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ギャラリー・マキ(現代美術)コミュの福住廉連続企画 vol.1 21世紀の限界芸術宇宙王子サンパクガン ガンジ&ガラメ

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福住廉連続企画 vol.1 21世紀の限界芸術

宇宙王子サンパクガン ガンジ&ガラメ

2005年 6月24日(金)〜7月21日(木)

日月祝日休画廊

12〜19PM  最終日17PM終了

ハリガミマンガ・宇宙王子サンパクガンの全作展示。

ガンジ&ガラメは7月16日に画廊に見参。



軽薄かつ深遠なハリガミマンガ            福住廉

すでに5年ほど前になる2000年8月からのおよそ一年間、福岡市は天神や大名の繁華街に奇妙なマンガが現れた。A4の紙一枚に描かれた「宇宙王子サンパクガン」というマンガが、大量にコピーされたのだろう、電柱やビルの外壁など街中のいたるところに一枚ずつ貼りつけられたのである。このハリガミマンガは不定期の連載であり、また自ずとどこかの誰かに剥がされてしまうため、通常のマンガと異なり読者は断片的に読むことを余儀なくされたのだが、にもかかわらず、多くの人びとが深い印象を覚えていた。私もまた、この路上を使った表現活動に魅せられて以来、そのための眼で探査し始め、街の隙間にマンガを発見しては写真に収め、丁寧に剥がして収集し、作者を名乗るガンジ&ガラメという謎の二人組について思いを巡らした。当時のフィールドノートを読み返すと、それを美術館とは対照的な都市空間での表現活動として位置づけることによって、芸術表現の質ではなく、都市空間の質を浮き彫りにする表現として評価していたことがわかる。今もなお、監視と排除の力学によってますます管理が強化されている都市の現状を鑑みれば、そうした「現実」をありありと照射するハリガミマンガという表現の意義は依然として大きいことにちがいはない。けれどもその一方で、たとえば日本を代表する美学者である谷川渥が「作品の質」を死守しながらカルチュラル・スタディーズによる芸術分析を「没価値的」だとして批判するのを目の当りにすると、狭義の芸術概念からは排除されがちなこうした路上の文化表現をより一層多面的に文脈化する必要性を痛感せざるを得ない。カルチュラル・スタディーズの成果のひとつが西洋近代とは「別の近代」を導き出したことにあるように、問題の所在は「没価値的」どころか「別の価値」にあるのであり、言い換えれば、それは谷川の眼中にはない「もうひとつの芸術」の輪郭線を描き出していくことにあるのだ。


そのために引用できるのが、「限界芸術」という概念である。言うまでもなく、これは50年も前に鶴見俊輔が着想した分析言語だが、どういうわけか現在のアートシーンからはほとんど参照されることがない。だが、観客動員数を目当てになし崩し的に大衆化していく公立美術館に見られるように、現代の芸術概念が純粋芸術と大衆芸術の溶解の上に辛うじて成り立っているとすれば、両者に通底する母体としての限界芸術という視座は、その不安定な状況のなかで「別の芸術」を構想するには必要不可欠である。それは、精神分析が意識を相対化するための準拠点として無意識という領域を措定したように、純粋芸術と大衆芸術を相対化するための理論的仮説だが、何より興味深いのは、鶴見がこの仮設概念を文化や芸術の原型である「原始的なもの」として想定していることだ。


ハリガミマンガは確かに安易で廉価ではあるが、だからこそ人間の根源的で原初的な表現形式のひとつだといえる。イラストとテキストで構成されるマンガが日本古来の表現文化と節合していることは疑いないが、そのような絵や文字を描き表わした紙を街角に貼付するという振る舞いもまた、ある歴史的な系譜に位置づけられるからだ。かねてから学生運動や社会運動にとってハリガミは主要な煽動手段であったし、電柱は明治期の導入当初からハリガミ広告が貼られる支持体として活用されてきた。もっと辿れば、平安時代には落書があった。これは社会風刺ないしは個人攻撃のために書かれた匿名の文章や詩歌で、人目に触れやすいように道に落としたり、門や塀に貼りつけていたものだという。こうしたことから一般的にハリガミは弱者による抵抗の手わざとして語られがちだが、必ずしもそれだけではない。むしろ、そうした意味の基底にある原初的な表現の媒体として考えられるのではないか。だからこそ、ハリガミは広告にもなるし政治的プロパガンダにもなり、逆に政治的な異議申し立てにもなるのだし、場合によっては私的な表現のためにも使われるのである。「サンパクガン」は一時的で短命な文化現象のように見えるが、実はそれらの背後に脈々と流れる「原始的なもの」を顕在化させる出来事だったのだ。

とはいえ、「原始的なもの」はハリガミマンガという表現形式だけではなく、その内容にも描き出されている。路上での連載当時はすべての物語を追うことはできなかったが、今回改めて全体を通して読んでみると、それが思いのほか深遠な次元に到達していることに気づかされる。連載当初は軽薄なアクション活劇の作風だったが、物語の後半、具体的には第31話あたりから心理的な内面描写が色濃くなり、夢と現実が混交した世界に入っていくのである。そして第40話にいたって、この物語の主人公とおぼしき「何者」の鼻孔に侵入した二人の怪人が、その途上である中年男性に遭遇するのだが、彼が「私は……記憶です」と呟いたところで唐突に「サンパクガン」は中断されてしまうのだ。この暗示的な結末のその後の展開は、今回の展覧会にあわせて制作される「宇宙王子サンパクガン最終話:実写版」で明らかにされるはずだが、いずれにせよ、ガンジ&ガラメの二人がこのハリガミマンガの連載を通して内部や内面に沈降していったことは極めて重要な点である。意識の下にあるとされる無意識を探究するかのように、直接には見ることのできない内部を表現の場としての都市空間という外部に描き出すこと。「サンパクガン」が人びとに与えた美学的ショックは、街中でマンガを連載するという形式の斬新さだけではなく、本来見えるはずのない内部が路上にあからさまに曝されていたことによるのだろう。それはたんに都市風景を異化したというより、むしろ内部がいつのまにか外部に転じてしまうメビウスの輪のように、内部と外部どちらにも反転可能な「原始的なもの」が立ち現れていたということなのである。

コメント(1)

またまたお邪魔します。

来週からは写真展ですね。
学生時代はたまに美術館やギャラリーに行ってたものの
社会人になってからは、ほとんど行ってなかったので、
なんだか楽しみです。

今年は横浜のデュシャン展しか行ってないのですが、
このコミュニティに参加させてもらってからは、
またいろんなのを観たいなーと思うようになりましたね。

ところで、ここ2,3週間ほど、入り口近くにマクドナルドの
乗り物っぽいものがありますが、何かわかりますか?
かなり気になります。
中で鑑賞してるっぽい人もいるので、やってるんですかね??

新川に住んでる人は結構気になってるはずです。
(私は今は住んでませんが)

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