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新谷研究室コミュの修論・卒論合評会

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昨日は今年度提出した修論及び卒論の合評会であった。僕たち教員としてみれば、自分たちの指導の結果の自己評価みたいな場でもあるし、相互にきちんと文章にして批評し、かつディスカッションをするということがそれぞれの自己研鑽に結びつくはずだ。
今回の合評の対象は5本。朝の10時半から夜の9時までのハードスケジュールであった。また、一時は30人を超す参加で、哲史研がぎゅうぎゅうになるという状態であった。
それぞれについてのコメントはそれなりに出されたと思うので、総論的なことだけ書いておく。
?自分の課題をみつけよう。
自分は何の研究者であるのか、そしてここでは〈そのために〉何をしようとしているのか、ということだ。長い目で自分の研究戦略を立て、その上で眼前の論文の明らかにするべきことを見出せ、と言うことだ。
例えば(たまたま例えばであって、それぞれのことだよ)最初にやったS井さんの場合、保健婦の戦後史をやりたいのか、産炭地の健康問題をやりたいのか、保健婦の教育活動史をやりたいのか、等々いくつでも課題は成り立つ。その大きな課題がないと眼前の修論に立てるテーマはみつけにくい。で、先にともかく史料を集めちゃえ、というのもありだが、資料の集め方が効率的とは言えないだろう。また、自分が何をしているのかもわからなくなるだろう。インタビューなどをするとしたら聞く内容自体が決まらないことになる。
それでまず大きな研究の方向を決める。つまり自分は何の研究者なのか、ということだ。それは自己紹介の時に出る。僕なんかも「私は中等教育史をやってます。」と言えるのだが、それは幅広い分野とか領域を指すものだ。自分がどういう研究者かを説明するのならば「私は日本における中学校教育の成立史をやっています。」くらいのことを言うべきだ。で、それだけだと自己紹介としては他人行儀なので、ふつうは「そういうわけで、今は明治10年代の福岡県の中学校教育政策について調べています。」などと言うと、みんな「なるほどそういう人かあ。」というふうにわかってくれる。この「明治10年代の〜」という部分が諸君の場合、卒論やら修論のテーマになる。その時、「筑豊の保健婦のことを調べてますぅ」ではダメだ。「(昭和20〜30年代の)筑豊の保健婦(が炭鉱労働者の生活改善に果たした役割とその限界について)のことを調べてますぅ」とか「(昭和20〜30年代の)筑豊の保健婦(と企業との軋轢)のことを調べてますぅ」というように、具体化したものでないと自分について説明したことにはならない。しばしば研究会の時に自己紹介をしてもらうのはその練習なのだ。自己紹介を聴いているとその人の研究の進み具合がすぐにわかる。何も考えていない人は名前と学年くらいしか言わないし、論文がうまく言っている人はその内容がすぐわかるものになっている。
《自信があるものは具体的に出てくる。自信のないものは曖昧になる。》
?論文を書く正しい手続を身につけよう。
ほんとうは自分でいくつかの先行研究を見て自分でその作法を獲得するものなのだが、最近は細かいところまで教えないとできない人が増えている。それでNN村センセイなどはQ教学会の執筆要項の作成で苦労していたのだ。僕も学会の編集委員を長い間していたが、とにかく論文を書く作法に無頓着すぎる。作法というのは、注の付け方、引用のしかた、章や節のつけ方、などのことだ。僕は主義としていちいち教えない。自分で最大限の注意を払え、とだけ言いたい。
?歴史は史料によって語らしめよ。
歴史は資料によってのみ説明される。歴史的事実に対する評価はけっして自分の主観的な評価になってはいけない。例えば福沢諭吉をどう見るか。「福沢は偉い」と言った段階でその論文は歴史小説になる。現在の自分の価値観で歴史上の人物を評価してはならない。評価するのはその時代の価値観においてのみだ。だから「その後の事態を見ると福沢の選択は正しかった」という評価はありうる。ちゅうことは、その時代の価値観に通暁しなくてはならないのだ。ところが、そうなってないものがいくつかあった。

定例研究会は指導の場である。それは教員から一方的に指導をするということではない。その場でどういう発表をするかはもちろんだが、人の発表について自分ならどうするかということを必ず考えなくてはならない。そうすれば自分の研究を考えるときにそれが生きてくる。ただ考えているのではダメだ。
質問をしたり、意見を言ったりすることで自分のものになる。研究会で発言をしないなら成果は半分しかないといってもいい。殊に昨日のような完成品の論文が晒されていて批評するような場合は、発言しなければ来た意味はない。発言しないのはもったいない。発言のできない人は伸びない。
また、人の意見をよく聞くこと。教員の意見は確かに大事だが、先輩や友人、後輩の意見の中に教員よりも重要な示唆があることもある。それのできない人は伸びない。

コメント(1)

・卒論・・graduation thesis
*学士・・・大学を卒業した者、大学を卒業した者と同等以上の学力を有すると認められた者に与えられる。 

・修論・・master's thesis
*修士・・・専攻の学問分野について深い学識と研究能力を有する者に与えられる。
                     <電子辞書>

 嵐を呼ばれる男様も大変だと、お察しいたします。
私も、33年前卒論を原稿用紙40余枚程書き、確か良?!だったと思います。嵐・・様がおっしゃるように、自分が何をしたいのか(卒後)・何になりたい?のかを、少なからず書いたと思っています。それは、高校生時からの思い?でした。
何の為に、高い授業料を親に払ってもらい大学まで行くのか、行かせてもらうのか?を考えて・・・いました。ですから、その意味で、少しばかり?!必死?でした。一月末に書き上げ、担当教授に見てもらい、1・2度再考・書き直した記憶があります。嵐・・様が言われる様に、何をしたいのか・しようとしているのか?が分らなければ、フォーカスが定まらずピンボケの作文になってしまう?!と思います。大学卒業したはいいけれど・・・!?という言葉は、21世紀になっても変わらない!?のだと、嵐・・様のコメントを読んでおもいました。
 失礼致しました。

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