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カナダの歴史と政治コミュのゲルフ大学女学生トップレス事件

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管理人注※
本トピックは2007年07月23日に作成されたものですが、なぜか全部削除されてしまいました。
画像なしで、テキストだけで再掲示します。
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 (1) 1991年7月19日、ゲルフ
 白人は日本人に比べ一般に暑がりであり、夏季にはダウンタウンを上半身裸で歩いている男性をよく見かける。1991年7月19日、オンタリオ州ゲルフは33℃の暑さだった。この日若い女性がゴードン・ストリートを上半身裸で歩くのを、およそ250人の市民が目撃した。外で遊んでいた子供たちは、家の中に駆け込み母親を呼んだ。ポーチに座ってビールを飲んでいた男たちは、あわてて双眼鏡を取り出した。通りを走る車は、徐行運転した。この事件は、この後世界を揺るがすトップフリー運動の歴史的第一歩となった。やがて警官が駆けつけ、女性の身柄を拘束した。
 逮捕されたのは、ゲルフ大学の女学生グエン・ジェイコブさん(当時19歳)。彼女は猥褻物陳列(indecent exhibition)の罪で起訴された。翌年1月の一審で彼女は「暑かったのでシャツを脱いだ。女性も男性同様トップレスで街を歩く憲法上の権利がある」と語り、弁護人は「乳房は性器ではない」と主張した。だが裁判官は「女性の胸は視覚と触覚により男性を性的に刺激する体の部分」であると定義し、「女性の胸が男性と同じであると考える人は文明社会にはいない」として、被告に75ドルの罰金刑を宣告した。

 (2) 全国的運動へ
 裁判を終えたジェイコブさんは、反省の様子を全く見せず、女性が男性と同じ権利を獲得するまで断固戦うとして控訴を表明するとともに、記者団に対し再犯行声明を発表した。そして志を同じくする全国の女性たちに、記念すべき一周年である7月19日の同じ時刻にトップレスになろうと呼びかけた。
 こうして1992年7月19日、ジェイコブさんと二十数名の同調者、そしてマスコミとカメラを持ったおおぜいの野次馬が集結した。野次馬を見たジェイコブさんは「こういう人たちがいるから女性の人権が向上しないのだ」と憤慨したが、時刻が来るとデモ行進を始めた。待機していた警察は、トップレスになったらすぐ逮捕できるよう跡を追った。一行はフォート・エリーに行き、ピース・ブリッジの国境を越えアメリカに入国するやすかさずシャツを脱ぎ捨て、トップレスになった。
 そのころオタワの国会議事堂前では、5000人の野次馬が詰めかける中で5人の女性がトップレスになった。アルバータでは季節はずれの寒波が押し寄せ、7月というのに雪がちらつく異常気象となり、同調者は報告されなかった。1993年7月17日の二周年記念日には、オンタリオ州キッチナーで13人の女性がトップレスになった。

 (3) 無罪判決の衝撃
 1996年12月、オンタリオ最高裁判所は「被告の活動範囲は制限されたもので、完全に非商業的なものだった。また不快感を催した人々の誰も、彼女を見続けることを強制されなかった」として、ジェイコブ被告に無罪を言い渡した。裁判官のうち3名は法律の適用範囲について同意しなかったが、彼らの全員が被告が淫らな行為を行わなかったことに同意した。オズボーン判事とオースティン裁判官は、性的目的がなくともある行為が猥褻でありうることを示唆した。ウェーラー判事は、分別のある傍観者によって性的であると思われるかどうかが問題であり、胸を露出する行為が自動的に性的満足のためであることを意味しないと語った。なお憲法上の権利については、判断を避けた。
 ジェイコブ被告の弁護人マーガレット・ブーストはこうコメントした。
「女性は今や男性と同じことをする権利を得ました。夏の暑い日はトップレスで歩きましょう」。
 ジエイコブ被告はこうコメントした。
「有害な法律を変えることは、社会を変革する最初のステップである。性の対象物と見られたくないなら、女性は肉体を性的とみなす状況を克服しなければならない。社会が女性の体を絶対的に性的なものと定義し続けることを許すなら、女性はもはや性の奴隷以上の何ものでもない」。
 ダイアン・カニンガム女性問題担当大臣は、判決に驚きを表明した。
「私は、誰もがこの判決に驚くと思う。一部の女性がトップレスになるとき、大多数の人々は不快感を催すだろう」。
 新民主党のマリリン・チャーリーは語った。
「権利の平等は支持するが、ほとんどの女性はトップレスにならないと思う」。
 自由党のサンドラ・プパテロ議員は
「自己主張の場はたくさんある。ヌーディスト・ビーチはその一つであり、ダウンタウンはそうではない」と語り、判決に異議を唱えたがヌーディスト・ビーチは支持した。
 トロント・スター紙は論説でこう述べた。
「毛が生えていようといまいと、胸は胸でしかない。見なければならないなどということはない」。
 右翼の伝道者ケン・キャンベルは、ジェイコブさんを「路上の合法化されたストリッパー」と評した。
 人類学者アシュリー・モンテインはこう語った。
「女性の胸に対する男性の強迫観念的幻想は、男性が見せることを命じた場合を除き、それを隠すことを要求する。それらの要求は、女性を支配し、搾取し、その地位を貶めるものである。彼らは本物の性的倒錯者なのである」。

 (4) その後の動向
 こうしてオンタリオ州で女性のトップレスが事実上解禁されると、自宅の裏庭で半裸で日光浴する女性や、半裸で芝刈りする女性に隣人が抗議する事件が相次いだ。やがて人々は子供がトップレスを目撃するのを恐れ、公園に連れて行けなくなると考えた。だがジェイコブ事件は、目撃者の中に子供たちがいたという点で重要な判例となった。
 オンタリオ州ノースヨーク市では、レストランで女性のトップレスを禁止する法案が審議された。オシャワ市議会でも、トップレスの女性を不法侵入で起訴する法案が票決された。
 だがジェイコブ事件と同様の判決が1998年にサスカチュワン州で、2000年にはブリティッシュコロンビア州で下された。ブリティッシュコロンビア州メープルリッジの著名なトップフリー運動家となったリンダ・マイヤーさんを、CBCニュースは乳首を編集せずに放送している。カナダにおけるトップフリー問題は、法的には決着したものと見える。

コメント(11)

他コミュでの議論を紹介します。

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2007年07月22日14:49
49:ハーバーセンターくん

どうやら「トップレス」というのは性的な意味で乳房を露出することであり、「トップフリー」とは暑さを凌ぐため男性同様上半身裸になる権利を指すようです。「ヌーディズム」は自然回帰などの理由で全裸になる行為を指します。

人類学者アシュリー・モンテインの
「女性の胸に対する男性の強迫観念的幻想は、男性が見せることを命じた場合を除き、それを隠すことを要求する。それらの要求は、女性を支配し、搾取し、その地位を落としめるものである。彼らは本物の性的倒錯者なのである」
という発言などはメチャクチャだと思います。
男性のちんこは出したいときに出すものであって、「女性が見せることを命じた場合を除き隠すことを女性に要求されている」ものではないと思うのですが。
2007年07月22日15:45
50:kdx

ここ↓までは合ってると思いますが、

> 「女性の胸に対する男性の強迫観念的幻想は、男性が見せることを命じた場合を除き、それを隠すことを要求する。それらの要求は、女性を支配し、

ここ↓以下が間違いかと。

> 搾取し、その地位を貶めるものである。彼らは本物の性的倒錯者なのである」

しかもそれは「性的倒錯」ではなくて、どっちかというと普通。「強迫観念的幻想」を持たないほうが「倒錯」に近いでしょう。この例は、「正常である」とされていることを否定するために、ムリヤリに別の「正常」をぶつけようとしているという点で批判対象と同じ穴のムジナになってしまってますね。
2007年07月22日23:57
51:ムラコ

>49
ヌーディズムと異なる点は、男性と女性を等しく扱え、ということであって、社会が規定した身体の露出のコードの変化を要求する点では共通するところがあるでしょうね。

>50
性的倒錯こそが人間の通常の姿であるということも出来るのではないですか。どっちが正しいというよりも、倒錯に正しいものなどない、という主張だったらそこそこいけるような気がします。特定の性的倒錯にのみ権力によって正当性が付与されていることは確かなわけで。
2007年07月23日00:52
52:kdx

> 性的倒錯こそが人間の通常の姿であるということも出来るのではないですか。

そうですね。こういうことをする人が、逆に「健全な性のあり方」を主張することになってしまっているのは、なんとも皮肉な結果かとw

> 特定の性的倒錯にのみ権力によって正当性が付与されていることは確かなわけで。

そうすると、何をもって「倒錯」とするかという、定義自体が崩壊するのでは?(生殖目的以外の発情は全部倒錯、みたいな話になってしまうと、人間性の根本的な否定ですね)。男が女性の胸に性的興奮を覚えることが「倒錯」だとして、それに正当性を付与したのは「権力」ではなく、社会でしょう。もちろん、そこには女性自身も含まれている。
2007年07月23日01:10
53:ムラコ

>52
>そうすると、何をもって「倒錯」とするかという、定義自体が崩壊する

そうです、そうです。さらにこの流れていくと、生殖目的も倒錯となって、人間性の根本的な否定も勿論ですが、そもそも概念としての人間の否定につながると思います。最近のフェミニズムとくにサイボーグフェミニズムなんかはそういうことを言い出してますよね。もうここまで来ると、フェミニズムというのがそもそもなんであるのか、というのが分からなくなってきますが。

>それに正当性を付与したのは「権力」ではなく、社会でしょう。

これもまったくその通りで、私は正確にはミクロ権力というべきでした。トップフリーの人たちは男女平等ということを建前にして身体の露出という行為をミクロ権力に対する闘争にしようとしてるのではないでしょうか。ですから、本当に男女を等しくすることが目的なのか、そもそも反権力を志向しているのか、不可分な行動になっていると思います。
 オンタリオ州シーリーズ・ベイに住むマリカ・デ=フロリオ(56歳・写真)さんは、近所に住む5歳の子供が乗るおもちゃの4輪バギーの騒音に悩まされていたが、その画期的な対処法を思いついた。
 カナダでは、女性がトップレスで出歩く権利が判例上確立されている。そこでバギーがうるさいときは、彼女がそうすれば、子供の祖父母が子供をあわてて家に押し込むということに気がついた。
 彼女の隣人マイク&ナンシー・ベリー夫妻とのトラブルは、彼女がこの地区に引っ越した2年前から始まったという。デ=フロリオさんは語る。
「私は気が狂いそうです。引っ越すわけにもいかないし、ただ平穏な生活が欲しいだけです。自分がこんなことをするなんて信じられないけど、そうすると彼らは孫を家に引き込み警察を呼ぶのです。」

 トロント市警のイザベラ・コットン巡査は、「この種の事件に関する刑事告発は…1996年を最後にありません」と語った。
 6の投稿がまた削除されているので、画像なしで再掲載します。
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 トップフリー運動の聖地オンタリオ州ゲルフで8月28日、トップフリーの権利を祝う集会に、25人の参加者とカメラを持った大勢の見物人が集った。
 会場となったセントジョージス・スクエアで、女性たちが上着を脱ぐと、カメラを持って集まった見物人たちが反応した。発起人であるゲルフ大学学生のリンジー・ウェッブは、
「おっぱいを見るためにここにいる人たちは、出て行って下さい」
とアナウンスした。
 もう一人の発起人アンドレア・クリンクローは、
「私たちは、女性たちがトップフリーになる権利を行使するための安全なスペースを、ここに確保したい。女たちよ、権利を持とう。男たちよ、協力的になろう。」
と呼びかけた。
 イベントに参加したシンシア・ブラッグ(64歳)は、傘のあるテーブルに着いた。大勢の男性見物人に恐れをなし、トップフリーになかなかなれなかったからである。彼女は取材にこう答えた。
「見て下さい、カメラを持った大勢の男たちは、サングラスを着けています。彼らはなぜ顔を隠すのでしょうか。」

 クリンクローは、ジェイコブ判決から14年、女性は公共の場でトップフリーになる法的自由を獲得したかもしれないが、社会的自由はまだ獲得していないと述べ、
「ヨーロッパのように、ビーチでトップレスになったり、トップレスでダウンタウンをローラーブレードで走行しても、誰も気に留めないようになったら、どんなに素晴らしいことでしょう。」
と語った。
 イベントに男性として参加したフィル・ロングスタッフ(50歳)は、こう語った。
「人類は足首を乗り越え、太ももを解放した。なぜ胸を解放できないのだろうか?」

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削除された画像を見たい方は、以下を参照。ヌードはありません。
http://blog.so-net.ne.jp/canadian_history/2010-08-29
「勘違い」とは何のことでしょうか。

ちなみに、トップページとコミュニティルールは読まれたでしょうか。
「キリスト教原理主義者」の方は、当コミュに入会できません。
当コミュは意見は自由に書けますが、必ず論拠を挙げて下さい。
「ダメなものはダメ」では、議論になりません。ダメな理由を書いて、他のメンバーを説得する必要があります。
議論のできない人は、参加をお断りしています。
>>[9]

当コミュは「学問コミュ」でして、意見を書く際は論拠が必要になります。「私がそう信じているから」では他者を納得させることはできません。
カナダでは、女性がトップレスで出歩く権利が確立されています。記事は、どのようないきさつで認められるに至ったかという「事実」が述べられているだけで、それで世の中良くなったとも悪くなったとも言っていません。
カナダ憲法の和訳も掲載しているので、このような権利は憲法上妥当であるかどうかについて論じていただけると幸甚ですが。道徳的に良いか悪いか、あなたの信条や好き嫌いは、他人にとってどうでもいいのです。
コミュニティのトップページは読まれたでしょうか。「キリスト教原理主義者」の方は、当コミュに入会できません。その理由は、メンバーの大多数がキリスト教徒でないのに、「自分はキリスト教徒で、聖書を基準として行動するし、他者もそうあるべきだ」と、一方的に自己の信条だけを述べ、キリスト教徒でない人にも押し付けるようだと、議論にならないからです。ここは個人の信条を告白するコミュニティではなく、「学問コミュ」です。議論のできない人は、参加をお断りしています。

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