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SGIコミュの代表幹部研修会での名誉会長のスピーチ 〜海外在住の同志のために〜

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代表幹部研修会での名誉会長のスピーチ?


――前進! 前進! 幸福の大道を――

◆◆◆仏法は「進まざるは退転」と

――信心とは行動 そこに勝利と生きがいが!――

◆◆◆戸田先生 生命力があれば“楽しい世界”に変わる

 創立75周年記念の幹部特別研修会に続いて、代表幹部研修会が15日から行われ、池田名誉会長がスピーチした。


【名誉会長のスピーチ】

                   ◇

 一、広宣流布の黄金の歴史をつくる毎日の大闘争、本当にご苦労さま! ありがとう!(大拍手)
 民衆の魂を揺り動かした中国の革命作家・魯迅は言った。
 「目的はただ一つしかない――前進することだ」(松枝茂夫訳「門外文談」、『魯迅選集第11巻』所収、岩波書店)
 「前進!」――本当にいい言葉である。
 戸田先生が、最後に叫ばれたのも、「追撃の手をゆるめるな!」。
 我ら青年に「前進!」と託された。
 世界的な哲人も、「前進!」と叫んだ。
 有名な指導者たちも、「前進!」と呼びかけた。
 何より日蓮大聖人が、「前進!」また「前進!」の御一生であられた。「日蓮一度もしりぞく心なし」(御書1224?)と仰せの通りであった。
 陣税と社会を勝ち抜いた賢者は皆、「前進しているかどうか」――その一点を厳しく見つめた。
 「進まざるは退転」である。ここに信心の急所がある。
 信心をするということは、すなわち、広宣流布へ前進すること、行動することなのである。
 創価学会は、法のため、人のため、社会のために、前進しているから、功徳がある。喜びがある。生きがいがある。
 前進するから、勝利する。幸福になるのだ。
 いくら暇があっても、信心の活動を避けて、安逸に流されてしまえば、幸福の道はない。人間として堕落してしまう。堕落には幸福はない。

◆創価家族一体で

 一、男性も女性も、年配者も、あらゆる民衆が、手を携え、生き生きと輝く世界を――その理想を高らかに謳いあげたのが、アメリカ・ルネサンスの詩人ホイットマンであった。
 彼の描いた夢を現実にしているのが、我ら創価の前進である。
 ホイットマンは謳う。
 「おお汝、若きまた年上の娘よ! おお汝、母達と妻達よ! / 汝結束して動く隊伍の中で、汝は決して分離してはいけない。 / 開拓者よ! おお開拓者よ!」(白鳥省吾訳『ホイットマン詩集』彌生書房)
 太陽の光を浴びて、新しい世界に向かって、開拓者たちは進む。私たちにとって、太陽は御本尊である。妙法の光のもとで、皆が“創価家族”として、希望の新大地を目指して戦っていく。壮年部だけとか、青年部だけではない。“家族一体”となって戦う。
 それでこそ、詩人の歌に呼応して、勝利のリズムを奏でていける。
 ホイットマンは、こう語りかける。
 「若い者は美しい――しかも老いたる者は若い者より更に美しい」(同)
 これぞ詩人の偉大なる眼である。
 尊き多宝会の友に、皆で拍手を送りたい。心からの感謝と賞賛を込めて!(大拍手)
 学会活動のなかで、私は、いつも、しみじみ思う。60代、70代のご婦人が健闘されている姿は、本当に美しい。
 仏法から見れば、信心している人は、皆、妙法の当体である。御書に「貴賎上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり」(1304?)と仰せの通りである。
 広布へ戦う多宝会の皆さまの姿を、大聖人がご覧になられたならば、美しく、神々しく、見えるにちがいない(大拍手)。


◆◆皆で感謝を! 大喝采を!

◆◆◆多宝の友は神々しい!!

◆◆アメリカの詩人ホイットマン 若い人は美しい。しかも老いたる人は更に美しい


◆自分自身に生き抜け!

 一、過去を礼賛する人がいる。外観や表面だけを見る人がいる。人間を政治的に、集団としてしか見ない人がいる。
 しかし――ホイットマンは言う。
 「自分自身であることに、人間の偉大なる誇りがある」(長沼重隆訳「ホイットマン詩集」白鳳社)
 その通りである。
 自分は他人にはなれない。自分自身の中に、自分自身の生き方があり、使命がある。果たすべき仕事がある。
 仏法という宇宙の法則も、自分自身の生命の中にあるのだ。
 その自分自身を革命させ、向上させていくことだ。そこに勝利の歴史は生まれる。
 一、フランスの哲学者パスカルは、鋭い警句を残している。
 「死ぬときはひとりだ。だから、人は、自分がひとりであるように行動しなければならない。そんなときに、豪壮な大邸宅を建てたりするなどするだろうか。ためらうことなく、真理を求めるにちがいない」(田辺保訳「パンセ?」、『パスカル著作集?』所収、教文館)
 死という厳粛な事実を前にしたならば、どんな大邸宅も、むなしい。正しい人生であったかどうかを、振り返らざるを得ないであろう。
 要は自分自身に生き抜くことである。

◆信心は一切の勝利のエンジン

 一、私と妻は、すべての同志の「健康勝利の前進」を、毎日、真剣に祈っている。
 なかには、病と懸命に闘っておられる方もいらっしゃるだろう。
 しかし、病気だから不幸なのではない。病気だから立ち上がれないということはない。
 妙法を持った人間が、不幸になるわけがない。
 スイスの哲学者ヒルティは言う。
 「病気は、より高い人生の階段を登ってゆく通路にすぎない」(斎藤栄治訳「病める魂」、『ヒルティ著作集第8巻』所収、白水社)
 病気をした人は、その分、人のことを思いやれる。慈愛が深まる。
 病気は、いろいろなことを教えてくれる。
 死を見つめたり、生きる意味を考えたり、人生のかけがえのなさが見えてくるものだ。
 すべて、より高い人生の頂へと登っていくための通路なのだ。教科書なのである。
 いわんや、妙法を根本にすれば、一切が「幸福のエネルギー」となり、「向上の糧」となっていくのである。
 戸田先生は、大確信をもって言われた。
 「(御本尊の利益は)生命力が絶対的に旺盛になるということである。生命力が旺盛であれば、悩みだ、苦しみだ、貧乏だなどと、いろいろな愚痴をいう世界が、明るい楽しい世界に変わる」
「題目の力は偉大である。苦しい業を感ずる生命が、あたかも美しい花園に遊ぶがごとき、安らかな夢のごとき状態に変化するのである」
 苦しい時こそ題目。行き詰ったら題目だ。
 題目をあげれば、生命力がわく。勇気がわく。状況も変えていける。
 信心は、一切の勝利のエンジンなのである。

(2005・8・15)

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代表幹部研修会での名誉会長のスピーチ?


――御聖訓「大難を喜べ 強き信心で進め」 忍耐なくして勝利なし!――

――毎日、他者のために働く皆さんこそ、真の英雄!――

◆◆◆近代看護の母ナイチンゲール 「宗教的な深みのない生活は薄っぺら」


【名誉会長のスピーチ】

 一、近代看護の母、・ナイチンゲールは、後輩たちに呼びかけた。
 ―― 日々、戦力を尽くす「英雄」であれ!
 すぐには、そうなれないかもしれない。しかし、日ごとに、一歩一歩、それに近づくことはできるはずです―― と。
 ナイチンゲールは、さらに言う。
 「もし英雄というものが、他者のために崇高なことを行う人をさすのであれば」「毎日を他者のために働いている看護婦は、まさしく皆英雄となりうるのです」(湯槇ます監修・藤井担子他編訳『ナイチンゲール著作集第3巻』現代社)
 だから、そのために、ベストを尽くせ! 一日一日を充実させよ!
 「自分は、どうであったか」と、きょうも、あすも、問いかけよ。
 私自身、ずっと、そうやってきたのです――。
 ナイチンゲールの言葉は、温かい励ましに充ちている。
 本当の英雄は、悩める人、苦しんでいる友のために、日夜、奮闘している皆さんである。
 「他者の奉仕する人」こそ英雄なのである。
 婦人部の白樺会、女子部の白樺グループをはじめ、創価班、牙城会、白蓮グループなど同志のために献身的に尽くしてくださる「広布の英雄」の皆さまに、私は、この席を借りて、「いつもありがとう!」「本当にお世話になります!」と心から感謝申し上げたい(大拍手)。
 一、日々の生活は現実との格闘であろう。その中に「喜び」や「感動」を見いだす力―― それが宗教であり、祈りである。ナイチンゲールは綴る。
 「宗教的な深みのない生活は薄っぺらなものです」(前掲書)
 宗教のない生活は、薄っぺらな、動物的な生になってしまうものだ。
 価値ある人生を生きるうえで、大事なのは宗教なかんずく仏法である。

◆庶民の味方に! そのために戦え

 一、戸田先生は叫ばれた。
 「貧乏人と病人を救うのが本当の宗教だ。本当の仏教だ。
 学会は庶民の味方である。不幸な人の味方なのだ。学会は、いかにののしられ、嘲笑されようとも、その人たちのために戦う。仏の目から見るならば、最高に崇高なことなのである」
 これが不滅の学会精神である。
 これが真実の仏法の魂である。
 だからこそ、我らは、「日本の柱」「世界の希望」として、民衆の幸福と平和へ大行進してまいりたい(大拍手)。
 一、青く澄んだカリブ海の真珠キューバ。
 「独立の父」と仰がれるホセ・マルティは、ラテン・アメリカに、ひときわ輝く言論人であり、不屈の革命家である。
 独立への道のりは険しかった。投獄。追放。革命は一進一退。マルティは同志に訴えた。
 「忍耐は勝つためのひとつの方法です」(神代修訳『キューバ革命思想の基盤』理論社)
 壁にぶつかった時、忍耐があるか、ないか。
 忍耐がないところに勝利はない。
 一、正義だからこそ、迫害される。これが歴史の常である。
 いわんや、「正義の中の正義」である広宣流布には、必ず厳しい障魔が競う。
 日蓮大聖人は、御歳40歳の時、伊豆流罪の直前に、こう仰せである。
 「大難が来たならば、強盛の信心で、いよいよ喜んでいくべきである。
 火に薪を加えるのに、もえさからないことがあろうか。大海には、多くの河が流れこむ。しかし、大海は河の水を返すことがあろうか。
 法華大海の行者には、多くの大難の河の水が流れこむが、押し返したり、とがめ立てすることはない。
 多くの河の水が入ってこなければ、大海はない。大難がなければ、法華経の行者ではないのである」(御書1448?、通解)
 非常に深い御文である。
 難があるから、仏になれる。何ものにも壊されない、永遠の幸福を築くことができる。これほどうれしいことはない。
 難があればあるほど、信心の炎を燃え立たせていくのだ。
 襲いかかる難を勝ち越える時、大海のごとき、悠然たる大境涯の自分になるのである。
 一、邪悪な国家権力と戦い抜いて、牧口先生は獄死された。
 生きて出獄した戸田先生は叫ばれた。
 「おれは必ず仇を討つ! 絶対に、牧口先生を死に至らしめた連中に鉄槌を下す!」
 戸田先生の誓い。
 それは、民衆を苦しめる魔性との、決然たる闘争宣言であった。
 戸田先生は、男らしく戦った。師弟の「不二の心」を燃やして。
 その魂のバトンを継いで、我らは戦う。
 勇気と慈悲の「言論の剣」で、正義の勝利を打ち立てるのだ。
 一、ドイツの哲学者・フィヒテは言う。
 「悪魔が善を憎むのは、妬みからなのであります」(量義治訳「幸いなる生への導き」、『フィヒテ全集第15巻』所収、哲書房)
 学会に対する中傷も、全部、嫉妬からである。
 やきもちからである。
 戸田先生は「女のやきもちはたいしたことはないが、男のやきもちは怖い」と言われていた。
 同志のお陰で偉くなりながら、欲に狂って反逆した悪人の本性も、嫉妬である。皆さまがよく知っておられる通りだ。

◆悪を放置するな

 一、古代ギリシャの教育者・イソクラテスは、言い残した。
 「もし邪悪な人間にその徴があったならば、市民の誰かに不正をはたらく前に、これを懲らすのが最上である」(小池澄夫訳『イソクラテス弁論集2』京都大学学術出版会)
 結局、嫌な思いをするのは市民である。真面目な民衆である。
 悪い人間を放置してはならない。悪の芽は、ただちに断ち切る。この強さがなければならない。
 一、スイスの思想家・ヒルティは警告する。
 「悪いものは絶対に読んではならない。悪いものを『研究』すると、人間の持っているよい精神がだんだん死滅してゆく」(国松孝二訳「読書について」、『ヒルティ著作集第8巻』所収、白水社)
 悪書を読むな!―― 戸田先生が亡くなる直前まで、厳しく言われていたことである。
 青年でありながら、低俗な週刊誌などを見ていたら、先生から怒られた。叱り飛ばされた。
 「くだらない雑誌なんか読んで、面白がっているようで、どうする!」
 「そんなものを読むと、目が腐るぞ!」
 そこまで厳しく言われたのである。
 たとえ、いい人であっても、悪書に毒され、悪人に染まれば、正しい道を踏みはずしてしまう。
 絶対に、悪知識を寄せつけてはいけない。
 どうか皆さまは、毀誉褒貶など歯牙にもかけない、正しき指導者、信心強き指導者になっていただきたい(大拍手)。

(2005・8・15)
代表幹部研修会での名誉会長のスピーチ?


――民衆の時代を開くのは今! 君よ「正義」の旗を振れ――

◆◆◆悔いを残すな! 立つべき時に立て!

――師弟こそ広宣流布の魂――


【名誉会長のスピーチ】

 一、「軍(いくさ)には大将軍を魂とす大将軍をく(臆)しぬれば歩兵(つわもの)臆病なり」(御書1219?)
 心に刻むべき有名な御聖訓である。
 リーダーが勇気をもって打って出るのだ。
 勇気は勇気を呼ぶ。
 一波が万波となって、怒涛のごとく、勝利の大波がわき起こる。
 大事なことは、まず、リーダー自身が人間革命することである。
 きょうも前へ!
 明日も前へ!
 何があっても前へ!
 それに徹した人だけが、晴れ晴れと、自分自身の栄光のゴールに到達できるのである。
 ナイチンゲールは喝破した。
 「進歩のない組織でもちこたえるものはない」(湯槇ます監修・薄井担子他編訳『ナイチンゲール著作集第2巻』現代社)
 彼女自身、よき看護師を育成するために、組織改革に情熱を注いだ。
 進歩のない組織では勝てない。それでは、もたない。滅びていく。
 組織が滅びるのは、人間が滅びるからである。
 団体も、人も、常に進歩してこそ、激動の社会を勝ち越えていける。今こそ、リーダー革命を起してまいりたい(大拍手)。


◆◆諸葛孔明は重臣に厳しかった 「利己主義」や「権威主義」「忘恩」「邪悪」「怠惰」を糾弾


◆青年よ伸びゆけ

 一、『三国志』の名宰相・諸葛孔明の英知に学びたい。
 戸田先生は孔明のことを高く評価されていた。私は先生の言われたことを書きとめておいた。一つ一つが、勝利の鍵であり、未来への戒めであった。
 孔明は、リーダーは皆と苦楽をともにせよ、わが子のごとく大切にするのだと教えている。
 堕落したリーダーには厳しかった。
 味方を大混乱させた重臣のことを、次のように指摘している。
 “絶対に、こんな人間になってはいけない”という例といえよう。
 「〔己の〕家の繁栄だけを考え、少しばかりの利益を計り、立身出世による名誉や名声を求めるだけ」
 「身に過ぎた恩恵を賜りながら、忠義を尽くして報恩することなどは考えず、〔それどころか〕身勝手ないつわりは限りがなく」
 「人を導いては邪悪なことに誘い込む」
 孔明は、このまま放っておけば、「必ずや将来わざわいと破滅をもたらす」と警告し、徹底して糾弾したのである。
 また、自らの才にうぬぼれ、文句ばかり言う将軍を、こう弾劾した。
 「何もしないくせに自分ではいばって偉そうに構え」
 「城門を開いて敵にあけ渡し〔そのまま逃げ帰り〕」
 「職務に暗くていいかげん」
 さらに孔明は、憤りを込めて、“この男は先帝(劉備玄徳)の悪口を言った”と記している。
 学会でも、大恩ある戸田先生を裏切り、先生の悪口を言う人間がいた。
 私は断固、戦った。
 ドイツの哲学者カントは、親切な人の恩に背くことを「最高に嫌うべき悪徳」と述べている(樽井正義・池尾恭一訳『カント全集?』岩波書店)。
 恩知らずで、インチキで、しかも威張る。こんな人間がいたら、皆が迷惑する。断じて戒めていかねばならない。
 いよいよ全力を挙げて青年部を伸ばしたい。
 新しい時代を切り開く力あるリーダーが陸続と踊り出ることを、私は祈り、待っている。
 <孔明の言葉は中林史朗著『諸葛孔明語録』明徳出版社から。また加地伸行編『諸葛孔明の世界』新人物往来社などを参照した>
 一、孔明は、「賞罰」に厳格であった。
 『三国志』には、こう記されている。
 「孔明の賞(=功労を讃えること)は、遠くの者でも漏れることはなかった。
 孔明の罰(=悪事を罰すること)は、近くの者でも手加減がなかった。
 爵位(=高い位)は、功績のない者には決して与えられなかった。
 刑罰は、身分が高くても断じて逃れることが許されなかった」(蜀書・張商伝)
 賞罰を厳格に。これが学会の伝統である。戸田先生も、そうだった。
 現実に広宣流布を進めた人に光を当て、心から讃える。逆に、堕落して悪事を働く人間は、峻厳に正していく。この毅然たる姿勢を貫いてきた。
 学会は、同志を守り、同志が勝つための組織なのである。


◆◆大聖人に師敵対の日顕宗は大敗北 学会は190カ国地域に大発展


◆弟子の道を貫かれた日興上人

 一、日蓮大聖人が御入滅される5日前のことである。
 弘安5年(1282年)10月8日、大聖人は、門下のなかから、日興上人をはじめ6人を選び、本弟子と定められた。「六老僧」である。
 信徒は散在していた。大聖人は、御自身の亡きあとを展望され、各地の責任者を定められた。
 当時37歳の日興上人は静岡・富士方面と山梨の門下を指導し、広宣流布を進めていかれた。
 大聖人は「其の国の仏法は貴辺にまか(任)せたてまつり候ぞ」(御書1467?)と仰せである。
 リーダーが使命の天地で立ち上がり、全責任をもって、広宣流布を進めていく。
 大聖人の時代も、そうであった。創価学会も、これと同じ方程式にのっとってきたのである。
 一、しかし、日興上人を除く「五老僧」は、大聖人の期待を裏切り、退転した。大聖人から法門の一切を受け継がれた日興上人から離れていったのである。
 五老僧は、大聖人の墓所の守護にあたる輪番制も守らず、大聖人の一周忌法要にも参加しなかった。末法の御本仏である日蓮大聖人の弟子でありながら、弾圧を恐れて「天台沙門(天台宗の僧)」「天台の弟子」と名乗った。
 五老僧は、いわば当時の「最高幹部」である。それが、大聖人の御精神に、ことごとく背いていったのである。
 人間の心とは、一面、恐ろしいものだ。
 五老僧は師匠を蔑ろにした。慢心であり、我見であり、虚栄であった。日興上人への嫉妬もあった。
 学会を裏切り、退転・反逆した人間も、本質は五老僧と同じであった。
 “自分が偉くなりたい”“名声を得たい”という卑しい心であった。
 日興上人は仰せである。
 「大聖人のお弟子(五老僧等)は、ことごとく師敵対してしまった。日興一人、本師(大聖人)の正義を守って、(広宣流布の)本懐を遂げるべき人であると自覚している。ゆえに、大聖人の御本意を忘れることはない」(編年体御書1733?、通解)
 「日蓮大聖人に背いた師たちを捨てないことが、かえって罪になるという法門である」(同1734?、通解)
 日興上人は、決然と立ち上がられる。正義と邪義を、徹底的に、明確にしていかれた。
 一、大聖人は、庶民にもわかるように仮名交じりで御手紙を書かれた。
 それを、日興上人は「御書」として最大に尊重し、学んでいかれた。
 これに対し、五老僧は「先師の恥辱」(御書1604?)といって焼いたりしたのである。
 五老僧は、数々の謗法を犯した。
 日興上人は、立正安国のために謗法を断てと厳命された大聖人の御精神を貫き通された。
 日興上人は、「弟子分本尊目録(弟子分帳)」に、師匠を裏切った人間の名を挙げて、「但し今は背き了ぬ」「但し聖人(日蓮大聖人)御滅後に背き了ぬ」等と記し、後世に残されている。
 現代における五老僧の末流が、日顕宗である。
 日興上人が五老僧と徹して戦われたごとく、学会も、代書運に師敵対した日顕宗を、厳しく破折し、打ち破ってきた。
 仏法は峻厳である。
 今や日顕宗は、信徒が激減し、大敗北。極悪の所行が断罪されている。
 一方、創価学会は、世界190カ国・地域へと大発展している。
 私の58周年の入信の日である今年の8月24日を記念して、ブラジルで特別顕彰が行われるとの連絡もいただいた。
 <南マットグロッソ州のポンダ・ポラン市から8月24日、名誉会長夫妻に特別顕彰が贈られた>
 世界中で、創価の人間主義に対する顕彰が相次いでいる。すべての同志の皆さまへの信頼と賞賛の証にほかならない。
 広宣流布の魂は、師弟である。立つべき時に立つことだ。悔いを残してはならない。
 今こそ「正義の旗」を振る時である。ともどもに民衆の時代を開いてまいりたい(大拍手)。

(2005・8・15)
代表幹部研修会での名誉会長のスピーチ?


――御聖訓 「退する心」なかれ 「恐るる心」なかれ――

――不惜身命の人は絶対に勝つ――

◆◆◆戸田先生 私利私欲の輩を許すな 民衆の幸福のために戦え


【名誉会長のスピーチ】

 一、前期苦の同志が、日夜、広布のために、懸命に戦ってくださっている。仕事や家庭など大変ななか、本当に、頑張ってくださっている。
 その功徳は絶大である。自己の宿命転換ができるだけでなく、一家、一族が大福徳で包まれていくことは間違いない。
 私は、尊き学会員の皆さまに合掌しながら、真剣に題目を送らせていただいている。
 そして、皆さまのことを思いながら、何か励ましを贈りたい、勇気と希望を贈りたいと、毎日、筆を執り、スピーチしている。
 本日も、各地で奮闘しておられる、わが同志と親しく懇談しているつもりで、何点か語っておきたい。

◆「今まで」ではなく「これから」

 一、日蓮大聖人は、御書の中で“人の心が固ければ、諸天善神の守りは必ず強い”という法理を教えられ、こう仰せである。
 「これは、あなたのために言うのです。あなたの前々からのお志の深さについては、言い尽くせません。しかし、それよりもなおいっそう、強盛に信心をしていきなさい。その時は、いよいよ、(諸天善神である)十羅刹女の守りも強くなると思いなさい」(御書1220?、通解)
 これは、神奈川の女性門下に送られた御手紙の一節である。
 「今まで」どうだったかではない。大切なのは、「これから」どうかである。
 今まで以上に、強盛な信心を奮い起こすことだ。その人を、ありとあらゆる諸天善神が、必ず守っていく。
 「三類の強敵」が現れるのも、「三障四魔」が競い起こるのも、ありとあらゆる苦難は、自分自身の信心を試しているのである。すべて、仏界の生命を開いていくために必要なことなのだ。
 ゆえに、一段と信心を強めていけば、絶対に乗り越えていける。強盛な信心があるかぎり、乗り越えられない苦難はない。
 大聖人は、“ただ妙法を一心に信ずる人は、この御本尊の宝塔の中へ必ず入ることができる”(同1244?、趣意)と仰せである。
 南無妙法蓮華経の御本尊を持ち、広布に進む我らは、どこにいても、どんな環境にあっても、「仏の世界」即「幸福の宮殿」に入ることができる。
 何も心配はいらない。何も恐れることはない。
 御聖訓にいわく。
 「いかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」(同504?)
 退転するな! 恐れるな!―― との、宗祖の厳命を深く銘記したい。

◆同志のために! 学会のために!

 一、一方、幹部でありながら、信心が停滞していたり、仏意仏勅の学会を軽んじるようなことがあれば、それまで、どれほどの功労があったとしても、未来は暗い。下り坂を転落していくばかりである。
 広布の世界に、特別な人間などいない。全員が平等である。
 これまで、清らかな学会の世界にいられなくなり、反逆していった人間たちは、“自分はみんなとは違う”“うちは特別なんだ”などと増上慢を起し、自分も、家族も学会活動をしなくなっていった。
 学会活動を何か下に見たり、おろそかにしてはならない。
 そういう人間に共通する心根は、「自分中心」という一点である。自己の利益に汲々とし、学会のこと、同志のことを、第二、第三に考えているのである。
 それでは、本当の信心はわからない。仏法の偉大さはわからない。宿命転換もできない。
 “学会のために尽くそう! 同志のために働こう!”と、すがすがしい決意に立つことだ。皆と一緒になって、心広々と進んでいくことだ。
 「異体同心」こそ、学会の根本精神である。
 自分も懸命に学会活動に励み、子どもにも、きちんと信心を教えていく。わが子を断じて広布の人材にとの決意で、ともに学会の中で生き抜いていくのである。
 その心に福運が集まる。その心から道が開ける。
 「心こそ大切なれ」(同1192?)―― これが日蓮大聖人の仏法の一つの結論である。
 法華経28品も、八万法蔵といわれる膨大な経典の数々も、「心」がもつ不可思議な力を説いている。
 もちろん、個人がどう生きるかは自由である。しかし我々は「同志」として、言うべき時には、創価の魂を厳然と言い切っていく。それが本当の正義の叫びだからだ。
 戸田先生は言われた。
 「広宣流布のために戦って、実績をあげるからこそ、幹部であり、会員も幹部として待遇するのだ。戦いなき者を幹部として待遇すれば、組織は動脈硬化を起して死んでしまう。
 一兵卒、一会員になっても、広宣流布のために戦ってこそ、戸田の弟子である」
 いつになっても、どんな立場になっても、太陽が赫々と昇りゆくような、不退の信心を貫いていってほしい。

◆「民衆が本当に喜べる政治を」

 一、さらに、戸田先生の指導に学びたい。
 「学会は、信心が中心である。
 政治の世界に同志を送り出したのも、信心をした者として、社会をよくしよう、民衆が本当に喜べる政治を実現しようとの、人間としての真情の発露からである。
 信心を根本にして、日本の民衆を、世界の人々を幸せにしようというのが、創価学会の心である」
 ここに、私dもの原点の精神がある。私たちの振興は、自分だけが幸せになればいいというような、狭い、ちっぽけなものではない。
 自分自身が人間革命しながら、社会のため、世界のために、勇敢に行動していくのだ。
 反対に、社会とのかかわりを失った宗教は、独善に陥り、生き生きとした生命力を失っていく。
 今は、五濁悪世の時代である。社会とかかわるがゆえに、さまざまな問題に直面する。
 とくに、政治の世界は、権力の魔性がうごめいている。


◆◆◆信心は太陽の昇りゆく勢いで!!


◆戸田先生「私の心を忘れるな!」

 一、戸田先生は、すべてを予見しておられた。
 「政治の世界というのは、権力と野望と駆け引きの魑魅魍魎の世界だ。
 私の心を忘れない者は、政治の革新を成し遂げ、民衆のための偉大なる政治家に育つであろう。
 しかし、私利私欲に狂えば、広宣流布を破滅する魔の働きになってしまうだろう」
 「民衆のため」との原点を忘れ、私利私欲に狂った卑しい人間が、いつか現れるかもしれない。もしそういう輩が出てきたならば、徹底して責め抜け!―― これが先生の精神であった。
 悪を黙って見過ごしてはならない。どんどんしゃべることである。叫ばなければ、将来、必ず報いを受ける。
 青年部、立ち上がれ!<「はい!」と、青年の代表が力強く応えた>
 学会を裏切り、異体同心の団結を破ろうとした人間の末路は悲惨である。
 仏法は厳しい。とくにその厳しさは、臨終にあらわれる。
 御書には、破和合僧などの大罪によって無間地獄に堕ちる苦しみが、随所に説かれている。
 それらはすべて、日蓮大聖人の大慈大悲のあらわれである。
 不幸な境涯に堕ちていく人々をあわれに思い、救わんがために、厳しい生命の法則を教えてくださっているのである。

◆「師子身中の虫を叩き出せ!」
 
 一、戸田先生は、晩年、こう叫ばれた。
 「学会の組織は、戸田の命だ。
 どこまでも広宣流布のための、清らかな信心の組織でなければならない。不純な心によって、尊い学会が汚されてなるものか!
 今のうちに大掃除をしておかなければならない。師子身中の虫を叩き出すのだ」
 今一度、この言葉を、次の50年の出発のために確認しておきたい。
 一、戸田先生は、こう述懐されたことがある。
 「私にとって、最も厳しい人生の試練は、戦時中の獄中生活だった。
 軍部政府は、私の最愛の恩師の命を奪い、私の体も、事業も、ボロボロにした。
 しかし私は、この2年間の獄中生活に勝った。おのれを捨てたからである。
 広宣流布にわが身をなげうつことを決めたから、勝ったのだ」
 まさしく、「不惜身命」の精神である。
 「不惜身命」の精神に立てば、どんな人生の苦難にも打ち勝てる。
 私も「不惜身命」で戦ってきた。今も戦っている。
 だから、あらゆる闘争に勝った。不可能を可能にしてきた。

◆「苦しんで実力を養え」

 一、戸田先生は、青年に対し、こう言われたことがある。
 「若いうちは、むしろ苦しんで、さまざまな体験をし、視野の広い実力を養うことが大切だ」
 「君たち青年部は、生きて生き抜いて、民衆の楽土をつくれ。つまらぬ失敗で、身を滅ぼすようなことがあってはならない」
 苦労は「宝」である。
 いわんや、広宣流布のための苦労は、すべて、わが生命を荘厳する無上の財宝となる。
 どんな困難があっても、決して崩されない金剛不壊の生命となってく。なんと、ありがたいことか。
 学会とともに歩む人生に間違いはない。
 どのような立場であっても、学会とともに生き抜いていくかぎり、最高の善をなし、最高の人生を生き、最高の福運を積み、最高の正義の道を歩んでいけるのである。

(2005・8・16)
代表幹部研修会での名誉会長のスピーチ?


――世界を変えるには目の前の一人から!!――

――活動の中に真理がある ドイツの哲学者ヤスパース――

◆◆◆負けない心がすべてをプラスに


【名誉会長のスピーチ】

 一、本日は、女子部の代表も参加されている。
 本当に、ご苦労さま!
 日々、真剣な祈りを重ねながら、広布のために果敢に行動している皆さまの姿は、まことに尊く、美しい。
 自分のことをなげうってまで、大目的に向かって懸命に生きゆく皆さんを、我賢げに批判する、愚かな人々もいるかもしれない。
 しかしそれは、根本的に間違った見方である。浅はかな人間たちである。
 戸田先生は、言われていた。
 「同世代の女性たちが、自由に、遊んでいるなかで、女子部は、人のため、法のために動いている。尊貴な信念に生きている。こんあに美しい心をもった娘さんが、どこにいるか。絶対に、幸福にしてあげたい」
 そう言って、力強く励ましておられた。
 法華経には、「竜女の成仏」が説かれる。<提婆達多品>
 「竜女が成仏此れ一人にはあらず一切の女人の成仏をあらはす」(御書223?)と仰せの通り、竜女の成仏は、すべての女性の成仏を表している。
 先駆の一人がいれば、その人が手本となって、多くの人が続いていける。
 我らの広布の前進にあっても、女子部の使命は、本当に大きい。
 女子部が増えれば増えるほど、広布は速く進む。不思議な方程式である。


◆◆◆女子部は真の幸福をつかめ


◆女子部は自信と誇りを持て

 一、女子部の皆さんは、自信と誇りをもって、学会活動に励んでほしい。絶対に損はない。
 皆さんの世代は、有名人や、華やかな世界に憧れる風潮も強いだろう。テレビの影響も大きい。
 しかし、そうした華やかさは、一種の幻である。幻をいくら追いかけても、本当の幸福はつかめない。
 今、女子部の皆さんが歩んでいる道は、地味なように見えて、じつは、真実の幸福に直結する最高の宝の道である。
 この道を歩み抜いた人には、竜宮城のような世界が、今は思い描くこともできないような素晴らしい世界が、開けていくのである。
 誉れある学会の女子部として、悔いのない青春を送っていただきたい。
 <女子部の代表から、「ありがとうございます!必ず大勝利していきます!」と、爽やかな決意の声があがった>

◆今日も価値ある「何か」を残せ!

 一、ここで、20世紀を代表するドイツの哲学者、カール・ヤスパースを通して、少々、お話したい。ヤスパースについては、これまでもたびたび、語ってきた。
 ヤスパースは、1883年生まれで、86歳の長寿をまっとうした。<1969年没>
 しかし、生来、病弱な体質であり、大人になっても気管支や心臓などの疾患に苦しんだ。
 階段を昇ったり、時には、少しの距離を歩いただけで、息切れするほどであったといわれる。
 彼は、自信の病弱と向き合い、闘うなかで、哲学の探求を深めていったのである。
 いな、多くの困難があったからこそ、それをバネとして、卓越した業績を残すことができたのではないかと、私は思う。
 私自身、若い頃は本当に病弱だった。医師から、30歳まで生きられないと言われたこともある。
 しかし、だからこそ、“今、この瞬間を最高に充実させて生きよう”“生きている間に、価値ある何かを絶対に残そう”という決意で生き抜いてきた。
 人間だれしも病気になることはある。肝心なのは「病気に負けない」ことだ。
 「強い心」「負けない心」があるかぎり、人間は、すべてをプラスに転じていける。いわんや、私どもには、最高の勇気と希望の源泉である「信心」がある。
 ヤスパースは、当初は医学を学んでいた。
 しかし、デンマークの思想家・キルケゴールの哲学との出あいや、著名なドイツの社会学者マックス・ウェーバーとの交流などを通して、哲学の探求へと向かっていく。

◆迫害を越えて

 一、1930年代、ドイツでナチスが台頭すると、妻がユダヤ人であったことから、ヤスパースは厳しい迫害にさらされた。
 「非国民」と蔑まれ、大学教授の職を追われた。やがて、著書の出版も禁止された。
 そうした暗澹たる状況の中でも、彼は、新たな著作の執筆に取り組んでいった。
 1945年の春には、いよいよ収容所に送られる危険が迫った。しかし、ドイツの敗北によって、夫婦は危うく命を救われたのである。
 戦後、ヤスパースは、ナチスの犯罪とともに、ナチスの暴虐を許してしまった国民の道徳的責任について、厳しい問いを発したことでも知られている。

◆行動せよ! 人々を結べ

 一、ヤスパースは、大著『哲学』『真理について』のほか、『大学の理念』『歴史の期限と目標』『マックス・ウェーバー』など多くの著作を残した。
 ヤスパースの思想の一端を示す、一つのエピソードがある。
 第2次世界大戦の終結から間もない、1947年。有る二人の若者が、ハイデルベルクにあるヤスパースの自宅を訪ねた。
 初対面の青年を迎えたヤスパースは、彼らの質問に答えて、こう語った。
 「専門哲学者は往々、真理は机の上にあると信じています。真理は机上にあるのではなく、それはそもそもでき上がってあるのではありません。
 君たちは、真理を交わりの中に見いだすことを学ばねばなりません。いったいプラトンの対話はどのように成立しているかね? 活動の中に真理がある」(重田英世著『人類の知的遺産71 ヤスパース』講談社)
 そして、青年の求めに応じて、「われわれを結びつけるものが真理である」との言葉を記し、贈ったのである。
 真理とは、いったい、どこにあるか。
 それは、机の上にあるわけではない。どこかにちゃんと、できあがっているものではない。
 自分の行動で、つかみとるものである。人間の交わりの中で見いだされるものである。
 活動の中にこそ、真理がある。―― これがヤスパースの信念であった。
きょうも、明日も、人間の中に打って出て、語り、行動している私たちは、日々、偉大な価値を創造しているのである。

◆釈尊は「言葉を自在に使う人」

 一、ヤスパースは東洋哲学にも探求の眼をむけ、『仏陀と竜樹』という著作を残している。
 その中で、ヤスパースは、釈尊は弟子たちにとって「言葉を自在に使う人」であったと述べ、その“言葉の力”“対話の力”に注目している。
 彼は記している。
 「仏陀はひとりひとりに語り、小さなグループで語った」
 「一切の者にむかうとは、ひとりひとりの人にむかうことにほかならない」(峰島旭雄訳『佛陀と龍樹』理想社)
 釈尊は、一人ひとりと語り合った。一対一の対話を重んじた。「対話の名手」であった。
 相手に応じ、状況に応じて、巧みに語らいを進めていく。人々の心を動かし、変えていく。
 そこに、仏の偉大な実像があったのである。
 次元は異なるが、社会を変えるといっても、いっぺんに、すべての人を相手にするわけにはいかない。
 あくまでも、今、目の前にいる「一人」、現実にかかわっている「一人」が相手である。
 いかにその「一人」の心をつかみ、納得させ、変えていけるかどうかである。
 私たちは今、一人を大切にし、一人を相手に、誠実に語っている。
 その行動派、未来へ、世界へ、すべての人々へと波及していく。小さく、目立たないように見えても、実に大きな意義が秘められているのである。
 
◆対話の万波を!
 
 一、さらにヤスパースは、他の世界宗教と比べて、釈尊の教えが際立っている特色として、“すべての人間のみならず、生きとし生けるものすべてに目を注ぎ、救いを及ぼそうと志した点にある”と指摘している。
 こうした仏法の視点は、自然との共生を課題とする、これからの人類にとって、非常に大きな意義を持っている。
 東洋哲学に影響を受けたヤスパースは、晩年、「世界哲学」の構想を抱いていたといわれる。
 傑出した哲学者が注目した仏法の精神。
 私たちは、この大生命哲学を持つ誇りを胸に、地域に、世界に、対話の波を広げてまいりたい(大拍手)。

(2005・8・16)
代表幹部研修会での名誉会長のスピーチ?


――歴史を動かせ! 常勝の歌高らかに――

◆◆◆釈尊は戦い抜いたから仏になった

――最後の最後まで走り抜け その人が偉大な勝利者に――


【名誉会長のスピーチ】

 一、歌を歌っていこう。
 歴史が動くとき、そこには歌があった。
 学会は、歌とともに進んできた。歌で勝ってきた。
 学校も、校歌を生き生きと歌っているところは発展していると言われる。
 年をとって、歌を歌わなくなると、早く老けるという人もいる(笑い)。
 声を出すことである。朝日に向かっていくように、はつらつと題目の大音声を響かせていくことである。
 そして、元気に歌を歌っていくことである。
 歌は、力の源泉であり、勇気の源泉であり、喜びの源泉である。
 さあ、力強く、歌を歌って前進していこう!(大拍手)

◆目的があるから強くなれる!

 一、私たちの目的は、何か。
 それは「広宣流布」である。
 この世から、一切の不幸や悲惨を無くすことだ。
 人類の永遠の平和と、幸福の道を築きゆくことだ。
 生命尊厳の哲理を、一人ひとりの心の中に打ち立てていくことだ。
 戸田先生は語っておられた。
 「私は広宣流布という尊い仕事に、自分の命をかけた。どんな人間でも、崇高なる目的に生きることによって、強く、大きな力を得ることができる」
 戸田先生が広宣流布にかける思いは、それはそれは、すさまじかった。巌にごとき、鋼のごとき信念であった。
 偉大な目的があるから、人間は強くなれる。偉大な理想に向かって進むからこそ、人は力を発揮することができる。
 広宣流布という最高の聖業に行き抜く人生が、どれほど崇高であり、偉大か。
 今、こうして創価の同志とともに、大闘争の歴史を刻めることが、どれほど尊いことか。
 そのことを、リーダーの皆さまが深く自覚し、決意するならば、今の何倍の力を発揮することができる。
 もっともっと、強くなることができる。
 強盛な祈りで、わが大生命力をわき出しながら、新たに時代を開く、勝利の劇を綴り残していただきたい(大拍手)。

◆邪宗門は破滅 学会は大前進

 一、平成2年12月に「第2次宗門事件」が起きてから、本年で15年となる。
 陰険な嫉妬に狂い、学会の破壊を画策した日顕宗のもくろみは、すべて失敗した。宗門の信徒数は、その当時から2%にまで激減した。
 これに対して創価の同志の連帯は、当時の115カ国・地域から190カ国・地域へと拡大した。仏法史に輝く壮挙である。
 邪宗門は破滅の坂を転げ落ちた。学界は、すべてを打ち破り、完全に勝利したのである(大拍手)。
 <日顕宗の反社会性は、裁判でも白日のもとにさらされた。これまで大石寺の「遺骨の大量不法投棄」などで、最高裁判所から7度、断罪されたいる。法主の日顕自身も2度、断罪されている>
 近代インドの思想家ヴィヴェーカーナンダは述べている。
 「聖職者集団というものは、本来的に冷酷で無情である。それゆえに、聖職者集団を生じるとき宗教は凋落するのだ」(大野純一編訳『普遍宗教への階梯』コスモス・ライブラリー)
 日顕宗の坊主が、どれほど無慈悲で冷酷であったか。皆さんも、よくご存じであろう。
 イギリスの文人ハズリットは述べている。
 「悪質な偽善者は生まれつきのものである。人をだますためなら情け無用であり、必要とあらばどんな卑劣な手段も使う」(中川誠訳『ハズリット蔵言集―人さまざま―』彩流社)
 立派そうな「聖職者」の仮面をまとった坊主たちは、卑劣な手段で学会員を苦しめてきた。その本性は広宣流布への情熱などカケラもない、卑しい性根であった。
 「第1次宗門事件」(昭和50年代)でも、傲慢な坊主たちは純真な学会員を、いじめ抜いた。
 また、学会の幹部としての立場や社会的な地位を利用し、いかにも自分が正しいような格好をして、学会攻撃に狂奔した反逆者もいた。
 しかし、そうした輩は皆、最後は破滅した。哀れな人生の末路を歩んでいる。
 正邪は明快である。仏法の因果の理法は、まことに厳しい。

◆広宣流布の歩みを止めるな

 一、御聖訓には仰せである。
 「(釈尊とともに修行していた人たちは、皆、途中で去ってしまったが、釈尊は)ただ一人残られたからこそ、仏になられたといえよう」(御書1181?、通解)
 釈尊は、最初から「仏」であったわけではない。途中で仏道修行を投げ出さず、忍耐の実践を貫いたからこそ、仏の大境涯を得ることができたのである。
 簡潔な御文である。しかし、非常に重要な意味がある。
 仏となった釈尊は、生涯の最後の瞬間まで、自らが悟った大法を人々に伝えた。幾多の難に屈することなく、具経に生き抜いた。
 日蓮大聖人も、死罪や流罪など、苛烈な迫害の嵐を乗り越えて、敢然と折伏を続けられた。
 法華経には「猶多怨嫉妬。況滅度後(仏の在世でさえ、なお怨嫉が多い。いわんや仏の滅度に、さらに怨嫉が多いのは当然である)」と記されている。
 その経文の予言の通り、大聖人は邪宗の坊主から嫉妬され迫害された。権力から弾圧された。
 大聖人の御生涯は、釈尊の在世とは比較にならないほどの大難の連続であられた。
 しかし、こうした大難と闘うことで、釈尊の予言が虚妄でないことを、現実に証明された。そして、一切の難に打ち勝ち、末法の御本仏としての境涯を厳然と顕されたのである。
 打ち続く弾圧の中で、大聖人の門下には、退転する者も出た。
 退転してしまえば、それまで積んできた功徳も、すべて消え去ってしまう。
 大切なことは、絶対に退転しないことだ。広宣流布の歩みを止めないことだ。
 信心を貫いてこそ、何ものにも崩れない、最高の幸福境涯を築くことができるのである。

◆勇気で語り抜け

 一、また、大聖人は、「秋元御書」で仰せである。
 「人を恐れず、世をはばからずに言うことは、法華経勧持品第十三の『我、身命を愛せず。但、無上道を惜しむ』という文の実践なのである」(同1074?、通解)
 いざというときに、世間の目を恐れて正義を叫べないような、臆病者であってはならない。
 正義のために戦うことだ。声をを上げることだ。行動することだ。
 見栄や世間体ではない。格好でもない。不惜身命こそ、真の広宣流布の精神なのである。


◆◆◆諸天が味方! 妙法は宇宙の大法則


◆深き祈りで最高の智慧と力を!

 一、この大宇宙では、あらゆるものが停滞することなく動いている。
 例えば地球は、秒速役460?の速さで自転を繰り返している。そして、太陽の周りを、秒速30?の猛スピードで回っているのである。
 さらに、太陽系自体も、ヘルクレス座の方向に向かって、毎秒20?のスピードで動いているとされる。想像を絶するような速さである。宇宙には、この太陽系のような天体が、無数に存在すると考えられている。
 法華経にも「三千大千世界」など、広大な宇宙観が示されている。
 <三千大千世界は古代インドの世界観、宇宙観を表したもの。
 須弥山を中心に、太陽、月、四州等を包含するものを小世界と称し、それが一千(他の説もある)集まったものを小千世界、小千世界が千集まったものを中千世界、さらに千倍したものを大千世界と呼ぶ。
 小千、中千、大千の三種の区別があることから、総称して三千大千世界という。宇宙には、この三千大千世界が無数にあると説かれている>
 大宇宙は、瞬時も止まることなく、妙なる音律を奏でながら運行している。その究極の力、法則こそ南無妙法蓮華経なのである。
 題目をあげ、妙法に生き抜くならば、大宇宙のリズムに自身を生命が合致していく。宇宙の最極の力と智慧をわが身に顕現することができる。
 戸田先生は語っておられた。
 「この大宗教(日蓮大聖人の仏法)を信ずることによって、生命のリズムは宇宙のリズムに調和して、生きている幸福をしみじみと感ずるのである。生命の歓喜こそ、幸福の源泉力である」
 「幸福を感じ、幸福な人生をいとなむ源泉は、われわれの生命力である」
 大宇宙が味方である。諸天が守る。
 広宣流布に尽くせば、最高の功徳を得ることができる。その福徳は、子孫末代まで伝わっていく。
 これが仏法の厳然たる法理である。大聖人の結論である。反対に、尊き仏法を持った学会員をいじめるならば、仏罰は必然である。
 一切を変えゆく真剣な祈り。そこから勝利への前進を開始してまいりたい(大拍手)。

(2005・8・16)
代表幹部研修会での名誉会長のスピーチ〔7〕=完


◆◆◆ 喜びがある!幸福になる! 広宣流布は善の中の善!

◆◆◆ さあ宿命転換のチャンスだ! 強敵に勝って強くなれ



【名誉会長のスピーチ】

 一、フランスの哲学者・ベルクソン。
 青春時代、私は彼の著作を愛読した。
 今と違って、テレビなどは、ない時代であった。
 青年の有志で読書サークルをつくり、さまざまな著作を取り上げては語り合ったことを、懐かしく思い出す。
 ベルクソンの本は、繰り返し、読み込んだものである。ベルクソンは述べている。
 「本当の幸福とは善行がもたらす喜びである」(掛下栄一郎訳「ジャン・フィノ著『進歩と幸福』に関する論評」、『ベルグソン全集第9巻』所収、白水社)
 いい言葉である。
 本当の幸福は、人のために行動するなかにある。社会のため、世の中のために行動するなかにある。
 私たちでいえば、広宣流布である。折伏である。
 最高の善行とは、幸福の大法である、この仏法を教えることだ。宿命を転換し、幸福の道を切り開いていけるよう、人々を励ましていくことである。
 また、社会の平和と繁栄のために尽くしていくことである。大きな視点に立って、世界のため、人類のために貢献していくことだ。
 人々を根底から救い、平和と文化と教育の発展に尽力する。生命尊厳の哲理を人類社会に打ち立てていく ── 広宣流布こそ、善行の中の善行なのである。


◆◆ 絶対無事故で健康勝利を! 「何とかなる」の油断を排せ

◆ リーダーは細かな気配りを

 一、昭和29年(1954年)の10月8日のことである。
 神奈川の相模湖(さがみこ)で、痛ましい事故が起きた。中学生が乗った遊覧船が沈没し、22人が亡くなったのである。東京から遠足に来ていた生徒たちであった。
 大事故の原因は何だったのか?
 それは、遊覧船の定員を大幅に上回る数の生徒を、乗船させたことであった。
 船は、それほど大きくなく、定員は、届け出では20人程度となっていた。しかし、教員二人と70人以上もの生徒が乗り込んでしまった。
 引率の教員は、船長に“80人だが大丈夫か”と尋ねた。船長の答えは”子どもなら80人くらい乗せたことがある”という、いい加減なものであった。
 教員二人も、そんなものかと思って船に乗り込んでしまった。
 ところが、船が岸を離れて間もなく激しい浸水が起こり、遊覧船は沈没したのである。
 懸命の救助活動で、多数の生徒と教員、船長が救出された。しかし、生徒22人は行方不明となり、亡くなった。
 未来ある多くの若者の命が、一瞬にして失われてしまった。本当に残念な事件であった。
 大きな事故も、ちょっとした油断から起きる。「これくらい大丈夫だろう」「まあ、何とかなるだろう」 ── そうした気のゆるみが、取り返しのつかない事故を生む場合がある。
 例えば、かつて、学会の会合においても、会場にあまりにも多くの人が集まり、床が抜けてしまったことがある。
 幸い、大事には至らなかった。
 しかし、もし、けが人が出ていたら大変であった。会場を提供してくださっているお宅にも、多大な迷惑をかけてしまう。
 会合は、「仏子(ぶっし)」の集いである。そこで事故があっては、大変なことである。
 特に大きな会合の開催に際しては、リーダーは決して無理をしてはならない。また、無理をさせてもならない。
 どうか、細かいところまで、気を配っていただきたい。
 油断から事故を起こすのは愚かである。厳しく言えば、それは慢心なのである。互いに注意し合い、絶対無事故の会合運営を、あらためて肝に銘じてまいりたい。


◆≪インドのラジブ・ガンジー首相≫
   「権力者になるまい 私は皆に奉仕したい」
     
    
◆ 高い精神性から真の民主主義が

 一、以前も紹介したが、戸田先生は、ある政治家と懇談した折、次のように語っておられた。
 「選挙民だけでなく、多くの人々から尊敬され、信頼され、私利私欲を投げ捨てる政治家になってもらいたい。
 それには、立派な人間となることである。人格をつくることである」
 アメリカの第34代アイゼンハワー大統領は、「民主主義は、宗教的な基盤がなくては存在しえない」と述べている。
 一人ひとりが高い精神性をもってこそ、真の民主主義を実現することができる。
 インドのラジブ・ガンジー首相は語っていた。
 「自分が権力者になりたいというのでなく、人々に奉仕しようという、強烈な意識をもって、私は政治に入った」(本田史子訳、シバサンカリ著『ラジーブ・ガンディーの旅』せせらぎ出版)
 ラジブ首相とは、かつて東京の迎賓館でお会いした。<1985年11月>
 本当に凛々(りり)しい、好男子であった。穏やかな風貌の中に、強き信念が光っていた。
 これまでお会いした指導者のなかでも、とりわけ強い印象を受けた一人である。
 会見ではインドと日本の友好をはじめ、仏教の慈悲の精神、日本の青年への期待などが話題になった。首相は、「日本人らしい日本人に会えた」と喜んでくださったとうかがった。
 ラジブ氏は、首相を辞めた後の91年5月に暗殺された。
 本当に残念であった。生きておられれば、もっと多くの仕事を成し遂げられたに違いない。
 その後も、私はソニア夫人をはじめ、ご家族との交流を続けてきた。忘れることのできない歴史である。

◆ 悪人と戦わないのは臆病

 一、イギリスの文人ハズリットは綴っている。
 「本当に偉い人物になると、偉そうな様子は全然見せないのである」
 「つまらぬ人間に限って人を見下すものである」(中川誠訳『ハズリット箴言集 ── 人さまざま ── 』彩流社)
 その通りであろう。
 さらに彼は、こう述べている。
 「およそこの世にうぬぼれほど軽蔑すべきものはなく、またこれほど忌わしいものはない」(同)
 たいしたことはないのに、「自分が偉い」とうぬぼれる。傲慢になる。そうした人間は多い。
 私どもが交流しているペルーの国立教育大学で、初代総長を務めたフアン・ホセ・ベガ博士は、「『謙遜』には『謙虚さ』で、『傲慢』には『堂々たる強さ』で立ち向かいたい」と述べている。
 傲慢な人間は、放っておくとつけあがるものだ。
 戸田先生は、偉ぶった人間、庶民をバカにする人間を許さなかった。遠慮なく怒鳴りつけておられた。
 悪人と戦わないのは、臆病である。それでは多くの友を守ることはできない。


── インドの詩聖タゴールは喝破した ──

◆◆ 徳ある人は苦難にあっても超人的な辛抱強さを示す


◆ 難を乗り越えよ「忍辱の鎧」で!

 一、牧口初代会長と親交のあった、教育者の新渡戸稲造(にとべいなぞう)博士は述べている。
 「恩ということは、人間から起ったのである。畜生には恩ということはあるまいと思う」(『新渡戸稲造全集第8巻』所収「世渡りの道」教文館、現代表記に改めた)
 御聖訓には、こう仰せである。
 「恩を知ることを最高とし、恩を報ずることを第一とする。世の中には、四つの恩がある。これを知る者を人倫(じんりん=人の道に適った人間)と名づけ、知らない者を畜生というのである」(御書491ページ、通解)
 学会に助けられ、学会のおかげで社会的に偉くなりながら、ついには学会を裏切り、攻撃する。同志を見下し、バカにする。畜生以下の所業である。断じて許してはならない。
 戸田先生は、大切な広宣流布の組織を守るために、賞罰については、大変に厳格であられた。
 「いったん除名したら、絶対に復帰は許さない」
 「組織を重んずるかぎりには、厳罰をもってあたる」
 これが戸田先生の信念であり、遺言であった。
 一、インドの詩聖タゴールは綴った。
 「道徳的な世界に達した人は、圧(お)しつぶすほどの苦難に襲われても、悪意にみちた迫害に遭遇しても、超人と思われるような辛抱強さを示すのである」(美田稔訳「サーダナ」、『タゴール著作集第8巻』所収、第三文明社)
 深い言葉である。
 学会の広宣流布の前進は、苦難と迫害の連続であった。どれだけ誹謗され、悪口されようとも、「忍辱の鎧(にんにくのよろい)」を着て戦ってきた。
 だからこそ、学会はここまで発展したのである。偉大な仏の団体なのである。
 これからも、この精神で進もう!<参加者から「ハイ!」との返事が>

◆ 挑戦の心で進め

 一、最後に、アメリカの起業家であり、映画人のウォルト・ディズニーの言葉を贈りたい。
 「人生で経験したすべての逆境、トラブル、障害が、私をまっすぐにし、強くしてくれた」(『ウォルト・ディズニー夢をかなえる100の言葉』ぴあ株式会社)
 思いもかけない試練、障害があるからこそ、人間は成長できる。強敵に勝ってこそ、人は強くなる。
 どんな困難も、「よし来た!」「宿命転換のチャンスだ!」と捉え、強き心で挑戦していけば、自分が得をする。さらに価値ある人生を築いていくことができるのである。
 どうか全員が「健康」で、「勝利」の人生を歩んでいただきたい。そう念願し、スピーチを終わります。
 きょうは、本当にありがとう!また、お会いしましよう!(大拍手)

                  (2005・8・17)

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