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瞑想コミュの数息観(すそくかん)のススメ

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今年になって、始めて禅をした寺に25年ぶりくらいで行きました。
シロート座禅会なのですが、なんでも戦前から続いているそうです。

シロート用なので、最初に数息観が三回あるんです。
今更、数息観かよ?と思いましたが、やってみると、これは初心者用にホントにいいもんだと、気がつきました。

まず、やりかたですが、数を呼吸に合わせて、数えて行き、1〜10まで数えたら、また1から繰り返す瞑想。
これを延々とやるんですが、わざとじゃない程度に、ゆっくり目に数を数えると言うものです。

で、何が良いと思ったのかと言うと

1)瞑想用の集中力が付く

瞑想用の集中は、勉強用の集中とは違います。数を数えて行くと、最初は勉強用の集中で、やることになると思います。
まぁ、最初は他の集中は知らない筈なのえで、キツくない程度に、少し声を出して、数えて行きます。
で、これが上達すると、面白い事に数が合わなくなるんですw
数字を繰り上げて行くとか、1に戻すとか、こんな事でさえ頭がやっているんですw
瞑想用の集中が出来るようになると、ボケ老人のように数が合わなくなったり、とにかくデタラメになります。

2)やめどきが判る

初心者用瞑想の難しい所は、もうそのレベルは越えていて、別のに代えたほうが良くなっても、それが判らない事です。
けど、数息は、数が合わなくなるので、やめどきがハッキリわかります。
そうなると数を数えずに、呼吸に集中するなり、そのまま禅に行くなり出来ると思います。

3)たぶんキツくない?

瞑想は、はじめてやると、キツいですが、数息は、きつくないと思います。
何が結局きついのかと言うと、微細な感覚に集中するのは、最初は、まず上手く出来ないし、そうなると必死になるので、更に、きつくなるんです。
けど、数を数えるなんて、かなり荒い意識で出来る事なので、きつくないと思います。

今後、どの瞑想をやるにしても、まぁ数息観でキツいようだと本当にキツいだけだと思います。
けど、ここらが瞑想っぽいのの本当の入門用で、もちろんもっと荒い意識を感じるのから入っても良いと思います。
たとえば経行(きんひん)(歩行瞑想)などが、それです。あるく感覚に集中すると言う奴です。

瞑想って、ようするに感覚に集中する事で、どうせなら微細な感覚ほど良いって事なのですが、最初は一瞬だって微細な感覚を正確に感じ取るのは難しいと思います。

俺はイキなりゾクチェンからだ!とかよりは、ここらあたりで、瞑想用の集中力って何?ってのを身につけたほうが良いと思うので、お勧めしておきます。

コメント(10)

ぼくも20年以上前に数息観をしていた時期がありました。

ぼくにとっても、それが最初の初心者向けの瞑想体験になりました。

確かに、もっと粗いエネルギーを動かずやり方から入るのが合っている人たちも少なくないと思いますが、この辺から瞑想に入るのが、とりあえず良さそうな気がしたものです。

初心者向けの瞑想を、延々と続けている人たちを見掛けることがありますが、次のステップに進むためのやめ時は重要ですね。

ぼくの場合には、アナパーナ・サティ・ヨガ(呼吸を見つめるヴィパッサナー)を長らく続けていた時期がありましたが、見つめる対象としての呼吸を意識できなくなる深い瞑想状態に、たまたま入れたから卒業できたものの、初心者向けとは知らずに、これをやり続ける人たちもいます。

これを不必要に続けると、呼吸を見つめるのが癖になり、逆に覚醒が遠のくし、このテクニックから卒業するのが難しくなってしまうのですが、こうした知識は広まってないので、ついつい真面目にアナパーナ・サティ・ヨガをやり続けてしまうのですね。

数息観が、その点で安全なのはよくわかります。
>確かに、もっと粗いエネルギーを動かずやり方から入るのが合っている人たちも少なくないと思いますが

知り合いに数息観も出来ないのがいて、自転車が趣味で室内自転車を持っていたので、こぐときに足の動きに集中し考え事をするな!と言ったら、やっと出来たのがいます。

実際問題、数息観でも、きついなら、こういうコースにしたほうが良いと思います。

ようするにキツくない範囲で出来る感覚に集中すれば良いのだと思います。

>次のステップに進むためのやめ時は重要ですね。

やってみて、これなら誰でも、やめどきが判断できるなと思ったのが最高に良い点だと思います。

>ぼくの場合には、アナパーナ・サティ・ヨガ

はい、これのやめどきは結構判断が難しいと思います。

仏典では、どうなれば次に行け!と言うのが書いてはあるんですが、書かれているのが清浄道論なので、これに従うと小乗コースになります。

光が見えたら、光に意識を移して、呼吸から集中を外すと言うのが、その流儀なのですが、どのみち光は見えてくるので、光じゃなくても、そこそこ見えだしたら、やめて良いと思います。

まずは、呼吸そのものが見えてきます。まぁ見えると言うのは表現が変ですが、ほかに妥当な表現が無いくらい見えると言う感覚になります。

まあ、ここから入ってやろうと言う人は、口をつむって呼吸を体任せにして勝手にやってて貰って、まずは鼻の下の上唇に鼻息が当たる感覚に集中します。

で、これが出来ると、鼻息が当たる所ではなくて、呼吸が唇の上を通過する空間あたりに集中します。

そうこうしていると、呼吸が見えて来るようになれば、部屋の中の様子とか目を瞑ったままで見えてきます。

たぶん、このあたりで、心が見えてくるので、そうなれば、そっちに移ったほうが良いと思います。

上唇の上を通過する呼吸に集中すると言うのは、たぶん最初からは無理だと思います。
瞑想の大事な所は、自分のレベルより簡単すぎるのをやらない事と、難しすぎるのをやらない事です。

どうやっても、数に集中出来ないなら、数息観をやってはダメだし、鼻の下に空気が当たる感覚も判らないのにアーナパーナ(随息観)を、やってはダメです。

どこの道場に言っても、がまん大会みたいになっている原因のひとつは、やっぱりレベルが合ってないから。

どうせやるのは自分なんだし?って事で、こっちのほうが凄い瞑想とか言われても、出来なきゃ同じ事なわけです。

自分の程度に合ったものを楽しくやるほうが、プロになるわけでも無かったら遥に重要な事だと思います。




まぁ、こんな説明じゃ判らないと言う人は、近所の道場に行ってみるのが良いと思います。

探せばかなりの田舎でも、何某かあるし、まぁ最初は、どれでも良いと思います。

ただし、しっかりと覚えておくことは、瞑想を習いたいと言うのは単なるエゴだと言うことです。
同時に、教えたいってのも、同様にエゴです。

瞑想すればエゴが無くなると言うのが本当かどうかは、教えてる人らを観察すれば判ることですが、全くそんなことはありませんよw

どこに行っても能書きだけは達者なもんですが、後は瞑想が上手い先生と下手な先生が居るくらいの話です。

もう瞑想しちゃったお陰で人間が出来まくったって類の話は絶対うそですw

30年ばかりあれこれ見て来ましたが、そんな人は一人も居ませんでした。

逆に調子のいいことを言う人は山ほど見てきましたがw
>後は瞑想が上手い先生と下手な先生が居るくらいの話です。

ここの案外重要で、瞑想の上手い先生に付けば上手くなると言う物でも無いです。

必ずしも瞑想が上手ければ、教えるのも上手いと言う物でも無いし、瞑想が上手い先生は、だいたいが瞑想ばっかりして来たと言うのもあるんでしょうけれど、やっぱ才能がある人が多いからです。

所詮、瞑想は自分がやるか、やらないかです。

得に禅なんかは、ポーズが決まったら、後は習う事も無ければ、教えてもくれません。

まぁ、道場とかだと逃げ出さない限りは、練習時間にはなるけれど、それだけの話です。

とにかく、うだうだ言わずに練習時間を増やして行くしか方法は無いです。

すんごい瞑想を、すんごく見事にやる人は居るかも知れません。

けど、それは所詮が他人の話w

自分が、自分なりにやるか、やらないかしか無いんです。

あやかろうたって、そうはいかないわけですw

◯◯瞑想がいいよ!とか◯◯先生がいいよ!とか言っても、やるのは誰でもなくて自分なんです。

ここらあたりを勘違いしてる人は多いし、勘違いさせたい先生もも多いですよw

瞑想とかって、宗教掛かっているので、ここらあたりは得に注意する必要があります。

うちの瞑想は◯◯に良い!とか言われたら、そのまま詐欺の類と思っていて間違いないです。

良いかどうかは、自分がやってそうならそうだし、違えば違うわけですからねw
他に注意する点としては、インドに行けば悟るとかチベットに行けば悟るとか言う類の話です。

どこに言っても結局は、そこでの現実があるだけの事で、それ以外は何もありませんよ。

もちろん、国内の◯◯に行けば?ってのも、うそです。

また、偉い先生にイニシエーションして貰ったら瞑想が上手く行くと言う類も、うそです。
麻原なんかダライ・ラマにイニシエーションして貰っていますが、あのザマです。

もちろん、シロートにイニシエーションして貰うのは、もっと無意味だし、やらないほうがマシです。

でも道場に行け!と言うのは、逃げ出すのはカッコ悪いから、嫌々でも練習時間が増えるからです。
また、どこの道場も瞑想がうまく行かなくて悶々としてる人らが、いっぱいいます。
これのどこがダメで、こんな事になっているか、判るようになる事も、道場に行く意義があります。

最後に覚えて置くと良いことは、どんな瞑想マスターでも、瞑想時間の100%は禅定に入っているわけでは無い事です。
まぁけど、そういうマスターは、禅定に入っていなくても、ふらふらしたりはしませんよw
と言うか瞑想中に昼寝していても、シロートが見たら、まず見分けが付きませんw
まぁ、瞑想には、そのくらいの場慣れが必要なんです。
>と言うか瞑想中に昼寝していても、シロートが見たら、まず見分けが付きませんw

ざっくり、どうなったら道場の類に行かなくても良いかは、ふたつあります。

1)毎日、自分ひとりで瞑想が続くようになった時。

三十分でも良いので、朝晩の瞑想がひとりで出来る事でしょうか?
これ案外と難しい事のようです。

道場にいるのと同じくらい、しっかりした瞑想を毎日続けられれば、行くだけ面倒ですw

2)道場の後ろに座っている人の様子が判るようになった時。

キテレツな事をいいますけど、瞑想中に道場の人の様子が全部わかるようになるんです。

もちろん隣の奴とか、ごそごそふらふらすれば、瞑想になってないじゃん?って判りますよねw

けど、そうじゃなくて瞑想対象が微細になって行き、それを動かせるようになると、別に部屋の
どこの様子だって、わかるようになるんです。

こうなったら、もう行っても仕方ないです。

まぁ、こうなるまでは、どれか近所にあって、好きな所に行くのが良いと思いますよ。
あとひとつ抜けていました。

瞑想メソッドを自作してる所には行ってはダメです。

そもそも行法を自作してる連中の動機って本当に心根の貧しい話ばかりで、ようするによそと差別化し、うちはこんなメソッドがあるので、いいんだよ?と言いたいだけなんです。

要するに、よそと張り合いたいだけの事で、実際にやってみると、くだらなさしか感じません。

どうせ、その人その人で瞑想するんだから、こんなのあっても仕方ないし、言葉巧みに実際には良くもないものを宣伝してるだけの事です。

その上で言えば、色々やってきましたが、ゾクチェンと禅が自分なりには、最も優れた瞑想だと判りました。

これは私にはそうだと言うだけの事で、誰でもそうだとは思いません。
[006] 温泉さん

>◯◯瞑想がいいよ!とか◯◯先生がいいよ!とか言っても、やるのは誰でもなくて自分なんです。

>ここらあたりを勘違いしてる人は多いし、勘違いさせたい先生もも多いですよw

幾つかのグループや有名な指導者の先生たちが思い浮かびますが、ぼくの知る限りでも、いずれも問題ありですね。

いまここ、という言葉が昔から流行っていて、いまここの教えが広まっていますが、実は本来の教えを見事に誤解をしていたり、このマントラを唱えると空に至れるとか可笑しな教えを信じている人々もいて、ある知人など10年瞑想に励んでいても、何も本質的な進歩がなかったりなど、いろいろ問題は少なくないです。

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