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脳腫瘍との共生コミュの理想の死に様

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何か仰々しいタイトルになった気もするが、この世のすべての人間は生まれた時から死に向かって走っているんだから、別に対して問題じゃない。
結局俺は生かされてるけど、脳腫瘍を患って死を意識したことのない人はいないんじゃないかな?
少なくとも俺は余命宣告を受けたわけじゃないし、それでもグリオーマが癌だと分かった時は死を意識した。
5年間無事に過ごしてきたけど、基本的に太平楽な俺でも、1日たりとも病気のこと、死のことが頭に浮かばなかった日はない。

俺の考える理想の死に方は、やり残したことはない。カッコよく死にたい、というのが常にあって、理想は信長が死ぬときに「是非もなし」と一言語って切腹したのが理想だけど、そんなに潔い覚悟を決められる自信はない。
また、癌との壮絶な戦いの後亡くなった伊藤元検事長は「人間は死ねばみなゴミになる」という言葉を遺して亡くなった。
それが俺の理想の死に方だけど、そんなに潔くは死ねない自信がある。精神的に弱いからね。
多分俺は「嫌だ。死にたくない。もっといやらしいこととか一杯してから死にたい」とか煩悩まみれで死ぬんじゃないかな。
でも、某書籍を読んでたら良寛の句が死の概念とともに紹介されてて「裏を見せ表を見せて散る紅葉」という句が紹介されてて、これを死の問題で考えれば、「表を見せる」とは「俺は立派に死んでゆく」ということになるんだろうが、裏は「死にたくないよ、怖いよ。もっとHな不純なことをして死にたいよ」という事なんだろう。
できることなら、家族を悲しませないためにも「皆元気でね。先にあっちで待ってるよ」位のことは言って死にたいけど、その自信はないな。
死に向けての覚悟を決めるとういのが自分の今の一番のテーマではあるけど、多分死にたくないとジタバタしながら死ぬんだろうなぁという想像はついてる。
でも良寛の句を読むと、大きなものの中では俺一人が強がっても大したことはないじゃないかと思えてくる。考えてみれば、今こうして日記を書いている最中も多くの人が死んでいて、悲しんでいる。

そう考えると死が少し怖くはなくなってくる。大きなものの中では、俺が死んだって大したことじゃない。まぁ少し悲しい気はするけどね。

でも死ぬって怖いことではなく自然に訪れるごく自然のことなんだよね。
まぁ、そういう死に方をするのかは今は分からないけど、希望としては親よりは長生できれば後はジタバタして死んでも良いかな。独身だし。

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