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釈尊に親しむコミュの参加者の発言用トピ☆

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管理人の華です^^

参加して頂いた方の、仏教やお釈迦様に関する意見交換のトピをつくりました。

自由闊達に、皆さんのお考えや意見をお聞かせ下さいませ。
その他、仏教に関する疑問や質問なども書き込んで下さって結構です。
質問にお答え願える方の書き込みも大歓迎です。
どうぞ宜しくお願い致します。

また、管理人に対する意見やご要望などもお聞かせ下されば嬉しいです☆

コメント(20)

管理人からコミュニティーに参加して頂いている皆様に質問させて頂いて良いでしょうか?

仏教には沢山の宗派がありますが、皆さんはどこの宗派、或いはどの宗祖に興味を持っていらっしゃるのでしょう?

また、その理由もお聞かせ頂けたら嬉しいです(笑)

ちなみに、私は禅宗にとても興味を持っています。
理由は、禅語が好きで、禅語を調べていくうちに何となく禅宗に興味が湧いたと言うか^^;

ただそれだけなので、禅宗に関しては解らないとこだらけです。
もしご存じの方がいらっしゃれば、禅宗はこんな宗教だ!と教えて頂ければ嬉しいです。

他の宗派に関しても、「ここが好き♪」って言うところを是非教えて下さい☆
宜しくお願いしますm(_ _)m
みとさまさん、初めまして。
管理人の華と申します^^

時衆は、「時宗」と同じですよね。
確か、一遍上人が開祖だったと記憶していますが、他はあまり知らないんですよ^^;
基本的には浄土宗の教えと同じと思って良いのでしょうか?

一遍上人は「踊り念仏」で布教をした事は有名ですね。
奥さんや子供を連れて諸国を行脚している絵を見た記憶がありますが、そう言えば良寛和尚も晩年、貞信尼と言う恋人(?)がいましたね(笑)
私は一遍上人を始め、良寛和尚や一休禅師の、そう言う人間臭いところがとても親しみを持てるような気がして好感を持っています。

>宗派も根本的なところは言葉では言い表せないと言うことではないでしょうか。
本当にそうですね、私もそう思います^^

また一遍上人に関する書籍を買って勉強してみようと思います。
色々教えて下さいね。
私もこうして勉強させて頂ける場を得られて、とても幸せだと感謝しております。。
これからもどうか宜しくお願いします。
こんばんわ。
私は、親鸞、浄土真宗ですね。

ちょっと時間が遅くてねむねむで書いてますので、また、意識がはっきりしているときに、理由などコメントしたいと思います。
I-KauBonさん、凄い時間まで起きていらっしゃるんですね(笑)
親鸞さんと聞いて一番に思い出すのは「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや・・・」と言う言葉と、長男善鸞との義絶ですね。
人間は根本的には悪人である、と言うところから出発している教えなので、とても親しみを感じます。
また色々教えて下さいね。
最近特に目立つのが、夫婦間や親子間の暴力及び殺人事件ですが、中でも幼い子供への虐待が非常に多くなって来ているように思います。

私の相談室にも、両親に対しての憎しみを訴える方が多く、「親子の断絶もここまで来たか・・・」と、改めて考えさせられます。
そこで、皆様のご意見をお聞かせ頂きたいのですが、この親子の断絶、夫婦間のトラブル(DV)、更に子供への虐待に関して、どのようなお考えを持っていらっしゃいますか?

また、このような事態を解決する為に、一体何をどうすれば良いと思っていらっしゃいますでしょう?

お釈迦様のコミからは少しピントが外れたテーマだとは思いますが、宜しければ皆さんのご意見をお聞かせ下さいませ。
皆様、明けましておめでとう御座います。
不景気な最中の年越しですが、皆様はどんなお正月を過ごされていますか?
風邪など召されてはいませんか?

『釈尊に親しむ』も、立ち上げてから早や二年あまり。
こんなに沢山の方が参加して下さり、尚且つこんなに長く続くとは思いもよらなかったコミュニティーですが、今年もボチボチと亀の歩みで続けさせて頂こうと思っておりますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

>>あぁ短いかな、人の生命よ。百歳に達せずして死す。
たといそれよりも長く生きたとしても、また老衰のために死ぬ。

スッタニパータにある句です。
『生きる』と言う事は、『死』を見つめる事でもあります。
自分がどのような人生の終焉を迎えるのか、どのような気持ちで死出の旅路に赴くのか・・・
それは「今、この瞬間の生き様」で、それぞれ決まってくるものではないでしょうか。
ただ間違いなく言える事は、「死は全てに等しく訪れる」と言う事。

『正月や 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし』

一休禅師は正月にしゃれこうべを持って一軒一軒家を訪ねて「正月だからと言って浮かれて時を無駄に過ごしてはならない」と説いて廻られたとか・・・

正月を迎えると言う事は、それだけ人生の終焉が近づきつつあると言う事でもあります。
昨年は、自分は時を空しく過ごさなかったであろうか。
昨年よりも今年の自分は、少しでも人間として誇れる自分になれるであろうか。
そう言う危機感を、私達は常に心に留めておかねばならないのだと思うのです。

人生は短い。
老う程に、時は瞬く間に過ぎ去ってしまいます。
「この一瞬」は二度と得られない一瞬でもあります。
大切な『時間』を真剣に『良く生き』続ける事が、やがて訪れる終焉に「良く死ぬ」事に繋がるのではないかと思います。

それでは2009年も愚かな管理人『華』にお付き合い頂ければ嬉しく思います。

 華  合掌
釈尊に親しむの管理人、華で御座います。
先のメッセージを書いてから、私の身辺にもこの二年の間に色んな事がありました。

先ずは三女の旦那様の急死。
まだ27歳と言う若さで、待ち焦がれていた赤ちゃんが生まれて一ヶ月の突然の悲劇でした。
生後一ヶ月の幼い娘が彼の忘れ形見となってしまい、その子も漸く2歳。
今は可愛い盛りです。
彼が生きていたら、きっと眼の中に入れても痛くない位の可愛がりようでしょう。
遺された娘や孫達の悲しみを考えると、私はどうしても放って置けなくて、この一年近く娘達の傍で生活しておりましたが、最近漸く落ち着いて来た頃合を見計り、先日主人の元へ戻って参りました。
長い間このコミを留守にして本当に申し訳ありませんでした。

この度の悲しい不幸な出来事でしたが、そこにも沢山の学びがありました。
なんと言っても『命の尊さ』は改めて身に染みました。
たった一つの命。
私も、あなたも・・・
全ての命あるものは、たった一つしか命はありません。
それなのに、現代はなんと命の軽い時代なのか・・・そう思うのは私だけでしょうか。

若い母親の育児放棄によって、先日も幼い命が消えてしまいました。
どんなに生きたくても、生まれ持った難病の為にNICUから一歩も出られないまま寂しく去って逝く小さな命も沢山あります。
でも、そんな赤ちゃん達を守って頑張っている人達も沢山居る。
それなのに、自分のお腹を痛めて生んだ健康な赤ちゃんを母親が自ら放棄して殺してしまうなんて・・・
どんな事情があろうとも赦せるものではないと、私は思います。

何とか娘達家族は立ち直ろうと歩き始めてくれました。
大きな悲しみから、彼女達が逞しく生き抜く事を選択してくれた事は、私にとっては本当に嬉しい事でした。

やはり、今も私は思います。
『生きるって素晴らしい・・・』と。
どんな悲しみが襲ってきても、生きていれば必ず乗り越える事ができるのでしょう。
そんな逞しさを、私達は持っているのですね。

これからも少しずつですが更新して参りたいと思っています。
どうぞ、皆様これからも宜しくお願い申し上げます。

合掌

管理人 華

華様、お久し振りでございますと共に不義理を申し訳ありません。

4年前の幼児虐待やDVの書き込みを読ませて頂きましたが、4年後の現在はますます増え続ける一方です。
感じる事は憤りを感じます。
しかし虐待する側も心の不安定さがあるが故にそのような行動に出てしまうようにも思われます。

無くす方法なんて自分のような凡人には考えも尽きません。

最近、「情緒不安定人格障害」という病気の人と出会いましたが、父親の性的虐待が原因だそうです。

そのような人と出会うとは意外だったのですが、意外と身近に居ても不思議ではない時代なのかも知れません。

身近に居る人ならば、病気を理解し温かく接してあげる事が出来るのですが、理解の無い心無い人も居るのも現状です。

コミュニティ参加者の皆様、逸脱したコメントで大変申し訳ありません。
> 下京さん

書き込み有り難うございます。
思えばお釈迦様が生きていらっしゃった時代も争いが絶えなかったり、貧しさや病によって沢山の人が亡くなっていたのですね。
そういう不条理な苦しみ、悲しみをお釈迦様自身も感じ、或いは心を痛め、今下京様が仰る『何とかしなくては』と言う強い思いが悟りに至らしめた原動力になったように思います。

時代は違っても人間同じような課題を抱えて生きているのでしょうか。
各々の心の闇に潜む悪魔と戦い、打ち克つ為に……
>華様
いえいえ、自分には勿体ないお言葉です。
今の自分に出来る事全てを人にぶつけます。

その為にはまだまだお釈迦様の教えを学ばなければなりませんが、ご教授お願い致します。
初めて投稿致します。エスカと申します。宜しくお願い致します。

悟りと一言で言っても中々つかめないのが悟りだと思いますね。禅では不立文字と言って言葉や文字では表せないと言いますから、中々悟るのは、容易ではないと思います。

仏教には旗印があって、これがなければ仏教とは認めないと言うものが、三法印ですね。諸行無常、諸法無我、涅槃寂静ですね。このいずれも悟りの言葉だと言われます。

まぁ。お釈迦様も大悟された時に授受法楽の中で悟った喜びでもうこのまま死んでも良いと思われたと言われています。ですが梵天が降りられ「どうか、その悟りを衆生に説いて下さい」と願ったのが有名な梵天勧請ですね。

しかしお釈迦様は「この悟りは衆生に説いても理解されないだろうから、わたしはこの法楽のままいたい」と言われたほど、悟りとは中々容易には習得出来ないと言うことだと思いますね。

だからと言って人間が悟れないと言うことでないのは、お釈迦様が40数年説法され、弟子達も数多く悟った人達が出たことを観れば分かると思います。ただ容易ではないことを踏まえた上で今後皆様とお話して行きたいと願っております。よろしくお願い致します。



> エスカレントさん

コメント有り難うございます。

禅語にこんな言葉があります。

遍界不曾蔵(へんかいかってかくさず)

世の中は何かを隠していない。
真実は隠されているのではなく、全てあなたのまわりに現れている、という意味だそうです。
そのありのままの真実を感じる心を養う事が出来て始めて『悟り』が得られるような気がします。

しかし、それを妨げるのが『我執』と言われる『こだわり』だそうで、中でも自分自身に対するこだわり、此れが一番根が深いとか。

確かに、凡人である私はなかなかこの『こだわり』から離れる事は難しいです。
多分一生掛かっても不可能かもしれません(^_^;)

でも私は人生、最後の最後まで『学び』だと思っていますから、こうして皆様とお話しながら学ばせて頂ける事が最高に幸せです。
此れからもどうぞ宜しくお願い致します。


>華さん

早速のご返答ありがとうございます。

在るがままにですね


在るがままにその身は美しい。正に自然は、何も隠すことなく、ただ在るがままに飾ることもなく、喜びのままに在ると思いますね。自然はわたしたちに色々なことを教えてくれていると思います。

太陽は休むことなく、無所得のまま、わたしたちに大いなる恵みを与えてくれています。ここで下手くそですが、わたしの詩を一つ掲載することをお許し下さい。


生きること

この世に在る全ての生きとし生けるものには意味のないものはないと風が言う
季節の中で流れ行く、雲さえもその時々に姿を変えて
変わりゆく無常の世界を生きるものたちへ示している
アスファルトの下からでさえその隙間から出て生きようとする雑草の強さ
自然は色んな事を教えてくれている

在るがままに ただ在るがままにその身は美しい
光あればこそ世を照らし
光なくば、この世は闇となり
手探りで闇夜を彷徨い歩く人となる
嗚呼生きるとは何故切なく、苦しみを伴うものなのか

天に輝くあの太陽は
何も求めることなく、ただただ与え続け
朝と夜とを繰り返す
この営みの中に人は何を見るかで
生きることの意味を知らしめると風がわたしに囁いた
見えるものだけを追い求めることなく
見えないものにこそ真実を見出せと
生きて死に行く無常の中で
永遠を見出せと

風はわたしにそう言った
変わりゆくこの世にあって変わらぬものは
時は永遠に流れ行くと言うこと
その意味を知れと風は微笑んでわたしのもとを過ぎて行った
生きること
それは永遠を知ることの中にその答えがあるとわたしは思った

透明な心で嘘偽りを言うことなく、ただ在るがままに生きていきたいものです。(−人ー)(合掌)


> エスカレントさん

雲の如く、水の如く…

形にとらわれる事なく、またその『とらわれ』からも離れて無心に生きる。
そんな生き方が出来れば最高ですが、現代に於いてはそれがなかなか困難
である事も事実です。
だからこそ尚更自分自身を整え、『身、口、意』を堅固に守り続ける事が大切なのでしょうねぇ。

私は『自分は間違いを犯さない…』と言う完璧さよりも、過ちを認め素直に反省出来る、そんな謙虚な人間で在りたいと願っていますが、日が暮れて、道は遠し…』と言うところです(^-^)
でも焦らないでマイペースで歩いていこうと思います。

素敵な詩を有り難うございます(^-^)

合掌
自分でも思うぐらい全くの無知でしょうがない者です。
本を買ってちょっとは勉強せいよ! って自分でも思うぐらいです( ̄ロ ̄;)

でもこのコミュニティは教えを説いて頂けるのでまぁ同じ事かな? と甘えています(^^ゞ

教えを説いて頂ける管理人である華様や参加者の皆様に、感謝致します。
下京さん

エスカレントと申します。よろしくお願い致します。

求める気持ちは、非常に大事だと思います。知るは力なりですから、求める気持ちがあれば、道は自ずと開けてくると思います。知って犯す罪と知らないで犯す罪は、知らないで犯す罪の方が重いと言われます。それは何故かと言いますと知っていることは改心する可能性があるからです。しかし知らないと改心すら起きないからです。

わたしも悟った身では、ありませんが、悟りを求め30数年仏教を勉強してきておりますので、多少なりとも伝えることが出来るかも知れないと思いまして僭越ながら、こうして筆を取らせて頂きました。

仏教の出発点は、人は何故苦しむのか。仏典には四門遊観(しもんゆうかん)と言いまして、釈迦が太子であったとき、王城の四門から外出し、東門で老人に、南門で病人に、西門で死人に、北門で沙門(=出家者)にそれぞれ出会い、老病死の苦を見て、出家の決意をしたという伝説的な話が出ています。

そこから、四苦八苦と言うことが言われています。生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病になる苦しみ、死ぬ苦しみ、愛する人と別れる苦しみ(愛別離苦)嫌な人と会う苦しみ(怨憎会苦)求めるても得られない苦しみ(求不得苦)肉体煩悩が燃えさかる苦しみ(五陰盛苦)の八つです。

その苦しみから脱する方法を求めて釈迦(当時、ゴーダマ、シッタルダ)28歳の時に城を跡にして悟りを求め苦行へと向かったのです。これが仏教の原点の話です。以後おりに触れて仏教の教えについてわたしの知るところをお話したいと思います。以後よろしくお願い致します。

> エスカレントさん
有り難いお言葉有り難うございます。

》15 の書き込みは大変感銘を受けます。

休憩中なので失礼致します。

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