ぼくが最初にそう思ったのは、マリア・カラス(またもやすごいブームでベスト盤は売り切れとのこと)のロッシーニとドニゼッティ、ベッリーニの歌い方を聴いたときにさかのぼります。ご存知のように彼女はノルマやルチアといった典型的なベルカントのレパートリーで有名ですが、ロッシーニはあまり録音していない。しかし、評論家はこぞってけなしたけれど、彼女のロジーナを聴いたとき、おなじコロラトゥーラといっても、これはちがうな、と思いました。彼女はロッシーニのアジリタは努力して一音一音が分離して聞き取れるような歌い方をしている。ところが、ルチアの狂乱の場などでは、全体にレガートがかかっていて、そういう傾向はない。さらにロッシーニでは、恣意的にひとつの音をのばすということはほとんどしていない。ところが、ルチアでは、楽譜に指定してあるのかどうか、かなり頻繁にひとつの音をのばして歌っている。おそらく彼女は無意識のうちにロッシーニの様式を把握していたのだと思います。ロッシーニのオペラはいわゆるベルカントのそれと違って、アリアが少なく、ほとんどが重唱です。だから、ひとりが恣意的に音をのばすことができないしかけになっているんだな、と思いました。
彼女と同時代のいちおうアジリタがこなせる数少ないソプラノも、そのことに無頓着でした。とくにオーストラリアの某デイムは。
90年代になって、このことは当たり前の前提になりました。カサロヴァ、バルトリ、バルチェローナ(まだまだいますね)など、まるでメトロノームで打ったように正確なリズムでアジリタのパートを一音一音を分離させて歌っていますね。
当然の帰結として、ロッシーニ歌いはかつてのようにベッリーニやドニゼッティには原則として手を出さない。
そうして、カサロヴァはべつとして、バルトリらは、積極的にバロックのオペラを取り上げています。とくにバルトリのヴィヴァルディのアルバムは彼女自身が楽譜を探し出してきて、
開拓者精神が旺盛です。
カサロヴァは、いまのところ、モーツァルトまでしか歌っていないようですが、彼女の技量からすると、ヴィヴァルディの超難関なテクニックをどうこなすのか、聴いてみたくなります。とくにバルトリが有名にしたグリゼルダのAgitata da due ventiなどは、バルトリやカンヘーミ(naiveの全曲盤)とはまた違った切り口であっといわせてくれるのじゃないか、と期待できるのですが。長文になりました。ひとまず、このへんで。