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SGIコミュの創立75周年幹部特別研修会での名誉会長のスピーチ 〜海外在住の同志のために〜

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創立75周年幹部特別研修会での名誉会長のスピーチ?

――平和は創るもの 正義を師子吼せよ!――

◆◆◆新たにハーバード大学コックス教授と対談を開始 対話を!対話を!未来のために

◆◆師と弟子が「ともに叫ぶ」のが師子吼

――恐れるな! 何も!――

◆◆キング博士と理想は同じ 宗教者ならば「世界を改善する」努力を


 創価学会創立75周年を記念する幹部特別研修会が12日、群馬多宝研修道場で行われ、池田名誉会長、秋谷会長が、関東会・東京会・東海道会の代表らと出席。名誉会長がスピーチした。

【名誉会長のスピーチ】

                   ◇

 一、創立75周年を完勝で飾り行く幹部特別研修会、ご苦労さま!
 群馬の方々には大変にお世話になっている。私も、妻も、最大に感謝しています。
 幹部は、一生懸命に戦ってくださっている皆さんに、心から感謝すべきである。
 必ず、ほめることである。讃えることである。それを絶対に忘れてはならない。
 全同志の力で、創価学会は、世界的な大発展を成し遂げた。
 わずかに反逆者が出たが、ものの数ではない。皆、敗北の姿であり、表に出られない。名利に目がくらんだ忘恩の人間の末路は、皆さまがご存じの通りである。

◆「戦う心」が学会精神!
 
 一、広宣流布の指揮を執るリーダーの大事な研修会である。
 勝利の源泉である御書を拝したい。
 御義口伝に「師子吼」について、こう仰せである。
 「師とは師匠授くる所の妙法 子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」(御書748?)
 我らの根源の師は日蓮大聖人であられる。
 「師子吼」とは、師匠と弟子が、ともに妙法を唱え、弘めゆくとの意義がある。そう教えてくださっている。
 師匠が、正義を訴え、戦っている。弟子が、それと同じように戦わなければ、師子吼とはいえないのである。
 師匠と弟子が、一緒に叫ぶのだ。
 これが師子吼である。
 「師弟一体」の大宣言なのである。
 師匠と弟子が、全然、別の方向へ行くのでは、師子吼にならない。
 その最たるものが、反逆した人間たちである。
 断じて広宣流布を――その大聖人の御言葉を踏みにじり、学会の指導を蔑ろにした。策を弄し、虚栄に走り、同志を裏切りっていったのである。
 私は、恩師・戸田先生のおっしゃったことを、同じように叫んできた。
 師匠と違うことをいくら叫んでも、それは自己宣伝にすぎない。
 一、大聖人は仰せである。
 「すでに末法であり、南無妙法蓮華経の七字を日本の国に弘めているので、何の恐れもない。
 遂には全世界に広宣流布することは間違いないのである」(同816?、通解)
 恐れるべきは、使命を果たさずに、人生を終わることである。
 末法の時を迎え、妙法流布を開始した。だから、恐れるものは何もない―― これが、御本仏の大境涯であられる。また、日蓮門下の究極の叫びでなければならない。
 一、何があろうと、恐れてはいけない。これが兵法の極意である。勝利の秘訣は、「恐れない心」にあるのだ。
 大聖人は、佐渡に流されようが、三類の強敵に遭おうが、絶対に恐れることがなかった。
 根も葉もない嘘や悪口にビクビクして、「どうしよう」などと思い悩むこと自体、厳しくいえば、敗北である。
 何も恐れないことだ。デマを流す人間に対しては、「何を言うか!」と反撃するのだ。
 私も、青春時代から、邪悪な人間とは、断固、戦ってきた。「戦う心」こそ学会精神である。

◆世界の知性は大仏法を求める

 一、この夏、トインビー博士と私の対談集(邦題『21世紀への対話』)が、新たに、ヨーロッパでは「セルビア語」で、アジアでは「ラオス語」で発刊されるとうかがった(大拍手)。
 関係者の皆さまのご尽力に深く感謝申し上げたい。  
 これで、世界26言語での出版となる。
 また、この9月に中部で、10月には埼玉で“トインビー展”が開催の予定である。<『21世紀への対話』―― トインビー・池田大作展>
 博士も、どれほど喜んでおられるであろうか。
 20世紀を代表する歴史学者であるトインビー博士から、光栄にも、私に招聘の書簡をいただいたのは、1969年(昭和44年)のことであった。
 <博士は綴った。
 「あなたの思想や著作に強い関心を持つようになり、英訳の著作や講演集を拝見しました。
 これは提案ですが、私個人としてあなたをロンドンに御招待し、我々二人で、現在、人類の直面する基本的な諸問題について、対談したいと希望します」(1969年9月23日付)>
 トインビー博士は、しみじみと述懐されていた。
 ―― 自分は、これまで、ありとあらゆる学問をしてきたつもりであるが、東洋の仏法、なかんずく、大乗仏法の偉大な「生命論」「生死観」「世界観」「宇宙観」を、ぜひ知りたい。
 私は、仏法の哲理が、どれほど高度なものであるかを直感的に感ずる。
 人類の歴史の世界を漫歩するなかで、仏法という山が見えてきた。その最高峰を学びたい、究めたい―― 。
 そして、その探求の伴侶として、仏法を実践している私を選んでくださったのである。
 少々、恥ずかしいことで、今だから、率直に申し上げるが、当時、私たちの対談を担当してくれた通訳は、仏法用語の理解が不十分で、英語への翻訳も、うまくできなかった。
 はじめ二人、そして三人の通訳をお願いして、対話を進めた。しかし、通訳があがってしまい、上手に表現できず、意が通じないで、非常に苦しい思いをした。
 特に仏法の法理に話題が入ると、どうしても、思うように、トインビー博士に伝わらない。 
 博士も、一生懸命、理解しようとしてくださり、質問を重ねられる。
 そして、また、お答えするという、もどかしいやりとりが繰り返された。
 トインビー博士は、まことに思いやりの深い方で、通訳をかばいながら、「イエス、イエス」と応えてくださった。まことに申し訳ない、残念な思いであった。
 対話を終えたあと、また書面で補足を送らせてもいただいた。
 英語を勉強しておけばよかったと悔いるとともに、練達の通訳を育てることが、どれほど大事かを痛感したものである。
 一、トインビー博士は対談を終えるに当たり、私に、世界の知性との対談をさらに続けていくように言われた。
 この30数年来、その博士の心にお応えして、対話の波を起してきた。
 対話とは、独善ではない。我田引水でもない。時に相容れず、時に相反するものも包み込みながら、新たな価値を創造していくものである。
 戸田先生も指導されていた。
 「これからは、対話の時代になる。
 人と語るということは、戦うということであり、また結び合うということだ」
 創価の我らは、「対話の時代」の線とぷに立っている。大いなる誇りをもって進んでいただきたい(大拍手)。

◆正義の社会を!

 一、現在、私は、アメリカの宗教研究の第一人者である、ハーバード大学教授のハービー・コックス博士と、対談集の発刊に向けて準備を進めている。
 コックス教授は、かつて、アメリカ公民権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング博士とともに戦った人権の闘士である。
 今回、教授より、「人類が直面する課題に、宗教は、いかなる英知の光を当てることができるか」「社会における宗教・精神界の役割は、どうあるべきか」などについて、ぜひ語り合いたいとのことで、対談を開始する運びとなった。
 対談では、キング博士との思い出をはじめ、現代世界における「宗教間・文明間の対話」、「平和」と「核」の問題など、さまざまな角度から、論じ合っていく予定である。
 一、コックス教授は、宗教が社会の改革に果たす役割に、大きな期待を寄せられている。
 宗教が政治に参加することの意義について、教授は、こう述べておられた。
 「宗教者が、全体主義や国家主義の社会において政治に参加するのは、危険なことです。むしろ、外に身を置いて、それに反対すべきでしょう。しかし、民主主義の社会にあっては、宗教者が政治に参加しないほうが、危険であります。政治への参加は、宗教者としての責務なのです」
 コックス教授は、かつて私に、キング博士の思い出とともに、創価学会への期待を次のように語っておられた。
 「キングは宗教者でしたが、その信仰は個人の内面にとどまるものではなかった。
 内面から発して、『世界を改善する』努力を重ねたのです。
 『正義の社会』『平和の社会』、そして『各人種が互いに調和しあえる社会』―― ここに彼の目標がありました」
 「創価学会が根幹としている仏法の思想は、キングがそのために生き、そのために死んだ『理想』と、軌を一にしています」
 現実に、人間を変え、社会を変え、世界をよりよく変えていく。そこに宗教の魂がある。
 幾多の哲人が目指した理想を、我らが今、実現しているのである(大拍手)。

コメント(5)

創立75周年幹部特別研修会での名誉会長のスピーチ?

――最後は真実と誠実の人が勝つ――

――広宣流布は「心」を変える戦い――

◆◆◆戸田先生 内外問わずどんどん語れ そのすべてが自身の財産に


【名誉会長のスピーチ】

 一、不屈の執念で“徳川270年”の礎を築いた徳川家康。彼は、生涯にわたって常に“富士山が見える場所”に城を構え、指揮を執ったといわれる。
 戸田先生は、よく、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人の英傑を比較された。
 先生は、個人的には信長がお好きであった。常に大望を持って進み、過去にはとらわれず、自ら率先して戦に望んだところを、好んでおられた。
 秀吉は経済観念が強いので、現在ならば大蔵大臣(=財務大臣)にしたらよい人物である、とも論じておられた。
 そして、秀吉よりも、家康のほうが優秀だという考えであられたようだ。
 “家康は歴史を研究していたから、あれだけの徳川幕府を築くことができた”とも評価されていた。
 ある夜、先生をご自宅にお送りする車中でのことである。
 そのころ私は、毎朝の先生からの個人教授である「戸田大学」で、ちょうど徳川時代について教わっていた。
 車中で先生は、家康、秀忠、家光の三代で幕府の基盤を固めたことなどに着目され、「大作、よく覚えておくんだぞ。三代で決まる。三代が大事だ!」と強くおっしゃっていた。今もって忘れることができない。


――文豪の勝負観――
◆◆しなければならぬ戦ならば厳しく勝ちを追ったほうが勝つ

◆「戦いは辛棒の強い者が勝つ」

 一、ところで、徳川家康といえば、山岡荘八先生の大河小説が有名である。
 私が戸田先生のもとで、若き編集者として『冒険少年』『少年日本』を編纂していた時、この山岡先生にも連載を頼んだ。
 当時、山岡先生は、多くの雑誌に執筆され、多忙を極めておられた。
 しかし、「ぜひ少年たちに、希望を贈る小説を書いてください」との私の願いに笑顔で応え、時代小説「紅顔三剣士」を連載してくださったのである。
 3人の剣士が、それぞれに「知恵」と「腕」と「真心」の持ち味を活かしながら、正義のために活躍していく、手に汗握る物語である。大好評を博した。
 また、「私の少年時代」と題して、若き日の思い出を綴ってくださったこともある。
 10歳から新聞配達などをして働き、学んでこられた苦労人である。子どものころ、机の前に掲げておられた言葉が「かんなん(艱難)汝を玉にする」であったという。
 それだけに、山岡先生の人生哲学は峻厳であった。
 小説『徳川家康』には次のような言葉がある。
 「戦には勝ちと負けがあるだけとは、何というきびしい一面の真理であろうか。しなければならぬ戦ならば、きびしく勝ちを追った方が勝ち、追い方のずさんな方が敗れてゆく」
 いつの時代も勝負を決するのは、この「執念」である。
 また、「戦いとは強い者が勝ちます。辛棒の強いものが」ともあった。
 耐えて、勝利のためにあらゆる努力を尽くす。これが、すべての闘争の鉄則であろう。
 この『徳川家康』には、“人間が嘘をつく真理”について、次のような印象深い一節もあった。
 「(何(ど)うせわかりはしないのだ……)
 そうした侮りが人間を嘘つきにするものらしい」
 嘘は、人を見下す心から生まれる。だからこそ、嘘を放置しておいてはならない。
 広宣流布は、人の心を善の方向へ変えゆく戦いである。ゆえに広布の指導者は、人の「心」に敏感でなければならない。


◆◆戦後、少年雑誌の編集に尽力 「悪人に悪を遂げさせるな!」 若き友に勇気のメッセージ

◆ある時は詩を ある時は哲学を

 一、この編集長時代、私は、一世を風靡した文人や画伯の先生方と、多くの出会いを結ぶことができた。
 ある時は詩を語った。ある時は文学を語り、ある時は哲学を語り合った。
 まことに思い出多き方々である。
 若い私のために時間をとってくださり、申しわけないかぎりであった。
 敬愛する大詩人の西條八十(やそ)先生には、「殺伐とした社会です。だからこそ、先生、偉大なる夢を与えきれる詩を、ぜひ書いてください!」とお願いした。
 先生は、「偉大なる夢……いい言葉だ」と、執筆を快諾してくださった。
 「銭形平次」などで知られる野村胡堂先生が、長編小説「大地の上に」を連載してくださったことも忘れられない。
 平和主義を掲げた大学者・丹波小十郎と、その弟子たちが、幾多の試練を乗り越え、「正義」と「慈愛」と「平和」の理想郷をめざす物語である。
 その登場人物の一人が、こう叫ぶ。
 「悪者の手先になって、良い人達を苦しめるほどの、恥ずかしいことが此世にあるでしょうか!」
 連載開始は昭和24年。あの、悪夢のごとき戦争は終わったものの、厳しい世相が続いていた。
 この小説には、「悪人に悪を遂げさせないために、正直で心の善い人達が虐げられないように、此大地の上に、理想の国(ユートピア)を築く為」との一節もあった。
 敗戦の焦土に新しき社会をつくるのは、子どもたちである。
 子どもに希望を!
 子どもに夢を!
 今度こそ、平和な国をつくろう!
 悪にだまされない、たくましさを持とう!
 そういう息吹みなぎる雑誌を読者の手元に届けるために、毎号、毎号、必死で取り組んだ。

◆忘れ得ぬ出会い

 一、ともあれ、じつに多くの先生方と、忘れ得ぬ出会いを刻ませていただいた。
 作家、詩人では、推理小説の大家である江戸川乱歩氏、横溝正史氏、「日本SFの父」海野十三氏、「ユーモア小説の元祖」佐々木邦氏、時代小説の山手樹一郎氏、冒険小説の山中峯太郎氏、そして南洋一郎(池田宣政)、城昌幸、藤島一虎、橋爪健、伊藤幾久造、白木茂、小西木、山田克郎、北町一郎、澤田謙、宝井馬琴、南沢十七、朱野守人、武蔵野寂、大木常雄ほかの各氏。
 毎号の表紙を描いてくださった林唯一画伯、傑作絵物語の山川惣治画伯、イラストの巨星・小松崎茂画伯、「大白蓮華」の小説『日蓮大聖人』の挿絵も担当してくださった、独特の気品ある武者絵で知られる山口将吉郎画伯、小説『人間革命』の挿絵を担当してくださった三芳悌吉画伯、そして飯塚羚児、玉井徳太郎、池辺一郎、田代光、松野一夫、福田三生、伊勢良夫、富田千秋、佐藤泰治、沢田重隆、三輪孝、伊勢田邦彦、高木清ら各画伯。
 漫画家では、『猿飛佐助』で有名な杉浦茂氏、そして島田啓三、芳賀まさお、石田英助、木村しげる、佐次たかしなどの各氏。
 いずれも、日本の文化復興に貢献された先生方である。また、その弟子として薫陶を受けてこられた縁の方々とは、今でも交流を結ばせていただいている。
 <小松崎茂画伯の門下である根本圭助氏は、『冒険少年』をめぐる思い出を、次のように綴っている。
 「池田氏は、昭和24年1月から編集に携わったという。21歳の折り目正しくおとなしい、ハンサムな青年を、『他の連中とはちょっと違うなァー』と茂も姉の冨美子もいつも感心して接していたと、茂は懐かしく話していた」(松戸よみうり)第587号、2004年11月14日付>

◆誠心誠意で

 一、私は、まったく無名の一青年であった。しかし、相手がだれであれ、ただ誠心誠意を尽くして、接してきた。
 ある高名な作家の方が、「君は本当に誠実だね」とおっしゃって、「惟だ篤実のみ以て 大事に当たるべし」(誠実さによってこそ、大事業を為せる)と認めた書を贈ってくださったこともあった(北宋の儒書『二程粋言』から)。
 先生方への感謝は尽きない。その恩返しの意味もこめて、私も一生涯、良質の活字文化の復興に尽力していく所存である。

◆心をつかめ!
 
 一、戸田先生は、よく、閉ざされた青年であってはならない、と言われた。
 内外と問わず、どんどん人と会い、人と対話せよ!人の心をつかみ、見方をつくれ!そのすべてが自分自身の訓練となり、財産となる――との薫陶であった。
 先生の御指導どおりであった。
 最後には、真実に生きる人が勝つ。誠実の人が勝つ。この信条で、私は学会の発展を支えてきた。
 かつて日昇上人から、「あなたは、戸田先生に仕える“四条金吾さん”ですね」「広宣流布の指導者であり、皆さま方の師である戸田先生を命を捨ててお守りになられましたね」と言っていただいたことがある。
 師のために戦う。そのとき弟子の力は、何倍にもなる。
 戸田先生と学会のために捧げた青春は、私の無上の誇りであり、かけがえのない勲章である。
 わが青年部は、さらに広く、さらに深い対話と人間外交の道を、青年らしく、生き生きと進んでいっていただきたい(大拍手)。
創立75周年幹部特別研修会での名誉会長のスピーチ?

――いざ出陣! 正義の底力を満天下に示せ――

◆◆◆わが胸中には「師と共に戦える」うれしさ!

――「関西に続け」「首都圏を見よ」 勝利の渦を巻き起こせ!――


【名誉会長のスピーチ】

 一、戸田先生は、何かあるたびに、いつも、私を呼ばれた。
 「大作はいるか!」
 「大作、ここへ行ってこい!」
 必ず、一番大変なところへ派遣された。
 そして勝ってきた。
 先生が第2代会長に就任された翌年(昭和27年)のことである。
 全国に十数の支部しかなかった。1ヶ月の弘教が、多い支部で100世帯前後。こんな調子では広宣流布はできない。
 当時、私は20代。先輩幹部も多かった。
 しかし、戸田先生は言われた。
 「大作、立ち上がれ!」
 「わかりました!」と私は一言。
 にぎやかな勝利のマーチが始まった。
 私は走った。先駆した。疾風のごとく。
 学会全体が、うなりをあげて動き出した。
 東京・蒲田支部の支部幹事として戦い、1ヶ月の弘教で200世帯を突破したのである。
 そして今度は文京支部へ。
 各支部が、強烈なライバル意識で、競い合っていた時代である。
 他の支部は“敵同士”(笑い)。じつに激しかったが、それでこそ偉大な建設はできるものだ。
 文京支部は低迷していた。皆の心がバラバラだった。思い余った支部長は、戸田先生に窮状を訴えた。そして私が支部長代理に任命された。
 仕事では営業部長、学会では男子第1部隊部長であった。多忙を極めたが、私は一歩も引かずに、やり切った。
 文京は全国トップクラスの大支部になった。皆が驚き、唖然とした。

◆“まさか”が実現

 一、日本全体の広宣流布を考えるとき、次は、どこに手を打つべきか。急所はどこか。
 それは「大阪」―― 師弟の心は一致していた。
 絶対に負けると思われた“大阪の戦い”。
 支部で1ヶ月に「1万1111世帯」という不滅の大折伏の金字塔を築き上げた。そして、「“まさか”が実現」と言わしめる、痛快なる勝利を打ち立てたのである。
 劣勢を跳ね返しての勝利。信心でつかんだ勝利だった。これが学会の大きな飛躍台となった。
 魔性の権力と戦い、わが魂をとどめた関西。
 関西こそが、今も、そして永遠に「世界広布の心臓部」であると、私は強く信じてやまない。
 一、私は、戸田先生の命を受け、使命の舞台で戦った。行くところ行くところで、新たな勝利の歴史をつくってきた。
 すべて、わかってくれる師匠がいる。師匠とともに戦える。人生、これ以上の喜びはない。生きがいはないものだ。
 ともあれ、一つの地域が立ち上がれば、日本中を燃え立たせていける。
 「関西に続け!」
 「沖縄を見よ!」
 「首都圏を見よ!」
 そう言われる先駆の戦いを!
 今こそ、列島に“勝利の渦”を巻き起こしていただきたい。
 いかなる戦いも、戦う以上、勝つことだ。
 いざ出陣しよう!
 広宣流布のために!
 正義の民衆の底力を、満天下に示すために!(大拍手)


◆◆中国の名将・劉邦の将軍学 陰で皆のために働く その人に光を 賞賛を

◆歴史に学べ!

 一、20世紀最大の歴史家トインビー博士。
 博士との語らいのなかで、私は尋ねた。
 「歴史上、政治家としてはだれが最も偉大だったとお考えでしょうか」
 すると博士は、こう答えられた。
 「私は日本の徳川家康、中国の劉邦、ローマ帝国のアウグストゥスをほぼ同様に評価しております。
 この3人には、ある共通点がありました。それはいずれも帝国を創設したのではなく、再建したということです。
 家康は豊臣秀吉の事業を、劉邦は始皇帝の事業を、そしてアウグストゥスは大伯父のジュリアス・シーザーの事業を、それぞれ再建しました。いずれの場合も、前統治者が横暴で反発をかっていただけに、事業のやり直しが必要だったのです。
 家康、劉邦、アウグストゥスは、いずれも如在ない人物でしたから、永続性ある体制を築くのに成功したわけです」
 一、トインビー博士が高く評価しておられた中国の劉邦(前247〜前195年)。
 始皇帝が没して、あっけなく秦が滅びた後、項羽との壮絶な戦いに打ち勝って、漢の国を建てた名将である。
 劉邦といえば、戸田先生がよく語ってくださった中国の歴史書『十八史略』を思い出す。
 先生が亡くなられる1ヶ月前のこと。「きょうは何を読んだのか」と私に尋ねられた。
 その折、先生は「指導者になる人間は、何があっても読書を忘れてはいけない。私は『十八史略』を第3巻まで読んだよ」と言われた。寸暇を惜しんで、本を読み、思索を続けておられた。
 そして先生は、逝去の2週間ほど前、『十八史略』の劉邦の話を、私にしてくださった。
 劉邦が天下を取った時、第一の功労者として光を当てたのは、だれか。
 それは蕭何であった。
 華々しく戦った武将たちではなく、陰で食糧や武器の確保などに努めてきた人物であった―― そういう逸話である。
 戸田先生は、遺言のごとく言われた。
 「敢然と敵に向かって突き進むことは当然だ。しかし、それだけでは勝利は得られない。勇ましいだけではなく、全体観に立って、陰で万全を尽くして手を打つことができる人間が、学会には必要なのだ」
 広宣流布の将の将たる皆さまは、堂々たる勝利の指揮をお願いしたい。 
 陰で尽くしてくださっている方々を、最大に讃え、励ましていく、智慧と慈愛の名リーダーであっていただきたい。
 一、『十八史略』に描かれる劉邦の人物像は、誠に魅力に富んでいる。
 劉邦は「人の心をつかむ」名人であった。
 秦の軍を破り、その都に入ったとき、劉邦は、秦の国の人々に対して、こう宣言した。
 「あなたたちは、ずいぶんと長く秦の過酷な法律に苦しめられてきた」
 「わたしはあなたたちに約束しよう。法律は三か条だけ」
 そして劉邦は、「人を殺した者」「人を傷つけた者」「盗みをはたらいた者」を処罰するとし、「それ以外はすべての秦の苛酷な法律は取りやめる」と発表した。
 有名な「法三章」である。これには、秦の人々も大いに喜び、劉邦を大歓迎したという。
 劉邦は、あらゆる知恵で、敵を次々と味方にしていった。そして、ひとたび味方になるや、誠意を示して、がっちりと心をつかんでいったのである。

◆人を生かせ!

 一、劉邦は「人材を生かす」名将であった。劉邦が、将軍たちに、なぜ自分が天下を統一できたかを話す、有名な場面がある。
 劉邦は語った。
 「陣営の中で謀をめぐらせ、千里の外で勝利を決める(=千里の遠方にいながら勝利を決する)ことにかけては、わしは(参謀の)張良には及ばぬ」
 この個所は、日蓮大聖人が「一昨日御書」(御書183?)で触れられた一文である。
 さらに、こう続く。
 「国家を安定させ、人民をいつくしみ、糧食を確保し、補給を絶やさぬことにかけては、わしは蕭何には及ばぬ。
 百万の大軍を指揮し、戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず取る(=成果を出す)ことにかけては、わしは韓信には及ばぬ。
 この三人はいずれも人として傑出した者たちだ。
 わしはそれを使いこなすことができた。これがわしが天下を取ったゆえんだ」
 まさに「将に将たる」と讃えられた劉邦の面目躍如たる言葉である。
 <今西凱夫訳『中国の古典15 十八史略上』学習研究社などを参照>
 ともあれ、人材は、必ずいるものだ。
 広宣流布の戦いは、「地涌の菩薩」でなければ、なしえない。すべての同志が、かけがえのない使命の人である。
 その一人ひとりの力を見いだし、最大に発揮させていくのが、指導者の責務といえよう。
 一、大聖人は「開目抄」で劉邦(沛公)について記されている。
 中国の歴史を画する、劉邦と項羽の天下分け目の激しい戦いも、広宣流布の大法戦の厳しさを超えるものではないと教えておられる(御書218?)。
 広宣流布の勝利こそ、世界の平和と幸福の大道である。
 この道を、我らは果敢に前進したい。勝利の歌を高らかに歌いながら!(大拍手)
創立75周年幹部特別研修会での名誉会長のスピーチ?

――仏典には「声が仏の仕事をする」 声は社会を変える武器!――

◆◆どんどん語れ! 語らなければ損!

――正義は正義! 堂々と事実を訴えよ――

◆◆ハワイ大学名誉教授 不正義の輩には断じて「ノー!」を


【名誉会長のスピーチ】

 一、戦いは、執念深く攻め抜いたほうが勝つ。
 これが鉄則である。
 最後の最後まで、攻めて攻めて攻め抜く。これが本当の指揮である。
 中途半端はいけない。
 執念深く!
 戦いは、勝つか、負けるかしかない。
 祈って、祈って、祈り抜くのだ。
 戦って、戦って、戦い抜くのだ。
 勝利の結果を見届けるまで!
 とくに、戦いの中心となる人間は、気取りなどかなぐり捨てて、死にもの狂いで進むのだ。
 戦いは、意地と忍耐がなければならない。
 まず、リーダーが、動き、語り、励ますのだ。
 他人事だと思えば、力は出ない。「自分自身の戦いだ」と思えば、「戦おう」と心が定まる。
 戦えば、強くなる。戦わなければ、卑劣な敵に食い破られる。
 人も、団体も、「戦い続ける」ところだけが、他の何倍も発展し、栄えていくのである。


◆◆中国の孫文は「民をもって主となす」と

――「民衆こそ王者」と胸を張れ――


◆指導者は民衆の僕
 
 一、近代中国の父・孫文は語った。
 「皇帝時代においてはただ一人の人間が皇帝だったが、民国になってはこの四億人がすべて皇帝なのです。これが、民をもって主となすということであり、これこそ民権の実行であります」(『世界の名著― 孫文 毛沢東』中央公論社)
 民主主義の社会である以上、指導者は民衆の僕である。民衆のために苦しい、命を使うべきである。
 それでこそ、民衆は指導者を信頼し、尊敬することができる。
 しかし、傲慢や、保身や、つまらない欲のために、権力を悪用する者がいる。
 放っておくと、つけあがり、威張り始める。
 本来は“主”のはずの民衆が、“僕”のはずの権力者から、馬鹿にされてしまうのである。
 そのような転倒を正して、「民衆こそ王者」と胸を張れる社会をつくらねばならない。
 私たち創価の連帯こそ、「現実を変革するため」の大いなる希望であることを、強く申し上げておきたい。

◆民衆を苦しめる悪人を許すな!

 一、日蓮大聖人は、重書である「開目抄」などで、繰り返し、涅槃経の次の一節を引いておられる。
 「若し善比丘 法を壊る者を見て置いて呵責し駆遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり」(御書236?など)
 ―― もし仏法者が、法を破る者を見ながら、そのまま放置して、相手の非を厳しく責めず、追い払わず、はっきり罪を挙げて処断しないのであれば、まさに知るべきである。この仏法者は、仏法の中の怨敵である――
 正法を破壊し、民衆を苦しめる者は、一人たりとも許しはしない!
 日蓮大聖人の仏法は、正義を貫き、人間愛に燃える「戦う仏法」である。
 戸田先生も、後世のために叫ばれた。
 「悪と戦わないのは悪である。仏法ではない。悪と戦うことが善である。真実の仏法である」
 学会には、真面目で、誠実な方が多い。
 実際に学会員と接して、そのように感じ、信頼してくださっている方も多い。
 だからこそ、その点につけ込んで、学会を悪用しようと画策する者も出てくる。
 大切な会員に迷惑をかける邪悪な動きは、絶対に見逃してはならない。
 人間も、組織も、常に変化の中にある。日々、動いている。
 発展するか、衰退するか。常に戦いの連続だ。
 学会は、広宣流布を目指す和合僧団である。
 破和合僧の動きを放置する者は、結果的に、悪に加担したことになってしまう。
 あくの蠢動と戦わなくなれば、その組織は必ず敵に侵されてしまうのである。
 ゆえに、悪は悪であり、正義は正義であると、堂々と「事実」を訴えることである。
 思っているだけで口に出さなければ、物事は動かない。結果も出ない。損をするだけである。
 悪と戦ってこそ善であり、真実の仏法者である。この一点をともに確かめ合い、さらに勢いよく進んでいきたい。

◆沈黙するな!

 一、ハワイ大学の名誉教授で、臨床心理学や精神病理学で著名なアンソニー・マーセラ博士は、よりよい世界を築く変革のために、必要なポイントを指摘しておられる。
 その一つが、「悪」や「不正義」に対しては、決して「沈黙」することなく、敢然と反撃していくことが重要だ、という点である。
 博士は、こう語っておられた。
 「現代においては、実に多くの人が不正義に対して、口をつぐんでしまっているように思えます」
 「しかし人類のため、平和のために声をあげていかなければ、結局、私たち自身が悪の犠牲になってしまうのです。
 逆に、人類の名において発言し、その声を生かし続ければ、それが、未来の“希望の灯”となります。
 “沈黙”は、不正義に“同意”することと同じです。ゆえに私たちは、不正義の輩に対しては、“ノー!”といわなければならないのです」

◆「学会は“善の可能性”開く模範」

 一、また、次のようにも訴えておられる。
 「一つの声が、社会を変える力を持つのです。
 ガンジーは、それを実証しました」
 <博士は「創価学会の歴代の会長も、そうであります」と述べている>
 さらに博士は語る。
 「究極して言えば、“言論”は“剣”よりも強いのです」
 その通りである。民衆の「声」こそ最強の武器である。「言論」こそ、剣であり、弾丸である。
 博士は、社会変革のためには、人間一人ひとりが、自身の中の尊い“善の力”を備えていることを、いかに気づかせ、その可能性を開いていくかが課題である、と主張されている。
 そこにこそ、宗教や教育の重要な役割があると訴えてこられた。
 こした観点から、博士は次のようにも述べておられる。
 「創価学会は、そうした実践の模範をしめされています。
 私は、かつて日本を訪問した折、創価学会は、今までの私には想像もつかないような素晴らしい団体であるとの強い印象を受けました。
 その創価学会がますます発展し、多くのメンバーの方々が、運動に献身されている。その姿に、私は、心から勇気づけられる思いです」
 これが、世界の良識ある眼に映った、学会の実像である。
 私たちの団結と前進は、人間の「善の力」「善の可能性」を開いていく模範であると、確信していただきたい。


◆◆フランスの文豪ロマン・ロラン ためらわずに語れ わかりやす語れ


◆広宣流布は声で勝て!

 一、フランスの文豪ロマン・ロランは綴っている。
 「直截に語れ」
 「理解されるように語れ」
 「よりよく思想に打ち込むために、同じ語を繰り返すことが有効であるならば、繰り返し、打ち込み、他の語を捜すな」(豊島与志雄訳『ジャン・クリストフ』岩波文庫)
 御書には、「声もをします」(328?)、「声仏事を為す」(708?)等と記されている。
 仏の仕事を行うのは、妙法に生きる民衆の声であり、一つひとつの振る舞いである。
 友を勇気づけるには、まず自分が勇気を奮い起こすことである。
 友に確信を与えるには、まず自分が確信の祈りに徹することである。
 友に希望を贈るには、自分が希望を見いだし、一歩踏み出すことである。
 私たちの「声」一つ、「心」一つで、これらすべてを行うことができる。
 「広宣流布は、声で勝て!」
 「声で勝ちまくれ!」
 これを合言葉に、創立75周年の本年を完勝し、荘厳していきたい(大拍手)。
創立75周年幹部特別研修会での名誉会長のスピーチ?

――愚人にほめられるのは第一の恥 大聖人にほめられる大闘争を――

――難攻不落の人材城を――

◆◆信心根本で勝て 恩を知る人に

◆◆◆ともに語り ともに行動 若き友に学会精神を継承


【名誉会長のスピーチ】

 一、人材は、どうしたら育つか。
 実践のなかで鍛えることである。
 戸田先生が第2代会長になり、希望あふれる前進が始まった1951年(昭和26年)。
 9月に、私は、埼玉の志木支部川越地区の「地区講義」担当者に任命された。今でこそ埼玉は東京から近いが、当時は交通の便が悪く、とても遠かった。
 指導者は、人の何倍も苦労せよ――戸田先生の厳愛であった。
 先生は言われた。
 「ただ講義すればいいというものではないぞ。皆に信心の楔を打ってくるんだ!」
 「戸田の名代として、毅然として行ってきなさい!」
 時間をこじ開けては、川越に通った。足かけ3年、御書講義に大情熱を注いだ。「無数の地涌の菩薩よ、躍り出よ!」と祈りながら。
 師の心をわが心として、広宣流布の戦野に打って出るならば、必ずや、勝利と前進の歴史を残すことができる。
 あれから半世紀。
 今、埼玉の天地で、広布と社会の英雄たちが、敢然と立ち上がった。
 あの風情ある川越の街並みも、大きな脚光を浴びている。私はうれしく、また、懐かしく見つめている。
 今年11月には、希望と勝利の法城である新「川越文化会館」が完成すると伺った。心から祝福申し上げたい(大拍手)。

◆友をほめ讃えよ

 一、日蓮大聖人は、人の心の機微を、次のように教えられている。
 「あまりに人が自分をほめる時は、『どんなふうにでもなろう』という心が出てくるものである。これは、ほめる言葉から起こるのである」(御書1359?、通解)
 リーダーは、これまでよりも、もっと、広布へ戦う同志を、ほめなくてはいけない。
 私も、頑張っている同志を、毎日、心から、ほめ讃えている。
 せっかく頑張っているのを、ほめもせず、ただ「戦え」と言うのでは、嫌になってしまう。厳しいばかりでは、皆、逃げてしまう。
 ほめて、ほめて、ほめまくる――この「革命」を起してまいりたい。
 ほめるのが7割、厳しく言うのは、ほんの少々というくらいでいいのである。
 先輩の皆さんは、幾多の激戦をくぐり抜けてきただけに、皆を叱咤するのが“習性”になっている場合がある(笑い)。服についたソースの染みみたいに(笑い)、くっついて離れない。
 しかし、そのままではいけない。
 今、後輩たちも、どんどん成長している。その分、自分は年をとっている(笑い)。皆のほうがいろんなことをよく知っている場合も多い。
 いつも同じ話、いつも厳しい話だけ――これではいけない。
 後輩たちを、どんどん伸ばすのだ。そのために大事なポイントが「ほめる」ことなのである。
 この一点を心していけば、学会は、さらに大きく発展しいける。
 これは、私が言うのではない。大聖人が教えてくださっているのである。
 御書には、“難に負けるようでは仏になれない”と厳然と示されているのと同時に、健気な同志を最大に讃え、ほめる言葉が満ちあふれている。温かい励ましが、仏法の世界なのである。
 「常楽我浄」と仰せの通り、信心をして、楽しくないわけがない。
 広宣流布へ進みゆく皆さまの生命には、最高の大福徳の“勲章”が三世永遠に輝きわたることを確信していただきたい。
 一、ともに語り、ともに行動するなかで、若き友に学会精神を継承させていきたい。
 世間的な見栄や、欲にかられて、信心のことは二の次、三の次――そうして破滅していった愚かな人間もいた。皆さんもご存じの通りである。
 学会に出あい、妙法にめぐりあったからこそ、今の自分がある。
 その恩を忘れない人こそ、人間としての勝利者である。
 「学会のなかで、広宣流布に生き抜く人生が、どんなに素晴らしいか」――それを伝えゆくことこそ、子どもに贈る最高の財産である。
 どこまでも信心根本で進むのだ。そこに勝利の人生が開ける。令法久住の確固たる軌道がある。
 一、歴史家トインビー博士が高く評価したローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス。
 彼は、最期の日に、友人を側に呼んで、こう語ったという。
 「あなた方は、私がこの人生の喜劇で、自分の役を最後まで上手く演じたとは思わないか」(スエトニウス著、国原吉之助訳『ローマ皇帝伝(上)』岩波文庫)
 そして俳優が終幕に述べる口上を付け加えた。
 「この芝居がいくらかでもお気に召したら、どうか拍手喝采を」(同)
 このアウグストゥスの言葉を、楽聖ベートーベンも死の床で語った。
 「諸君、喝采を、喜劇は終わったよ!」と(小松雄一郎編訳『新編ベートーヴェンの手紙(下)岩波文庫』)
 どうか皆さまも、同志から、三世十方の仏菩薩から、大喝采を送られる偉大な勝利と栄光の歴史を飾っていただきたい。
 一、勇敢なる同志の皆さまは、広宣流布の勝利のために、本当によく励んでくださっている。
 各方面の発展は目覚しい。「世界の本陣・大東京」は、全同志とともに創立75周年の上半期を見事な完勝で飾った。
 東京、第2総東京、そして山梨の友は、聖教新聞の拡大をはじめ、すべての戦いにおいて、本陣の使命と責任を、厳然と果たされている。
 「正義の東海道」は、全国をリードする聖教の拡大を成し遂げてこられた。
 神奈川も静岡も、折伏そして未来部の育成などで、模範の実績を積み重ねておられる。
 「広布の要・関東」「完勝の関東」は、今年2月の関東総会を機に、最前線の「ブロック」から、威風堂々と上げ潮を起してこられた。
 埼玉、千葉、茨城、群馬、栃木。広大な地域で昨年より開始された、ブロック中心の家庭訪問運動も、組織のすみずみに、生き生きと歓喜の波を広げている。

◆勝利の原動力に

 一、1953年(昭和28年)の春3月、戸田先生に随行して、栃木の日光を訪れた折のことである。
 東照宮の近くを通った時、先生が微笑みながら「家康君に『戸田城聖が来たぞ!』とあいさつしてきなさい」とおっしゃったことが懐かしい。
 「関八州を制する者は、日本を制す」――この歴史のロマンを、先生は深く偲ばれていた。
 帰りの車中では、関東・東京・東海道の天地に、崩れぬ平和の牙城をつくりたいと吐露されていた。
 「立派な人間を育て、難攻不落の組織をつくって、日本、いなせ界の広布の大拠点を築き上げたいな」
 「ありとあらゆる戦い、勝利の原動力にしたいな」と――。
 うれしいことに、今やこの首都圏には、「平和の道」「文化の道」「幸福の道」が大きく広がった。
 わが同志の尊き健闘を、心から讃え、ねぎらいたい(大拍手)。

◆猛暑の中で戦う尊き仏子を守れ
 
 一、かつて戸田先生は、猛暑のなか、会合に集う同志を見て、涙を流しながら「これほど尊い姿はない」とおっしゃっていた。
 またある時は、「この人たちがいなければ、広宣流布はできない」「この尊い仏子を生命の続くかぎり守ってほしい」と、命をふりしぼるようにして語っておられた。
 “東海道婦人部の大先輩”というべき四条金吾夫人に、日蓮大聖人は、こう綴られている。
 「一切の人が憎むならば憎めばよい。釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏をはじめ梵王・帝釈、日天・月天等にさえ不便であると思われるならば、なにが苦しいことがあるでしょうか。法華経(御本尊)にさえほめられるならば、なにが苦しいことがあるでしょうか」(御書1135?、通解)
 皆さま方の健気な信心を、大聖人がほめてくださることは間違いない。
 戸田先生は、言い残された。
 「御本仏であられる大聖人からほめられる戦いをしなさい。
 凡夫からほめられることなだ、大したことではない。ましてや愚人からほめられることは、第一の恥である。
 ゆえに、自分の人気のために、あくせくする人間は愚かである。
 大聖人にほめられる戦いをすればよいのだ」
 初代の牧口先生も、戸田先生も、そして私も、この御文どおりの「御本尊根本」「大聖人直結」で戦ってきた。
 これが、永遠に変えてはならない学会精神である。
 一、大聖人は、「蓮盛抄」で、摩訶止観の次の一節を引いておられる。
 「師にあわなければ、邪な智慧が日ごとに増し、生死の迷いは月ごとに甚だしい」(御書153?、通解)
 師を得ず、我見に沈んでいては、不幸になるだけである。
 仏法の深義は、正しき師なくしては得ることができない。
 一、「富木殿御返事」では、佐渡流罪という大難のさなか、悠然と、こう仰せである。
 「ただ私は生涯にわたり、もとより覚悟の上である。今になって翻ることはないし、その上また(何があっても)恨むことはない。(その覚悟から見れば)諸の悪人は、また善知識である」(同962?、通解)
 大聖人の直系の私たちも、晴れ晴れと「覚悟の信心」を貫き通したい。
 一、「上野殿御返事」では、熱原の法難に屈せず戦う同志を励ましておられる。
 「しばらくの間、苦しいことがあっても、ついには必ず楽しい境涯になるのである」(同1565?、通解)
 信心を持った我らの勝利は決まっている。幸福は決まっている。
 その大確信に燃えて、前進また前進したい(大拍手)。

(2005・8・12)
創立75周年幹部特別研修会での名誉会長のスピーチ?=完

――勇気の剣を 正義の剣を 法華経の兵法で勝て!――

◆◆◆強く!強く!たじろぐな! 先手で攻めよ

◆◆二刀流を編みだした剣豪・宮本武蔵

◆◆◆必死の祈りで智慧を出せ


【名誉会長のスピーチ】

 一、戦いは「勢い」があるほうが勝つ。
 戦いは「団結」したほうが勝つ。
 そして、戦いは「断じて勝つ」と決めたほうが勝つ。
 「勝つ」ことへの執念。それを極限まで貫き通した闘士に、剣豪・宮本武蔵がいる。
 13歳で初めて勝って以来、佐々木小次郎ら強豪たちと60回以上も試合を重ね、一度も負けなかったという。
 宮本武蔵といえば、私は、小学生時代を思い出す。担任の檜山浩平先生が、授業の合間に読み聞かせてくださったのが、吉川英治氏の小説『宮本武蔵』だったのである。
 駆ける武蔵。剣を振るう小次郎――血湧き肉踊る物語は、若き日の忘れ得ぬ一書となった。


◆◆臨機応変に!=大事なのは「勝つこと」

――勢いとスピードを!――


◆劣勢をはね返せ
 
 一、この名作『宮本武蔵』では、武蔵が初めて二刀流で戦った時のことが描かれている。
 ある名門道場の精鋭70余人に対し、武蔵一人が勝負に挑んだ時のこと。圧倒的な劣勢を勝ち抜くため、武蔵は積極果敢な戦法をとる。
 それは、敏速かつダイナミックに動き続けることによって、敵の集団を分散させ、常に正宗の敵とだけ対面すればいい、という形勢を確保することであった。
 スピードと勢いで、武蔵は逆転勝利の活路を見いだしたのである。
 武蔵は、無我夢中で戦った。捨て身の覚悟で戦った。次から次へと襲いかかる敵に、阿修羅のごとく挑んでいった。
 この真剣勝負の戦いの真っただ中で、無意識のうちにとった技――それが二刀流であった。
 吉川英治氏は洞察している。
 「無我無思のうちに全能の人間力が、より以上の必要に迫られた結果、常には習慣で忘れていた左の手の能力を、われともなく、極度にまで有用に働かすことを、必然に呼びおこされていた」(『宮本武蔵(四)講談社』)
 この二刀流は、ご存じの通り、武蔵の最強の剣法となった。

◆にぎやかに進め

 一、だれもが自分の中に、思いもよらない力をもっている。無限の可能性を秘めている。それを引き出すカギは何か。
 それは、必死の一念である。
 どんなに優位を誇っていても、「勝つのが当たり前」という傲慢な一念があれば、結局は惨めに敗れてしまう。
 見た目は、勝つかどうかわからない、不安定なようであっても、死にもの狂いで戦えば、そのほうが強いのである。
 いわんや、我らには、信心がある。法華経に勝る兵法はない。
 祈れば、智慧が出る。勇気がわく。もう一重、深い次元で勝っていけるのである。
 進軍ラッパを高らかに鳴らしながら、声を大にして正義を叫びながら、にぎやかに進むのだ。
 攻める力を!
 攻める声を!
それがあるところ、必ずや勝利の旗は翻る。

◆魔を破ってこそ偉大な功徳が

 一、宮本武蔵が兵法の奥義を記した『五輪書』には、こうあった。
 「自分の体を強く真っすぐにし」
 「相手を従わせることが大切」
 敵に振り回されるな。むしろ、敵を振り回していけ、と武蔵は教えている。
 何があろうと、たじろいではならない。強く、また強く、進むのだ。
 また、「太刀の構え」だけを重視したり、先例に頼るだけでは勝てない――そう武蔵は言う。
 現実は時々刻々と変化する。大事なのは、臨機応変に勝つことだ。
 武蔵は「何事もこちらから先手先手と心がけることが大事」とも述べている。
 そして、こう記した。
 「剣術の正道とは、敵と闘って勝つことであり、その原則はいささかも変わらない」
 人生の道も、同じである。悪人がいる。苦難がある。それに打ち勝ってこそ、希望の道が大きく開ける。
 日蓮大聖人は「仏法と申すは勝負をさきとし」(御書1165?)、「勝負を以って詮(=要)と為し」(同1002?)等と仰せである。
 仏法は、仏と魔の戦いである。魔を打ち破ってこそ、功徳が出る。
 広宣流布のため、立正安国のために、戦う功徳は無量無辺である。その行動の足跡は、すべて黄金の歴史に変わる。永遠に輝き続ける。
 <『五輪書』の言葉は松井健二・口語訳。弓立社『決定版 宮本武蔵全集』を参照>

◆100%の勝利を!

 一、勝利――そのために今、何が大事か。どうしたら、皆が、労少なくして、最高の結果をつかめるか。私はいつも考えている。
 戸田先生が心に描いた「広宣流布」即「世界平和」の大構想。
 私は、それを担って、100%、いな1000%の勝利を打ち立ててきたつもりである。
 昭和24年の1月3日、私は戸田先生が経営する日本正学館という出版社で働き始めた。
 小さく質素な事務所であった。1階は営業など事務関係、2階は8畳の部屋を真ん中に前後に6畳の部屋が二つあった。
 戸田先生のもとで働ける――私の心は喜びで一杯であった。
 しかし、戦後の混乱のあおりを受け、先生の事業は暗礁に乗り上げた。新しく手がけた事業も難航を極めた。債権者たちは先生の自宅まで押しかけた。
 給料は何ヶ月も遅配。社員は一人また一人と去っていく。
 「戸田の馬鹿野郎!」などと、さんざん罵倒する者さえいた。
 そのなかで、私は一人、矢面に立って、先生をお守りした。
 すべての戦いが、まるで関が原の戦いに一人で乗り込むようだった。
 果てしない激闘の日々が続いた。


◆◆広宣流布は大言論戦 一番の苦境に師弟で構想した聖教新聞


◆友に希望を! 励ましの風を!

 一、戸田先生の事業が悪化するなかで、事態を聞きつけた新聞記者が取材に来ることもあった。
 ある時、戸田先生と私は、記者と会った。その帰り道、先生は私に語ってくださった。
 「一つの新聞を持っているということは、実に、すごい力を持つことだ。
 学会も、いつか、新聞を持たなければならない。大作、よく考えておいてくれ」
 先が見えない苦難の渦中にあって、戸田先生は、広宣流布の遠大な未来を展望し、正義の言論を堂々と展開しようとされていたのである。
 後に新聞創刊の機が熟すと、企画会や打ち合わせが何度も開かれた。
 紙名をどうするか検討した際、「文化新聞」「創価新聞」「世界新聞」などの案が出た。
 戸田先生も、「宇宙新聞」という案を出された。
 まるで、天文学の新聞のようである(笑い)。それくらい、戸田先生の理想は壮大だった。
 大宇宙の根本法である仏法を、世界中の人々に伝えゆく新聞をつくろう――それが、先生の心意気であった。
 この師の心に応え、創刊以来、私は書きに書いた。
 幹部の人物紹介、歴史上の人物の生き方を論じた一文、デマや誤報を打ち破る論陣――。
 同志を励ますため、正義を打ち立てるため、縦横無尽に筆を執った。
 聖教にかける思いは、今も寸分も変わらない。聖教新聞は永遠に「広宣流布の原動力」である。
 健気に奮闘する友が、安心して、喜びに満ちて前進できるように。堂々と、希望をもって戦えるように――そのための聖教新聞である。
 一人でも多く、友の心を鼓舞しようと、私は絶え間なく執筆し、スピーチを続けている。
 ともあれ、激励すれば、相手の心は動く。心が動けば、体も動く。生命のエンジンが回転していく。大変な戦いも、勝ち進んでいける。人生に勝利していける。
 リーダーは、誠実に、心をこめて、同志を讃えることだ。激励の風を送り続けることだ。そこに徹した分、広布は勢いを増して前進していく。

◆先頭に立て!

 一、今回の研修会では群馬の皆さんに大変にお世話になっている。あらためて、心から御礼申し上げたい(大拍手)。
 広宣流布のため、地道に戦ってこられた功労者の方々に、私は最大に賞賛したい。
 そうした人を見つけ出し、何かして差し上げたい。感謝を伝えたい。それが、私のいつわらざる気持ちである。
 反対に、広宣流布の団体に傷をつける人間は、許してはならない。
 皆に支えてもらっているのに、それを当然と思い、自分は偉いと錯覚する。魔に食い破られ、信心を失っていく――そういう愚かな人生であってはならない。
 先頭に立て! 先駆を切れ! それが真のリーダーである。
 自分自身のために、同志のために広宣流布の勝利のために、一緒に戦おう!(大拍手)

(2005・8・13)

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