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戦争反対!コミュの暴力的手段による反戦平和運動の可能性

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http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=1757233&comm_id=14723
反戦活動のため、殺人団体の支援受入は是か非か

まだ(2006.1.14現在)終了していない上記トピックにおいて、反戦平和運動に暴力的手段を用いることの是非について議論百出しています。

事実関係をまとめますと、杉並親の会は中核派と共闘して扶桑社の教科書採択阻止のために「人間の鎖」や該当宣伝を行っていました。


扶桑社教科書の不採択運動 中核派、深く関与
http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/text/051227text.html

>扶桑社の中学歴史・公民教科書の不採択運動で、
>過激派の中核派が市民運動を偽装して深く関与していた

>『つくる会の教科書採択に反対する杉並親の会』と共闘して、
>市民運動を装いながら、杉並区役所の包囲行動、
>同区教育委員会への抗議・申し入れ、傍聴等に取り組んだ

>公安調査庁も、中核派が杉並区役所前で街頭宣伝や
>「人間の鎖」を行ったと認定


中核派HPの「中核派の主張」より
http://www.zenshin.org/f_zenshin/f_back_no05/f2212.htm#a2_1

>この重大情勢の中で、あらゆる困難を突き破って立ち上がったのは、
>「つくる会」の教科書採択に反対する杉並・親の会に代表される闘う杉並区民であった。

>革共同は、1〜3月の「日の丸・君が代」決戦を継続・激化・発展させる闘いとして、
>闘う杉並区民とともに、教科書攻撃粉砕へ党の総力を挙げて闘った。


中核派は、70年代を中心に殺人・テロ・ゲリラ活動を盛んに行い、50名にも及ぶ犠牲者を出し、その活動は社会にも大きな不安を与えました。その数多の犯罪の反省・総括はいまだなされておらず、闘争継続意思がHPには記載されています。
「戦争反対」を扶桑社の教科書採択反対理由に掲げながら、実はそのような殺人団体と手を組んでいた杉並親の会の主張に妥当性と説得力はあるのか?
それも上記トピックにおいてはひとつの争点となっています。


9.11に米国で起きた同時多発テロによって、世界は大きな衝撃を受けました。
崩壊して行く巨大ビルの映像は私にとって忘れられないものになるでしょう。
多数の犠牲者、その家族、国境を越えた多くの友人たちの悲しみ…
米国社会が受けた傷、そしてあのテロによってショックを受けた人々の心の傷は、いまだ癒されぬものです。

またサダム・フセインが逮捕された後、新生イラク政府は民主化政策を推し進めていますが、イラクに流入する過激派テロリストたちによる無差別テロ攻撃が、イラクの人々の平穏と安全を脅かしています。
過激派テロリストたちにも「米国打倒」という己の正義があるのかもしれませんが、平穏と安寧を望む多くの無関係な人々を巻き込むテロ行為は許しがたいです。


例えば体制を打倒する、腐敗した社会を変える、といったような目的と大儀があれば、市民が暴力的手段(テロリズム)を用いて「反戦平和運動」を行うことは可能であり許されるでしょうか?(※杉並親の会と中核派の共闘は、扶桑社の教科書採択阻止が目的と大儀でした)

時代と場所(社会)を現代の日本社会に限定して、反戦平和運動において暴力的手段を用いることの是非と意義、それがもたらす可能性について、広く皆さまのご意見を伺いたいと思います。

尚、円滑で有意義な議論のために荒らしはスルーを推奨します。

コメント(243)

>205 テツさん

働かない自分が何故生きていられるのか考えていないんでしょう。
好きにしていいけど税金から出ている分は全部返してからにしてください。
春だなあ(=_=)

まぁ日本は平和ってことですかね。

 戻ってきたんですが、ご当人が「口出しさせません」ですか。

 義務を果たさずに権利のみを主張するとは、どうにもなりませんね。とりあえず、公共のサービスは全部拒否してくださいね。公道も歩けなくなりますがね。
個人の敷地に無断で侵入するのは彼的にOKらしいから移動はできそう。

警察はそうは思わないけど。
 戻ってきたんじゃなかった。

 皆様、失礼しました。
こんにちは
ちょっと横から失礼します。

>反戦活動のため、殺人団体の支援受入は是か非か

実は、この設問そのものに問題があるのです。(^^)
この設問の中で答えを求めても、決して答えには行き着きません。
議論は混迷するだけなのです。今の世界のように・・・

1)是。非。分類は、たった2つですよね?

複雑極まりない事象を、わずか2つの分類のどちらかにいれようとするなら、―それは、あまりにも大雑把ですので、そこには理解ではなく、むしろ無理解が生まれます。

これが議論が混迷する一つの原因。

2)是か非か。

主語が省略されていることにお気づきですか? あるいは、是非を決める権威者・基準が省略されていることに。

誰が是非を決めるのでしょうか? それは、あなたですか? それとも神様? あるいは道徳? 倫理? どこの文化の倫理? それとも法律? もし、神様なら、それは何宗の神様? もし、法律なら、それは刑法なの? 国際法なの? それともどこかの裁判所の判断?

それぞれが勝手に権威者を決めて議論しても、議論は決して噛み合いません。

これが、議論が混迷する2つ目の理由。

まだいろいろありますが、この辺で。(^^)
最後に宣伝させてください。我田引水ごめんネ!

憎しみ・非難・暴力によらず、愛を込めた絵本のプレゼントという、全く別な形の平和の運動を主催しています。

一人でも多くの方に知っていただきたいと願っています。
よろしくお願いします。

http://www.j15.org/index.html
>214 東郷さん

とぴ主は
「時代と場所(社会)を現代の日本社会に限定して、反戦平和運動において暴力的手段を用いることの是非と意義、それがもたらす可能性について、広く皆さまのご意見を伺いたいと思います。」

と書いてます。とぴ立て文章の「是か非か」は問いかけであって、結論を強制しているようには私は到底読めません。とぴ主や議論などを、読んだ上でのご宣伝でしょうか?
 きちんと相手の主張を理解してご主張されないと、「愛っていえばなんでも許されるんだ!」という御仁だと誤解されかねんです....
追記。
 議論の混迷も問題が政治的なものである以上、そういつもいつも忌避すべきことでもないと私は考えてます。
>反戦活動のため、殺人団体の支援受入は是か非か

誤解されたら困るので、この問いかけ文は私の文章ではありません…。
0番ポストのリンクまで見て頂きたいのですが、引用トピックのタイトルです。
ああ、ごめん、ごめん。
なんだか、批判したって思われたみたいですね。

そうではなくて、「是か非か」という言葉・発想そのものの中に、対立の芽があり、う〜〜〜〜んと引き伸ばすと、戦争のタネが有るということを言いたかったのです。

是か非か。言葉を代えると、善か悪か。―この発想は、無限の葛藤に人々を誘います。

@終わりの無い物語-憎しみの連鎖の心理学
http://www.j15.org/Picturebook-Endlessstory/index.html

実際、この発想の危険を世界の人々に知らしめることで、反戦は可能だと考えています。
>219 東郷さん
脳幹反射的な書き込みをしてすみませんでした。反省...。
絵本はゆっくり見させて頂きたいと存じます。
> 219: 東郷 潤 さん

 当たり前です。
 人間が2人いれば必ず対立は生じるものです。
 生じなければ全体主義です。

 究極まで突き詰めたら、「東郷は死ね」という主張でさえも「あなたは」否定できないんですか?
 そんな馬鹿な。

 「俺は死ぬのは嫌だから、お前の主張は否定する」。

 ごくごく当たり前の、それこそ生物としての本能です。
 だからこそ、対立を抗争にしないことが必要ですし、それが平和を守る、戦争を防ぐということじゃないでしょうか。
 で、そのための一番シンプルにして確実な方法が、「あいつと喧嘩したら損だ」と思わせることでしょう。
「相手の感情や主張を受け入れ対立を無くそう。そうすれば争いは起こらなくなる」
という論には「人間は須く善である」ことが前提になるんじゃないでしょうか。

相手が善人なら、相手を無条件に受け入れることもできるかと思いますが、
実際には相手がこっちをはめようとしている可能性も0ではありません。
相手の思惑を予想し、それに対してしっかりと対策を立てるなり、相手に対して交渉するなりする必要が出てきます。
この辺で情報の量や想像・判断力が必要なり、それらが足りないと武力的な衝突につながっちゃうんじゃ。

そんなことは無いと思い、個人で周りに迷惑をかけない範囲内でしたら
どう行動されようとその人の自由だと思いますけど。
国家は国民(とその権利)を守る必要があるわけで、相手の善意に頼るのはちょっと無理がありますよね・・・。

とトピ違いの話題なのでこのへんで。

個人的には暴力的手段による政治目標の達成については、現在の日本では個人的に反対です。
選挙なんかで平和裏に自らを主張する方法もありますし。
でも、北朝鮮等の革命でも起こさないと自分たちの命にかかわるような
危急の場合は致し方ない気もしますね。
@knfほにゃららさん、ありがとう。

絵本をご覧になったら、また感想なりお聞かせくださいね。

@ぱお*/米村 薫さん、こんにちは。

対立することを非だといっているのではないのですよ。人間が二人いれば(いえ、本当は一人でも。心の中で、様々な感情が)、対立が生じること、ありますよネ。
それは、当たり前。
対立が生じて、それを解決するのも、楽しいしね。(^^)

でも、錯覚が原因で、対立する必要も無いのに、対立してしまったら、そしてそれを望んでいなければ、馬鹿馬鹿しいでしょう?

対立する必要が全くないのに、誤解が原因で対立するって、つまらないですよね?

・・・そのことを書いているのです。

是非を決めればそれだけで(それが原因で)、戦いが生まれる可能性=危険があるのです。
そこに、誤解の種、錯覚があるのです。

以下の絵本は、その辺を描いています。最初に書いたもので、完成度が低くて申し訳ないのだけど。

良い子にならなきゃ:地獄の恐怖の心理学
http://www.j15.org/Picturebook-BeGood/index.html

あと他にも関連のテーマで書いています。気が向いたら、是非、読んでみて。―ご感想もお聞かせくださいネ。

えーと、あと何だっけ。

>究極まで突き詰めたら、「東郷は死ね」という主張でさえも「あなたは」否定できないんですか?
 そんな馬鹿な。

ああ、これはとても使いやすい例ですね。(^^)
ちょっと利用させていただきますね。

「東郷は死ね」という主張。
それに対して、肯定か否定か。・・・というご質問ですね?

もう一回書きます。
肯定か、否定か。

1)肯定か、2)否定か。

いかがでしょう?
この奇妙さにお気づきになりませんか?

肯定か。否定か。・・・ここには選択肢はたった二つ。

肯定か否定。これって、数えると2つですよね?
さて、是非。これも、分類2つですよね?

申し上げている事分かりますか?
なぜ2つなのでしょう? ―ここに錯覚が生じている可能性があるのです。


現実の世の中で、「東郷は死ね」と言われる状況、たくさん、考えられます。
そして、そのとき、僕の選択肢は、無限にあるでしょう。

・笑って誤魔化す。
・何がなんだか分からないけど謝る。
・「何かあなたのご気分を害しましたか?」と聞く。
・反射的に殴る。
・泣き出す。
・友情を込めて背中を叩く。
・警察を呼ぶ。

仮に1,000個の選択肢があったとします。
そして、僕はその1,000個の選択肢の、どれかを選びます。

でも、もしそこに選択肢が2つしかないと錯覚したなら?

お互いがその錯覚の中で生きていたら?

俺はお前を否定する。俺もお前を否定する。
これしか選択がないと錯覚したら?

そこには、永遠の対立が生まれます。・・・その必要もないのに。

さて、この錯覚。地球レベルで存在すると僕は思っています。
もし、この錯覚に、地球人が目覚めれば? 
むろん、対立は0にはなりません。でも、殺し合いが激減する可能性、見えませんか?

だから、まずこの錯覚に働きかけてみること考えてみませんか?
(>みなさん)
…これは僕たちに出来る平和への貢献なのです。
>・笑って誤魔化す。
>・何がなんだか分からないけど謝る。
>・「何かあなたのご気分を害しましたか?」と聞く。
>・反射的に殴る。
>・泣き出す。
>・友情を込めて背中を叩く。
>・警察を呼ぶ。

 全部否定ですね。
 そして、
・「はい判りました」と言って自殺する
・「どうぞ殺してください」と抵抗しない
 というのはどちらも肯定です。

 「肯定か、否定か」という分類をすれば、ほとんどの場合は肯定か否定かのどちらかに入ります。
 もちろん、妥協とか昇華とかが可能な事例はいくらでも存在しますが、それを発言者がどう捉えるかはまた別の話です。

 世の中には、否定しなければならない命題というのは沢山あります。
 あるいは逆に、肯定しなければならない命題というのも、また、沢山あります。

 全ての問題に対する答えが肯定か否定かの択一であるというのが誤りであるのと同様に、全ての問題は肯定や否定すべきではないというのもまた誤りです。

 そもそも、あなた自身が「全ての問題は単純に肯定か否定かに切り分けるべきだ」という主張を否定しているという矛盾についてはどうお考えですか?
そうかっ。

「暴力的手段による反戦平和運動」はよくないっ!!
とか
「暴力的手段による反戦平和運動」でもいいじゃん。

とかのどれかひとつを選ぶべきではなくて、
いろいろな可能性をすべて考慮すればいいのか。

(´・ω・`)でもそれだと善悪その他で行動を規制している法律・条例なんかを否定するような・・・。

>>東郷さん
>俺はお前を否定する。俺もお前を否定する。
>これしか選択がないと錯覚したら?

>そこには、永遠の対立が生まれます。・・・その必要もないのに。

だから適当な(互いの利害のバランスが取れる)ところで妥協するんじゃないでしょうか。
というか主張が端と端でお互い全く譲らない、なんて状況ほとんど見たこと無いのですが・・・。
特に両者の組織が大きくなればなるほどぎりぎりまで譲歩してると思うんですけどね。
国家間ならなおさら。

先の日米間の戦争にしても、開戦前に交渉してるでしょう。
あんまりうまくいかなかったみたいですが(´・ω・`)
別トピの話題であるイランの核開発にしたって、イランとその他の国々との間で互いに利害を探りながら交渉していると思うのですが。
今後、もし経済・武力制裁になったからといってそれを
「肯定か。否定か。・・・ここには選択肢はたった二つ。 その錯覚による」
っていうのは無理があるんじゃないでしょうか。
>東郷さん

0番ポストを熟読の上、トピックのテーマに沿った議論をお願いします。
違う議題があるならば、ご自身でトピックの作成をどうぞ。
@ぱお*/米村 薫 さん

やまめさんに、嫌われているようなので^^;、簡単に。

>全ての問題に対する答えが肯定か否定かの択一であるというのが誤りであるのと同様に、全ての問題は肯定や否定すべきではないというのもまた誤りです。

同感です。「肯定や否定する事を、否定する」って、落語の世界ですよね。(^^)

そうではなくて、是非の発想には、危険があるよ、と指摘しているだけなのです。
むろん、危険だから、やりたいという方もいるでしょう。(^^)

例えば、潮の流れがきついところで泳いでいる人に、「そこは潮の流れがきつくて危険ですよ」と言っているだけのこと。
「百も承知。危険を楽しんでいます」という返事もあるでしょう。

錯覚の話は、分かりにくいですね。(^^)
そのことについては、こちらでご説明しています。ご参考にしていただければ。
http://www.j15.org/GoodEvil/index.html

@まるちゃんさん

>(´・ω・`)でもそれだと善悪その他で行動を規制している法律・条例なんかを否定するような・・・。

これについては、僕の著書「善悪中毒」で解説しています。もし、ご関心があったら、図書館なりでご覧になってください。

http://homepage3.nifty.com/pub-liberta/627.html

それから、「必ず錯覚する」と言っているのではないのです。錯覚を招きやすい、ということ。これが大きいのです。

錯覚というのは、一部が見えなくなるのです。何もかも見えないというのではないのです。

もし、ある程度の錯覚が無ければ、日米戦争も無かったのでは? 少なくとも妥協の可能性は高まっていたと思いませんか?

むろん、人間ですから、錯覚を0には出来ません。でも、錯覚を減らす努力というのは、大切でしょう?

ただ、このテーマは、人間の深層心理にまで入りこむので、相当に手強い話ではあるのです。よく考えてみてくださいね。

>やまめさん

失礼しました。ここまで議論に割り込むつもりは無かったのですが。。。

やまめさんからのご要望ですので、あと、ご関心のある方は、個別にメールをいただければ幸いです。
「是非論」の話に拘泥されていらっしゃるご様子なのでトピずれをご指摘致しました。
「是か非か」はそもそもこのトピックの主題ではなく引用トピのタイトルでしかありません。
すでに一度ご指摘させて頂きましたが話が続くようなので腰を折らせて頂きました。
好き嫌いの問題ではありません。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=825934

こんなん作ってみました。
ここに限らず話題がずれちゃうってのよく見るので。
気が向いたら利用してやってください。
このコミュを闘争日誌にしている人々がいるので上げてみる。
法治国家において順法精神に欠ける人は平和主義者とは呼べないだろう。
暴力行為も違法行為も平和運動と名付ければ許される…とは思えませんね。
反戦平和運動が胡散臭いと思われる原因はそのへんにあるのでは?
国家間の戦闘だけではなく、革命闘争だって当然無辜の民の血が流れる。
「革命を起こしたい」は「戦争を起こしたい」と同義語であると思うのだが。
自分の都合で他人の生存権を脅かすという意味では同じじゃないか。
読み返してみたら、せっちゃんに随分きついこと言っていますね、私。
発言内容は撤回しませんが、せっちゃんにはこの場を借りて謝罪したいと思います。
公のトピックで非難することでもなかったな…と反省しています、すみません。
>あつこばさん

http://mixi.jp/view_bbs.pl?page=9&comm_id=14723&id=19369231
>「平和ボケから目を覚ます」
>「過激派は嫌いです」
>といったコミュへのリンクで、このリンクを貼った方が、反戦や平和の意識を持った人達を毛嫌いしているという事がわかります。

>「戦争反対!」コミュの管理人さんは、このような考え方を持った方のようです。

「過激派が嫌い」であることがどうして「反戦や平和の意識を持った人たちを毛嫌い」することになるのでしょうか。

あつこばさんが考える「反戦や平和の意識を持った人」は「過激派が好き」だということですか。

冗談ではない。
普通に生活している人間にとっては過激派は「害を為すもの」で、迷惑な存在でしかあり得ないでしょう。
あつこばがすでにコミュに「害を為すもの」になってる件について。
少なくともあつこばが「権利の濫用者」なのは間違いない。

現行のルール上制約が無い事を盾に「コミュニティリンクを追加する権利」を濫用し、結局は管理者の介入を引き起こした。
こういう輩が跳梁跋扈することで、社会は少しずつ息苦しくなってゆく。
234>
警官への投石大好きのあつこば一派は自らを「非暴力主義」を貫く「崇高な反戦平和主義者」と名乗ってますがね。

…どういう冗談なんですかね?
>236.

彼らのルールによれば、警官への投石はOKなんですが、仲間内ではお互いに対する一切の批判が禁止されています。

はい、崇高、崇高。
どんな崇高な目的があったとしても、犯罪者や暴力集団と手を組んだ時点で「犯罪者」と見られるのは法治国家では当然の事。
なんで「目的が良ければ暴力も許される」と考えられるのか判らない。「俺の暴力はいい暴力」なんて理屈誰にも通じませんよ。
あつこば一派は「テロリズム=権力者の恐怖政治」と独特の解釈をしているようですな。

すなわち、「権力者でない自分たち崇高な反戦平和運動家の暴力はテロでは無い。」・・・と言いたいらしい。

ちなみに・・・一般的テロリズムの定義はこちら↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
>引用開始
テロリズム(テラー、テロリズム=Terror, Terrorism)とは一般に、恐怖心を引き起こすことにより、特定の政治的目的を達成しようとする組織的暴力行為、またはその手段を指す。
現代では行政組織・国家権力・社会・文明に対する過激派の暴力行為・冒険主義をさす事例が多く、最近ではその動機が多様化し、攻撃目標も要人から一般市民に変わるなどしてきている。
歴史的には国家・行政組織側による暴力的抑圧(恐怖政治、粛清等)を含み、体制・反体制を問わず暴力と恐怖を活用することで大衆世論を支配する手段を意味した。
>>引用終了

「体制・反体制を問わず暴力と恐怖を活用することで大衆世論を支配する手段を意味した。」

んで・・・「非暴力主義」の崇高なる反戦平和主義者であるあつこば氏の盟友土屋氏は「時と場合によって限定して暴力を行使する。」と仰っておりますなぁ。

つまり・・・あつこば枢軸は「平和主義ためなら時と場合によっては暴力も容認。」・・・というお考えらしい。

おっかないですねぇ。

でもこの人たち・・・「自称非暴力の崇高な反戦平和主義者」なんだそうです。(爆!!)
237: LUV さん>

>彼らのルールによれば、警官への投石はOKなんですが、仲間内ではお互いに対する一切の批判が禁止されています。

え・・・でも・・・あつこばなる人物が言うところの「反戦や平和の気持ちを持った人達」であるところの過激派の御仁らは「総括」とか言う「暴力こみ」の「意見や批判」をやっているのでは????

そのルール・・・なんか矛盾してますよね。(^^;)
街頭宣伝を該当宣伝と変換したり、大義を大儀と変換したり、
0ポストの変換ミスが恥ずかしいトピが上がってしまった…Orz
>240: 平作さん

そんな考え方している人がちゅら海守ったり、法政大学で「闘って」いたりするんですからね。
治安を維持するのも大変だなぁ。

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