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カナダの歴史と政治コミュのカナダのノーベル賞

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ノーベル賞獲得:15人と1団体、計16個

【ノーベル賞を獲得したカナダ人】 15人(うち外国生まれ4人)+1団体
フレデリック・バンティング(トロント大学卒、開業医)1923年生理学・医学賞
レスター・ピアソン(トロント大学卒、政治家)1957年平和賞
シドニー・アルトマン(マサチューセッツ工科大学・コロンビア大学・コロラド大学卒、エール大学教員)1989年化学賞
リチャード・テイラー(アルバータ大学・スタンフォード大学卒、カリフォルニア大学・スタンフォード大学教員)1990年物理学賞
バートラム・ブロックハウス(ブリティッシュコロンビア大学・トロント大学卒、マクマスター大学教授)1994年物理学賞
ウィリアム・ヴィックリー(エール大学・コロンビア大学卒、コロンビア大学教員)1996年経済学賞
ロバート・マンデル(ブリティッシュコロンビア大学・マサチューセッツ工科大学卒、コロンビア大学教授)1999年経済学賞
パグウォッシュ会議(カナダの団体)1995年平和賞
ウィラード・ボイル(マギル大学卒)2009年物理学賞
ラルフ・スタインマン(マギル大学卒、ロックフェラー大学教授)2011年生理学・医学賞
アリス・マンロー(ウェスタン・オンタリオ大学中退)2013年文学賞
アーサー・マクドナルド(ダルハウジー大学卒、クイーンズ大学教授)2015年物理学賞

【ノーベル賞を獲得した外国生まれのカナダ人】 3人
ゲオハルト・ヘルツベルグ(ドイツ生まれ・カナダ国籍、ダルムシュタット工科大学・ゲッティンゲン大学・ブリストル大学卒、ダルムシュタット工科大学・サスカチュワン大学・シカゴ大学教員)1971年化学賞
ジョン・ポラニー(ドイツ生まれ・カナダ国籍、マンチェスター大学卒、トロント大学教員)1986年化学賞
マイケル・スミス(イギリス生まれ・カナダ国籍、ブリティッシュコロンビア大学卒、ブリティッシュコロンビア大学・マンチェスター大学教員)1993年化学賞

【カナダでノーベル賞を獲得した外国人】 1人
ジェームズ・マクラウド(イギリス国籍、アバディーン大学・ライプチヒ大学卒、ウェスタンリザーブ大学・トロント大学・アバディーン大学教員)1923年生理学・医学賞

コメント(15)

存命のカナダ作家で最も有名なマーガレット・アトウッドは、ノーベル文学賞の候補に毎年のように挙げられながら、獲得できずにいます。
現在60代なので、長生きすれば確実に獲れるものと思われます。
2007年のノーベル平和賞は、アメリカのゴア元副大統領に授与された。共同受賞者として有力候補に挙げられながら、受賞を逃したイヌイットの女性活動家シェーラ・ワットクルティエ氏は、CBC放送に対し「共同受賞者に名を連ねることができなかったのは残念」と胸の内を明かしながらも、地球温暖化への取り組みが取り上げられたのは喜ばしいと語った。
 ワットクルティエ氏は「私はゴア前米副大統領とペアで平和賞に推薦されていた」と指摘。受賞していれば「(北極地方の問題が)注目を集めることになっただろう」と述べ、「この点を考えると、やや落胆していることを認めなければならない」と語った。
 ただ、「私にとっては(気候変動の問題が)受賞したことに意味がある。我々の地球が受賞者なのだ」と語り、ゴア氏と国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の受賞を評価した。
 カナダの女流作家マーガレット・アトウッド氏は、今年も文学賞を得られなかった。


写真左:シェーラ・ワットクルティエ。
写真右:マーガレット・アトウッド。
ジョージ.ブッシュ大統領はゴア副大統領の受賞にたいして
ノーコメントだそうですよね。 環境のことは何ひとつ考えて
いない様ですね。 
ゴア氏が民主党なのに対し、ブッシュ大統領は共和党で大統領選を戦った仲ですからねえ。
それにしてまさかノーベル賞とは、ゴア氏が大統領選に出馬すれば勝てそうなものを。
カナダの保守党政権も、支持基盤のアルバータが産油州でありことから、温暖化ガス削減には冷淡です。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=17918296&comm_id=1611536
【ノーベル賞を獲得したカナダ生まれの外国人】 7人

ウィリアム・ジオーク(カナダ生まれ・アメリカ国籍、カリフォルニア大学卒、カリフォルニア大学教員)1849年化学賞
チャールズ・ハギンス(カナダ生まれ・アメリカ国籍、アカディア大学・ハーバード大学卒、シカゴ大学教員)1966年生理学・医学賞
ソール・ベロー(カナダ生まれ・アメリカ国籍、シカゴ大学・ノースウェスタン大学・ウィスコンシン大学卒、ミネソタ大学・プリンストン大学・ニューヨーク大学教員)1976年文学賞
デビッド・ヒューベル(カナダ生まれ・アメリカ国籍、マギル大学・ジョンズホプキンス大学卒、ハーバード大学教員)1981年生理学・医学賞
ヘンリー・タウベ(カナダ生まれ・アメリカ国籍、サスカチュワン大学・カリフォルニア大学卒、コーネル大学、シカゴ大学、スタンフォード大学教員)1983年化学賞
ルドルフ=アーサー・マーカス(カナダ生まれ・アメリカ国籍、マギル大学卒、カリフォルニア工科大学教員)1992年化学賞。
マイロン・ショールズ(カナダ生まれ・アメリカ国籍、マクマスター大学・シカゴ大学卒、マサチューセッツ工科大学、シカゴ大学、スタンフォード大学教員教員)1997年経済学賞
★日本のノーベル賞:15個

湯川 秀樹(京都大学卒、京都大学・大阪大学教員)1949年物理学賞
朝永振一郎(京都大学・東京大学卒、東京文理科大学・東京教育大学教員)1965年物理学賞
川端 康成(東京大学卒、作家)1968年文学賞
江崎玲於奈(東京大学卒、筑波大学・芝浦工業大学・横浜薬科大学教員)1973年物理学賞
佐藤 栄作(東京大学卒、政治家)1974年平和賞
福井 謙一(京都大学卒、京都工芸繊維大学教員)1981年化学賞
利根川 進(京都大学・カリフォルニア大学卒、マサチューセッツ工科大学教員)1987年生理学・医学賞
大江健三郎(東京大学卒・作家)1994年文学賞
白川 英樹(東京工業大学卒・筑波大学教員)2000年化学賞
野依 良治(京都大学卒、名古屋大学教員)2001年化学賞
小柴 昌俊(東京大学・ロチェスター大学卒、東京大学・東海大学教員)2002年物理学賞
田中 耕一(東北大学卒、会社員)2002年化学賞
小林 誠(名古屋大学卒、京都大学教員)2008年物理学賞
益川 敏英(名古屋大学卒、名古屋大学・京都大学・東京大学・京都産業大学教員)、2008年物理学賞
下村 脩(長崎医科大学・名古屋大学・プリンストン大学卒、長崎大学・名古屋大学・ボストン大学教員)2008年化学賞

【ノーベル賞を獲得した日本生まれの外国人】 1人
南部陽一郎(日本生まれ・アメリカ国籍、東京大学卒、東京大学・大阪市立大学・シカゴ大学・大阪大学教員)2008年物理学賞
★ノーベル賞受賞者が卒業・修了したカナダの大学:6校(全て州立)
トロント大学、マギル大学、ブリティッシュコロンビア大学、アカディア大学、アルバータ大学、サスカチュワン大学

★ノーベル賞受賞者が卒業・修了した日本の大学:6校(全て国立)
東京大学、京都大学、東京工業大学、東北大学、名古屋大学、長崎大学
 今度デジタルカメラで写真を撮り、それをFacebookに掲載するとき、あなたはノーベル賞を受賞した3人の男に感謝することになるだろう。
 スウェーデン王立科学アカデミーは10月6日、ノーベル物理学賞をチャールズ・カオ博士(イギリス・アメリカ国籍)、ウィラード・ボイル博士(カナダ・アメリカ国籍)、ジョージ・スミス博士(アメリカ国籍)に授与すると発表した。授賞理由は、カオ博士が光ファイバーによる情報通信への貢献、ボイル・スミス両博士がCCD(電荷結合素子)センサーの発明で、今日のネットワーク社会の基礎を築いたことが評価された。賞金の1000万スウェーデン・クローナ(約1億3200万円)の半額をカオ博士、4分の1ずつをボイル・スミス両博士が分け合うことになる。

 カナダのノーベル賞獲得は、これで13個目(12人と1団体)となる。ボイル博士は1924年、ノバスコシア州アマーストで生まれた。
 14歳まで学校に通わず、家で母に教育された。その後ローワーカナダ・カレッジとマギル大学で学び、第二次大戦中の1943年には学業を中断してカナダ海軍に入り、スピットファイアーを操縦した。
 1953 年ベル研究所に入り、1969年スミス博士とともにCCDを発明した。これはアインシュタインが解明した「光電効果」を応用し、物体がどう見えるかという光の情報を電気信号に置き換える技術で、現在はデジタルカメラや望遠鏡、医療用内視鏡などに広く使われている。
 ボイル博士はインタビューで「このごろ、至るところで誰もがデジタル・カメラを使っているのを見るにつけ、スミス博士との研究が与えた影響の大きさを思わずにはいられない」と語った。最も印象的な出来事は、デジタルカメラによる火星から地球への画像伝送だったという。

 カオ博士は、細いガラス繊維で光を伝送する「光ファイバー」の理論的研究に取り組んだ。当時の光ファイバーはわずか20メートルしか信号を送れず、多くの研究者が伝送方法の改良に取り組む中、カオ博士は1966年、繊維の不純物を限界まで減らすことで100キロ以上の通信が可能だと推計した。
 カオ博士と同じイギリスの研究所で働いていたリチャード・エップワース氏は、「車輪が輸送において成したことを、光ファイバーが情報通信において成し遂げた」とコメントした。

 王立科学アカデミーは、カオ博士に先立つ基礎研究の一つとして西澤潤一(元東北大学長)の業績にも触れた。西澤さんは20代から30代にかけて、光通信の3要素(半導体レーザー・光ファイバー・受光素子)を考案し、「光通信の父」と呼ばれた。特に、世界最大の学会である米電気電子学会(IEEE)は彼の業績をたたえ、ニシザワ・ジュンイチ賞を創設している。
 西澤さんが所長を務めていた東北大電気通信研究所の矢野雅文所長は、「カオ博士より西澤先生の方が早く業績を上げ、国際的にも認められている。ノーベル賞の選考委員会の評価の仕方が違うのだろうか。ものすごく残念の一言に尽きる」と語った。いっぽう西澤さんは「基本的なことは我々が成し遂げた。おめでとうと言いたい」とコメントした。


写真:左からチャールズ・カオ、ウィラード・ボイル、ジョージ・スミス。
 ノーベル賞選考委員会は10月3日、2011年のノーベル生理学・医学賞をカナダのラルフ・スタインマン氏、アメリカのブルース・ビュートラー氏、ルクセンブルクのジュール・ホフマン氏の3人に授与すると発表した。賞金の1000万クローナ(約1億1000万円)はスタインマン氏に2分の1、ビュートラー氏とホフマン氏に4分の1ずつ配分される。

 ホフマン氏は1996年、ショウジョウバエの研究を通して、「トル」という遺伝子が感染症予防に重要な役割を果たしていることを発見した。ビュートラー氏は1998年、細菌を認識して免疫機構を作動させる「トル様受容体」をマウスの体内で発見した。スタインマン氏は1973年、T細胞を作動させる「樹状細胞」を発見した。3人の研究を委員会は「彼らの働きは、伝染病やガンや感染症の予防と治療の発展に道を拓いた」と評価した。

 スタインマン氏は1943年、モントリオールに生まれた。マギル大学で生物学と化学を学び、ハーバード医科大学で薬学を修め、マサチューセッツ総合病院に勤めた後、ロックフェラー大学で免疫学を研究していた。
 ところが、ロックフェラー大学のマルク・テシエ=ラビーニュ学長は意外な声明を発表した。
「ノーベル基金が、免疫反応に関する発見についてにラルフ・スタインマンを認めたことを、ロックフェラー大学は光栄に思う。だがその知らせは、甘くほろ苦いものだ。ラルフの家族から今朝、彼が長年にわたる癌との闘病の末、3日前に亡くなっていたと聞かされたからだ。」
 スタインマン氏は4年前に膵臓癌と診断され、樹状細胞を使った免疫療法で闘病を続けていたという。彼の娘アレクシスさんは「父の長年の努力がノーベル賞として認められ、みな感激している。父は生涯を研究と家族にささげた。父もきっと光栄に思うことだろう」と語った。
 スタインマン氏は、カナダに14個目のノーベル賞をもたらすはずだった。だがノーベル賞は、有益な業績を残した学者に研究のための報奨金を提供するプログラムである。よって、物故者には授与されないと定められている。1996年にノーベル経済学賞を受賞したカナダのウィリアム・ビックリー氏は、受賞の3日後に心臓発作で死去した。
 ノーベル財団は10月3日ストックホルムで理事会を開き、スタインマン教授への授賞を取り消さないと決定した。
 スタインマン教授死去の知らせが選考を行うカロリンスカ研究所にもたらされたのは、発表から3時間後の3日午後2時半(日本時間9時半)ごろであった。ノーベル賞規約の第4条には「物故者の業績は授賞に考慮されてはならない」と定められている。ノーベル財団は「このようなことはノーベル賞の歴史で前例がない」としながらも、「規約は死者を故意に選んではならないというもので、今回の決定は教授が存命との前提に立ち、善意に基づいて行われたもの」と強調した。
 ノーベル賞規約は1974年に改定され、原則として死後に贈ることはできないとされた。74年以前には、コンゴ動乱の調停に向かう途中で墜落死したハマーショルド国連事務総長が、死後の61年に平和賞を受賞した。またスウェーデンの詩人エリク・アクセル・カールフェルトも、死後の31年に文学賞を贈られた例がある。
 スウェーデン王立アカデミーは10月10日、2013年のノーベル文学賞をカナダのアリス・マンロー氏(82歳)に授与すると発表した。彼女は、イギリスのブックメーカーの予想では2番目に有力な候補とされていた。最有力候補とされた村上春樹氏は、選に漏れた。
 マンロー氏は1931年オンタリオ州ウィンガムに生まれ、ウェスタンオンタリオ大学在学中から創作を始めた。大学中退後、図書館勤務や書店経営を経て、1968年に初の短編集が「総督文学賞」を受賞し「短編小説の女王」「チェーホフの後継者」と評される。2013年6月には「エネルギーがなくなった。もう書くことはないと思う」と述べ、作家活動からの引退を表明していた。
 彼女は同賞を受賞する13人目の女性であり、カナダ国籍では最初となる。なお1976年に同賞を受賞したアメリカのソウル・ベロー氏は、ケベック州ラシーヌに生まれている。
アリス・マンロー氏が、5月13日に死去した。晩年は認知症を患っていた。

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