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人と街コミュの第五話

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  僕と笠原はそれから5,6分ほど歩いた。
  6車線が東西を貫く雑踏を離れ
  ビルとビルの間にある細い裏道を抜けたところに
  どこか途方もなく遠い場所にある竹やぶの一角を
  切り取ってきたかのような門構え。

  深い藍色に染まった暖簾が夜と僕らの来訪を歓迎してくれるようだった。

  決して大きくない店内は橙のやわらかい光に抱かれている。
  白髪が混じり始めた主人と二十歳そこそこの弟子が二人、
  そして主人のお嬢さんとの4人で切り盛りされていた。
  奥さんは数年前に他界したらしい。
  詳しいことは知らないが奥さんが亡くなった後の主人は
  めっきり凄みがなくなったと弟子の一人が
  心配そうにしていたことがあった。

  僕らは入り口から一番離れた窓際の席に座った。
  腰の高さほどから天井へ延びる大きな窓の向こうには、
  絶え間なく急く新宿の時間が透明に結晶化されたように
  竹を携えた枯山水が、ただただそこにあった。



 「なあ立花、今のうちの部署をどう思う?」

  笠原が言った。

 『どう、って・・・みんなよく仕事ができるし、
  特に人間関係のいざこざもないし、
  悪くはないんじゃないですかね。
  僕が初めて来た頃に比べると少し淡白になったかなあ
  とは思いますけど。』

 「うん、そうなんだ。
  決して何か問題があるわけではないし、
  個々の能力に関して言えばお前がうちに来た5年前よりも
  高いものがあると思っている。
  それは何も俺の主観的な評価だけじゃなくて
  はっきり数字にも表れている。
  それに人間関係のいざこざが、
  まあ少なくとも俺が知っている限りの話だが、
  これほど少ない部署というのも珍しい。」 

 『ですよね。』

 「たがしかし、だ。
  お前も知っているようにうちの部署は出入りが激しい。
  同じ会社の中ですら他の所が最低4,5年なのに対して
  うちは短ければ2年だ。
  5年うち居続けているお前や竹部は例外として
  そんな中ではあまり干渉し合わない方が
  後先も上手く行くのかも知れない。
  ただ…」

 『部署の人間の対人観察力の低下及び
  距離調節力の低下、といった所ですか。』

  僕は笠原の言葉を遮って言った。

 「その通りだ。
  さすがだな。
  ただその問題は2,3年程度では浮き彫りにならない。
  そこに気付いてるのはお前と大町くらいだろうな。」

  大町加奈子。
  お嬢様私立高を出て東大の法学部に入り
  1月あまりで飽きてしまい米国に渡る。
  4年間の学生生活で二つの大学を卒業し、
  5大陸を股にかけた2年のキャリア。
  その後なぜうちの会社に来たのかは誰しもの謎だった。
  笠原は知っているようでもあったが
  知らないふりをしていたし、
  特段知りたいようなことでもなかった。


  笠原は続けた。

 「恐らく竹部も気付いてはいないだろうな。」

 『まあアイツの頭の中はいつだって女の尻でいっぱいですからね』

 「ふっ、そうだな。」

  笠原の硬い姿勢がくずれたようだった。

 「そこでだ。
  確かにうちにいる人間の誰しもにとって
  今の部署はステップアップの階段の一つでしかない。
  ただ何というんだろうか、老婆心ってやつか、
  どうしてもその抜けた部分も学ばせてやりたいと思っている。」


  僕は面食らった。
  普段から笠原の消極的指導の内にある
  面倒見のよさには気付いていたつもりだったけれど
  この人がここまで"おせっかい"な人であったことに
  一種の戸惑い、というと語弊があるかも知れないが、
  ふとした日常からの違和を覚えずにはいられなかった。


  そういえば、自分の住むマンションの子どもの顔を
  最後に見たのはいつのことだろう。
  もしかしたら毎朝見ているのかも知れない。
  ただ、意識にとまらないだけで。
  今朝挨拶した二つ隣の部屋の奥さんは、
  スーツを着ていたけれど、どんな仕事をしてるんだろう。

  あまり、意識したことなかったな。

  毎日、笠原より近いところにデスクが置かれた
  同僚のことも、笠原ほど気にはしていなかったな。
  距離のあることに不自然を感じなくて、
  それが程よい距離だと思ってた。

  何だろう。
  笠原はちょっと、変わってるのかな。


 

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