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遠藤周作を読むコミュの月光のドミナ/海と毒薬

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昭和33年 35歳

海と毒薬:第5回新潮社文学賞、第12回毎日出版文化賞受賞

コメント(2)

「海と毒薬」

 やっと、読めました。まさに10年ぶり。
 読もう読もうと思っていましたが、二度読むことを
いつも躊躇させられます。
 しかし、その前に続きの「悲しみの歌」を読んでしまったので、流れで読めました。

 久し振りに読んだのに、そして若いときの作品であるのに、
文体がしっかりしているし、描写もこちらの「想像」する余地を残していて、実に余韻を楽しめるものでした。

 神があることで「倫理」が生まれ、それが罪の意識を生み、
また一方で神がいないことで「道徳」を生み、それが恥じを形成するなどと通俗的に言われています。
 まぁこれなんか神への、西洋への複雑な思い(コンプレックス)なんじゃなんて思いますが、海と毒薬の巻末の物語説明には、日本人の罪の希薄さ、ということについて書いてあります。などという感じに書いてあります。

 確かに、僕がまだ十代のときこの本を読んで、全く戦争中に残虐なことがあったのだ、勝呂とはなんともやもやしたはっきりしない男だ!、と思い、人間の残虐さと闇の部分に焦点をあてて読んでいたように思います。

 今回読んでみて、まったく違う読み方になりました。
 
 木村敏という方が、集団主体性なるものがあるのではないか?ということを晩年言ってます。
 あんまりはっきり理解していないのですが、つまり、それは
鳥の群れがいたとして、その一匹一匹は特に連絡をとる訳でもないのに群れとして空を飛ぶ場合、大きな塊として、そうそれはまるでひとつのおおきな生命のように相互がぶつかり合う事もなく飛ぶ事が出来るという光景から考えたようです。
 似たようなことは、とても多く、例えば、猫に合ったことのない家猫でも、やはり窓からのら猫を見ると大騒ぎして呼ぶわけです。犬だと反応が違います。それは、つまり経験ということを超えて、猫という個体が「種」を感じているということです。
 おそらく集団主体性なるもの人間にもあるはずです。
自分個人だけでなく、種としての、集団としての人間の流れが個の生に影響する、ということです。人間の場合、多くは情報を伝達して知らず知らず「群れ」となる場合が多いのでしょうけど、それだけでなく。

 この生体解剖実験も一人一人の罪の希薄さを問うた小説なのではなく、そういう「流れ」に関して書いた小説のように思えます。そこで「海」が重要なテーマになっているとも読めます。

 ただ、後半の作品のように「救い」に関しては一切言及していません。勝呂が苦しむ場面においても。そこには「救い」に関しての言及は一切ない。言葉を変えれば、遠藤周作の宗教的姿勢はほとんど描かれておらず、「人間描写」に限られているといっても過言ではありません。(過言かも・・・。)

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