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ここが変だよ比較文化論コミュの「外から見た日本」という不安

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 「日本人論」の書籍が数多く出回り、外国人からどう見られているかを異常に気にするのは日本だけだという(*注1)。
 以下は有名なジョークである。
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 イギリス人、フランス人、中国人、日本人の学者がアフリカで象を観察し、それぞれ帰国後に論文を書いたという。その題名は、
イギリス人「象の生態」
フランス人「象のセックス」
中国人「象の調理法」
日本人「象から見た日本人」
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 船曳建夫は「日本人論再考」で、日本を「日清・日露の高揚期」、「昭和のだらだら坂」、「昭和憲法の時代」の3つの時代に分類し、それぞれの時代の要請の中で日本人論が必要とされてきたと考えた。すなわち、日本だけが非欧米諸国の中で欧米化を成し遂げ、いわば欧米の養子となったものの、実子ではないことからくる不安が、「欧米から本当に欧米化したと見られているかどうか」を過剰に気にするという意味での日本人論を必要としたと述べた。
 彼はまた、日本人論の著者がみな留学経験を持っていることに言及している。日本人による日本人論がほとんど、日本人の均一性とその特殊性を主張していることについて、彼は、留学で経験した差別やオリエンタリズムが、著者たちに日本人性をことさらに意識させることになり、現地人が自分を「日本人」と画一的・紋切型に見ることからの反動が、彼らの日本人論に影響しているとした。
 なお青木保は「『日本文化論』の変容」で、日本を以下のように4つの時代に分類している。

●第一期「否定的特殊性」(1945〜54年)
 日本の敗戦を踏まえ、西洋の近代合理主義を進んだものとし、日本文化を封建的で遅れたものとみなした。「集団主義」や「恥の文化」も、否定的特殊性として捉えられた。ルース・ベネディクト「菊と刀」、桑原武夫「現代日本文化の反省」、川島武宜「日本社会の家族的構成」など。
●第二期「歴史的相対性」(1955〜63年)
 経済復興期に、日本文化を肯定的に捉え、欧米との相対的対等性を主張した。加藤周一「日本文化の雑種性」、梅棹忠夫「文明の生態史観」など。
●第三期「肯定的特殊性」(1964〜83年)
 日本が経済大国になると、日本的システムの優秀性が主張された。中根千枝「タテ社会の人間関係」、作田啓一「恥の文化再考」、尾高邦雄「日本の経営」、土居健郎「甘えの構造」、濱口恵俊「日本らしさの再発見」、木村敏「人と人との間』、エズラ・ヴォーゲル「ジャパン・アズ・ナンバーワン」など。
●第四期「特殊から普遍へ」(1984年〜)
 日本企業の海外進出に伴い、日本文化もまた海外に輸出されるようになると、その特殊性が批判にさらされ、普遍性を持つ必要が指摘された。チャルマーズ・ジョンソン「通産省と日本の奇跡」、ピーター・デール「日本的独自性の神話」、ハルミ・ベフ「イデオロギーとしての日本文化論」、カレル・G・ファン・ウォルフレン「日本 権力構造の謎」、ジェームズ・ファローズ「日本封じ込め−強い日本vs巻き返すアメリカ」など。

 欧米人の視点が気になるという発想からさらに進んで、欧米人を詐称する日本人による日本人論というものも現れた。イザヤ・ベンダサンやポール・ボネがこれに当たる。近年ではおもにウェブサイトにおいて、外国人が日本を過剰に誉めた語録も登場した。
 いわゆる「アインシュタインの予言」は、法律学者のローレンツ・フォン・シュタインの言葉を、国柱会の田中智学が改竄して広めたとする説が有力視されている。
http://www.yorozubp.com/0502/050228.htm
http://www.yorozubp.com/0506/050626.htm
http://www.yorozubp.com/0511/051109.htm
 名越二荒之助が「新世紀の宝庫・日本」(日本教文社)に掲載した「アムステルダム市長サンティン」らによる日本礼賛語録も近年よく目にするが、捏造が指摘されている。外国人の発言を捏造してまで、外国人からよく思われていることにしたいというのは、いくら何でも主体性がなさすぎるのではないか。日本を絶賛したければ、自分自身ですればいいのだから。
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20061101/1162327598


*注1:実はトルコ、韓国などでも自民族論は盛んである。よって日本人論が特殊であるという考えそのものが、他国にも見られる自民族論の典型である。

コメント(7)

●2ちゃんねる【最近「日本すごい!」って番組大杉だろ】より
>鏡に「世界で一番うつくしいのはあなたです」と言わせて喜んでいる王妃の姿はおぞましいですが、テレビに「日本人は世界中で尊敬されているんです」と言わせて喜んでいる視聴者の姿も同じくらいおぞましいものです。
>世界には様々な意見を持った人がいます。その中から「日本のここが凄い」とか「日本人はこんなに尊敬されている」なんていう、自分達にとって耳当たりの良い話だけを集めてもそれは客観的評価ではありません。自分にとって耳当たりの良い話だけを聞いて喜んでいるというのでは裸の王様と同じです。
>テレビ局は視聴率の取りやすい番組を作ろうとします。こういうバカげた番組を作って視聴率を稼ごうとするテレビ局の倫理観の低さにはもちろん問題がありますが、こういうバカげた番組の視聴率を上げてしまう視聴者にこそ最も大きな問題があります。
>そもそも、もし仮に日本人全般の評価が高いとしても、それによってテレビを見ている一個人の価値が高まるわけではありません。もし仮に日本人の平均能力が世界の他の国々と比べて高いとしても、それはそこに属するすべての人の能力が高いという証明にはなりません。個人の存在に価値があるかどうかはどこまで行っても個人の問題でしかありません。
>そういうくだらない番組を作って視聴率を稼ぐテレビ局も、そういうくだらない本を売って儲ける人達も、その後の世界がどうなるかなんて考えていません。彼等はただ無責任に目先の小銭を拾ってまわっているだけで、それ以外なにも考えていません。相手を褒めていい気にならせて稼ぐというキャバクラ嬢的な商売にいつまでも騙されていてはいけません。
>たかが低俗なテレビ番組の話ということで済ましてしまうべきではありません。
太平洋戦争に突入する前後の日本では、大衆は戦争に勝つことを望みました。マスメディアは、大衆に現実を説明する役割を放棄し、大衆の望む勇ましい内容ばかりを書きたてて売上を伸ばそうとしました。同様に、世論に迎合する政治家は現実を無視して強硬な外交姿勢を貫きました。その結果、勝つ見込みのない無謀な戦争を始めてしまいました。
>日本人は凄いという内容の本やテレビ番組を見ている側も作っている側も、かつての失敗から何も学んでいません。マスメディアのやるべき事はお金儲けだけではありませんし、大衆の側もいつまでも裸の王様のままではいけません。
>関東大震災の直後、パニックに陥った人々は朝鮮人が井戸に毒を入れたというデマを信じて朝鮮人を虐殺しました。東日本大震災の被災者はパニックには陥りませんでしたし、略奪や暴動も起こりませんでした。この間、日本人とその社会は間違いなく進歩しています。しかし、すでに完成しているわけではありません。ひとりひとりの人間も社会も、まだ発展の途上にあります。
>いま自分が生きている社会に生きにくい部分があるなら、その責任は自分にもあります。自分は常に被害者で加害者は自分以外の誰かということではありません。社会に問題があるならば、その社会に属するすべての人が被害者であり加害者でもあるのです。
>すべての人がそれぞれの幸せを実現できる社会、すべての人が自分に適した生きやすい環境をえられる社会を実現するためには技術の革新だけでは十分ではありません。ひとりひとりの人が寛容性を高められれば、社会全体の寛容性も高まります。ひとりひとりの人が多様性を受け入れられれば、社会全体も多様性を受け入れられます。社会をよりよくするためには、まずひとりひとりの人間が進歩する必要があります。残念ながら、自分を褒めてくれるテレビ番組を見て喜んでいても、まったく前には進みません


>外人つかってどれだけ日本人が凄いかを紹介させてる系番組は見てて悲しくなる
>自然発生的に賞賛されるならいいけど自分できいて答えさせてドヤ顔だもんなぁ
実際このところ、日本のテレビ局製作による日本を誉める番組が多いと思う。NHKの「Cool Japan」は外国人ゲストの質が高いようで、批判的意見も垣間見られるが、おおむね日本社会に好意的なのは、長く暮らしているからなのだろう。テレビ東京では「和風総本家」「ガイアの夜明け」「YOUは何しに日本へ」と非常に多いが、外国人の誉められたいのか、定住者ではなく観光客に日本の印象をきいている。仕事がオフのとき遊びに来て、どの店でもお客さん扱いされれば、そりゃあ好きにもなるだろう。

このような番組が増加した理由を、以下のように考えてみた。
(a)海外留学や移住、外国人との結婚の増加により、外国人への関心が高まった
(b)インターネット普及や在日外国人の増加により、外国人への関心が高まった
(c)日本に過度に批判的な「自虐史観」メディアへの反発
(d)日本経済低迷・失業者増加による自信喪失への過剰補償

外国文化との接触が増えたことが理由だと思う。日本がワールドカップに出場するようになり、開催国にもなったことや、野球選手のメジャー移籍が増えたことも、関係しているかもしれない。留学経験者が文化・言語・人種差別などで挫折したことへの反発もあるだろう。テレビ朝日の「世界の村で発見!こんなところに日本人」は、明らかに(a)が原因である。

統計を取ると、日本人は愛国心や自己評価が外国人に比べ低い数値が出るが、「日本人の『できない』は信用するな」と言われるように、自己評価が厳しく自賛しない文化性について、考慮した方がいいだろう。数値だけを見て「日本人は愛国心が足りない!」などと早合点すべきではないと思う。
よく「日本は謙遜の文化」などと言われるが、本当だろうか。尊敬や丁寧な表現はどの言語にもあるが、日本語は敬語が極度に発達・分化している。自国や自分の会社や出身校を謙虚に語るくせに、他人に批判的に言われるとマジギレしたりするようだと、日本人は真に謙虚なのではなく、単に形式的に謙遜しているだけではないだろうか。日本人が本当に謙遜の文化なら、掲示板荒らしがなぜ存在するのか説明できないし、嫌韓についても説明できないだろう。本当に嫌いな国はほめ殺すのが日本の文化ではないだろうか。
 韓国は1948年の建国以後、朝鮮戦争から粛軍クーデター、光州事件へと進み、80年代前半まで政情不安定であった。中国は1949年の建国以後、国共内戦から文化大革命、天安門事件へと進み、80年代終わりまで政情不安定であった。東アジアでは日本だけが平和を享受し、経済的に繁栄していたのだ。ところが中国と韓国が政治的に安定し、経済活動や勉学・スポーツに専念できるようになると、莫大な人口を要する中国は、1980年からオリンピックに出場するようになり(1952年ヘルシンキ大会に1名出場している)、またたく間に多くのメダルを獲るようになった。韓国は、初めて民主的選挙で盧泰愚大統領が選出されて以来、政治的・経済的に安定してきたようで、ソウルオリンピックを境に多くのメダルを獲るようになった。
 とある掲示板で、
>在日を「棄民扱い」してる「韓国様」は、きっと日本より前にオリンピックに初出場を果たし、日本よりずーーーーと多くのメダルを獲得し続けて来たんだろうね???(爆)。ここまで日本に偉そうにいえるくらいなんだから、さぞかし過去のオリンピックにも、大きな功績はあったんだろ?
http://bbs.jpcanada.com/log/6/1448.html
などと豪語した人がいたが、中国・韓国ともに戦後成立国なので戦前は出場していないから、メダル総数では韓国はまだ少ないものの、ソウル大会以降で比較すると、韓国のメダル数が日本を下回ったのはアテネ大会だけだ。すると、
>芸術点を競う競技で韓国ってメダル取ってましたっけ?
>ショートトラックとか競争する競技でメダルを取ってるみたいですけど、韓国って美しさ、技の洗練度を競う競技では全然上位に来ないですよね。
>…やっぱり負けん気が先行してガツガツしてる分、芸術を表現する余裕が無いんでしょうね。韓国ではもう少し国民全体が余裕を持つべきでしょうね。
>メダルは個数で競うもんじゃないですよ。
などと、意味不明の負け惜しみをしたあげく、黄禹錫のES細胞捏造をあげつらっているが、小保方博士らのSTAP捏造発覚以降は、このネタも苦しい。

 フランス革命が1789年で、明治維新にが1868年だから、日本の近代国家成立は西欧より80年遅れていることになる。武力による開国は日本人にとってトラウマになったと思われ、1875年には江華島事件で、今度は日本が武力を背景に朝鮮に開国を迫っている。かつて日本は武力で大陸に領土を拡大したが、欧米諸国の批判を受ける。日本が「自分たちもさんざんやって来たことではないか」と抗弁したのには意味があったが、ヨーロッパは第一次大戦で甚大な被害を受け、武力による外交を反省し批判するようになった。遅れて来た帝国主義国日本は、周回遅れだったのだ。
 韓国の建国は1948年で、中国の建国は1949年だから、日本より80年遅れている。韓国・中国は、あまり価値があるとも思えない竹島を獲って大喜びしたり、尖閣諸島や南沙諸島にちょっかいを出したりしているが、そもそも国際社会において国家とは認められていない台湾を領有できていない状況で尖閣諸島をどうこう言うのは、無理があるのではないか。中国・韓国の近年の動向は、かつての日本の軌跡を髣髴させ、「周回遅れのナショナリズム」ではないかと思える。
清水代歩さんツイッターより ハコ[゚д゚]SDTさんの発言

「韓国が如何にダメでそれと比べて日本が如何に素晴らしいと絶賛してまわる韓国人」とか「日本が素晴らしいと絶賛してまわる台湾人」が同胞からどんな目で見られてるかなんて、イギリスに移住して日本はクソ欧米最高と言いまくってるあの人を見ればわかりそうなもんである。
 異文化との接触が多い人は、ずるい行動をとりがち――。米仏などの研究チームが「海外体験の負の側面」と題した、旅行好きな人が気を悪くしそうな論文をまとめた。
 チームはフランスの高校生約200人が海外に留学する前後で実験。文字を並べ替えて別の言葉を作るゲームを九つ用意し、「景品はiPadだ」と伝えて、各問を解けたか尋ねた。このうち1問は、正解がないものを、こっそり混ぜておいた。
 この1問が「解けた」とウソをついた高校生は、留学1カ月前では30・1%。留学半年後にも受けてもらうと、46・1%に増えていた。米国の学生約170人を対象にした実験でも、同様の結果だった。
 米国の学生550人に性格検査を受けてもらうと、ずるさと関係が深かったのは海外にいた期間の長さではなく、住んだことのある国の数だった。原因は海外経験の「深さ」ではなく、「広さ」だと結論づけた。
 異なる文化を知ると価値観が相対化される。偏見から自由になれると同時に道徳を見失うこともある、ということらしい。
 論文は専門誌「ジャーナル・オブ・パーソナリティー・アンド・ソーシャル・サイコロジー」で発表した。ウェブサイト(http://psycnet.apa.org/record/2016-61714-001)で読める。
★立命館大学産業社会学部富永ゼミ「日本礼讃番組はなぜ増加したのか」
https://kyokotominaga.com/researchproject1_3/
>同番組を異文化表象の観点から調査した米倉の研究は、2014年5〜8月の放送(計15回)における成田空港でのインタビューコーナーに登場した外国人(180人)の出身国籍のデータを示し、実際に日本に入国している外国人の出身国籍のデータ(法務省入国管理局統計、2014年5〜8月)と比較しています。米倉の分析結果から、実際入国者として一番多いアジア国籍の外国人(6割以上)が、番組では2割以下しか出演しておらず、反対に入国者として1.5割に満たない欧州国籍の外国人とアメリカ国籍の外国人が、それぞれ約4割、約3割出演していることがわかります(米倉 2015)。このような、日本礼讃番組における典型的な外国人像の表象は、何を表しているのでしょうか。
>私たちは、岩淵功一の論じた「セルフオリエンタリズム」という概念から、こうした現象を読み解きました。西洋の国々が日本に与えた異質性や特殊性である「オリエンタリズム」を、日本人が自ら西洋人のイメージに合わせて演じることを岩淵は「セルフオリエンタリズム」として論じています(岩淵 2011)。日本政府や日本人は、西洋のオリエンタリズムによる日本のイメージが、日本の現在の文化的状況とは異なっていたとしても、そのイメージの「伝統文化」を「日本」として表象し、世界に紹介してきました。日本礼賛番組において西洋人を「日本を褒める他者」として位置づける試みもまた、こうしたセルフオリエンタリズムの一環であり、日本を西洋に対置することで「再認識」を進めようとする試みと言えるのではないでしょうか。欧米人(西洋人)は日本とは大きく異なる文化を持つため、再認識のための第三者として理に適っているし、「日本よりも進んでいる」とされる欧米人の視点からの評価の方が再認識欲を満たしやすいと考えられます。

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