私は誇りに思う」。
 ニューブランズウィック州前首相フランク・マッケナはこう語った。
 「関係者の誰もが、自分たちが歴史の1ページを作っているように感じた」。
 だがノバスコシアの小さな村の住人たちは、加熱した報道に困惑していた。近所に住むある人物は、取材にこう答えた。
 「こんなものに公共性があると思うなんてバカげているわ。もし彼がストレートだったら、結婚式がここまで注目されたかしら?」
 ブライソン自身は2005年、同性パートナーとの婚約を発表したときこう語っている。
 「私は、同性愛者の結婚が何の話題にもならない日が来ることを楽しみにしている」。

 ブライソンはピーター・マッケイ、ジョン・ヘロン、アンドレ・バシャンとともに、凋落した進歩保守党にかつての栄光を取り戻すニューリーダー「青年トルコ党」の一人だった。2002年にゲイを公表したときには「自分は『ゲイの政治家』ではなく、「たまたまゲイである政治家だ」と述べている。2003年、カナダ同盟による進歩保守党の吸収合併が決定されると、彼は自由党に移籍した。翌年マーチン内閣の公共事業大臣となり、最初の(公表された)同性愛者の閣僚となった。2006年には自由党党首選に出馬し落選している。


写真:ブライソン議員(右)とサンピエール氏(左)。
★カナダ権利と自由憲章第15条第1項〔平等権〕
 すべて人は、法の前および法の下において平等であり、差別されることなく、特に、人種、出身国もしくは出身民族、皮膚の色、宗教、性別、年齢または精神的もしくは身体的障害を理由に差別されることなく、法の平等な保護および平等な利益を受ける権利を有する。


 1995年にジョン・ミロンとジョスリン・バリエアのコモンロー・カップルが、自動車事故による損害を補填するオンタリオ州の保険法第231条等が法律婚の夫婦にのみ適用され、コモンロー・カップルを対象外としていたことに対し、憲章第15条第1項に反するとして争ったミロン訴訟は、連邦最高裁が当該制約は平等権違反であり第1条のもと正当化されないと判示した。

 ジェームズ・イーガンとジョン・ネスビットの同性カップルが原告となったイーガン訴訟は、ミロン訴訟と同じ日に判決が出された。年金の配偶者手当の給付対象から同性カップルを除外していた当時の高齢者所得保障法第2条を、連邦最高裁は5対4で合憲と判示した。当該法律は、憲章第15条第1項に違反すると認定されたが、第1条のもとで正当化され、違憲とはならなかった。
 コリー裁判官は、同法が憲章第15条第1項違反になる理由として、性的嗜好が個人的特性であるとした上で、性的嗜好を理由に同性愛者が歴史的、社会的、政治的そして経済的に不利益を被ってきたという証拠をもとに、同性愛者は明らかにセクシャルマイノリティーであるから同条の保護を受けると述べた。
 リュリュー=デュベ裁判官は、問題となっている法律によって悪影響を受ける集団並びにその利益を重視した。そして、それらを審査する基準として、?法律上の区別があるか否か?当該区別は、特定の集団における平等権侵害の主張者のメンバーシップに基づいて、憲章第15条第1項に掲げられた四つの平等権のいずれかを否定する結果をもたらすか否か?当該区別が第一五条の意味において「差別的」であるか否かの三つの基準を掲げた。三番目の基準については、何が「差別的」であるかは、合理的な人間の視点で、主観・客観両方の観点から検討されなければならない。さらに、裁判所がそのような判断を下す際の方法として、(?)当該区別によって悪影響を受ける集団の性質(?)当該区別によって悪影響を受ける利益の性質、の二点を挙げた。そして本件では、当該法律により原告は同性カップルという理由で、「人間としてあるいはカナダ社会の一員として、平等に配慮、尊重、そして考慮」をより受けないとの評価を下され、まさに悪影響を受けており、その結果、悪影響を受ける利益の性質は、カナダ社会における重要かつ基本的な制度である社会保障のうちの、配偶者手当ての給付であり、そのような利益は重要であるとした。
 ラフォレスト裁判官はまず、性的嗜好が不変的ないし多大な個人的犠牲を払ってのみ変えられる個人的特性であるが故に第15条第1項の保護に値すると述べた。しかし、当該高齢者保障法による区別は性的指向によるものではなく、一般社会にとって基礎となる社会的集団に基づいた区分であるとした。そして、婚姻した異性カップルがその社会的集団であると認められる以上、議会がそのような集団とそれ以外の集団とを区別したことはまさに当該法律の本質であり意図したところであるから、当該区分と当該法律の機能的価値との間には関連性がある。その限りで同性カップルは、例えば兄弟同士で住んでいる集団と同様にそれ以外の集団に属するに過ぎず、同性カップルは当該法律によって差別されていないと結論づけた。
 カナダは今日、性的指向に基づく差別に対する保護が世界で最も厚い国の一つであると考えられているが、1986年まで性的指向に基づく差別を禁止していた州はケベック州のみであった。1892年から1969年まで男性同士の性行為は刑事罰の対象であり、1969年に性行為自体の禁止は廃止されたものの、同意のある異性間性行為が認められる年齢が14歳以上であったのに対し、同意のある同性間性行為の年齢は1987年まで21歳以上であった。また人権法を含む全ての法において、差別禁止事項に性的指向を含んでいなかった。そのため1960年初頭まで、何百人もの同性愛者ないしその疑いのある者が公務員の職を失い、1990年初頭まで同性愛者は軍への入隊と昇進が認められなかった。
 私人間においても、ブリティッシュコロンビア州の新聞社がゲイ向けのニュースレター「ゲイ・タイド」の広告掲載を拒否した事件について、連邦最高裁が新聞社の行為を支持した判決が出るなど、同性愛者に対する差別は法律上正当化されていた。さらに1952年から1977年まで、同性愛者はカナダへの移住が認められず、すでに入国済みの移民者も国外退去のおそれがあった。性的指向による差別を禁じる連邦法改正が行われたのは1996年のことであり、またほとんどの州の人権法が、性的指向に基づく差別を明確に禁ずる1994年まで、差別禁止事項に性的指向を含んでいなかった。


 リッチ・ノースとクリス・ボーゲルの同性カップルが婚姻届を拒否され、1974年に婚姻を求める訴訟を起こしたのが、カナダ最初の同性婚訴訟である。
 本件の争点は、マニトバ州の婚姻法第2条が婚姻の対象を「いかなる二人」とのみ規定していた点であった。ウィニペグ郡裁判所は、婚姻とは「自然な歴史的観念」であり、異性間のみに限られているとして、原告の請求を退けた。「いかなる二人」の解釈については、マニトバ州議会に同性カップルを含む意図はなかったと認定し、また仮に州議会にそのような意図があったとしても、1867年憲法第91条26項により婚姻に関する事項は連邦の権限であり、連邦議会が婚姻を定義した法律を制定していない以上、州が独自に婚姻を定義することは州の権限喩越であると判断した。
 オタワ市役所での婚姻を拒否された同性カップルが1993年、婚姻を異性カップルに限定するのはカナダ権利と自由憲章第15条に反しているとして連邦政府とオンタリオ州政府を告訴した事件で、オンタリオ高等裁判所は、同条第1項の平等権の規定を引用したうえで、婚姻を異性カップルに限定した法はカナダ権利と自由憲章第15条に反しないとして、原告の主張を退けた。法は同性愛者を婚姻制度から排除しているわけではなく、単に婚姻の対象を異性に限定しているにすぎない、すなわち同性愛者であっても異性との婚姻の自由はあり、同性愛者でも現に異性と結婚する者はおり、同性愛者が婚姻しないことは自らの選択であると述べた。また「婚姻の主たる目的は家族の維持である」ことから、同性カップルは生物学上その目的を達成できず、異性カップルの中でも生殖できないもしくはそれを望まないカップルが存在するが、「婚姻制度とはあくまでも国家・宗教・社会によって生殖を奨励されるよう意図されていることには変わりない」ものとした。ただし同条の差別禁止事由に類似するものとして、性的指向も含まれると判断した。
 北米で初めて同性婚を行った2組のカップルが1月14日、トロントのメトロポリタン・コミュニティ教会で十周年のセレモニーを行った。
 ケビン・ブラサとジョー・バーネル、エレイン・ボツールとアン・ボツールは2001年1月14日、メトロポリタン・コミュニティ教会でブレント・ホークス牧師の司式により、同性婚の結婚式を挙げた。それは同性婚が合法化される2年前のことだった。

 アンは10年前、恋人のエレインと結婚すると友人に告白したとき「カナダでそんなことができるの? 政府を相手に戦うつもり?」と驚いて言われたのを覚えている。
 エレインは、挙式の日を複雑な思いで迎えた。教会は二人を、防弾装甲された車で迎えに来たからである。
「爆弾を仕掛けるという脅迫が何件かあったと、あとで聞きました。」
 教会内は大勢の警官に警備され、ホークス牧師も防弾チョッキを着用していた。ホークス牧師は、当時を振り返ってこう述べた。
「挙式の朝は、ボディガードの指示で教会へ真っ直ぐ行かずに迂回し、式の間はずっと防弾チョッキを着るように言われました。」

 当時はオンタリオ州も連邦政府も、同性婚を認めていなかった。だがその2年後、同性婚合法の判決が下った。あれから8年、7000人以上の同性カップルがカナダで結婚し、同性愛者もしだいに社会的に承認されるようになった。そしてメトロポリタン・コミュニティ教会の十周年セレモニーでは、誰も防弾チョッキを着用しなかった。ケビン・ブラサとジョー・バーネルは、10年前には身の危険を感じながら歩いた教会の通路を、今や何の恐れもなく堂々と歩いたのである。ケビンはこう述べた。
「もう誰も、二度とあんな状況で結婚するようなことがないよう望みたい。でも私たちは本当に、価値あることを成したと信じている。」
 エレインはこう述べた。
「アンには、私の愛が10年前よりもっと強くなっているということを覚えていて欲しい。」


写真左:2001年1月15日のグローブ&メイル紙。左からケビン・ブラサ、ジョー・バーネル、ブレント・ホークス牧師、アン・ボツール、エレイン・ボツール。
写真右:メトロポリタン・コミュニティ教会が発行した結婚証明書。
 2005年にトロントで同性結婚したとされるアメリカとイギリスの女性カップルが、離婚を求めている件について、婚姻が有効でないため離婚できないとカナダ法務省が判断したことが1月12日に判明した。
 法務省弁護人のショーン・ゴーデットは法廷で、第一にカップルが離婚するにはカナダに1年以上居住していなければならない、第二にカップルが暮らすフロリダとイングランドにおいて同性婚が認可されていないため婚姻が無効であると陳述した。

 保守党がひとたび過半数安定政権を手に入れれば、彼らは家族の定義を覆すだろうと噂されていたので、このニュースは世界の同性愛者に衝撃を与え、ネット上で話題になった。オンタリオ州が2003年に同性婚を合法化して以来、カナダは同性愛者の中で特別な地位を占めていたからである。
 カナダで最初に同性婚したケビン・ブラサは、同性婚するため、国歌「オー・カナダ」を歌いながらトロントに来たアメリカの同性愛者のカップルを思い出すと語った。
「彼らは、それほどカナダを愛していた。私は、彼らが今どんな気持ちでいるだろうと思う。」
 コラムニストのダン・サベイジは、こう諷刺した。
「朝目覚めると、私は一夜にして独身に戻っていた。」
 スタン・ライトは、掲示板にこう綴った。
「カナダの法律には『同性婚』の文字はない。そこには『婚姻』の文字があるだけだ。ショーン・ゴーデットは、法律上存在しない区別を作ろうとしている。」

 ところがロブ・ニコルソン法務大臣が12日に、政府は同性婚の是非に関する議論を蒸し返すつもりはなく、カナダで結婚した外国在住者も離婚できるよう法改正に着手すると述べたため、騒動はあっという間に沈静化した。彼はさらに、同性婚を合法化したとき、離婚するためにはカナダに1年以上居住しなければならないとする離婚法の規定について説明しなかったとして、当時の自由党政権を批判した。
 家族法の専門家たちは、あまりに早い展開に驚いている。グラント・ゴールド弁護士はこう語った。
「今起こっている出来事は、法案が成立したときから予見できたはずだ。人々は同性婚の明るい一面ばかりを取り上げ、暗い一面もあることに目を向けなかった。ゲイたちがただ歓喜する時代は、終わったのだろう。」
 またマイケル・コクレイン弁護士は、離婚法から単に居住条件を削除すれば、人々がかつて同性婚するためにカナダに殺到したように、今度は離婚するために殺到するだろうと警告した。
「新婚旅行の道中に外国で結婚式を挙げるように、我々は税金で外国人の離婚旅行を助成しなければならないのだろうか?」
 トロントで6月28日、LGBT(レズビア・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)のためのプライド・パレードが行われた。歌手のシンディ・ローパーさん、エルトン・ジョンさんの配偶者であるトロント出身の映画監督デビッド・ファーニッシュさんの姿も見られた。政界からは自由党のトルドー党首、新民主党のマルケア党首、レズビアンを公言したキャスリン・ウィン首相(オンタリオ自由党)らが参加したが、今年は保守系政治家として史上初めて、オンタリオ進歩保守党のパトリック・ブラウン党首ら数名の議員と、トロントのジョン・トーリー市長(オンタリオ進歩保守党元党首)も参加した。特にトーリー市長の参加は、同じ保守系でも前任のロブ・フォード市長がこの祭を冷遇したこととは対照的だった。
 だが、保守党支持者でCFRAラジオホストのニック・バンダーグラークト氏は、パレードに参加した保守系政治家たちをフェイスブックで酷評した。
「これらの人々は、私のようにパレードを装ったポルノを快く思わない人々を代弁すべき保守系政治家ではないのか。彼らは、自分が見つからないとでも考えたのだろうか。もし私に権限があるなら、トーリー市長もブラウン党首も、二人ともビルから追い出し、二度と中には入れないだろう。」
 バンダーグラークト氏は後に、それは興奮して言ったことであり、「ビル」とは進歩保守党組織を意味する比喩であって、また自分にはそのような権限はないと弁明したが、パレードに参加したジャック・マクラーレン州議とリサ・マクラウド州議を非難したことは撤回しないと語った。
 彼はまた、28日の番組でこう述べた。
「私は、まだ得ていない権利のために戦おうとするゲイたちの誰にでも挑戦する。彼らは結婚もでき、養子縁組もでき、裁判官や教師や何にでもなることができるのに、このうえ何を求めて戦うというのか。彼らはパレードすることができるが、裸で歩き回るような真似は止めろ。私は8人の子の親だが、私はパレードの中には行かない。」
 マクラーレン州議は、バンダーグラークト氏に失望したと語った。
「我々は、ある人々が思うほど偏狭ではない。我々は常に、人々を気にかけている。我々のコミュニティで人々を代弁する、それが我々の仕事だ。私は、同性愛者や性転換者とトラブルになったことは一度もない。彼らはカナダ人であり、納税者であるから、彼らにはそれ以外の人々と同様の権利がある。」
 マクラウド州議は、偏狭さと保守主義は違うと述べた。
「我が党はすでに、曲がり角を曲がったのだ。それが気に入らない人もいるかもしれない。でも私は、価値観を共有しない人々にへつらうつもりはない。私は、私が他者を憎むことを望む人々に迎合するつもりはない。もし私が票を失うなら、それは自分が正しいということだ。」
 彼女は、バンダーグラークト氏の番組にはもう出ないと断言した。


写真:「LBGTory」の旗を掲げてプライド・パレードに参加するパトリック・ブラウン党首(右から2人目)。後ろに「PCトーリー 我々はあなたの側に立つ」というプラカードがあることに注意。
 カナダ保守党は5月28日、バンクーバーで開催された党大会で、結婚の定義を「一人の男性と一人の女性による結合」とする条文を綱領から削除することを決定した。投票の結果は1036対462で、サスカチュワンを除く全ての州代表が、これに賛成した。
 長年この問題に取り組んできたミシェル・レンペル前西部経済多様化担当大臣は、感極まって涙ぐんだ。
「私の従姉妹は美しく、才能があり、国家に貢献している。そして彼女はレズビアンだ。」
「我が党は今日、より多くのカナダ人を捉えたと思う。」
「ここに辿り着くのに、我々は10年かかった。」
 オンタリオ進歩保守党から立候補予定のゴールディ・ガマリ氏は、ピエール・トルドー元首相の言葉を意識してこう述べた。
「これは基本的人権の問題である。そして政府は、国民のベッドルームに干渉すべきでない。」
 同じく長年この問題に取り組んできたナタリー・ポン氏は、こう述べた。
「我々が覚えておく必要がある最も重要なことは、我々がここで結婚を再定義していないということだ。我々は、時代に合致しなくなり人々の関心を呼ばなくなった古い定義を、取り去っただけだ。」

 カナダ保守党は2003年、圧倒的に大きな右翼のカナダ同盟がより小さい中道右派の進歩保守党を吸収して成立した。にもかかわらずカナダ同盟のスティーブン・ハーパー党首は、選挙に勝つには保守合同が絶対必要だとの確信に基づき、党合併の条件として新党の綱領を両党のものを折半したようなものとしたため、進歩保守党の政策が必要以上に取り入れられたと非難された。彼自身もまた高校時代は自由党に属し、その後進歩保守党員に移籍し、さらに改革党結成に加わるが、党員たちが同性愛や妊娠中絶や少数民族を激しく誹謗することに反発した過去がある。後に党首・首相となったハーパーは、党の結束を維持するため、同性婚・妊娠中絶禁止の法制化に一貫して反対し続けた。
 結党以来初めてハーパー党首を欠いた今年の党大会では、これまで押さえつけられていた社会保守主義者が巻き返しを図り、同性婚廃止や妊娠中絶の刑法犯化に踏み切るのではないかと噂された。だが蓋を開けてみれば、結果は逆であった。
 党内社会保守主義グループは、今回の綱領改正に強く反対した。キャンペーン・ライフ連合のジャック・フォンセカ氏は、こう主張した。
「結婚に関する政策を削除するなら、非常に巨大な社会保守主義の支持母体を保守党から追い払うことになる。」
「多くの人が投票するのをやめて、投票日には家に居ることになる。彼らは献金するのをやめる。彼らはボランティアをやめる。彼らは、友人に投票するよう依頼するのをやめる。その行き着く先は、自由党の万年与党化だ。」
 さらに彼は、中絶反対・家族主義などの政策は、中国・インド・中東・アフリカ・ラテンアメリカのようなより保守的な国々からの移民の支持を取りつけることができると説明した。
 テッド・フォーク下院議員も、憤慨した。
「この動議は、我々の価値観と信条への攻撃だ。」
 ブラッド・トロスト下院議員は、党の分裂を警告した。
「この動議は、私のような人たちを党から追い出し、そのあとその選挙区から出馬することが目的だと言われた。」
「この動議は、非常に対立的だ。それは、人々を我が党から追い出すことになる。」
 だが多くの社会保守主義者は、綱領からの削除を支持することにした。なぜなら、綱領からの削除がただちにそれに敵対することにはならないし、党員には同性婚に反対する個人的自由が許容されたからである。
 エリン・オトゥール下院議員は、動議は採択されると予測していた。
「我々は熱く議論し、それから一緒にビールを飲んでいる。私は、誰も出て行かないことを望む。」
 同性婚に反対していたスティーブン・ブレイニー元公安大臣は、こう述べた。
「カナダ人は十分議論を尽くした。もう潮時だろう。」
 なお綱領には「全ての人の生命における価値と尊厳についての信条」というフレーズが、付加されることになった。レンペル前大臣は、それはイラクにおける(クルド人の)ヤジディ教徒虐殺を念頭に置いたものだと主張した。だが別の党員は、綱領に妊娠中絶や自殺幇助に関するポリシーを盛り込む意図があるなら、明確にそのための議論をすべきだと反論した。
 党大会ではほかに、男女産み分けのための妊娠中絶への反対、妊娠中絶・自殺幇助への関与を医師が拒否する権利の擁護、少量のマリファナ所持に対する刑事罰を廃止し違反切符に換えることの是認、上院議員は暫定党首選出に関与できる、などの方針が採択された。

 保守党員である政治評論家のアリス・ミルズ氏は、今回の動きを次のように解説した。
「党内の圧倒的多数派が、中絶反対・同性婚反対を封じ込めた。彼らは非常に大声だが、実際のところ少数派である。」
「前回総選挙において、我々の弱点がどこにあったのかということに思いが至った。『我々には経済的実績がある』と言うだけでは、通用しなくなったのだ。我々は社会問題についても、現代的アプローチをもって前進する必要がある。」
「カナダ保守党員の多数派はリバタリアンだが、社会保守主義者は違う。私は彼らの宗教的信条を尊重するが、彼らには居場所がない。」
 今年の党大会のテーマは「前進」だった。だが多くの議論は新しい案件ではなく、ハーパー時代には封印されていた同性婚・中絶・自殺幇助など過去に何度も蒸し返されてきたものだった。わずかに税制改革や、外国航空会社の国内便参入などが議論されたにすぎなかった。

 ウィニペグで自由党党大会に出席していたトルドー首相は、自由党政権が同性婚を容認した11年後に保守党がそれを容認したことについて、こう諷刺した。
「遅くても、しないよりはましだ。今から10年後を誰が知りえるだろうか。彼らはそのときようやく、認めるかもしれない。地球温暖化は本当だったと。金持ちのための減税は、中流階級を助けないと。女性が頭に何を被っていいかについて、政府は法律を制定してはならないと。」
 トルドー政権は11月15日、アナルセックスに刑事罰を科す刑法第159条を削除する法案を上程する。
 刑法第159条第1項は、アナルセックスに対し10年以下の禁固を科している。それから第2項では免責事項について述べており、(a)夫と妻、(b)合意のある18歳以上の二者、の間によるものは第1項が適用されない。そして第3項では合意について、(a)二人を超える参加者がいた場合、および公共の場で行われた場合、(b)(i)強制や脅迫あるいは詐欺や錯誤に基づく合意、(ii)精神的障害ゆえに合意できなかったという合理的疑いを越えて裁判官を納得させられない場合は、合意があったものと解さないと述べている。
 カナダでは、合法的に性行為ができるのは16歳以上(※2008年までは14歳以上)である。ただし、教師やコーチなど指導的な立場の人との性行為や、ポルノ出演、売春は18歳以上である。
 第159条の撤廃は、ゲイ・コミュニティにとって悲願であった。同性婚がすでに認可されているにもかかわらず、第2項(a)は異性配偶者間のみを合法としているからである。また第2項(b)に従うと、16歳以上の未婚の異性カップルは(アナルに挿入しないかぎり)性行為が合法であるにもかかわらず、16歳と17歳の同性カップルにとっては挿入行為が非合法のままである。さらに第3項(a)に従うと、16歳以上の未婚の異性カップルは3者以上(※原文:more than two persons take part or are present)での性行為が合法だが、16歳と17歳の同性カップルにとっては非合法となる。
 オンタリオ州裁判所は1995年、すでに刑法第159条を無効と判断した。だが条文は刑法に残ったままであり、2008年から2014年までオンタリオで22人が起訴された。新民主党のジョー・コマーチン議員は2011年、第159条を削除する個人法案(※党幹部会で採択されなかった法案。採択されると党議拘束がかかる)を提出したが、議会では審議すらされなかった。なお2005年にブリティッシュコロンビアで結成された「セックス党」は、党綱領に刑法第159条の削除を掲げていたが、2012年に解散している。
 政府の動向に対し、保守派はすでに行動を起こしている。保守系女性団体「REALウーマン」(REALはRealistic, Equal, Active, for Lifeの略)のグウェン・ランドルト氏は、「159条を改正ではなく撤廃するというなら、誰もが何歳でもアナルセックスできることになります」と警告した。


セックス党については以下を参照。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1611536&page=1&id=41242885
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1611536&page=1&id=27124233
 カルガリー・スタンピードに参加したピエール・ポワリエーブル党首(カナダ保守党)とダニエル・スミス首相(アルバータ州/連合保守党)が、「ストレート・プライド」と書かれたTシャツの男性と記念撮影したことが判明した。両者とも、Tシャツに書かれたメッセージを支持していないと表明した。
 ともに写真に写っている男性は、身元が確認されていないが、緑色のTシャツを着て、その前面には「異性愛者としての存在に感謝しよう。ストレート・プライド」、背面には「良い人々は悪法に従わない」と書かれている。なおこの男性は、フリーダム・コンボイのとき「FUCK TRUDEAU」と書かれた旗を掲げていた人物である。
 夏に開催される「ゲイ・プライド」または「LGBTプライド」は、それらの人々の権利を擁護する運動だが、「ストレート・プライド」は異性愛者の権利を擁護する運動ではなく、主に右翼団体による、LGBTへの敵意を表明するカウンター運動である。

 ポワリエーブル党首の秘書は、次のような声明を発表した。
「ポワリエーブル氏は、何百人もの人々と写真を撮った。問題の写真は、Tシャツの文字を読む前に撮られたものだ。」
「保守党は、人々が何者であろうと自由な国を建設する。性的指向にかかわらず。」
 ポワリエーブル党首の養父はゲイで、彼の「影の内閣」閣僚にはゲイとレズビアンがいる。彼は、ウガンダでは同性愛に最高10年の禁固刑が科せられることについて「恐ろしい暴虐」「カナダは外国からLGBTQ難民を移住させ続けなければならない」とも語っている。だが2000年代初頭には、同性婚に反対投票している。

 スミス首相は、以下のように語った。
「私は、LGBTQ+コミュニティの支持者である。私は、誰かのための政治的な広告になるつもりはない。私は、そのシャツに表明された意見に同意しない。」
「私はスタンピードで、何千枚もの写真を撮られた。このようなメッセージには、私は今後より注意深くしていくし、スタッフにも注意深くあるよう依頼する。」
同性カップルの日本人女性が昨年秋、カナダで難民認定を受けた。女性であり、同性愛者であることで日本国内で迫害されたこと、日本では法整備がなされておらずその複合差別から逃れられないことなどをカナダ政府の移民難民委員会が認めた。
難民と認められたのは50代と30代の女性。日本で生まれ育った。職場や家族内で差別を受け続けたため、2人で2021年にカナダに渡航。日本で受けた差別や、日本の法整備の現状などを記した200ページ超の資料を提出し、面接や公聴会を経て23年9月、難民と認められた。 難民決定通知書では、2人が受けた差別に加え、国連女性差別撤廃委員会の日本への所見なども踏まえ「差別が日本全体にある」などとして、女性や性的少数者の人権が十分に守られない日本の状況を判断理由とした。 2人は取材に応じた理由について「私たちと同じ苦しみを抱えて生きているLGBTQや女性は多く、日本政府や日本の人々に一石を投じたかった」と話している。 国連難民高等弁務官事務所の報告では、他国で難民認定される日本人は毎年数十人程度いるが、理由についての統計はない。

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