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萌え論コミュの足跡ぺったんこ

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始めまして。管理人です。
「萌え」についてのコミュです。
ご挨拶&足跡はとりあえず、このトピによろしく。

何萌えとかは、なしです。
そんなの、勝手に各コミュで理解してくれる皆様と、ゆるくお話していてください。

重要なのは、そもそも「萌え」という概念が大衆によって、企業によって、ガリガリと変わってきてしまっているという、現象についてです。

萌えという概念ほど、曖昧で個人個人で違うものもめずらしいもんです。よく若者言葉というものがあります。でもそれの多くは、今までの言葉の「言い換え」であって、新語ではありません。

しかしながら、「萌え」は新語でしょう。間違いなく。
「萌え=好き」じゃ、けしてありません。萌えは萌えという新語なのです。
それを重々理解してくれる人たちが、現在の(まちがった)萌え産業をどう、お話していくのか?とても興味があったので、立ち上げました。

というわけで、長文ですが、しつれい。

コメント(24)

初めまして。ヒゲと申します。
「萌え」について一般の社会的な見解とアキバ系と言われる方々の見解、私の見解の相違点やズレなどを知りたい。と思います。
以後よろしくお願いします。
『萌えの一人歩き』を感じる
『メイドは萌え』に否と強く主張したい
『二次元以外の萌え』はありえない

良く言った。感動した。

ちなみに僕の場合「萌え」というものは
「好き」と「良い」の中間にあると見なせるものと思っております。今はそういう定義にしています。
しかし「萌え」に対しては反対語がちゃんとあります。それが「萎え」です。しかし萌えと言う言葉って本当に奥が深くて一言では言い表せませんね。
ちょっと不思議なのが
萌えって言う言葉動詞にもなれば他のものになりますよね。
「萌える」とか「萌えを感じる」とかね。
「好き」と「良い」は「感じ」ないし、「る」も付かないでしょ。
「好きだと思う」とか「良いと思う」になれても。
「萎え」も「感じるもの」では無いですよね。さらに「萎えだと思う」なんて言い方しませんね。「萎える」と言う言葉になれても。

某SNSコミュ「帝都メイド喫茶研究会」西日本次長の立場からいわせてもらいたい事が一つありましてメイド喫茶で萌えな気分ということは無いということです。それはこちらが勝手に考えるに「萌え」と言う言葉をしっかりと理解していない人が言ってたからです。小生も「萌え」と言うものについていまだ日々研究途中であるわけですから、今まで「萌え」と言われるものに手を付けようともしなかったような人が何をいわんやと言うことですよ。
よいですねーコユイ人がやってきてくれました。
これ。こーゆーのを待っとったわけです。

そもそも『萌えの一人歩き』というのは「萌えを客観的な評価という部分を感じる」という部分だと思います。

要するに、今まで『萌え』というのは、「我」内で確立すべき、モノ凄く、どす黒い価値観であったわけです。

そのどす黒い部分を『萌えを感覚的にわかっていた人たち』をココでは簡単に「オタク」という便利な言葉を使用しますが、そのオタク達の我の集まりで結集される、概念だったはずなのです。故に完全に一方通行である、二次元のみに萌えがあるだろう。という結論です。

それが、どうでしょうか?今の客観的、市民権を持ってしまった「萌え」は。
あんなのは「萌えってこういうことでしょ?」
「こーやりゃぁ、お前ら「オタク」は金出すんだよね。」という感じで汚されていく萌えの概念は。。。
「メイド萌え」は、萌えじゃねえ、タダの異空間です。
いわゆる風俗と同じ。
それを、間違った萌えを感じて帰っていく、オタクだと思っている、外国人、冷やかしの人たち、最近のお話ですが、「メイド狩り」なんてその最たるものです。

「ああ、そらぁ起こるわ。だって抜けない風俗だもん。」

って結論に、おのずとなるでしょう。
という事は、ひとまず置いといて、

私が「ああ。この人は立派なオタクだなぁ。」と思っている
放送作家の岡野勇氏のサイトの中から「オタクのライト化」について、掲載しておきます。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~captain/sub1_241.htm
http://www2u.biglobe.ne.jp/~captain/sub1_241.htm
って勉強になるなぁ。

でも「これだからおたくは」とかってなっちゃうと絶対頭に血が登ることだけは明らかですよね。
しかしメイド喫茶とかを「いわゆる風俗と同じ。」って言う言葉で出されると耳がすごくイタいです。なにせ某SNSで「帝都メイド喫茶研究会」重役名乗ってますから。しかも僕の場合は普通の喫茶店と区別するつもりもありません。

じゃあ今度は今年の目標「誰かを批判する代わりに応援する」って事をもう一回見直して徹底した態度でやってみようかなぁ。そろそろ二ヶ月切ってますが。
たぶん「メイド喫茶=風俗」の図式は間違いないと思いますよ。
風俗行きたくても、何かの理由(それは、プライドだったり、勇気不足だったり)で行けない人たちが納得するような、位置にあると思いますよ。

それでも、メイド喫茶を研究する事に対して、否とは全然言いません。

それは、最初に書いている用に「○○萌え」はどーでも良い。
という部分に当てはまります。その部分にはあまり、興味ありませんし^^

このコミュでは、「論じてくれる事」を祈っている次第でございます。
http://iaknews.exblog.jp/i19/
にて「新番組」を開始しました。

こういう物は我々が知っている萌えと言うんじゃないし偽物だよねって言うものを勝手に見つけて研究発表してみようというものです。
あけましておめでとうございます。

今年もたくさんの客引きメイドがタムロしビラを配っている
東京秋葉原からです。

テレビでよくやる秋葉原特集のお決まりが、
メイドカフェ、自動販売おでん、さくらのキモ系オタのインタビュー。
これにもウンザリです。
じゃあそろそろ日本橋ですよ。
年始めに…と言うわけではありませんが、大阪の日本橋に行く機会が偶然できまして、メイド喫茶にも行ってきました。
パワーがあるというのか活気があるといいますか、安心できます。
たぶん昔秋葉原でもそういうのってあったんじゃないですか。カコケイナノガカナシス
初めまして。
参加させていただきます。

挨拶代わりに、私からいくつかの問題提起をさせて頂きます。

まずはマクロな問いを2つ。

・「萌え」の定義とは?
・「萌え文化」はなぜ興ったのか?

次はミクロな問いを。

・「萌え」と「好き」は何が違う?
・「萌え」と恋愛感情は何が違う?
・「萌え」とエロティシズムは何が違う?

さしあたって、この辺の問いに妥当な答えを用意できますでしょうか?
ちわす。
ほったらかしにしておいたらば、あらまぁ。書き込みありました。
あははー

>ねこみみさん
議題提起ありがとうございます。
とりあえず、客観的に考えた私の意見を。(うーん矛盾)

★余談
 過去、σ(゚ー゚;)のブログに、なっげー萌え論文書いたんだけど
 どっかいっちたぁ。。。また書くか・・・。


上記の議論内容をまとめると、#1「萌えの定義」にお答えすると
全部に説明がつく。かと思います。

つまり『「萌え」ってなによ?』

これ、よく聞かれる質問です。そして、かなり難しい質問です。
なぜならば

★★★各個人が持っている『萌え』が各個人違うから★★★

なんです。
つまり、十人十色の萌え意義があり
そのどれもが正解であり、人によっては間違いである。と

■定義
萌えの定義として、いつも言っているのが
「個人が一方的に思う、かわいいや好きのエッセンス」
と説明しています。

つまり「萌えだね→」「←萌えでしょ」
これは萌えではない。ということです。この萌えの返しがちょっとでもあったらば
それは萌えの定義から外れてしまう。

確か漫画「妹選手権」の堂高しげる氏は
その漫画内で萌えの定義を
「大人の女に相手にされない男が言う事を聞いてくれそうな幼女に対して思う腐った感情」と説明しています。
まあ、これが一番納得いく内容でないかと。

とりあえず、一つにはお答えしておきます。
追々ゆっくりと(’▽‘;;)
>奈留さん
ご返答ありがとうございます。

「萌え」の捉え方は表面上、確かに多様化していますね。
ですが、私は根底にある本質的な部分は共通していると考えています。
その一つの根拠は「萌え」という言葉がオタクたちの間でシェアされているという事実です。
つまり、何らかの共有概念があるからこそ、「萌え」という言葉が共有可能なはずなのです。
そこから「萌え」の一般的定義を構築することは可能なはずです。

以下、議論に移ります。
奈留さんは「萌え」の定義を「個人が一方的に思う、好きやかわいいのエッセンス」とされていますが、やや曖昧さが残っていると思います。大筋は正しいと思いますが。
堂高氏のは具体例であって定義ではないですね。分かりやすいですけど。
どちらも「萌え」の本質を捉えきっていないように思います。

じゃあ、お前は何か考えがあるのか?と思われるでしょうから、次に私の「萌え」の定義を述べます。
「萌え」とは…

自己を傷付けられず、それ自体が傷付くこともない対象に対して向ける擬似的な愛情

というのが、私がまとめた最新の「萌え」の定義です。
ポイントは自分自身が傷付けられたり、対象を傷付けるリスクがないということです。
もちろん、奈留さんが仰るように一方的なものになります。
双方向ですと、原理的に傷付けられるリスクが生じますから。

この定義なら、アニメキャラからペットまで、あらゆる対象に向けて使われる「萌え」という言葉に当てはまります。
少し挑戦的な言い方をしますと、奈留さんが「萌え」とは言わないと考えているものにも当てはまるということです。
私の定義の適用

■アニメキャラなど虚構のキャラクター
虚構の存在ですから、自己が傷付けられることも、それ自体が傷付くこともあり得ません。
すなわち、「萌え」の対象になり得ます。

■歌手や声優などのアイドル
ただのファンである以上、対象との間の一定の距離感を埋めることは不可能です。この距離感によって、互いに傷付くリスクが回避できます。
すなわち、「萌え」の対象になり得ます。

■メイド喫茶のウェイトレスさん
メイド喫茶とは「仮り」の居場所です。そこにいるメイドさんも「仮り」の姿です。
つまり、本来の姿を見せない「壁」が存在するわけです。この「壁」によって互いが傷付くリスクが回避できます。
すなわち、「萌え」の対象になり得ます。

■ペット
ペットは互いを傷付けるリスクが僅かにあるかもしれませんが、極めて小さいです。(ちゃんとしたペットは主人の言うことよく聞くし、主人に反抗してくることもない)
すなわち、「萌え」の対象になり得ます。
>ねこさん
あー

愛情って言われると「どうか?」と思いますが
今の萌えってことになると、それで間違いないと思います。

しかし、それってやっぱり「萌え」が認知された。
今の定義って感じで。
僕の(好きな)萌えじゃあねえな。って感じなんすわ。

※σ(゚ー゚;)的には、物萌え、二次元萌え以外の萌えは
 全部ウソ。と思ってるんで。
>奈留さん
単に愛情ではなく「擬似的な」愛情としているところを見落としてはいけません。
本来、愛情にはお互いに傷付くリスクが伴いますから、あくまで擬似的なんですよ。

実際の人間に「萌え」ることはありえない、という奈留さんの考え方は成り立たないと思います。
実際の人に「萌える」人も確実に存在するからです。
僕のマイミクには声優イベンターが多いのですが、彼らを見ていれば間違いありません。
(声優イベンターは「電車男」など、メディアの一過的報道の影響を受けたわけではないことも重要です)

また、「萌え」という言葉はパソコン通信時代に「燃え」を誤変換したことに由来するという説が有力ですが、「燃え」というのは「熱狂的なファン」という意味で、主にアイドルの追っかけをしている人などが使っていた言葉でして、むしろ実際の人間を対象とする方がルーツであるとも考えられます。

いずれにせよ、言葉の意味は変遷していくものですので、現在使われている「萌え」について議論しなければ意味はないと思います。
奈留さんはプロフに「人間は人と人との間に生きる」と書いておられますね。
つまり、人間は他者との繋がりが必要不可欠ということです。
しかし、他者と繋がりを持つということは互いに傷付くリスクを伴ってきます。
そこで、そのリスクを回避しつつ、他者との繋がりを擬似的に再生しようとする行動が出てきます。
その一つが「萌える」であると私は考えています。

「実際の人間に萌えることはあり得ない」というのは、奈留さんが無意識に救いを見い出そうとしている信念に近いものではないかと思います。
つまり、実際の人間にまで「萌え」が及ぶようになるのは絶望的な末期状態であるからです。
ですが、客観的に見て現代社会はその末期状態になっていると私は思います。
>ねこさん
わぁ。わたしのプロフとかみてるんですね。
いやぁ。照れますね(’▽‘;;)

>>つまり、実際の人間にまで「萌え」が及ぶ
そーそー。まさにそれです。これが私にはありえない。
人が人に萌える。

これって、その萌えている対照である人の人権否定だと思います。
私が、物萌え、二次元萌え。が「萌え」というのは
まさに、人萌えのレベルまでいけない、ちょっと変ですが正常な?
意識の持ち主だと思っている(思っていたい?)からです。

普通の人から見て、
・人に対して萌えている人はキモイ人。
・物や二次元に燃えている人はもっとキモイ人。
だと思いますが、それはホント真逆で、人に萌えられる人っつーのは、ホント私にはキケン。だと、ねこさん同様に感じております。



このキケンな部分を解かっていつつ、解からない人たちを捕まえて、萌え産業は暴走しまくっているのでは?
と危惧してならないのです。
>奈留さん
私は「萌え」の対象が二次元か三次元かというのは、あまり重要だとは考えていません。
二次元にせよ三次元にせよ、「萌える」という行動は等しく現実からの逃避になるからです。

ただ、一つ注意していただきたいのは、私は「萌える」ことそれ自体が悪いとは考えていないということです。
「萌える」ことしかできないならば、それは大きな問題であると考えています。

現代日本社会には真剣に考えなければならない問題が山積みなのに、ついそこから目を反らし、享楽的に生きていこうとしてしまうことが危惧すべき最大の点だと思いますね。
これは別にオタクとか「萌え」に限った話ではありませんが。

ともあれ、「萌える」のは確かに楽しいですけど、いつまでもその世界にハマッていられるほど、この日本という国は安泰ではないということです。
そうですね。
萌えの取り扱いを誤ると危ないぞ。
飲まれちゃうぞ。と、皆が認識していればうれしいんですがね。。。

兎にも角にも、
私は、色んな方の考え。論を聞いてみたいのですが。
どうも、無理っぽいので、ちょっと、人気あるとこに、
このコミュを宣伝してこようかと思います。語りベが居そうな所に。

ウザイかな・・・。
>奈留さん
「萌え」についての真面目な議論は結局オタク批判になるんですよ。
それ以外はあり得ません。
なぜなら、それが正しいというか、自然な解釈だからです。
もちろん、問題はオタクの側だけにあるわけではなく、社会や政治のあり方にもあるわけですが。
しかし、そこまで話を進めると「萌え」からは離れてしまいます。

そんなわけで、なかなか難しい議論なのですよ。
「萌え」について問うということは、オタクの場合、一番見えにくい自分自身について問うことでもありますし。

ヴィトゲンシュタインをもじって、

「語り得ぬ萌えについては沈黙せねばならない」

という言葉もある程です。
だから、宣伝はやめた方が無難だと思いますよ。
むしろ、私みたいに自力で探し当ててくるくらいでないと、まともに議論できるとも思えません。
来て見ました。
なんか難しいですな。

わしは人間誰でもなんらかのオタクであると思っています。

でも「萌え」って言葉は自称オタクじゃない人も使ってるじゃないっすか?
それってどうなんですか?
>乃絵瑠さん
メディアの影響で広く普及したことが大きな原因だと思います。
もともとは、いわゆるアニメオタクとかだけが使っていた言葉に間違いありません。
ただ、最近の「萌え」という言葉には、私の定義にあるように「(生身の人と関わることで)傷つくことを恐れる」という心理的逃避のニュアンスが強く現れています。
これはいわゆる「オタク」に限ったことではなく、現代人(特に若者)に共通して見られる傾向だと思います。
そういうことを無意識に感じ取れるからこそ、「オタク」のみにとどまらず広く「萌え」という言葉が普及したのかもしれません。
はじめまして。
参考にしていただければ幸いです。
僕も、参考にしたく思います。

萌え論2007
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