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カナダの歴史と政治コミュのジャズピアノの巨匠オスカー・ピーターソン死去

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 「鍵盤のマハラジャ」の異名をとったジャズ・ピアノの巨匠オスカー・ピーターソン氏が12月23日、腎不全のためオンタリオ州ミシサウガの自宅で死去した。82歳だった。
 彼は、白人が主流だった1950年代の欧米音楽界で成功を収めた数少ない黒人音楽家の一人で、生涯にグラミー賞を7回受賞した。
 オスカー・ピーターソンは1925年、モントリオールに生まれた。黒人の多い地区で育った彼は自然とジャズに親しんだ。父ダニエルからトランペットとピアノ、姉デイジーからはクラッシックピアノを教わり、7歳で結核を患ってからはピアノに専念した。1940年14歳のとき、CBC(カナダ放送協会)の全国音楽コンクールで優勝すると、彼は学校に行くのを止め、ホテルや音楽ホールでピアノを演奏して生活するようになる。
 1949年に大物プロデューサーのノーマン・グランツに見出され、ニューヨークのカーネギーホールで公演し、流麗な演奏で全米にその名をとどろかせた。ベースのレイ・ブラウン、ギターのハーブ・エリスとのトリオでの演奏で知られ、生涯に録音したアルバムは200枚以上とされる。
 1993年には脳卒中で左手が動かせなくなり、2年間演奏から遠ざかる。彼のファンで友人でもあるクレチエン首相より、オンタリオ州副総督就任の依頼があったが断り、リハビリを重ね、演奏に復帰した。1991年から94年までヨーク大学総長を務める。2005年には、存命の人物として初めの記念切手がカナダで発行された。

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 モントリオールの地下鉄駅「リオネル・グルークス」の駅名を、「オスカー・ピーターソン」に変えようという運動が活発になってきた。
 昨年12月に亡くなったジャズ・ピアノの巨匠オスカー・ピーターソンは、この駅の付近で生まれ育った。このエリアはカナダで最も古いブラック・コミュニティーのひとつであり、彼らの心の拠り所となった教会は、今も駅のすぐそばにある。

 現在の駅名は、カトリック神父で歴史家のリオネル・グルークスにちなんでいる。彼はヌベール・フランス(仏領カナダ)時代を黄金時代として、何人かのフレンチ・カナディアンを神格化する独特な歴史観を持ち、カナダ連邦結成を失敗と断じ、イギリス系に対抗するにはフレンチ・カトリック国家の建設が必要だと説き、ユダヤ人の追放を主張した。また彼は異民族間結婚で生まれた子は精神分裂症になると断言し、フレンチ・カナディアンの血統がインディアンやアフリカの奴隷の血で損なわれていると主張した。
 彼はポルトガルのサラザールやイタリアのムッソリーニを信奉したが、彼らと思想的に近いモーリス・デュプレシがケベックで政権を握ると、グルークスの仲間は彼を支持したにもかかわらず、グルークス自身は彼を支持しなかった。

 リオネル・グルークスはケベック以外ではほとんど知られていない。改名を目指す人々は、「世界的なミュージシャンを讃えると同時に、差別的な過去のシンボルを消し去ろう」と主張している。


写真:リオネル・グルークス神父。

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