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瞑想コミュの上座部仏教は上座とどのような関係があるのか?

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結論から言えば、ハッキリと何の関係もありません。

私が上座部仏教とは呼ばずに小乗仏教と呼ぶのは、上座(つまり大乗が分離し残ったとされる団体)と、現実の上座部仏教は何ら関係の無い団体だからです。

一般には、上座から分別識部と呼ばれる部派が発生し、これがスリランカに伝わったものが、現在の小乗の主幹とされていますが、これは途絶えている系譜です。

スリランカの大史と呼ばれる歴史書に書かれていて、スリランカ政府のページから、どなたでも読むことが出来ます。

http://lakdiva.org/mahavamsa/chap037.html

要約すると、小乗と大乗の間で争いが起きて、小乗側は破滅し、大乗側は島流しにあったとあります。

この後どうやって僧団体を再結成したかは謎で、歴史書的に言えば、ふってわいた事になります。

分別識部と言う部派も、代表的な小乗には含まれない団体なのですが、いずれにしても、ここでアウト。

分別識部と言うのも成り立ちは諸説あって、どれが本当か判らないようですが、仮に上座の流れを汲む
ものであっても、ここで終わっているのに、上座部となのるのは、おかしいわけです。

もっと言えば、他の部派が活性化していた時期には自分らだけが勝手に上座および上座部などとは
名乗れる筈もなく実際は赤銅鍱部と呼ばれていたんです。

このように自分らは部派の生き残りだと言うような話は、すべての現存する小乗は、その後にスリランカから
分離した経緯を持つ為、明らかなウソッパチなんです。

とくに、スリランカは、その後、植民地になった為、坊さんの全く居ない時代が長く続きました。

現在のスリランカ仏教は、江戸時代にタイから逆輸入したものです。

しかし、その後すぐに僧団は、カーストで入団を決めるようになり、またタイから着た坊さんが指摘した事項も
守らずに、植民地から開放されると、仏教を旗印にしたアパルトヘイトになって行きました。

スリランカ内戦は、仏教側アパルトヘイトが、他民族であるタミル人を迫害し、武力により内戦は終結した経緯。
北海道より小さいスリランカ島で、東日本大震災より多くの人を殺しています。2004年までやっていました。

現在はアパルトヘイト国際法に牴触すると言う運動すら起きている状況です。

オウムがチベットに土を付けたお陰で、こんなのが流行っているのが日本の現状です。

こんな調子なので全くなんの反省が無いのと同じなのが、実際の日本の仏教スピリチャルなわけです。

コメント(20)

スリランカは、イギリスの二重統治で、実際の統治は、インド人(タミル人)に、やらせていました。

スリランカだけでなく、バングラディッシュやミヤンマーも同じような二重統治。

で、植民地が終わって、多くのインド人は、インドに帰ったのですが、居座った人もいたわけです。

スリランカ人は、まずこういうタミル人を公職から追放し、どんどん権利を奪って行きました。

で、これを鼓舞したり、正当化するのが、仏教の役割だったわけです。

と言うか、こういうアパルトヘイトを作っていったのが仏教指導者達だったわけです。

内戦にまでなったのは、タミル人だけですが、小競り合い等は、どの宗教とももめごとを
起こしています。

こんな宗教を水揚げした連中は、ほんと馬鹿だと思っているし、調べてみると禅宗関係者
までが、関わっていたようです。

如何に終わっているか、何の反省も無いのか良く判る話だと思います。

まぁ途絶えた系譜について、色々言っても仕方ないんですが、赤銅鍱部(南方上座部)が
分別識部の流れを汲む根拠も、大史に出ています。

スリランカ王に、分別識の教えに従った仏教を展開するよと僧侶が伝えるシーンがあります。

ちなみに滅んだとされる年代は、西暦0年前後で、西暦400年ころに、法顕と言う中国層が
スリランカに言ったら、小乗も大乗も、同じ名前でやっていたと言う記録があります。

で、まぁ小乗の連中は、ここを誤魔化して部派の生き残りの伝統的な仏教よ!と吹かしているわけです。

またビルマへの、この流れは、ビルマの王が大乗(アーリア僧)が嫌いで、うちにも教えろと
言うのをスリランカが断ったので、戦争を仕掛けて、その戦利品として、坊さんから何から
セットで持ち帰り始めた経緯。

タイへの流れは、日本で言えば鎌倉時代以降の話で、案外と歴史は浅いんです。

スリランカがタイからの流れを証明する証拠としては、スリランカの坊さんは、眉毛を
そっているでしょう?

これは、タイでビルマの坊さんがスパイ活動するので、眉毛を剃らせて、ビルマと区別する
歴史を、そのままスリランカが受け継いでいるもの。

ざっくり、こんな歴史なのだけど、上手に商売するもんだね?と正直思いますよw

伝統的な上座部仏教のホントの所は、こんなもんって事です。


次回は気がむいたら、どうして小乗仏教はダメなのか?と言う、教理のカラクリを
説明しますね。

日本の坊さんこそは、小乗の改良版仏教なのだから、私なんかより正確に言えて
あたり前なのだけど、実際問題として知っても居ませんw

知らなきゃ喋れないもんねw
部派仏教の流れを汲む仏教が、かつてスリランカにはあった。

と言うのは、この資料からも、ホントだと言うのがわかりますよね?

けど、それが滅んだと言う所まで、きちんと書いてあるわけです。

つまり部派の生き残りと言うのは、何の根拠も無いウソッパチw

いや生き残りだと言うのなら、政府公認の資料よりも信頼性の高い
根拠を持つ資料を持ってくる必要があるわけです。

まぁ、そう信じたいと言う人には気の毒だけど事実は事実なわけでしてw

こんな資料インチキだ!と言うのなら、今度は部派と赤銅鍱部との関係が保てなくなるんですw

要するに、こういう政府が公表してる資料でさえ都合良くキリハリしてハッタリの歴史を吹聴してると言うこと。

外国の事なので、知らないことを良いことに、なんでも商売に結びつけますって根性がミエミエでしょ?

温泉さん

有名なスリランカ仏教の長老の本が、日本で非常に売れていますが、少し詳しい話を聴いただけで、どうにも何か胡散臭い感じがあったものです。

こうした感覚はまんざら根拠がなかったわけでもないのですね。

般若心経に対する解釈など、その洞察は駄目でしょ〜、と突っ込みを入れたくなるわけですが、日本人の仏教観に多大な影響を及ぼしている感じですね。

オウムとの関連でも、チベット仏教については、ずっと深い洞察が必要な気がするのですが、やはりオウムがチベット密教の難点の一端を露呈させた、という一面はあると思います。

話題は逸れますが、インドのグルイズムの伝統というのも、チベット密教以上にグルイズムの典型的なケーススタディとして取り上げる必要があるのでしょうね。


>般若心経に対する解釈など、その洞察は駄目でしょ〜、と突っ込みを入れたくなるわけですが、日本人の仏教観に多大な影響を及ぼしている感じですね。

あの本は、逆に小乗を上手く表していると言うか、限界がどこにあるかをハッキリさせてくれた本でした。

まぁ小乗にとっては、気分の悪い経典なのは良くわかるんです。

舎利子に観自在菩薩が、教えを授けるシーンなわけで、舎利子は、阿羅漢(聖者)、菩薩は如来の見習いなわけで、聖者に対して、わけのわからんのが教えると言う設定なわけで、気分悪いでしょうw

で、もっとも小乗にとって、意味不明なのが空即是色と言う所なわけです。

まぁ、これこそが真骨頂みたいな所ではあるんですが、小乗には空は無いので、これは理解出来ないわけです。

無と言うのは、そこには視座は無いわけで、空即是色と言うのは、無(空)からの視座を持っているから言える事なわけです。

と言うか、瞑想と言うのは、この無(空)からの視座を持てるかどうかがポイントで、早い話が無のほうから、ひっくり返って見ているわけです。

この、ひっくり返りが出来ないのが小乗の最大の特徴で、これが他の、どの宗教とも異なる所なんです。

無だと、どうなるのか?と言うことは、こういう事なのですが、たとえばキリスト教は、このひっくり返ったのしか無いので、小乗からは、最高に解りにくい構造をしているわけです。

そもそも小乗は、愛と言えば割愛で執着の元みたいな捉え方をしますが、これも無だからそうなるわけで、愛に対して理解がある人でも、無(空)からの視座の事だとは、ならないわけです。

だから愛でも慈悲でも、小乗の教理では説明が付かないわけです。

けど無(空)からの視座が、そのまま慈悲なわけで、瞑想するには慈悲がないと、ひっくり返れないからと言えば、説明が付くわけです。

と言うか、ビパッサナーも、ひっくり返るから、見えるわけで、地、水、火、風だから見えるわけでは無いわけです。

けど、ここらあたりが判らないと、エゴ云々言っても、まず適切な事は言えないと思いますよw
[6] 温泉さん

なるほど深い考察をありがとうございました。

非常にスッキリと理解できました。

しかし、一時期テーラワーダに関心を抱いた経験がある者としては、ちょっとショッキングな話ですね。

漠然とはほぼ同じような洞察の閃きがあったのですが、温泉さんの考察は非常に明晰で非の打ちどころがありません。
言ってしまえば、般若の智慧って、コアは空即是色なわけです。

一見すると、「照見五蘊皆空」なのだから、「色即是空」っぽいし、「一切は空」ってほうが論理的ですよね?

けど、ここまでは小乗も無があるお陰で付いてくるわけです。

そう考えると、オリジナリティのある部分は、「空即是色」なわけで、般若の智慧の正体は、この両方の合算なわけです。

けど、巷にあふれる解説書を見ると、それほど「空即是色」は強調されていないんですよね。

「色即是空」を強調するのなら、要するに小乗だけで十分なのに、大乗系が、こんな事だとね?と思うわけです。

雑に、ひっくり返りと言ってますが、ひっくり返り方には色々あるわけで、この按配が大乗のセクトなわけです。

ですから坊さんは、もっと正確に、ひっくり返り方が言えないと、自分とこのセクトの意義が言えないわけです。

けど、その前に小乗が判らないと、そもそも何をひっくり返しているのかも、判らないわけです。

自分のとこの教義は言えても、足元を掬われる理由は、ここらあたりにあるんだろうな?と思います。

まぁ、これが日本の仏教の実際の姿だと思いますよw
[008] 温泉さん

うっすらとは分かっていましたが、お陰さまでかなり謎解きができました。

まさに本質的な核心を突いたコメントですね!!

本当のところは、わかる人にしか分からないでしょうけれど、見事に核心を突いているので感心しました。
日本にも金剛乗はあって、内容的にはチベットと大差はなくて、せいぜい兄弟分みたいなもんなんです。

じゃ、わざわざ外車にしなくても国産車にすれば、いいだろ?ってなるわけですが、内容は同じでも、意義が言えない人がやってるから、真似事みたいになっているんです。

リンポチェが別格なのは、結局ここの部分で、きっちり意義を言い切れる事です。

意義が言えるから、こんなんどうですか?と布教できるわけです。

逆に教義だけだと、お葬式の下請けになる。

実際に、そうなってるわけですよねw
考えてみたら、日本人は信仰が理解出来ないのが当たり前なんです。

鎌倉以降に仏教は民衆化していったわけですが、民衆にセクトの意義伝えた所が無いからです。
本来は意義を聞いて、それに賛同することが信仰の本当の所なのだけど、伝えてないんだかから、信仰そのものが、きちんと起きる筈が無いわけです。

もちろん、民衆は字も読めなかった時代なので、仕方ないっちゃそうなのだけど、今だって意義を言えと言えば、宗祖◯◯様の教えを守って暮らします!みたいなのでしょう?

これのどこがセクトの意義なんだよ?って思うわけですが、これはシロート仕様で、内々にはプロ用が別にあるってわけでも無いわけです。

まぁ我々は、坊さんは葬式の時来てれば良い話なので、さして困りもしないわけですが、本当に困るのは、真面目な坊さんなわけです。

坊さんが、坊さんにセクトの意義を伝えてないので、坊さん自体が意義に賛同出来ない、つまり信仰出来なくなっているわけです。

仏教は明治以降に衰退したと言われてはいますけど、形骸化したのは、こうやってみると最初からなわけです。

日本の仏教は、戒律が甘いとか、世襲だとか、丸儲けだとか、悪口は言われていますけど、そもそも坊さんがセクトを信仰出来ない仕組みなので、これと比べれば、たいした問題でも無いんじゃないか?と思うわけです。

私も右に習って、どのセクトも信仰出来ないわけですw
[10] 温泉さん

ぼくの理解では、チベット仏教の優れているところは、ひとつにはエネルギー的な原理がきちんと説明できて、確立され体系化されているところだと思います。

そこはヒーリングにも通じるところなのですが、巷で広まっているヒーリングでは、ごく少数の例外を除いて、エネルギーの原理のメカニズムに係わる秘境的な部分が、ほぼ分かっていないのです。

たとえばシータヒーリングでは、シータのテクニックがチャクラにどのように作用するのか、まるで分かっていないし、リコネクションなどに至っては、具体的には何の洞察も無いに等しいわけです。

そんな感じだから、危険なことをしてもヒーラー自身に自覚が無いという、実に困った状況になっています。

究極の存在に委ねているから大丈夫・・・という発想なのでしょうけれど、実際には大丈夫とは限りません。

プロ仕様のヒーリングを教えているところは、さすがにそんないい加減なことはしませんが、日本ではごく少ないですね。

余談になりましたが、とても分かる気がします。
[11] 温泉さん

この信仰の問題は、かなり複雑だと思います。

温泉さんの主張には、基本的に賛同できるのですが、法然の大原問答とかはどうなのでしょうか?

それから、親鸞の主著「教行信証」なども、日本人にはフィットする感じで「信」の問題を掘り下げているともいえるのではないでしょうか?

仏教教学的には、まるで論証になっていないという批判がありますが、一応セクトの意義をなかなか説得力のある形で説明していることは確かだと思います。

でも、見方を変えれば、それも先達がこう語っていた・・・というのが論拠に過ぎないので、十分に説得力が無いとはいえますね。

しかし、現代のスピリチュアルな世界では、探求と信仰を単純に分ける発想をする人が多いですが、これでは問題の解決にはならないですからね。

結局、「信」の問題は残らざるを得ないし、それに対する一人ひとりの取り組みが問われるのだと思いますね。

坊さんが困っているのは確かですが、日本の仏教界の全体的なレベルの低さは、もう何ともいえませんから、そんなものかな・・・とは思っています。
たとえばキリスト教を見ると、信者だけではなく、教師のほうも、結構別のセクトに引越しするんです。

こっちの意義のほうが、よりしっくりくるな?って事で引っ越すんだと思いますが、良いことだなと思います。

仏教も、たまに引越しする人がいますが、ほんと僅かで、引越しと言っても意義の部分で引越しするかは謎です。

法然の大原談義なんかも、確かに意義を伝えるものではあるんですが、では現実に、 時機相応が今の坊さんに伝わっているでしょうか?

また時機相応と言うのを聞いて、ああ俺はこれがいいかな?って選択するのでしょうか?

全員が全員、そういう選択をしろよ!と言ってるわけでも無いんですが、そういう成分がゼロなのはダメでは無いかとね。

>坊さんが困っているのは確かですが

と言うか、葬儀屋の下請け直行コースって気構えじゃないと、本当に苦労しているようです。

まぁ、そればっかりでも何なので、ちょっとウンチクを付ける程度って所。

けど、中には真面目な人もいて、どうしていいか判らず、悶々としていますよ。

法門の意義は、こうで、どうしてこんな意義になってるかを、どこも説明しないからなんです。

教義は葬式に役立つので、金になるのは、わかるんだけど、意義が判らないと結局は、法門は会社と同じで会計が違うだけの事になっているわけです。

会社でも、しっかりした所は意義をハッキリ言いますよね?
[14] 温泉さん

>たとえばキリスト教を見ると、信者だけではなく、教師のほうも、結構別のセクトに引越しするんです。

はい、そうですね。
ぼくも、それで良いと思うのですが、日本では異なった宗派の間での対話が非常に少ようないので、なかなか難しいのでしょうね。
対話があっても難しいのでしょうけれど・・・。

>法然の大原談義なんかも、確かに意義を伝えるものではあるんですが、では現実に、 時機相応が今の坊さんに伝わっているでしょうか?

>また時機相応と言うのを聞いて、ああ俺はこれがいいかな?って選択するのでしょうか?

時代背景が違いすぎて伝わっていないと思います。
そこを超えていくのが、思想の力でもあるのですが、仏教思想を真剣に深める姿勢が、あまり無いのでしょうね。

>全員が全員、そういう選択をしろよ!と言ってるわけでも無いんですが、そういう成分がゼロなのはダメでは無いかとね。

ゼロに近いんでしょうね。

>けど、中には真面目な人もいて、どうしていいか判らず、悶々としていますよ。

そうした真面目な僧侶の知人がいますが、これが稀に見る優秀な人なのです。
ところが、色々な場面で仏教者としての本音を語ったら、宗門から破門されそうな状況になっています。

いろいろ詳しい話を聴いていたら、日本の仏教界がいかに堕落しているか痛感しましたね。

真実を語ったら吊るし上げにあい、潰されそうになったようですが、負けずに頑張っているという素晴らしい人です。

>教義は葬式に役立つので、金になるのは、わかるんだけど、意義が判らないと結局は、法門は会社と同じで会計が違うだけの事になっているわけです。

まったくですね。
しかし、温泉さんのこうした主張は、今の仏教界では通用しないようですね。

オウムの井上死刑囚のが、かつて日本の仏教は単なる風景でしかないといっていたのも、よくわかります。
結局仏教は、どれがいいのか?と言うのは、とても簡単な話で、金剛乗が良いんですw

どうしてかといえば、結局は改良型だからw

子供の頃のスーパーカーなんて、今では平気で、国産の普通の車で抜けるんです。

けど、そんな高性能でも乗る人がいて始めて高性能なわけで、乗る人が居なければ同じ事w

小乗は、どうみてもボロ車ですが、ちゃんと乗る人がいるから今でも走っているんです。

後出しジャンケンして負ける奴がいるのか?ってのが国産各社に言いたい所なのですが、坊さんからして乗ってないんだから、まぁ当然負けるだろうな?とねw

つか、もっと正確に言えば、坊さんすら、乗れない仕組みになっているわけです。

これじゃダメな筈よね?ってねw
>真実を語ったら吊るし上げにあい、潰されそうになったようですが、負けずに頑張っているという素晴らしい人です。

破門されたか、自分からしたのかは、色々あるんだと思いますが、私はそういう人を追っています。

で、見て回ると、どの人もある種の血気盛んな所はあるんですが、優秀かどうかは一概には言えない感じです。

もう、飛び出したんだから、自分なりの意義を言えば良いんだけど、そういう人は皆無です。

また、意義を言いそうな人は賛同しようにも、今度は人間として大体がダメです。

まぁ、修行ばっかりして来たんだから、通常で言う人間性が、まるで育っていない。

だから結局、能書きだけじゃん?ってなるんです。

むしろ正面切って向かってやろうか?と思うような人ばっかりw

やっぱ法門に残って、法門の改善に努めるのが良いのかなぁ?と最近は思っています。
[17] 温泉さん

>で、見て回ると、どの人もある種の血気盛んな所はあるんですが、優秀かどうかは一概には言えない感じです。

そうなのですか!

ぼくの知人は、いつか機会があったら紹介しますよ!
遠方なので、相手が東京に来る機会があったときになるとは思いますが。

>まぁ、修行ばっかりして来たんだから、通常で言う人間性が、まるで育っていない。

その点では、50代まで普通に社会人をしてきた人なので、人間性も伴っていますよ。
血気盛んといえば、お孫さんがいる60代半ばの年代ですが、なるほど血気盛んかもしれません。

優秀なのは何よりも瞑想のレベルです。
通常の禅宗や真言宗の僧侶の比ではまったくありません。
>ぼくの知人は、いつか機会があったら紹介しますよ!

ありがとうございます。

>優秀なのは何よりも瞑想のレベルです。

まぁ結局瞑想だけしてた人は、瞑想は出来ても人間がダメと言うか。

瞑想では通常で言う人間性とかは全く磨かれないんだって見本みたいな人を多く見て来ましたが、かと言って、瞑想出来ないんじゃ合っても仕方ないですよねw

最近は、東教会系の瞑想に興味を持っていて、修道所みたいな所に良く出かけています。

キリスト教の瞑想なんてと思っていましたが、 案外と面白い。

まぁ、こんな感じで、気が向くと、どこにでも行くんですw

そういえば、25年ぶりくらいで、最初に禅を習った寺に今年は何度か行きました。

もう坊さんも他界して、養子の人が跡を継いでいましたが、相変わらず座禅会は、続いていました。

で全員でやる数息観があって、こういうの昔はやったよなと思いつつ、今やってみると、本当に初心者向きで良い瞑想なんだなと、気が付きました。

どうして、これが良いのか、どうすれば出来るのかとか、改めてスレッド興して説明しますね。
[019] 温泉さん

それは楽しみにしています。

知人も温泉さんに会うのは楽しみだと思います。

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