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児童文学 愛好家コミュの最近読んだ児童書

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読み終えた 児童書の書名と感想を報告していきませんかわーい(嬉しい顔)

コメント(521)

「かぜのでんわ」 いもとようこ作絵

実際にある、風の電話をモデルに描かれた絵本です。
会えない人に動物たちがそれぞれ伝える言葉が切なくて、涙がこぼれました。
児童書ではありませんが、石井桃子さんが亡くなってまもなく8年なので。

児童文学の旅

最初のアメリカ行きは桃子さんが40代後半だった時期で、時代的にはおそらく無い物ねだりになってしまうのだろうが、桃子さんがもっと早く行くことができていたらその後の日本の児童文学のありようはどうだったのだろうかと想像してしまう。
むろん、40代後半までの積み重ねがあったから、その後の旅で多くを得ることができ、以後につながったということなのだろう。
60代なかばとなったときのイギリスの旅の話(III イギリス初夏の旅)が良い。
ロンドン中心部から西に20キロほどの地下鉄ルイスリップ駅で待ち合わせをした桃子さんは、ロンドン西南部、サリー州からサセックス州を車でまわる。
マーチン・ピピンを書いたファージョンに思いをはせたり、サトクリフ女史に会ったり、そしてその後湖水地方を訪れたり、桃子さんが車の助手席に乗って見た風景や車窓の風景、歩いた街並みが、目に浮かぶようだ。
自分自身もイギリスなら何日間か行き、そのときは、いつもドリトル先生やパディントンやらが頭の片隅にあったし、ドリトル先生の故郷と想定できるところや、児童書専門の本屋さん「チルドレン・ブックセンター」にも行くことができたのを思い出す。
しかしその「チルドレン・ブックセンター」は、本書に1977年頃に経営者が交替したとの記述がある(P.249)ことから、桃子さんが訪れたCBCと同一のCBCではなかったということになる。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/20040716.html

桃子さんは、旅のなかで多くの人たちと会い会話を重ねている。
桃子さん自身がこれらの人たちに育てられたと言ってもいいだろうが、訪ねた人たちの記述で、人を育てること、訓練することの大切さにふれているところがいくつもある。
それは、子どもたちのことではなく、児童文学を子どもたちに伝える役割を持つ人たちに関してである。
たとえば「子どもの本屋」を開いたミラー夫人についての記述で、「本屋はひとに譲った。ところが、彼女が去ると、本屋は、火が消えたようになり、店じまいをした。(中略)『ホーン・ブック』の編集の仕事を、つぎの世代の人にゆずったが、『ホーン・ブック』の内容は増ページをつづけながら、何となく魅力を失ったというひとが多い。(改行)彼女が満足のいく後継者を育て得なかったのか、それとも、個人の夢を実現させるには、あまりにもアメリカの出版文化が、商業化され、機械化されてきたためか。」(P.79)とある。
そして、夕食会で桃子さんが受けた「各自、それぞれの能力をもっているひとたちの助けあい、いたわりあい、そのくせ、意見のくいちがいがあると、いつまでもやりあうという雰囲気」。
また、桃子さんが滞在した家に、桃子さんを訪ねて多くの人たちが来てくれるのだが、その人たちに接した桃子さんは『私は「少年少女の家」の創始者、スミスさんの残していった訓練のあとを見て、驚かないわけにはいかなかった。」(P.91〜92)と書いている。
この時期、子どもたちが自殺してしまったりや虐待を受けたなどのニュース、しかも、子供たちに寄り添う役割である人たちの子どもたちへの向き合い方に疑問を持たざるを得ないニュースを多く見聞きする。
このような事例に対して、事件は事件として正面から受け止めなければならないのは言わずもがなであるが、職員の怠慢だと切り捨て御免的に断罪するだけでは、事例がはらんでいる課題などを整理することはできないだろうし、今後どのように子どもたちに対していけばいいのかということまで考えていくこともできないだろう。
むろんその要因となるものは多々あるだろうが、そのひとつとして、対人業務における専門性の確保や経験値の積み重ね、そして専門性や経験値を共有していくために伝えあい学びあうう体制などの大切さを考えてしまう。
本書にある桃子さんの記述は、分野は異なれど、後進に伝えるべきことを伝えてきただろうか、業務を担い課題などを伝えあう環境を整えることができたのだろうかと、自分の経験と重ねて読まなければならなかった。
写真はありませんが、「よその子」トリイ・ヘイデンの話が好きです。

他にも著書はありますが、これが一番好きなんです。
カテゴリーで言うと児童書じゃないです。でも児童心理学の先生が書いている子供の話なんです。
すごく読んでいると一体感があっていいんですよね。
あっという間に読み切ってしまいます。
著者も完璧な人間ではないので、個人的な話しも出てきますが、そこがまた人間味があっていいのです。
そして、何より子供の気持ちを考えているので、大人目線じゃないところが魅力的です。
今日やっと図書館に行けたので、皆さんの感想を参考に以下の本を借りてきました。

「七人の魔法使い」
「少女ポリアンナ」
「かぜのでんわ」

読むのが楽しみです。
読み終わったらまた感想投稿します(*^^*)
「かぜのでんわ」いもとようこ

ついさきほど読み終えました。絵本です。

震災後、「会えなくなった人に想いを伝えたい、という人がいるはず」と、岩手県のガーデンデザイナーの方が、実際に自宅の庭に設置した電話をもとにしたお話だそうです。

せつないけど、きっと思いは届くはず、そう信じたいと思いました。

「七人の魔法使い」 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ

今日読み終わりました。

ストーリー展開のテンポが良く、個性的な登場人物の描写を存分に楽しめました。

児童書でたまにある、考えさせる部分、ちょっと悪く言えば説教くさくてシリアスな部分は一切なく、本当に純粋に子供をわくわくさせ楽しませることだけを考えて作られたストーリーのように私は感じました。

考えさせられる部分がある児童書も私は大好きです。

でも、

「なんとなく今日は何も考えずにただ楽しみたい」

という気分の時は、この本のような児童書の王道のような作品がいいのかな、と思いました。(*^^*)
スイスのロビンソン(上)(下)

原題は「Der Schweizerische Robinson」。
10年ほど絶版になっていたようだが、リクエストを出していてようやく復刊した。
もとになったのはデフォーの「ロビンソン・クルーソー」であるが、「ロビンソン・クルーソー」や、本書同様の漂流もののヴェルヌの「二年間の休暇」のような血沸き肉躍る冒険譚的な波乱万丈さはなく、嵐での遭難と島への上陸、そして自分たちの才覚で島での暮らしを作り上げていくさまは、むしろ予定調和的ですらある。
場所はニューギニア近くの無人島(と訳者の宇多五郎氏が「まえがき」(P.4)に書いているが本文中にはそれらしき記述はなさそうだ)、登場するのは、父親と母親、十六歳のフリッツ、十四歳のエルンスト、十二歳のジャック(ヤーコブ)、十歳のフランツの4人の子どもたち、その他2匹の犬たち、ろば、牝牛、豚、ニワトリやハト、子猿などである。
本書はサバイバル技術の伝授本かとおもうほど、必要な作業工程の解説があるのだが、そうした作業ををこなすとともに、食事の前などでお祈りは忘れず、ときに父親から子どもたちへのお説教じみたお話があったりする。
その一方で一緒にいる犬たちが「やまいぬ」を倒して食ってしまったり、「やまいぬ」や「とらねこ」の皮をはいで弾帯やナイフなどのさやをつくったりする描写があって、そのギャップがおもしろい。
それにしても、なにしろ200年前の作品、電気もない電波もない、あるのはお父さんの頭の中にある知識のみなのである。
この知識があればこそ遭難して上陸できた島で生きていくことができたのであるが、ものごとがこうもうまくいき続けるものだろうかと問うのは、野暮なことかもしれない。

「児童文学」だとしても、活版印刷でこそないが「塩」が「鹽」、「単」が「單」であるように、舊字體の小さな文字そのままでの復刊、現代の子どもたちには読みづらいだろう。
このようなものをみつけた。
http://www.library.metro.tokyo.jp/digital_library/collection/the17/tabid/1890/Default.aspx

1960年代に「宇宙家族ロビンソン」というテレビドラマが放映され、かすかな記憶はあるのだが、「ロビンソン・クルーソー」→「スイスのロビンソン」→「宇宙家族ロビンソン」という流れだろう。

下巻では、のっけから、大蛇との格闘である。
お父さんは相手の大蛇をボアと言っているが、ニューギニアに生息するボアは南米に生息するボアと違って、描写されているような小羊を丸呑みできるほどの大蛇ではないだろう。
しかも、豚が「ベッカリといわれるものであって、ギアナや全アメリカにいるもの」(P.54)という説明があったり、だちょうが登場したりすると、前巻のまえがきで訳者の宇多五郎氏が書いた「ニューギニア近くの無人島」は、少々怪しい気もする。
南アメリカであれば、だちょうはレアであろうと考えられるが、ニューギニアあたりだとヒクイドリがダチョウ目に属するらしい。
そしてだちょうにしろ豚にしろ、狩りをして屠り、みんなで手際よく解体してしまうのである。
それも、ちょっと数が多過ぎやしないかと思うほどの数だ。
まあ、燻製にしたりして保存食に加工して、冬に備えるのであるが。
しかし、せいうちやかば、大猿(オランウータンらしい)やぞうなどが登場するに及んでは、何もそのような種類の動物まで出さんでもよかろうにと、思ってしまう。
何れにしても1951年の翻訳では確かめようもないので、原文を当たるのが一番かもしれない。
ストーリーは、10年後の最終盤に至って、同じように難破して2年にわたって一人で暮らしていた若い女性を救出し、さらには嵐から避難してきたイギリス船で帰国の途が開かれて、大円団を迎える。

ウィース(Johann David Wyss)/著
宇多五郎/訳
岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/32/3/3276210.html
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/32/1/3276220.html
未来への旅

「夏への扉」の原作「THE DOOR INTO SUMMER」を、講談社「世界の科学名作」第13巻として、福島正実さんが翻訳したもので、1965年10月刊行されました。
「THE DOOR INTO SUMMER」の邦訳としては、3番目にあたります。

読者を想定したのでしょう、原著では描かれていたことが省略されていたり別の表現になっているところが多々あります。
本書では、ダニー(版によってはダニイだったりする)が酒場に入るところから始まります。
このため、
He had a fixed conviction that at least one of them must lead into summer weather.
の文章のある部分が省略されています。
このことによって、最後の
However, Pete, being a proper cat, prefers to go outdoors, and he has never given up his conviction that if you just try all the doors one of them is bound to be the Door into Summer.
You know, I think he is right.
の部分が、そっくり省略されることになります。
本書の題名が「夏への扉」ではなく「未来への旅」であることの意味がここにあるのは、とっても残念なことなのだと思いました。

また、画像は本体の表紙(表裏、依光隆さん画)ですが、絵のテーマは内容をふまえたのではなく、このシリーズだからこの絵なのでしょうね。
中の挿絵(斎藤寿夫さん画)では、ちゃんと大人として描かれています。
古本が続きます。
今回は、古本市で見つけた函入りハードカバーの岩波少年文庫版「海底二万里」(上)(下)。

(上)は、昭和36年12月15日第7刷、初版は昭和31年11月10日です。
そして(下)は昭和37年2月25日第5刷版で、初版は昭和32年5月10日です。

上下巻では初版の日付が半年異なっています。
早くに上巻を読んで、わくわくしながら待っていた読者も多かったのかもしれません。
この点については、訳者の石川湧氏も、「あとがき」で「ほかの仕事で忙しかったために、下巻の出版がおそくなったことを、この少年文庫の編集部と、若い読者諸君とに、ふかくおわびします。」と言ってらっしゃいます。

1991年の改版でも石川湧訳でしたが、現在の岩波少年文庫版(2005年)は私市保彦訳なので、訳の違いをみてみるのもおもしろいかもしれません。
また、「日本語に訳せない動物名などが、立てつづけに出てくるところなどは、ぼくも省きました」」(「あとがき」より)と省略された部分は、上下巻で六百余ページに対して、合計十ページほどなので、岩波少年文庫版を「完訳」と言っても差し支えないのかもしれませんね。
ほかの「完訳」を謳っている版との比較も、してみたいと思います。

ピエール・アロナックスがエイブラハム・リンカーン号に乗船したのが1867年、この年、日本では孝明天皇が崩御し、明治天皇が即位した年、まだ江戸時代です。
アメリカ合衆国海軍東インド艦隊とペリーが浦賀に来航した1853年から、14年後のことでした。
「点子ちゃんとアントン」ケストナー
司書さんに薦められ今更ながら読んでます。挿し絵も訳もほっとします。まだ飛ぶ教室と動物会議しか読んでないので次はどれにしよう♪

「きかせたがりやの魔女」岡田淳
児童書新作コーナーに見つけて飛びつきました!小学生に…いや魔女になりたくなる(笑)。はたこうしろうさんの挿し絵も可愛らしくて好き。
【いちばん美しいクモの巣】

「詩人が贈る絵本 2」シリーズ、原題は「LEESE WEBSTER」。
クモをメインにしたおはなしは、たぶん、はじめてだ。
各ページのどこかにひっそりと描かれている、リーゼ。
ただの線画ではなく、人間以上に生き生きとしている。
だからと言って、夏ごろ大っきな網をつくる女郎蜘蛛は、さすがに好きになれないけれど。
アーシュラ・K・ル=グウィン(Ursula K. Le Guin)/著
ジェイムズ・ブランスマン(James Brunsman)/絵
長田弘/訳
http://www.msz.co.jp/book/detail/04743.html


【子どもたちに自由を!】

「詩人が贈る絵本 2」シリーズ、原題は「THE BIG BOX」。
3人の子どもたちが、いずれも「やっていいこと以外は、やってはいけない。・・・きみは、自分の自由というものを、大事にしていない」と言われて入れられたのは、「でっかい、うんざりする、囲いの中」。
子どもたちが死を選ばなくてはならない「でっかい、うんざりする、囲いの中」から出て、自由を手に入れる術は、あるだろうか?
トニ・モリソン(Toni Morrison)+スレイド・モリソン(Slade Morrison)/著
ジゼル・ポター(Giselle Potter)/絵
長田弘/訳
http://www.msz.co.jp/book/detail/04744.html


【魔法使いの少年】

「詩人が贈る絵本 2」シリーズ、原題は「MARTZE」。
う〜む、「魔法」って、何だろう?と考えてしまう。
原作が生まれたのは1968年のようだから、もしかしたら、内容は手強いのかもしれない。

ジャック・センダック(Jack Sendak)/著
ミッチェル・ミラー(Mitchell Miller)/絵
長田弘/訳
http://www.msz.co.jp/book/detail/04745.html
>>[485]
お久しぶりです。(o⌒∇⌒o)
7人の魔法使い、私も内容がうろ覚えだったので再読しました。
意外性があってとても面白かったです!!
最後まで7人目は?だれ?どこ??とハラハラしてしまいました。

ラストはビックリです。
これは図書館で借りたのですが、手元にあっても良いかなと思うほど面白かったですね。

今は「マライアおばさん」を読んでます。やはり再読なのですが、内容を忘れてるのでドキドキです。

余談ですが、若草物語続編のジョーが作った学校での話を読んでもいます。
気が向いたときにどちらかを。
児童文学は最高です!(≧▽≦)
昭和19年10月に通信兵として大陸に渡った隆は当時16歳、今も存命ならば、88歳になっている。
16歳の少年を入営させ、ポツダム宣言受諾まで1年を切ったこの時期に戦地に向かわせる「国」とは、何だ?
むろんポツダム宣言そのものが明らかになるのはまだ先の話だが、この時期の戦況については戦争指導者たちがわかっていなかったわけではない。
大本営は、聞きたくない話を聞く耳を持たなかった、ということだ。

この作品は、単純に敵と味方に分けて描くだけだったり、戦争や戦争に伴う悲惨さ、加害者批判あるいは被害者意識を強調するような「戦争児童文学」(この用語を使うことには、ためらいがないわけではないが、他に適当なことばがみつからない)ではない。
日本陸軍内での生活、占領下中国の人々のくらし、そして反日運動に身を置く中国のひとたち、戦場での将校や兵士、さまざまな人たちがさまざまな状況に立たされている姿を描いている。
創作ではあるけれど、「かわいそうなぞう」のような質の創作でもないだろう。

「心臓をぶちぬくようなおもいをあたえるみずかき山」「たるんだ気持になった時、この山を、おもいだすんだ」(P.7)と大杉先生がいった、隆のふるさとのみずかき山ににている《ぴいちゃあしゃん》。
しかし《ぴいちゃあしゃん》は、部隊の捕虜となりそして殺された中国の少年兵たちに対して「これから先の、いちばん大きな未来をもっているものが、あっというまに殺されてゆく」(P.189)いたみを抱いた隆に対しても、
「みずかき山ににているなつかしい山とはみえなかった。どんな、あたたかなふれあいにも、心の窓をひらこうとはしない山だった。こんな《戦い》というものがあるかぎり、この国の人たちとの心のふれあいなどは、決して生まれないのだ……と、隆にむかって、きっぱりといいはなっている山だった」(P.190)
との文章が、胸にせまってくる。
隆が意識を失ったのが71年前の今日、71年前の明日になって回復しつつあるところでお話はおしまいになるのだが、そのあと、隆はイェン・ユイとの《ぴいちゃあしゃん》の約束を果たすことができたことを願わずにはいられない。

そして、イェン・ユイやイェン・リー、ルー・ホア、エーシン、スン・レイたちは、「海洋強国」たる中国の姿を求めていたのではあるまい。

もともと本書は1964年に刊行されているが、本書は1975年刊行の愛蔵版で、挿絵は滝平二郎さん。
1965年、厚生省・児童福祉審議会推薦図書特別賞を受賞。
「鶴見俊輔書評集成2」に「少年になった父 乙骨淑子『ぴいちゃあしゃん』」が収録されている。
http://www.msz.co.jp/book/detail/07312.html
絶版になって久しいのだが、こうした本は継続して刊行してほしい。
いまの理論社には無理かもしれないが。
「二分間の冒険」岡田淳作
小学六年生の息子の夏休みの課題図書だったのですが、
息子が他の本を読んでいる間に、久しぶりに私も読みました。
私がこの本を初めて読んだのも、小学五年生の時だったと思います。
「最初はバラバラだった仲間たちが、
みんなで力で合わせて、何かを成し遂げる」というテーマが、
同じ作家さんの「ようこそ、おまけの時間に」に似ていると思いました。
なぞなぞがたくさん出て来て、楽しかったです。
ちょっとラブストーリーが入っているところも、
この作家さんには珍しくて、微笑ましかったです。
息子も夢中になって読んでいて、嬉しかったです。
とぶ船(上)(下)

時間旅行ものの児童文学の一冊である。
1939年の出版で、日本では1953年に少年文庫版が刊行された。
本書と同じように、作者が子に語ったおはなしが元になったドリトル先生シリーズ(厳密には手紙を書いた)の最初の「アフリカ行き」が1920年。
しかし、ドリトル先生で沸いたようなわくわく感とは、「とぶ船」では生まれてこない。
こうも違うのは、なぜだろう。
考えてみると、ドリトル先生もトミーも、魔法を使った旅ではないからじゃないだろうか。
魔法ではないからドリトル先生たちは時間旅行はできないのだけれど、太古から生きてきたドロンコやオーソ・ブラッジから話を聞くことで、あたかも実際に過去に旅したような気分になることができたのだ。
月にも行ったし。
これは、読んでいる者がすでに魔法を使える年齢をとうに過ぎたから、とも言えるのだが、ドリトル先生たちは移動に生きものの力を借りるとはいえ、魔法ではなく自分たちの力で移動しているところにあるのではないかと考えてしまう。

ピーターたちの船にのっての移動は、最初は時間旅行ではなく、空間を移動するだけだが、すぐに時間も移動することになる。
まとめてみると、上巻は、
1 ピーターが自宅へ帰る(空間)
2 ラディクリフ町に行く(空間)
3 病院に行く(空間)
4 エジプトに行く(空間)
5 北欧の神々の住むところに行く(時間)
6 ノルマン人がいたころのイングランド(時間)
下巻は、
7 ファラオの墓(空間)
8 古代エジプト(時間)
9 ノルマン人がいたころのイングランド、マチルダを連れてくる(時間)
10 ノルマン人がいたころのイングランド、マチルダを送り返す(時間)
11 ロビン・フッドのイングランド(時間)
12 ジョン王や獅子王リチャードの時代、バビロン、スパルタ、ハンニバルの時代(時間)、どのような内容だったかは語られない
13 ピーターが船を買った店(空間)
である。
上巻の北欧の神々の住むところに行ったときに、フレイから「未来には行けない」と言われていたのだが、マチルダやディッコンは未来に来る。
何の説明もないのだが、船を操るのはマチルダやディッコンではなくてピーターたちだからOKなのだろうか。
岡田淳先生の学校ウサギをつかまえろは見ていて久々に楽しかったです。岡田淳先生はそれでこそファンタジーで知られてますが、この作品は日常を題材にした作品です。時代背景が80年代っぽいのですが、今も再販し続けられているのはさすが素晴らしいです。のんこが好きですね。
阿川佐和子さんが「ウィニー・ザ・プー」をトライしたとなれば、当然こうこなくっちゃ。
前にも書いたことだが、石井桃子さんの訳が頭のなかにあるなかで、読み手として新訳をどう受け止めるか。
本書を読んでみると、あらためて石井桃子さんの訳について、翻訳なのだろうか意訳なのだろうかと考えてしまう。
原語の持つリズムとか感覚を日本語に移し替えるときに、どこまで英語で感じるものを日本語で読む読者の内に再現できるか。
「POOH CORNER」を「プー横丁」とするか「プーの細道」とするか、その意味では、原語本とともに読むのがいいのかもしれない。

ためしに、目次を並べてみよう。
In which a house is built at Pooh Corner for Eeyore
 プー横丁にイーヨーの家がたつお話
 プーの細道にイーヨーの家がたつ。
In which Tigger comes to the forest and has breakfast
 トラーが森にやってきて、朝ごはんをたべるお話
 トララが森へやってきて朝ご飯をご一緒に。
In which a Search is Organized, and Piglet nearly meets the Heffalump again
 捜索隊がそきしされて、コブタがまたゾゾに会うお話
 捜索隊が結成され、コプタンはふたたびゾオオに遭遇しかける。
In which it is shown that Tiggers don't climb trees
 トラーは木にのぼらないということがわかるお話
 トララ族は木に登らないことが判明。
In which Rabbit has a busy day, and we learn what Christopher Robin does in the mornings
 ウサギがいそがしく働いて、クリストファー・ロビンがお昼まえになにをするのかが、みんなにわかるお話
 ウサギは一日じゅう忙しい。そしてクリストファー・ロビンが午前中何をしているかわかる。
In which Pooh invents a new game and Eeyore joins in
 プーがあたらしい遊戯を発明して、イーヨーが仲間にはいるお話
 プーは新しいゲームを発明し、イーヨーが参加する。
In which Tigger is unbounced
 トラーが、はねっかえりをなおされるお話
 トララが暴れん坊性分をなおす。
In which Piglet does a very grand thing
 コブタが、とてもりっぱなことをするお話
 コプタン、でかしたぞ!
In which Eeyore finds the Wolery and Owl moves into it
 イーヨーがクフロ荘を見つけて、フクロがそこへひっこすお話
 イーヨーがフロクン庵を見つけてフクロンが引っ越す。
In which Christopher Robin and Pooh come to an enchanted place, and we leave them there
 クリストファー・ロビンとプーが、魔法の丘に出かけ、ふたりは、いまもそこにおります
 クリストファー・ロビンとプーが魔法の丘へのぼり、私たちはそこでふたりとさようなら。
原文、石井訳、阿川訳である。
>>[499]

 阿川佐和子さんというと、「きかんしゃやえもん」の他に「山本五十六」など歴史本の作者でもある
阿川弘之さんの長女ですね!
>>[500]

新幹線「のぞみ」の命名も、父上のアドバイスを受けて、阿川さんが推したのでしたね。
黒い兄弟
アニメ「ロミオの青い空」の原作。煙突掃除のために買われたこどもの貧困と労働と、テーマは重いですが少年たちの純粋さや逞しさ賢さが描かれて爽やか。アニメも好きです。
第九軍団のワシ

本書を読むと、ローマン・ブリテンを描く「銀の枝」「ともしびをかかげて」「辺境のオオカミ」などを手に取りたくなるし、ローマン・ブリテン以外のサトクリフの作品群も読みたくなる。
この人の「アーサー王」も、本が壊れるまで読んだなあ。
映画化されているのは知っているが、見ていない。
あらためて映画を見るかといえば、多分、見ないだろう。
本を読んでいるだけで、情景をありありと想像できるから。
ひとつ注文があるとすれば、巻頭の地図、北壁以後のエリアを、もっと詳しくした絵地図のようなものが欲しい。

宮崎駿さんの「本へのとびら――岩波少年文庫を語る」でも紹介されていた。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1950354951&owner_id=845953

ケルト人の村ヴィンドボナ(Vindobona、現在のウィーン)がローマに征服されて砦が築かれたのが紀元100年頃で、第九軍団が行方不明になったのが紀元117年、いずれもトラヤヌス帝の時代である。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e7/RomanEmpire_117.svg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/79/Vindobona_250-300.svg
日本では弥生時代後期、卑弥呼はまだ歴史には登場していない。
クリスマス・キャロル

2015年は、赤坂ACTで「スクルージ」を観ました。
2016年は、本書で。
本書は、古本市で見つけたソフトカバーの岩波少年文庫版、1984年10月20日第37刷。
「クリスマス・キャロル」は、1950年12月25日の岩波少年文庫創刊で出版された5作品のうちのひとつです。
ちなみに、あとの4作品は、「宝島」(スティーブンスン)、「あしながおじさん」(ウェブスター)、「小さい牛追い」(ハムズン)、「ふたりのロッテ」(ケストナー)であした。
いま出ている少年文庫は2001年の刊行で、訳者は脇明子さん。

12ページに「旧市内」という言葉が出てきます。
むかしは気にも留めなかった言葉ですが、ロンドンはもとより、ヨーロッパの都市にあちこち行っていると、この「旧市内」という言葉のひびきと光景が重なり、通りの情景が目に浮かぶようです。

本書の刊行は、ディケンズ30歳の1843年で、ヴィクトリア朝の時代のロンドンであり、本書を貫いているのは、キリスト教的な精神です。
1845年には25歳の若きエンゲルスによる「イギリスにおける労働者階級の状態」が出ているのですが、ディケンズのなかでは、エンゲルスのような社会的視点には至ることはなかったようです。

そして、2015年以後のヨーロッパの「難民」問題の背景、押し寄せた人々を受け入れた2015年9月4日のメルケルの決定の底辺にあるのは、どのような精神的基盤なのでしょうか。
あれこれの考え方が出ていますが、まとめてみると、
・ユダヤ人迫害の歴史
・敗戦後の戦争難民や、追放されたドイツ人を受け入れた経験
・ユーゴ紛争での難民受け入れの経験
・こうした歴史や経験を受けて、基本法に政治的迫害を受けた難民を保護する義務を規定している
・難民受け入れは「恩恵」ではなく将来への「投資」と考える
・キリスト教に基づく市民の理解や包容力
といったことが挙げられると思います。
受け入れられた人たちの社会統合がうまくいったわけではなく、「Multikulti」は失敗したとも言われていますが、何れにしても、ここにキリスト教的精神があるのは確かでしょう。
えのでん タンコロ

おじいちゃんが思い出す こどものころに乗った「タンコロ」、う〜む、実際に乗ったことがある者としては、そのような世代になってしまっているのかと、ある意味愕然。
朝の通勤通学の時間帯には特殊続行運転が行われていて、前を行く2両編成の電車を白い円板の続行標を掲げたタンコロが追いかけていたのは、実際に乗車したタンコロから前を走る電車を見た記憶が残っています。
そうしなければならないほど、車内はぎゅうぎゅう詰めでした。
長谷駅の山側の2番線ホームの反対側にはもう一本線路があって、そこが鎌倉へ向かうタンコロの出発ホームでした。
また、鎌倉駅は、現在の5番線を使っていたと思います。

本書では、高架ではなく小田急の駅の前にあった旧藤沢駅と開かずの踏切、トロリーポールの107と108の続行運転、105と交換する島式ホームになる前の腰越駅、改修前の境川鉄橋、腰越を走るミゼットっぽいオート三輪、海岸を走るボンネットバス、鎌倉高校前駅そばの病院の古い建物、行合川横の牧場、湘南サナトリウムの看板などが描かれています。
昭和30年頃の風景のようだから、どんな資料を利用したのだろうか、知りたくなってきます。
もっとも、龍口寺の前を走る車、フェンダーミラーではなくドアミラー、右ハンドル、なんだろう?、あるいは、人びとの服装は、30年代よりもっと後の時代の服装のような印象ではありますが。

倉部今日子/著
偕成社
http://www.kaiseisha.co.jp/index.php?page=shop.product_details&%3Bflypage=flypage.tpl&%3Bproduct_id=6847&vmcchk=1&option=com_virtuemart&Itemid=9
>>[505]

 江ノ電がテーマの作品だと神奈川出身で、鉄道絵本作家としては五本の指に入る大先生
長崎源之助さんの「でんしゃにのったかみひこうき」がありますね。
この挿絵を見ると佐藤さとるさんの作品を思いだしますが、同じ同人出身の方です。
なぜ戦争はよくないか

「小さな本の大きな世界」で、長田弘さんが紹介している。
長田さんが訳していることは知っていたけれど、手に取るのはずっと先延ばしにしていた。
けれど昨今の世界や日本での動き、ことにここ数年の動きを見ていると、もうこれ以上先延ばしにするのはやめにしようと思った。

原題は「Why War Is Never a Good Idea」、否定詞は「Never」、長田さんの訳「なぜ戦争はよくないか」では、著者が「Never」で訴えたいことが、ちょっと弱いかしらと思う。
でも、こうした問いかけそのものに、「現実にある脅威にはどう対処するのか」的な反論があることを前提に、あえてさらっとした訳にしたのかもしれない。

戦争は/たくさん経験を積んでも/すこしも賢くならないのよ
じぶんのものじゃない/どんなものも/戦争は/へっちゃらで/破壊してしまうの/戦争よりもずっと/ずっと古いものだって/へっちゃらで
Though war is old, it has not become wise.
It will not hesitate to destroy things that do not belong to it, things very much older than itself.

詞のリズムに加えて、ステファーノ・ヴィタールの絵が、さらに想像力をかきたてる。
Sinclair Sofokles der Baby-Saurier/ミニ・サウルス ズィンクレア・ゾフォクレス

「ミニ・サウルス ズィンクレア・ゾフォクレス」は、長田弘さんが「小さな本の大きな世界」で紹介していた。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1960423234&owner_id=845953
原著の「Sinclair Sofokles der Baby-Saurier」とともに読んだ。

著者のフリーデリーケ・マイレッカー(Friederike Mayröcker)さんは、ウィーンで生まれた詩人、作家。
https://lb.wikipedia.org/wiki/Friederike_Mayr%C3%B6cker
イラストのアンゲーリカ・カウフマン(Angelika Kaufmann)さんは、オーストリアのイラストレーター、絵本作家。
https://de.wikipedia.org/wiki/Angelika_Kaufmann

本書で“Museum für Urzeittiere”、訳書で「古生物博物館」とさている博物館、挿絵に描かれているのは“Naturhistorisches Museum Wien”、「自然史博物館」と呼ばれているところだ。
http://www.nhm-wien.ac.at/
以前、一度入ったことがある。
数年前、屋上ツァーに行こうかと思ったことがあったが、スケジュールの都合がつかなくて行かなかった。
http://www.nhm-wien.ac.at/veranstaltungsprogramm/nhm_the_view_from_the_roof_305

時代はいつなのだろう。
ウィーンの街の挿絵に描かれている車や人びとの服装は、一昔前のようだ(P.11)。
ちゃんと煙突掃除屋さんも歩いている。
ヴィリとズィンクレアが公園のカフェで休む場面の挿絵(P.13〜14)で、ウエイトレスが持ってきたコーヒー、プレッツェルも一緒だ。

Sinclair Sofokles der Baby-Saurier
https://www.amazon.de/Sinclair-Sofokles-Baby-Saurier-Friederike-Mayr%C3%B6cker/dp/3853262872
>>[57]
私も大海赫気になって大人になってからドコカとクロイヌとビビとメキメキえんぴつを読んでみました。インパクトすごくてトラウマになりそうです。怖がりなので子供の時だったらきっと読めなかったと思います。

大海赫の作品は赤木かん子先生の本の探偵問い合わせでもぶっちぎりのダントツ1位なのだそうです。その理由は絵も文もあまりにも不気味で子供が読む本なのに衝撃を与えるからのようです。長いこと絶版だったのですが、あまりの問い合わせの多さから復刊されたそうです。
小さな家のローラ

ローラ・インガルス・ワイルダー/作
安野光雅絵/監訳
朝日出版社
http://www.asahipress.com/bookdetail_norm/9784255009827/

おやおや、地図だけではなく、登場人物の家系図がついている。
ページの文章の内容と安野さんの絵とがずれているところもあるのだが、これだけたくさんの絵だから、そうそうぴたっとは収まらないのかもしれない。
そして、これはどんな味がするのだろうかと思う食物が、たくさん出てくる。
最初に読んだのは、岩波の「長い冬」だった。
中学生の頃だったか。
そのあとで、福音館版や岩波文庫版のシリーズを読んだ。
亡父がNHKで放映された「大草原の小さな家」が好きでずっと見ていたので、その時間帯に家にいれば、いっしょに見もした。
時代的には1870年代初め、小学生時代にはテレビでは西部劇を盛んに放映していたのだが、「ララミー牧場」(1860年代後半)よりあと、「ローハイド」(南北戦争後の1870年代)と重なり、のちのお話では「ライフルマン」(1880年代)とも重なるのだが、西部劇とは全然異なった「開拓」の描き方だと思った。
本書ではでてこないが、「開拓」の背後にあった出来事も、忘れちゃならないだろう。
メアリー・ノートン著、小人物語シリーズ全5巻
  1床下の小人たち
  2野に出た小人たち
  3川をくだる小人たち
  4空をとぶ小人たち
  5小人たちの新しい家
一気読みしました〜面白かったでするんるん
ジブリのアニメ「借り暮らしのアリエッティ」の
原作本で、一度読んでみたかったのです。

アリエッティはかなりトラブルメーカーだわ!

お母さんのホミリー、口うるさくてちょっとわがまま冷や汗

スピラーが、しっかりしていてカッコいい。頼りになる〜ぴかぴか(新しい)

空飛ぶのはワクワクした!「空をとぶ小人たち」一番好きかもウインク

アリエッティたちを金儲けのために捕まえたり、逃したら又
 執拗に追いかける悪者夫婦、本当にイヤ!しつこいむかっ(怒り)

「小人たちの新しい家」は一番長くて、お話がダラダラして、
 ちょっと退屈だった。終わり方もいまいちかな。
 もう少し、アリエッティとスピラーの深いやりとりが
 あったら良かったなーー。

今度は、今アニメで再放送している「足長おじさん」
読み返してみるつもりでするんるん
ごみじゃない minchi作 PHP研究所

ゴミだけどゴミじゃないたからものコンテストをする絵本。3コマの絵でリサイクルか?と思いきや、遊んで見たり、昔やっていたイロモネアみたいにモノボケをやっている感じの絵本です。ネタの数も多いです。小ネタのオンパレードが好きな人にはオススメです。

ユーモアしても質は高いです。子供が真似しても危なくなく差し支えない内容。こう言うほんわかした絵でくだらないギャグは今の悪口ばかりのテレビ見るよりはいいですよ。

想像力も身につくかもしれません。リサイクル力と創意と工夫と良心的なユーモアが身につく。大人が見てもこんなに面白くていいのか?って思います。

ゆるい感じの主人公の女の子も好感持てます。


カレル・チャペックのお兄さんであるヨゼフのおはなし、来年チェコに行くことになったので、読んでみました。
挿し絵は、ヨゼフ自身によるもの。
チェコスロバキアが1939年3月にドイツに占領された後、ヨゼフ・チャペックは同年9月にゲシュタポによって逮捕されて強制収容所に送られ、1945年4月、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で亡くなったらしいが詳しいことはわからないようです。

チャペック兄弟は、プラハ10区で暮らしていて、現在10区には「チャペック兄弟通り」(BRATŘİ ČAPKŮ)に住宅が残っていて、左がヨゼフ・チャペックの住居、右がカレル ・ チャペックの、二軒が一緒担った住居跡は「Vila Karla Čapka – Museum」となっているようですが、まだ公開はしていないみたいです。
http://www.praha10.cz/akce-a-projekty/ostatni-projekty/virtualni-prohlidka-capkovy-vily/fbclid/iwar14xfjolnr-ggueykw_q8u6e8u5s0-1dufez-vkxwiscum3cyuej8pi_1k
お絵かき禁止の国
著者:長谷川まりる
出版:講談社

2018年の講談社児童文学新人賞佳作の作品です目ぴかぴか(新しい)
中高生向けと思いきや、大人も読める、読んで欲しい内容でした。

http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000322156
カレル・チャペック 童話全集

チャペックの童話は、これまでは中野好夫さん訳の「長い長いお医者さんの話」として出ていて、小学校時代に愛蔵版で読んでいます。
最近では、一年ほど前に、少年文庫版を読みました。
あらためて、チェコ語からの訳版も読んでみることにしました。
「訳者あとがき」によれば、チャペックは童話は11編書いていて、このうち9編にヨゼフの童話を加えたものが1932年に刊行されました。
1964年に、残りの2編も冒頭に加えた版が出て、本書は、全11編の訳です。
ただし訳本の編集にあたっては、1932年版を第1部に、追加2編を第2部としています。

本書と中野好夫さん訳「長い長いお医者さんの話」とを、対比しておきましょう。
第1部 九編の童話とヨゼフ・チャペックのおまけのもう一編
1 とってもながーい猫ちゃんの童話(9 王女さまと小ネコの話)
2 お犬さんの童話(6 犬と妖精の話)
3 小鳥ちゃんの童話(4 小鳥と天使のたまごの話)
ヨゼフ・チャペックのおまけの一編 大肥満のひいお祖父さんと盗賊の話
4 水男(かっぱ)の童話(3 カッパの話)
5 第二の盗賊の童話(8 山賊の話)
6 正直なトラークさんの童話(7 宿なしルンペンくんの話)
7 とってもながーいお巡りさんの童話(5 長い長いおまわりさんの話)
8 郵便屋さんの童話(2 郵便屋さんの話)
9 とってもながーいお医者さんの童話(1 長い長いお医者さんの話)
第2部 チャペック童話の追加
魔法にかかった宿なしトラークさんの話
しあわせなお百姓さんの話
訳者あとがき

語り口調の文体であるが、この文体は好き嫌いがありそう。
語る相手は子どもたちだと言わんばかりの、いかにもな訳語がどことなく上から目線を感じてしまうのだが、チェコ語の雰囲気はどうなのでしょうか。
そして、「訳者あとがき」で、「これまでは英語からの重訳が幅を利かせていた」との記述があります。
たしかに重訳では伝えきれないことがあるのはたしかでしょうが、中野さん訳が出たのが1962年だったこと(このとき田才さんは30歳前)、当時の日本でのチェコ語を訳す作業の環境がどのようなものであったかを考えると、「幅を利かせていた」とは、中野さんに対して些か無礼ではなかろうかと思ってしまいます。

青土社
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=1413
あんずの木の下で

学童疎開は、子供たちの命を守ることが目的ではなく、将来の「兵力」を確保するためという側面もありました。
したがって、「兵力」となりえない「障害児」は、疎開の対象外とされた歴史があったことを、忘れちゃならないでしょう。
戦争と障害者をめぐる書籍は「もうひとつの太平洋戦争」のほか、3年前の事件も契機となって何冊か出版されてはいますが、昨今の世相を見ると、戦争における障害者のありようについて「過去のできごと」としてではなく、今の、これからの課題であるように思えてなりません。
さらに、読み継がれていってほしい本です。

小手毬るい
原書房
http://www.harashobo.co.jp/book/b369074.html
>>[519]

 寺村輝夫や、早大童話会の後輩かつ就職後は担当編集者になった古田足日も、子供の頃から好きだと言っていた童話作家ですね!

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