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ユング心理学研究会コミュの【講義録】ウィルバーのモデルで考える『あの世』

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【講義録】ウィルバーのモデルで考える『あの世』檜垣清志さん 2009/3/19

<断り書き>
今回、議事録を担当させていただきましたが、
(レジメから抜粋コピペ?)、
今回の研究会で初めて、ケン・ウィルバーさんを知り、
今まで著書を読んだことがなかったので、
用語の使い方に不適切な部分等があるかもしれません。
その際は、ご指摘をお願いいたします。

-----------------------------------------------------------
1.ケンウィルバーとは
-----------------------------------------------------------
アメリカの現代思想家

「わたしの新たな愛読書のひとつ」アメリカ合衆国元副大統領(アル・ゴア)
「ウィルバーを読むと賢くなった気がする」
「道案内や地図を入手した者が全体像を見渡すことによって感じる気分」

<略歴>
1949年生まれ 今年60歳になる

○1960年代:
・大学1年目に老子の『道徳経』に出会い人生観が一変
・古今東西の心理学、哲学、宗教の文献を
  1日10時間、2〜3冊のペースで読み漁る
○1970年代:
・禅僧の元で修行。
・ガソリンスタンド、皿洗いなど平凡単純な手作業に意味を感じる日々
○1972年:
 『意識のスペクトル』執筆開始(23歳) 
○1978年:
 『レ・ヴィジョン』誌創刊
○1983年:
 トレヤと結婚。結婚の数日後、乳癌と診断される
○1984年〜1987年:
 ウィルバーは執筆活動をほぼ完全に停止し彼女の看病に集中
○1988年:トレヤ死去
○1995年:『進化の構造』出版。
○1996年:『万物の歴史』出版。
○1998年:Integral Instituteを設立
※日本では鈴木規夫さんが
 インテグラル・ジャパンという組織を作って、活動している。

 ※インテグラル・ジャパンにも紹介文、年譜、著作が掲載されていました。
 ケン・ウィルバーとは?
 http://integraljapan.net/about_kw.htm
 ケン・ウィルバー年譜
 http://integraljapan.net/about_kw/about_kw.htm

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2.「存在の偉大なる連鎖」
   〜伝統的、神秘主義の考え方の共通性〜
-----------------------------------------------------------
・全ての伝統において、
 物質、身体、マインド、魂、霊(スピリット)
 といった階層性がある。
 (それが存在の偉大な連鎖である。)

・宗教の開祖が、霊的、神秘的なものを見たり、体験をして、
 それを表現した結果、似たようなものになってきている。
 その違いは、その表現や捉え方、視点の違いといえる。

<宗教での表現の比較>
 物質、身体、マインド、魂、霊(スピリット)を、
 ユダヤ教、仏教、ヒンドゥー教、意識の状態別に記載。

<偉大なる連鎖の図>
 さまざまな叡智の伝統における偉大なる連鎖を
 『忘れられた真理』(ヒューストン・スミス)の図で説明。

<魂とは> ←輪廻転生の中心といっている
 ・「魂」とは全ての神秘主義で、「結び目」「収縮」を意味している。
 ・ヒンドゥー教、仏教では、
  自分という思考を生み出すもの(アハンカーラー)と書かれている。
 ・成長できる最高のレベル、完全な覚醒(悟り、同一性)に至る
  最後の障壁とも書かれている。

<観念論(形而上学)の問題>
 ・観念論が悪いのではなく、直接体験も必要
 ・実践的な指示、パラダイム、ヨーガ(実践)が必要

-----------------------------------------------------------
3.ウィルバーのモデルとその発展(インテグラル理論)
-----------------------------------------------------------
<ウィルバーのモデルの進化>
 批判をもらったら、自分のモデルを作り直す
 彼のモットーは、「超えて含む」なので、
 前と同じレベルで違うモデルを作るのではなくて、
 修正して次のパラダイムに移るという修正する。

○Wilber-I
 意識のスペクトラム(Spectrum of Consciousness)/1970年代

○Wilber-II
 前・後の混同(Pre/Post Fallacy)/1980年代前半

○Wilber-III
 発達ライン(Lines of Development)/1980年代後半

○Wilber-IV〜Wilber-V
インテグラル・ヴィジョン(AQAL) /1995年頃
 インテグラル・ヴィジョン(W-C格子、ゾーン)/2005年頃

? Wilber-I:意識のスペクトラム
<永遠の哲学(オルダ・スハクスレー)1945年>
 ・存在とは、グラデーションのように究極から現れている
  ということを言っている。
 ・昔は哲学が、全ての学問のベースラインだったので、
  永遠の哲学という表現になっている。
 ・古今東西の様々な文化と時代において、現実、自己、世界
  存在の本質に関して共通する知覚を記録している。
 ・物理的世界は唯一の現実ではなく、それを超越した現実が存在している。
 ・物質界は感覚を超えた現実の影である。
 ・人間の物質的側面は生成消滅という自然の法則の支配下にあるが、
  もう一方の側面である魂はそれを超えた究極の現実(リアリティ)に通じている。
 ・そして人間には究極的なリアリティを認識する能力が備わっている。

<統合心理学への道(p56)より>(図4−1)
 低位の粗い意識の低い段階 ⇔ 高位の最も意識の高い段階
 物質 ⇔ スピリッツ
 有限 ⇔ 永遠
 局所的 ⇔ 非局所(時空間、距離に関係ない)
 多様 ⇔ 一者
 低い波動 ⇔ 高い波動(ホログラフィック宇宙論)

・リアリティは、いくつかの異なる、連続した次元から構成されている。
・「人間は、大文字のスピリットの段階まで階層的に成長できる」という主張している。
・この偉大なる連鎖は、階層性という梯子を昇っていくということ。
 この階層性が「ホロン」

 ⇒ホロンの説明 ※統合心理学への道 p58
  アーサー・ケストラーが著作『機械の中の幽霊』の中で提唱した概念。
  ギリシア語で全体を意味するホロスに部分を意味する -on をつけた造語
  全体性と統合性の力の増大を現わしている
  結晶が成長するようなもの
  積みあがるものがホロンであると言っている

<視点の問題>
 ・人間は世界そのものを体験することはできない
 ・仏教で言うと無明
 ・人は、体験を通して、世界を創造している。
 ・意識構造を使って世界を認識しているから、
  その意識構造でフィルターかかったものしか見れない。
 
 ・意識構造と言ったが、身体性もプラスされる。

 ・人は、心、内面、狭い意味での意識構造、
  体という外面を通して関係している意識構造
  文化、社会等も含めた意識構造、
  それらの構築構造を持っていて、
  それを通して見えるものしか見えていない。

<意識の段階>W?の主張
○プリパーソナル(pre-personal)
 ・肉体的衝動の充足を行動論理とする段階
 ・生命体として生存するために必要な基礎的な自己認識を確立する段階
 ・人格の基盤となる基礎的構造を構築する段階
  補足説明:生命的、衝動的、人格の基礎ができていない

○前期・後期パーソナル(personal)
 ・世界中心的視野から自己の責任にもとづいて自律的な行動ができる段階
  補足説明:組織、社会の構成要員として自覚して動けるようになる
  補足説明:物事、自分自身を対象化できる>

○トランスパーソナル(transpersonal・postpersonal
 ・自己感覚が、個人から霊性の領域へと拡張をする段階

? Wilber-II:「前・後の混同」(“Pre/Post Fallacy”)
 ・トランスパーソナル段階をプリパーソナル段階として誤解すること
  高度の宗教的体験を病的な退行体験として解釈する
 ・プリパーソナル段階をトランスパーソナル段階として誤解すること
  幼児的な体験を高度の宗教的体験として解釈する

<ユングの元型の(3つの元型)>
 ウィルバーは、ユングの元型には3つのものが混ざっていると主張。
 ・古代のイメージ
 ・集団的に受け継がれてきた「内容のない形式」
 ・下降の最初の形式:可能性の最高の形態

? Wilber-III:発達ライン
 ・人格的発達は、複数の発達領域(ライン)を認識することが重要である(図2-1)
 ・これらの発達ラインが、自律性を保ちながら個人のなかに並存
 ・これら発達ラインをひとつの人格としてまとめあげる意識の統合機能がある

? Wilber-?:AQAL
 ・『意識のスペクトラム』での意識(存在)の階層を、
  "I"・"WE "・"IT"・"ITS"の4つの視点に分割
 ・この分割は、人間が生得的に所有し普遍的に共有される視点

 ○AQALとは
  ・ALL Quadrants(全象限・四象限)、ALL Levels(全レベル)の略語
   1. 存在するあらゆる視点は必ず真実と盲点を含んでいる。
   2. 大事なのはどれかを選択するのでなく、視点間の関係性を理解していこと。
   ※インテグラルジャパンの関連用語サイトでも説明が出ていました。
    http://integraljapan.net/words.htm#aqal

 <I(Individual Interior)個の内面の領域>
 ・個の主観的(subjective)な存在としての真実性を尊重する視点。

 <"WE "(Collective Interior):集合の内面の領域>
 ・個の内面の相互理解と相互尊重を重視するこの視点

 <IT(Individual Exterior):個の外面の領域>
 ・客観的に観察をすることのできる事象を重視する視点

 <ITS(Collective Exterior):集合(共同体)の外面の領域>
 ・集合の組織体としての整合性を尊重する視点
  ⇒自分と外にあるものとの関係性
  ⇒私が外で活動する時に人間と人間(環境、動物)との関係上、
   ルールを作る必要がある、それが外面の関係性

<図から説明>
 図1−1 AQALモデル(成長するホロンの4象限)
 図1−2 AQALから見た成長

? Wilber-?:ゾーン⇒説明省略

? Wilber-?:W-C格子
・W−C格子で整理
 →状態と段階は、異なる軸であることに気づいて、モデルを修正

・万物はスピリットから生まれる
(便宜的に)横から見ると、スピリットから存在が生まれてくる。
(便宜的に)実は上から見ると、常にスピリットの中に埋もれている。

 ウィルバーの別な言い方では、究極のスピリットという話で、
 そもそも私たちの物質の体や精神の心を作っている材料が
 スピリットであると言っている。
 私たちは、独立して物質的に存在して居るような雰囲気で感じているが、
 見方を変えると、スピリットの中に埋もれている。
 私たちの構成要素がスピリットになる。

・結局スピリットが分解していっている

・境界線が、身体性。肉体的な境界、心的な境界。
 内部が自分、個の内面と外面が円の内側(図2−2)
 ⇒心が崩壊する時、境界線が崩れる
  体が怪我をすると、皮膚が破れ、血が出る。

・集団の内面、外面のイメージ(図2−3)

■<W-C格子の表向きの解説>
・W-C格子(Wilber-Combs Matrix)は、
「意識構造の段階」(図の縦軸)と「意識状態」(図の横軸)
 の関係整理のモデル図としてKen WilberとAllan Combsが共作

■<W−C格子の視点での悟りの説明>
・「垂直的悟り」(vertical enlightenment)
 人類進化の現段階での最高の意識構造を確立し、
 その認識の枠組をとおして、人類に経験可能な領域を持続的に体験すること。

・「水平的悟り」(horizontal enlightenment)
 人類進化の現段階での最高の意識構造を確立することなしに、
 人類に経験可能な領域を持続的に体験すること。

・単なる変性意識は、一過性のものなので、悟りではない。つまり、
 ⇒神秘体験は必ずしも人格的成熟を証明するものではない
 ⇒神秘体験は必ずしも意識構造の垂直的深化を醸成するものではない

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4.インテグラル思想でライフサイクルをどう考えるか
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■<W-C格子の意味>
・存在について直接語らず、意識の状態で体験できるという言い方にしている。
⇒もともとの偉大なる存在の連鎖を否定してはいない。
 超えて含むモデルを提示している
・図10-2に示すように、意識の変容(昇っていく)と
 恩寵(降りてくるもの、引っ張りあげる力)がある。
・この体験を通して意識が成長する。
 これが成長を促すダイナミズム(力学)と考えられる

■<神秘主義の問題>
・実践者は、霊的領域をありのままに経験していると思い込むが、
 本当は神秘体験は、時空間に存在する主体(個人)を定義する
 諸々の条件の影響のもと構築されたものである。

・つまり、ありのままの体験として感得されるものは、
 実際には、主体としての個人が歴史的な存在として継承している
 諸々の条件を基盤として対象領域を認識することをとおして、
 「創造」されたものなのである

・現代哲学は、認識が、主体が自己の認識機能を用いて現実を構築する
 創造行為であると指摘するが、
 これを知らずに自己の教義を確立した伝統宗教は、
 神秘体験をとおして認識されるものが普遍的事実であると思い込む。

・こうした自己体験の内容が、
 認識という行為をとおして構築されたものであるという事実に無自覚な結果、
 すでにそこに存在していたものをありのままに認識したにすぎないと思い込む
 (非常に重要な問題)

・客観的な普遍的な報告が上手くできていなかった。

・身体性、自分の成長段階によって、
 自分が見えるものが変わるという自覚があまりなかった。

■<結局魂を中心に何回もリトライしながら発展するものである>
・意識構造はコスモス誕生の瞬間に所与の条件として与えられたものではなく、
 歴史過程の中で繰り返される経験により、徐々に後世により継承される
 「習慣的方向性」として定着していくものとする。

・つまり意識の進化とは、あらかじめ与えられたものではなく、
 習慣的方向性を継承しながら、一人一人が個人として創造性を発揮して
 果敢に探求することをとおして、
 それをコスモスの共有財産として具体化していく
 本質的に創造的な営為として把握するのである。

■<生まれ代わりについて(ウィルバー)>
・チベット仏教における2つの滴(ティグレ)
 「今生で不壊なる滴」「永遠に不壊なる滴」

・「永遠に不壊なる滴」は、
 仏性が最終的に根元的な覚醒、悟りを開くまで生から生へと流転する。
 →それは心霊、微細の存在である。私はそれを魂と呼ぶ。

・W?モデルでは、一生において最も高次の段階においては、
 「永遠に不壊なる滴」に浸され、それを特定の記憶としてではなく、
 安定構造として次生へと運んでいく。

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以下、後半の「アンナさんの解説と、フリートーク」に続きます。
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◆アンナさん
○インテグラル理論について
 ウィルバーに夢中になったのは、
 「進化の構造」を薦められて読んでみて、本当にびっくりした。

 インテグラル理論というのは、
 「みんなつながっていて誰もが正しいんだよ」ということで、
 そして、そんなことがあったら、
 みんなニコニコして、いじめも戦争もなくなっちゃうと思い、
 すごいと思った。

 心理学や宗教には、いろんな理論があって、
 みんながいろんな世界観を持っている。
 れぞれが自分が正しいと喧嘩ばかりしていて、
 そこで、ウィルバーはどうして喧嘩が起きるのかと考えた。

 みんなが絶対だと思っている考え方、理論は
 得意な分野があって、そこでは正しいけれども、
 そうじゃないところから見たら、
 もっと他に適切な理論があることになる。

 主張が有効であって、上手く説明できるところで主張していれば良いのに、
 そうでない部分まで広げて、全部がこうだと主張してしまうから、
 喧嘩になってしまうのではないかと考えた。

 自分らが主張するいろいろな理論の限界(その位置)を知れば良い、
 視点がどこにあるのか、立ち位置がどこにあるのかを知れば、
 みんなが喧嘩をしなくても良いのではと考えた。

○ビッグスリーについて
 AQALの四象限モデルの2つの象限を?にまとめて、
 ビッグスリーと呼んでいる。

 ?|?
 ―+
 ?|?

 ?I 私(一人称) 
 ?We  私たち(二人称)
 ?IT/ITS それ(三人称)

昔の哲学・思想でも、3つで説明しているものが多い。
 プラトン「美」「善」「真」
 カール・ポパー「主観世界」「文化世界」「客観世界」
 カント『判断力批判』『実践理性批判』『純粋理性批判』
 ハーバーマス「主観的な誠実性」「間主観的な公共性」『客観的な真実』
 仏教「仏(ブッダ)」「僧(サンガ)」「法(ダルマ)」
 ※参照 http://integraljapan.net/words/aqal.htm

?で説明するべきことを?で説明したり、
?で説明するべきことを?で説明しようとしたりすると、
それは『カテゴリーエラー』となってしまう。


○意識の段階について
・プリパーソナル(pre-personal)
・前期・後期パーソナル(personal)
・トランスパーソナル(transpersonal・postpersonal)

 ・自我の発達にともなって、意識が進化すると説明されているが、
  実体験から、自我の発達とは関係なく、神秘体験もありえると感じる。
 ・ウィルバーは子供が居ないから、子供のことをあまり知らないと言っている。
 ・日本人と西洋人でも、意識の構造が異なっていて、
  上記の段階に当てはまらない場合もある気がする。
  ⇒自我が発達していなくても、意識の高い人が居る気がする。

◆白田さん
○前個と超個の混同について
 ユングは、「元型的なものに善し悪しがあるのではなく、
 それを善く引き出す意識のあり方と、悪く引き出す意識のあり方があるので、
 だから、意識をしっかりと持つ必要がある」という考え方だと思う。

 元型の方に、前個と超個の区別があるのではなくて、
 意識の態度のあり方に、前個と超個があるという立場だと思う。
 
 ウィルバーも、前個と超個を混同していると書きながら、
 注釈では、
 「しかし、実際のユング派ではそのへんのところをちゃんと区別している」
 と書いてある。

○子供のスピリチュアル体験については
 子供が、自我が発達していないのに、
 高いレベルのスピリチュアル体験をしているのではという点は、
 あると感じている。
 自分の子供の見た夢がすごいと思うことが何度かあった。
 
 しかし、親の自分から見るとその体験をすごいと思っても、
 体験した子ども自身はそれを評価できない。

 それを評価できる自我を持っていないと、
 その体験が生きてこないのでは?

 子供がそういった体験する可能性はある(実感がある)が、
 その体験が影響を持つには(成熟した)自我が必要になってくると思う。

⇒このあたりについて
 インテグラルジャパンの「成熟した個であるとはどういうことか」というページが
 参考になると思うので、以下に一部引用させていただきます。
 http://integraljapan.net/articles/vl_1.htm


『確かに、多くの人が経験的に知るように、トランスパーソナル領域の体験は、意識成長のどの段階においても起こりえるものである。
<中略>
 すべての実践者が言うように、トランスパーソナル領域の体験は、しばしば、われわれの存在を根底から揺さぶる、とても強烈なものとなる。そうした経験を統合していくためには、ほんとうの意味で成熟した自己というものがどうしても必要とされるのである。

 また、トランスパーソナル領域の体験は、体験者に倫理的な責任をもたらすものでもある。トランスパーソナル体験は、そこにおいて意識に開示されたもの(真・善・美)をこの世界に実現させていくための努力を営々と積みかさねていくことをわれわれに要求する。 そうした責任を担うためにまず必要とされるのは、個としての人格的な強さであることはいうまでもないだろう。』

大竹の所感としては、白田さんが話されたのとほぼ同じ内容だと感じました。

○4象限の発達について

中谷さん:4象限全部が発達できるのか?

白田さん:
 ユングは「4つの知能、全部を同時に発達させることはできない。」
 と主張している。
 優れているところ強いところは、意識の働きでしっかり使えるから、
 無意識との接点があまりない。
 弱いところダメなところは、無意識が進入してきてくれる。
 そこが根っこと繋がっていられる唯一の場所。

・アンナさん
 KWの最新の著書「Integral Life Practice」(未翻訳)では
 4象限全て同時にやっていくことが大切だと言っている。

(白):それは4つ全てが同時に発達しうるといっているのか?
(ア):自分の欠けているところを学ぶことによって、
    いろんな気付きが生まれるといっている。
(清):同時に発達するかは別として、全部やってみるのが大切なのでは?
(白):自分のどこが欠落しているのか自覚するのは大切かもしれない。

 ※インテグラルジャパンのページに
 「ILP(Integral Life Practice)」の説明が出ていました。
 http://integraljapan.net/words.htm#itp

 一部を引用させていただきます。

 > 「全レベル、全象限」において、同時並行で実践するのである。
 > 要するに、自己、文化、そして自然において、
 > 身体、心、魂、そして霊(スピリット)を鍛えるのだ。
 > 「身体、心、魂、そして霊(スピリット)」が全レベルである。
 > そして「自己、文化、そして自然」(あるいは単にビッグ・スリー)の
 > 「私」、「私たち」、そ して「それ」)が全象限である。

◆岩田さん
・一番面白かったのは、仏陀の悟りは今の悟りとは違うというところ。
・セルフの概念は、時代とともに変わる可能性があるのか?

◆とら有無さん(シュタイナー的立場から)
・生まれてくる前からの自我がある。

・産婦人科の本で、自分が子供として生まれてくる前に、
 どうやって親を選ぶかという話がいろいろと出ていたりする。

・自我というのは、生まれてくる前からあるし、
 生きている間は肉体の中にあるし、
 眠っている間は肉体から外れていて、死んだ後もある。

・人間が死んで生まれ変ってくる際に自我の同一性は保たれている。

◆マリィさん
○LINEの各要素をLEVELのどこにあてはめるのか?
・LINEには道徳、認知、スピリチュアルティといった様々な要素があり、
 それぞれが同じように発達するのであれば問題ないのだが、
 それぞれが個々に発達していくのだから、
 それをLEVELの、プリパーソナル⇒前期パーソナル⇒・・
 どこに当てはめていくのが疑問に思っていた。

(ア)発達といっている時に、文脈によって、
   LINEとして言っている時と、LEVELとしていっている時もある。
(清)スパイラルダイナミクスでの話と、サイコグラフの発達の話との
   関係性がたぶんまだどこにも書かれていないので、
   そこが結びつかないと分からない。

◆黒川さん
 禅がアメリカに伝わった時に、
 カジュアルライズされた形で理解されたように、
 そこには理解と同時に誤解がある。


申し訳ありません。漏れがあると思いますが、
1万文字の制限があり、現在、1万文字ぎりぎりのため、、
過不足・誤りにお気づきの点については
コメントをお願いいたします。

宜しくお願い致します。

コメント(48)

>けろりんさん
今回の清志朗さんのレジメは、図も駆使されていて、
非常に分かりやすかったです。
議事録は、文字だけで分かりにくくて、申し訳ないです(^^;)
>hiroeさん
ウィルバーさんの年譜をみると・・。
http://integraljapan.net/about_kw/biography.htm

ウィルバーは、父親が空軍大佐で、
ウィルバー自身も
「少年時代から物理、数学、科学、生物学などの自然科学に親しみ、
その分野ではいくつかの賞を受けるほど優秀であった。」とあり、、。

大学一年で、「老子の『道徳経』に出会い人生観が一変。」 とあるので、

それまでは宗教や哲学には あまり馴染みがなかったのかもしれないですね。

子供のころは、家庭環境とかの影響を少なからず受けると思うので、
宗教や哲学に対して中立的な?家庭で育ったのかなぁと思いました。

だから、アメリカ生まれだから、、という自分の国や人種に結びついた、
宗教観への執着がないのかもしれないですね。

例えば、、、ウィルバーさんの父親が、
とても熱心な神父さんだったりしたら、
やはりその宗教観が色濃くなって、
それが基盤になることが多いと思うんですよね。
NOZOさん

ほんとうに、ご苦労様でした。
大変お疲れ様でした。たくさん本買われたみたいで、頑張って読んでくださいね。

でも、ウィルバーが一体あの世や生まれ変わりをどう考えているかという話は、謎ときでした。
物質のことは、いまいちまだ分かりませんが、ユングの考え方との共通性は示せたのではないかと思います。


 以下の部分は、まさらに前回白田さんが強く言っていたユングの生まれ代わりに対する考え方「人はあちらの世界に貢献すべき目的をもって生まれてきて、自由意思の元アクティブに生きて、その結果をコスモス持ち帰り、コスモスの成長に貢献する。
」と同じだと思うんですよね。
-------------------------
 Wilber?では、意識構造はコスモス誕生の瞬間に所与の条件としてあたえられたものではなく、歴史の過程の中で繰り返される経験により、徐々に後世により継承される「習慣的方向性」("probability wave")として定着していくものとしている。
 つまり意識の進化とは、あらかじめ与えられたものではなく、習慣的方向性を継承しながら、一人一人が個人として創造性を発揮して果敢に探求することをとおして、それをコスモスの共有財産として具体化していく本質的に創造的な営為として把握するのである。
-------------------------


 さらに、チベットの滴(ティグレ)の話
-------------------------
・チベット仏教における2つの滴(ティグレ) 「今生で不壊なる滴」「永遠に不壊なる滴」
・「永遠に不壊なる滴」は、仏性が最終的に根元的な覚醒、悟りを開くまで生から生へと流転する。
-------------------------
 は、こういった今生に生まれてきて、真にやりきったものが、「永遠に不壊なる滴」としてあちらの世界に残るという点で、これまたユングのお話とぴったり一致だと思ったわけです。
>清志朗さん

ありがとうございます。
清志朗さんのレジメが本になるくらいに充実していたので、
とても助かりました。

内容をうまく抽出、まとめれなかったので、
コピペがほとんどですが(^^;)

白田さんのユング視点での死後の世界、生まれ変わり
との共通部分のコメントありがとうございます。

抜き出して、取り上げてくだありありがとうございました。
さらに理解が深まりました。

今期のテーマから考えると、ここが重要ポイントですよね。
輪廻転生、生まれ変わりについてウイルバー氏が言及されている論文があるのですか?
ぜひ教えて下さい
 なんか、ウィルバーとアレイスター・クロウリーは、カントとサドが似ているように似ている気がするが、気のせいだろうか?カントとサドが似ていると指摘するのは、あのぶっとんだジャック・ラカンと弟子のジジェク一味の主張ではあるのだが、…。
 P・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』に登場する、動物愛護教“マーサー教(←だっけ?)”の教祖、ウィルバー・マーサーは、まぁさか、ケンさんと関係はないんでしょうね。ちなみに、黒川先生もマサだが、まさか、…。
清志朗さん、先日の発表はありがとうございました。
ウィルバーの思想についてまとまった理解ができました。

NO-ZOさん、詳細な報告をありがとうございます。
発表内容を、改めて頭の中で整理することができました。
また、「成熟した個であるとはどういうことか」のページの引用、ありがとうございました。
思うに、なにかを本当の意味で実現させていくのは、最後は意識の力なんでしょう。

 
ユングにとって「意識は何のためにあるのか」という問いは、
「人間はなぜこの世に生まれるのか」とパラレルなんですよね。
意識論がそのまま人生の意味の問題、死後の問題に転換するのが
ユング思想のミソだと思います。

ウィルバーにもそういう部分が多少なり伺える、と理解しても
いいんでしょうかね?>清志朗さん


研究会の中でも言いましたが、
ウィルバーには、生きているうちに死後についてはっきり語ってほしいですね。
ユングの場合、まとまった死後論が明らかになったのは『自伝』の中、
すなわち死後に出版された本においてですから。
遠藤周作の絶筆となった「深い河」は、さまざまな悩みを持ってインド旅行のツアーに参加した人たちの、それぞれの心の人間模様を描いた作品です。

作品の登場人物のひとり磯部のケースでは、最愛の妻がガンで亡くなる直前に必死に彼に懇願した言葉「わたくし・・必ず・・生まれ変わるから、この世界のどこかに。探して・・わたしを見つけて・・・約束よ、約束よ」でした。
彼は、生まれ変わりの妻をどうしたら捜せるのかを真剣に考えまたが、仏教にも、キリスト教にもそれはありません。アメリカのニューサイエンス系前世研究の学者にも問い合わせ、わずかな望みをインドにもとめて一行のツアーに参加したのです。

驚いたことにウィルバーの最愛の妻トゥレアがガンを再発し死の間際に、ウィルバーと交わした会話(彼が公表している)に、全く同じ内容の記録があります。

トゥレア :I'm so happy,I'm so happy...
      You promise you'll find me?
ウィルバー:I'll find you, ...

ウィルバーのトラパの考え方からすれば、意識はパーソナル(個)のレベルから離れると個から解放され宇宙的意識になり、個としての人間が死後存在するかは問題でない、ということにならないでしょうか?

ウィルバーは最愛の妻に、そのとき全く心にもないその場限りの慰めを言ったとはどうしても思えません。
それは私たちが、生まれ変わりではなくても死んだら天国で会えると思う素朴な本音と変わらないような気がします。
マッチ売りの少女が、死んで母親と天国で一緒になるという童話が、なんの宗教的あるいは論理的な疑問も持たず、世界中の読者の感動を呼ぶのと同じことではないでしょうか?

こうした死後の人間の個体的アイデンティティについて、人類が普遍的に持っている無意識のイメージを、意識面での一つの理論の整合性、論理性で説明しようとすることには、どうしても無理があり違和感を感じてしまうのです。
みっくんさん、非常に重要な指摘をされたと思います。
個人的には、今回のセミナーに絡んで最も重要なポイントだと思います。


日頃、無神論者だったり死後の生命を否定したりしている人でも、
実際に死に向かい合う場にいると、自然と「死者の魂」があることを前提にした会話をしていることがあります。
みっくんさんの引いた、ウィルバーと妻との会話がまさに典型ですね。

こうしたあり方は、私が仕事をしている中で、何度出くわしたか分かりません。
別の機会に改めて「魂はあると思うか?」と聞いたら、
「そんなもの、あるわけないじゃん」と答えるような人でも、
その時その場では、魂があることを前提に話をしている。


つまり「魂」は、あるかないかの議論以前の問題として、
ある局面では、自然と「ある」ことになってしまっている。
それが現実だ、ということです。
というか、もともと「魂」というのは、我々にとって
そういう形でこそはじめて存在する何ものかではないのか。
意識的な立場からするりと抜け落ちながら、しかし実際には現実として明確に存在している。

死後の問題は、こうした現実に立脚する視点からしか真に語れない。
これが私の基本的な考え方です。
みっくんさま のぶさま

今の私の日々は主人との老介護生活の毎日ですが、主人に言い聞かせているのは「死ぬときは一緒よ!」の合言葉にしています。

>遠藤周作の絶筆となった「深い河」は、それぞれの心の人間模様を描いた作品です

>「魂」というのは、我々にとって そういう形でこそういう形でこそはじめて存在意識的な立場からするりと抜け落ちながら、しかし実際には現実として明確に存在している。 死後の問題は、こうした現実に立脚する視点からしか真に語れない。 これが私の基本的な考え方です。

そして
>意識面での一つの理論の整合性、論理性で説明しようとすることには、どうしても無理があり違和感を感じてしまうのです。

まさしく私の思いを語って下さいました心にじぃ〜んとあてはまり感動しています。
NO-ZO(のぞ)様

 講義録ありがとうございました。
 桧垣さん、アンナさんのお講座と白田さんをはじめとするみなさんのコメントもとても興味深かったです。
 アンナさんのご本、今日から読みます。
 なるほど冷や汗、本当にそうですね。

 オチウェイ・ビアノが西欧白人の顔付きに読みとった、あの“進歩へのオブセッション”は、グローバリズムというトロイの木馬に乗せられ、方々に転移しながら、まだまだ世界に呪いを残している、…。←火山旅?

 しかし、唯物論的な近代科学的な構えの基底には無意識ながら、“魂への信仰”がある。それは、まるで、パンドラの函の底に封入された希望のよう…。

 その無意識を意識化し、“死の恐怖症”から開放され、安心ができれば…、超資本主義的な世界観やら価値観も、生き急がずあくせくしないスローライフ的に変わってくるかも知れませんねウインク

 いみじくも、河合隼雄先生は、みすず書房『分析心理学』の前書きで、現代に置いて抑圧されているのはもはや性などではなく、魂に関することが抑圧されてる、…と述べていますね。黒き鉄の牢獄である、このパルメニデスの世界にとり、ソフィアの涙(←ティクレ?)に救済は果たされず、まだまだ魂の夜明けは遠い?!
それらをウイルバー的に解説すると、魂は、右ではなく左象限で語るものということでしょうね。左象限的な「魂なんか存在しない」も客観的事実な訳です。
正統派的心理学は左象限の分野なので、トラパが迫害されているわけです。

間違い、
心理学は、右象限の科学であろうとしてるんです。
フロイト的書き間違い?
無意識が左だって書かせた?爆笑
NO-ZO(のぞ)さん

詳細なご講義録、ありがとうございました。

一生懸命理解しようと努めているうちに、いつの間にか、こんなに時間がたってしまっていましたあせあせ

ウィルバーは『インテグラル・スピリチュアリティ』を読んだだけで、ウィルバーがどういう思考経路を辿ってこの本に行きついたのか・・・ということは知らないでいました。

でも、ウィルバーを読んだ時には、ものすごく感動しましたよ。“世の中にはこんな賢い人もいるんだ!!”って。

で、一度お会いしてみたいものだ・・・なんて考えながら、どんな人かとPCで写真を拝見したら、頭に毛がなかった・・・わーい(嬉しい顔)

これからも、NO-ZO(のぞ)さんのご講義録や皆様のコメントを丁寧に読んで、勉強させていただきます手(チョキ)
のぶさん

>ユングにとって「意識は何のためにあるのか」という問いは、
>「人間はなぜこの世に生まれるのか」とパラレルなんですよね。
 強くそう思います。
 ただこの時の意識とは、説明の時にも触れましたが、個の内面、外面、集団の内面、外面といったAQALの全象限に跨った身体性(body)であるべきと思っています。
 ウィルバーの主張もそうだと思います。

 ちなみに、個の外面は、肉体+サトルボディです。

>意識論がそのまま人生の意味の問題、死後の問題に転換するのが
>ユング思想のミソだと思います。
 そういった意味で、同じことを言っていると思っています。
 スピリットが分開し、そこに「私」という身体性(意識、body)が生まれ、体験できるようになる。そしてスピリットに帰っていく。そういうダイナミズムだと思っています。
>27・清志朗さん

「意識は何のためにあるのか」というのは、ある意味、
身体性がここに存在するのはなぜか、という話でもあるわけですね。
物質の世界がなぜ存在するのか、ということでもある。
ユングの場合、錬金術研究がこの問題に関わっています。

ここだけ取り上げて議論したいぐらいのテーマですね。
のぶさん

>「意識は何のためにあるのか」というのは、ある意味、
>身体性がここに存在するのはなぜか、という話でもあるわけですね。
>物質の世界がなぜ存在するのか、ということでもある。
そうなんです。
延々と議論できそうなテーマです。暇があったら考えています。
これじゃあ、社会生活に支障をきたしそうです。

ちなみに、ウィルバーは物質については、あまりはっきり言っていないようです。
まず物質ありきに読めたりするわけですが、
万物はスピリットから現象化するわけですから、その起点がビッグバンだから、そこから物質化も立ちあがったとすれば、それはそれで辻褄も合うなと思うわけです。


>ユングの場合、錬金術研究がこの問題に関わっています。
良いヒントになります。ありがとう。
錬金術って、まだ全然理解できていない、というより読んでませんが、この辺のとっかかりから入っていけそうです。
錬金術が理解できると、また一歩ユングが深く理解できるようになりますね。
桜意識は何のためにあるのか?
わーい(嬉しい顔)私が私であることを確認するためよ。

チューリップ身体性がここに存在するのはなぜか?
目がハートあなたに抱きしめてもらうためよ。

リボン物質の世界がなぜ存在するのか?
うれしい顔スピリットが気晴らしに遊ぶためよ。

失礼しました~~
おやすみなさい。
アンナさん

言い得て妙ですね。ウィルバーもどっかで似たようなこといっぱい書いてたと思う。

結構、核心だと思います。うまい!
 鈴木大拙は「神が光あれと言ったとき、誰がそれを見ていたのか?」と、欧米の聴衆に問いかけていましたね。

 だから、たぶん、意識が見ていたわけです。

 意識がいないと偉大なジェネシスも、所詮マスターベーションで、滑ったギャグ以上に虚しい行為である。意識は、神の行為のサポーターとしても、必要なわけですね。
けろりんさん

そうですね。

意識=指向性がないと、ばらんばらんになってしまいますから。
唯識の識も、指向性のことを言っているのだと思いますが、どうなんでしょう。
説明の時に使った「存在の偉大なる連鎖」を表にしたものを、少しアップグレードしました。

一番右端の「スピリット」は、「存在」と分けました。

表は、ウィルバーの統合心理学への道(p66)に書いてある文章を読みながら、表に整理したものに、少し加筆しています。

他の伝統におけるものも埋まると、比較表が完成していく予定です。
 ウィルバーのスピリチュアルと、江原啓之のスピリチュアルでは、モノが全然違う気もするが、スピリチュアルブームの中で十把一絡げに、いっしょくたに扱われたりしていないだろうか?
ウィルバーというかトランスパーソナルの世界では、江原スピは、プレパーソナルな位置づけになるように思います。
私は彼の本を読んだことがないから知りませんが、外から見てるとそのような印象があります。
トランスパーソナル学会では、江原現象を、困ったものだ、どうしたらいいんだってことで、本物スピリチュアリティを求めてという企画が立ったりしてましたし。
京大の講演会でも、比較文化的文脈でわが国のスピ言説として江原の影響の大きさが語られてましたが、ネガティブな扱いです。
 アンナさん、リプライありがとうございます。

 なんだか、江原啓之が現れてから、スピリチュアリズムのイメージがおかしくなって来たのを感じていたのですが、なるほど、やはり、そうだったのですか。

 あと、意識と脳の関係を科学として捕らえることを標榜する茂木健一郎も、江原啓之がスピリチュアリズムのイメージを狂わしているように、科学と脳のイメージを狂わしていて二人はどこか似ている気がしてしまうのです、…。二人ともメタボなふっくらした体型で一見、優しそうに見える…。

 これもまた、イデオロギーに反映する人類マインドが、あの“双魚宮から宝瓶宮へシフトする変容”に伴う、ある徴候の一つだったりして、…。

 それは、また、カンガルーであるフクロオオカミが系統が違うオオカミに似てくるような収斂現象というものがあるように、…科学界とオカルト界で茂木さんと江原さんが“収斂”しシンクロしている気がしてくる。←????

 江原さんの後見人的な存在の美輪明宏さんに、茂木さん側で相当するのは、さしずめ、養老孟司さんか、…。
そうですね。

スピリチュアリティという言葉を流行させて、見えない世界に目を向けさせた功績は大きいけど、もっと奥があるんだよ、というところに行って欲しいです。

江原さんのスピリチュアルメッセージは、シルバーバーチの霊訓みたいなもので、深くて良いことが書かれていますが、そういった霊がどういう存在なのかという考察はありません。
この辺は、言っても流行らないから言わないのかもね。


茂木さんは、何でもかんでも「脳」という言い方は、ちょっと勘弁してほしいです。
仮に、物質面からだけの視点で見ても、人間の意識って、身体の影響を受けているのは明らかなのに、凄い誤解を与えていると思うな。
本人は、分かっているはずなんですけどね。
研究会の中での黒川さんの以下の発言に
通じるものがあるかもしれないですね。

「禅がアメリカに伝わった時に、
 カジュアルライズされた形で理解されたように、
 そこには理解と同時に誤解がある。 」

流行として、多くの人に情報が伝わる時は、
多くの人の視線が集まり、
目を引き付けやすい一部分のみが強調化されたり、単純化されて伝わり、
その一部は理解されるけど、
誤解も含んで伝わりやすいのかもしれないですね。

大学時代に、心理学の授業で、たしか「伝言ゲーム」(?)という・・
人から人へ情報が伝わる時は、
そこに省略や誇張が入り、歪みが生じやすいという実験を
やったのを思い出しました。
NOZOさん

「禅がアメリカに伝わった時に、
 カジュアルライズされた形で理解されたように、
 そこには理解と同時に誤解がある。 」

この話が、インテグラルスピリチュアリティにも、分かり易く解説されてますね。
多分過去の本より、一番分かり易かった印象です。
2年前のY新聞の「スピリチュアルの時代」特集記事のなかで、東大の島薗教授が、日本のいわゆるスピブームは戦後崩壊した日本の伝統的宗教が復権するまでの間、日本人の精神的拠り所のつなぎの役割を果たしているとして、肯定的なコメントをしていました。

昨年お伊勢参りにいった時おかげ横丁の店の主人の話によると、江原さんの御蔭で最近は修学旅行の生徒も多くなり、長年横ばいだった観光客が100万人増えたと言って喜んでいました。
そうした意味では日本の精神的伝統文化を広めるために役だっている面があると思います。

たしかに前世とか守護霊などの胡散臭さが気になる向きもありますが、言っている結論はごく常識的で本音の話が多いように思います。
これは江原さんは英国の心霊術を看板にていますが、もともと神道を習得されていて、祖先崇拝や家族観といった日本古来の伝統的考え方がベースになっているからのようです。
多少の如何わしさを感じても多くの人が安心感を持って耳を傾けられる理由でははないかと思いますがどうでしょうか?
 そう、そうウインク

 日本人の宗教は、実は、各種宗教に寄生しながら生き延びる“祖先崇拝”ですもんねウインク。お釈迦様も、キリストも、ムハンマドも、今や日本人にとり、みな御先祖様、…。だから、同じ一人の人間が矛盾を感じることなく、ひな祭りをし、七夕に参加し、お盆をやり、クリスマスをやり、正月をやり、元朝参りをし、葬式にはお経を唱えてもいい、…。

 ところで、神道と日本のトランスパーソナルには、わりと親密な関係にあるみたいですね、…。
「<生まれ代わりについて(ウィルバー)>
・チベット仏教における2つの滴(ティグレ)「今生で不壊なる滴」「永遠に不壊なる滴」
・「永遠に不壊なる滴」は、仏性が最終的に根元的な覚醒、悟りを開くまで生から生へと流転する。
→それは心霊、微細の存在である。私はそれを魂と呼ぶ。
・W?モデルでは、一生において最も高次の段階においては、「永遠に不壊なる滴」に浸され、それを特定の記憶としてではなく、安定構造として次生へと運んでいく。」

これの出典はどこでしょうか?
どこから引いて来たものでしょうか?
78910さん

統合心理学への道(p260~264)です。
清志朗さん、ありがとうございます
m(_ _)m

お陰さまで『統合心理学への道』および、そこでウイルバーが振り返っている『アートマン・プロジェクト』を読み返す機会をいただきました

主にチベット仏教(特に『チベット死者の書』)に依拠した論述は、読んだ当時ぼくにチベット仏教への関心が全く無かったので、ほぼ流し読みのような感じだったんだな〜と気が付きました

それが去年よりチベット仏教に親しみ始めた今のぼくには大変興味深く読むことができました

しかし、生まれ変わりについては大変難しい問題ですね

『統合心理学への道』でウイルバーはその可能性を否定してしまわないでオープンな姿勢でいよう、と言っていますが

『構造としての神』では鈴木大拙を引いて

何らかの永続する個我が生まれ変わりすると考えるのは、永続不変の一者を投影した誤認に過ぎないexclamation

という考えを支持しているようにも読めます
78910さん

どういたしまして。

そうですね。
生まれ代わりをどう理解するかは、非常に難しいですね。

鍵は、私という生きた人間の意識を、魂と身体性のどちらの影響がどれだけ強いか、つまりどちらがどれくらい影響を与えているかの比率が、各宗教や伝統や、流派、思想によって異なるのだと思えてきました。

こちらで生きていた「私」が、永遠な記憶として何かを残しても、身体性を持たないとただの記憶に過ぎないのかもしれないという考え方から、死んだ後も単なる記憶でなくこちらと殆ど同じ身体性をもってあちらに存在しているという考え方までが考えられます。

そういう議論を、昨日のユング研究会でしました。

一般の人の生まれ変われの印象は、そのままあちらの世界で活動しているイメージかと思います。

今生で、過去生の記憶があったからといって、記憶と繋がっているだけとも考えることができるし、その記憶そのものが身体性を持つことで私になっているとも言えるわけで、もっと整理が必要ですね。
清志朗さんがおっしゃる「身体性」とは身体そのもののこととは違うのだとしたら、どのような意味ですか?

仏教で言うところの仏の三身論と近い概念でしょうか?
78910さん

こんにちわ。
仏教の三身論については詳しくないので、同じかどうか不明です。別途勉強しないといけませんね。

 私の身体性の定義ですが、霊的なもの(本当はものといったらいけないのですが、良い表現がないので)を、現象化させるものを身体性と言ってます。
 「身体」でも良かったのですが、物質的な肉体と区別したくで、「身体性」と言ってます。

 ウィルバーは、万物はスピリットから立ち上がる(現象化する)。その成長をホロンと言っていますが、それは4象限全体で同時にバランスをとりながら立ち上がると言っていると思っています。

 つまり現われてから(生まれてから)、成長するのが身体性と考えています。その身体性を通して、私のものごとを認識するということ。そしてその身体性は、歴史と共に進化をしているというのがウィルバーの主張だと思います。ウィルバーは身体性という言葉は使っていませんが。
 
 仏教でも道元でしたかが、身心脱落と言いますが、身と心がセットになった身体性を説いているかと思いますが、個の内面の心と個の外面の身の両方がセットということで、こちらは比較的イメージし易いいかと思います。
 身体性に集団の内面と集団の外面が含まれるというのは、イメージし難いのですが、集団の内面と集団の外面の影響で、個の内面や個の外面も成立しているということから、4象限全体を「身体性」としています。

 最近、この身体性というのが、非常に自分の中で重要なテーマとなっています。

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