ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ここが変だよ比較文化論コミュの日本は停滞しているか−BBC特派員の提言

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 日本に10年滞在したBBC特派員が、離日にあたり愛憎入り混じった随筆を掲載しました。その記事と、それに対する反論を掲載します。

============

●日本は未来だった、しかし今では過去にとらわれている
 ルーパート・ウィングフィールド=ヘイズ
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-64357046?iref=pc_extlink
■日本では、家は車に似ている。
新しく入居した途端に、マイホームの価値は購入時の値段から目減りする。40年ローンを払い終わった時点で、資産価値はほぼゼロに等しい。
BBCの東京特派員として初めて着任した時、このことを知って私は途方に暮れた。あれから10年たち、離任の準備をする中でも、この現象は同じだった。
この国の経済は世界第3位の規模だ。平和で、豊かで、平均寿命は世界最長。殺人事件の発生率は世界最低。政治的対立は少なく、パスポートは強力で、新幹線という世界最高の素晴らしい高速鉄道網を持っている。
アメリカとヨーロッパはかつて、強力な日本経済の台頭を恐れていた。現在、中国の経済力の成長を恐れているように。しかし、世界が予想した日本は結局のところ、出現しなかった。1980年代後半に、日本国民はアメリカ国民よりも裕福だった。しかし今では、その収入はイギリス国民より少ない。
日本はもう何十年も、経済の低迷に苦しんできた。変化に対する根強い抵抗と、過去へのかたくなな執着が、経済の前進を阻んできた。そして今や、人口の少子高齢化が進んでいる。
日本は、行き詰まっている。

■かつて未来がここにあった
私が初めて日本に来たのは1993年。当時とりわけ驚いたのは、ネオンがきらびやかな銀座や新宿の街並みではなく、原宿に集まる少女たちのワイルドな「ガングロ」ファッションでもなかった。
自分が行ったことのあるアジアのどこよりも日本ははるかに裕福だと、当時の私は感じて、そのことに驚いた。アジアの他のどの都市よりも、いかに東京が見事なほど清潔できちんとしているか、そのことにも驚いた。
対照的に、香港はうるさくて臭くて、こちらの五感に襲いかかってくる街だった。ヴィクトリア・ピークの高級住宅街と、「魔窟」のような九龍北端の工場街の落差をはじめとして、極端から極端に振れる落差の街だった。私が中国語を勉強していた台北は当時、道路にあふれる2ストローク自動二輪車の騒音がたえまなく響き、鼻をつく排気ガスの臭いと煙で、数十メートル先はもうほとんど見えないというありさまだった。
当時の香港と台北がアジアのやかましい10代の若者だったとするなら、日本はアジアの大人だった。確かに東京はコンクリート・ジャングルだったが、美しく手入れの行き届いたコンクリート・ジャングルだった。
東京の皇居の前には、三菱、三井といった日本の巨大企業のガラス張り社屋がそびえていた。ニューヨークからシドニーに至るまで、野心的な親は子供たちに「日本語を勉強して」と力説していた。自分が中国語を選んだのは間違いだったのか、私もそう思ったことがある。
日本は第2次世界大戦の破壊から復興を遂げ、世界の製造業を席巻した。その利益は国内に還流し、不動産市場を急成長させ、日本の人たちは手当たり次第に土地を買った。森林さえ買った。1980年代半ばにもなると、皇居内の土地の値段が、カリフォルニア州全体の土地の値段と同じだとさえ、冗談めかして言われた。日本で「バブル時代」と呼ばれる時期のことだ。
バブルは1991年にはじけた。東京の市場では株価と不動産価格が暴落し、いまだに回復していない。
最近のことだが、日本の山林を数ヘクタール購入しようとしている友人がいた。所有者の売値は平米あたり20ドル。「今の山林時価は平米あたり2ドルですよと伝えた」のだと友人は言う。
「でも所有者は、1平米あたり20ドル払ってもらわないと困ると言うんだ。1970年代に自分が買った時の地価が、そうだったから」
日本のスマートな新幹線や、トヨタ自動車の驚異的な「ジャストインタイム」生産方式を思えば、この国が効率性のお手本のような場所だと思ったとしても仕方がない。しかし、実態は違う。
むしろ、この国の官僚主義は時に恐ろしいほどだし、巨額の公金が意義の疑わしい活動に注ぎ込まれている。
私は昨年、日本アルプスのふもとにある小さい町で使われる、見事なマンホール蓋(ふた)の裏話に巡り合った。町の近くの湖で1924年に、氷河時代のナウマンゾウの化石が発見されて以来、ゾウはこの町のシンボルになった。そして数年前に、この有名なゾウの姿をあしらったマンホール蓋を、町のすべてのマンホールに使おうと、誰かが決めた。
同じようなことは日本各地で行われている。「日本マンホール蓋学会」によると、全国のマンホール蓋のデザインは、6000種類に及ぶ。マンホール蓋が大好きだという人が大勢いるのは理解できる。芸術品だと思う。けれども、1枚につき最大900ドル(約12万円)するのだ。
日本がどうして世界最大の公的債務国になったか、理解するヒントになる。そして、高齢化の進む人口は膨れ上がる巨額債務の軽減につながらないし、医療費や年金の圧迫で高齢者は仕事をやめることができないのだ。
私が日本で自動車運転免許を更新したとき、とことん丁寧なスタッフは私を視力検査から写真撮影ブース、料金支払いまで案内してくれて、さらには「第28講習室」へ行くよう指示した。この「安全」講習は、過去5年間で何かしらの交通違反をした全員に義務付けられている。
部屋に入ると、同じように罰を受けるのを待つ人たち、心もとなさそうに座っていた。パリッとした身なりの男性が入ってきて、「講習」は10分後に始まると説明した。しかも、2時間かかると!
講習の内容を理解する必要さえない。私は内容のほとんどがわからなかったし、2時間目に入ると受講者の何人かは居眠りを始めた。私の隣の男性は、東京タワーのスケッチを完成させた。かなり上手だった。私は退屈で、不満だらけになった。壁の時計が、こちらをあざ笑っているようだった。
「あれはいったい何が目的なの? あれは、罰なんだよね?」 
オフィスに戻り、日本人の同僚にこう尋ねると、「そうじゃないよ」と彼女は笑った。
「あれは、定年退職した交通警官の働き口を作るためなの」
しかし、この国に長く住めば住むほど、いらいらする部分にも慣れて、愛着さえわくようになる。ちょっと妙だなと思うことさえ、ありがたく思うようになる。たとえば、ガソリンスタンドに行けば、給油している間に従業員4人が車の窓を片端から拭いてくれて、出発する際には全員がそろってお辞儀してくれるのだ。
日本では今でも日本であって、アメリカの複製ではない。そういう感じがする。だからこそ世界は、パウダースノーからファッションまで、日本のいろいろなものが大好きなのだ。東京には素晴らしいことこの上ないレストランがたくさんあるし、(ディズニーには申し訳ないが)スタジオ・ジブリは世界で一番魅力的なアニメを作る。確かにJ-Popはひどいが、それでも日本はまぎれもなく、ソフトパワーの超大国だ。
ギークや変わり者は、日本の素晴らしく妙な部分を愛している。しかし同時に、移民受け入れを拒否し家父長制を維持していることをたたえる、オルタナ右翼もいる。
日本は、古い社会のあり方を手放すことなく、現代社会への変貌を成功させた国だと、よく言われる。これはある程度、本当だ。しかし私は、日本の現代性は表面的なものに過ぎないと思う。
新型コロナウイルスのパンデミックが起きると、国境を封鎖した。定住外国人でさえ、帰国が認められなかった。何十年も日本で暮らし、ここに自宅や事業がある外国人を、なぜ観光客のように扱うのか、私は外務省に質問してみた。返ってきたのは、「全員外国人だから」という身も蓋もない答えだった。
無理やり開国させられてから150年。日本はいまだに、外の世界に対して疑心暗鬼で、恐れてさえいる。

■外部という要因
房総半島の村で会議場に座っていたことがある。消滅の危険があるとされる約900の日本の集落のひとつだったからだ。議場に集まった高齢の男性たちは、現状を心配していた。1970年代以降、若者が仕事を求めて次々と村を離れ、都会へ行くのを、ここのお年寄りたちは見ていた。残る住民60人のうち、10代はたった1人。子供はいなかった。
「自分たちがいなくなったら、だれが墓の世話をするんだ」。高齢男性の1人はこう嘆いた。日本では、死者の霊を慰めるのは大事な仕事なのだ。
しかし、イングランド南東部で生まれた自分にとって、この村が死に絶えるなど、まったくあり得ないばかげたことに思えた。絵葉書にしたいようなたんぼや、豊かな森林におおわれた丘に囲まれた、美しい場所だ。しかも東京は車で2時間弱という近さなのに。
「ここはこんなに美しいのだから」と、私はお年寄りたちに言った。「ここに住みたいという人は大勢いるはずです。たとえば、私が家族を連れてここに住んだら、どう思いますか」。
会議場はしんと静まり返った。お年寄りたちは黙ったまま、ばつが悪そうに、お互いに目をやった。やがて1人が咳ばらいをしてから、不安そうな表情で口を開いた。
「それには、私たちの暮らし方を学んでもらわないと。簡単なことじゃない」
この村は消滅へと向かっていた。それでも、「よそもの」に侵入されるかと思うと、なぜかその方がこの人たちには受け入れがたいのだった。
今では日本人の3割が60歳を超えている。そのため日本は、小国モナコに次いで、世界で最も高齢化の進む国だ。生まれる子供の数は減り続けている。2050年までに人口は現状から2割は減っているかもしれない。
それでもなお、移民受け入れへの強い拒否感は揺らいでいない。日本の人口のうち、外国で生まれた人はわずか約3%だ。イギリスの場合は15%だ。ヨーロッパやアメリカの右翼運動は、日本こそが純血主義と社会的調和の輝かしいお手本だとたたえる。
しかし、そうした称賛をよそに、日本は実はそれほど人種的に一様ではない。北海道にはアイヌがいて、南には沖縄の人たちがいる。朝鮮半島にルーツを持つ人たちは約50万人。中国系は100万人近くいる。そして、両親の片方が外国人だという日本の子供たちもいる。私の子供3人もここに含まれる。
2つの文化にルーツを持つこうした子供は「ハーフ」、つまり「半分」と呼ばれる。侮辱的な表現だが、この国では普通に使われる。有名人や有名スポーツ選手にもいる。たとえば、テニス界のスター、大坂なおみ選手もその1人だ。大衆文化では、「ハーフはきれいで才能がある」とちやほやされることもあるが、ちやほやされるのと、受け入れられるのは、まったく別のことだ。
出生率が低下しているのに移民受け入れを拒否する国がどうなるか知りたいなら、まずは日本を見てみるといい。
実質賃金はもう30年間、上がっていない。韓国や台湾の人たちの収入はすでに日本に追いつき、追い越している。
それでも、日本は変わりそうにない。原因の一部は、権力のレバーを誰が握るのか決める、硬直化した仕組みにある。

■年寄りがまだ権力を握っている
「いいですか、日本の仕組みについて、この点を理解する必要がある」。とある高名な学者が、私にこう言った。
「武士は1868年に刀を手放し、髷(まげ)を落とし、西洋の服を着て、霞ケ関の役所にぞろぞろと入っていった。そして、今でもそこに居座っている」
1868年の日本では、欧米列強によって中国と同じ目に遭うのを恐れた改革派が、徳川幕府を倒した。それ以降、日本は急速な工業化へと邁進(まいしん)することになった。
しかし、この明治維新は、フランス革命におけるバスティーユ陥落とは全く異なる。明治維新は、エリート層によるクーデターだった。1945年に2度目の大転換が訪れても、日本の「名家」はそのまま残った。圧倒的に男性中心のこの国の支配層は、日本は特別だという確信とナショナリズムに彩られている。第2次世界大戦において、日本は加害者ではなく被害者だったのだと、この支配層は信じている。
たとえば、殺害された安倍晋三元首相は元外相の息子で、岸信介元首相の孫だった。岸氏は戦時下に閣僚を務め、戦犯容疑者としてアメリカに逮捕された。それでも絞首刑は免れ、1950年代半ばに自由民主党の結党に参加した。この自由民主党がそれ以来、日本を支配し続けている。
日本は単独政党国家だろうと、冗談で言う人もいる。それは違う。しかし、特権的なエリートが支配する政党、アメリカに押し付けられた平和主義を廃止したいと切望する政党、それなのにもう30年も生活水準を向上させられずにいる政党に、なぜ日本の有権者は繰り返し投票し続けるのか、そこを不思議に思うのは、当然のことだ。
最近の選挙の最中、私は都心から車で西に約2時間離れた、山間の狭い渓谷を車で登った。自民党の地盤だ。そこの地元経済はセメント作りと水力発電に依存している。小さい町の投票所に歩いていくお年寄りの夫妻に、私は話を聞いた。
「自民党に投票する」と男性は言った。「信用しているので。私たちの面倒をしっかり見てくれる」。
「私も主人と同じです」と、男性の妻は言った。
この夫妻は、最近完成したばかりのトンネルと橋を挙げた。これがあれば週末に、都心からの観光客が増えるかもしれないと期待していると。
自民党の支持基盤はコンクリートでできているとよく言われる。利益誘導型のこの政治が原因のひとつとなって、日本の海岸がテトラポッドだらけで、河岸は灰色のコンクリートでがっちり固められている。コンクリートを作り続けるのが不可欠だからだ。
人口構成の影響で、都市部を離れたこうした地域の支持基盤が、今や自民党にとって何より重要だ。何百万人もの若者が就職のために都市部に移動したのだから、それ以外の地域の政治的影響力は減少したはずなのに、そうはならなかった。自民党にとってはその方が好都合だ。高齢者の多い非都市部の票が、重みをもつので。
しかし、高齢者が亡くなり世代交代が進めば、変化は避けがたい。だからといって、日本が今よりリベラルに開放的になるかというと、私は必ずしも確信できずにいる。
日本の若い世代は上の世代よりも、結婚したり子供を持つ可能性が少ない。同時に若い世代の間では、両親や祖父母の世代に比べて、外国語が話せたり、海外留学したりする割合は減っている。日本の経営者に占める女性の割合はわずか13%で、女性の国会議員は10%に満たない。
女性初の東京都知事となった小池百合子氏を取材したとき、男女格差対策をどうするつもりか質問した。
「うちにはもうすぐ大学を卒業する娘が2人います」と私は小池氏に話した。「2人はバイリンガルな日本国民です。君たちはこの国に残ってキャリアを築くべきだと2人を応援するため、何が言えますか」と尋ねた。
「私が成功できるならあなたたちもできますよと、そう言うでしょうね」と、小池氏は答えた。それだけですか?と私は思った。
しかし、こうした諸々のことがあっても、それでもなお、私は日本を懐かしく思うだろう。日本にとてつもない愛着を抱いている。同時に、日本はたまにではなく、しばしば私を辟易(へきえき)とさせる国だ。
東京出発を目前に控え、私は年末に友人たちと都内の商店街を訪れた。ひとつの店で私は、古くて美しい大工道具の入った箱を物色した。そのすぐそばでは、華やかな絹の着物姿の女性たちが立ち話をしていた。昼には、ぎゅうぎゅうづめの小さい食堂になんとかみんなで収まって、焼きサバと刺身とみそ汁の定食に舌鼓を打った。おいしい料理、居心地の良い店、何かと世話を焼いてくれる親切な老夫婦……。すっかりおなじみの、慣れ親しんだものばかりだ。
この国で10年過ごして、私は日本のあり方に慣れたし、日本がそうそう変わらないだろうという事実も受け入れるようになった。
確かに、私は日本の未来を心配している。そして日本の未来は、私たち全員にとって教訓となるだろう。人工知能(AI)の時代には、労働者の数が減っても技術革新は推進できる。高齢化の進む日本の農家も、AIロボットが代役を務めるようになるかもしれない。国土の大部分が自然に帰ることだってあり得る。
日本は次第に、存在感のない存在へと色あせていくのだろうか。それとも日本は自分を作り直すのか。新たに繁栄するには、日本は変化を受け入れなくてはならない。私の頭はそう言っている。しかし、日本をこれほど特別な場所にしているものをこの国が失うのかと思うと、心は痛む。

コメント(14)

●BBC元東京特派員が10年で学んだこと 愛する日本へのメッセージ
https://digital.asahi.com/articles/ASR2334Z1R21UHBI02M.html?linkType=article&id=ASR2334Z1R21UHBI02M&ref=mor_mail_topix1_20230207
 《日本は未来だった、しかし今では過去にとらわれている》
 昨年末まで英公共放送BBCの東京特派員を10年以上務めた記者が今年1月、そんな見出しのエッセーを英語と日本語で配信しました。
 少子高齢化や官僚主義、ジェンダーギャップやアウトサイダーに対する厳しすぎる視線といった課題を列挙し、「日本は行き詰まっている」「日本はそうそう変わらない」と指摘。そのエッセーは、反論も含めて大きな反響を呼びました。
 筆者は、ルーパート・ウィングフィールド=ヘイズ記者(55)。「日本が大好きだ」という彼が、伝えたかったことはなんだったのでしょうか。1月末、1時間にわたり、オンラインで話を聞きました。
     ◇
■2日間で300万人が閲覧
 昨年末に日本を離れました。新たな任地は上海ですが、ビザが出るのを待っており、いまはマニラにいます。
 まだ数週間しか経っていないというのに、すでに日本が恋しい。私のエッセーを読み、「離任するから日本を批判しているんだ」というコメントを読みましたが、的外れです。エッセーは日本を批判することが目的ではなく、私がどれほど日本を愛しているか、そして、どれほど離れるのがつらいことなのか、それを表現したものです。
 エッセーは最初の2日間だけで300万人に読まれました。うれしい驚きでした。内容は目新しい話ではなく、あくまで個人的なことでしたが、読まれたのは「筆者がすばらしいから」ではなく、たくさんの人が日本に魅了され、関心を寄せているから、ということなのだと思います。日本に行ったことがある人、日本に住んでいる人、日本に興味を持っている人が、私の経験と比べて自分はどうなのかを知りたいと思っているのでしょう。
 私は日本人女性と結婚し、子どもたちは日本で生まれました。東京での暮らしは幸せで、長野には別荘も買いました。10年の任期を経て、日本は私の第二の故郷になったのです。
 BBCの特派員にとって、一つの国で10年間を過ごすというのは非常に珍しいことです。日本の文化、日本の人びと、日本の生活様式にいらいらさせられることも確かにありましたが、いかに社会が機能しているか、称賛されるべき点もたくさんあります。

■日本は「過ち」を犯したのか?
 日本は単純な国ではありません。「空気を読む」という表現がありますが、日本人は何を考えているのか、何を感じているのか、米国人や英国人ほどは表に出しません。
 10年間で日本をより深く理解することができたと思います。もちろん、日本を完全に理解できたわけではありません。日本語をもっとうまく話せるようになりたいという希望も、まだ持っています。
 離任のエッセーも、5年滞在しただけでは書けなかったと思います。通常は800〜1千ワード程度ですが、私のものは2500ワードほどになりました。編集者にはこう言いました。「どうやって10年を2千ワードに縮めるのか。それは無理だ。1冊の本を書いたって、日本のすべてを説明することなんてできない」と。
 海外メディアが日本について書くとき、意味をなさないものが多いと思います。米英のテレビが日本に来る時には、クリシェ(使い古された素材)の取材をします。芸者、自動車、新幹線、アニメ、音楽、映画。でも、私は日本がいかにクリシェ的ではないかを伝えたかった。日本がいかに複雑で、わかりづらくて、もどかしくて、そしていかに魅力的で、すばらしくて。そういうことを説明したかった。「エッセーの中で矛盾している」と言われましたが、それは私自身が相反する複数の視点を持っているからです。
 《日本は未来だった、しかし今では過去にとらわれている》。そんな見出しのエッセーですが、日本がどこかの時点で過ちを犯したのかと問われると、そうは思いません。記者として若いころは、なんでも白黒をつけたがった。これは正しくて、これは間違っていると。ただ、世界はもっと複雑で、日本もそうなのです。日本が正しいとか、間違っているとか、そんなことを言いたいわけではありません。
■ベストだった日本の携帯電話
 日本には良い面がたくさんあり、一方で問題も抱えています。
 いくつかの問題は若者の足を引っ張り、国家として前進することを難しくしています。それは経済的に見て取ることができます。
 日本にはすさまじいスピードで前進している時期がありました。日本はいまだにとても裕福な国ですが、たとえば米国やドイツといった国々と比べると、成長のスピードは相当減速しています。30年前の日本の位置と、いまの日本の位置を比べると、間違いなく順位を落としている。ソニーやパナソニック、シャープや東芝など、かつて世界をリードしていた企業も、米国や中国、韓国の企業に取って代わられ、30年前のような企業ではありません。
 携帯電話について考えてみましょう。1990年代、日本の携帯電話はベストだったと記憶しています。テレビを見られるし、メッセージも打てる。大きなスクリーンがある。世界中のどの携帯電話よりもずっと優れていました。
 ところが、いまはアップルやサムスンといった企業が世界を席巻しています。日本に賢い人や教養のある人がいないから、ではありません。明らかにそういう人たちはいる。では、なぜか。企業が古くなると、経営陣は保守的になり、変化を恐れるようになります。また日本では、新たに会社を始めることも難しい。資金調達が困難だからです。
 くり返しますが、日本が何かを間違えた、というわけではありません。米国や英国のような所得格差はないし、医療制度も充実し、教育制度も良い。ただ、給料が上がらないことは大きな問題でしょう。日本の企業は労働者に高額な給料を払いたがらない。いまの若い世代には、特に厳しい時代になっています。ユニクロを運営するファーストリテイリングが、最大40%給料を上げると表明しましたが、これは良い兆候です。他の企業も追随してほしい。
 経済的、社会的な観点から、日本が直面している最も困難な課題は高齢化でしょう。ただ、これは多くの国・地域でもそうで、日本が先を行っているというだけです。韓国や台湾、中国、欧州の一部でも高齢化が進んでいます。米国や英国は、移民を大量に受け入れることでこの問題を遅らせています。
 日本は移民の受け入れに抵抗があるように見えます。それが良いとか悪いとかではなく、それが日本のした選択です。その結果、高齢者がたくさんいて、若者がほとんどいないような場所がすでに出てきています。新たな産業革命が起こったり、科学技術が出てきたりして、農業や製造業が現在とは別の方法で行われるようになるかもしれません。そうなれば、人口が少なくても持続可能な国になる可能性があります。

■高齢化、人口減の対処法は?
 とはいえ、1億2500万人の人口が8千万や9千万人になるというのは大きな転換です。高齢者の世話をする人たちの費用をどのようにまかなうのか。防衛能力にも影響を及ぼすでしょう。誰が自衛隊員になるのか。誰が戦闘機のパイロットになり、誰が艦艇の運航をするのか。
 日本に限らず、多くの国が変化する方法の一つとしては、世代交代があげられます。私のエッセーに対して「筆者は変わっていないというが、日本は変わっている」という意見がありました。確かにそうかもしれませんが、その変化がゆっくりとしすぎています。韓国や中国を訪れると、「ああ、10年前と比べて劇的に変わっている」と感じます。
 日本の一部で、長時間労働をしなくなったり、男性が育児休業を取ったりすることができるようになったのはすばらしいことです。ただ、それでもなお、道のりは長い。私の日本人の友人も「夫は何もしてくれない。私がすべてやらなくちゃいけない」と嘆いています。日本の会社で働くということは、とても大きなプレッシャーであり、あまりにも負担が大きい。
 安倍晋三氏が2012年12月に首相に就く直前、彼にインタビューし、そこで「3本の矢」(金融緩和、財政出動、成長戦略)や、女性が社会で輝けるようにという「ウィメノミクス」について話しました。それから10年が経ちましたが、私が思うには、それらは実現していません。日本についてこの10年で変わっていないことがあるとするならば、これほど女性の人材が豊富なのに、正当に評価、活用されていないことでしょう。
 欧米では2年休んで子どもを産み、キャリアを再開することができるのに、日本ではキャリアを積もうとすると、家庭を持つことが非常に難しい。日本経済にとって、人材の喪失というほかありません。
■日本が変わることのできない理由
 私の娘を例にとりましょう。彼女は英国の大学で生化学を学び、第1級優等学位で卒業して日本に戻ってきました。日本のスタートアップ企業にとても興味深い職を得たのですが、1年経ってやめました。給料があまりに低かったからです。
 娘はいま、オーストラリアで暮らしています。そこでバイトをした方が、新卒として日本のスタートアップ企業で働くよりも稼げるからです。なぜ、優秀な若い人材により良い給料、より良い機会が与えられないのか。
 日本ではいま、1千円あればランチを食べることができます。そして1993年も、1千円でランチを食べることができました。韓国や台湾、香港やシンガポールの30年間と比較すると、日本は貧しくなっている。それは事実です。
 日本が変わることのできない理由の一つは、ほとんどの人にとって心地よい空間だからです。それ自体は決して悪いことではありません。
 では、日本に必要なものは何か。「よそ者」である私が、その質問に答えるのは非常に難しい。日本は何をすべきで、何をすべきではないのか。それは結局のところ、日本の人たち自身が決めなければならないことだからです。
 私のエッセーを読んで「日本に厳しすぎる」と感じた人たちへ。私がもし、自分の国、英国について書けと言われたら、もっともっと批判的なものになります。ただ、私は自分の国を愛しているし、誇りに思っている。非常に複雑な感情であり、それはまた、日本に対して抱いている感情と同じものなのです。
上記記事に対するコメント:

●鈴木一人(東京大学大学院教授・地経学研究所長)
ウィングフィールド=ヘイズ氏の記事に関しては他紙の取材も受け、コメントも掲載していただいたが、個人的には、彼がいかに日本を愛していようが、それは彼のバイアスに基づく見解を正当化するものではないと思っている。それは彼が日本を韓国や中国と比べて変化のダイナミズムが足りない、という問題設定をしているからだというのが、この記事からも伝わってくる。しかし、日本は近代化のプロセスにおいても、早期に成熟した国家であり、その後に近代化を進めた韓国、現在近代化にまい進する中国と比較すること自体がおかしい。つまり、彼の議論は日中韓を「同じもの」として扱い、「アジア」をひとかたまりとして見る、イギリス人としての偏見が入っている。少なくとも私にはそう感じられたので違和感が否めなかった。



●小熊英二(歴史社会学者)
氏の離日エッセイは、ほとんど涙なしには読めない文章であろう。とくに、私が知るような日本研究者たちをはじめ、彼の年代の「日本好き」にとっては。
氏は離日エッセイでこう述べている。

「日本は次第に、存在感のない存在へと色あせていくのだろうか。それとも日本は自分を作り直すのか。新たに繁栄するには、日本は変化を受け入れなくてはならない。私の頭はそう言っている。しかし、日本をこれほど特別な場所にしているものをこの国が失うのかと思うと、心は痛む。」

日本が変わらなければ、存在感を失い、しだいに貧しい国になるだろう。だから変化しなくてはいけないと、「私の頭はそう言っている」。しかし変化すれば、「日本をこれほど特別な場所にしているものをこの国は失う」という予測に、彼の「心は痛む」という。
欧州や北米だけでなく、アジアや中南米の各地に行けば、たしかに男女の平等は進み、高給を得る人々がいて、社会運動は活発で、全体に活気がある。しかし反面、格差は拡大し、コミュニティは衰退し、修士号や博士号を得て高給のポストを得るための競争は激しく、政治の分極化は激しい。
日本が変化を受け入れるということは、つまりはそういう「現代のふつうの国」になるということかもしれない。そこで失われるのは、氏が離日を前に述べる下記のような風景だ。

「東京出発を目前に控え、私は年末に友人たちと都内の商店街を訪れた。ひとつの店で私は、古くて美しい大工道具の入った箱を物色した。そのすぐそばでは、華やかな絹の着物姿の女性たちが立ち話をしていた。昼には、ぎゅうぎゅうづめの小さい食堂になんとかみんなで収まって、焼きサバと刺身とみそ汁の定食に舌鼓を打った。おいしい料理、居心地の良い店、何かと世話を焼いてくれる親切な老夫婦……。すっかりおなじみの、慣れ親しんだものばかりだ。」

これを「オリエンタリズム」とみなすのはたやすい。しかし想像するに、この30年で西欧や北米(や他地域の大都市)では失われたものが、グローバル化を拒み続けた日本にはまだ残っているという形容とも読める。
氏は「確かに、私は日本の未来を心配している。そして日本の未来は、私たち全員にとって教訓となるだろう」という。深読みにすぎるかもしれないが、すでに変化してしまった国々の人々にとっては、この30年の趨勢に適応した方がよかったのか、それともしない方がよかったのか、という問いを考えさせる存在に、いまの日本はなっているのかもしれない。
こういう視点に対して、日本の読者はどう受け止めるのだろう。一つだけ言えるのは、「オリエンタリズムだ」と反発するのも、「日本も変化しろという激励だ」と受け取るのも、読む側の問題だということだ。ここに表現されている氏の「頭」と「心」の葛藤は、そして哀切の心情は、それほど単純なものではないと思う。
●あのBBC記者の日本についての記事には納得できない
 ノア・スミス
https://courrier.jp/news/archives/316372/
英BBCの東京特派員だったルーパート・ウィングフィールド=ヘイズの「お別れエッセイ」が広く話題になっているが、私はそれを読んでとてもがっかりした。ベテランのジャーナリストであるウィングフィールド=ヘイズは、2012年から生活と仕事の拠点としてきた日本の印象を「停滞と硬直」という言葉でまとめ、「この地で10年過ごして、私は日本的なやり方に慣れ、日本が当面変わりそうもないという事実を受け入れるようになった」と心情を吐露している。
だが、日本に住んだ経験をもち、2011年からは毎年1ヵ月ほど滞在して、日本経済について幅広く記事にしてきた者として、私は断言できる。日本はまちがいなく変化を遂げている。しかも重要で、露骨に目に付く変化が起きているのだ。
とはいえ、ウィングフィールド=ヘイズの記事をさらって、私が間違っていると思う部分をことごとくあげつらう前に、これだけは言っておくべきだろう。彼とは面識はないものの、どうやら今より良くなった日本の姿を見たいと心から望んでいる好人物のようだ。さらに彼の批判には、的を射た非常に重要な点も見受けられる。
たとえば、日本の根本的な問題として「老人支配」を挙げているのは、まさにその通りだと思う。ウィングフィールド=ヘイズが指摘しているのは、政界の老人支配、つまり高齢の有権者が高齢で硬直化した政治階級の権力を支えている構造だが、私に言わせれば、それと同じくらい、あるいはそれ以上に深刻な問題は、企業における老人支配ではないかと思う。
大抵どこの企業でも年功序列による昇進制度を採用していることに加え、起業率の低さや、高齢化という事情が相まって、企業の重役や管理職には硬直化した階層構造が成り立っている。そこでは新たな技術やビジネスモデルを取り入れ、新しいリスクを取るよりも、衰退に向かう小帝国を悠然と統治することが好まれている。
結果として、日本企業はマイクロプロセッサ、スマートフォン、半導体製造、電気自動車など、次々と起こる技術革新に乗り遅れ、海外のライバル企業に遅れをとることになった。 
また、日本にあふれ返っている生産性の低い単純労働に批判を寄せている点でも、ウィングフィールド=ヘイズは正しい。2人分の仕事をこなすために6人雇用するやり方は、悲しいかな、日本では日常茶飯事で、それこそ日本人の賃金が低いまま据え置かれている大きな要因なのだ。
問題の核心は、新たな高成長企業の欠如にある。そしてその原因は、研究開発の不足、後期段階にあるスタートアップ企業の資金不足、そして(なにより)縮小する国内市場の代わりに輸出市場を開拓できない日本企業の失敗にある。
そんなわけで、ウイングフィールド=ヘイズの「日本にはかつて未来があったが、もはや過去しかない」という見方は正しいし、その一番の問題として「老人支配」を指摘するのも間違っていない。
でも、日本の大局的な特徴を「停滞し硬直した社会」だとする彼の見方は、かなり的外れと言わざるを得ない。それに、この手の記事を読んだ欧米人の読者が、1980年代と90年代に盛んに使われた決まり文句(戦後の製造業の成功、バブル経済、失われた10年など)で日本を捉えてしまわないか心配になる。そうした決まり文句を、ウイングフィールド=ヘイズは繰り返し口にしているのだ。
たしかにそうした出来事が重要であることは否定しない。しかし、現代日本や2020年代に日本が直面する課題を正しく定義するものではない。
ともあれ、ウイングフィールド=ヘイズが評価し損ねたと思われる、最近の日本の大きな変化についていくつか語ってみよう。
■スクラップ&ビルド
BBCの特派員を務めたウイングフィールド=ヘイズの指摘で最も不可解なのは(私の読み違いでなければ)、日本の都市部の建築環境が停滞しているというものだ。日本は、建ててから30年で建物を取り壊してしまうことで有名だ。そのことを思えば、彼の主張は不可解と言うしかない。私など、日本を訪れるたびに新しい建物の多さに驚かされている。
ウィングフィールド=ヘイズは、1990年代初頭の日本の都市風景を懐かしむようにこう語っている。

1993年に初めて来日したとき……(感銘を受けたのは)、東京があまりにもきれいで整然としていたことだ。コンクリートジャングルではあったが、美しく整備されていた……東京の皇居前には、三菱、三井、日立、ソニーといった日本の巨大企業のガラス張りの社屋がそびえていた。

たしかにその通りなのだが、実は東京は1993年当時よりも、はるかに整備が進んでいる。私が20年前に初めて目の当たりにしたときより、ずっと美しく手入れが行き届いているのだ。雑然とした下町は近代化が進み、古びた昭和風のアパートは近代的な建物に建て替えられ、至るところに彫刻や装飾が施されている。
一方で、日本の都会を連想させるきらびやかなネオンサインや高層ビルは増すばかりだ。もし巨大ビルに圧倒されがちな人なら、都心の至るところで森ビル株式会社が建設している、高くそびえ立った建造物を見逃すはずがない。この記事の冒頭に載せた写真に写っている一番大きなビルは、今年オープンの予定だ。
だが建設されているのは巨大ビルだけではない。ショッピングセンター、バー、クラブ、そしてきらびやかな雑居ビル(ネオンサインだらけのビル)が続々と出現している。10年も東京に住んでいながら、こうしたすべてに気づかずにいられるだろうか?
実際、スクラップ&ビルドを絶えず繰り返している日本の建築熱は、手頃な家賃や、欧米で見られるように地方の政治勢力が密集地における開発を阻止するなんて事態が起こらない大きな要因となっている。ウィングフィールド=ヘイズは記事の冒頭で、日本の住宅の資産価値は高まるどころか低下する傾向があると不平を述べている。

日本では、住宅は車に似ている。
移り住んだとたんに新居は購入時よりも価値が下がり、40年ローンを払い終えた頃には、資産価値はほぼ失われている。
BBCの特派員として初めて日本に移り住んだとき、私はその事実に当惑した。あれから10年が経ち、この地を去る準備を進める今もなお、その状況は変わっていない。

奇妙なのは、ウィングフィールド=ヘイズがこれを日本の慢性的な問題、つまり日本がとっくの昔に解決すべきだったのに、いまだ放置されている問題として取り上げている点だ。
だが実際には、不動産価値の下落は、日本の最大の強みの一つである。日本人は欧米人の多くがそうするように持ち家を貯蓄代わりに使わないため、日本にはニンビー主義(Not In My Back Yardの頭文字からNIMBYism:公共的に必要な施設だろうけど、我が家の近くには建てないで)がほとんど存在しない。
つまり、資産価値が下落するのではと不安にかられ、地元のあらゆる開発事業を阻止すべく徹底抗戦するようなことはない。どのみち資産価値はゼロになるからだ。
その結果、東京をはじめ日本の都市部では、地方から都市への人口流入が続いているにもかかわらず、住宅コストの低下を実現するために充分な住宅を建設することができた。日本が停滞していると思うなら、東京と主要な欧米の都市との比較をしてみるといい。
さらに驚くべきことに、日本は住宅数の増加と並行して、平均的な住宅面積の拡大を成し遂げている。
ウィングフィールド=ヘイズが懐かしむバブル時代、日本の都市部のマンションは広く「ウサギ小屋」と揶揄されていた。だが、40年後、都心に住む日本人一人当たりの住宅床面積はヨーロッパの標準に並び、イギリスを追い抜くまでになった。
なぜウィングフィールド=ヘイズは、住宅価値の低下を問題視するのだろう?
おそらく、それが日本の中産階級が資産を築けない原因だと考えているのだ。だが、不動産が値下がり傾向にあるなら、そもそも購入時の負担が減ることを意味する。住宅価格が低ければ、家庭内に自由に使える金が増えるので、その分を株式や債権購入に回すことができる。
生産性のない土地ではなく、生産性のある資産に富の根拠を置くことは、経済にとって有益だ。住宅不足は価格をつり上げ、所有者の個人資産を増強するかもしれないが、国レベルで見たら単に経済成長の足かせでしかない。
さらには、結果的に中産階級の資産の増加にもつながる。2022年、米国の成人一人当たりの資産中央値は約9万3000ドル(約1222万円)だったのに比べて、日本は約12万ドル(約1577万円)だった(かつて伝説だった日本の家計貯蓄率はすでに崩壊しているにもかかわらずである!)。
というわけで、中流階級の資産を住宅価格と切り離した日本の風変わりな選択は、賢い選択だと思われる。過去20年間、日本は住宅政策、建設、景観、都市計画の点で、欧米のどの国よりも優れた成果を上げてきた。それは欧米の都市に蔓延している物理的な停滞ではなく、絶え間ない変化を受け入れることで実現した成果なのだ。

■出生率、移民、女性管理職の数は意外に多い
ウィングフィールド=ヘイズも、ご多分にもれず日本の出生率の低さを批判的に語っている。

日本人の3割は60歳を超えており、日本は小国モナコに次いで世界で最も高齢化の進んだ国なのだ。出生数は過去最少を記録し続けている。

数日前の記事でも触れたが、高齢化は現実的な問題である。だが、あらゆる先進国が取り組んでいる問題でもある。そしてあまり知られていないようだが、実は日本の出生率は東アジアのどの国よりも高いのだ。
米経済メディア「ブルームバーグ」のリーディ・ガロウドが書いているとおり、低出生率といえば日本を連想するのは、その傾向が同国から始まったからにほかならない。
ウィングフィールド=ヘイズはさらに、日本が高齢化問題の解決策として移民を受け入れていないと非難している。

 (日本の)移民に対する拒否感は揺らいでいない。日本の人口に占める外国生まれの人はわずか3%にすぎない。イギリスの場合は15%だ。少子化の解決策として移民を拒絶した国の行く末を見たいなら、日本こそ最初のお手本としてうってつけだ。

1990年代か2000年代なら、極めて公平な評価といえただろう。だが、ウィングフィールド=ヘイズが滞在した10年の間に、日本の移民政策は大転換を遂げている。ウィングフィールド=ヘイズは当然それに気づくべきだった。ここで私が2019年に「ブルームバーグ」に寄稿した、故安倍晋三首相が実施した新政策についての記事から引いてみる。

近年、安倍政権が採用した大きな変革は、おそらく移民の流入を後押しするだろう。2017年、日本は高度人材外国人を対象に、ごく短期間で永住権を取得できる制度を導入した。2018年には単純労働をする外国人労働者の受け入れを大幅に拡大し、さらに──極めて重要なポイントだが──彼らが望めば、永住権獲得への道を拓く法律を成立させた。
こうした変化は真の移民受け入れを意味し、一時的なゲストワーカー政策の対極にあるものだ(新たな在留資格の説明として「ゲストワーカー法」という言葉がよく使用されてはいるが)。いずれ、今より民族的に多様な日本国民が誕生することだろう。永住者は5年後に日本国籍を申請できるのだ。

当時はBBCでさえ、この変革の一部を報道したほどだ。
こうした政策などが実施された結果、安倍政権の最初の数年間で、日本の外国人労働者の数は倍増した。
ウィングフィールド=ヘイズが引用した3%という数字は、ほんの数年前の1%と比べると、劇的な上昇を意味する。今や東京そのものが国際都市だ。2018年には、東京で20歳を迎えた人の8人に1人が日本生まれではなかった。
もう一つ例を挙げると、職場における女性の役割がある。ウィングフィールド=ヘイズは、日本には女性の経営者が少ないと正論をぼやいているが、その割合が彼の滞在中に11%から15%に増加したことには触れていない。たしかに大規模な社会変革とは言えないが、停滞しているわけでもない。
それに伴い、女性の労働人口も大幅に増加している。今や日本の女性の雇用率は米国を上回っている。
■古臭い決まり文句にサヨナラ
要するに、ウィングフィールド=ヘイズは2010年代に日本に住んでいたというのに、日本の評価が1990年代から抜け出せていないようなのだ。(本人も認める通り)日本語をあまり話せないという事情はさておき、身の回りで起きている大きな変化くらい気づくべきだったのではないか。
ともあれ、あなたはこう尋ねるかもしれない。「なぜそんなことが重要なんですか?」と。認めざるを得ないが、なんとかして日本の停滞に対する非難を覆してやりたいという私の決意には、単なる個人的な立腹が混じっている。
あまりにも多くの欧米人が、いまだに日本を「文化的にエキセントリックな国」として捉えていることへの苛立ちだ。きっと日本を80年代のバブルとその崩壊という文脈で捉えることは、サムライや『菊と刀』の観点で捉えるより多少はマシだと思っているのだろう。まあ、そうかもしれないけれど、もっとやりようがあるはずだ。
それに、私の個人的な苛立ちを抜きにしても、ここで欧米人の相も変わらぬ日本人論をただしておくのは大事だと思う。というのも、日本はよりオープンでグローバルな国になっているため、欧米の考え方や意見は、日本をいい方向に変えていく可能性や力を持つようになってきているからだ。外部からの視点は、2020年代に日本が直面する現実の問題、つまり企業の硬直化や技術開発の遅延などの問題を解決するために一役買うかもしれない。
ところが、もし欧米人が日本の本質はこうだと決めつけてしまったら──「琥珀の中で凍りついた国と文化」として日本を捉えてしまうなら──、今この段階で、欧米人が日本に差し出せるものはそう多くないだろう。実際、日本という国は、非常にダイナミックで変化に富んだ場所なのだから。
●BBCは自社の特派員が持つ固定観念にとらわれている
 アール・H・キンモンス
https://japan-forward.com/japanese/126068/
BBCが掲載する特派員の記事には、ステレオタイプや誤った情報が含まれているものが少なくない。これは報道機関としてのBBCの姿勢に懸念を抱かせる。
1月20日のBBCニュースに、ルーパート・ウィングフィールド=へイズ記者による "Japan was the future but it's stuck in the past"「日本は未来だった、しかし今では過去にとらわれている」と題する記事が掲載された。(日本語版の掲載は1月22日) 彼は2011年からBBCの日本特派員であった。
この記事はニュースというよりも、日本がいかにウィングフィールド=へイズ氏の期待に応えていないかという愚痴を延々と述べたものである。
記事に対し、外国人と日本人双方の読者から様々な反応があった。日英両国をよく知る読者は否定的に受け止める傾向があった。日本語が堪能で日本について幅広く書いている英国人の友人は、「戯言」と評した。私も同感である。
他方、ツイッター上で日本と日本人を誹謗中傷する多くの外国人と少数の日本人にとっては、格好の話題となった。

■よく書けているか?
ツイッターを見て最も驚いたのは、2,489語のこの記事をよく書けていると評する好意的なコメントである。私自身は記事を読み、大学で社会学の講義をしていた時に学部生が提出した、事実と感想の入り混じった言葉足らずでまとまりのないレポートを思い出した。
それでは、学部生のレポートをチェックする際のように、記事の問題点と疑問点を取り上げてみたい。

■日本では、家は車に似ている
記事はこの記述から始まる。「新しく入居した途端に、マイホームの価値は購入時の値段から目減りする。40年ローンを払い終わった時点で、資産価値はほぼゼロに等しい。」
通常住宅ローンの最長期間は35年であるが、この主張には一定の根拠がある。ただし、ウィングフィールド=ヘイズ氏が10年前に日本に来た時から同じ現象が続いているという主張には、確かな根拠は見いだせない。
日本では中古住宅市場は着実に伸びており、2017年頃からこのテーマの記事が出始めた。
また、築40年の住宅の多くがほとんど市場価値を持たないのには、それなりの理由がある。老朽化しているもの、現代の耐震基準を満たしていないもの、現代のライフスタイルに合わない間取りのものが多いからである。

■過去にとらわれる
記事は、日本は「平和で、豊かで、平均寿命は世界最長。殺人事件の発生率は最低世界。政治的対立は少なく、パスポートは強力で、新幹線という世界最高の素晴らしい高速鉄道網を持っている。」と称える。その後で、「1980年代後半に、日本国民はアメリカ国民よりも裕福だった。しかし今では、その収入はイギリス国民より少ない。」と続く。
この主張は表面上は正しく、2021年に一人当たりの国民所得は英国49,420ドル、日本44,570ドルであった。だが、この数値は人口構成によって調整されていない。2021年に日本では人口の28.9%が65歳以上であったのに対し、英国は18.6%、米国は16.5%である。
米国人の所得は、医療費と住宅費を見るまでは良さそうに見える。だが、医療費は日本の基準からすると天文学的な数字である。そして、アメリカの魅力的な都市の住宅費は、東京が安価に見えるほど高い。加えて、都市部では一部を除き公共交通機関が不便で利用できなかったり、危険であったりするために、自動車を所有することを余儀なくされる。
英国の住宅も恐ろしく高い。私はシェフィールドという地方都市に家を持っている。そこはロンドンから最速の特急電車で2時間以上かかるにもかかわらず、不動産業者は東京並みの家賃で難なく借り手を見つけることができる。もちろん個人的にはあり難いことだが。
■破綻国家イギリス
皮肉なことに、ヘイズ氏の記事と前後して、英国が「ヨーロッパの病人」と呼ばれた1970年代−日本でも「英国病」という言葉が使われた時期−に逆戻りしたと指摘する記事が相次いで出た。

その決定版と言えるのが、ウィングフィールド=ヘイズ氏の記事のわずか2日前にフィナンシャル・タイムズ紙に掲載された”Is life in the UK really as bad as the numbers suggest? Yes, it is”(英国の生活は本当に数字が示すようにひどいのか?そう、ひどいのだ)である。
著者のティム・ハーフォード氏は経済学者で、BBCで自身がプレゼンターを務める素晴らしい番組も持っている。記事によると、英国には「生活費の心配が広がっていること、いたるところでストライキが起きていること、英国の救急医療が完全に崩壊していることなど、明らかな問題がある。」
そして、「英国の所得の中央値は、ノルウェー、スイス、米国などを大きく下回り、先進国の平均を大きく下回っている。」
テレグラフ紙は、英国の年金の金字塔である「確定給付型」制度の破綻が迫っていると嘆いた。イングランド銀行によると、10月6日現在、英国の年金基金は「破綻から数時間」のところにある。

■恐るべき官僚主義
ウィングフィールド=ヘイズ氏は、日本の「官僚主義は時に恐ろしいほどだ」と述べる。それは新幹線やトヨタの「ジャストインタイム生産方式」の効率性とは対照的な、非効率性を象徴するものであると言う。
だが、私から見ると、これは大人の社会人として、日本 (と母国)での生活経験しかない者がよく言う典型的な愚痴である。
私は社会人として、米国、英国、日本に暮らし、各国の官僚制度を経験した。英国の官僚制度は、国籍にかかわらず誰にとっても恐ろしい。例えば、私はシェフィールドの自宅のフリーホールド(土地)を購入するまで、家の外観を少し変えるにも地主と市の許可が必要だった。
「プランニング・パーミッション・ナイトメア」で検索すると、英国の官僚主義の最悪の例を数多く見ることができる(プランニング・パーミッションとは、米国のゾーニングに相当する)。
ウィングフィールド= ヘイズ氏は英国人なので、英国のビザや入国管理局についてほとんど知らないのかもしれないが、私は経験がある。1990年代は物事が簡単に進んだ。私は4年間居住した後、「英国への無期限居住許可」(永住権)を希望するかどうかという通知を受け取った。そして、わずかな手数料と数時間の手続きで、永住権を手に入れた。
しかし、現在、手数料はぼったくりレベルで、手続きは限りなく遅い。さらに、ウィンドラッシュ・スキャンダルが示すように、何十年も合法的に居住し納税してきた人々が、些細な官僚的問題で放り出されかねないのである。

■運転免許証の更新
ウィングフィールド=ヘイズ氏は、運転免許証の更新時に、過去5年以内に交通違反をした者に課される2時間の講習を受けた。それについても不満を述べている。
ちなみに、彼はここで自身の日本語能力について、「講習の内容を理解する必要さえない。私は内容のほとんどがわからなかった」と不用意な言及をしている。
私はカリフォルニアに住んでいた時、軽い交通違反を一度した。そのため、一日がかりで「トラフィックスクール」に参加し、指定された場所まで何十マイルも運転しなければならなかった。
調べてみると、カリフォルニア州にはまだこの制度がある。つまり、ウィングフィールド=ヘイズ氏(やその他多数の在日外国人)が思っているほど日本は特殊ではないということだ。
また、免許更新時に必要な講習やビデオ視聴には役に立つ面もある。私はそこで路面電車の線路を横切る時の規則について質問し、疑問を解消できた。70歳と75歳の更新時には、視力や反射神経の衰えを認識することができた。
■マンホールの蓋
日本の「恐ろしい官僚制度」についての話は、政府の無駄な支出を象徴するマンホール蓋へと続く。
「マンホール蓋が大好きな人が大勢いるのは理解できる。芸術品だと思う。けれども、1枚につき最大900ドル(約12万円)するのだ。日本がどうして世界最大の公的債務国になったか、理解するヒントになる。」
この主張は2つの点で疑問が持たれる。まず、1枚につき最大900ドルというのは ”On the Hunt for Japan's Elaborate, Colorful Manhole Covers” を参考にしているのかもしれない。だが、その記事によると、手で彩色した大きなマンホール蓋は確かに「最高」900ドルだが、通常の特注デザインの蓋は汎用品よりわずか5%高いだけとのことである。
ウィングフィールド=ヘイズ氏がツイッターのタイムラインに載せたマンホール蓋は、もっと安価であるはずだ。
次に、これらのマンホール蓋は、しばしば自己資金によるプロジェクトや観光促進の一部である。マンホール蓋を見たり撮影したりするために、人々は旅行しお金を使う。マンホール蓋のトレーディングカードのマーケットもある。有名なデザインのカードをコレクターに売ることに成功している町もある。
特注品の装飾的なマンホール蓋が英国にも存在することだけでなく、現代社会の進歩的な考え方を支援するために使われていることも、ウィングフィールド=ヘイズ氏は知らないのだろうか。

■日本の現代性は表面的なものに過ぎない
ウィングフィールド=ヘイズ氏は、「日本の現代性は表面的なものに過ぎないと思う。」「新型コロナウイルスのパンデミックが起きると、国境を封鎖した。定住外国人でさえ、帰国が認められなかった。」と述べる。
これは半分は正しい。ただし、定住外国人のうち特別永住者は、出入国の際に国民として扱われる。
そして、このような入国制限は「日本はいまだに、外の世界に対して疑心暗鬼で、恐れてさえいる。」ことを示すものだと言う。
しかし、彼の同胞はそう思わないかもしれない。金融サービス業に携わる英国人の友人によると、制限期間中、彼らは日本国民と同じ検査と検疫を受けるだけで日本に出入国していたとのことである。
さらに、ヘイズ氏は全く触れていないが、 オーストラリアなどでは永住権を持つ外国人のみならず、市民も入国が制限されていた。
日本を外国人恐怖症と決めつける一方、オーストラリアには触れないことは、日本と歴史的に白人の多い国とを異なる基準で見ていることを示唆する。このようなダブルスタンダードは、Japan Times紙などの外国メディアによる日本報道に一般的に見られるパターンである。

■移民政策
日本では「移民受け入れへの強い拒否感は揺らいでいない。」というウィングフィールド=ヘイズ氏の主張は事実からほど遠い。
大英帝国が植民地からの移民を受け入れようとしなかったのに対し、大日本帝国は植民地からの移民を受け入れた。その結果、日本には少数民族として朝鮮人が存在することになった。強制労働で来た者はわずかである。
日本は戦後も熟練した移民を常に受け入れてきたし、「熟練」のハードルはかなり低く設定されていた。一般的に大学を卒業していれば、このカテゴリーに入ることができる。
さらに、安倍政権以降、日本は着実に移民の機会を拡大し、大学教育を受けていないブルーカラーの熟練労働者も受け入れてきた。現在では、オーストラリアやカナダと同様のポイント制を導入している。それにより、永住権や市民権取得への道が開かれる。
世論調査を見ても、有権者は選択的移民を望ましいと考えるようになってきている。一例として、フォーリン・アフェアーズ誌に2020年に掲載された記事 "Japan Radically Increased Immigration-and No One Protested." (日本は移民を大幅に増やし、誰も抗議しなかった)は参考になる。
私自身の経験を述べると、2013〜14年に日本で帰化申請を行った。料金もかからずテストもなかった。仮にその時英国で市民権を申請していたら、ラッセルグループの大学で10年間教授職をしていたにもかかわらず、英国についての知識を問うパブクイズ形式のテストと英語のテストに合格しなければならなかっただろう。しかも、受験料は数千ポンドに上っただろう。
■ハーフ
記事には「2つの文化にルーツを持つこうした子供は『ハーフ』、つまり『半分』と呼ばれる。侮辱的な表現だが、この国では普通に使われる。」「ちやほやされることもあるが、ちやほやされるのと、受け入れられるのは、全く別のことだ。」と書かれている。
しかし、異なる文化の両親を持つからと言って、必ずしも子供がバイカルチャーになるとは限らない。私の子供たちもハーフだが、家庭内ではたいてい日本語を話し、地域の公立の小・中・高校に通った。米国に行ったことがなく、英国にも1週間ほどしか滞在したことがない。バイカルチャーとは言えない。子供たちは一見して「ハーフ」なので、初対面で「ハーフ?」と聞かれることは多いが、それで特別扱いされることもない。彼らの周囲では似たような「ハーフの日本人」が珍しくない。

■年老いた者が生き残る
記事の中で歴史を一般化した部分は、あまりにお粗末だと言わざるを得ない。
ウィングフィールド=ヘイズ氏は「1945年に2度目の大転換が訪れても、日本の『名家』はそのまま残った。」と言う。
処刑されなかったという意味では、名家のメンバーは生き残った。しかし、戦前の資本主義を支配していた財閥は、その資産の大部分を失った。そして、企業のトップは、家柄や財産ではなく、学歴だけを資産とするサラリーマンに引き継がれたのである。
英国、特にイングランドとは異なり、日本では封建的な地権を持つ貴族が国土の大部分を所有しているわけではない。ましてや首都の一等商業地を所有しているわけでもない。
確かに政治の世界では、ある程度の連続性があった。しかし、安倍晋三の祖父である岸信介について ”Kishi was a member of the wartime junta”(戦時中の軍事政府の一員だった)と言うのは、初歩的な間違いである。(BBCが掲載した日本語版記事では「岸氏は戦時下に閣僚を務め」となっている。)戦時中の日本を動かしていたのは軍事政府ではない。国会は機能していた。1942年には選挙が行われ、斎藤隆夫のような無所属の候補者が国会議員に当選している。
岸は独立した権力基盤を持たないキャリア官僚で、1944年7月に政府から追い出された。政府で最も注目された軍人である東条英機も同様であった。東条もまた、基本的に官僚であり、独自の権力基盤を持たなかった。

■東京の地理
これも初歩的な誤りだが、記事の初めの方に ”In front of the Imperial Palace in Tokyo, the skyline was dominated by the glass towers of the country's corporate titans - Mitsubishi, Mitsui, Hitachi, Sony.”(東京の皇居前には、三菱、三井、日立、ソニーなど、この国の巨大企業のガラス張りのビルがそびえたっていた。)という記述がある。
お気づきの読者もいると思うが、BBCが掲載した日本語版の記事では、日立とソニーの社名は削除されている。ソニーは皇居の前にガラス張りのビルを建てたことはないし、本社は皇居からかなり離れているからだ。
そして、日立の本社はソニーより皇居に近いとはいえ、皇居の前ではないからだ。
■進むべき道
記事の最後は感傷的で饒舌で辟易させるものだ。ウィングフィールド=ヘイズ氏は商店街の小さな食堂を訪れる。
「おいしい料理、居心地の良い店、何かと世話を焼いてくれる親切な老夫婦......。すっかりおなじみの、慣れ親しんだものばかりだ。」
そして、日本への複雑な思いを語る。「日本は次第に、存在感のない存在へと色あせていくのだろうか。それとも日本は自分を作り直すのか。新たに繁栄するには、日本は変化を受け入れなくてはならない。……しかし、日本をこれほど特別な場所にしているものをこの国が失うのかと思うと、心は痛む。」
ウィングフィールド=へイズ氏にもっと観察力があれば、日本を特別な場所にしてきた多くが既に失われていることに気づいていただろう。
彼が日本がそれなりに活気があった時代と見なすバブル時代には、投機家と開発業者が東京の伝統的な街並みの多くを一掃した。
その後、巨大なショッピングモールが乱立し、多くの小規模店舗を消滅させた。さらに、全国的な大規模な均質化を推進した。
たとえ大型ショッピングモールがなくても、近代化の結果、周辺都市につながる多くの幹線道路沿いには、チェーンレストラン、自動車部品店、小規模ショッピングセンターが同じように並んでいる。
川越がその例である。小江戸と呼ばれ、徳川・明治時代の商家建築が保存されていることで有名な町だが、市街地に向かう幹線道路はお世辞にも魅力的だとは言えない。
これは日本が過去にとらわれているからではない。むしろ逆である。高齢化社会が何を意味するのかほとんど考慮せず、新しいものや流行を追い求めすぎているのだ。妻の故郷では、小規模なショッピングモールが地元の小さな商店をほとんど消滅させた。隣接する町の田園地帯に計画されているメガモールは、既存の小規模なモールを消滅させるかもしれない。

■結 論
感傷的なおしゃべりであれ、外国人の不平不満であれ、ウィングフィールド=ヘイズ氏の記事は調査不足でステレオタイプで拙い内容である。残念ながら、BBCがこの種の記事を掲載するのは一度や二度のことではない。
BBCの日本報道は、よい場合でも表面的。悪い場合は、日本以外の国では人種差別的だと見なされかねない内容である。ツイッター上で複数の外国人コメンテーターが、ウィングフィールド=ヘイズ氏の記事について指摘したように。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ここが変だよ比較文化論 更新情報

ここが変だよ比較文化論のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。