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瞑想コミュの般若心経の真の意味

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様々な間違った解釈のある般若心経ですが、
日本で読まれている漢文、
および原文のサンスクリット語パーリ語を忠実に翻訳すると、
般若心経が伝えたい真の意味は、
「ヴィパッサナー瞑想を修行せよ」
という意味であることが判ります。


以下解説しますが、先ず仏教で言う瞑想についての予備知識です。

古来仏教では瞑想を「止観」と言い、
瞑想を大きく2つのカテゴリーに分類します。

止 心を集中し心を安定させる(三昧、サマーディ)瞑想。
  パーリ語でサマタまたはサマーディ瞑想。
観 観察することによって気づき理解し、智慧(般若、パンニャ)を得る瞑想。
  パーリ語でヴィパッサナー瞑想。

本来仏教ではこの2つのカテゴリーの瞑想以外、
「瞑想と認めていません」。


ではお経の解説です。

観自在菩薩、すなわち、観の瞑想、ヴィパッサナーが自在にできる修行者が、
般若波羅蜜多行、すなわち、智慧の修行、ヴィパッサナーを修行しているとき、
五蘊、すなわち、自分を構成している肉体、心の様々な構成要素は、
皆空、すなわち、常に変化し核となるべく実体がないと、
照見、すなわち、光が明るく射すように理解し悟られ、
一切の苦を克服された。

(中略)

無上の真言、すなわち、真の言葉、真のメッセージは、このようなことである。

ガテー ガテー
パーラ ガテー
パーラ サン ガテー
ボーディ スヴァーハー

ガテー:命令形の行け、または修行せよの意味。
    ここでは観自在菩薩の修行、つまりヴィパッサナーを修行せよの意味。
パーラ:彼岸、つまり涅槃の意味。
サン:強調の意味。本気で、真剣になどと訳すのが、ここでは妥当。
ボーディ:智慧、理解、悟りの意味。
スヴァーハー:幸いなれという意味。

中略の部分についてはおそらくいろいろな解釈があると思いますが、
その部分は実際に体験しなければ理解できないことで、
体験して理解するには先入観を持たない方良く、
また体験すれば理解できるはずなので、
厳密に解釈しても意味がないと考えられます。
その部分についてはほとんどの解釈が、
当たらずとも遠からずでしょう。


整理して簡単に書き直します。

ヴィパッサナー瞑想に長けた修行者は、
ヴィパッサナー瞑想を深く修行することにより、
自分と言うものは常に変化し実体がないので、
執着する必要がないと悟られ、
一切の苦を滅し、涅槃に達せられた。
 (中略)
汝もヴィパッサナー瞑想を修行せよ。
涅槃を目指し、修行せよ。
涅槃を目指し、真剣に修行せよ。
智慧・悟りよ、幸いなれ。


つまり般若心経が一番言いたいことは、
ヴィパッサナー瞑想を本気で修行せよということです。

コメント(73)

修行しろ修行しろって、いくらなんでも、ブッダがア○ハラショー○ーみたいなこと言わないでしょたらーっ(汗)

キリストだって言わないようれしい顔
発声練習の ための道具

呼吸系の ヨーガ してる
状態に なります!

意味より 行ですねー

テーラワーダ仏行系で
>35
怠ることなく精進せよ、つまり修行しろってのが釈尊の遺言ですが(笑)
>ホーリーさん

有難うございます

生きた体を持ったまま、死後の世界を想像するようなものでしょうね。


しかし、この般若心経は

生きてる人間にも、死んでる人間にも

例外なく当てはまる真実であり

どちらの魂も救う事が出来ます(というより理解すれば救われてしまう)

しかし現代を生きてる魂は、若干謙虚さに足りない部分があるようで(笑)


死者を送り出す時に読まれる理由もちゃんとあるんですよね。


普段不自由なく生きてる人にとっては、必要ない

すなわち有り難いとは思えないでしょう

でも、自分の無明に死ぬ寸前に気がついた人にとっては

大変価値があるものです。

生きてるうちにしか修行は出来ないと思います

是非この五感が生きてるうちに、少しでも

真実に触れて欲しいというのが

私の個人的な希望でもあるのです。


最初は「空」を知ることにこだわりました


しかし


色即是空 空即是色


「空」と「色」この二つは全く異なるものでは無い


っていう部分が実は大事なんだとは後から気がつきました。
私なりの 再分析

今は 覚者では 無い。

覚者になれば 理解 出来る。

では どうすれば 覚者に
成れるのか?

そのための 方法は ある

方法を 知ってる だけでは ダメでしょう!

やっぱり 修行しろ
と 言うてるんかなあ!

晴れ■先の「般若心経」の詳細な解釈から、

◆般若心経が当初、意図したところ
◆般若心経が創られた歴史的必然のようなものが浮かび上がり、

今までの「無条件の権威」のようなものや「我田引水的な解釈」から、
1ヶ月間、いったんは解放されたかと思います。
 

未検証の私見ですが、「般若心経」は、大乗仏教教団拡張の時期に、大乗仏教側が小乗仏教教団よりも優れていることを主張したいために創られたパンフレットのような経典ではなかったかとも思われます。
 

「パンフレット」だから、粗末なものということでは、決してありません。

例えば、「商品パンフレット」は、そのパンフレットを見れば、その商品の効用や特徴、用途、価格、などの必要な情報が一目で得られますよね。

「会社概要」という会社パンフレットにしても、同様ですね。


●したがって、「般若心経」は、一目で「大乗仏教の悟りの要点」が記載されていますよね。

だから、「般若心経」に出会うことで、迷妄から引き戻されたり、

般若心経の内容を理解することで、大乗仏教の悟りの神髄がなんとなく見えてくるのだろうと思われます。


ただ、般若心経に書かれている「ガティー ガティー ・・・・」のマントラを何度も唱えてみても、
ステキな瞑想状態に導かれたという体験を、わたしはしていません。

でも、このマントラと波長の合う方は、神秘的な智慧の瞑想体験をなさるかもしれません。
これは、人それぞれだろうと思われます。

 
ただ、大乗仏教の真の悟りや解脱に至るためには、この経典だけを修行なさるよりも、
大乗仏教の本道である般若波羅密多(6パーラミター=布施・自戒・忍辱→精進→禅定→智慧)の修行をなさるのが早道ではないでしょうか。
 

■在家の方にとっては、
この経典は御利益が確かにあると思います。

わたしの家内の手術の時、わたしの母が郷里から「般若心経」を唱えてくれて、
家内の手術室の周りでは膨大な数の般若心経の守護神さんたちが見守ってくださって、
長時間の手術が成功し、その後、10ヶ月間、元気に生きることができました。ぴかぴか(新しい)

般若心経の守護神さん方、その節はほんとうにありがとうございました。

これからも、多くの人々の苦しみが、この経典によって、癒されますことを、
心から願っています。クローバー

ありがとうございます。ハート達(複数ハート)
 
晴れ補足させていただきますと、

現代の大乗仏教は、チベット密教がそうであるように、
お釈迦様の教えも、個人の解脱(小乗仏教)も、ともにとても尊重なさっていますね。(大乗と小乗とが反目し合う時代は既に終わって、協力し合う時代になっているのですよね)


 
「仏教」は、漢訳を経て日本に入って来たために、一見、ヨーガとは異なったもののように見えますが、
その本質は、極めて体系的で理に適ったヨーガ修行法(神との合一方法)の1つと思われます。
 
たとえば、世界観であれば、「6欲界」を「現象世界(=現象次元)」、「色界」を「アストラル次元」、「無色界」を「コーザル次元」と言い換えれば同じであることがわかります。

「仏陀(独覚と阿羅漢)」は「真我到達者」、「如来」はたとえば「サット・グル」と言い換えれるとか、

「空」とは、簡単に表現するなら、たとえば「夢・幻のようなもの」あるいは「映画の中の世界のようなもの」

「この多次元宇宙」は、たとえば、本源神さんの中の劇場のようなところ、あるいは映画の中の世界のようなところで、

「俳優たち」は本源神さんから区分された意識である創造神さんたちがさらに意識区分した真我たち。

「舞台装置」は、創造神さんたちが自らを意識区分して創造した3種類のグナ光のエネルギー(サットワ・ラジャス・タマス=仏教用語では貪・瞋・痴)」から構成された各次元の粒子で創られたものと、
その粒子を真我たちが組み合わせて創造したもの、とでも言えるでしょうか。


まあ、それらのたとえの言語表現の適否については、みなさんがご自分で智慧の瞑想体験なさってご自身で実際に感じてみてくださるのがいちばんいいでしょうね。わーい(嬉しい顔)ハート達(複数ハート)
 
ありがとうございます。ハート達(複数ハート)
 
mixiも修行のうち!?

皆さま、精進いたしませうp(´⌒`q)
晴れ道@FreeTibetさん  sweetmango さん  皆さま

「般若心経」の感じ方、捉え方は、ほんとうは各人それぞれでいいと、わたしも思います。


ただ、今回は、

■「般若心経の真の意味」富士山

と、大上段に振りかぶったような表題であるために、

「真の意味」に限定されることになってしまいますよね。もうやだ〜(悲しい顔)



ですので、どなたか、別の場所に、クローバー

■「みなさん、「般若心経」ってどう思いますか?」わーい(嬉しい顔)

というような感じのスレッドを立てていただけたら、
うれしく思います。チューリップひよこハート達(複数ハート)ぴかぴか(新しい)
\(≡⌒ ∇ ⌒≡)/ ニパッ♪

ありがとうございます。ハート達(複数ハート)<(_ _*)>ぺコリ 
「般若心経の真の意味」

これを言葉だけでぴたりと言い当てることが出来る人物はいないでしょう

なぜなら、これは真言であり

それ以上の意味も、それ以下の意味も無いからです。

もし、別の言葉で言い換えてそれが万人に伝わるのであれば

この経典が此処まで尊重されることも無いでしょうし

禅が伝える、言葉の向こう側は、単なる言葉遊びという事になってしまいます。



私は、このトピックはそういったことも含めて

人達の気付きを表に出し合うことによって、

それを見る(読む)人達の心の中に

「意味」という華を咲かせる場所になればと思い

書き込みさせて頂きました次第です。



訳を知るだけなら、書店に行けば簡単に知る事が出来ます。



円周率が3.1415926535 ……と続いていることを知識で知っていても

心に真球を描くことは出来ません。

それよりも何よりも、「描こう」と思わないと描けません。



「なるほどな(笑)」と肩から力が抜けるような感覚とともに

大抵の気付きはやって来ます。


般若心経を理解すると、宇宙と自分とを切り離して考える事が出来なくなります。宇宙の広さと自分の心の広さは同じであると思い出すのです。


>クリシュナ☆さん

私はこういったお話が出来る場所があるだけで感謝と思っていますよ(笑)

もしトピを移動した方が良いのであればそうしますが…


個人的には気に入っています


「般若心経の真の意味」って言うトピのタイトル(笑)
大変短いお経ですが、読めば読むほどありがたいお経だと思います。

経題の通り
偉大なる御仏の智慧への道しるべ

真の意味は
一切皆空

でいかがでしょうか?

「読書百遍意自ずから通ず」(魏志)
「真言な不思議なり 観誦すれば無明を除く」(般若心経秘鍵・弘法大師)

お大師様は

般若菩薩の心真言

と真の意味を密教的に解釈されました。

空については
岡野守也氏の「唯識のすすめ」が大変読みやすいし、的をえていると思います
>岡野守也氏の「唯識のすすめ」が大変読みやすいし、的をえていると思います

唯識の説明として大変判りやすいものだったという記憶があります。

空については記号論で言うところの記号をふったり、あるいはレッテルを貼ったりすることのできない
「何でもない」つまり「空」という名前さえ付けられない概念だと思います。
空は何物でもないからこそ、いざというときに何か、つまり「色」になることができるそうです。

物理学者の佐藤文隆さんと仏教学者の中村元さんの対談を見たことがあります。
物理学と仏教はとても親和性がよいのだそうです。
物理学の中でも、量子力学的な現象に「色即是空」に良く似た対消滅や
「空即是色」に良く似たカシミール効果があります。

このように異なる分野から物事の本質を見ると理解の助けになるかもしれないと思いました。
>ひろ♪さん


>このように異なる分野から物事の本質を見ると理解の助けになるかもしれないと思いました。


全くもってその通りだと思います。

この国のこの時代に生まれた私達は、

こういった事柄をあらゆる角度から見る事が出来る環境にいます。

世界の人口の割合で言ったら、それは1%にも満たない

確率なのでは無いでしょうか?

何せ半数以上の人達は、そんな真理の事よりも

その日の食べる事で必死なのですから。

と、話はそれましたが(笑)


これからは、科学、医学、物理学、哲学、あらゆる学問の壁が

取り払われる事によって、真実が浮かびあがるのだと思います。



晴れ道@FreeTibetさん
 
北陸のほうに行っていて、今朝、戻ったところです。

>私はこういったお話が出来る場所があるだけで感謝と思っていますよ(笑)
>
>個人的には気に入っています
>「般若心経の真の意味」って言うトピのタイトル(笑)
 
たしかに、それは言えてるかもしれませんね。わーい(嬉しい顔)指でOK
 
このタイトルでなければ、「般若心経」に興味を持っていなかったわたしは、
経典の解釈を詳細に検討してみることもなかったでしょうし、
コメントをここに書かせていただくこともなかったでしょうね。


■ところで、この「般若心経」が述べている悟りの状態は、

大乗仏教の修行法の「6波羅密多(6パーラミター)の修行法」の禅定によって瞑想体験した、実は「個人の悟りの体験の状態」を述べていますね。
 
でも、これは、お釈迦様やその後の小乗仏教の「八正道」
ないし「仏陀の10の徳目(八正道+2)」によって瞑想体験した悟りの境地(「原初の12因縁プロセスと解脱のプロセス」)と同じものを、別の言い方をしたものですね。

●比丘たちよ、このように、まだ学ぶべきことが残っている修行中の者は[正しい見方から正しい精神集中までの]八つの項目を備えており、[もはや学ぶべきことがない]阿羅漢は[正しい見方から正しい解脱までの]十の項目を備えている」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=29096929&comm_id=951429

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=29294847&comm_id=951429

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=28627850&comm_id=951429

ですから、この状態は、サーリプッタさんはとっくにご存じの到達状態なのですよね。あせあせ
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=24865253&comm_id=951429

「般若心経」では、何度か「サーリプッタよ」とサーリプッタさんに法を説いていますが、
仏陀到達者に仏陀の到達状態を説くという、まるで漫画が悪い冗談のようなことが述べられているわけです。げっそり
(サーリプッタさんが、知っていても敢えて訂正なさらないのは、サーリプッタさんが解脱なさっている証かも・・・・)
 
また、この経典を書かれた方は、この境地をご自分で瞑想体験していらっしゃらない方が、
「大般若経六百巻」を読んで、悟りについて書かれている部分の要点をサブノート的にまとめられたのかもしれませんね。

ですから私たちは、この「サーリプッタよ」という呼びかけは無視して、「般若心経の悟り」の本質だけに着目したほうがいいように思いますね。


■ところで、真の大乗の悟りは、この般若心経の先にあると考えられますね。

たとえば、創造神さん(このわたしたちの真我大宇宙すべてとその創造神さん)を瞑想によって理解して(「6波羅密多」や「八正道」の瞑想体験とその理解)よりもさらにその根源へ、

その先にいらっしゃる根本創造主さん(別の創造神宇宙すべてとその元になられた根本創造主さん)を理解してさらに根源へ、

そしてすべての根本創造主さんたちの大本である本源神さんのすべてを知って一体となり、すべてを思い出す、
という、先達のみなさんが今探求なさっている、さらに遠大なプロセスがまだ控えています。

なんとか、そこに早く追いつきたいものですね。あせあせあせあせ(飛び散る汗)

拙い歩みで遅くてたいへんご迷惑をおかけしていますが、ひよこ
先達の皆さま、お導きのほど、どうかよろしくお願いいたします。ぴかぴか(新しい)<(_ _)>

ありがとうございます。ハート達(複数ハート)
>50道さん
しかしながら真理のことよりもその日の食べることで必死な国の人たちの方が、真理により近く生きているような気もします…
>51クリシュナさん
小乗と大乗の悟りの違いは、人無我と法無我または大涅槃と大菩提という表現で区別されたりします
晴れsweetmangoさん
お返事ありがとうございます。ハート達(複数ハート)
 
できれば、瞑想体験なさった個人の悟り(小乗の悟り)の状態と、瞑想体験なさった全体的な悟り(大乗の悟り)の状態に基づいて、もっと具体的にお話しいただけるとありがたいのですが。

わたしの瞑想体験については、わたしのプロフィールにその一部について書いています。

?わたしが今生で瞑想体験したのは、真我独尊の状態になり、そこから宇宙を再創造するプロセスの部分です。

?創造神から意識区分され最初の状態を思い出された瞑想体験をなさった方が、ミクシィ内にはわたしが知ってる範囲では、2名いらっしゃいますね。
わたしは、この状態については興味を持っていませんから、もっと以前の生(たとえば2600年前くらいの頃)で体験させていただいていると思われます。


用語だけ、とか、経典の文言上の解釈だけでは、明確にイメージすることができませんので、どうかよろしくお願いいたします。
(もちろん、言葉で説明するのは、とても難しいのでしょうが、ミクシィでは言葉でしか書き込めませんので。ただ、それでも具体的な描写で経験したことを詳細に書きつづっていただくと、そのビジョンを瞑想によって追体験することが可能になる場合もありますので)

ありがとうございます。ハート達(複数ハート)
 
>sweetmangoさん

真理を知らないまま、真理に沿って生きるのは本当に難しいです。

ギラギラと光る太陽の下、片目を鳥に今にもつつかれてしまうような子供が

「世界はひとつ」なんだという真理に基づいて生きて行く事が

出来るでしょうか?

争う必要など、無いんだって…

その苦しみは、貴方達のカルマから来るものだって…

腐敗した政治下にあり、家族を目の前で殺されて苦しんでいる人達が、どう受け入れることが出来るでしょうか。



少し極端な例を挙げましたが、

私は生き方そのものを、真理に沿ってるとか、沿って無いとか

言いたい訳では無いのです。それは自由ですから。


私達が恵まれていて、真理に近いなどと…考えたこともありません。



今こうして私達がmixiで般若心経について話し合う、

世界を100人の村に例えると、パソコンを持ってる人は、一人だけだそうです、

私には奇跡的なこととしか思えないんですよ、



鳥肌が立つほどの奇跡だって。



それが言いたかったんです。



大きな意味では、真理に沿って生きて無い命なんて、無いですからね(笑)

晴れsweetmangoさん
 
>しかしながら真理のことよりもその日の食べることで必死な国の人たちの方が、真理により近く生きているような気もします…
 
 ↑
このコメントは、「真理」とは、かけ離れているように思われますよ。
映画(迷妄)の中の配役を演じきっている、という表現のほうが、より適切に思われますね。牡牛座

ただ、愛も、歓びも、智慧も、感動も、すべてのステキなもの、幸せに繋がるものの供給源は神さま(本源神さん)ですよね。
(そういう鳥肌が立つほどのステキな感動の気持ちを自分が味わっているとき、ピュアな感性で観察すると、自分のすぐそばで、自分を通して神さまが感動していらっしゃるのがわかりますよ)わーい(嬉しい顔)ハート達(複数ハート)

この世の物質は完全なものはありませんから、なにかほしいものを得たとしても、それですべてが完全に満足されることはありませんよね。まだ別のものがすぐほしくなったり、必要になったりしてしまい、際限がありません。
神さまを得るまでは、常に不満足な状態が続きます。
 
その理由は、わたしたちが完全な存在(神さま)から降りてきているからです。

神さまを味方に付け、いつも神さまに至福を与えていただいていれば、幸せも歓びもすべてが満たされますから、この世のものに囚われなくても済むようになりますよ。

たとえば、幼稚園や、小学校は、いつまでもいるところではありませんよね。
(まあ、居たい人は、いくら居続けてもかまわない自由意思は神さまから与えられていますが)

さっさと、この苦界(現象界)を卒業してしまったほうが、楽で、かつステキではありませんか?

般若心経は、このことも言っているわけですよね。

ありがとうございます。ハート達(複数ハート)
道さん
いえ、道さんのおっしゃりたいことは十分に伝わっております。
僕の言いたかったことは、仏教の教えをよく知っている学者先生の生活よりも、毎日仏壇に手を合わせている仏教のぶの字も知らないおばあちゃんの生活に、より仏教を感じることが出来る、というようなことです。
ん、違うか?

現代日本はとかく便利になりすぎて、生きるにも何するにも自分の力でなんとかなるという傲慢が抜きづらいですね。
一切皆苦が理解しにくい時代・・・
>54クリシュナさん
僕の体験的な解釈を入れてしまうと本来の意味からずれてしまう可能性があるので、あえて用語提示にとどめておいたのですが、僕の解釈としましては、瞑想体験の違いではなく「悟った私」がいるかどうかの違いではないかと。

仏教 は 知識 〇
仏行 は 智恵 ◎

ミクシィは 知識が
ほとんどですか?
晴れsweetmangoさん
 
瞑想中にその悟りの体験の状態で注意力を十分に働かせていれば、
瞑想の中に存在している自分自身(形のある姿はしていませんが)を含め、360度かつ全方向の視覚を持っていますので、自分の存在を確認することは必ずできるはずですよ。
 
だから、それが大乗の最終的な悟りとは考えられませんし、
大乗と小乗との本質的な違いではありませんね。
 
自分を観察している自分の意識を自分の外側に感じていて、外側から自分を観察しているほうの自分の意識が、より大きい範囲の意識の自分です。
 
そして、その外側の意識があるうちは、より大きな宇宙が存在している、ということでもあります。(注意力が足りないと、外側から観察している自分を知ることはできません)
 
別の側面からこの悟りの状態で宇宙を観察すると、
この無数の渦巻き星雲や様々な星雲を含む大宇宙は、現象世界、アストラル世界、コーザル世界からなる多次元構造になっていて、(真我大宇宙は球形で果てがあり、その向こうに創造神さんが一部つながってあり、その外は闇です)、
(「仏陀の悟り」とは、まだこの創造神大宇宙の範囲の悟りのようです)
闇の向こうにあるたくさんの他の大宇宙と同レベルの多次元大宇宙の1つに過ぎません。
 
それらを統合した超大宇宙があり、

さらにその先はまだあるようですが、そこはわたしもまだ確認できていません。
肉体を去って、如来さん方や、シヴァ神さん、ヴィシュヌ神さん、クリシュナ神さんなどの先輩方にお目にかかれる機会があれば、お尋ねしたいものだと思います。

ありがとうございます。ハート達(複数ハート)
念の為に書いておきますと、「悟った自分」のいないのが大乗の悟りであり、これは瞑想だけでは到達できず、慈悲行の実践が必須です。
晴れsweetmangoさん

お返事ありがとうございます。
 
■大乗の修行である六波羅密多(6パーラミター=布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の修行法の中の、

◆布施=財施・法施・ 無畏施(安心施)

◆精進=努力の極限・完全な努力=2正断・2正勧

を実際に極限に実行・実践してから、禅定(瞑想)に入って、

「神我の智慧」の世界を体験するものです。


■実は、お釈迦様が最初に説かれた「八正道」にも、

「慈悲の修行」や「4無量心」の実践の修行も、実は行われています。
 
端的な部分としては、

◆正精進=努力の極限・完全な努力=2正断・2正勧

ほかにも、

◆正語の中の=人を仲違いさせる言葉を言わず、人々を仲良く和合させる言葉を話す。
◆不殺生=生き物を殺したり傷つけたりしないで、生き物を慈しむ。
◆不偸盗=盗みを行わないで、人に施しをする。
などなど。
 
本質的には、瞑想に入る前に、極限の善行と徳行とを行って可能な限り膨大な功徳の光を蓄積する実践は、
実はお釈迦様の高弟たちはすでにいわゆる大乗の修行も並行して行っているのです。この膨大な功徳(プラス・パワーエネルギー)があるので、悟りに導かれるのです。

(その後の、分派した後継者たちが小乗の宗派を作って、修行内容や教義の解釈がおかしくなったので、
大乗仏教の人たちが、補正したとも言うことができるでしょうね)


お釈迦様やその弟子たちの大乗実践の恩恵を一番受けた在家者の方たちが、たとえば、アジャータサッツ王子さんやアナータピンディカさんたち、というわけですよね。
 

ですから、どちらも瞑想前に極限の「慈悲行」を行ってから、瞑想に入って「智慧」の体験をするのです。
 

sweetmangoさんは、もしかして、「般若波羅密多心経」の「般若波羅密多」の瞑想法の修行法を否定なさっているのでしょうか?

ありがとうございます。ハート達(複数ハート)
晴れ
◆ということは、慈悲行を行って後、瞑想に入って体験する状態、ということで、同じことを言っていらっしゃるのかな?

◆さて、「悟った自分がいない」というのは、観察主体(認識主体)たる自分がいないということだと、「状態だけしかない」、ということをおっしゃっているのですか?
  
>極限に実行・実践してから、禅定(瞑想)に入って、「神我の智慧」の世界を体験するものです
>極限の「慈悲行」を行ってから、瞑想に入って「智慧」の体験をするのです

あなたは相当自分の瞑想状態に自信がおありのようですが・・・
自分の内や外や言うてるうちは、駄目なんじゃないですか・・・
その外の、○○神とか闇とか
それって「瞑想」じゃなくて「空想」

ちなみに般若心経は「諸法空相」

どんなに素晴らしい瞑想状態も「空」
そこで出会う神様も仏様もあなたも私も「空」

だから悲しいことにあなたの書き込みはどれもあんまり意味がない。

でも「空即是色」と帰ってくる
はよ帰ってきなはれ

私、瞑想は肯定します。ほぼ毎日してます。
晴れ寺僧流さん
 
わたしは、たぶん、この地上にいるのはあとそう長くなさそうなので、同じく瞑想なさっているみなさんにシェアして、いただきたいだけです。
プロの僧ではありませんから、普通に生活なさっている方々との利害関係はまったくありませんから。
 
色即是空 空即是色 諸法空相 が、終点ではないようです。(たしかに、魂は解放されます)
そこに行ってみると、さらにその先があるようなのですね。


ただ、残念なことに、
中途半端な科学者さんと、中途半端なプロのお坊さんとは、あまり話が合わないようです。
自分が今まで得た、既存の科学知識や既存の仏教知識の観念に囚われて、自分自身でそれを瞑想で探究しようする真摯な探求心が欠けているからです。
 
真摯な探求心にあふれる最先端の科学者さんや、解脱なさってお布施だけで世界中で救済活動をしていらっしゃる真のスワミ(僧)さんは、お話が通じるので、大好きです。

ありがとうございます。ハート達(複数ハート)
 
こちらこそありがとうございますウインク

>色即是空 空即是色 諸法空相が終点ではない。

同感です。「空」を「空」じる。という言葉のあるとおりです。
だから帰ってきなさいと書きました。

あなたのお言葉をお借りしますと
「救済活動」は我々の出来る終点のひとつだと思います。

私は既成の仏教知識を生かして「救済活動」をする坊主です。
牧師も神主も医者も先生も八百屋も同じだと思います。


あなたにとって般若心経の真の意味とは
>あくまで、仏道瞑想修行者の経典としては、あまり相応しいものとは考えにくい、という意味です。

ということで、在家にはいいが、瞑想行者にはふさわしくない。というご意見が寂しいです。我が国においても、数々瞑想の大家がすすんで注釈書をお書きになっておられるのに・・・
>寺僧流さま

>私は既成の仏教知識を生かして「救済活動」をする坊主です。
>牧師も神主も医者も先生も八百屋も同じだと思います。

ありがとうございます。
わたしもまさに同じことを感じてました。
わたしもこれに気がついてから
「自分自身のやるべきことをすすめることが「行」に等しい」
と気がつきました。必ずしも僧院にこもる必要は無いのだと思うようになったのです。

>我が国においても、数々瞑想の大家がすすんで注釈書をお書きになっておられるのに・・・

これはどんな本をさしているのでしょうか?

また >sweetmangoさんが「『悟った自分』のいないのが大乗の悟りであり、これは瞑想だけでは到達できず、慈悲行の実践が必須です。」とおっしゃるように「悟った自分」でいう自分というのは悟りにいたるまでのルートにしかすぎず、梵我一如ではつまらない個性のようなものなどは無いに等しいのだと思っています。慈悲行の実践が必須というのも、日々の仕事こそ行足りえることなのだと思います。また逆に自分の仕事を慈悲行足りえる仕事とするのがよいのだと思うに至ったことがあります。

原典→中国語
鳩摩羅什訳『摩可般若波羅蜜大明呪経』
玄奘訳『般若波羅蜜多心経』
義淨訳『仏説般若波羅蜜多心経』

他にもいらっしゃいます。
弘法大師(真言宗)『般若心経秘鍵』
賢首大師(華厳宗)『般若心経略ショ』
慈恩大師(法相宗)『幽賛』
盤ケイ大師(臨済宗)『心経抄』

その他、多数ですが上記のお祖師さん達が瞑想していないわけがない。と思います。

写真『空海 般若心経の秘密を読み解く』松長有慶管長 著
弘法大師(真言宗)『般若心経秘鍵』の説明として、結構わかりやすいです。 



>クリシュナ☆さん

私も、きっと何かがあると思って、何度も何度もクリシュナ☆さんの書き込みを

読み返しました。

きっと素晴らしい瞑想体験をされたんだろうなぁ、って思いましたよ。


しかしながら若干ご自分のその体験に執着されてるように感じました。(失礼な言い方でごめんなさい)

ここは「般若心経」について語り合うトピですから

特にそう感じるのかもしれません。

なぜなら「般若心経」が語っている事は、究極にシンプルなんです。

もしかしたら、瞑想などしなくても哲学的な視点から、解釈だって出来るかもしれません。。

勿論その解釈を自分の人生に生かすか、生かさないか、常にその真実に思いを寄せれるか寄せれないか、それも人それぞれです。

それに理論的に解っただけでは、誤った行動に反映されてしまい、結局はエゴの正当化の為にこの経典を解釈してしまう危険性もあります。実際私にもそんな時があったような気がします(笑)


しかし、瞑想ワークをした方が自分の中に宇宙を見出せる機会が増えますし、私個人的には、瞑想(意識を内面に持って行く内なる行為)を勧めています。

この経典に限らず、その思想なり本質を見抜くには、時に今までの経験や、それに基づく思考を取り払わなければならない時ってあると思います。(取り払った方が良い)


釈尊がそうであったように。



クリシュナ☆さんは、これまで、この経典にはさほど関心が

無かったと仰ってましたよね?

もう少し、この経典が語ろうとしている真理について、素朴な気持ちで思いを寄せてみてはいかがでしょうか?


私はこの経典に触れるまで、仏教についての知識、スピリチュアルな事柄、命の本質
等に特に強い関心があった訳ではありませんでした。ましてや、霊感とか特別な能力があった訳でもありません。(今もそんな能力は標準並みです)

>「般若心経」では、何度か「サーリプッタよ」とサーリプッタさんに法を説いていますが、
仏陀到達者に仏陀の到達状態を説くという、まるで漫画が悪い冗談のようなことが述べられているわけです。
(サーリプッタさんが、知っていても敢えて訂正なさらないのは、サーリプッタさんが解脱なさっている証かも・・・・)
 
>また、この経典を書かれた方は、この境地をご自分で瞑想体験していらっしゃらない方が、
「大般若経六百巻」を読んで、悟りについて書かれている部分の要点をサブノート的にまとめられたのかもしれませんね。

>さっさと、この苦界(現象界)を卒業してしまったほうが、楽で、かつステキではありませんか?

>般若心経は、このことも言っているわけですよね。




どうしても、言葉を言い換えて説明しようとすと、本来の意味からずれてしまいます。

私もここへ書き込む時は極力自分の主観を除いてかくようにしています。勿論完全では無いですが、すごくその点に注意しています。

 

般若心経が説く通りに考えると、


般若心経自体、ありがたいものでも何でもありません。何も言って無いかもしれません。嘘かもしれません(笑)


ただ、それを心に通した時のみ…、私のようにカルマを背負った人間ほど、ありがたく思えるのかもしれないですね(笑)


「空」あっての、「色」(今私達が存在していると信じている、森羅万象、現象全て、瞑想体験も含む)

般若心経は、それ以上もそれ以下も語っていません。

ただし、ヒントとしてそれを知りたければヴィパッサナー瞑想が大事な要素である…というのは確かに見てとれます。



クリシュナ☆さんの書き込みは

「それぞれの瞑想体験」的なトピを作って
そちらに、存分に書き込まれた方が良いのかもしれません。


どうしても、読んだ人が、この経典について誤解してしまう気がするんですよ。




視点を外して物事考えることが出来るか?

物質に溢れた現代人に対しては特に、この経典は時代、場所、人の思想、分け隔てなく、車輪が一定の速さで回るかのごとく、静かに説き続けているように、私には感じるのです。


いつも長文ですいません。
晴れ寺僧流さん  晴れひろ♪さん  晴れ道@FreeTibet さん
 
今回は、ステキなお坊さんにお会いできたようで、うれしく思います。わーい(嬉しい顔)ハート達(複数ハート)
神さま、ありがとうございます。ハート達(複数ハート)
 
さっき、イベントから帰ってきたところです。

 
>>あくまで、仏道瞑想修行者の経典としては、あまり相応しいものとは考えにくい、という意味です。
  ↑
あとで振り返ってみると、これは言い過ぎであったと思います。

わたしは、「般若心経」そのものの解釈に取り組んだのは今回が初めてですから、
「般若心経」の受け止め方については、当初の感想と、その後の感想では、わたしの記述内容の推移からもお判りのように、変動していっています。
 
◆詳細な解説書を読んだ直後は、般若心経が作られた歴史的な争いが、経典からイメージとして浮かび上がってきたので、上のような強い言い方になったわけです。
(お釈迦様や、サーリプッタさんを弁護したいという気持ちが強く働いたのでしょうね)

 
◆ただ、その後の大乗仏教とテーラワーダ仏教との共存関係から考えるなら、
「サーリプッタよ」というのを、「仏道修行者の代表者」ないし「みなさんの代表者」くらいに言い換えて考えるなら、別に角を立てなくてもいいわけです。
 
ということで、その後の方々は、悟りの状態の記述の理解だけに集中なさったのでしょうね。
 

■「般若心経」だけを見れば、確かに、空のところまでで止まっていますね。

「心経」ですから、短い文章で述べられているのは、その神髄の部分であって、確かに、6パーラミターの修行法や悟りの到達点のすべてを述べているわけではないでしょうし、また述べ切るためにはもっと字数が必要でしょうね。
 
ただ、空を観察し認識している観察主体(純粋観照智を有する真我)は当然あります。
「般若心経」の場合は、観音様が説かれていますので、瞑想体験なさった観音様の真我が瞑想主体、ということになるのでしょうね。
 
(もしかすると、観音様が、サーリプッタさんに、言葉だけではなくて、その瞑想状態をイニシェーションとして、直接、観せていらっしゃるのかもしれませんが。導師は、そうする場合も多いので)


■「空」より先のところについては、
確かに、今、わたしが真剣に探究している部分であり、「般若心経」の記述内容そのものではなく、その先の部分ということになるでしょうね。
 
(今、読んでいるヨーガ瞑想の本の今日読んだ部分に、その先の部分についてのヒントとなることが書かれていましたので、わたしが求めているものは、その方向でいいようだ、と感じることができました。クローバー
神さまは、いつも粋な計らいをなさるものだと、いつも感心させられますが。
神さま、いつも、たくさんをありがとうございます。ハート達(複数ハート)<(_ _*)>ぺコリ)

ですので、「般若心経」の理解としては、そこまでは必要ないかもしれませんし、
それより先も知りたい人にとっては、そのことの記述があると参考になるかもしれない、ということになるのでしょうね。

その辺りになると、個人の好みの問題かもしれませんが。

ありがとうございます。ハート達(複数ハート) 
 
驚異 朗読健康術!

流石 覚者は 賢い

不立文字 (^-^)v

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