バーティンは第三世代の書き手、或いはロスト・ジェネレーションの書き手と云われている世代のお一人です。ダーレスに依って、キャンベルやラムレイに続いて活躍する筈が、ダーレスが急逝し、これ幸い(?)とアーカム・ハウスがクトゥルー神話から手を引いてしまい行き場を失った書き手のお一人です。GREAT OLD ONEのシアエガの生みの親です。
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ダーレスが急逝したことで発表の場を失った作家といえば、バーティンよりもむしろジョン=グラスビーではないでしょうか。ダーレスの没後にジェイムズ=ターナーがとった方針については賛否両論ありますが、TALES OF THE CTHULHU MYTHOSの新版とCTHULHU 2000をアーカムハウスから刊行したことはターナーの功績といっていいだろうと思います。
ダーレスは遺言でドナルド=ワンドレイをアーカムハウスの次期編集長に指名していたとピーター=ラバーがARKHAM'S MASTERS OF HORRORで述べていますが、ワンドレイがダーレスの後を引き継いでいたらどうなっていたでしょうね。もっともワンドレイはワンドレイでラヴクラフトの模倣作に厳しいところがあって、たとえばフレッド=ペルトンの『サセックス草稿』がお蔵入りになってしまったのはワンドレイの意見が理由だそうです。
ところで、この翌年に今度はトンプソン事件が起きています。ウィアードテイルズの1947年7月号でC=ホール=トンプソンが"The Will of Claude Ashur"を発表したところ、作中でクトゥルー神話用語が使われていることについてアーカムハウスから苦情をいわれたという事件ですが、トンプソンのエージェントを務めていたラートン=ブラッシンゲームにダーレスが送った書簡には「ワンドレイと私からお願い申し上げる」と書いてあります。ワンドレイが単に名前を貸しただけなのか、もっと積極的に関与していたのか私は知りませんが、『サセックス草稿』の一件から類推するに彼はトンプソンにも好意的ではなかったことでしょう。
>>[104]
シュブ=ニグラスの千匹の若き闇共(Dark Young of Shub-Niggurath)というのはロバート=ブロックの「無人の家で発見された手記」に出てくる「ショゴス」を基にクトゥルー神話TRPGの設定として考案された怪物であり、ラムジー=キャンベルの"The Moon Lens"に登場するものとは異なります。後者のことをキース=ハーバーらの『キーパーコンパニオン』ではシュブ=ニグラスの福者(the Blessed of Shub-Niggurath)として紹介していますが、最近は原作通りに"Gof'nn hupadgh Shub-Niggurath"と呼ぶことが多いらしく、ダニエル=ハームズのTHE CTHULHU MYTHOS ENCYCLOPEDIAやスコット=デイヴィッド=アニオロフスキの『マレウス・モンストロルム』にもその名で項目が立てられています。
第二次世界大戦後のワンドレイがどの程度までアーカムハウスの運営に関与していたかは研究者の間でも意見が分かれるようです。ワンドレイはずっとダーレスと連絡を取り合い、彼に協力し続けていたとD.H.オルソンはDON'T DREAMの解説で述べています。一方ピーター=ラバーはARKHAM'S MASTERS OF HORRORでオルソンの説に反論し、「確かにダーレスとワンドレイは手紙のやりとりを続けていたが、その内容は自分たちの趣味などに関することばかりで、アーカムハウスはダーレスが独りで切り盛りしていた」と主張しています。1940年代のダーレスがワンドレイの意見を取り入れていたことは『サセックス草稿』の一件から明らかなのですが、その後ワンドレイは徐々にアーカムハウスから遠ざかっていったのでしょう。だとすれば、ラムレイやキャンベルが世に出る頃にはワンドレイはもう口を挟もうとはせず、ダーレスが彼の見解を気にすることもなかったのかもしれません。
1/13はクラーク・アシュトン・スミスの誕生日でした。
1/22がロバート・E・ハワードの誕生日。
1/24がC・L・ムーアの誕生日・・・クトゥルー神話的には、ヘンリー・カットナーの奥さんで、ラヴクラフト達が参加したリレー小説「彼方よりの挑戦」にも参加それていて、後、現在はGREAT OLD ONEの一体に数えられるファロールの創造主となります。