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シャンソンの真髄コミュの日本に最初に伝わったシャンソン

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日本に最初に伝わったシャンソン


ねぢを廻せば蓄音器、じりじりしやんと、
傍若無人のこころよさ。
  C’EST RIGOLO C,QU’ON A D’LA CHANOE:
MOI,QU’TOUS LES HIVERS CJ QELATS;
MOI,QUE J’COUCH’ DEHORS ED’ NAISSANCE,......
ブリュアンのあの聲が、
ピンの眼のよに光ってる。

 高村光太郎「雪の午後」52〜58行目 明治44年(1911)4月号雑誌「創作」掲載
(北川太一著 高村光太郎ノート 北斗会刊  より)

高村光太郎は明治41年(1908)アメリカからパリへ渡ってロダンに学んでいる。光太郎研究の第一人者

である北川氏の解説のなかで、おそらく光太郎はパリでブリューアンの歌に接し、レコードを持ち帰った

のだろうとしている。私の見聞する限り、おそらくこれが日本に最初に伝わったシャンソンだろうと思われ

る。それ以前に考えられるのは1900年のパリ万博で芝居を披露した 川上音二郎と、明治政府の派遣

でパリに学んだ帰朝者たちだが、具体的な記述にいきあたっていない。

同じ1911年にパリに渡った永井荷風も「フランス物語」の中で、“花の都”パリへの想いを綴っている。明

治とゆうまだまだ封建的な社会から、自由な庶民文化の開花したベルエポックのパリに渡った文人達に

とってパリはまさに憧れの魂の楽天地だったのだろう。

そんな花の都パリへの憧れがシャンソン到来の下地にあると思う。

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