ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

本能寺の変の真相&世界史の謎コミュの自説を展開してみました。

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント(21)

信くんは天下統一にリーチをかけた。最大の敵である毛利も秀(ヒデ)がほぼ制圧している。対抗勢力ではないが朝廷がなんか官位をくれるというが適当に無視を決め込んですでに要塞に改築した本能寺にやってきた。

ちなみに、

本能寺は城壁はあるし堀もあったりとかなり本格的な要塞に改造されてたらしい。

「武田も滅んだから防波堤役の家坊と同盟を続ける必要もねえな。」っと信くん。実際に本能寺にやって来た光秀(みっちゃん)配下の兵隊達は「ここに家坊が泊まってるのか・・・ 」っと思っていた記録が山ほど残っている。みっちゃんの配下は信くんの命令で家坊をやっちまう!っと思っていたのだ。

その家坊は本能寺の変の直後に伊賀の地侍(忍者)を頼って三河に戻る。殉死を決め込んだ直後にしては用意がいい。これは、伊賀と直前に話をつけたのはみっちゃんが直前に家坊も同席した茶会で「やっちまうぜ!」っという物騒な短歌を聞いたからだ。それに「まあいいんじゃないの。」っと返歌して上手いことやったからだという説がある。これはかなり有力。だって逃走経路の準備は前もって準備しておかなければ当時は不可能だからだ。何よりも、当時の家坊は信くんから「必要ねえし滅ぼす!」名簿のトップに書いてあった武将。そいつの前で「やっちまうぜ!」っと詠んだのだから家坊は限りなく反乱一派に近い中立派である。

東北でドンパチの真っ最中だった柴田っちは信くんの妹を嫁にもらったりと謀略に混ぜるとやっかいになるジョーカーだったので蚊帳の外。実際に無数にある黒幕説で唯一の名前が出ないキャラだったりする。

そんなこんなで本能寺。要塞化していたので大量の火薬が蓄えてあった。お陰で信くんは自害した時に取られたら「完全に敗北して負けました。」っという土下座写真みたいな首を取られなかったのだ。もし、信くんの首が晒されたらみっちゃんが天下をとった可能性が高かったという。そのくらい当時は首が大事な戦利品で勝利の証なのだ。ちなみに、目撃談によると本能寺は燃え落ちたというよりも、吹っ飛んだようであるから覚悟を決めた信くん自らの手による爆死のようだ。

さて、

14000人を率いたみっちゃんが大量に火薬を備蓄している本能寺に向かうのは行動的に自然だ。「ヒデちゃんとこに応援に行くから軍勢を閲覧ついでに寄って行きます。」っというのは自然なので信くんも油断していたのは間違いない。予定にない大部隊の移動は当時なら今よりもすぐバレる。ジモティ(地元衆)は小遣いになるので密告が大好きだからだ。

そして、

本能寺の変の翌日に事件を知ったヒデ。いくらなんでも早すぎる。しかし、帰還の準備に入るには余りにも周囲は敵だらけだったり、その相手のボンミスに助けられたりと事前に知っていたと邪推する仲間の武将は皆無だったようだ。実際にかなりの緊急事態のようだったらしい。後の天下人だから当事者達が口にチャックの可能性もあるが一切の記録がないのでみっちゃんから「出世頭のアンタだってこの先ヤバイかもよ〜。っえ?俺?まあ、色々今後のことでは考えることもあってさ。(笑)」っとナイスなアドバイスくらいはあったかもしれない。じゃなければいくらなんでも中国地方からの「大返し」は無理である。

とりあえず、

「勝ったぜ!」の証拠(首)が無いまま安土城を占拠したみっちゃんは誰かからの連絡を待ってイライラ。この相手が朝廷だったという説がある。(以降、朝廷連合で朝連)。朝連は信くんに官位を無視されたまま上洛の準備(本能寺は京に近い。)をされていて焦っていたのは間違いないのでみっちゃんに調子こいたぶっ込み(煽り)をした可能性は状況証拠的にはかなり灰色よりも黒に近い。

それと、みっちゃんがヒデと通じていた可能性も完全に否定しきれない。何故なら、四国に中国地方と九州と南方はまだまだ不安定。その最前線でドンパチしているヒデと話をつけていないと制圧しかけて後退していた毛利を筆頭に九州や四国の連中が一気に押し返してくる可能性が高いのでそれは避けたいはずだからだ。何故ならみっちゃんには明確な味方がいないからだ。ただ、直後にヒデは信くんの親族を担いでいるし、ギリギリの駆け引きはリスキー過ぎるので説としては薄い。このように容疑者は多数いるが証拠は全く無い。完璧な完全犯罪である。信くんが余りの少数部隊で動くのは当時は不自然過ぎるのだが、大体の抵抗勢力(武田や一向宗、上杉は跡目争い中)を討ち取ったので自領では気楽に行動していたらしく無用心な行動にも一応の説得がつく。



続く。



ウェキを見れば自分が書いたことは載ってる。ので、載ってないことをまずかいてみようか。

「時は今 天が下知る 五月哉」

これはみっちゃんが本能寺の変の直前の会で詠んだ詩である。これは武田征伐で戻ってきた家坊を歓迎する宴のすぐ後に行われた会で家坊も出席しており、この句に返句しているのだ。内容は「まあ、いいんじゃねえの。」的な内容は前回も書いた通り。

そして、

本能寺の変が起こると家坊は避難先で自害すると言ったが家臣に止められるとすぐに三河まで逃げ帰っている。これがかなりの長距離&難所を逃げているのだ。これが成功したのは伊賀の地侍(忍者)の功績による。各所で安全に休憩や食事が出来る場所を用意してもらっていたのだ。険しい山道を逃亡したので道案内もいただろう。逃走経路に伊賀モノを配備し警護していたのである。

つまり、

直前にみっちゃんの謀反を知った家坊は緊急に退路を確保したのである。これは事実である。一応だけどウェキ見ても載ってないよ。www でも、NHKではやってたからさ。そういうことで、家坊はみっちゃんから謀反を教えられていたのだ。

この事実を直前の行事に当てはめてみよう!面白くなってくるからさ。


・・・・・・


6月2日が本能寺の変。これをしっかり覚えておいて欲しい。そんで、5月15日に武田討伐から戻ってきた家坊の接待をみっちゃんが信くんから任命されるが17日には解任されて「サル(ヒデ)の応援に行け!」っと命令される。この解任の理由は太閤記やフロイト(イエズス会)によればみっちゃんの不手際で信くんが激怒したからとある。太閤記では接待の席に出す魚が腐ってたとあるが普通に考えればそれはないだろう。

っで、

公式な記録(フロイトの日本史、かなり客観的な記録です。)だと、信くんはみっちゃんと打ち合わせの席を設けた直後に激怒!みっちゃんを折檻したとある。これを冷静に考えれば、信くんがある提案をみっちゃんにしたがそれを拒否したので「俺様の言うことが利けないのか!!!」っと信くんが怒ったとするのが自然だ。そして、直後の宴で「俺、やっちまうぜ!」っとみっちゃんが家坊に教えたとすると・・・

推理は簡単だ。

まず、

みっちゃんは家坊にシンパシーを持っていた。家坊は信くんの配下ではなく同盟の大名であり、いつ信くんに捨てられてもおかしくない。そして、みっちゃんは勤続歴が短い。信くんは尾張を平定したころの部下は凄く大事にしていた。なので、信くんに仕える立場の危うさがなんとなく似て居たのかもしれないからだ。ここは後で詳しくやります。

さて、 

信くんの最大の難敵だった武田を討伐した家坊の接待を快く受けたのもそのためだろう。ところが、密室で打ち合わせの直後にその任務を解任される。しかも折檻されているのだ。つまり、大勢の前で信くんはみっちゃんに暴力を働いているのである。

「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」の信くんだ。多分、みっちゃんに「武田が滅んだから領土的な防波堤の徳川はもう必要無い!あそこも俺っちの領土にしちまうから家坊を殺れ!」っと言われたみっちゃんは「そんな、戦勝報告をしに来た同盟の武将を暗殺するなんて・・・ 」っと断ったと思うのだ。そのくらいの事がなければ織田軍の5本の指に入る武将を信くんが折檻するとは思えない。

ので、

みっちゃんは本能寺の変の直前である5月28、29の詩会で「せっかく助けたんだしさ、逃げるなら逃げなよ。」っと一句詠んで家坊を逃がしたと考えるのが普通だろう。もしオイラの推理が合っているなら戦勝報告の席で家坊の暗殺を断っているのだから逃がしてもおかしくはないだろう。

つまり、

この段階で多く語られる家康黒幕説はオイラ的には無くなる。一応だけど、状況証拠だけだと家坊は真っ黒なんではあるけどさ。

そして

家坊はこれから火の海になる京都(本能寺がある場所)と安土から「えらいこっちゃ!」っと逃げ出したのだ。

でも、

みっちゃんが信くんに逆らう理由ってなんだろう?




続く


さて、

みっちゃんの人物評を見てみよう。これは部外者であり、自国への報告書も書いていた人物の評価が一番適切である。ちょっと貼って編集するよ。

ルイス・フロイスの『日本史』での信長評が世間で広く信用されているのに対し、光秀評は無視されているとして光秀に対する評価を見直すべきとしている。

「才能があり思慮が深く狡猾にも振舞える人物で信長の寵愛を受ける。」つまり、信くんにとってかなり使える部下だったのだ。

「裏切りや密会を好み、己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。」これは、根回しも出来、隙を見せたら危険な人物ということ。まあ、戦国武将はこのくらいじゃないと無理だな。

「友人たちには、人を欺くために72の方法を体得し、学習したと吹聴していた。」簡単に言えば相手によって態度や扱いを使い分けていたことである。

「築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主。」ヒデや家坊など建築や土木が得意なのが信くんの配下の特徴だ。実際に本能寺の変の後、光秀の進軍を阻むために安土への道中にある橋が切断された際に深さと流れる水足が極めて速いことから修理は不可能な事と見られていたにも関わらず優秀な技能と配慮により、ただちに修理復旧されたという。まあこれは人物像としては関係ないが後で大事なことに繋がるので覚えておくように。

「主君とその恩恵を利することをわきまえていた。」「自らが受けている寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた。」「誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、その親愛を得るためには、彼を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり、彼の嗜好や希望に関してはいささかもこれに逆らうことがないよう心がけていた。」信くんは別名第六天魔王である。ボスの扱いは難しいと細心の注意をはらっていたのだろう。

「彼(光秀)の働きぶりに同情する信長の前や、一部の者が信長への奉仕に不熱心であるのを目撃して自らがそうではないと装う必要がある場合などは、涙を流し、それは本心からの涙に見えるほどであった。」しっかりゴマもすっていたようです。

「刑を科するに残酷」「独裁的でもあった。」「えり抜かれた戦いに熟練の士を使いこなしていた。」性格は容赦が無く独断的で自分で何でも決めていたようだ。そして人使いは上手いようである。

さて、ここまでに出てきたみっちゃんの評価から本能寺の変を起こした理由は推測出来ない。しかし、この評価はどう思うか見て欲しい。

それは、

「殿内にあって彼はよそ者であり、外来の身であったので、ほとんど全ての者から快く思われていなかった。」これは、常に信くんの近くに居たが宣教師という立場からクールに判断したみっちゃんの評価である。

つまり、

みっちゃんは信くんと良好な関係を持っていたがボスの取り巻き連中からは好かれていなかったのだ。そこで、みっちゃんと信くんの関係を整理してみよう。

以下は貼ってから編集したものです。

信頼できる史料によると、ヒデ等と共に織田氏支配下の京都近辺の政務に当たったとされる。義昭(みっちゃんの前のボス)と信くんが対立し始めると、義昭と袂を別って信くんの部下となった。各地を転戦して比叡山焼き討ちで武功を上げ近江国の滋賀郡(約5万石)を与えられ、坂本城を築いて居城とした。日向守の官職を与えられ惟任日向守と称した。

城主となったみっちゃんは、石山本願寺との高屋城の戦い、天王寺の戦いや信くん背いた荒木村重と松永久秀を攻めるなど近畿の各地を転戦しつつ、丹波国攻略を担当しこれを平定した。この功績によって、これまでの近江国滋賀郡に加え丹波一国(約29万石)を与えられ計34万石を領し、丹波亀山城・横山城・周山城を築城した。京に繋がる街道の内、東海道と山陰道の付け根に当たる場所を領地として与えられたことからも、みっちゃんが織田家にあって重要な地位にあったことが伺える。

また丹波一国拝領と同時に丹後の細川藤孝、大和の筒井順慶等、近畿地方の織田大名の総合指揮権を与えられた。これら与力の所領を合わせると240万石ほどになり近年の歴史家には、この地位を関東管領になぞらえて「山陰・畿内管領」と呼ぶ者もいる。京都で行われた信長の「閲兵式」である「京都御馬揃え」の運営を任された。

つまり、ヒデや柴田と並ぶ出世頭である。滝川一益、丹羽長秀、林秀貞、佐久間信盛、池田恒興、村井貞勝、前田利長、松平信康(のちの家坊だよ。)など腐った歴女ならよだれが出る戦国武将の中でもトップクラスのエリートなのだ。

それが!

「殿内にあって彼はよそ者であり、外来の身であったので、ほとんど全ての者から快く思われていなかった。」である。ボスがいなくなればその地位は危ういどころではないのだ。

そして、

意外だが信くんとみっちゃんは研究者の間では共に合理主義者であり気が合っただろうと言われている。信くんとみっちゃんとはウマがあったのは事実で、みっちゃんが信くんを信奉していたという史料上の記述も多い。また、信くんも、例えば丹波国平定について「感状」の筆頭に「日向守、こたびの働き天下に面目を施し候…」と讃えている。他にも似たような記述が少なくない。

ただ、

武田が滅んだ後は扱いが悪くなったようである。

以下は貼ったもんを編集。

武田家を滅ぼした家坊の功を労うため、安土城にて行われた京料理での接待を任され、献立から考えて苦労して用意した料理を、「腐っている」と信くんに因縁をつけられそれを聞いた家臣が怒って安土城の堀や川に投げ捨てた。これは、京料理独特の薄味にしたため、塩辛い味付けを好む尾張出身の信くんの舌には合わなかったとも言われている。とにかく、この一件により、すぐさま秀吉の援軍に行けと命じられてしまう。

この安土大饗応の時、実は信くんはみっちゃんに対して家坊を討てと命じたがそれを拒否した為に接待役を免ぜられたという説はかなり推理としては信憑性が高い。魚が腐っている(肴が腐っている)というのは毒を入れろと言ったのになぜ入れなかったのかという信くんの怒りという説は前にも紹介した。しかも、信くん自らがわざわざ台所に行き材料の魚鳥を吟味したというからなんかマジっぽいぞ。

中国(出雲国・石見国)は攻め取った分だけそのままみっちゃんの領地にしてもいいが、その時は滋賀郡(近江坂本)・丹波国は召し上げにする、と伝えられたこと。しかし、これは信くんの扱いに苦慮していたみっちゃんがこのくらいで切れるかな?

武田征伐の際に、信濃の反武田派の豪族が織田軍の元に集結するさまを見て「我々も骨を折った甲斐があった」とみっちゃんが言った所、「お前ごときが何をしたのだ」と信くんが激怒し、小姓の森成利(森蘭丸)に鉄扇で叩かれ恥をかいた。また、ルイス・フロイスも、信くんがみっちゃんを足蹴にした事があると日本史に記している。ちなみに、日本史はかなり信憑性は高いとされている。

このように、

本能寺の変のちょっと前、つまり信くんは全方位で難敵と苦戦していた時期は二人の関係は上手くっていたが全国制覇が見えてきた途端に信くんは急にみっちゃんに辛く当たるようになったのだ。

さあ、

大体の資料は出したぞ!後は朝廷の動きを説明すればあらかたの状況は分かってもらえるかな。www




続く


宮本武蔵。二刀流の剣術家であり現在は国宝とされる絵画を描いた武芸者である。

まあ、

この人は強かったのは間違いない(色々な大名から重陽された)が試合の記録が曖昧なものばかり。剣術は二刀流で当時、幕府の剣術指南役であった柳生但馬よりも強かったという証言の記録もあった。

そこで、

面白い事実がある。残された武蔵の絵画を模写すると普通はどうしても無理な部分(筆使い)が出てくる。そこで、左手で描いてみると上手くいくのだ。つまり、武蔵は左利き。ところが、自画像を含め武蔵は大刀を右手、小太刀を左手で握っている。

これを剣術で考えてみると・・・

武蔵は右手で大刀を振り回しながら戦い、利き腕である左で握った小太刀を器用に使って相手を倒したのである。大柄(180センチ)でかなりの腕力があったらしいが片腕で剣を使うから普通に考えればパワー不足だったかもしれない。

しかし、

戦術的に考えたらこれ以上ないくらい狡猾な剣術である。

このように、

歴史は角度を変えれば新しい事実が見つかるものでもある。

さあ、

本能寺の変までにどんなことがあったか?角度を変えて検証してみよう。



続く


さて、

本能寺は京にあり信くんは安土で朝廷よりの任官要請(関白、征夷大将軍、太政大臣)をいずれも拒否していた。朝廷は不安に満ちていた。つまり巨大な武力を持つ朝廷の家臣でもない者が京に入洛してきたのである。

しかし、

信くんは拒否したのではなく態度を保留していたともみる考えがある。それは、朝廷で信くんの任官について話し合いが持たれたのだが、この際に信くんを要職に任官することが織田家か朝廷のどちらからか申し出されたかで状況は全く違う。そう、朝廷か信長側かをめぐって2つの説が存在しているのだ。

これが三職推任問題である。信くんの朝廷に対する姿勢を考える上で重要な問題であるが、信くんからの正式な返答が行われる前に本能寺の変が起こったため、信くんがどのような考えを持っていたかは不明なのである。

そして、

当時の天皇である正親町天皇は毛利の後押しで即位した。なんかキナ臭いのであるのだが、資料的には友好な関係であったようだ。それでも、ヒデが毛利を攻めていた真っ最中と状況は複雑である。

みっちゃんは、信長・信忠を討った後、朝廷に参内し、金品を下賜されているが本能寺の変の後に、朝廷側が綸旨や太刀の下賜などで、みっちゃんを顕彰・賞賛した動きはなく、みっちゃんも勅命によるものであるという主張をしていない。

これを分かり易く説明すると、

みっちゃんは本能寺の変の後に事態の報告を朝廷した。それを朝廷は受けたのだが「よくやった!でかしたぞ!」っとは言わずに「そうなんだ。ふ〜ん。」っという感じではっきり出していない。みっちゃんも「これは謀反じゃねえのさ。だって俺様は朝廷に認められたんだぜ!」っとは言っていないのだ。

この場合、朝廷が無責任に態度を保留したとは思えない。何故なら、当の謀反人は京にいるのだ。朝廷が立場の位置を一歩間違えれば京都は火の海どころではすまないからだ。

また、

当日、誠仁親王が二条御所にいたこと。二条御所は本能寺が制圧された直後に攻められている。信忠たちの対応次第では、親王が戦いに巻き込まれて死亡した可能性もある。

前の関白である公家の近衛前久は本能寺の変の当日または数日後に出家しており、これを細川藤孝の出家と同様、信長に殉じたと解釈するのが適切と見る見解や、後々まで信長の死を惜しんだ和歌を残している事など朝廷&公家が信くんを敵視していない史実も多い。


さあ、

そこで状況整理をしてみよう。

信くんは尾張時代は朝廷から官位を受けてはいたがそれほどそういった地位を望んでいなかった。しかし、足利幕府が滅亡すると官位は上昇する。そして、源頼朝以来の右大臣になったが後に辞している。それからは官位についていない。

そして、

ほぼ全国制覇寸前まで来て京都にやって来た。その直前に朝廷は武家では最高の位である征夷大将軍・太政大臣・関白のうちどれかに任官すると申し出があったが信くんは正式な返事をする前に討たれているのだ。

この任官が朝廷からの申し出であり、それを信くんが断ったら朝廷が黒幕の可能性がある。逆に、信くんからの申し出ならば最大にして最強の勢力である織田家と対立することを朝廷がするだろうか?

とにかく、返事を保留したまま入京してから討たれたので真偽ははっきりしないので、ここは状況を説明していくしかない。

まず、

当時の政治のバランス的には信くんと朝廷は微妙な関係ではあったが、公家衆や皇族と信くんの関係はそれほど険悪ではなかった。ただ、信くんの発案で当時の天皇に退位を申し出た記録はある。これを正親町天皇は喜んで受けていたようなので問題は無いともいえる。

実際に、正親町天皇は馬揃えにおける信くんの好待遇に喜んで手紙を送って褒賞を与えている。また、馬揃えには前関白近衛前久ら公家も参加していた。そのため、朝廷を威圧する目的はなく、京都の平和回復を宣伝するとともに天皇を厚遇して朝廷尊重の姿勢を見せていたのだ。何よりも信くんは上京以来、朝廷等の貴族階級の財政状態を改善したことから、公家とも親交が深かった。

つまり、

朝廷陰謀説は良く言われているが可能性は低い。肝心のみっちゃんだが、本能寺の変直後に朝廷から顕彰・賞賛等をされていないのは先ほどあげた通りである。

しかし、

当時、織田家が攻めていた毛利は正親町天皇の後ろ盾である。譲位(退位)を求められて天皇が内心はどう思っていたかは定かではないのである。

そして、

一番の正確で客観的な史料といえるフロイスの日本史によると

「天皇とか将軍とか色んな連中がいるが、この国の王様は俺だからさ。そこんとこよろしく!」っと言ったようだから信くんは尊皇派とは言い切れないのである。

まとめると、

信くんは微妙ではあるが朝廷と上手くやっていた。そして、朝廷は信くんを討ったみっちゃんを冷静に見て当たらず触らずの扱いでこれからの流れを見ていたと考えるのが妥当である。みっちゃんは誰にもはばかる事の無い正当な理由は無いのである。

そうなると、

部下に討たれたのだからその上司にはどんな問題点があったのか?そろそろ確信に迫らないといけないなあ。www




続く



信くんは、家督争いで青春時代を過ごす。親に殺されそうになったり兄弟で殺しあったりと普通の戦国武将らしい日常だったようだ。

尾張を平定。今川を桶狭間で破って戦国大名デビュー。足利義昭を担いで京に入などるなど戦国時代では新顔だがイケイケだ。

周辺国は武田、三好、朝倉に浅井とかなりマズイ雰囲気。そこで徳川と同盟して武田の防波堤になってもらう。徳川は信くんをバックに武田を牽制と利害が一致した。

さあ、

まずは三好や朝倉とドンパチ!そんな頃に信くんが担いだ足利義昭と信くんが対立。義昭は打倒信長に向けて暗躍を始め、朝倉義景、浅井長政、武田信玄、毛利輝元、三好三人衆、さらに比叡山延暦寺、石山本願寺などの寺社勢力に呼びかけて「信長包囲網」を結成した。

信くんは三好三人衆を討つべく出陣するが、石山本願寺の援軍などもあって苦戦。しかも、浅井・朝倉・延暦寺などが侵攻してくるが信くんはすぐに戻って応戦。慌てた浅井・朝倉連合軍は比叡山に立て籠もって抵抗した。ところが、その間に石山本願寺の法主・顕如の命を受けた伊勢長島一向一揆衆が叛旗を翻し信くん大ピンチに。

つまり、信くんは寺院勢力をバックにした敵と戦うという状況に苦慮していたのだ。そこで、信くんの拠点である岐阜と京の中間にあって抵抗したりとかなり邪魔な比叡山を焼き討ち!

この頃、信くんと武田の関係は良好であったが、信長の同盟相手である徳川領への侵攻は事前通告なしで行われ信長は家康に対して援軍を派遣し武田と対立する。

ちなみに、武田信玄は同盟を反故にすることが多かった。逆に信くんは戦国時代では珍しい盟約を遵守する武将である。

っで、

すると「良し!信の野郎をやっちまおう!」っと足利義昭が京で三好と組んで挙兵する。武田の上洛を目指して挙兵。信くん超ピンチ!

ところが、

武田信玄が急死して進軍中止。義昭は信くんに追放されて足利幕府は滅ぶ。信くんはここ一番での運が良い!


しかし、

本願寺の門徒は一向一揆を繰り返し信くんと対立など状況は改善されない。

そして、

織田・徳川連合軍は長篠の戦いで、火縄銃を用いた一斉射撃で武田軍に圧勝する。

ところが、

信くんが本願寺を攻めていると毛利が援軍を送ってきて対立。本願寺は上杉謙信(ガチのホモだった。www)と和睦と信くんと対立。状況は再び悪化。

またも大ピンチに!

ところが、謙信が急死して上杉は家督争いで信くん包囲網から撤退。信くんは鉄の軍艦を建造して毛利水軍を撃破。本願寺は毛利からの援軍を失う。

この頃の信くんは無敵状態!

長篠合戦の敗退後、武田勝頼は上杉や信くんとの和睦を目指したが良好に進まず、新府城築城のための普請増大などで却って国人衆には不満が増大していた。信くんは武田へ本格的侵攻を行うため大号令。そして、駿河国から徳川家康、相模国から北条氏など連合軍の兵数は10万人余に上ったと言われている。

これに対して武田軍は、伊那城の城兵が城将・下条信氏を追い出して織田軍に降伏。さらに信濃国の松尾城主・小笠原信嶺、江尻城主・穴山信君らも先を争うように連合軍に降伏し、武田軍は組織的な抵抗が出来ず済し崩し的に敗北する。

武田を滅ぼした信くんは

対本願寺方面は佐久間信盛軍団に当たらせる。戦というよりも和睦を目指した。

北陸方面は柴田勝家軍団が向かう。やる気満々の感じ。

近畿方面は明智光秀軍団。近隣諸国への睨みである。

山陰・山陽方面は羽柴秀吉軍団が向かう。憎き毛利をつぶす!ってことである。

そんな、

順調に勝ち進み始めた頃に起こったのが「本能寺の変」である。

さあ、

状況を簡単に説明してみたぞ。




続く
以下は貼り付けてから編集(ほとんど。www)

宣教師のフロイスは信長の人物像を「武技を好み、粗野である。正義や慈悲の行いを好み、傲慢で名誉を尊ぶ。決断力に富み、戦術に巧みであるが規律を守らず、部下の進言に従うことはほとんど無い。人々からは異常なほどの畏敬を受けている。自分以外の大名のほとんどを軽蔑しており、まるで自分の部下のごとく語る。良き理解力、明晰な判断力に優れ、神仏など偶像を軽視し、占いは一切信じない。宇宙の造主、霊魂の不滅、死後の世界などありはしないと明言している。その事業は完全かつ巧妙を極めている。人と語る時には遠回しな言い方を嫌う」と記した。

つまり、

粗野だけど慈悲深い人物で有能な戦術師だが部下の進言はあまり聞かない。天上天下唯我独尊というヤンキーみたいなヤツ。www じゃなくて、傲慢な独裁者。合理主義者で独善的な人物ということ。

まあ、世間のイメージ通りである。

浅井久政・長政父子と朝倉義景の3人の頭蓋骨に金箔を貼り、酒宴の際に披露した。これは後世、髑髏を杯にして家臣に飲ませたという話になっているが実際には使用していないらしい。髑髏を薄濃(はくだみ)にするというのは、死者への敬意を表すものである。

時代劇などに出てくる、髑髏の杯で部下全員ドン退き!っということは無かったのだ。

弟・信勝の暗殺や叔母・おつやの方の処刑により、「身内にも厳しい人物」との印象もある。一方では、反乱を計画した兄・信広を赦免後には重用する、前述の信勝も一度は許している上に彼の遺児(津田信澄)の養育を責任を以って手配しており、叔母の処刑も自身が降伏しただけでなく信長の実子までも武田に差し出した行為の怒りからとも推測できる。自分の弟が戦死した場合には相手を徹底的に攻撃する。

また、

信長の親族と婚姻した家とは自身から直接的な敵対行動をとらないなど、当時の大名階級として身内に優しい人物との評価もある。

また、非常に律儀な性格であり、信長の側から盟約・和睦を破った事は一度も無い。一時は和睦しながら再び信長と敵対した勢力は数多いが、それら勢力は自ら先んじて信長との盟約・和睦を反古にしている。

つまり

律儀なヤツだったのだ。


また、

世間の評判を重視しており、常に正しい戦いであると主張することに腐心していたことが、京都の公家などが記した日記などから分かる。

長女の徳姫を除くと生前に縁組させた冬姫らの娘達は個人的にも親交のある家臣である前田家、丹羽家、若しくは少年時代から面倒を見てきた蒲生氏郷に嫁入りさせており、信長の死後も夫から大事にされ続けている。

このことから、

「娘を大事にしてくれそうな婿を厳選する」甘い父親とも評されることもある。また、織田家関連の女性には実名が判明している女性が多いため、当時の人間としては女性を重視していたという見方もある。

ヒデんところの夫婦喧嘩を仲裁して、ネネに励ましの手紙を書いたりもしている。また、家庭内での妻の役割を重視した言動が残されている。当時としては珍しい価値観である。

とにかく、部下を気にかけるいい上司である。

『信長公記』では信長の性格の一端を窺える次のような逸話が紹介されている。美濃と近江の国境近くの山中という所(現在の関ヶ原町山中)に「山中の猿」と呼ばれる体に障害のある男が街道沿いで乞食をしていた。

岐阜と京都を頻繁に行き来する信長は街道沿いに身体の不自由な乞食を観て哀れに思っていた。信くんは上洛の途上、山中の人々を集め、木綿二十反を乞食に与えた。更に「これを金に換えて、この者に小屋を建ててやってほしい。そして毎年麦や米を施してやってくれれば、自分はとても嬉しい。」と山中の人々に言った。山中の猿はじめ、人々はこれに感涙したという。

更に、

荒木村重の説得に向かった黒田孝高が帰還しなかったため裏切ったと判断し、息子黒田長政の処刑命令を出したものの、後に如水が牢に監禁されていた事が判明した時には「如水に合せる顔が無い。」と深く恥じ入っている。その後長政が竹中重治に匿われていた事が分かった時には狂喜した。自分の間違いが明らかになった場合には素直に認めて反省する一面もあった。

スゲエ良いヤツである。

また、

身分に拘らず、庶民とも分け隔てなく付き合い仲が良かった。実際に庶民と踊ってその汗を拭いてやったり、工事の音頭をとる際等にはその姿を庶民の前に晒している。お盆では安土城の至る所に明かりをつけ、城下町の住人の目を楽しませるといった行動から、祭り好きでもあったようである。

信くんは領地の治安維持に努めたりと有能な領主でもあったのだ。

イエズス会の献上した地球儀・時計・地図などをよく理解したと言われる。当時はこの世界が丸い物体であることを知る日本人はおらず、地球儀献上の際も家臣の誰もがその説明を理解できなかったが、信くんは「理にかなっている。」と言い、理解した。これは安土城の天守閣から琵琶湖を見ることが出来たので地平線が丸くなっていたのを知っていたかもしれないからっという説もある。

そして、

好奇心が強く、鉄砲が一般的でない頃から火縄銃を用いていた。奇抜な性格で知られるが、ルイス・フロイスには日常生活は普通に見えたようである。

フロイスに南蛮の目覚まし時計を献上された際は、扱いや修理が難しかろうという理由で残念そうに返したという。無駄を嫌う合理主義者である。


また、

大の相撲好きで、安土城などで大規模な相撲大会をたびたび開催していた。相撲大会は武士・庶民の身分を問わず誰でも参加が可能で、庶民であっても成績の優秀な者は褒美を与えられ、また織田家の家来として正式に採用されることもあったという。

和歌の教養もあり、上京した際にある公家から試され上の句を詠まれた時、即座に下の句を詠んで周囲を感嘆させたほどで、公家との交流に大いに役立った。

茶の湯にも大きな関心を示している。これについて、堺の商人との交渉を有利にするため、茶器を家臣の恩賞として利用するためという説があるが、信忠に家督を譲った際に茶器だけを持って家臣の家に移ったりしていることから、純粋に好んでもいたようである。

つまり、

庶民派の文化人ということである。

さて、

戦国武将に両性愛者が多いという説により信長もそうだと見られがちだがそのような正確な証拠は無い。信くんはBL属性ではないようだ。www

主に森乱丸の逸話によるが元々織田家は譜代の武将の子を年少より付随させ家臣団の結束を図っていたので森蘭丸が特別な訳ではない。森蘭丸の親である森可成は信長がもっとも苦戦した時期に戦死しているのでその息子に目をかけていても不思議ではなくそれ以上の関係は証明されていない。

人物評としては

「信長は勝って兜の緒を締める方で、余勢で一気に押さない方だった。」

「信長卿は非常に義理堅い人だった。」

っという記述が残っている。

あるキリシタンの家臣が愛人と同居している事を知ると、教えに従っていない事を指摘し、宣教師たちが彼を咎めた事を知ると非常に喜んだ。この家臣が再び愛人と同棲すると、俸禄を没収し追放した。

真面目である。

基本的に他家と比較して重臣の権限や裁量余地が大きい。柔軟であると同時に体制・統治に関する成文が非常に少ない。

能力主義を重視していた。重臣として織田家に居座りつつ、活躍以上の利権を自己主張する佐久間や林に対し、懲罰的粛清を断行した。しかし、佐久間信盛には折檻状を出し、それを要約するとただ有無を言わさず追放したのでは無く、隠居するか命を懸けて手柄を立てるかを選ばせている。また、失敗を上回る功績を立てれば許すという方針を持っていた。


興味深いのがここ。

戦国時代に寝返りや裏切りは日常茶飯事であったにも関わらず、信くんを裏切った者の大半は、信長が上洛してからの家臣であり、尾張・美濃時代からの家臣の中で、信長に背いた者はほとんど見受けられない。心底慕われていたようだ。

信長は林秀貞を昔の謀反の罪で追放したが、同じ罪にあった柴田勝家には罪を問わなかった。その上、信長は存命中、勝家に対し越前8郡75万石という織田家臣団随一の領国と、織田家筆頭家老の地位を与えていた。また、松永久秀に対してもその実力を評価し、二度も降伏を許している。このように、有能であれば、その罪を許し重用もしていた。

敵大名や一揆衆や自らの配下には苛烈であった信長だが、地味な内政や民心掌握に敏腕を発揮しており、信長が支配下に置いた尾張・美濃などの多くは信長によって終生、善政が敷かれていた。桶狭間の戦いにおいても信長が勝利することができたのは、領民の支持があったからだとされている。相次ぐ戦乱で荒廃した京都の町人たちも、銭一文でも掠奪した者は斬首するといった厳正な信長の統治に対しては歓迎したという。当時は戦国で治安が悪かったのだ。

織田軍の足軽が道を行き交う女性に絡んでいるのを見かけた信長が、京都の治安を乱す行為をしたとして自身で手討ちにしたという挿話もある。

つまり、

「お武家はんは粗野で乱暴やけど信はんのお武家はんはそないなことをせえへんから好きやわ。部下にもそういうことを徹底させておったみたいやしな〜。」

っということである。

また、本能寺の変の後に、明智光秀についた国人層が少なかったことも、これを裏付けている。

「信はんはええお武家はやったわ〜。それを討ち取った光秀なんか慕われせえへんなあ〜。」ってことである。


さあ、


長くなったので全てを要約すると、


性格は、気性は荒い面もあるが真面目で合理主義。無駄なことを嫌い行動が早い。占いや迷信を信じない。義理堅く味方なれば頼もしく信頼できる。

部下には厳しい面もあるが能力で判断していた。そして、かなりの権限を部下に与えて自由に仕事をさせていた。失敗しても功績をあげれば許していたりと働き甲斐のある寛容な上司であった。

プライベート面でも部下を気にかけたりして身内にも結構甘い。慈悲深く領民には優しい。また、自分の失敗は認め反省していた。律儀な性格で約束は破らない。

領地の治安維持に努め、善政を行い領民からも気軽に接しられる領主だったようだ。また,文化人であり教養も高いながらも武芸や乗馬、鷹狩りなどを好むなど武人らしい人物であった。世間体をかなり気にしていた。

そして、何よりも人々から異常な敬愛を受けるカリスマ上司だったのである。

つまり、

言われるほどそんなに仕え辛い上司ではなかったのだ。

では、

何故にみっちゃんは謀反を起こしたのか?そろそろ終わりだな。www




続く


色々と状況を説明してきた。

まず、

本能寺までの大雑把流れ。

周囲の敵や朝廷との関係。

信くんの人物評のまとめ。

すると、

本能寺の変の謎はそれまでの一ヶ月の異常な状態が原因だと推測される。

まず、

みっちゃんと信くんは何かの謀議で対立していた。これは家坊絡みは間違いない。武田が滅んだ直後なのも怪しい。っが!信くんは自分から同盟や盟約を破ったことがない。謀議の理由は家坊の方にあった可能性もある。

朝廷との関係は信くんが返事をする前に討たれたので不明。官位の推位を断った可能性もあるが信くんは朝廷を大事に扱ってきた。

ヒデの場合は、信くんに出陣要請を出していたことが大きい。「最後の仕上げはボスよろしく!」っというゴマすり要請である。

そこで、「中国大返し」は信くんの軍勢(13000人くらい)が安全に移動出来るように宿から食事、移動の装備(大量のわらじや衣服、雨対策グッツに弁当、飲料など)を街道に前もってしっかり用意していたために可能だったのだ。

軍隊の移動は大変なのだ。後方支援(食料と資金)も用意しておかなければならない。

つまり、その準備(信くん出兵)があったおかげで急な軍勢の移動が可能になったのだ。その下準備がなかったらヒデが京に着くのに一ヶ月以上はかかったろう。そうじゃなくても、中国地方から京都までの移動は異常だ。フルマラソンをした翌日にリングに上がるボクサーみたいなものであるから、ヒデは現地(京都)で合流した武将の活躍を期待するしかなかったのだ。

つまり、みっちゃんが敗北する可能性はほとんどなかった!

しかし、

主君を殺したみっちゃんに味方する信くんの旧臣は最早少なく、兵数差を覆す事ができずに敗れた。

これは、

前に説明したようにみっちゃんは外様で他の重臣から不人気だったからである。

しかしだ!

みっちゃんは家臣からは慕われていた。戦で負傷した家臣への見舞いの書状が多数残されている。家臣へのこのような心遣いは他の武将にはほとんどみられないものであった。このように家臣を大切にしたことから、直属の家臣は堅い忠誠を誓ったとされる。実際に、みっちゃんの家臣団は、本能寺の変でも一人の裏切り者も出さず、山崎の戦いでは劣勢であったにもかかわらず奮戦したといわれている。山崎の戦いの敗北後、みっちゃんを逃すために、家臣が二百騎ほどで身代わりとなって突撃を行ったという記録がある。

この家臣達、本能寺の変にどんな影響を及ぼしたのだろう?



さあ、



みっちゃんを中心に家坊などの重臣と信くんが揉めており朝廷ともかなり微妙な状態で先行きは不鮮明。ヒデは肝心の本能寺と離れていた事と、毛利との情報戦と交渉術に勝ったことで大きな決断を出来たが・・・

京に入るまで現地の相手と味方の状況が分からず出たとこ勝負で、しかもリスクがかなり高い!

家坊は三河に戻るが隣国の旧武田領は残党も多く、領民の人心を把握しておらず何が起こるか分からず身動きが取れない。っが!態勢は十分に立て直せたはずである。

つまり、

当時、状況は流動的で本能寺に関わった武将で全体を把握していた者は誰一人いないのである。


さあ、一応ちゃんと自説はある。次はラストだな。www



柴田の勝ピ−は北陸方面に出陣中。信くんに絶対的な忠誠を誓うが意見も出来る忠義の武将だ。信くんの妹を嫁にもらっており、武勲が無いと粛清された佐久間っちは「勝ピーを見習って働け!」っと言われてから結局は追放されたから地位は安泰だと推測される。

本能寺の変とは全く無関係といえる武将だ。

ヒデは毛利攻めの真っ最中。水攻めで高松城を湖上の城にして援軍の毛利と分断して戦線は優位になっていた。

家坊は武田が滅んだので同盟関係の信くんがいる京に来ていた。

そして、

肝心のみっちゃんはヒデからの援軍要請で部隊を編成する準備や朝廷との交渉などに奔走していた。

その朝廷は、信くんが官位を受けるのか、それとも受けないのかっで揺れていた。



・・・・・・・・・・



さて、

本能寺の変の一月前のこと。今日も信くんとみっちゃんは言い争っていた。

「だから!黙って俺様に言うことをきけ!」

っと信くん。すると、みっちゃんは、

「だ〜か〜ら〜、そんなの無理っすよ。」

っと返して席を立ってしまったのだ。その内容は当人達じゃないから分からないが、信くんが怒鳴りみっちゃんが憤慨して退席するなど険悪な感じ。どうやら何かの意見が合わず話が噛み合っていないのだ。

そんな頃、

家坊が信くんのところに挨拶にやってきた。武田が滅んでいよいよ天下布武が現実味を帯びてきたのだ。

「しかしあれだな。ぶっちゃけ家臣になれって言われるかもしれねえなあ・・・ 俺と信くんって一応は同盟関係じゃん。そうなったらやだなあ。まあ、ここは絶対服従ってことで上手くやらねえとな。」

っと家臣と話していたら城内(安土城)が騒がしい。「何だべ?」っと家坊が様子を見に行かせるとみっちゃんが信さんに足蹴にされていると報告されビックリの家坊。

そりゃそうである。みっちゃんは織田家の事実上のナンバー2なのだ。しかも、「信様万歳!信様命!ついていきます信長公!いっしょに歩もう天下布武!」っとピンクのサイリウム(アイドルの親衛隊が振る光るスティック)を持って信くんコールをするくらいの重鎮なのだ。何か余程のことがあったのだ。最近は林ちゃんや佐久間くんなどの重鎮がいきなり左遷されている

笑顔で信くんに挨拶しながら内心では冷や汗たらたらの家坊であった。

「何かあったらヤベえから服部半蔵に頼んで逃げ道を確保しといてくれ。よろしく!」

っと家臣にそっと耳打ちした家坊であった。


・・・・・・・・  



その頃、

ヒデは焦っていた。湿地帯を利用した天然の堀を持つ高松城攻めに苦心していたからだ。

「ボス!ヒトツ出番をよろしくっす!」

っと報告したら「うっせ!自分だけでなんとかしろ。とりあえずみっちゃんを行かすからそれまでに結果出しとけや!」っと信くんに言われたからである。結果を出さなければ重鎮だって左遷はある。それが最近の織田家の流儀らしい。現代の官僚と違って実績主義の織田軍でやっていくのは大変なのだ。すると、ヒデの番頭である黒田が「近くの川を堰き止めて水びたしにしちゃいましょう。毛利もそれなら応援出来ませんぜ。www」とナイスアイデア。一気に状況はヒデ有利になった。

「これなら楽勝だな。信くんもみっちゃんの後から来るみたいだから行軍の準備にかかってくれ。」

っと指令を出した。大部隊の速やかな移動には前もって準備をしておくのが大事なのだ。

「サル!泊まる場所もねえし。食い物は雑穀ばかりで苦労したぞ!テメエなんぞ左遷だ!!!」

っと言われるのはゴメンなのだ。細部までの心遣いで出世してきた彼にぬかりはない。

「出来るだけ素早く行軍出来るようにな。ボスはせっかちだからさ。www」

そう言ってヒデは水浸しの高松城を見て笑った。


・・・・・・・・


「いったい信くんはどういうつもりなんでおじゃるか?」

っと朝廷は京都所司代(京都の総督)である村井ポンに何度尋ねてみても、

「あ〜・・・ その事案はあちらの窓口におります明智が担当になります。」

という感じでずっとたらい回しにしていたのだ。実際に村ポンはボスから何も聞いていないので答えようがなかったのである。

「まさか信くんは朝廷をないがしろにするつもりなんでおじゃろうか・・・ 不安でおじゃる。」

っと公家達は疑心暗鬼だった。これまでは寂れた京都の修繕に努めてくれていたりと色々とやってくれた信くんであるが、最近は「俺様ってマジで神なんじゃねぇ!俺がネ申でいいんじゃねえ!www」っと安土で浮かれているとの評判は京にまで届いているのだ。

そんな誰もがこれから自分がどうなるか心配だった。それは全く情報が無いからであり信くんがこれから何をするつもりなのか一切公言していないからなのだ。



大体ここまでは史実通りですな。www


続く

さて、

何故みっちゃんは信くんに足蹴にされたのか?まず、織田家として対武田の防波堤として家坊が必要なくなった。そうなると、格下の家坊と同盟っていうのも面倒だ。そこで、みっちゃんに家坊排除(暗殺)をやらせようとしたが、

「いや〜、さすがにそれはマズイっすよ・・・ もう・・・ だから、殺るんならちゃんとした理由とかワケを用意しないと後々うしろユビを指されるっすよ。」

っとみっちゃんは信くんに家坊暗殺を反対したら、

「なんだよ!お前は言うこときいてりゃいいんだよ!イチイチうっせ〜なぁ!」

っと足蹴にされたという説がある。そうなると、信くんに挨拶しにやって来て近くにいたのでその様子を聞いたと思われる家坊は、

「やっぱ、天下統一がいよいよ現実的になったから俺っちはもう必要無くなったってことかよ!」

っと思ったかもしれない。いや、思ったろう。実際に本能寺の変当日にみっちゃんの率いた軍勢の多くは信くんではなく、「みっちゃんはこれから家坊を討ちに行くのか。」っと思っていた記録がたくさん残っているのだ。しかし、お互いに一度も同盟関係を違えたことがない2人である。いきなり暗殺はないだろうと推測されるが家坊排除は検討されたのだろう。

では、

何故みっちゃんと信くんは言い争っていたのか?これは朝廷対策の方が可能性は高い。何故なら、信くんは京に居て朝廷の目と鼻の先まで来ていた。官位をどうするかも返事をしなければならない。そして、みっちゃんは朝廷にも顔が効くから久家達から、「ねえみっちゃん。信くんの本意を聞いてきて欲しいでおじゃる。」と再三に渡って頼まれたであろう。そんなみっちゃんに信くんは、

「あんな公家共の薄ら白い顔なんか見たかねえよ!もう知らねえ!ほっとけやぁ。www」

っとやったとしよう。当然みっちゃんは、

「そんな〜、そりゃマズいっすよ。それなりな官位を受けて天下布武を名実ともに・・・ 」

っと提言とかしただろう。つまり、みっちゃんはこれからの激変するであろう日本の流れの中心部にいたのだ。織田家にとって最大の敵である武田が滅び、一人の戦国武将による日本の完全制覇が見えてきた。そして朝廷は、関白、征夷大将軍、太政大臣のどれかを受けて欲しいと申し出ていたのだ。これほどの出来事は日本史上で初めてのことである。

そして、

同じ頃にみっちゃんは家坊の接待役を外されている。これを額面通りに考えれば、やはり信くんはなんらかの形での家坊の排除は考えていたがみっちゃんに反対されたのである。そこで、信くんは家坊排除で意見の合わないみっちゃんを接待役から解任したのである。

つまり、

朝廷に官位を受けるのかどうかについての返事や、同盟大名の排除など、みっちゃんは信くんとかなり込み入った話をしていたのは間違い無いだろう。かなり信頼されていないとこういう話はしない。

つまり、

何だかんだでみっちゃんは信くんから絶対的な信頼を受けていたのだ。

「オッス!オラ信様命。もっと武勲を上げてボスのために一生懸命働くっす!」

っと家臣の誰よりも信くんに取り入ることが得意なみっちゃんである。そして教養もあり公家にも顔が効く。信くんの家臣の中では武将としては普通の上だが官僚としてはかなり優秀である。

「まあ、ウチの連中は田舎武士ばかりで禄に和歌も出来ないからねえ〜。www」

っとみっちゃんは思っていたろう。しかし、ナンバーワン家臣の勝っちは筋が通らなければ信くんに苦言を言って更に信頼された武将だ。そこで、みっちゃんが「ここで無骨な面をボスに見せれば俺って完璧じゃん!」っと真似した可能性はある。だって、ボスに取り入ることで出世してきたみっちゃんである。

しかし、

勝っちとみっちゃんは基本的に芸風が違う。当然上手くいかないのだ!

「ヤベエ!なんかマジでボスを怒らせちまった!」

っとなった可能性があるのだ。当然みっちゃんは名誉挽回をしようとしただろう。

「こりゃ、ボスのムチャな頼みを聞かなきゃいけない!」

っとさ。(笑)


さあ、どうなると思う?


www
さて、

みっちゃんは何だか理由はイマイチはっきり分からないが家坊の接待役を解任された。その状況や信くんの異常な怒り方から推測すると、みっちゃんは家坊の駆除(暗殺)を信くんから命令されたが、それが余りに急で理不尽過ぎたから断ったのだろう。当然ボスは激怒した。

「このままじゃ…〜せっかく築いた地位がヤバイ!なんとかせにゃぁ〜いかんばい!」

っと、みっちゃんはビビッた!しかし、信くんは自分のミスや間違いは認める男だ。

「おう、やっぱり家坊をいきなり殺るのはマズイな。なんとか上手くやってくんねえか?」

っと信くんに言われたみっちゃんは世間も納得の画を描いたと推測すると… 例の句会の真の理由が分かる。

「ある血筋の者が天下を執る!」

っと詠んだみっちゃんの句は現在も伝わるくらいちゃんと記録されて残っているのだ。だって、織田家の大物大名が同盟の実力派の大名を招いた句会である。しかも、それは信くんのいる足元で行われたのだ。

何より、

信くんは公家衆が驚いたくらいの句の達人だ。しかも、ナンバー2の部下と同盟の大名の句会である。その内容をあの切れ者の信くんがチェックしないはずはないのだ!

そして、

どんな句だかは忘れたが、家坊の返句の内容は以前にNHKの歴史番組で見たのだが、

「まあ、いいんじゃねえの。」

っとみっちゃんを支持する感じで返しているのだ。そして、本能寺の変が起きたら、前もって手配した伊賀の忍者を使い険しい山道を使い三河まで逃げているのだ。

つまり、

結果的にだが家坊は織田家で何か大事が起きることは察知したくらい生々しい句会だったのである。

さあ、この流れを邪推してみると…

なんとなくだが、みっちゃんが描いた画(悪巧み)が浮かんでくるのである!

「でっ!どうやればいいんだ?」

っと信くんがみっちゃんに尋ねると、光秀はニヤリと笑って、

「句会で自分が、主を討って天下を執る!と詠むんですわ。そうすると、この前の宴席で自分が信様に足蹴にされたから、さもありなんって家坊は返句してきますぜ。アイツは感がいいから信様が何か企んでいるくらいは気がついてるだろうし、何か、俺も乗っちまうか〜!くらいなヤバイ句のヒトツでも詠むんじゃねぇすか?(笑)」

っとみっちゃん。すると信くんはこれ以上無いくらいイヤらしい笑顔で、

「光秀よ。お主も悪よのぉ〜。(笑)」

っと返してから2人で大笑いしたのであろう。

そう、

「家康!貴様は俺に下克上をするつもりだな!この前の句会の一句は知ってるんだぞ!!!」

っとやれば天下ゴメンで家坊を始末できるのである。

まあ、

確かに邪推だが、流れ的には腑に落ちると思うがどうだろうか?(笑)



続く


コメント
みっちゃんの部下はボスであるみっちゃんに忠誠を誓っていた。実際に山崎の戦いに敗れたあともみっちゃん逃亡のために身代わりになって突撃したほどである。

「しかし、句会の一件は上手くいきやしたがあれでいいんでやすかねえ?」

っと部下達に言われて不安になってきたみっちゃんである。確かに、信くんに密命で家坊にワナをかけたのであるが、みっちゃんが「オイラが天下獲ったるぞ!」っと詠ったことは間違いないからである。

「信さんは最近、信忠に家督を譲ったりと身内を重視しだしてるしなあ〜。やっぱり血縁は裏切らねえだろ。ほら、北朝鮮とかもそうじゃん。」

っとみっちゃん。家坊を討つ準備をしながらも迷い始めていたのである。



・・・・・・・・・・



さて、

ヒデの援軍に向かうという名目で14000人の大部隊を編成したみっちゃんはまず、、信くんにそれを見せる馬揃えに向かう準備をしていた。腹心の部下は別として信くんの与力(部下)である部隊の将校達には、

「馬揃えのあとに家坊のところにもちょっと回るからよろしく!」

っと言ってあるのだ。実戦経験から感の良い彼等は、

「んんん・・・ これは何かあるな。よし、歩兵達には実弾を装てんしていつでも戦闘態勢に入れるように指示しておけ!」

そう、彼等は信くんに見せるただのパレードではなく実戦に向かう準備をして進軍の準備に掛かり始めていた。

そんな、

馬揃えの前夜、みっちゃんは腹心の部下達と最後の打ち合わせをしていた。

「家坊を討ったことで、来年辺りに信くんが難癖つけてくるんじゃねえっすか!」

「それだけじゃねえっぺ!例の句会の一句。あれで殺られるんじゃねえっすか?」

「そっすね。家坊の接待の件もあるじゃねえっすか。普通に見ればみっちゃんさんはミスばかりでヤバい一句詠んであるし・・・ マジでちょっとマズイっすわ。」

そう、部下達が言うことはもっともなことばかり。しかし、問題は信くんを討ったあとのことである。みっちゃんは部下達と色々シュミレーションをして状況を整理してみた。

「ええ〜、まずこちらのモニターをご覧下さい。まず、信くんに絶対服従の二人は地方に出張中であります。ヒデは中国地方で高松城を攻めています。状況はかなり優位ですが、すぐ側まで毛利が部隊を展開しており急に戻ってくることはまず不可能であります。」

するとみっちゃんは、

「ヒデは俺達や信さんの行軍のため街道に物資や部下を配置してるから高速移動は可能だぞ。それを考えているのか?」

だが、それを笑って受けて

「確かに、場合によっては一週間で戻ってくることは可能でしょうがwww あの距離を走ってきてフラフラな連中なんか、正直イチコロです。むしろその方がこちらとしては敵が減って助かりますから。どちらにしても我が軍と毛利にはさまれてヒデは降伏するしかないでしょう。」

そう言ってから腹心の部下はキーボードをいじって次の画面に切り替えた。

「そして、一番やっかいな勝っちは東北に出張中で上杉と交戦中であります。こちらは苦戦しており、安土に戻ることは絶対に不可能であります。」

そう言ってからニヤリと笑って、

「みっちゃんさんが信くんを討っても誰もやっては来ません。三ヶ月以内に周辺の豪族を束ね朝廷工作をやれば尾張周辺は完全にみっちゃんさんのモノです。」

それを受けてみっちゃんは、

「ヒデが毛利と手打ちしたり、勝っちが上杉と組む心配はないのか?」

それを笑ってから、

「毛利がヒデと手打ちするならもっと以前に信くんの軍門に下っていますよ。これは上杉も同じであります。みっちゃんさんは周囲に全く敵がいないという好条件であり、ここは京です。しかも、家坊は丸腰でここにいるんです。誰を恐れる必要があるというんですか?www」

っとみっちゃんの部下は力強く答えたのである。するとみっちゃんは、

「部隊の大部分は信くんの与力(部下)だぞ。俺達の命令を聞くと思うか?」

っと心配そうに尋ねたのである。それに腹心の部下は

「大丈夫です。本能寺には馬揃えに行く事は市役所に届け出てあるので道路使用許可は取ってあるため怪しまれることはありません。将校達には家坊のところに行くと言ってありますし、実弾も装てんさせるように指示させてあるので、部隊はほとんどの歩兵は家坊を討つと思っているようです。先ほど、目立たない服装で部隊を歩いてみたのですが、誰もが家坊を討つみたいだとウワサしてました。」

そう言ってみっちゃんに決断をうながした。すると、みっちゃんは立ち上がってから一呼吸おいてから、

「うむ、敵は本能寺にあり。」

っと叫んだのである。それに呼応して腹心の部下達も雄たけびをあげたのであった。




終わり






追記




逃亡中に討たれたとされる光秀だが、晒し首にされたそれは、かなり痛んでおり選別は難しいとされている。

つまり、

光秀は逃げ延びたという説があるのだ。

では、

何処に逃げ延びたのか?

それは、家康の下という説である。確かに、句会でのことや接待の席での光秀の行動から家康は前もって伊賀者に頼んで逃走経路を確保していたのは間違いない。

つまり、

家康は光秀に借りがあるのだ。では、光秀はどのように身を隠していたのか?

それは、

側近の坊主だったのだろう。広く知られた説では家康のアドバイザーで出生が不明な天海僧正が光秀だったというもの。

確かに、

二代目の将軍は秀忠。三代目が家光と光秀から一文字づつ取っているのは偶然にしても出来過ぎである。

さて、

この説は最近ある鑑定番組で本当に鑑定されたのだ。

結果から言えば筆跡的には光秀と天海僧正は別人だったのだが、筆跡、つまり字のクセが似ている部分も多かったのである。

そこで、

邪推してみると、天海僧正は光秀から字を習っていたと考えるのが妥当だ。つまり、光秀の息子の可能性が高い。

また、

天海僧正は江戸の街作りで家康にアドバイスしている。つまり、土木技術に詳しいのだ。そして、光秀が土木に詳しいことは以前に紹介している。

つまり、

年齢的なことを考えると天海僧正は途中で光秀親子が入れ替わっているのだ。もちろん、この息子は家康に匿われていた時に作った子供である。

そう考えると天海僧正が入れ替わる理由も見えてくる。光秀が勤めた初代天海僧正は正体不明の坊主。そして、光秀の息子は出生を秘密にしなければならない。その息子が成長したら親父並みの優秀な男だったとしたら。そして、その父親には借りがある。

「まあ、夏の陣と冬の陣の後で取り巻きをかなり取り替えたからバレないだろうしさ。(笑)それに、新天海僧正は戦国上がりじゃねえから新しい時代に向いてるし、何よりもヤツは立場的に出世はまず望まないから使い易いんだよなぁ〜。(笑)」

っと家康も考えたかもしれないだろう。

まあ、

この説は面白いが確信は持てなかったのであしからず。

(笑)

だが、

秀吉から人口五千人の僻地に追いやられた家康と逃げ落ちた光秀がタッグを組んだからこそ、数年で巨大城下町を作り、天下を執ってからはあっという間に世界一の都市にした。

っと、

想像するのはロマンがあるとは思うので。(笑)


ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

本能寺の変の真相&世界史の謎 更新情報

本能寺の変の真相&世界史の謎のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング