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ぼくたちと駐在さんの700日戦争コミュのあなたの時効ネタ教えてください

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作者本人のトピ立てまくり!(覚えたので・・・)
みなさんも学生時代や過去に、ひとつやふたつ、悪さや恥ずかしいことやらかしていると思いますが、おもいきってここで告白してください。
たとえばオクラホマミキサーで好きな子内股かけて押し倒した、とか、不二家のペコちゃんの首ふっとばしたとか、誰でも経験のあるような、それから、花火盗んだとか、本当にささいなことでかまいません。
吐けば楽になるぞ。

コメント(413)

いたずらではないんですが、
お祭りの思い出。

地元の百舌鳥八幡宮ではふとん太鼓の月見祭りが有名です。

http://www.mozu8.com/


いつもはひっそりした神社が
お祭りのときは屋台の夜店がたくさん出てにぎやかです。

金魚すくいにヒヨコ釣りに、綿菓子おめん、
射的に輪投げ、りんご飴ベビーカステラ天津甘栗などなど。

水槽の中に置いてあるコップに1円玉を入れると
ミルクせんべいがもらえるというのが好きでした。

1円玉は手を離すと、水の中をゆらゆらと落ちて行きまして
なかなかうまくコップに入らないのです。

ちびっこたちが次々チャレンジするのですが、
ざんねーん、でもひとつおまけやでーというのがパターン。

しかしぼくたち兄弟は、百発百中。
ミルクせんべい食べまくり。

実は、去年からこの日のために家の水槽で練習してきたのですねー。

今になって思うのですが、こんな練習してくるようなアホは
ぼくたち以外には、いてなかったでしょうね。
フェラーリに乗ったことがあります。

お客さんが乗ってきたのですよ。
黄色でオープンカーになるやつ。

「運転してみる?」と言われたのですが
ぶつけたら弁償しきれないと思いましたので
横に乗せてもらいました。

「ガオーン!!」

「わおーすごい音! さすが12気筒フェラーリサウンドですね!」

「いや、8気筒。」

(うっ、しまった。)「加速がすごいんでしょうね!」

「やってみようか?」

アクセル全開!! 次の信号まで3秒でつきまして急停止。

「いやーすごいですね! フェラーリってもっと重厚なイメージがあったんですけど、わりと軽々動きますねー」

「そうだよ、なっつってもスポーツカーやからね。」

「ハンドリングも軽がるでしょうね!!」

調子に乗ったお客様は、幹線道路をキュキューと前の車をごぼう抜き、

シフトチェンジのたびに
ガオーン!!
ガクガク。

交差点で勢いよくUターン。歩行者大迷惑。
(パトカーが見ていたら追いかけてきたことでしょう。)

すごーい! と惜しみない称賛をおくりましたが、
内心、なんちゅー軽薄な人だ・・と思っておりました。

ぼくならもっと優雅に運転するのになあ。

もういっかいチャンスをくれー!!

(優雅な運転をするぼくのマイカーはワゴンR!)
フェラーリの運転にチャレンジしなかったことは
今でも悔やまれますが、
バスの運転免許にチャレンジしたことがあります。

バスの運転手になろうと思ったわけではないのですが、
なんでも免許を取りたいお年頃だったのです。

ちょうど道路交通法の改正かなんかで、
路上試験が導入された時でした。

大きなバスで試験場の外を走るのはドキドキですが
気持ちよいですよー。

もちろん場内の課題をクリアしないと外には出られません。

場内の課題で意外と苦労したのが、
バックして後ろのポールに50cm以内に寄せるという課題でした。

大型トラックとかバスの試験には、ふつうの
「上。」とか「右?」とかいう視力検査のほかに
深視力検査というのがあります。

奥行きを見てわかるか、という検査です。
検査機は3本の棒の真ん中のが行ったり来たりして
奥行きがそろったらボタンを押すというものですが、
なかなか難しい。

検査機でも難しいですが、実際にバスに乗っての課題はさらにむつかしい。

運転席から振り返りまして後ろを見ますと、
客席がずいーっとありまして、そのはるか後方の窓ガラス越しに
黄色と黒のシマシマの(タイガースファンだからではない)
ポールがみえまして、
じわじわバックして近付いて行くのです。

こんなもんかなーと停止したらまだ1mも離れていたり、
まだまだとねばると

「コン。」

と当ててしまったり。 当てたら終わりです。

そこで苦肉の策を思いつきました。
ポールに50cmまでよれば、
ちょうど運転席の真横になるであろう場所に
目印をつけておこうと。

フェンスにたんぽぽのお花をさりげなく挟んでおきました。

本番では、さも後ろしか見てないよーという視線で
バックしていき、実はちらちらとタンポポを追っておりました。

そして見事50cm! 路上に出ることができたのでした!


インチキしました。すみません。

さわやかな秋空ですね。
こんな季節は気分よくドライブにでも行きたいものです。

あれはまだ高速道路が1000円でもなく、
ETCもなかったころの話。

自慢のユーノスロードスター(初代)で旅に出ました。
浜松辺りから高速道路に乗りまして
どこだったかの出口の料金所でお金を払おうと思ったら、
通行券がない!

通行券紛失は全路線の通行料の3倍とか書いてあったような気がしまして、
いやー、どーしよ。とあせりました。

料金所のおっちゃんも、そりゃーこまったねーと
出てきてくれまして、
料金所を過ぎたところの、ちょっと広くなっているスペースで
いっしょになって車の中をひっかきまわして探してくれました。

しかし見つかりません。

屋根をオープン全開にして走っておりましたので
風で飛んでいったのかもしれません。

「どこからのったかわかる?」

「あー浜松です。」

「なにか証明できるものある?」

証明するものといってもなー。


カバンの中をゴソゴソ探してみると、ありました!

土産物屋で買ったお土産のレシートが!

「夜のお菓子、うなぎパイ」

むふふ。

おっちゃんはにっこりわらい

「そんじゃ浜松からの料金でいいよ。」

と勘弁してくれました。


それから、数年してロードスターのラジオが壊れまして、
ラジオをパネルから外していたら
すきまからなんと通行券が出てきたのでした!

風で飛んで隙間にすっぽりはまりこんでたのですねー!


でもちゃんと浜松インターからでしたよ。

これが仙台南とかだったら大ウソつきでしたけどねー。

くろわっさんがオープンカーをご購入されるということで
おめでとうございます!!

しかし、12万円で買えるオープンカーって・・・
毒ガス攻撃も心配ですが、雨漏りも心配です。



冬のオープンカーにまつわる思い出。

弟の友人の実家が、三重県の尾鷲で釣り船旅館をしているので
弟と遊びに行きました。

大阪からは海沿いにぐるっと高速道路で行くか
山越えをするかです。

通行料を節約したいのと、山道も嫌いじゃないので
山越えルートを選びました。

せっかくのオープンカーのユーノスロードスターなので
屋根を開けていこう! と決めました。

季節は少々寒い12月。

山にさしかかるまでは、お天気も良く爽快でした。

しかし、山道に入るとさすがに冷え込んできます。

弟が言いました。

「にいちゃん、さむい。」

しかしオープンで行く! と決めたことですから。


運転は交代交代でしていましたが、助手席の時がさむい!

運転手はまだ、ハンドルをぐるぐるまわす運動で、
体が温もるんですね。

だんだん雲行きが怪しくなってきました。
雪がちらちら。

おーさむっ!


しかし男が一度きめたことですから。


頭や肩に雪が積もってきます。
てぬぐいでほっかむりして運転しました。

夕方うすぐらくなって、友人の旅館に着いたときには
車もぼくたちも真っ白になっておりました。

出迎えてくれた友人のお母さん(つまり旅館の女将)は
いいました。

「あんたら、アホやな。」

弟よ、すまなんだなあ。


旅館では、かに食い放題、手作りの地酒(密造酒?)飲み放題、
温泉つかりたい放題で歓迎していただきまして、
旅の疲れもすっかりとれてよかったです。

でも、帰りは屋根を閉めて帰りました・・・
 学生時代に「私には双子の姉がいるの」と後輩 言って、後輩からの電話に1、2度姉のふりをしてでたりした。
 もちろん私には双子の姉などおりません。
後輩すまんね
むかし、バレない万引きやりましたね。

お店の前にあるガチャガチャでやったのですが、店員さんに

「お金入れてもガチャガチャ出来ない。」

と言うと、店員さんがお金を入れて確かめます。

もちろん故障はしてないので、商品は出ます。

店員さんは笑顔で

「ハイ、ちゃんと出たよ〜。」

と言って商品を渡してくれました。



これを行ったのは、小三くらいですね。
今考えると心が痛みます(^_^;)

あ、でも15年経ってないから時効になってないや(-.-;)
上の方の逆をやられたことがありますよ。

勤め先の中古車販売展示場にジュースの自動販売機がおいてありまして、お客様から声がかかりました。

「おーい。ジュースがでないよー」

しかしそういわれても販売機は我社の所有物ではなく、管理は管理会社がしてますので鍵をあけてジュースをとりだすわけにもまいりません。

「千円札でいれたのにー」

しょうがないからぼくのポケットゼニーで千円弁償しときました。

管理会社の人がメンテナンスにやってきましたので

「こまりまっせー。千円かえしてやー」

と、文句つけてやりました。ところが

「すんません、ぜんぜんお金はいってまへんけど・・・」

いっばいくわされたです。
おいらが 高校3年の時 自校行ってる時なんだけどさぁ

 仮免前 申し込みして 講習受けたの見てたら

(?-_・)ン? あれ? 

 講習してない・・・・ハンコない・・・・

わっ! やべぇw
 どぉしよぉ!!!!

考えました ない脳みそ使って・・・・・

 造ったねぇ 嘘っこハンコ
 まず 本物の押してあるハンコ 水でぬらす
    そ〜っと白い紙あてて写し取る
    消しゴムに 張る
        失敗・・・・・・彫れない il||li(っω`-。)il||li
 再度 水にぬらす
    白い紙に写す
    裏から 朱肉でなぞる
    それを 押し当てて 写す

 いいじゃん!! わかんないじゃん!!

    イザ 出陣!!

 ばれませんでした・・・が
   もしかしたら 今の免許 これ?
ばれたら? 没収???ですか??? 
犯罪でーす。
有印私文書(公文書?)偽造です。

裏からなぞるのはテクニックが要りますが、
油紙をおしあててこすると
きれいに朱肉がうつりますよ。
色はだいぶ薄くなりますが。

実印なんかもトレースできちゃいます。

ハンコ文化って、危険ですね。
サラリーマン時代、
出張のたび、単独行動なのをいいことによくさぼって遊んでました。

愛知・岐阜方面担当で中古車の買い付けの旅に出ていたのですが、
いちばんお気に入りの、さぼりポイントが
岐阜県のかかみがはら航空宇宙博物館でした。

ここが面白くて毎回行ってましたねー。
下手したら半日くらいいてました。

ただ携帯電話がかかってくると
すぐばれるのです。

となりに航空自衛隊の岐阜基地があって
F15とかが爆音立てて訓練しているのですね。

その爆音たるや電話の声が聞こえないくらい。
気分はトップガン。

「どこいってんねん?」と上司もびっくり。

現地の取引相手のヒコーキ好きにも知られまして、
航空ショーにも誘われました。これも面白かったですね。
商売そっちのけのぼくたちでした。

(今は亡き、ロック岩崎氏のアクロバット飛行もみられました。)
雪が積もった所を大きな足跡に見えるように雪を踏み固めて「大男だ」とクラスを騒がせました。一年生の頃のかわゆいいたずら
叔父さんが玄関をセメントできれいに平らに塗ってました。

乾く前にその上を歩いてしまいまして
ばっちり足跡が残ってしまいました。

小学生のころのおはなし。

(いたずらのつもりではなかったのです。)
お葬式といえば今はたいてい
なんとかホールとか、何とか会館でするように思います。

最近は家族葬用の小さい葬儀場も見かけますが。

自宅葬(こんな言葉あるかわかりませんが)は
少数派なのでは?


ぼくが中学生のころ(昭和60年ごろ)
おばあちゃんがなくなり
自宅で葬儀をしました。

わが親にしても不慣れだったのでしょう、
ドタバタして段取りが悪かったように思います。

病院からご遺体が自宅へ帰ってきて
簡単な祭壇が設置され
喪服をきた親せきやら知らない人がたくさん集まってきて
ぼーさんが来てお経をあげて…というかんじで
進行していったように思います。

途中で父から、ひそかに指令を受けました。

「みんなの食事を用意するの忘れてた。なんか人数分買うてきてくれ。」

今の僕なら、仕出し屋に電話して…とかいろいろ知恵を働かせますが
当時は中学生。

弟と二人で向かったのは
いきつけの「ほっかほっか亭」

今の僕なら、幕の内弁当デラックスあたりにしたと思うのですが、
当時は中学生。

「から揚げ弁当、30個!」

一番好きだったのが、から揚げ弁当だったのです。


かくして、祭壇の前にずらずらと神妙な顔して並んだ黒い集団の前に
ほっかほっか亭のから揚げ弁当が配られたのでした。



後日、父がいいました。

「のり弁当やなくてよかったわ。」
20年以上前ですが
いきなり胴上げ
最初はカ○ネルサンダ○スだったんだけど…
だんだん悪乗りが過ぎて酔っぱらったオジサン達を…
でも、8割がたの人は笑ってくれ、なんなら喜んでくれました
エッホ!エッホ!!
いろんなトピを持ち上げてます。

ぃぇいえ新人として当然(?)のことです(笑)


時効ネタと言う程ではないかもですが……

あれはまだ、おっ が初々しい看護学生の頃でした。そう!!まだまだタマゴだった頃です。


実習中に受け持ちの患者さんの頭を洗うことになりました。
洗い始めるとブクブクブクブク泡がとんでもないことにexclamation & question
その時点では気付きませんでした。

そして流すと、髪の毛がもっすごいキシキシしますexclamation ×2

え〜ぇ〜、頭の良い皆様はお気づきでしょう。
初々しかった、おっ はシャンプーではなくボディソープで洗ってました冷や汗


えっ?もちろん患者さんには内緒でした。




おっ
初々しい看護学生さん。
ほほえましいですねー。

学生時代、看護婦さんのガールフレンドができました。
22歳のふたり。
看護婦さんは寮生活なので門限とか厳しい。
狙い目は夜勤あけ。
早朝、ぼくの学生アパートにやってきてお泊り。
朝のフレンチトーストを作るのはぼくの担当。
目を閉じれば京都は加茂川のせせらぎが聴こえてくる、遥か昔の思い出です。
まだ飲酒運転の取り締まりが厳しくなかったころですが、
けっこう飲んで運転しておりました。

今だからいいますが。(もう時効でしょう)
事故しなくってよかった!

事故はなかったのですが検問で引っかかったことはあります。

「あー、お兄さん、なんかええ匂いしてるなあ〜。
 ちょーっとこっち来てくれるかな〜。」

赤いランプに誘導され路肩で停止させられ、クルマから降りさせられます。
いやーなかんじ。

「飲んできましたね?」

酒の香りを漂わせているのは自覚してますので、
ここは素直に認めます。

「ちょこっとだけ。」
「さ〜、ちょこっとかな〜。測ってみますんでね、この風船ふくらませて下さいねー。」

ぷーと風船を膨らませます。なるべく息を深く吸わないようにして。

「そしたら、この棒で測りますよ〜。0.25ミリを超えたら酒帯運転ってことで
ちょっと具合悪いことになりますなあ〜。」

くそー、びびらせやがって。
しかし当時の僕は、日々の訓練で肝臓を鍛えておりましたので、
大丈夫だろう、という期待もありました。

「ん、ん、ん、0.20? もうちょっといけ、それ、それ」

とお巡りさんが呟いております。

「あー、お兄さん、どのくらい飲んだの?」
「ビールをコップに一杯だけですよ。」
「いや、そんなことないやろー。」
「2杯くらいかな?」
「ビールだけじゃないでしょう?」
「あー焼酎もひとくち飲んだかな?」
「いやーもっと飲んでるでしょう?」
「そんなもんですよ。」
「お兄さんの顔色と匂いはそんなことないんやけどなあ。
 くそー、もう一杯くらい飲んどけばいいのに。ホンマに惜しい!
 あと、ちょっとなんですよ!」

そんなこといわれても知らんがな。
ちゅーか、警官の言うセリフか?

「あー、そしたら誠に残念ですが、結構です。
もう行ってください。」
「運転していっていいんですかねー。」
「置いていかれても駐車違反になりますからね。
 しばらく酔いを醒ましてからいってください。」

はーい。といって3分ほど待ってから運転してその場を去ったのでした。


と思ったら、また次の検問が!
以下くりかえし。


でも飲酒運転はいけませんよ!
今は一切やっておりません。
運転代行屋さんの売り上げに貢献しております。
中学校のときに俺の後輩がやったすごいいたずらを紹介します。
中学のとき超むかつく技術の先生がいて男の先生で学校にエロ本を持ち込むことで有名だった先生だったのでPCの得意な後輩に頼んでPCの授業中に先生のマスターPCにハッキングしてもらい先生のPCにどうどうとエロサイトを映し出しました。あのときの先生のあせった顔は今でも忘れられません。
まあプロジェクターで生徒に説明中だったのでその次の日からその先生学校に出す顔がなくなりましたねw
友人の結婚式の披露宴。
キャンドルサービスのロウソクをビールで湿らすと

あれれ、なかなか火がつかない。

あせる新郎新婦!

ぼくのときはやめてね。
まだ携帯電話がそんなに普及していなかったときの話。

大学の卒業後、毎年、海の日に、学生時代に合宿で利用していた旅館に集まるのが恒例行事でした。
でも、学生時代のように、みんな一斉に集まって、一斉に海で遊ぶというわけにもいかないものです。
みんな仕事を持ってますから、集合もばらばらです。

先に着いたメンバーは海に遊びに行きました。
みんなオッサンですから、(おっ さん じゃないですよ!)泳いだりするのもしんどいので、砂浜でごろごろビールを飲みながらビキニのお姉ちゃんなんかを眺めております。

早く結婚したK君だけは子供相手にいそがしい。

M君がまだ到着していません。
浪人してるので僕たちより少し年上。
ウエイトトレーニングをしてごつい体をしています。
早くから独立開業していて忙しい男なのです。
旅館についても誰もいないけど、
まあ、海まででてくるだろう。

しかし、海の日と言うだけあって、海の中も砂浜の上も人だらけ。
Mくんが僕たちを見つけるのは至難の業だなー。はたして合流できるだろうか?

はじめに書いたように携帯電話はみんな持っていません。
海水浴場なので警備本部みたいなのがあるのですが、
友達の呼び出しなんかは応じてくれません。

ピンポンパンポーンと砂浜のスピーカーがなりました。

「京都からおこしの迷子の●●てつやくん。おとうさんが3番の旗の下で待っていますよー。3番の旗のところにきてくださーい! ピーンポンパンポン。」

●●てつやくんというのは我々のリーダーの名前です。

ピンときました。M君が到着したのですね。

友達呼び出し禁止といわれて苦肉の策で子供にしたのでしょう。

3番の旗にいってみるとはたしてM君が海パン一丁で立っておりました。
たくましい。

その日以来、Mくんのニックネームは「お父さん」です。

でも、まだ独身です。

結婚前に古い写真を整理していて思い出しました!

大学生の時、拳法部に入っていて全国大会に出場したのです。
会場は東京の武道館。
おお、あこがれの武道館。
卒業前に最後の大会を有終の美で締めるはずの武道館。

ところが予選落ちしてしまいました。

実はその日、大阪の高校で後輩だったユキちゃん(仮名)に、連絡を取っておりました。
ユキちゃんは高校卒業後、東京の大学に進学していたのです。ちなみに僕は京都。
久しぶりのユキちゃん。あいかわらずかわゆい。
わざわざ応援に来てくれましたが、予選落ちしてしまったので晴れ舞台を見せれず残念。

でも、せっかく何年振りかに会いましたからねえ。京都の貴船以来です。
武道館を抜け出してデートしました。
皇居なんかをゆっくり歩いてお話をしていました。
そろそろ閉会式という時間までのんびりしてました。

みんなには「どこいっとってん!!」と怒られましたが。
いい思い出です。

セピア色になった写真を見ながら、ユキちゃんがお嫁さんでもよかったなあ・・・って、これがマリッジブルーってやつですかね。
クルマ屋さんに勤めていたころ、スーツを着ておりました。
スーツは店に買いに行かなくても、服屋さんが会社にきてくれました。

営業マンにとってスーツは消耗品ですから、服屋さんには、いいリピート客なのです。
うちの会社の連中は、たいしておしゃれではないので、会社にもってきてくれれば店であれこれ悩まなくて済むのでありがたい。
双方にメリットがあります。

服屋の大森さん(仮名)は、僕の勤めていた会社では有名人で、系列の販売店すべてを網羅しており圧倒的な顧客数を誇っておりました。

大森さんの商売はこんな感じです。

「まいどー。所長! そろそろ冬もんがいりまっしゃろー。ええスーツ入りましたんやー。」

「またラベルだけイタリア製のパッチもんとちゃうやろな。」

「そんな詐欺みたいなことしまっかいな。正真正銘の舶来もんでっせ!」

「どうせ、おととしくらいの長在(長期在庫品)やろ。」

「まあ、そんなんいわんとちょっと着てみてえな。サイズもぴったりあわせてきてまっさかい。」

「こないだの、ちょっと丈短かったで。」

「今度のは長めにしてきましたがな! いやーよう似あう! 男前!」

「まあ、ええわ。なんぼや。」

「ズボンが1本おまけについて1万2千円ですわ。安い!」

「ちょうどにしときや。」

「いやーかないまへんなー! しゃーない、所長のことや〜、負けときましょ! 一万円ポッキリ!」

「今、金ないで。」

「わしと所長の仲でんがな。今度来た時でよろしいわ。ついでにネクタイもどないでっか?」

「いらん。」

「いやいや、そないいわんと! これなんか似あいまんがな!お安く千円ポッキリ!」

「あーほんだらもろとくわ。つけときや。」

「まいど、ほな2本いっときまひょ。おおきに!」

と、こんな感じです。

「そやそや、たっちゃん(僕のこと)、こないだ買うてもろたシャツとジャケット代、なんぼか集金させてもうてええかいな?」

「ええ? 今日ですか?」

「全額とはいわへんがな。2千円だけおくれや?」

「あー、そのくらいやったら。」

「はい、まいどおおきに! ついでにこのコートこうといてや!」

「えー、そんなん着まへんわ!」

「なに、いうてんのや。コートの1着くらい持っとかんとカッコつかへんがな! たっちゃんにようおうてるのん選んだったからな! これでモテモテやで! 支払いはあわてらんでええから! まいど、おおきにー!」

コツはツケで売ることです。そして集金ついでにまた売ることです。
そして、レシートは発行しません。
売掛金は大森さんの頭の中だけで管理されています。
買った方も、あとなんぼ支払いが残っているのか、よくわかりません。
ちょっとづつしか集金しないので、あまり気にならないのです。
そして、ヒマな営業マンと将棋なんかして帰って、身内みたいな錯覚を起させます。

なんとも、ええ加減な商売のようですが、今思えば、理にかなった素晴らしい商法のような気がします。

さて、なぜ時効ネタなのかというと、あと残債がいくらかさっぱりわからないまま退職してしまいまして、もう取り立てもないのでほったらかしにしているからなのでした!

私が高校三年の頃の話しです。私は当時美術部に所属していました。(幽霊部員でしたが)

文化祭では毎年、何かしらの作品を美術部から出展していました。美術部とはいえこれといった人気も無く、ただ仕方無く文化祭に出展している感じで本気にしている部員があまりいませんでした。(私もその一人でした)

しかし、部長だけは違いました。
彼はとても絵が上手く、学校でも評判でした。彼とは一年生から仲が良く、よく喋ったりしてましたし、将来は漫画家になりたいと言ってました


そして文化祭の日、彼の力作がお披露目されました。
その絵は美男美女夫婦の間に赤子がいて、とてもほほ笑ましい家族が描かれていた作品でした。

作品はとても良かったのですが普通の家族像というだけで、インパクトも特にない上に美術部の作品というだけで誰も気に留めませんでした。

そこで彼が他の出店に回っている最中に他の仲間と少しイタズラを仕掛けました(実行犯は私一人でしたが)

彼の力作である家族の絵の赤子のところに「ボ○゙・サップ」の顔だけ切り取った写真を赤子の顔の上にセロハンを使い張りました。

ほほ笑ましい家族の絵が一瞬にしておぞましく残念な絵に変貌したのですから、私以下仲間達は爆笑…

そのうち飽きてきて残念になってしまった絵をそのまま放置して他の出店へ行きました

私の通っていた高校は頭が残念な学校だったので、残念な絵の噂はすぐに広まりました。

「ほほ笑ましい夫婦の間に暗黒肉弾魔神が生まれた絵があると」学校

噂を聞き付け出展場所に戻ってみると結構な人だかりが…絵を見て爆笑する奴もいれば、写メを撮る奴もいます。

インパクトは大きかった様ですが、噂を聞き付けた残念な絵の作者になってしまった彼がダッシュで戻ってきて

「誰やこんなんしたのexclamation」と大激怒

あまりの激高ぶりに言い出しにくくなりましたが、スグにバレました。

何故バレたかと言うと、「ボ○゙・サップ」の写真は週刊ゴング(現在廃刊)から切り撮った物で、当時サップの特集が多かった上、ゴングを愛読してたのは高校の中でも私しかいなかったからです。
(ノ∀`)

とりあえず仲間達と謝りましたが数日間喋ってくれませんでした(笑)

以上、乱文長文失礼しました。
学生時代、和菓子屋さんでアルバイトしていました。

好きな女の子がアルバイトしていたところに、ぼくにも声がかかったので二つ返事で引き受けたのでした。

が、当時あんまり社交的でもなかったぼくは、お店の職人さんたちともあまり打ち解けられず、お目当ての女の子とも仕事中しゃべっているわけにもいかず、仕事内容といえばお菓子を入れる箱を作ったり、米の入った蒸篭を蒸し器に入れたり出したりするばかりで面白くもなく、すぐに嫌になってしまいました。

年の暮が迫ってくると、歳末特別警戒時期ということで、警備会社から現金輸送の警備のアルバイトの話が来ました。

おもしろそう〜

ということで和菓子屋さんを休んで、そちらにいきました。(稼ぎも格段に良かった。)

しかし、和菓子屋さんとしては人手がいる年末のために僕みたいなのでも入れていたわけで、抜けられると非常に困るわけです。
当然、年明けの復職はありませんでした。

当時の僕は、周りの人のことを考えない自分勝手な男だったなあと思います。
経営者の立場になると、和菓子屋の女将さんの気持ちがよくわかるようになりました。

といって、周囲によく気がつく人格者に、今ぼくがなっているかというと、まあ、あいかわらずなところありますね。

いろんな人を困らせたり悲しませたりしながら生きているんだなあ…と反省する日々であります。
小学2年の時に先生の戸棚の扉の奥にカマキリの卵を2個隠しました。
忘れた頃に先生が扉を開けたら小さいカマキリがウヨウヨと脱走してきて黒板の前は子カマキリだらけ…

授業を中断し先生は塵取りとホウキで集めて窓から逃がしてました

私ではないんですが、
知り合いのお兄ちゃんが酔っぱらってカーネルサンダースさんをお店から連れてきてしまったそうな……。
そのまま置いてくるにも顔がバレてしまう…っということで、近くの公園の公衆電話から………

「もしもし、わしじゃ。
ちょっと道に迷ったんで、○○公園まで迎えに来てくれんか??」っと電話したそうです。

翌日その公園を通ったら連れて帰られていたらしいですよ(笑)

今はあんまりなんですが、小学生のころ僕の親戚はすごく仲が良くて、一族が年に何度も集まって、お食事会をしたり旅行に行ったりしていました。

おばあちゃんが元気なころでした。

ある年、琵琶湖がよく見える大きなホテルに、みんなで泊まりました。

プールで遊んで、琵琶湖畔を散歩して、温泉に入って、お食事会があって、その後、大人たちは部屋で宴会です。

子供たちはホテル内を探検していて廊下にピーナッツやらのおつまみの自動販売機をみつけました。

おじさんに報告すると、豆買ってきてくれ、といわれまして、小銭を渡されました。

もらったお金を自動販売機に入れてボタンを押すと、ガコンと音がして下の方の商品取り出し口に豆の入った袋が落ちてきました。

袋をとりだそうと下からのぞきこむと、奥にもうひとつ引っかかっています。

おや?

ひっぱるともう一つ出てきました。

そしてその奥には次の袋が見えています。

おやおや?

ひっぱると、それも取れました。

おやおやおや?

次から次へとでてきます。

怖くなっておじさんに報告に行くと、

「そりゃサービスや。出るだけ取ってこい!」

大好きなおじさんがいうんだから間違いありません。

自動販売機が空っぽになるまで取ってきました。

うーん、がんばってええことした!




もう時効です。



学生時代の拳法部の仲間たちと新年会。
みんな四十のおっさんです。
新婚の僕は妻を伴っての参加です。

学生時代の話に花が咲き、そこでみんなが思いだした時効ネタ。

「新入部員の時、先輩やと思って敬語使ってたら、そのまま騙しとったやろ!」

すっかり忘れておりました。

高校の時から拳法をしていた僕は、入学式の日にすぐ拳法部に入部届けを出しました。
2年生の先輩たちは新入部員の確保を厳命されていましたので初日から一人釣れて大喜び。

「すばらしい! では君も我々と一緒に、新入生たちに拳法の素晴らしさを説いて、入部を勧めるのに協力してくれたまえ!」

先輩たちは飯はおごってくれるし、やさしいし、すっかり調子に乗った僕は、先輩面して新入生たちに声を掛けまくっていたのです。

体験入部の際も、すでに黒帯だった僕は教える側です。
新入生どもはすっかり僕を先輩だと勘違いしていたのでした。

しかし、調子に乗っておれたのも部員がそろうまで。
ある程度の人数が確保されたところで最初の合宿です。

そして、先輩方も豹変。

「おう、お前ら! お客様扱いは昨日までやぞ!!」

ひえー。あとは黒帯もへったくれも関係ありません。
合宿所の殺風景な一回生部屋に放り込まれ、奴隷のように調教されたのでした。

「あれ! お前、おなじ新入部員やったの!」
「えへへ。そうでしたー。敬語使わんでええよ。」
「当り前じゃ、ぼけー!!」

かくして、先輩だけでなく、同輩たちからもしばきあげられたのでした。

青春の思い出だなあ〜。

妻は呆れていましたが。
上記解説

当時、わが大学の武道系クラブといえば、4回生は神様、3回生が人間、1回生は奴隷で2回生が奴隷頭みたいなもんでした。
一つ学年が違えばまるきり扱いが違っておったのです。
それまでの経験だとか、出身校だとか、国籍や実年齢もまるきり関係ございませんで、まったくの年功序列社会でした。
入部後の戦績なども考慮されず下剋上もなく、よい時代でした。
近頃、飼い犬といえば、ちゃんと種類の名前が付いているわんこちゃんが多いように思いますが、ぼくが子どものころ犬というのは拾ってくるもので、なんたら犬という名前はあんまり付いていなくて、ひとくくりに「雑種」と呼ばれていたような気がします。

ぼくが中学生の時、小学生の弟が子犬をもらってきました。捨て犬ではありませんが血統書は付いておりません。

母が「ジロ」と名付けました。「タロ」がいないのになぜ「ジロ」?

「ジロってかんじがするやろう?」

 ぼくにはその感覚がよくわかりませんでしたが、ともかく子犬はジロと呼ばれるようになりました。
南極物語の映画がヒットしておりましたので、そこから取ったのかもしれません。

兄弟がもう一人増えたようなもので、毎日学校から帰るのが楽しみでした。散歩に行けば一時間でも二時間でも歩きました。子犬はうれしいとはしゃぎまわります。走り回ってしっぽをぶんぶん振り回して、ワンキャン言っていると思っていたら、コテンと寝てしまう。

川をたどって海まで探検していたらジロの方が先にばててしまって、抱いて帰ってきたこともありました。

ジロがふにゃふにゃと寝言を言うと、弟は、お母さんや兄弟が恋しいのかなあといいました。

大きくなってくると、ジロはぼくのよいトレーニング相手になりました。散歩じゃなくて全力疾走です。ご存じだとは思いますが犬の全力疾走についていくの大変ですよ。この時期、ぼくの運動能力は大幅に向上しました。

ジロも筋肉隆々になってたくましい犬になりました。変に自信がついたのかけんかっ早くなり、相手が子猫だろうと容赦なく、だいぶ犠牲が出ました。しつけが悪かったなあと思います。

猫だろうが客だろうがお構いなしのジロでしたが、ひとり苦手な人がおりました。

ばあちゃんです。

ばあちゃんがほうきを持って庭に出ると、サッと犬小屋の中に潜り込みます。

ほうきでぶったたかれたことがあるので学習したのですね。しつけには体罰も有効だなあと学んだのでした。

筋肉隆々のジロでしたが、ばあちゃん以外にもかなわないものがあらわれました。フィラリアです。

フィラリアというのは血管の中に巣くう寄生虫です。当時あんまり予防注射だなんだといってなかったので、感染してしまったのです。

フィラリアはどんどん成長し、増殖し、心臓の中まで入り込みます。苦しくて暴れまわり、壁に頭をぶつけてもがくようになりました。

一日中ぐったりしているか暴れているかです。点滴の注射を打ちになんどか動物病院に行きましたが、治る見込みはないといわれました。

このまま苦しめるより楽にしてあげた方がいい。

点滴の注射ではなく、安楽死の注射を打ってもらいました。

ジロは動かなくなり、固く冷たくなりました。病気の臭さは今でも覚えています。

また、二人兄弟になりました。


弟はいま、二児のパパになり、また子犬を飼っています。もらいもんの雑種じゃなくて、キャンキャンうるさいなんとかいう犬です。子供たちにとってはいい兄弟でしょう。

ぼくはながらく動物は飼っていませんが、妻の実家にオウムがいます。今度、おかあさんが留守をするときうちにつれて来るそうです。

なんどか会っていますが僕を見るとトサカを逆立てて怒ります。

ジロのように仲良くなれるかなあ?
時効ネタっていうわけではないのですが、本篇の早苗さんの卒業式で思い出した話。

その前に被災地のみなさん、がんばってください!
関西より応援しております。


さて、20年前の大学生時代、ゼミの合宿がありました。
ゼミには大塩ねえさんと呼ばれている先輩がいました。

いつもシックな黒っぽいいでたちで、育ちの良さそうな落ち着いた上品な人です。
いつもニコッと笑顔であいさつしてくれるのですが、あまり話したことはありません。
美人でスタイルも良く、普段から、えーなあーと思っておりました。

合宿所は京都は大原三千院の辺りにありまして、学校よりずいぶん山を上がっていくところです。

「クルマで分乗して行こう!」という話になりました。

で、クルマを持っているという数名の中のひとりが大塩ねえさんです。

「では、つぎ、大塩さんのクルマに乗りたい人は?」

「はい!」と手を挙げる僕です。

「では、大塩さんのクルマはたっちゃんで決定! ひとりしか同乗できないそうなので、二人きりのドライブです。えーなあー!」

やった! と思いつつ二人乗りのクルマ? って、ちょっと疑問。でも、まあ、いいや!

さて、合宿当日、集合場所は上賀茂神社駐車場です。

ゼミのメンバーがポロポロ集まってきました。
車組もやってきます。パルサーだとか、カローラ?だとか、まあ、学生がバイトして、中古車でやっと手に入れたっていうようなクルマですね。

さて、大塩ねえさんはどんな車? 父上に買ってもらったBMWとかかなあ? うきうき。

おおかたメンバーもそろってきたかという時、突如、ガオオーン!! という爆音が!
上賀茂神社の霊験あらたかな空気を切り裂いてギャギャッとやってきたのは、真っ赤なスターレット!
かっとびスターレットです!

「おまたせ!」

と現れたのはTシャツにジーンズの、大塩ねえさんじゃありませんか!

「はい、たっちゃんどうぞ!」

助手席に招かれます。

ビックリしながらも席につき、後ろを見ると、後ろにはシートが無い!
その代わり、ぶっといロールバーが空間を占めております。

「ちょっと乗り心地悪いけどがまんしてね!」
「はっ、はいっ!」

そしてベルトは4点式シートベルト。完全に固定されます。

全員揃ったところで仲良く出発!

走りだしてすぐ、カチッ、スパ〜と煙草を吸い出す大塩ねえさん。
煙たくてごめんね〜と窓を開けてくれる大塩ねえさん。

どう話を切り出せばよいのか、あっけにとられている僕。

しばらく走れば山道です。
ワインディングロードです。
ねえさん本領発揮です。
俄然スピードが上がります。
ガオーン! ガコ。
ガオーン! ガコ。
(シフトチェンジを頻繁にする音)

ギャギャギャー!!

タイヤがえらい音です。
というか、横滑りしてます。
バックミラーに土煙がたなびいております。

他の方々ははるか後方、さっぱりみえません。

「ははっ、みんな元気が足りないねっ!」

まだ免許証を持たない頃の僕。
友人のRZ-1を無免許で走らせて、このあたりまで来た覚えはありますが、景色が違いますぜ、イエーイ!
顔が引きつっているのが自分でもわかります。

ダントツぶっちぎりの一位で合宿所に到着!!

っていうか競争でした?

ますます大塩ねえさんに憧れを抱いたぼくなのでした。
新築の学校に入学するという経験はなかなか味わえないと思いますが、まったく幸運なことに、出来立てほやほやの小学校に新一年生として入学することができました。

二年生より上のお兄さんお姉さんは近くの、生徒のあふれた、古い小学校からの転入です。

団塊の世代ジュニアということで子供の数が多い世代でした。

小学校は出来立てほやほやというか、まだできあがっておりません。入学式のときは校庭にブルドーザーが走っておりました。

幼稚園が古い木造で、ウサギがいたり鯉がいたりで温かみがありましたので、鉄筋コンクリートの出来立ての校舎は冷たい感じがしたものです。

第一日目から担任の先生に頭をはたかれました。持物を教室の後ろの棚に置いておくという指示を守らなかったとのことでしたが、そんな指示はまったく記憶になく、おそらくうわのそらで、聞いちゃおらんかったのでしょう。

えーん、ごめんなさい、といいながらも納得しておりませんでした。

いまだに納得できません。

生徒が指示を聞いていなかったのは、指示を聞いてなかった生徒が悪いんじゃなく、指示を伝えきれていない先生が悪いのです。

僕が先生なら反省します。

そういうわけでこの担任の先生は僕の心の圏内に入ることはなく、どんな顔だったか、どんな先生だったか、さっぱり覚えておりません。
生まれて一週間の赤ちゃんをお風呂に入れてあげております。

洗面所の流しのところに、マットみたいなのをいれると、たちまち赤ちゃんのお風呂になるんですね。

いやー便利な世の中になったなあ。

昔、僕が幼少のころは、こんなに流し台はしっかりしておりませんでした。

陶器の流しが壁から生えていて、下にホースが伸びているような構造です。

幼い僕は、足台に乗って背伸びをして手を洗っておりました。

うーんと伸びないと届きません。

あるとき僕は考えました。

上に乗ってみたら楽チンでは?

うんしょ、よいしょ。

やーのれたのれた。

流しのふちにうんこすわりして手を洗おうとしたら、

パッコーン!

なんと流しが壁から外れてしまいました。

落っこちた僕の上に降り注ぐ滝のような水!

蛇口ごと外れたので、もう止まりません。

幼かったのでその後の記憶がありませんが、親は困ったやろうなあ〜。

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