ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

瞑想コミュの瞑想やってると

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
色々なテーマに興味が、わくわけだけど、普遍的なテーマのひとつに、「時」の存在があります。

http://www.youtube.com/watch?v=2yMlqLn2BQ8

これは、瞑想用ではなく、いわゆる科学番組のそれだけれど、切り口やまとめ方が中々面白いので、参考になるかと思います。

はっきり言えば、時とは何か、科学はまだ結論を出していないわけですが、例えば仏教とかは画一的な答えを既に持っていますよね?

色々な、ご意見や、ご感想を、お聞かせ下さい。

コメント(59)

>わたしは、ヨーガで瞑想をしていますが、瞑想という概念が、いろんな宗教、主義によって微妙に違いがあるのです。言葉の一つひとつを確認しないと、理解できない場合があります。ですから、少しずつお聞きしているのです。

いえいえ、否定しているわけではありません。

クローバーそうですか。安心しました。誤解されていると思いました。

実に宗派宗門によっても、用語の使い方は当然としても、構成まで違うし、書いてある事まで違っていて困惑しますよねw

クローバー理解するまでに、かなり勉強という作業をしないと、普通のひとはわからないと思います。わたしもですが。。

本来スートラの類は、何かを判りやすく説明する手順が、宗門の流儀によって違うだけで、指している真理に関して違う筈も無いだろうなと思います。

クローバーそうですね。
枝分かれしていった。。。つまり、悪く言えば、宗教は時代に合わせて出てきたこともあると私は思います。

けれど指している真理ではなく、書いてあることそのものを信じちゃう人も多く、これがタダシイ宗教だよね?って人は山ほどいますよね。

クローバーそうですね。不安だから、とか、たまたま生まれたときからとか、そのまま信じている人多いでしょうね。

実は私の本業は時間領域を工学的に扱う事でして、この手の話をすると、同業者はモロに不安になる人が多いです。

知らないにしても、科学的な答えは当然ある事だと思ってやってるわけですよw

クローバー時間?の有無の事を知らないと言われてるのですか。宗教的なこと?

で、そんな答えはあっても無くても構わない事だ!と言うのだけど、これがものすごい反発を食らうんですw

クローバーそうかも。構わないと私も思いますよ。考えるのおもしろいですけど。
いいとこどりしてたりします。

時間領域の工学は、そのベースの無い根無し草だと思うと、もっとやってられなくなるんでしょうねw

クローバーそうですね。ものすごい難しいことに、取り組んでるんだから。

こんな感じで、質問と同じ次元で答えが揃わないと困るってのが、瞑想しない人の特徴で、じゃ瞑想しろよ!なんて言うと、もっと反発を食らうから言いませんがw

クローバー言ってみたらいいと思いますよ。

おおよそ、こんな感じですw

クローバーありがとうございました。また、お願いします。

>で、そんな答えはあっても無くても構わない事だ!と言うのだけど、これがものすごい反発を食らうんですw

工学と言うのは、そのベースには数学なり物理の世界があって、その上で構成されると言うのが建前で、根無し草と思われるようなジャンルほど、ホンシツ的だと能書きが前書きとして垂れてあり、だから科学の一翼を担い、ホンシツとも繋がっているのだ!ってな事が、長々と書いてあったりするのですw

この歳になって、やっぱこれって相当怪しい宗教よね?と、素直に思うようになりましたw

けどまぁ普通は、これを宗教だとは思わないので、問いと同じ次元で答えが無いと困るほうが道理なわけですw

時間の存在すら判らないし、当然理論が無い話なのに、工学的な手技は、実は山ほどあるんですよw

upされてた、番組がそうですよね。

いろんなこと、学者がいってますよね。

なんか、ばらばらのようで、繋がってるような。

アインシュタインだって、否定されかかっている。。。

信じてるものって、実はあやうい。
視点をかえたりすれば、違うものに見えてたりする。

哲学でも、宗教でもそうですね。

あやしい宗教というのは、どうかわかりませんが、わからないものの方が多い世の中に生きているから、まぁ、しょうがないんじゃないかなぁ。。。

わかった気でいる私たち、なんじゃないでしょうか。。。

>信じてるものって、実はあやうい。

結局、そこなんだと思うんです。

信じているものが、そのまま本当に信じれるなら、瞑想なんかする必要は全く無いわけです。

じゃ瞑想はどうよ?って、これはそれこそ信用しなくて済む話ですよね?

だって、そのまんまだから、信じる/信じないの話にもなりませんからね。

>わかった気でいる私たち、なんじゃないでしょうか。。。

もう少し言ってやると、わかってないけど、わかってないと困る、本当に危うい世界なんですよね。

けど、こんな事を日ごろ言うと、進歩的では無いって、すぐ言われちゃうんですw


>信じてるものって、実はあやうい。

結局、そこなんだと思うんです。

信じているものが、そのまま本当に信じれるなら、瞑想なんかする必要は全く無いわけです。

クローバーそうとも限らないかなって。。。(笑)

じゃ瞑想はどうよ?って、これはそれこそ信用しなくて済む話ですよね?

だって、そのまんまだから、信じる/信じないの話にもなりませんからね。

クローバーそこにも、ひとりひとり感じ方の違いがあるような気がするんです。

わたしの個人的な瞑想についてですが、ヨーガの瞑想は、たとえば解決したい問題とか、そういうものからとき離れることもできますが、感じるもの中には、なんだか解らないものみちゃったけど、なんで?というのがあるんです。
なんで?がわたしには、ある。。。。あんまり人には言いません。

無意識の領域なんだと思いますが。。。だから、なんなの?かはわからないんです。



>わかった気でいる私たち、なんじゃないでしょうか。。。

もう少し言ってやると、わかってないけど、わかってないと困る、本当に危うい世界なんですよね。

クローバー危ういと思います。でもよく考えると、瞑想してるひと増えてきてたりするかなぁと思います。これは、なんとなく気分的には安心します。
そして、科学も実証したということにでもなると、おもしろいんじゃないかな。

ちょっと、話がずれますが、瞑想のときは、白い服がいいとかどこかでみたんですけど、そういうのがわたしが分からないんですよね。。なんでもいいかなって。やってると関係ないって。わたし、単純にそんなことは思います。

けど、こんな事を日ごろ言うと、進歩的では無いって、すぐ言われちゃうんですw

クローバーん、まぁ、それはそうかもしれませんね。知っているのと知らないの差がありますし。。。どんどん、言っちゃえば?ダメですかね。(笑)

進歩っていうのも、解ってるようでわかってないことですね(笑)
何を進歩というのかが、ひとによります。

もう、わからないでいいんですよね、本当は。でも、なんで?って、やっぱり考えてしまう。

質問ですが、よろしいですか。
温泉さんは、禅ですか?お尋ねしている意味わかりますか?

>温泉さんは、禅ですか?お尋ねしている意味わかりますか?

私は20年以上前に臨在禅の師匠二人に習いましたが、両方とっくに他界しています。

その後しばらく、この手と縁が切れた後に一指禅(気功)に移り、馬歩ばかりしていたのですが、ここ数年は鎌倉の一法庵と言う所に出入りしています。

http://onedhamma.cocolog-nifty.com/

元々が曹洞宗の坊さんで、その後ビルマのパオ長老のサンガを修了された人で、今は独自のメソッドを教えている人です。

その他も気が向けば、あれこれ行くのですが、頻度としては、ここが一番多いです。
> Je pense a toiさんぴかぴか(新しい)
どもですわーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)


ヨーガスートラですか?
すいませんヨーガスートラは知りません冷や汗


ちなみに瞑想ですが、結局はマインド(思考)を落ちつかせるに行き着くわけです。

つまり【瞑想】は善、神、愛以外の全ての想念(思考、自我、エゴなど)を払いのけることを目標としているのですね。


瞑想では【真我に意識を向ける】ことを意識して頂ければ、真我実現に結び付きます。



つまりは真我(本当の自分・空・無・神)の体験ですね。


悟りや覚醒と言われるのに結び付つくものですね。


ちなみに真我に意識を向けるというのは、


思考を観察してる状態、つまりその観察している状態から、その観察者そのものの存在に意識を向けて頂くということです。その存在が真我であり本当のあなたです。



思考は非言語的な【沈黙の空間】から起こります。この沈黙の空間が【真我】です。その空間は思考という形を取る直前に注目することで察知できます。思考というコンテント(内容/中身)そのものではなく、思考が浮かび上がるエネルギーフィールド(真我)に焦点を合わせるということです。

つまり、思考を生み出す【静寂の母体】に意識を向けるということです。それが真我に意識を向けるということです。



瞑想時は、この思考を生み出す、思考が浮かび上がる(エネルギーフィールド・静寂の母体・真我・本当の自分)に意識を向けるということです。


呼吸に意識を向ける瞑想というのがありますが、それも真我に心(マインド、思考)をとどまらせるからですね。



真我に意識を向けて頂くのがよいと思います。


そちらに意識を向けて頂くだけで、ただ在るだけで、必要なことはそこから起こってくるようになります。


必要なこととは、


考えること、思うこと、聞く、感じる(喜怒哀楽)捉えること、行動すること、直感などなど、

個人のマインドや身体をはじめ、現実世界の起こってくる出来事の全てが対象になります。


すると全ては【全体性・神・真我】から自ずと起こっていると理解にいきつきます。

それと【科学で真理は証明可能か?】証明することはできません。


証明ということ自体が物質(形)を基盤とし、ゆえに因果関係の連鎖のうちにあります。証明可能なものというのは真実ではなく、それは知覚であり、精神活動の領域に属します。



真理とは完全に主観的なもので、日没を見たり、喜びや幸せを体験したりすることと変わりません。レシピも実際に食べてみてはじめて確認ができるのです。



つまりは悟りに至ることのみが完全な【真理】なのですね。



お役に立てれば幸いです。



ありがとうぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)
ババジさん

“時”を認識してしまう原因は、

我々がそもそも“無明”だから、

我々に時間の認識に関した“行”が生じ、

そのような“行”があるから、

時間の認識に関した“識別”が生じる。

クローバー無明というのは、解っていないということになりますか。そうだと思いますが。。。どうでしょ?


また、時間の認識に関した“識別”が生じることで、

我々に時間の認識に関した“行”が生じる、とも言える。

中村元氏の監修した大縁方便経を参考に、思索してみると面白いですよ。

本来的には存在しない“時間”という概念を認識させてしまう心理的プロセスを、縁起の法則によって理解を促してくれることでしょう。


クローバーその存在しないかどうか。。。が、むむむ???と、ほんと?と思うのです。

でも、どちらでもいいんですけれどね。生活には、そこまで影響ないです。今のところは目

クローバーおすすめの本の方、機会をみて読んでみます。

ありがとうございました。

温泉さん

くわしく教えてくださってありがとうございます。
わたしのトピックみたいになって、ごめんなさい。。。

3Qさん

クローバー再び、ありがとうございます。
温泉さんや、他の方とお話をして、おもしろいなと感じてます。。。



真我に意識を向けて頂くのがよいと思います。


そちらに意識を向けて頂くだけで、ただ在るだけで、必要なことはそこから起こってくるようになります。


必要なこととは、


1考えること、
2思うこと、
3聞く、
4感じる(喜怒哀楽)捉えること、
5行動すること、
6直感などなど、

個人のマインドや身体をはじめ、現実世界の起こってくる出来事の全てが対象になります。


すると全ては【全体性・神・真我】から自ずと起こっていると理解にいきつきます。

クローバーそうですか。。3Qさんの瞑想法は禅の滅私というものを思い浮かべます。それに近いという感じでよろしいでしょうか。。。。。?

いろんな瞑想とよばれるものがあって、これですということが、はっきりした方がなんとなく、理解しやすいです。すみません。。

自分が起こすことは、【全体性・神・真我】が起こすことである。という理解ですね。

真我と神とは、同じではないということですか。少し途中からわからなくなりました。

でも、ありがとうございます。

3Qさん


それと【科学で真理は証明可能か?】証明することはできません。

クローバーこれだ!と科学では断言できなのですか。。。言いきってますね。


証明ということ自体が物質(形)を基盤とし、ゆえに因果関係の連鎖のうちにあります。証明可能なものというのは真実ではなく、それは知覚であり、精神活動の領域に属します。

クローバー幻想の中に生きているというような感じですね。。。真理と真実は違いませんでしょうか。。。

真理とは完全に主観的なもので、日没を見たり、喜びや幸せを体験したりすることと変わりません。レシピも実際に食べてみてはじめて確認ができるのです。

クローバー確認するまでが大変ですね。真理というのは、やっかいです。とても、あやふやのようにも感じます。




つまりは悟りに至ることのみが完全な【真理】なのですね。



クローバー少し、否定的な生き方になりそうな。。そんな気がしました。。。
ごめんなさい。。
でも、ほんとにありがとうございます。

> Je pense a toiさんぴかぴか(新しい)

はいわーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)

(真我と神は違うということですが)


?

同じです。


(確認するまで大変ですね、真理というのは)


例えば、チョコを見たことも食べたことがない人が、チョコとはどんなんでどんな味がするのか議論しているようなもんですね。


食べてみたらいいやん、みたいな感じですね。


真理はそれについて知ることによってではなく、同一化することによって実証可能であるという意味ですね。


チョコについて知りたければチョコを体験した人がある人に聞けばいいみたいな感じで、時間とは悟りとはとかも、悟り、覚醒した人に聞けばいいみたいなもんですね。



【瞑想もはっきりすればいいと思いますが】


その人の目的にもよりますね。


悟り覚醒とか真我実現を目指すなら真我に意識を向けたほうがいいと言うことで、


ただ肉体的効果を目指すもいますからね。


肉体に対する瞑想効果。


血圧が下がり、

緊張が消え、

病気への抵抗力が増し、
【若返ります】



瞑想習慣が身についている人は、実年齢よりも、
5〜10歳程度は若く見え、病気にかかることも極めて少なくなります。




真理はあやふや。


チョコを食べた人がどういう表現、言葉を使うかみたいなもんで、


受け取る側の解釈にもよりますね。


言葉に左右されるのではなく、何が言いたいのか真意を汲み取みとることが大切ですね。


マインドで考えるのではなくハートで感じるみたいな。


(3Qさんの瞑想法は禅にちかいような感じですか)



はい。


ありがとうぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)
あと(途中でわからなくなってきまして)



本当の自分【真我・神】がわからないということかな?


簡単に説明すると、


頭の中の声は本当のあなたではありません。


本当のあなたは、

頭の声を【聞いている側】です。


頭の中の声に【気付いている側】です。


【認識者であり観察者】

です。



あなたが思考なら思考していることには気付かないということです。


私はいま考えごとをしていたと気付けるのは、

真我があるからですね。

ありがとうぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)
>真我があるからですね。

ヨガはヒンズー教の行法で、ヒンズーは真我を使った説明をするので、ヨガもそのまま真我を使うわけです。

ヨガスートラの8段階ある階梯の最終段階はサマーティ(三昧)で、ここまで来るとヨガも普通の瞑想と結局は同じようになります。

丁寧な段階があるので優れているとも言える反面、実際には体操(アーサナ)中心の教室が多く、なかなか瞑想を中心にした所が少ないと聞いています。

自分は体が硬いので、信貴山の断食道場に篭っていた時に、毎日体操を習った事はあるのですが、泣くほど辛かった事を覚えていますW

瞑想道場の類を渡り歩くと、ヨガの人に結構多く出会うのですが、最初はこのカラクリがわからずに、瞑想って最高の行法ですよね?と言われ、やっとヨガスートラと日本のヨガ教室の実態の関係が判った事があります。

丁寧にアーサナやプラーナヤーマをして来た人は、やはりどこの道場でも有利というか、瞑想じゃなくても結局は自分と向かい合って来ているので、瞑想も旨く行くんだな。。と思っていました。

どこの道場に行って見ていても、よしやろう!って瞑想を初めて、なんもやった事の無い人が100時間くらいで行法は身に付くものでは無い事は、まぁ経験上確かな話で、こんな見込みのありそうな人でも駄目なのか?と、他人事ながら、がっかりする事が多いのですけど、やはりヨガをしこたまやって来た人は飲み込みが圧倒的に早いですよね。

実は気功も似たような傾向があり、本当は站椿(馬歩など)を中心に教えておけば良いのだろうけれど、これだとたぶん教室に人が来ないのだと思います。

動功を習った所で、動きが先生と同じに出来ても、これは体操や踊りの類と違って、練功出来なければ何の意味も無いわけです。

ほとんどの動功は、誰でもすぐに出来る体操ではあるのだけど、誰でも練功出来るわけでは無いわけです。

で結局は練功出来た効果が判らない人は続かないわけで。。

こういう所が、スピリチャル教室のジレンマなんだろうなぁと思う事が良くあります。


瞑想が行法として優れているひとつには、結局は手抜き出来ない所も良いのだろうなと思う事があります。

瞑想中に、いらんことを考えたりしようものなら、頭は痛くなるし、それこそ体のあちこちも痛くなるし、第一たいくつだし、だるいし、嫌気が刺すだけでしょう?

だから結局は真面目に行法に打ち込むしか無くなるわけで、どうすれば瞑想って出来るものだろう?と試行錯誤するようになるわけです。

と言うか瞑想なんて横から見れば黙って座っているだけだから、やったことの無い人には結局は何をしてるのかなんて正味の所は判らないわけです。

で、まぁざっくり数百時間は見よう見まねだけが掛かるのだけど、こうなってやっと自分でも出来るようになると言うのが一般的な話だと思います。

どの教室に限らず、うちにくれば、すぐ覚わって続きますよなんて言われたら、まぁ止めておいたほうが無難だと思いますよW
瞑想が続く最低限の決まり事は、瞑想中に起きる微細な意識に触れられるかどうかに掛かっています。

これは気功の練功も同じ事で、気功風に言えば気を感じ取れるかどうかです。

で、こういうのの効果が感じ取れて、そこそこ楽に出来る人だけが行法が続き、続くから徐々に深まっていくわけです。

こうなって初めて時間についても瞑想で見ていく事になるわけで、そうで無いなら科学でも○○スートラでも同じ事で、要するに本に書いてあるだけの事です。

まぁだから、あれこれ意見があるほうが面白いのですけどねW
> 3Qさん
分かりやすい 説明だと
思う。
ありがとう!
>分かりやすい 説明だと

私もそう思います。

ええ、ヒンズーは、わかりやすいのが良い所です。

仏教のように、いきなり無我で無神ですってのは、とっつき難いですよねW
彼らが肉体的
にも厭わしく怖ろしく感じられたのは、彼らが自然に救いようもなく隷属もしくは帰属していたためであり、自然に
対しいかなる人間的世界をも対置しえなかったためである。彼らの非実在性、彼らの亡霊のように見える行動は、彼
らが世界を築かなかったことに由来している。彼らは世界を持たない故に自然が彼らの存在の唯一のリアリティーと
見える。そして自然は観察者に対してすら圧倒的なリアリティーとして迫ってくる――世界をもたない人間を相手に
するとき自然は思いのままに跳梁し得る――から、自然に較べれば人間は幻か影のようなもの、完全に非現実的なも
のと見えてくる。この非現実性は、彼らが人間でありながら人間独自のリアリティーを全く欠いていることからくる。
世界を持たないことから生ずる原住民部族のこの非現実性こそ、アフリカにおそるべく血腥い破壊と完全な無法状態
とを招き寄せたものだった。
時間と思考は同義であると如是我聞

時間=思考

思考=時間

3Qさん

回答をありがとうございました。

少し、わたしが感じた質問のニュアンスが伝わってなかったと思いましたが、丁寧におはなしくださっているので、わかりました。

経験しないと、何をいってもわからない。そういう感じですね(笑)

最後に”ありがとう”とおっしゃるのは、すべてに感謝している日々のあらわされているのでしょうね。

こちらこそ、ありがとうございます。
温泉さん、3Qさん、みなさん

ヒンズー、仏教、キリスト教、ほかにもあるかもしれませんが、もとをたどるとヨーガにつながると聞いたことがあります。
たしか、「ヨーガスートラ 佐保田鶴治著」という本だった。。と思いますが、ヨーガ系の本には、歴史として書かれてあると思います。

歴史からみると、ヨーガは3000年まえあたりから文献があるようです。。

現存する(言い方が変ですが)瞑想は、とても失礼な言い方かもしれませんが、ヨーガから、もしくは、それ以前の原型があるかもしれませんが、長い歴史の中で、枝分かれしたものなんじゃないですかね。

人間は勝手ですから、都合良くいいとこどりとか、権力とかに都合よい方にいってしまったり、反対にそうでないこともあるかもしれません。
瞑想は、こうっ!て言葉でいってもわからないですから。

瞑想は、瞑想ですから、文献云々は、まぁ関係ないんですけど。

なんか、話がずれてしまってますが、時々、どうなんだろって思います。


それから、須藤元気さんが、瞑想をすすめてるのをテレビで見たことがあります。
すこし身体を動かしてから、瞑想するとしやすいとおっしゃってました。
ヨーガのアーサナと同じなんじゃないかなぁ。。。と独り言。。。です。



ジャガーさん

彼らが肉体的にも厭わしく怖ろしく感じられたのは、彼らが自然に救いようもなく隷属もしくは帰属していたためであり、自然に 対しいかなる人間的世界をも対置しえなかったためである。

クローバーこれはなんの引用ですか?自然に対して、攻撃的な感じ。。。ですね。

彼らの非実在性、彼らの亡霊のように見える行動は、彼 らが世界を築かなかったことに由来している。

クローバー恐いですね。


彼らは世界を持たない故に自然が彼らの存在の唯一のリアリティーと 見える。そして自然は観察者に対してすら圧倒的なリアリティーとして迫ってくる――世界をもたない人間を相手に するとき自然は思いのままに跳梁し得る――から、自然に較べれば人間は幻か影のようなもの、完全に非現実的なも のと見えてくる。

クローバー人間と自然は一体だと思います。。。人間は現実です。あらゆる真理といわれているものは、わからないですけど。


この非現実性は、彼らが人間でありながら人間独自のリアリティーを全く欠いていることからくる。

クローバーおもしろいですけど、偏ってますね。(笑)かなり。

世界を持たないことから生ずる原住民部族のこの非現実性こそ、アフリカにおそるべく血腥い破壊と完全な無法状態 とを招き寄せたものだった

クローバーアフリカ。。の話ですか。。政治的な背景とか国によって、ひどいですね。虐殺も。。

も少し、関連性をお書きくださると、おもしろいかな。。と思います。
わたしには、おもしろそうに思えました。

>長い歴史の中で、枝分かれしたものなんじゃないですかね。

そういうのが多いだろうなとは思います。

少なくとも仏陀は、バラモン僧に修行を習ってたので、これって何だ?と言えば結局はヨガだったのでしょうね。

けれどアフリカやオーストラリアにも瞑想文化があるのも、ヨガの流れか?と言えば、たぶん違うと思います。

直接見たことこそありませんが、オーストラリアの先住民(アボリジーニ)の瞑想は、ゾクチェンそっくりのようで、ゾクチェンにしたって、仏教が来る前からあるチベット瞑想だし、必ずしもヨガつながりでは無さそうですよ。



> 温泉さん

全部とは、言えないですね、たぶん…


そういえば、呪術、シャーマン…いたる所にありますが

…

アフリカのブードゥは、土着のものでしょうし…

ヨーガ繋がりはアフリカ、オーストラリアのアボリジニには、私も関係なさそうに思いますね

でも、とても似ていることをしている

面白いですねクローバー



> masaさん


似ている目っていうのが、ややこしいけれど

何て言うか、人間の精神のルーツを探る

というと混乱させますが…

あ目っていう感動が私にはありますクローバー

原始人は、物を描くことによって、被写体を支配する
力を獲得したのかもしれない。さらに、原始人が絵を描
き、彫刻をし、像をつくったのは、そうすることによっ
て、周囲の世界の内部にまで踏み入り、それをより良く
把握することができたからにちがいない。物を描くとい
うことは、魔法といった稚拙な意味ばかりでなく、外的
世界と自己の一体化をはかるという深い意味で、物を支
配する力を原始人に与えたのである。少なく見積っても
十万年昔に、ネアンデルタール人は死者を葬るのに、供
物といっしょに東から西に向けうずくまるような姿勢に
して埋葬したり、ときには野の花を敷いた床に葬ったり
した。このように、究極的な関心のいくつかの形態は、
人類の誕生と同時に始まったようである。死と死後の世
界を象徴しようとする要求は、人間を動物の世界から峻
別する属性のうちのひとつであると思われる。
>根本は共通していますね。

バラさずに理解しようと言う姿勢と、バラして理解しようと言う姿勢の違い。

まぁ結局理解が行くかどうかの問題で、どちらが良いかは時と場合による話ですよね。

けどまぁバラさないと時間って存在そのものが成り立たない訳で、将来の科学が結論を出したとしても、やはりバラした上での話しであることには違いなさそうです。

竜樹のように、だからダメなんだよ。。とは言いませんが。。(ぼそ

ログインすると、残り27件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

瞑想 更新情報

瞑想のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング