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SGIコミュの女子部・婦人部合同協議会での名誉会長のスピーチ

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女子部・婦人部合同協議会での名誉会長のスピーチ〔上〕


◆◆◆ 創価のスクラム!
    伸び伸びと楽しく女子部の新時代を!!

◆◆◆ 〔心〕を変えるのが仏法

    ── 自分勝手は無軌道に よき友と希望の道を進め

◆◆≪御聖訓≫「さいわいは心よりいでて我をかざる」


【名誉会長のスピーチ】

一、きょうは、女子部の代表の皆さんが集って、ひと足早く、春を呼ぶ会合となった。
 いつもいつも、本当にありがとう!心から、ご苦労さまと申し上げたい(大拍手)。
 また、ブラジルSGI(創価学会インタナショナル)の指導者の皆さま方も、遠くから、本当によく来られた。
 ブラジルは、偉大な歴史をつくり上げてこられた。世界広宣流布の「模範の中の模範」の前進を讃えたい(大拍手)。
 帰られたら、皆さまにくれぐれもよろしくお伝えください。


◆◆ 皆、世界一の若き哲学者

    ── 青年部教学試験1級、頑張れ!


◆教学で立て

 一、「女子部は教学で立て」とは永遠の指針である。
 今、女子部をはじめ、世界一の若き哲学者の皆さんが、「青年部教学試験1級」に向けて、真剣に研鑚されている。
 受験者も、それを応援する方々も、多忙ななかの尊い求道、本当にご苦労さまです。
 すべてが自身の最高の宝となることを、どうか確信してください。
 あと、もう一踏ん張りである。「体に気をつけて、最後まで頑張れ!」と皆でエールを送りたい(大拍手)。
 今回の出題範囲の一つは、「観心本尊抄」である。この重書(じゅうしょ)を日蓮大聖人がお認(したた)めになられたのは、流罪の地・佐渡であった。
 しかも、御年52歳。当時とすれば、大変な高齢であられた。
 最も厳しい状況のなかで、全人類が幸福になるための根本の軌道を、厳然と示していかれたのである。
 御本仏の大闘争をしのび、勇敢に信・行・学に励んでいきたい。

◆女子部を応援!

 一、これからは、女子部の時代である。一段と力を入れてまいりたい。もう一度、本格的に訓練し、新しい女子部をつくっていきたい。
 どんな団体も、女性を大事にし、育てたところには、永続的な発展の道が開けていく。
 学会の将来も、女子部で決まる。
 女子部の成長が、学会の発展に直結している。
 どうすれば女子部が拡大し、心広々と、伸び伸びと活動できるか。
 真剣に探究し、実行する時代に入った。
 仮にも女子部を見くだし、軽く扱うことがあってはならない。男性や婦人部に挟まれて、肩身の狭い思いをさせてはいけない。最大に励まし、ほめたたえ、自信をもって進めるよう、各部が一体となって、応援していくべきである。

◆創価の道をまっすぐに

 一、長い人生の経験の上から、女子部の皆さんの将来のために、大事な話をしておきたい。
 結婚したら幸せで、結婚しないと不幸なのか。
 結婚が早い人は幸せで、結婚が遅いと不幸なのか。
 そうではない。人生は、そう簡単ではない。
 複雑であり、非常に微妙なものだ。
 きょうまで幸せだった人が、明日は不幸の底に落ちるかもしれない。
 きょうまで不幸だった人が、明日は一挙に運命が開ける場合もある。
 また、外からは幸せな境遇に見えて、じつは不幸に泣いている人がいる。
 外からは不幸な境遇に見えても、生き生きと充実の人生を生きる人がいる。
 結局、幸福を決めるのは「心」である。
これは唯心論(ゆいしんろん)を言うのではない。
 わが心こそ、仏界の生命がそなわる宝の器(うつわ)である。信行に励み、この仏界の生命を湧き出してこそ、生涯にわたって確実な幸福の軌道を歩み、所願満足の人生を飾ることができる。
 日蓮大聖人は「さいわい(福)は心よりいでて我をかざる」(御書1492ページ)と仰せである。
 皆さまは、この正しき人生を歩んでいただきたい。
 そのためには、学会という清浄な信心の世界を、まっすぐに進んでいくことだ。
 御義口伝には、こう仰せである。
 「南無妙法蓮華経と唱える日蓮の一門は、一同に『皆、共に宝処(ほうしょ)に至る』のである。この『共』の一字は、日蓮と『共』に進む時は必ず宝処に至る。『共』に進まないならば阿鼻大城(あびだいじょう=無間地獄)に堕ちるということである」(同734ページ、通解)
 わが創価学会は、日蓮大聖人の仰せの通りに「信・行・学」に励み、御聖訓の通りに「三障四魔」「三類の強敵」と戦っている。
 そして御聖訓の通りに「異体同心」の和合僧で、広宣流布へ「勇猛精進」している。
 ゆえに、この仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の創価学会とともに生き抜くことこそが、すなわち、日蓮大聖人とともに宝処へ至る、唯一無二の道なのである。

◆「真の幸福者はよき友を持つ人」

 一、具体的には、女子部の皆さんは、よき先輩、よき友人を持つことである。そして、何でも、心おきなく相談していくことだ。よき人と離れてしまってはいけない。
 一人で問題を抱えたり、自分勝手になって、道を間違えてはいけない。
 悪友に染まれば、自分も悪へと堕ちていく。
 善友に縁すれば、自分も善の方向へ伸びていくことができる。
 これが人間の世界であり、数多くの人生を見てきた私の結論である。
 結婚についても、決してあせる必要はない。
 結婚するかしないか、いくつで結婚するか ── それらは、永遠の生命の次元から見れば、じつは小さいことだ。それで、人生のすべてが決まってしまうのではない。
 一生懸命に、この信心を貫けば、幸福にならないわけがない。
 女子部の皆さんは、安心して、この創価の道を、希望と勇気にあふれて進んでいただきたい。
 そして、婦人部・壮年部の先輩方は、誠実に、親身になって、女子部の皆さんの人生の相談にも乗り、全力で応援していただきたいのである。

 一、かけがえのない青春である。
 一生の幸福の土台をつくる、大切な時である。
 よき師を求め、よき先輩から学び、よき同志と励まし合い、よき後輩を育てていくことだ。
 そして、父母を大切にしていただきたい。
 私は、女子部の皆さんに、「ウクライナのソクラテス」と呼ばれた大哲学者・スコヴォロダの言葉を贈りたい。
 「私は、裕福な人たちを哀れむ。
 彼らが、自らの欲するものを手に入れるなら、それもよかろう。
 しかし、真の幸福者は、友を持つ者であり、私に友人がいるならば、私は自身を最大の果報者であると思うのだ」
 「真実の哲学」を持ち、「真実の同志」とともに、「真実の友情」を広げゆかれる創価の乙女たちこそ、いかなる富豪よりも、いかなる権力者よりも、「真実の幸福の大道」を歩んでいるのである。


◆◆◆ 師弟の人生に栄光

   ── 創価のジャンヌ・ダルク 多田時子さん

   ── 生き生きと生涯青春! 「毎日毎日、発心だ」


◆最も大変な時に女子部が立った

 一、きょうは、女子部の皆さんの大先輩であり、信仰者としての模範を示した、一人の同志のお話をさせていただきたい。
 多田時子(ただときこ)さんである(旧姓=湊〔みなと〕)。
  ── それは、戸田先生が逝去された1カ月後のことである。
 多田さんは、1958年(昭和33年)の5月3日、女子部長に就任した。
 当時、心ない世間は、「創価学会は空中分解するだろう」「壊滅するだろう」などと悪口を繰り返していた。
 全国の同志たちも意気消沈し、不安を抱いていた。
 その、最も大変な、最も大事な時に、多田さんは、私とともに厳然と立ち上がった。
 暗闇を豁然(かつぜん)と破って、朝日が昇りゆくように、女子部の行進を開始したのである。
 いつも背筋を伸ばして正義を叫び、師弟の道を語り、後継の育成を訴える、その英姿は、まさに「創価のジャンヌ・ダルク」であった。
 多田さんが生まれたのは、大正から昭和へと、時代が変化する転換期である。〈1925年(大正14年)10月>
 9人きょうだいの末っ子であった。
 銀行の支店長をしていた父は、多田さんが幼い時に他界。以来、一家は貧乏のどん底に落ちる。家屋敷も失った。
 そのうえ、彼女は病弱であった。結核をはじめ、胃や腎臓や肝臓に、いくつも病気をかかえていた。
 高等女学校に入ったが、3年で中退。
 さらに、残酷な戦争が、青春をめちゃくちゃにした。

◆「暗」から「明」へ

 一、食糧難。経済苦。病苦。そして、地獄のような空襲 ── 。
 「きょうも生きている。よくぞ生きのびることができた」
 「生きていること自体が不思議に思えるほど」の日々だったと、のちに多田さんは綴っている。
 なんとか生き残って、敗戦を迎えた。しかし今度は、柱と頼み、心の支えとしてきた最愛の母を、病気で亡くした。
 母を頼りに生きていた多田さんは、希望を失った。
  ── どうして、こんなに苦しまなければいけないのか。
 人間は、苦しむために生まれてきたのか。
 次々と襲いかかる宿命に、なすすべもなく翻弄(ほんろう)され、若き多感な乙女は、いつしか人生に深く絶望していった。
 「道端に捨てられた、ボロ雑巾のような人生」とまで卑下(ひげ)していた。
 そうしたなか、職場の先輩に誘われて、東京・大田区の蒲田(かまた)で、座談会に参加したのである。
 「だれでも必ず幸福になれる」という確信ある話と、皆が同じ目的を目指して生き生きと行動している姿に、強く心を動かされたという。
 51年(昭和26年)の8月に入会。戸田先生が第2代会長に就任された年である。
 多田さんは26歳。宿命を転換するための、出発の夏であった。
 彼女が間借りしていた小さな部屋に、御本尊を御安置するため、女子部の班長だった私の妻も駆けつけた。
 年齢は多田さんのほうが上であったが、妻は多田さんを包みこむように励まし、親切に、また丁寧に、信心の基本を教えていった。
 この同志愛を、多田さんは生涯の誇りとし、人生の宝としていかれたようだ。
 仏法と出あい、学会と巡りあって、多田さんの人生は、文字通り「暗(あん)」から「明(めい)」へ、180度、変わった。
 それまで床に臥しがちだった体も、目に見えて健康になっていった。
 光を見いだせなかった人生に、生きる希望の灯がともった。勇気が湧いてきた。
 信心に確信を持った彼女は、真剣に学会活動に励んだ。
 戸田先生が手作りで育てた女子部の人材グループ「華陽会(かようかい)」の一員にもなった。
 戸田先生は、両親に先立たれ、生活苦のなか健気(けなげ)に戦う彼女を、陰に陽に温かく見守っていかれた。
 そして先生は私に、多田さんを女子部の立派なリーダーに育てるよう、託されたのである。
 ある時、私は多田さんに言った。
 「毎日毎日が発心なんだ。日ごとに発心していくんだよ」
 有名な御聖訓に、「月月・日日につよ(強)り給へ・すこしもたゆ(撓)む心あらば魔たよりをうべし」(御書1190ページ)とある。
 「日ごとに発心せよ」 ── この言葉を、彼女は終生、胸に刻んで進んだ。

◆率先の行動が人材を育てる

 一、彼女は、堂々たる「女子部革命」を成し遂げていった。
 女子部長を務めた5年間で、全国の女子部の陣容を「5万5千」から「40万」へ、実に7倍以上に拡大したのである。
 その躍進を可能にした要因は何か。
 彼女は凛然(りんぜん)と語っていた。
 「弟子の道に徹すること ── 組織の発展の因も、一生成仏の因も、すべて、この一点に尽きます」と。
 「師弟不二の信心」こそ広布発展の因である。
 また、彼女は「率先の行動」が光っていた。
 “だれかにやってもらおう、という依存心があれば、人間は育たない。自分自身が懸命に戦い抜いていくとき、人材は湧き出てくる”というのが、彼女の信条であった。
 その勇気と執念が、広宣流布の未来を開く「戦う女子部」を構築していったのである。

◆人とくらべるな自分が強くなれ

 一、また彼女は、寸暇を惜しんで家庭訪問と個人指導に励んだ。
 人一倍、苦労してきたからこそ、彼女の話は、皆の心に入った。
 「だれかと自分を比較したり、人を羨んではいけない」
 「慢心を起こしたり、心を複雑にしないこと」
 「自分自身を律する、強い生命力を!」
 一人ひとりの悩みの核心をとらえ、聡明な対話を広げていった。
 多田さんは68年(昭和43年)に婦人部長となった。
 新出発に際して、私は「婦人部は“生涯青春”でいこう」と呼びかけた。
 その通りに彼女は、生き生きと若々しく、常に次の人材に光を当てながら、新たな時代を創っていった。
 今も歌い継がれている愛唱歌「今日も元気で」が生まれたのも、彼女が婦人部長の時である。
 婦人部長を終えた後は、推薦を受けて政界に打って出た。
 「女性の時代』の先駆者として、衆議院議員を1期、立派に務めている。
 そして、議員を引退するや、再び、喜び勇んで、学会の最前線に躍り出て、さっそうと戦い抜いた。
 わが身をなげうって支援してくださった方々に、誠心誠意、ご恩返しをしていくのだ ── この報恩感謝の心が、彼女の胸の内には常に燃えていた。
 総合婦人部長として、多くの方々の激励・指導に尽くした功労も光っている。
 〈97年の全国女子部幹会では「学会が発展すればするほど、魔は強くなります。この魔と戦って、勝たなければ、今日までの信心は何のためかと思う時、断じて先生とともに、生涯、広宣流布の大道を生きぬこうと、今、決意を新たにしています」「自ら戦うとともに、一人一人の友を激励していただきたい」「創価学会を女子部の力で支え、発展させていただきたいと思います」とあいさつしている〉
 さらに後年(こうねん)は、第2総東京を担当し、今日の大発展の基盤を築き上げた。
 それは、大空を真っ赤に染め抜く夕陽のような、荘厳な総仕上げの戦いとなった。
 病魔との戦いは生涯続いたが、「病気のおかげで、真剣に戦える」と、明るく跳ね返していった。
 皆の前では、つらそうな様子は一切、見せなかった。そういう人だった。
 若き日の病弱な彼女を知る人は、“よくぞ75歳まで生き抜いた”と感嘆している。まさに「更賜寿命(きょうしじゅみょう)」の仏法の法理のままに生き抜いた。
 どうすれば、広宣流布を進められるか。
 どうすれば、学会を永遠に守り、発展させていけるか。
 真剣な彼女の思いは、強盛な彼女の祈りは、ただ、その一点にあった。
 人生の目的、判断の基準を、常に「広宣流布」「創価学会」そして「師弟」に定めていた。ゆえに、何があっても揺るがなかった。
 彼女には、心の老いがなかった。年齢を重ねるごとに、ますます若々しく、凛々(りり)しく輝いていった。


◆◆ 創価の姫よ三世に光れ

   ── 嵐を突き抜けてこそ「喜び」が!


◆「十」を目指して

 一、あるとき彼女が、自分は「九」の数字が好きだと言っていたことが忘れられない。
 「『十』に一つ足りない」ところが好きなのだという。
 だから「十」を目指して努力する。そこに成長があり、希望があり、勝利があると思う、と。
 にこやかに語っていた、あの凛(りん)とした声が、今も耳朶(じだ)に響く。
 「前進」の気概に満ちた一生を送った彼女に、いかにもふさわしい言葉である。

 一、病気との戦いを続ける多田さんと、夫である多田省吾さんに、私は歌を贈った。

 晴ればれと
  夫妻の偉業は
    三世まで
  栄光 燦(さん)と
      世界に光らむ

 多田時子さんが膵臓(すいぞう)ガンで亡くなられたのは、それから4カ月後の2000年12月2日であった。
 そのとき私は、マレーシアにいた。
 国立プトラ大学の名誉博士号の授与式やマハティール首相との会見などの日程を終えた私のもとに、彼女の訃報(ふほう)が伝えられた。
 そして、彼女の最後の手紙が、ファクスで、海を越えて届いた。
 「創価学会創立七十周年の佳節(かせつ)を、心より御祝賀申し上げます。
 池田先生、御奥様の御健康と御長寿を、衷心(ちゅうしん)よりお祝い申し上げます。
 私こと、おかげさまで、入信以来、五十年。
 池田先生、御奥様の無限の御慈悲に包まれまして、弟子の道の一分を、歩み抜かせていただきました。
 稀有(けう)の大師匠にめぐり会えました福運により、黄金の人生を、そして望外(ぼうがい)の至福(しふく)の人生を、歩ませていただきました。
 この御高恩に対し、永遠に生死生死を繰り返しながら、必ずや、広布のお役に立ち、御深恩(ごじんおん)にお応え申し上げる決意でございます。
 文は意を尽くさず、誠に申し訳ございませんが、一言、御礼を申し述べさせていただきました。
 心より、心より、感謝申し上げ、厚く、厚く、重ねて御礼申し上げます。
 池田先生、御奥様の愈々(いよいよ)の御健康と、御長寿を衷心よりお祈り申し上げ、また創価学会の永久の御発展を、強くお祈り申し上げます。
       多田時子」
 これは、多田さんが亡くなる2週間ほど前に残された遺言である。
 病院のベッドの上で居住まいを正して口述し、夫の省吾さんが書き留めた。それを、さらに数日かけて推敲(すいこう)を重ねたという。
 そして、末尾に自筆で署名して完成したのが、2000年の11月18日。
 創価学会創立70周年の記念日であった。
 訃報に接し、妻がすぐさま、マレーシアから弔電を打たせていただいた。
 美しき感謝の心と、永遠の闘争への決意に溢れた彼女の最期の言葉を、私はマレーシアの宿舎の御宝前にお供えし、妻と二人で懇ろに追善の題目を送った。
 まっすぐな人生だった。
 戦い抜いた人生だった。
 澄み切った、清々(すがすが)しい人生だった。
 葬儀に参列した婦人部の方は、「まるで、ちょっと休んでいるような、本当に美しいお顔でした」と感動していた。
 私たち夫婦の不二の同志である多田さんが逝(ゆ)いて、今年は7回忌である。
 参議院議員を務めた夫の省吾さんは、今も学会活動に勇んで励み、意気軒高に戦っておられる。
 多田時子さんが、わが子のように、そしてまた、わが妹のように慈しんで育てた後輩たちは、現在の婦人部を立派に担っておられる。
 そしてそのあとには、素晴らしき21世紀の女子部がさっそうと続き、創立80周年への大行進を開始している。

◆「人間の中に幸福を引き出す力が」

 一、ウクライナの女性の大詩人・ウクラインカの詩を、女子部の皆さん方に贈りたい。
 「荒れ狂う嵐の中で生きたことのない人は、喜びも知らない
  無為に生きることの苦しみも知らない
  いかに、うらやましいことか
  戦いに、わが身を捧げている人たちが!」
 真の「幸福」は「充実」から生まれる。試練の嵐にも胸を張って、戦いゆく人生にこそ、真の喜びがある。
 ウクラインカは、毅然と言い切っている。
 「苦悩が心に激しい打撃を与え、力尽きんとするその時、
  魂が苦しみを打ち破り、夢から目を覚ます
  魂は、あらゆる障害を打ち砕く」
 どんなに苦しいことがあっても、絶対に負けない力が、わが生命の奥には秘められている。
 その魂の真髄の力を最高最大に引き出していくのが、信仰である。妙法である。
 ウクライナの大哲学者・スコヴォロダも論じている。
 「人間の奥底(おくそこ)には、人間が成長するための内なる法則が存在する。
 だから、まず何よりも、自分自身を見つけ出さなければならない」
 「人間は、自分自身との闘いを始めるべきだ。なぜなら、人間の中には、至高の幸福を引き出す力が秘められているからだ。
 人間の精神の道は、人間の中に秘められた不可思議な力を勝利させることである」
 世界の偉大なる知性の正義の叫びは、皆、創価の「人間革命」の思想と深く共鳴している。
 学会は正しい。学会活動は、絶対に正しいのである。
 きょうの集いは、「21世紀華陽会」である。
 女子部の皆さまに記念の和歌を贈りたい。

 幸福と
  勝利の城の
    誓いかな
  華陽の姫らは
   三世に光りて

                 (下に続く)

コメント(1)

女子部・婦人部合同協議会での名誉会長のスピーチ〔下〕


◆◆◆ わが胸中に希望の太陽を

◆◆◆ 信心強き人が幸福

      ── 自分らしく! 粘り強く! 最後に勝て!

      ── 「今日は新しく生まれ変わる好機(チャンス)」


【名誉会長のスピーチ】

 一、今、世界中で、人と人を結び、社会に信頼と友情を広げゆく希望の座談会が活発に繰り広げられている。先日もうれしいニュースが届いた。
 それは、SGI(創価学会インタナショナル)のロシア語の公認通訳である江口満(えぐちみつる)さんからの報告である。
 江口さんは、関西創価学園、創価大学を卒業。哲学博士号を持つ最優秀の方である。
 彼女の報告によると、ヨーロッパの美しき「平和の先進国」ウクライナでも、わがSGIの座談会が初めて開催されたというのである(大拍手)。〈2月5日と同11日の2回〉
 ウクライナは、ロシア連邦の西隣にあり、南端には黒海(こっかい)が広がる。
 南部のクリミア半島は、世界的な保養地としても有名である。

◆小さな集いに大きな歴史が

 一、現在、首都キエフ在住のメンバーは5人。
 座談会は、マイナス20度以下の厳寒のなか、メンバーと2人の友人も参加して、首都キエフで、はつらつと行われた。
 小さな集いのようであるが、まことに大きな歴史である。
 釈尊も、「鹿野苑(ろくやおん)」において法を説き始めたときは、5人との語らいから出発した。
 日蓮大聖人は、広宣流布の方程式として、「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし」(御書1360ページ)と仰せである。
 「一人」が大切なのである。万波(ばんぱ)の勢いも「一人」からである。
 ウクライナSGIの中心者は、創価大学大学院を修了した小林宏紀(ひろき)君である。私が「名誉博士号」を拝受した「キエフ国立貿易経済大学」で、日本語を教えている教育者である。
 世界中で創価同窓の友が、社会のため、人々の幸福のために、わが使命の道を厳然と切り開いている。これほど、うれしいことはない。
 「いつも本当にご苦労さま!ありがとう!」と、この場を借りて、心から讃嘆申し上げたい(大拍手)。


◆◆ 「一人を大切に」「一人から万波が」

     ── 世界中で人間共和の“ザダンカイ”


◆女性が活躍!

 一、このウクライナSGIでも、女性の活躍が光っている。
 キエフ在住の5人のメンバーのうち4人が女性である。それぞれ、グラフィックデザイナー、翻訳家、舞台美術専門家、大学教員として、社会の第一線で素晴らしい貢献をされている。
 そして、この4人の女性に仏法を語り、入会に導いたのも、イタリア、フランス、日本の女子部、婦人部の方々なのである。
 まさに、世界中いたるところで、創価の女性の幸福と平和のスクラムが広がっている。
 ウクライナの座談会では、有名な「日女御前御返事(にちにょごぜごへんじ)」の一節を拝読し、学び合ったと、うかがった。
 「此の御本尊全く余所(よそ)に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持(たも)ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都(くしきしんのうしんにょのみやこ)とは申すなり」(同1244ページ)
 この究極の「生命尊厳」の法理が、今、地球上のすみずみで、学ばれ、実践されている。
 日蓮大聖人の御聖誕の日である「2月16日」を、広宣流布の拡大の見事な上げ潮のなかで迎えることができ、これほどの喜びはない。
 ウクライナといえば、コステンコ駐日大使ご夫妻とは、私も何度もお会いし、交友を結ばせていただいている。
 コステンコ大使邸は、信濃町の学会本部の近くにあり、ご夫妻はSGIの思想を深く理解してくださっている。
 ある時は、学会本部に喜々として集い来る学会員の姿が、じつに生き生きとしていて素晴らしい! ── とご夫妻で口をそろえて語ってくださっていた。不思議な縁のお二人であられる。
 〈コステンコ大使はこうも語っている。
 「じつは私たち夫婦は、“幸運の星”のもとに生まれてきたのではないかと思っています。それは……池田先生のすぐ、お近くに住むという幸運です!」
 「近い将来、池田会長、奥様にわが国をぜひご訪問いただき、ウクライナ国民がお二人に抱いている深い尊敬の気持ちに直接ふれていただけるよう念願いたします」
 また、リュドミラ大使夫人も次のように。
 「現代の世界に、哲学者と呼ばれる人たちは、たくさんいます。しかし、池田先生ほど、人類の一番、基礎的な価値である『女性』と『子ども』と『家庭』に光を当てた哲学者を、私は知りません。これは驚きです!池田先生が、家庭や女性について語っているのは、単なる哲学ではない。『人々を幸福にするための』信仰だと思います。
 先生の本を読んで、私は、この地球上に先生のような方がいらっしゃって本当に良かったと思いました」〉

◆女子は門を開く

 一、日蓮大聖人は、御書のなかで、「男女はきらふべからず」(1360ページ)と述べられ、仏法を弘めゆくうえで男女は一切平等であると宣言しておられる。
 700年以上前の時代に、本当にすごいことである。
 大聖人は女性の門下を最大に大切にされた。激励の御手紙も、多数、認(したた)められている。
 学会も、女性を大切にしてきたから、ここまで発展した。婦人部・女子部の皆さまが頑張ってくださったから、世界的に発展したのである。
 このことを絶対に忘れてはならない。
 大聖人は、門下の四条金吾に娘が生まれたことを喜ばれ、「春の野に華(はな)の開けるが如し」(御書ll10ページ)と仰せである。一家にあって、娘は、まさしく「春の華」のような存在であるといってよい。
 学会にあっても、女子部の皆さんが朗らかで、生き生きと輝いていれば、皆、大きな希望をもって前進していける。全体が明るく躍動していく。
 また大聖人は、「女子は門を開く」(同1566ページ、通解)とも仰せである。
 女性の活躍が、学会の永遠の「発展の門」を開いていく。「希望の門」を開いていくのである。
 深い使命をもった皆さまである。女子部は全員が尊き宝の存在である。
 婦人部をはじめ先輩方は、この女子部の友を、大切に育てていただきたい。

◆師を守り抜いた

 一、私は今、20年先、30年先、50年先のことを考え、さまざまな構想を進めている。
 アメリカ創価大学などの教育機関の充実をはじめ、各国のSGIの発展など、その構想は多岐(たき)に及んでいる。先の先を考えている。
 私は、戸田先生の時代から、わが身のすべてをなげうって、師匠のため、学会のために働いてきた。戦い抜いてきた。
 先生を不当に中傷する者がいれば、ただちに反論した。その非を認めさせるまで、正々堂々と、言論で戦った。
 最初は批判していた相手が、あとになって、“戸田城聖は、こんなに立派な青年を育てているのか。創価学会は伸びるな”と言っていたこともあった。
 先生が事業で失敗し、莫大な借金を抱えたときも、私は一人、猛然と働いて先生を守り抜いた。死力を尽くし、支え抜いた。借金も、すべて返した。
 戸田先生は、一面では本当に怖い、厳愛の師匠だった。
 弟子を甘やかさない。簡単にほめることなどない。しかし、勇敢なる言論で悪を打ち破った時には、「大作、悪いな。疲れているのに」と、ねぎらってくださった。周囲に対しては、「大作を見ろ!」と叱り飛ばした。
 先生との師弟の共戦には、本当の人間劇場のドラマがあった。思い出は深い。
 厳しい、鋭い人物眼を持った先生が、私を心から信頼してくださった。そして、「第3代会長を守れば、学会は発展する」と遺言されたのである。
 これまでも、口先で偉そうなことを言う人間は大勢いた。学会利用の卑しい人間も、たくさん見てきた。
 しかし私は、事実として学会のために、一切を捧げてきた。戸田先生が亡くなられた後も、残された先生のご家族をお守りした。あらゆる攻撃を受けながら、世界広布の道を開いた。
 私自身のことではあるが、後世のために、言い残しておきたい。

 一、リーダーは、どこまでも会員一人ひとりを大事にしていくことだ。
深い慈悲をもって接していくことだ。
 皆のために尽くすのが、リーダーである。組織の上に乗っかって、偉ぶったり、号令だけかけるような人間を許してはならない。
 広宣流布のために尽くして迫害され、弾圧された。牢獄へ行った ── これが学会の三代の会長である。
 それを、自分は一切、難を受けることもなく、偉ぶって、同志を苦しめる ── そうした幹部が出たとすれば、それは“魔物”である。恐ろしいことである。そうした人間に対しては、女性が声をあげ、断固として戦ってもらいたい。


◆◆◆ 青春の労苦は最高の宝!

◆◆ 理想へ闘ったナイチンゲールと弟子たち

◆≪教え子たちの心≫

    ── 偉大な師と歩む人生は世間の誰よりも幸せです


◆師弟の前進

 一、戸田先生は、女子部に対して、よくナイチンゲールの話をされた。
 きょうも、「白樺グループ」の代表が出席されている。
 感謝を込めて、少々、ナイチンゲールとその弟子の話をさせていただきたい(大拍手)。
 ナイチンゲールが始めた看護の近代化という改革を現場で実践し、広げていったのは、ナイチンゲールの教え子たちであった。その多くは、比較的恵まれた家庭に育った女性であった。
 今と違って、看護の仕事が極めて低く見られていた時代である。
 しかし、彼女たちは、ナイチンゲールの理想に共鳴し、ナイチンゲールが創立した看護学校に、勇んで志願し、看護の世界に飛び込んでいったのである。
 師であるナイチンゲールと同じく、当初、彼女たちには、高慢で偏見に満ちた人間からのいやがらせや圧迫が絶えなかった。彼女たちは一つ つ、ナイチンゲールに報告した。
 ナイチンゲールもまた、大切な教え子たちに、励ましやアドバイスを惜しまなかった。
 彼女たちは、ナイチンゲールに見守られるなか、希望に燃えて、誠実に、粘り強く、看護の改革を成し遂げていったのである。

◆私は絶望しない

 一、教え子の一人は、ナイチンゲールに、こう手紙を書き送っている。
 「難儀なことはいっぱい、いろいろとありますが、けっして絶望はしません」「世間のどんな人と比べてみても、今の私はしあわせなように思っています」(Z・コープ著・三輪卓爾訳『ナイチンゲールと六人の弟子』医学書院。以下、引用は同書から)
 偉大な師の弟子として、尊き信念に生き抜く青春は、いかに苦労が多くとも、何ものにもかえがたい喜びと誇りにあふれていた。

◆先輩は後輩を大切に!

 一、ナイチンゲールのもとで訓練を受けた教え子たちの姿は、周囲にすがすがしい感動を広げた。
 教え子たちを讃える手紙や声は、師であるナイチンゲールのもとにも寄せられた。
 「(あなたの弟子の一人は)あなたのお名まえで知られている管理システムの実践を真剣に心がけておられる」
 「(最初、あなたの教え子たちを迎えて看護の改革を行うことに、病院内では)反対の声をあげるむきもありましたが、今では改善を進めるために仲よく協力してゆく気持ちに変わってきていると思っています」等々。
 一人の女性が光れば、すべてが変わっていく。
 うれしいことに、私のもとにも、連日、女子部の方々の素晴らしい人柄と振る舞いに、感嘆の声が寄せられている。
 さらにまた、ナイチンゲールへの手紙の中には、教え子たちを非難し、排除しようとして騒いだ人間が、もともと「騒動を起こすくせのある人物」であり、「信頼のおける見解の持ち主でない」こと、そしてまた、教え子の「すぐれた性格を理解する能力がない連中」にすぎないと見破った公正な声も綴られていた。
 ナイチンゲールの弟子たちは、互いに麗(うるわ)しく励まし合った。
 けなげに頑張っている仲間や、病に苦しむ仲間などがいれば、その様子を、師であるナイチンゲールに報告し合った。
 また、先盟が後輩を大切にした。
 ある先輩は、一人の後輩を讃えて、ナイチンゲールにこう書き送っている。
 「(後輩が)いてくれたのは大きなプラスになりました。頭も気だてもよくて明るいと、あんなに三拍子そろった人は、まずこれまで見たことがありません」
 大きな心で後輩を讃えていける人が、人間としても、先輩としても立派なのである。

◆「あの先輩がいたからこそ」

 一、ナイチンゲールの一人の弟子が、看護の現場で、理想と現実のギャップに悩み、くじけそうになったことがある。
 しかし、彼女は再び立ち上がった。真剣に奮闘する先輩の姿に心を打たれたからである。
 その後輩は、ナイチンゲールに勇んで書き綴っている。
 「(私は)きっぱり看護婦の仕事をやめてしまう気になっていた矢先に、(先輩の)プリングルさんの病棟に転勤になったのです。
 ここでは万事違っていました。私は彼女を自分のお手本にしました」
 「(彼女には)うわべだけの奉仕は見られません。プリングルさんには自己本位のところがなく、あるのは周到なまでの良心だけ、この人の病棟には外科医も看護助手も患者も見習い生も、すべての人を彼女が引き上げているという一種のムードがありました。
 彼女の経験の前には外科医さえ、患者についての助言を求めるほどでした。
 そこで私も永久にこの仕事をつづけたい、と思いなおしたのです」
 わが女子部の創価姉妹の世界も、麗しい友情と励ましと触発に満ちあふれている。

◆土台を築く今が一番大切な時!

 一、御聖訓には、「たとえ、ふがいない者であっても、助ける者が強ければ倒れない。少し強い者でも、独りであれば、悪い道では倒れてしまう」(御書1468ページ、通解)と仰せである。
 そして「仏に成る道は、善知識にまさるものはない」(同ページ、通解)と結論されている。
 どうか、女子部の皆さん方も、互いに最高の「善知識」となって、先輩は後輩を慈しみ、後輩は良き先輩に何でも相談しながら、異体同心の理想の前進を進めていっていただきたい。
 ここで、ナイチンゲールの言葉を贈りたい。
 「後半生に向かってその土台を築きつつある今こそ、私たちの人生にとってまさにいちばん大切な時なのです」(湯槇ます・小玉香津子・薄井坦子・鳥海美恵子・小南吉彦訳「看護婦と見習生への書簡」、『ナイチンゲール著作集第3巻』所収、現代社)
 そして、ナイチンゲールは断言している。
 「この世界をも変えることのできるもの、それはあくまで自分が模範を示すことなのです」(同)すべてが、自分自身の「人間革命」から始まる。
 人がどうあれ、周りがどうあれ、自分自身が、生き生きと、伸び伸びと、さわやかに成長していけば、そこから、一切は開けていくのである。


◆◆ 人材を見つけよう!

◆≪モンゴメリ≫「どんな人にも必ず良い所があるわ」


◆「開かれた心」で

 一、先日、ボストン21世紀センターのヨコタ代表が、カナダのプリンス・エドワード島大学で学長を務めたエリザベス・エパリー博士から寄せられた声を、報告してくれた。
 エパリー博士は、小説『赤毛のアン』で有名な女性作家であるモンゴメリ研究の第一人者で、モンゴメリ研究所の創設者であられる。
 博士は、物語の主人公の「アン」について、こう語っておられた。
 「アンは、すべての人から、それぞれが持つ最良の価値を引き出すことのできる“開かれた心”を持っていました。
 その“開かれた心”ゆえに、人々の“閉ざされた心”を開くことができたのです。
 ゆえに、池田SGI会長が言われるように“開かれた心”による“開かれた対話”こそが、大切なのです」
 では、『赤毛のアン』の物語が、なぜ、世界の多くの人々に愛され、今なお読み継がれているのか。
 博士は、その理由を、こう洞察しておられた。
 「それは、物語の中に『希望』というメッセージがあるからです。
 そして、その『希望』とは、“何があっても希望を失わない”という意味の希望です。
 その意味で、人生に失望するということは、大きな“悪”であるとさえ言えるのです。
 希望とは、“心の闇”と戦い続けることでもあるのです」
 そして、博士は、こうした洞察を通して、「『赤毛のアン』をはじめとするモンゴメリの作品の底流にある思想は、実は大変に仏法的なのです」とも、述べておられたという。
 まさしく、仏法は「希望の哲学」であり、「幸福の哲学」である。
 わが女子部は、この究極の“希望の炎”を赤々と燃え上がらせながら、「アン」のごとく朗らかに、そして愉快に、新たな友情と対話の輪を広げていっていただきたい。


◆◆◆ 〔女性の声〕に勝るものなし

◆≪モンゴメリ≫「私の何かが不正に黙っていられない」


◆「とことんまで私は闘う!」

 一、ところで、モンゴメリの著書を発刊していた出版社が、彼女を欺(あざむ)き、その作品によって不当な利益を得ようとしたことがあった。
 出版社側は、著書の出版をめぐる契約について不当な主張を行い、それを承諾しなければ裁判に訴えると脅しをかけてきた。
 裁判には、多大な費用がかかる。こうして脅せは、モンゴメリは引き下がるだろう ── その本質には、女性を見下した傲慢があったに違いない。
 しかし、不正な要求と権利の侵害に対して、モンゴメリは決然と立ち上がる。
 法廷では、相手が卑劣な嘘の証言を行ったこともあった。しかし、彼女は断固として「真実」を訴え、困難な法廷闘争を戦い抜いた。
 モンゴメリは綴っている。
 「わたしのなかの何かが、不正とごまかしに対し黙ってはいられない」(メアリー・ルビオ、エリザヘスウォーターストーン著、槙朝子訳『〈赤毛のアン〉の素顔L・M・モンゴメリー』ほるぷ出版)
 「わたしは闘争心を盛り上けて、彼らのおどしなどには目もくれず、とことんまで闘う決意をしたのです」
 「降参するつもりなど全くありませんでした」
 「わたしたちは前進を続けたのです」
 「わたしは真実を話していましたし、恐れずに話しましたので、彼はわたしに打ち勝つことはできなかったのです」(宮武潤三・宮武順子共訳『モンゴメリ書簡集1』篠崎書林)
 闘争は、およそ10年間にわたり、断続的に続いた。そして、悪質な脅しや、卑劣な嘘の証言をはね返して、見事、勝利の判決を勝ち取ったのである。
 不正や嘘に対して、黙っていてはいけない。女性だからといって遠慮する必要はない。
 大切なのは、勇気をもって戦うことだ。正義の声をあけることだ。それが、時代を変える原動力となるのである。

◆本当の幸福とは

 一、ここで、モンゴメリの著作から、わが女子部の皆さま方に、幾つかの箴言(しんげん)を贈りたい。
 彼女は、ある小説で登場人物に語らせている。
 「私は地位も富も権力も手に入れた。だがね、そんなの成功とは言えないんだよ」「どれもこれも、大きな子供の玩具だよ。そんなものでは、魂は満たされない」(いぬいななこ訳「帰郷」、『時の果実』所収、篠崎書林)
 地位や富や権力は、はかない。簡単に消えてしまうものである。また、これらを手にしたからといって、本当の幸福を得られるとは限らない。
 むしろ、虚栄や虚飾(きょしょく)にとらわれて、不幸の人生へと落ちていく場合もある。信頼できる友人もなく、さびしい人生を送る人もいる。

 一、御聖訓には、厳然と仰せである。
「蔵の財(たから)よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(御書l173ページ)
 もちろん、豊かになり、社会的に活躍していくことも重要であろう。しかし、何よりも大切なのは「心」である。そして「信心」である。
 大聖人は、「ただ心こそ大切なれ」(同1192ページ)と仰せである。
 どんな立場になっても、友のため、人々の幸福のため、広宣流布のために生き抜いていく。
 何があっても、学会とともに、同志とともに歩み抜いていく。
 そう決めて進む「心」に、無量の福徳が薫(かお)っていくのである。幸福の人生が爛漫(らんまん)と花開いていくのである。

◆包容力ある人に

 一、また、モンゴメリは綴っている。
 「どんな人の人生にも憂欝(ゆううつ)と落胆の日々があるだろう。そんなとき、人生の何もかもがつまらなく思えるのだ。
 晴れ渡った日にも雲はある。けれど、いつでも空に太陽があるということを忘れてはいけない」(桂宥子訳『モンゴメリ日記愛、その光と影』立風書房)
 「冬のあとには、私たちを悲しませない次の人生の春がくる」(同)
 最高の青春の道を歩みゆく皆さんは、わが胸中に妙法という「希望の太陽」が、厳然と輝いていることを忘れてはならない。
 必ず「希望の春」が来ることを忘れてはならない。
 モンゴメリは、こうも記している。
 「これまでわたしが経験した困難や、いろいろな事に際して徹底的に苦痛を味わったおかげで、他の人々の失敗や苦闘や試練に対して、(中略)ずっと思いやりを持つようになりました」(前掲『モンゴメリ書簡集1』)
 今は、苦労も多いかもしれない。思い通りにならないことばかりかもしれない。
 しかし、若き日の苦労は最高の宝である。すべてが、自分を強く、大きくする糧となっていく。
 多くの人々を包み込んでいくための力となっていく。
 また、必ず、そうしていけるのが仏法である。

◆長所を伸ばす

 一、さらに彼女は小説のなかで、主人公のアンに、こう語らせている。
 「どんな子にも何かしらいいところがあるのよ」「教師のつとめは、その長所を見つけて、伸ばしてあげることよ」(松本侑子訳『アンの青春』集英社)
 人材育成において大切なのは、一人ひとりの長所を見つけ、それをほめ讃えていくことだ。伸ばしていくことである。
 『アンの青春』のなかで、アンが歌う詩の一節に、こうあった。
 「朝ごとに、すべては新しく始まり
  朝ごとに、世界は新しく生まれ変わる」(同)
 また、この詩の続きには、「今日は新しく生まれ変わる好機」とある(同、訳注から)。
 どうか皆さまは、同志とともに、一日また一日、生まれ変わっていくように、新鮮な息吹で前進していただきたい。
 人と比較する必要はない。あくまでも、自分らしく、粘り強く進めばよい。
 また、途中の姿で一喜一憂することはない。最後に勝てばよいのである。そして、絶対に勝っていけるのが、妙法である。

 一、大聖人は仰せである。
 「(法華経の行者が)法華経を受持する所を『当詣道場』(とうけいどうじょう=道場〈悟りの場所〉に至ること)というのである。この娑婆世界を去って、極楽浄土等の他の国土へ行くことではない」(御書781ページ、通解)
 仏法では「本有常住常寂光土(ほんぬじょうじゅう・じょうじゃっこうど)」と説く。
 今いる使命の舞台で、最高の勝利者となり、最高の幸福者となっていくことができる。そして、一家も、地域も、すべてを生き生きと変革していけるのである。
 幸福は、自分自身で決まる。自分の心で決まる。
 強い心を持てば、景色が一変する。何を見ても違って見える。強くあることが幸福なのだ。
 何ものにも侵されない強い生命へと磨き抜き、鍛え抜いていくのが、この信心なのである。

◆わが生命に幸福の宮殿が

 一、まもなく、待望の「創価女子会館」が信濃町に誕生する。会館の壮麗な全容も見え始めた。
 このほど、女子部の皆さまの強い要請にこたえて、私の妻が、同会館の「名誉館長」に就任することが決まった(大拍手)。
 わが女子部の新たな宝城(ほうじょう)の誕生を、私も妻も、何よりも楽しみにしている。皆さんが思う存分に活動できるよう、私たち夫婦は、これからも全力で応援していく決意である。
 御義口伝には、「南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり」(同787ページ)と説かれている。
 妙法を唱え、広宣流布に生きゆくことは、わが生命に、また友の生命に、金剛不壊(こんごうふえ)の「幸福の宮殿」を輝かせていくことである。
 どうか、希望あふれる女子会館の建設の槌音(つちおと)とともに、はつらつと、堂々と、わが宮殿を荘厳していってもらいたい。
 ともあれ、女子部の輝かしき朗らかな前進が、確かなる広宣流布の前進だ。
 わが女子部の皆さんは、全員が一人ももれなく、「健康博士」たれ!
 「幸福博士」たれ!「勝利博士」たれ! ── 妻とともに、そう心から念願して、記念のスピーチとさせていただきたい。
 どうかお父さん、お母さんにも、よろしくお伝えください!
 きょうは、本当にありがとう!(大拍手)

           (2006・2・14)

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