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釈尊に親しむコミュの☆仏教あれこれ物知り辞典☆

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暮らしの中にある仏教用語

仏教には縁が無いと言う人でも、知らず知らずに使っている仏教から生まれた言葉って沢山ありますね。

その中から幾つか書き出してみました。


参考:仏教を歩く(週間朝日百科)・他

【愛敬】:あいきょう
「男は度胸、女は愛敬と言うように、にこやかで可愛らしい様を指すが、仏教では愛敬(あいぎょう)と読む。
菩薩のような慈悲に溢れ、誰もが敬い愛したくなるような表情が本来の意味。

【挨拶」:あいさつ
挨拶という言葉はもともと仏教語で、挨は「押す」拶は「せまる」という意味があり、その事から「挨拶は、前にあるものを押しのけて進み出る事」を指す。
禅宗においては、「一挨一拶:いちあいいつさつ」と言い、師が弟子僧へ、或いは修行僧同士が言葉や動作で、その悟りの深浅を試す。
これが転じて、私達が日常的に行う、相手への応答や礼儀・親愛の情を表す意味となる。

【阿吽】:あうん
私とあなたは阿吽の呼吸ですね、等と使われるが、本来は物事の始めと終わりを表す。
インドの文字である「梵語:ぼんご」では始めの言葉に「あ」と言って口を大きく開いて発音する言葉を「阿」と訳され、一番最後にある「ふーん」と口を閉じて発音する言葉を「吽」と訳す。
私達が使っている日本語の「あいうえお」は、この梵語がを参考にして考え、整理されたものである。

【諦らめ】:あきらめ
私達は普段「あきらめる」と言うときは、物事に対して、それ以上の努力を断念する、と言う消極的な意味で用いるが、本来「諦」とは、「真実」「真理」を表す言葉で、「物事をあきらかにみつめる、あきらかに理解する」と言う意味が込められている。

【悪口】:あっこう・あっく
仏教では身・口・意・から生じる汚れを三毒と言い、その中の「口」の汚れを更に「妄語:もうご(嘘)」「綺語:きご(真実ではない、飾り立てた言葉)」「悪口:あっく(他人を卑下し、馬鹿にし、傷つけるような言葉)」「両舌:りょうぜつ(相手によって違った事を言う、所謂二枚舌の事)」の四つに分けて「口の四悪業」として説かれている《十善法語》

【あばた】
これはサンスクリット語の「あるぶだ」と言う言葉が語源で、腫れ物とか水泡などを表す言葉。
仏教で説く八寒地獄の1つに、阿浮陀(あぶだ)地獄というものがあり、口の四悪業を犯した者が落ちる地獄。
この地獄では極寒の為、身体中に腫れ物ができると言われる。
現代ではこの阿浮陀が「あばた」となり、天然痘などのあとの痕跡の意味として用いられるようになった。

【阿鼻叫喚】:あびきょうかん
阿鼻叫喚とは、戦場や大災害における惨状の様子を、地獄絵そのままに人々が泣き叫び、逃げまどう悲惨な状況を表す言葉。
仏教の説く八大地獄の中にも、阿鼻地獄「無間地獄:むげんじごく〈休む間もなく苦しみを受け続けると言われる〉」、叫喚地獄〈煮えたぎる熱湯が入った大釜の中に投げ込まれたり、猛火で焼かれた鉄の部屋へ放り込まれたりすると言う〉のそれぞれの地獄の様が説かれていて、あまりの苦しさから亡者が泣き叫ぶ事から、阿鼻叫喚と言う言葉を用いるようになった。

【有り難い】:ありがたい
三帰依文(さんきえもん)に、「人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く」と言う言葉があります。
人間として生まれてくる事の難しさ、更には仏の教えに遭遇する事の有り難さを教えた言葉。
「盲亀浮木:もうきふぼく」の譬喩にあるように、ひとつの命が生まれるのにも、沢山の縁が絡み合い熟さなければ生まれては来ない。
まして、人間としての生を受ける事ができるのはどれ程多くの因縁が関わりあって結実されなければならなかったか、更には、仏の教えに出会える事が如何に希有な事であるかを考えた時、自ずと感謝の気持ちが湧き上がって来る。
この気持ちを「有り難い・・・」と表している。

 
【阿弥陀くじ】:あみだくじ
もともとはクジを引く時、人数分の線を放射状に書いて、その先に当たりとか、何々とか書いておき、上から紙などをかぶせて隠しておいたもの。
放射線状の線を引いた形が、阿弥陀仏の光背に似ていたから。
帽子を「阿弥陀にかぶる」と言うのも、笠などを後ろに傾けてかぶると光背のように見えたから。

【嘘をつくと舌を抜かれる】
子供の頃、一度はこう言われた事があるのでは?
この慣用句は地獄・極楽を日本で始めて著わした恵心僧都(源信)の往生要集(985年)に依っている。
それによれば地獄は八つあり、そのひとつに「大叫喚地獄(だいきょうかんじごく)」がある。
ここは嘘偽りを言った罪人が落ちる地獄で、鬼が熱したヤットコで舌を抜く。
抜くとまた舌が生え、それをまた抜くと言う苦しみが永遠に続くのである。
*最近の子供にはあまり通じないかも(笑)

【嘘も方便】
最高の結果が得られる可能性が高ければ、場合によっては嘘も許される、と言う意味。
「方便(ほうべん)」とは、ある目的を実現する為の一時的な手段の事。
仏教用語では、菩薩が衆生に正しく伝える為に用いる仮の方法を指す。
「法華経」では、それぞれの時と場合に応じて「方便」を使って法を説く事が重視されている。
「人をみて法を説け」と言う諺も同じ意味。

【有頂天】:うちょうてん
全てが思い通りに進み、得意の絶頂にいる人を指して「有頂天になっている」などと言う。
多少非難の意味を込めて使う事が多いが、仏教本来の意味では、天界の最高所のこと。
仏教では、命あるものが住む世界は、下から「欲界」「色界」「無色界」があるとし、これを「三界(さんがい)」と呼ぶ。
「無色界」を更に四つに分けた頂点を「有頂天」と言う。
そこから、最高点に登りつめたような気持を表す言葉になった。

【お釈迦にする】
地蔵の像を造ろうとして、間違って釈迦像を鋳(い)てしまったことから、と言われる。
作りそこなう事。不良品。

【我慢】:がまん
「あの人は我慢が強い」などと言うように、忍耐力・抑制力の意味で、良い事として使われているが、仏教の語源では悪い事。
仏教では貪(とん:貪り)瞋(しん:怒り)癡(ち:愚か)慢(まん:驕り)の四つの基本的な煩悩があると教える。
慢には七種類あり、そのひとつが「我慢」。
我慢とは、「自己に拘り、全ての他人より自分が勝っていると信じている」事を指す言葉で、煩悩そのものなのである。

ちなみに、【七慢:しちまん】とは。
【慢(まん)】
他と比較して驕り高ぶる事。
【過慢(かまん)】
自分と同等の人に対し、自分の方が上だと思う事。
【慢過慢(まんかまん)】
自分より優れた者に対し、自分の方がもっと上だと思い誤る事。
【増上慢(ぞうじょうまん)】
悟りの域に達していないのに、既に悟っているという自惚れの心の事。
【我慢(がまん)】
自分に執着することから起こる慢心の事。
【卑慢(ひまん)】
はるかに優れた者と比較し、自分は少ししか劣っていないと思う事。
【邪慢(じゃまん)】
間違った行いをしても、正しいことをしたと言い張る事。


【金輪際】:こんりんざい
仏教では、世界は虚空の中に気体の層である「風輪」があり、その上に水の層である「水輪」、そのまた上に個体の層である「金輪」、その更に上に大地があり成り立っているとされる。
「金輪際」とは「金輪」の底のこと。
仮に底を越してしまったら、水や気体や虚空の世界に落ちてしまう。
「金輪際」は、取り返しがつかないギリギリの場所を指す。
そこから転じて、「金輪際、浮気をしません。」と言うように、強い否定の意味を表すようになった。

【自業自得】:じごうじとく
現代は「それは自業自得だよ。」などと、悪い報いが生じた場合に用いられる事が多いが、仏教本来の立場からは善悪両方の意味を持つ。
仏教では「因果応報」に代表されるように、ある結果にはその原因があると考える。
この言葉もそのひとつ。
善因なら善果、悪因なら悪果がもたらされる、と言うのが基本的な教え。
仏教的には「自分の行為は必ず自分に返ってくる」と言う意味。

*華:あえて付け加えるならば、自分の身・口・意から生じる全ての行いは、必ず自分に返ってくる。

それゆえ、常に善い行いをしろと言う教えに繋がる。

【四苦八苦】:しくはっく
ひどく苦しみ困っている状態を示すこの言葉は、仏教で言う「この世の苦しみ」を表す。
四苦とは、人間が生きていく限り決して免がれない「生・老・病・死」と言う四つの苦しみ。
これに「愛するものとの別れ(愛別離苦:あいべつりく)」「嫌いなものとのつきあい(怨憎会苦:おんぞうえく))」「欲しいものが入手できない(求不得苦:ぐふとっく)」「心身の苦しみ(五蘊盛苦:ごうんじょうく)五陰盛苦とも書く)」の四つの苦しみを加えて八つの苦しみとなる。

【醍醐味】:だいごみ
物事の空極の味、深いわいを表す言葉。
『涅槃経』に、我と無我(悟り)の関係は、「乳」から「酪」が、「酪」から「生酥:しょうそ」が、「生酥」から「醍醐」が熟成精製されるのと同様である、と言う記述が出てくる。
「乳」から「醍醐」が生じるように、悟りにも経るべき段階があると教えているのだ。
「醍醐」は元々サンスクリット語で「空極の乳製品(チーズともバターオイルとも言われている)」を意味している。

【塵も積もれば山となる】
小さな事でもコツコツと積み重ねれば、やがて大きな成果となると言う、この諺も仏教に由来する。
お経の注釈書に出てくる「微塵を積みて山と成す」と言う言葉に依っている。
微塵とは極めて小さい単位の事。
何百年、何千年も前から今日あることを予測して地道に努力せよ、と言うのが本来の意味。

【無事】
一般的には危急の出来事や事故に遭わず平穏に過ぎた場合にこのように言う。
仏教では禅宗でよく使われる言葉で、「外に向かって求める心が無くなった悟りの境地」と言う意味で、「臨済禅師:りんざいぜんじ」が始めて使った。
何の執着心もなく、無事の境地に達した人こそ仏と同じ貴人であるという「無事是貴人」は禅宗の有名な言葉だ。

【仏頂面】:ぶっちょうづら
こんな顔をしていると周囲からはあまり良く思われず、結局自分が損をする事になるので要注意。
「仏頂」とは仏の頭頂から現れる仏頂尊勝の事。
仏が持っている幅広く奥深い知恵の総称だが、厳しく恐ろしい顔つきだったと言う。
ここから愛想の無い表情をこう呼ぶようになった。

【仏の顔も三度まで】
仏様のように慈悲に満ちて寛大な心の持ち主でも、無理難題や無礼が度重なれば、我慢にも限界があると言う意味。
「またそんな事を言って。仏の顔も三度までですよ!」というように、警告する時に使う。
「仏の顔も三度撫(な)づれば腹立つる」が本来の語源。
ちなみに顔を撫でると言う事は、相手を軽んじ馬鹿にする事を示す行為である。


【仏教用語】

http://seijyaku.fc2web.com/yougo.htm

【暮らしの仏教豆知識】

http://seijyaku.fc2web.com/kurasi.htm

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コメント(24)

** 知っておいて良かった!!仏事作法 **

【経本の取り扱い】
いずれの宗派にも「聖典」と呼ばれる経本があります。
一家に一冊、と言うのではなく、できれば家族のひとりひとりが持っていたいものです。
気を付けなければいけないのは、経本を畳の上や床に直に置かない事。
傷まないように、布や和紙などで保護するのも良いでしょう。
また、経本を開く時と閉じる時は敬い頂く事を忘れないように。

【念珠】
念珠も自分専用の物を用意しておきます。
一重(単輪)と二重(二輪)の物がありますが、どちらを用意しても結構です。
合掌する時以外は、左手の親指と他の四本の指の間に掛けて持ち、房は下方に垂らして親指で軽く押さえて持ちます。
念珠は、もともと念仏の回数を数える道具でしたが、その使い
方から数珠とも呼ばれるものも出てきました。
念珠の意味として、人間には108の煩悩が有ると言われており、正式な念珠の珠は108玉あります。
その一つ一つが108の煩悩を司る仏様を表していると言われ、人間のあらゆる煩悩を念珠が鎮めてくれると考えられています。
お経の回数を数える道具であると同時に、厄除けやお守りとしての役目も果たします。

【合掌礼拝】
合掌礼拝(がっしょうらいはい)と読みます。
両手に念珠をかけ、両ひじを張らずに指をそろえて伸ばし、胸の前に軽く着けてて、指先を上体と約四十五度に保ちながらお念仏を声を出して申します。
合掌しお念仏を申しながら、静かに頭を下げます。
合掌する時には、念珠や手を擦り合わせないように注意します。

【焼香】
香炉の二・三歩手前で仏さまに向かって軽く一礼し、前に進んで、お香をつまんで焼香します。
焼香の回数は宗派で規定しているところがあります。
真言宗では身・口・意の三業を清める意味を込めて焼香3回、線香も3本立てます。
真宗大谷派では焼香は2回、浄土真宗本願寺派では1回、線香は立てないで折って寝かせます。
また真宗では、焼香に際して香を額におし戴きません。
曹洞宗では焼香は2回、線香は1本です。

【焼香の由来】
焼香は釈尊在世当時から行なわれて、日本には唐の鑑真和尚(753来朝)が仏典とともに香木を携えてきたというのが香流行の始めと言われています。

【一膳飯】
一膳飯と言うのは茶碗に盛りきりのご飯の事を言います。 米一号をとがずに炊き、一粒のご飯も残さずに盛り付けたもので、それは生きている人に分けないように、と言う意味からきています。
枕飾りの安置を終えてから「一膳飯」を炊いて、炊きあがったものを全て茶碗に盛り付け、真ん中に箸を立てて突き刺します。これは、生きている者と区別する意味があります。

【お経とは?】
お経とは真理について述べた仏教の経典で、お釈迦様の言葉や考え方を述べた『経蔵』と教団の原則である『律蔵』、経や律を研究した『論蔵』があり、
それらを「三蔵」と言いますが、これらの三蔵を合わせて広い意味で「お経」と言います。

【お経が沢山ある理由】
お経とは真理について述べた仏教の経典で、お釈迦様の言葉や考え方を述べた『経蔵』と教団の原則である『律蔵』、経や律を研究した『論蔵』があり、
それらを「三蔵」と言いますが、これらの三蔵を合わせて広い意味で「お経」と言います。

【各宗派の根本経典】
浄土宗・浄土真宗・時宗などは、極楽浄土に生まれることを念じて「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と称えます。
浄土の阿弥陀仏を讃える「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の、いわゆる『浄土三部経』が主な経典です。
日蓮宗では「南無妙法蓮華経」と題目を称える『法華経』が根本経典。
天台宗は「朝題目、夕念仏」と言われるように、朝は「南無妙法蓮華経」と称え、夕方は「南無阿弥陀仏」と称えます。
すなわち、日蓮系や浄土系の生みの親である天台宗においては、『浄土三部経』と『法華経』が根本経典です。
臨済宗・曹洞宗・黄檗宗などの禅宗は、お経よりも坐禅の行を中心におきますから、根本経典を持ちませんが、曹洞宗では祖師道元の著作である『正法眼蔵』を拠り所にしています。
密教である真言宗は、「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」と称え、『大日経』と『金剛頂経』が根本経典となります。

【拝礼の種類】
インドの僧ナーガルジュナ(龍樹)が著した「大智度論」には、三段階の拝礼があげられています。
一番下から?言葉を発する礼で、「口礼」 ?膝を屈して頭を下げる「中礼」 ?頭を地に接する「上礼」
又、「五輪着地」(五体投地)と言って、立ち上がった状態から膝を屈し、手をまっすぐに伸ばして体を地につけます。頭を地に着け仏の足を頂く、これは最上の礼の形態といわれます。

【合掌の意味と種類】
インドでは左手を不浄・迷いの世界・凡夫を表していると考えています。又、右手は清浄・悟りの世界を表しています。この二つの手が密に合わさって一体となった姿が「合掌」の姿です。
人間と仏が一体となり、心が浄められ、迷いが払われて心に静寂の境地が得られる、と言う事なのですね。
「右ほとけ、左われぞと合わす手のなかぞゆかしき、南無の一声」
仏と凡夫が一体となる「凡仏一如」を願う姿こそが、合掌の姿なのです。

合掌には、掌の合わせ方や指の組み方などにより、大体十二種類の種類があります。
一般的には「堅実心合掌」と言う合掌が多く使われています。これは日頃私達が手を合わせている合掌で、指を伸ばして掌と指を隙間なく合わせる合掌です。
祈祷や修行などで、ものを強く念じる時にする合掌は「金剛(帰命)合掌」と言い、十本の指を交互に重ね合わせる合掌です。金剛石のような不動の決意を示す姿なのです。

【浄めの塩の由来】
この風習は死を穢れとした古代の人間の思想から発展したものと思われます。
医療も薬も現代ほど充実していなかった時代では、死は忌み嫌われておりましたので、死を少しでも遠ざけようと「お祓い」する意味で塩を使用していたようです。

【北枕の意味】
「死」が「生」とは全く異なったものであることを示す行為です。他には「逆さ屏風」とか「額などに白い布を掛ける」など、地域により違う習慣があるようです。

【お寺との付き合いが無い時の葬儀は?」
家の宗派が解れば、その宗派のお寺を探してお願いするとか、葬儀店などに言って探して貰う事もできます。
宗派が解らない場合は、その家の先祖の戒名を葬儀店に伝えれば教えてくれます。

【経帷子・三角頭巾は絶対必要?】
経帷子や三角ずきんは必ずしも必要ではありません。個人が好んでいた服を着せて送ってあげても差し支えありません。

【荼毘に伏すの意味】
お釈迦様が生まれたインドの古い言葉「ジャーピタ」は火葬を意味する言葉ですが、これを漢字で著したものです。

【戒名の意味】戒名は、院号・道号・法号・位号で構成され、その人にふさわしい地位や修行の境地、人柄などを表しています。
宗派により使う文字も違います。

【法事の意味】
法事は故人の幸せを祈り、先祖の恩に報いる行事です。
生きている人が善行を行えば、故人を回向できるという考えに基づいています。

【お施餓鬼法会とは?】
ご先祖を供養する法会ですが、亡くなった肉親が餓鬼の世界に
生まれ変わったわけではなく、有縁無縁の人の幸せを祈る行事です。

【水子供養】
水子供養は昭和40年頃から当時の
世相を反映して広まったもので、正式な宗教儀礼ではありません。

【水子の祟り?】
水子が祟りを起こすことはありません。
他の肉親の供養と同じように、亡くなった赤ちゃんに対して心を込めてそのご冥福を祈りましょう。

【供養とは?】
難しく考える必要はありません。
供養とは「霊魂との対話なのです。先祖を供養すると言うのは、先祖の霊をお客様として我が家(仏壇)に迎え、
楽しいことや悲しいことをお話するのです。ですから、先祖が好きだったお花やお菓子などをお供えして飾ってあげるのです。
要するにお客様のお持て成しと基本は同じなのです。
真心を込めてお迎えしてあげて下さい。

【水子の供養の仕方】
水子とは言え、一度は生命の芽を出したのですから、単なるモノではありません。
ひとつの命として、先祖と同じように心を込めてお祀りしてあげるべきだと思います。
先ず戒名をつけて貰います。水子には、名前も遺骨もありません。顔も解らず、又水子自身も親の顔を見ることなく、暖かい
愛情さえ知らずにあの世へ去ってゆきます。せめて三途の川を無事に渡れるように、名前だけでもつけてあげたいものです。
戒名は僧侶に相談してつけて頂いて下さい。
戒名を付けたら、位牌をこしらえてあげます。水子が何人もいる場合は、合同牌にします。
そして命日と共に、過去帳に記します。命日が解らない場合は、五月五日とか、三月三日、というように、子供の節句の日を設定すると良いでしょう。
命日の日は特に、子供の好むおやつや玩具などをお供えし、可憐な草花をお供えして、真心込めて供養してあげて
下さい。観音経を読むなどして、他人任せにしないで本人がお祀りする事が大切です。
【名僧・高僧人物一覧】

http://seijyaku.fc2web.com/meisou.htm

【仏教経典・仏教関連書籍一覧】

http://seijyaku.fc2web.com/kyouten.htm
** 仏陀とは? **

ここでは仏陀が現れる前後の歴史を簡単に見てみましょう。

〜仏陀誕生以前の古代インド社会〜

★外来民族アーリア人
アーリア人と言うのは本来西洋人と同じ種族に属する人種で、インドの西北方から次第に進出してきた民族と考えられています。
紀元前六世紀から五世紀になるとガンジス川中流域の諸地域に定住し、その勢力はやがて下流域にまでも達するようになってゆきました。
このアーリア人は「司祭者(バラモン)」を中心とた階級的区別に基づいた農村社会を確立しており、各階級毎に孤立的、閉鎖的な経済生活を営む事で、バラモン教の文化を形成していったと考えられます。
このバラモン教はヴェーダ聖典を奉じ、その規定する祭祀を行って、神々に動植物の犠牲を捧げていました。

やがてこのアーリア人が徐々に原住民と混血してゆき、その中から古来の伝統的な風習や儀礼、信仰に対してすこぶる自由で恣意的な態度を取る者が現れてきました。
民族的にも経済的にも複雑化してきた古代インド社会では、旧来の階級制度も崩壊の危機を迎えるに至り、人々はバラモンに対して昔ほどの尊敬を払わなくなってきました。
そのような混乱期にある時代を背景にして、当時は沢山の思想家が現れてきたものと考えられます。
経典に書かれている「六師外道」と呼ばれる思想家は、その中でも代表的な思想を持った人達で、実際はもっと多くの思想家が跋扈していたと思われます。

このような混乱した時代に、仏陀はこの世に生まれたのです。
**仏陀の生涯**

★年代
お釈迦様が生まれ、活動された期間は80年とされていますが、正確な生没年は解っておりません。
一般的には前463年〜前383年説・前566年〜前486年説などがあります。
兎に角、今から約2500年以上も昔に、お釈迦様は生まれ実在された方であることは間違いないようです。

★誕生
前463年〜前383年又は、前566年〜前486年

★名前
お釈迦様は『ゴータマ・シッダールタあるいはシッダッタ(悉達多)と云う名前で、ゴータマというのは部族の名前、または「性」であったようです。
ゴータマと言うのは「最も良い牛」と言う意味で、古代インドでは優れた性とみなされていました。
更に、シッダッタとはパーリー語で「目的を達成した者」と言う意味で、古来彼の家系は「太陽の末裔」であると称されていました。
後年にはお釈迦様の呼称は沢山あり、「釈尊=世に尊ばれる者」「仏陀=悟りを開いた者」「釈迦牟尼=シャカ族の聖者」など、全て成道後ゴータマ・シッダールタに与えられた呼び名です。
** 仏陀の生涯 続き**

★誕生〜出家
お釈迦様は当時のコーサラという大国に属したシャカ族の生まれで、(現中部ネパールのタラーイ盆地南辺に位置するところが、かってシャカ族の中心地であったカピラ城跡と考えられています。)カピラ城主である浄飯王(じょうぼんのう)を父として大切に育てられたのですが、お母さんであるマーヤ夫人(摩耶)が、現在のインド北部ネパール近郊の、ルンビニーという所でお釈迦様を生んだ後間もなく亡くなってしまい、変わってマーヤ夫人の妹が王の後妻となりお釈迦様を養育されたようです。
幼くして実母と死に別れたものの、お釈迦様は王子として大切にされ、何不自由無く生活をされていたそうですが、やがて結婚して子供が出来たある日のこと、『*四門出遊』の出来事により、29歳にして出家を決意され、実行されました。

*四門出遊・・・仏陀が出家する以前に、城の東南西北にある四つの門から郊外に出掛けようとされました。
その時丁度それぞれの門の外で老人・病人・死人・出家者に出会い、人間は老い・病・死からは逃れる事ができない事を知り、世の中が自分の思い通りにならない、それが苦しみの根源であると考えられました。
そして心の平安を得る為に、出家者の穏やかな顔貌に惹かれて出家を決意されたと云う説話です。


★出家〜成道
その後、当時のバラモン教の修行者に師事して厳しい苦行を繰り返されましたが、肉体が衰弱するばかりで、一向に悟りを得られません。
そこで、肉体を痛めるだけでは悟りに到達する以前に死んでしまうと思ったお釈迦様は、「悟りを得る為には肉体の回復が重要」であると、修行者には禁じられていた乳粥を口にします。
それを見た修行者の仲間達は「彼も堕落した」と思い込み、お釈迦様から離れてゆきました。

肉体を痛めるだけの苦行に見切りをつけたお釈迦様は、一人になりブッダガヤ(仏陀伽耶)という所でひたすら修行をされました。
やがて、お釈迦様が35歳になった年の12月8日、早暁の中で悟りを開かれ、仏陀となられたのです。
然し仏陀は直ぐに法を説く旅に出られたのではありません。
自分が悟った事柄を、他の人々が理解してくれるだろうか、否話を聞いてくれるだろうか、と不安だったのですね。
そんな時、『*梵天勧請』と云う出来事がありました。
梵天に教えを説くように勧められた仏陀は、先ず苦行を捨てた時に離れて行ってしまった仲間の修行僧達の元へ出掛けました。

*梵天勧請・・・梵天がお釈迦様に人々に教えを説くように請うた事を梵天勧請と言う言葉で表している。


★初転法輪
ブダガヤからベナレスまで、およそ250キロ以上もの道のりを、仏陀はかっての仲間であった修行僧に逢うために旅に出ました。
心の中の悪魔と神との対話という心理描写で、このお釈迦様が勇んで旅に出たわけでは無いと知る事ができます。
やがてバーラーナシー(ベナレス)の郊外にある「イシパタナ・ミガダーヤ(鹿野苑)に着き、修行僧達に逢った仏陀は先ず「私は大いなる悟りを得ることができた。是非話を聞いて貰いたい」と告げました。
苦行を途中で投げ出し、禁じられてる乳粥を口にしたような堕落した者が悟りを得るなんてとんでもない!と思ったのでしょう。
修行者は仏陀の話を聞こうともしないのです。
二度、三度の仏陀の願いを退け、強硬に教えを拒む修行僧達に、仏陀はこういいました。
「私のこの顔を見るが良い。
諸君はかっての私の顔貌が、このように輝いているのを見たことがあるだろうか」
大いなる所と、それに伴う自信に満ち溢れて輝いている仏陀の顔を見て、修行者達はかって「失望と唾棄」をもって軽蔑した男が、仏陀となって目前に現れた事を驚きをもって受け止める事となりました。
仏陀はこの鹿野苑において、かっての仲間であった修行者五人を前に、。初めて法をとかれたのです。
これを、「初転法輪」と、仏教界では呼んでいます。

★最後の説法
お釈迦様は最晩年、マカダ国の王舎城を起ち、ガンジス川を渡って、マッラ国のクシナーラ(クシナガヤ)に至ります。
このクシナーラーの沙羅の並木の下にて「ポンコツ車のように革紐に助けられて動いている」身体を漸く横たえました。
頭を北向きにし、右脇を下に足の上に足を重ねて横たわられた仏陀は、それからも尚説法を続けられました。
そのお姿は、当時の弟子達にとっては忘れがたい尊いお姿として今の世までも伝えられています。
それが涅槃像ですね。
そして、その沙羅双樹の間で、仏陀は80年の生涯を終えられました。
〜 仏陀の言葉 〜

経典にある当時のエピソードから、仏陀の言葉をご紹介します。


**仏陀とバラモン**

仏陀がラージャガハ(王舎城)の郊外にある竹林精舎におられた時の事です。
ひとりのバラモンが、「はげしき悪語」をもって仏陀の所へ怒鳴り込んできました。
聞けば、同族の一人の若者が仏陀の教えに帰依し、その許において出家してしまったのが不快でならないと言うのです。
経本ではバラモンの名を「讒謗婆堕羅婆闍婆羅門」とのみ記していますが、意味は「怒鳴り込んできたバーラドヴァージャ姓のバラモン」と言う意味でありましょう。
よほど喚き散らしながら怒鳴り込んできたものと思われます。
仏陀はしばしの間それを聞き流しておられましたが、ふと顔を上げてそのバラモンに対してこう仰いました。

「バラモンよ、そなたの家にも、時には友達や親戚など、客が来訪するであろうか。」
「そうだとも、ゴータマ(瞿曇)よ、わが家にも、時には友達や親戚など、客の来訪があるよ。」
「ではバラモンよ、そんなときには色々とご馳走を出すこともあるであろうか。」
「そうだとも、ゴータマよ、そんな時にはむろんご馳走を出す事もあるよ。」
「だがバラモンよ、その時もし彼らがそのご馳走を頂戴しなかったならば、それはどういう事になるであろうか。」
「ゴータマよ、もしお客様が食べて下さらなかったら、それはまた自分のものになるより他はない。」
「バラモンよ、それと同じ事である。 今そなたは私の前に罵詈雑言を並べた。
だが、私はそれを頂戴しない。 だから、バラモンよ、それはまた自分のものになるより他はあるまい。
バラモンよ、もし誹謗するものを誹謗仕返し、罵詈するものを罵詈仕返えすならば、それは主と客が共に食い、共に歓を交わすというものである。
だがバラモンよ、私はそなたと共に食せず、共に歓を交わさない。
だから、バラモンよ、これはそなたのものである。バラモンよ、これはそなたのものである。」
「ゴータマよ、王や王臣たちは、いま尊者ゴータマを『沙門ゴータマは聖者にまします。』と言う。だが、それでも、ゴータマだって怒るだろうと思ったのに。」




「怒り無く調御して正しく生き、正しき智慧ありて解脱したり
いとも静かなるかかる人にそも何処よりか怒りは起こらん

怒れるものに怒り返すは悪しきことと知らねばならぬ
怒れるものに怒り返さずして人は二つの勝利を得るのである

他の人の怒れるを知りて正念におのれを鎮めるものは
よくおのれに勝つとともにまた他の人にも勝のである

彼はおのれとまた他の人の双方をしずめる医師なのである
いまだ法を知らざるもののみはこれを愚かなる者とぞ思うなり」


かく言われて、そのバラモンは世尊に申し上げました。
「世尊よ、最勝である。 世尊よ素晴らしい。たとえば、倒れたるを起こすがごとく、覆われたるを著すがごとく、迷える者に道を教えるがごとく、暗闇の中に灯火をもたらして、眼あるものは見よと言うがごとく、かくのごとく世尊は、様々な方便をもって法を顕したもうた。
私はここに世尊と法と比丘衆とに帰依たてまつる。
世尊よ、願わくは世尊の御許において出家し、具足戒を得んことを。」
かくして、かのバラモンは仏陀の許において、出家し比丘の戒を受けた。
**歓びとは**
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
仏陀が、マガダ(魔掲陀)国のパンチャサーラ(五葦)と云う村に居たときの事です。
ある日、仏陀はいつものように鉢を携えて托鉢に出掛けました。
でも、どうした事か、その日は誰も仏陀の鉢に食べ物を供養してくれる者はいませんでした。
この日は丁度、男女の若者達が互いに贈り物を取り交わす祭りの日で、みんな贈り物の交換に夢中になっていて、仏陀に食べ物を供養する事を忘れていたのです。
これは、ヨーロッパなどで見られるヴァレンタインデーに相当する習慣が、当時のインド社会にもあったのだとと思います。

困った仏陀は、誰も食べ物を施してくれないままに「綺麗な鉢をそのままに持って帰る」事になりました。
帰り道、仏陀に悪魔がささやきます。
「沙門よ、食べ物は得ることはできたか」
「悪魔よ、得る事はできなかった」
「では、もう一度村に引き返してみるがよい。
今度はどっさり供養の食を得る事ができるだろう」

悪魔がささやく。。。って、そんなの無いよ!!
そう云われそうですね。
でも、私達にも心の中に棲む悪魔が誘惑してくる時はありますよね。
ダイエットしてるのに、手みやげに頂いたケーキ、食べたらいけないと思いつつ、「少しだけなら良いじゃん!!ダイエットは明日から真剣にすれば良いじゃん!!」って・・・(笑)
結局食べた後、後悔するんですがねぇ。。。

経典はこういう心理描写をしている部分が多いのですね。
例えば、梵天勧請と云って、悟りを開いた仏陀が布教活動すべきかどうか迷って居るとき、梵天が空から舞い降りて来て仏陀に布教することを請うのですが、これは仏陀の心の中の神との対話なのでしょう。

さて、お話に戻ります。
悪魔は、今から村へ引き返せば贈り物の交換も終わり、きっと村人は仏陀の事を思い出して鉢に沢山供養をしてくれるだろう、と仏陀を誘惑します。
仏陀と云えども、やはり人間ですからお腹が空きます。
しかし、托鉢には托鉢の作法があり、ただ食べ物を得られれば良いと云うものではありません。
それは誰よりも、仏陀自身がよく承知しています。
仏陀は毅然としてこう云いました。

「されど、得るところなくとも、見よ、我らは楽しくも住む
たとえば、かの光音天のごとく我は歓びを食して生きん」

光音天と云うのは、アーッバサラー・デーヴァーの訳語で、元バラモン教において説かれる一群の神々の事で、その神は歓びを食として生き、語ればその口から清き光を放つと云われている神様です。
その神を喩えて、仏陀自身も歓びを食して生きなければならないと仏陀は語ります。

托鉢とは、家々の戸口に立って食べ物の余食を請う事ですが、ただ食べ物を得る為だけの手段であれば、これ程卑しい哀れな行為はないでしょう。
仏陀はある時、出家して間もない比丘(男性の出家者)達にこう云いました。

「比丘たちよ、汝等出家したる者は、髪を剃り、鉢を持して家々に乞食して生を支える。
乞食とは、世の諸々の活命(かつみょう=生き方)の中の下端である。
だが比丘たちよ、諸々の秀抜なる人々が、かくのごとき生活に就く所以のものは、義(ただ)しき、目的の存するによりてである」
相応部経典22・80

ただしき目的と訳した言葉は、漢訳では「義趣」であって、又同時に「勝義」と云う表現を持って語られています。
勝義とは、人間が願う最上のもの。
所謂最高善の事なのですね。
優れた人々が、敢えてこの哀れな托鉢という「活命」の中の下端に就くのは、全てを放棄して、ただひたすらに最高善を追求するためだと云います。

それだからこそ、仏陀は1日の空腹に耐えかねて最高善の追求を台無しにする事ほど、愚かなものは無いと云うのですね。
今日1日の空腹を耐え忍んで、仏陀はそれでも尚最高善の追求を続ける事の歓びに満ち溢れ、毅然として彼は家路を帰ってゆきました。
**老いても尚**
・・・・・・・・・・・・

ラージャガハ(王舎城)から北方を目指して、仏陀は最後の旅を続けています。
年齢も80歳に達し、大般涅槃経には仏陀の言葉として次のような哀しい言葉が書かれています。

「アーナンダ(阿難)よ、私は老い衰えた。老齢もすでに80に及んだ。
例えばアーナンダよ、古い車は革紐の助けによって、やっと動くことができるが、思うに私の身躯もまた、革紐の助けによって、やっと動いているようなものだ。」

それでも尚、仏陀は老いた身体でもって伝道の旅を続けているのです。
至る所で教えを請う人々の為に正法を説き、やがてある国境の渡し場まで来た時の事です。
此処から先は、見送りに来た人達は進む事ができません。
仏陀は多くの見送りの人々に向かい別れを告げようと立ち止まりました。
その人々の中に、ラージャガハやナーランダからはるばる此処まで附いて来た人達の顔もありました。
その中の一人で、ヴァッサカーラ(雨勢)と云う大臣が、感極まったような面持ちでこう云いました。
「大徳(仏陀)よ、今世尊がお出でになられました門を、今日より以後は「ゴータマの門」と命名致したいと思います。
また大徳よ、これから世尊が渡られるであろうこのガンガー(恒河)の渡し場を、今日より以後は「ゴータマの渡し」と名付けたいと思います。」

まるでポンコツ車のような老いさらばえた仏陀、彼にはひとかけらの権勢も、一握りの財宝も持ち合わせていません。
然しこの大臣は溢れるような感激と尊敬の眼差しで仏陀に向かってこう云いました。
もう二度とこの師に逢うことはないだろう。
誰もがそう思い、最後の別れと感じていました。
この大臣の提言は、仏陀その人に対する純粋且つ最大級の尊敬の現れであったのでしょう。
**沙羅双樹の下で**
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
仏陀がヴェーサリー(毘舎離)の北方にある、ミティラー(弥薩羅)と云う町に居たときの事です。
仏陀がふと微笑されたのを見て、アーナンダ(阿難)がそのわけを尋ねました。
すると仏陀は「今こんな物語を思い出していたのだよ。」と云って、こんな話をされました。

中阿含経67(大天捺林経)
その昔、このミティラーの都に、マハデーヴァ(大天)と云う王がおりました。
正しい政治を行って民共からはとても信望の厚い王様でした。
かねてからこの王は、王宮の理髪師にこのような事を命じていました。
「わが頭に白髪の生ずるのを見付けたならば、すぐに私に告げるように。」と。
ある日のこと、理髪師はついに王の頭に一本の白髪を見付け、早速王に申しあげると、「ではその白髪を毛抜きで抜いて私の手のひらにおくように」と、王は命じました。
理髪師が云われた通り、抜いた白髪を王の手のひらに置くと、王は手のひらの上の1本の白髪を押し頂いて次のような偈を説いて云いました。

  我 頭 生 白 髪
  寿 命 転 衰 減
  天 使 己 来 至
  我 今 学 道 時

意訳・・・「我が頭すでに白髪生ず寿命たた衰えたり
すでに白髪の来たり生ぜば今や我が学道の時なり」

そして王はやがて太子に位を譲り、仏道の修行に専念するようになった、と云うのが仏陀が思わず微笑されたお話の内容です。

このようなお話をされるからには、仏陀もきっと年老いておられた頃の事でしょうね。
アーナンダが持者として仏陀のお側にいつも控えていたのは、仏陀晩年の20年余りの間の事であったそうですから、そう考えても良いと思います。
仏陀自身、年老いてきた事はっきり自覚し、晩年の生き方について何か考えるところがあったのかも知れませんね。

仏陀がこのお話をされたのは、決して年老いた王が太子に位を譲ったところに惹かれたからではありません。
自分の頭に「白髪が生じた」事を知り、「今や我が学道の時なり」と、白髪が生じたのを天使の知らせと受け止め、いよいよ学道に専念しょうと思ったところにふと惹かれ、思わず微笑してしまったのでしょう。

仏教者には、所謂隠棲はありません。
静かに余生を送るなんて事はあり得ないのです。
その何よりの範例は、仏陀の障害そのものなのですね。
先に述べたように、「私は革紐の助けによって、かろうじて動けるポンコツ車のようだ」と仰っていますが、それでも尚、起きあがって最後の説法の旅を続けておられるのです。

やがて仏陀は、クシナーラーの郊外にあるサーラ(沙羅)の並木の下で、こう仰いました。
「アーナンダよ、私は疲れた。横になりたい。この沙羅双樹の間に、頭を北に向けて床を敷いて貰いたい。」
云われた通り、アーナンダは床をしつらえると、仏陀は「右脇を下に、足の上に足を重ね、法の如く伏したもうた。」のです。
樹下に横たわっていても、仏陀の説法は続きました。
「この仏陀が生涯かけて説きたもうたところの総括と云うにふさわしい」最後の説法は、こうして沙羅双樹の下で横たわりつつ説かれました。
故に、この時の仏陀のお姿は、仏教者にとっては脳裏に刻みついて忘れることなどできない、最後のお姿になるのです。
**花を讃える**
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ダンマパダ(法句経)の第4章に、華品(けぼん)と呼ばれる経があります。
その中に16の偈文が収録されています。
この偈文は、全て華を歌える偈(韻文)で、幾つかご紹介致します。

「花の香りは風にさからいて薫せず
栴檀(せんだん)・多掲羅(たから)・末利迦(まつりか)の香りもまた然り
されど、よき人の香りは風にさからいて薫ず
ただしき人の香りは四方に香る」

「花に集まる蜜蜂を見よ
花の色と香りを損なうことなく
ただその甘味をのみ採る
比丘もまたかく村々に行乞するがよい」

阿含経の諸経には、しばしば仏陀が蜜蜂の喩えをもって教えを説かれています。
この偈文は、行乞に向かう比丘達への教訓として説かれた偈ではないでしょうか。
行乞と云うのは、家々の戸口を訪れて食物や衣服などを供養して貰う「行」の事を云います。
仏陀始め、出家修行者は托鉢によってその生を保っていました。
然し、ただ食べ物や衣服を得る為だけではなく、托鉢も大切な修行なのですね。
如何に托鉢を行ずるべきか、それは又、如何に生きるべきかと云う事にもつながります。
それを具体的に学べる機会、それが托鉢行なのです。

「愛すべく色うるわしくとも
かぐわしき香りなき花のごとく
語れども行うことなき者の言葉は
よく語らるるともなんの甲斐なし

愛すべく色うるわしくて
かぐわしき香りある花のごとく
語りてこれを行う者の言葉は
まことによく語られし言葉なり」

この偈は、花を喩えて「よき言葉を語るとともに、よき行いを行ずる人の素晴らしさを讃えているのです。
口だけ偉そうな事を云っても、行いが伴わない人間は多いものです。
香りがあって、見目麗しい花のごとく、人もそのようであれ、と教えておられるのですね。
**羅陀(ラーダ)相応**
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
阿含経の中に、仏陀が弟子の一人である羅陀の質問に答えている経があります。
その中の一つをご紹介致します。

先ず羅陀が仏陀にこう質問します。
「大徳よ、〈悪魔、悪魔〉と申されますが、一体いかなるかを悪魔と申されるのでありましょうか。」
仏陀は喩え話を用いて説法をされるのですが、その中でよく〈悪魔〉と云う言葉をお使いになるようです。
それに対する、羅陀の率直な疑問なのでしょう。
仏陀のお答えはこうです。
「羅陀よ、もし色〈しき=仏教で云う形あるものの意〉あらば、悪魔あり、殺者あり、死者あり。
羅陀よ、その故に、ここに色は悪魔なりと観じ、殺者なりと観じ、死者なりと観じあるいは病なり、癰(よう)なり、刺す(し)なり、痛なり、痛みの生ずるところなりと観ずるが良い。

そのように観ずれば、それが正しい観察というものである。
羅陀よ、又受(じゅ=感覚)あらば・・・・・想(そう=表象)あらば・・・・・行(ぎょう=意志)あらば・・・・・識(しき=意識)あらば・・・・・」
と続きます。
此処にあげられた、色、受、想、行、識は
、仏陀が云うには人間の身体は五つの要素から成り立っていると云うのです。
それを『五蘊(ごうん)』と云いますが、要するに仏陀は羅陀の質問に対して、「汝の肉体と心の営みの中に生ずるものである。」
と仰っているのですね。

人間の肉体と、心の中に生ずる悪しき営みこそ、汝の殺しやであり、汝を台無しにするのだと云うのです。
私達は「悪魔」というと、外界からやって来るように思いがちですが、それが全く否定されたお答えなのです。
だから、よくよく自分を戒め、精進し続けなければならないのですね。
**西土の人 **
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
相応部経典巻四には、「西土の人」と云う経典があります。
内容はナーランダ城で釈尊が説法された時のものでありますから、西土の人と云うのはコーサラ国の
シュラーヴァスティー(舎衛城)付近に居処を持つバラモン達を指しているものと思われます。
或いは、イランあたりから来た拝火教徒達を指しているのかもしれませんね。
この経典は、村長と釈尊の問答を記しています。
釈尊が質問し、村長が答えるという形です。

村長「世尊よ、西土から来たバラモン達は水瓶を携え百合の花輪をつけ、沐浴して身を浄め、火を礼拝します。
そのようにして彼らは死人の名を呼んで呼び起こし、生天(しょうてん)させようとしています。世尊も、世間の人々が死んだ時このように生天させてどこか良い処へ導かれるような事をなさるのでしょうか。」

釈尊「村長よ、今それについてこちらから質問するから、これに思った通りに答えなさい。宜しいか。
今、此処に次のような人がいるとしょう。
彼は殺人者で、盗人で、快楽に耽溺するもので、嘘をつき、卑猥な言葉を使い、意地悪でどうしょうもない乱暴者であったとしょう。
今この人の死後、生天できますようにと云って、大勢の人がその人の為に祈願し、礼賛し、合掌したとして、
さてこの人は死後天界に生まれることができるであろうか。」

村長「そんな事は考えられません。」

釈尊「例えば大きな岩を深い湖に沈めて、これを大勢の人が集まり、岩よ浮上せよ、と云って合掌して祈願しながらその湖の周りを歩いたとしたら、その祈願によって岩が浮上するだろうか。」

村長「そんなことはありません。」

釈尊はこのように、邪な考え方や生き方をしている人を、大勢の人々の祈願によって死後天界に生まれさせることは出来ない。
返ってその人は悪行の報いによって、苦界・地獄に生まれることになろう、と教えられています。
逆に、常に五戒を守り、常に正しい考えを持ち、慎みある行いをする人が居て、これを死後、苦界・地獄に堕落させようと
大勢で祈願してみたところで、その人はそれとは無関係に、道理に従ってやはり天界に生まれることになるだろう、と仰っています。
「道理に従って。。。」と云うところが、凄く印象に残りますね。

私達は良いことをするときには誰かに知って貰いたい、と想うし、悪い事だと知って、あやまちを犯すときは、人に知られないように隠そうとします。
でも、そんなことは「道理」の上では全く無関係な、愚かな考えなのですね。
善は必ず善の結果を呼び、悪は必ず悪の結果に結びつくと云うのです。
交通安全のお札や、家内安全、学力向上。入試の合格祈願等々、普段馴染みが無くてもついつい買ってしまう御札や御神籤。
買ったから試験に合格するのであれば、普段の努力は無駄と云う事になってしまいます。
それを承知で、やはり神頼みをしなければならないような気持ちになってしまう。
そんな私達の心の迷いを、釈尊は戒めておられるのですね。
普段から、正しい行い、正しい努力などの八正道を修していれば、そのような迷いに落ちる事はないと云う事なのです。
**商品**
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
増支部経典巻一という経典があります。
これには、適度のバランスの重要性をある商人を例に説かれているものです。

ある店先の事です。
商人は秤を使うに際し、これだけ載せると上に傾き、これだけ減らせば下に傾く事を知っています。
そのように、良家の人は財の収入と支出を知ってバランスの取れた生活をし、奢侈にもならず、あまり窮乏するわけでもありません。
もし収入が少ないのに奢侈な生活を送れば、「三千年に一度しか得られないウドンバラ果を食べるように
財を喰っていると評判になろう。
収入が多いのに貧弱な生活をすれば、
飢え死にするような状態で死ぬだろう、と評判になろう。」

このように、一方に偏らない生活を送る事が大切なのですね。
それと共に、「虚栄を虚飾」をも戒めておられる言葉です。

「中」の生き方は、八正道の生き方と云う事なのですが、八正道を改めて見てみると、
そこには「○○をしてはならない・・・」と云うような説き方はされていません。
つまり人間本来の欲を、真っ向から否定する考え方のようなものは見られないのです。
大切なのは、「あれが良い、これがいけない・・・」などと一方的に否定したり肯定したりする
「固執した考え方や生き方」を戒めておられるのです。
そういう思想が、本来のお釈迦様が考えて伝道された教えなのです。
**男女平等を説く**
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
増支部経典巻三の「カッティヤ経」には、
「女の求めるところは男である
女心が向くところはアクセサリーと化粧品である
女のより所は我が子である
女が執着するのは夫の独占である
女が最後に目指すのは支配権を握ることである」
と釈尊が述べたとして、書かれています。

他にもアーナンダとの間で女性に関する問答が交わされたとする経典には、
アーナンダ「お尋ねしたいことがあります。
女性は何故公の会合に参加できないのでしょうか。また、男性とおなじように一定の職業に就くことができないのでしょうか。
そして、職について報酬を貰うことがないので、女一人では生計を立てる事が何故できないのでしょうか。」
当時の女性が如何に虐げられていたか、この問いを見ても察っする事ができますね。
インドはカースト制が厳しく守られており、その中でも又女性は蔑視されていたようです。

お釈迦様のお答えとして、このように書かれています。
「アーナンダよ、何故かと云うと、女性は怒りっぽい。そして嫉妬深いのだよ。
その上物惜しみして、愚痴るからだよ。こんな性質があるから無理なんだ。」
う〜〜〜ん、女性としてこの言葉は許せないですね。
でも、これはお釈迦様の真実の言葉では無いと筆者(田上太秀氏)は仰っています。
>これで見ると釈尊は女性を性格的に悪い者として考えているようだが、実際こんな事をアーナンダに
云ったわけではないと思われる。
これらの文献は釈尊滅後、100年以上も経って成立したものであるから、作り話しと考えられる。仏陀の云いたかったこと・・・原文<

バラモン教が信仰されていた農村の家庭では、家父長的家族制度が確立しておりました。
それに伴い、女性を蔑視する傾向があったようです。
この制度や観念に対して、釈尊は人間平等の立場をもって反対し、男女平等の思想を樹立しょうとなさってたようです。
私達は、通常両親を著す時「父母」と父を先に言い表しますが、これはバラモン教的な表現であると、筆者は云っています。
仏教では「母父」と、母の語を先に言い表しています。
>インド原語の仏教文献を見る限りでは、仏教徒はこの語順を遵守している。・・・原文<
これは父母を別記するときも、順番は「慈母」「厳父」と列記されています。
大乗仏教の経典の中に、「正法念処経(しょうほうねんじょきょう)」と云う経があり、
その中には世間には四種の恩があると説かれています。
「母・父・如来・説法師と列記されている中でも、やはり「母」が最初に書かれております。
このように、仏教では「母」を尊ぶべき最大のものとして考えられているのですね。
では、何故それが逆転してしまったのでしょう。

田上氏は『中国に来た時点で、「母・父」が「父・母」と翻訳されてしまった』と仰っています。
中国は古来儒教の国で、家父長的制度が一般化されてしまっていました。
その為、中国の翻訳僧はバラモン教的な表現に立ち返って翻訳したものと思われます。
日本はこの中国の「バラモン教的表現」の経典をそのまま輸入したので、インド仏教本来の家族論理が伝わらず、
釈尊の思想とかけ離れた、バラモン教的、又は儒教的家族論理が輸入されたのです。

仏教は元々、母を家庭における優れた「友」として、なくてはならない存在と考えていました。
確かに父の存在が中心である事には変わりないのですが、仏教ではそれ以上に「母」の存在を重視しているのです。
原始経典の中で、ある神の問いに釈尊はこう答えています。
神「誰が旅人の友ですか。誰が家庭の友ですか。
事故があったとき、何が友となるのでしょうか。
何が来世の友でしょうか。」

釈尊「キャラバンの主が旅人の友となります。母が家庭の友となります。
朋友が事故の時の友となります。そして自らつくった道徳が来世の友となります。」

釈尊の家庭論理思想のなかでは、女性を蔑視するどころか、このように母の存在はかなり大きく取り扱われているのです。
と云っても、「変成男子」の考えも、仏教には存在します。
女性は、そのままでは悟りに程遠い存在であり、一度男性に生まれ変わらなければ悟れない、とする考え方ですが、
これは女性と云う者自体が云々ではなく、女性は羞恥心のために衣を着る。
本来、衣を脱ぎ魂を出来るだけ解放して修行をする事が良いと考えられたので、魂を肉体で縛り、
その上に衣で縛り付けている女性・・・と云う観念での思想であると思われます。

大乗仏教の法華経には「女人五障罪」といって、女性が悟りを得るには五つの障害があると説かれています。
然し、田上氏は『このような考えは原始仏教にはなかった。」と云います。
>このように仏教は、男女の差別を無くす方向に向いてはいたが、それでも女性と男性の差は意識されていた。
・・・原文<
**キサーゴータミー (けしの種の話) **
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昔、サーバッティという町にキサーゴータミーという若い母親がいました。
ある日のこと、最愛の幼いひとり息子が急病であっけなく死んでしまいました。
家族は泣く泣く葬儀の用意をし始めようとした時、母親のキサーゴータミーは冷たくなった息子の亡骸を抱いていいました。
「この子はまだ死んでいません。元気になる薬を探してきます。だから葬儀を行うのは少し待って下さい。」
そう言うと、キサーゴータミーは子どもの亡骸を抱いてかけだしていきました。

キサーゴータミーは町を薬を求めて彷徨いました。
そして、教えて貰った町はずれの物知りのおばあさんの家にかけこみました。
「私の可愛い子どもが死にかけています。おばあさん、どうか良い薬を教えてください、お願いします。」
一日彷徨い続けて疲れ果てたは母親の胸には、冷たくなった子どもがシッカリと抱きしめられていました。
その亡骸を見ておばあさんはいいました。
「かわいそうだけど、この子はもう死んでいるよ。死んだ子が生き返る薬があったらどんなにいいだろう・・・。
昔、わたしも子どもを亡くしたから・・・」
お婆さんの呟きも聞くことなく、キサーゴータミーは又町へと駆け出してゆきました。
次にキサーゴータミーが向かったのは、少し遠くの評判の良い名医の家でした。
「先生、お願いです。私の最愛の子供が死にかけています。どうか子どもを助けてください。」
見れば冷たくなった幼い亡骸を暖めるようにしっかりと胸に抱いた母親が、必至に助けを求めています。
医者はその母親に、いかにも残念そうに言いました。
「奥さん、死んだ者を生き返らせる事は誰にもできません。」
「そんなことをおっしゃらず、お願いですから私の愛する可愛い子供を助けてください。お願いします・・・お願いです・・・」
そう言って泣きくずれるキサーゴータミーの肩を優しく撫でながら、医者は慰めるように言いました。
「あなたに必要な薬ならわかります。今、ジェータの林にいらっしゃるお釈迦様にお聞きなさい。」
医者が言った「薬」という言葉だけをたのみに、キサーゴータミーは残る力を振り絞ってお釈迦様がいらっしゃるというジェータの林へ向かいました。

息を切らせ、疲れ果てた若い女性が、冷たくなった我が子を抱きしめてやってくる姿を見たお釈迦様は、その母親の傍へ近づいてゆきました。
「お釈迦様、私の愛する可愛い子供が死にかけています。どうかこの子の薬を下さい、お願いします。」
お釈迦様は暫く優しい眼差しで若い母親を見つめられていましたが、、やがてこう仰いました。
「わかりました。それではどこかでけしの種をもらってきなさい。ただし一度も葬式を出したことのない家のけしの種でなければなりませんよ。」
お釈迦様の言葉を聞いて、若い母親の青白い頬が生気がほんのりと赤みをさしてきました。
「私の可愛い坊や・・・もうすぐお薬をあげますからね。」
キサーゴータミーはそう言って息子を抱きかかえたまま、ふたたび町へ向かいました。
暫く行くと大きな集落が見えてきました。
それを見ると、キサーゴータミーの足は更に速くなりました。
ある一件の家の戸を叩き、「すみませんが、この子の薬にするためのけしの種を少し頂けませんか?」
それを聞いた家の主婦は、すぐに奥の方から快くけしの種を持ってきました。
その時、キサーゴータミーはお釈迦様の言葉を思い出して主婦に尋ねました。
「お宅はお葬式を出したことがありますか?」
思いがけない質問に、主婦は怪訝な顔をしてキサーゴータミーに答えました。
「はい。去年、私の主人を亡くしましたし、その前の年には両親が亡くなり葬式を出しました・・・。でも、それが一体・・・何故ですか?」
キサーゴータミーはお釈迦様に言われた事をこの主婦に話しました。
その話を聞いて主婦は目頭を抑えながら「そう言うわけだったのですか。でもけしの種ならどこの家にもあるでしょうが、お葬式を出したことのない家はねぇ・・・。本当に見つかるといいですね。」

キサーゴータミーは厚く礼を述べて次の家を訪ねて行きました。
次ぎに訪ねた家は大勢の子供がいました。
その家の主婦は、自分の妹が死んでその子どもたちを引き取ったところだと言いました。その次の家の若い女性は、やっと赤ちゃんが授かって産まれたら、その子はお腹の中で死んでいたとキサーゴータミーに話しました。
更に次の家ではお爺さんが笑いながらこう言いました。
「わしは今、婆さんと二人暮らしだ。息子は二人あるがな。
わしの親と婆さんの親、それの父親の両親と母親の両親、婆さんの方も同じこと、さてさて、これで何人死んだかのぅ・・・ひい、ふう、みい・・・、それにわしらももうすぐだわい。アッハッハ!」

キサーゴータミーは一人ひとりの話を聞いているうちに、これまで感じていた胸の苦しみが少しずつ薄らいでゆくのを感じました。
「どこの家にもけしの種はあるけれど、お釈迦様が仰るように『葬式を出した事のない家』なんて何処にもない・・・誰もが死んで逝かねばならないんだ・・・
お釈迦様は私にその事を教えて下さる為に、あのような事を仰ったんだ・・・。」
そう悟ったキサーゴータミーの胸には、もう突きさすような悲しみは消えていました。

その後彼女はお釈迦様の弟子になり、立派な尼僧になりました。






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**参考書籍 田上太秀
 「仏陀のいいたかったこと」講談社学術文庫**
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〜 禅 〜

** 迷える時には三界あるも
      悟って後は十方空なり **

分別・妄想・思惟
これらの働きを停止させた時に、始めてそれまで妨げていたものが雲散霧消し、心は安らぎ、静寂、平安を得る事ができ、おのずと「無」の境地へと通ずるものである。

この無の境地は、「仏性」が顕れる一歩手前であり、この一歩の飛躍があればこそ、涅槃の境地を開く事ができる。


** 人生一弾指 **

人の一生は、悠久な自然の流れからみれば、指を一度弾くくらいの一瞬の出来事に過ぎず、それ程に短い人生であるから「即今」「此処」を、いつも心の支店において、充実して生きなければならない、と言うのが「禅の生き方」であります。

このような「一弾指」に過ぎない人生を、無為に過ごすのは本当に勿体ない・・・
そう思いませんか?
過去も未来も、自分の思い通りになるとは限りません。
過去は過ぎ去ってしまえば夢幻のごときものであり、未来は「明日ありと、思う心のあだ桜・・・」と親鸞が歌ったように、まことにたよりないものであります。
しかし「今」と言うこの瞬間、「此処」と言うタイミングにおいて、如何に生きるか、と言う事は、「この瞬間の自分」の考え方で如何様にもなるものであります。

禅に生きる者には、過去も未来もなく、あるのはただ「即今」「此処」を生きる「自分」だけなのですね。
さぁ!あなたはどう生きますか?

** ひと茎の草 ひと滴の露 **

幕末から明治期にかけての臨済宗に、儀山禅師と言う高僧がおりました。
ある日、儀山が風呂に入っているとき、湯が熱すぎたので弟子に水を持って来るように言いました。
丁度良い湯加減になった時、弟子は桶に余った水を無造作に庭に捨てました。
それを見た禅師は「この大馬鹿者!物は大小となくそれぞれ用いどころがあるものだ。どうしてそれを活用しないのか。 先ほどの水を庭木に注いでやれば、木も喜ぶ。 水も生きる。」

これを機にこの弟子は真理を悟り、法号を「滴水」としました。
この滴水和尚の門下に山岡鉄舟らがいます。

この一茎一滴の教えは、人にも当て嵌まりますね。
どんな人にでも適材適所と言うものはあるものです。
それを見極める眼力を持てなければ、どれ程の逸材であっても活かす事はできない、と言う事を、「上司」には肝に銘じて頂きたいものですね。
** 十牛図 (じゅうぎゅうず)**

仏教、特に禅を知る上で最も基本的な事を図に表したもの。

第一図:尋牛(じんぎゅう)
発心・・・悟りを求める心に目覚める

第二図:見跡(けんせき)
第三図:見牛(けんぎゅう)
第四図:得牛(とくぎゅう)
第五図:牧牛(ぼくぎゅう)
第六図:騎牛帰家(きぎゅうきか)
第七図:忘牛存人(ぼうぎゅうそんじん)

*ここまでは、人が牛(悟り)を求めて旅をし、そして牛と一体になっていく姿が描かれています。

第八図:人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)
「無」の世界を表しています。

第九図:返本還源(へんぽんかんげん)
「柳緑花紅」、要するに「春に百花有り秋に月有り、夏に涼風有り冬に雪有り。 若し閑事の心頭に挂くる無くんば、便ち是れ人間の好時節。」と無問和尚が詠んだ世界を表しています。

第十図:入テン垂手(にってんすいしゅ)
再び人の世界に菩薩的な生き方で戻ってくることを表している図です。

相国寺のHPの
http://www.shokoku-ji.or.jp/shokokuji/index.html
十牛図をご紹介させて頂きます。
http://www.shokoku-ji.or.jp/jotenkaku/treasure/index_02zenshukaiga/jyugyuzu_index.html

とても素朴で美しい画ですから、皆様にもぜひご覧頂ければと思います^^
沢庵禅師が玲瓏集の中に書かれた言葉に次のようなものがあります。

「栗柿の実をもってたとへ候。いたみ、かなしみなしとは、人から見申したる分別にて候。かれが上には、いたみかなしみも、自然とそなはり候とみえ候。」

この言葉の根本にあるものは、お釈迦様が説かれる「生きとし生けるすべてのもの・・・」と言う考え方と同じだと思うのです。
喩え植物であっても、「いたみやかなしみを感じるであろう。」と言う慈悲心こそ、人を人たらしめている最高の美徳ではないでしょうか。
しかしながら、私達は他の命を糧にしなければ生きてはゆけない存在でもあります。
いくらベジタリアンと言っても、やはり植物の命を奪っている存在なのですね。
そう考えれば、心の底に「申し訳ない」と言う思いと共に「有り難い」と言う感謝の思いも湧き上がっては来ないでしょうか。
他の命を頂いて「生かされている身」である以上、私達もこの世の中において、何かの役に立つ存在でありたいものです。
それが、私達の「使命」でもあると思うのです。

ふと目に付いた沢庵禅師の言葉から感じた事を書き込ませて頂きました^^
「キサーゴータミー」のお話には、お釈迦様のぬくもりを感じさせられます。
生きている者には死を受け入れなければならない宿命があると言う事でしょうか?
しかしながら、幼い子の死を受け入れるのは親にとっては心痛、極まりない事でしょうね(T_T)

沢庵禅師って、宮本武蔵の小説で登場してましたけど、沢庵和尚の事ですかね?
小説なので脚色したのかは無知な者で分かりかねますが、沢庵和尚にも感銘を受けました。

六道輪廻の言葉を聞いた事があります。
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天、
人は最高でも人間で、下の四つをぐるぐる廻るまでは知っているのですがもう少し詳しく無知な自分に、この意味の教えを説いて戴けないでしょうか?
私事で、申し訳ありません。
なおきさんこんにちは^^

六道輪廻に関して、私の知っている範囲内でお答えさせて頂きますね。
「六道」とは『地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道』の六つの道を指し、生前の業報によって死後にいずれかの道へ赴かなくてはならない、と言う事であり、また解脱しない限りは永遠にその六道を彷徨い続ける、と言われております。
ここにある「天道」も、まだ本当の悟りを得られていない存在であると考えられており、他と同様に輪廻を繰り返さなければならないようです。

六道輪廻については、お釈迦様は「衆生が六道を輪廻するのは煩悩があるためであり、よってこの煩悩をすべて取り払ったところに、六道を離れた解脱の世界が顕れる。」と説かれました。
それであれば、六道とは、死んでから後に顕れるものではなく、もう既にこの世界に、私達の心に存在している世界であるとも考えられます。

仏教では、貧欲・瞋恚・愚痴の心を三毒といい表し、煩悩の中の代表的なものとして位置付けられています。
自分の思い通りにならない事に不平不満をもって瞋恚の炎を燃やし、また何に対してでも不知足から離れられず、もっと、もっとと貪り続け、更には識らなければならない事を識ろうとしない、要するに智慧の無いこと。
貧欲を『餓鬼道』・愚痴を『畜生道』・瞋恚を『修羅道』と言うようにそれぞれを表しております。

この六道は、即今、此処における自分の心にあるもので、死後に顕れるものではない、と言うのが私の個人的な考え方なのです。
「心」と言うものは、一所に収まらずにいつもコロコロと移り変わっております。
旦那の嫌みな言葉に怒りを感じれば、その時私の心は「修羅道」にいる。
でも、一生懸命働いてくれる旦那の姿に、感謝の気持ちを感じる心は「天道」にいます。
自分の幸せの為には、自分以外のものを犠牲にする事も厭わない・・・
このような自己中心的な考えは「畜生道」ですね。

このように、その時その時に、自分の心が六道輪廻を繰り返しているのです。
この苦しみの輪廻から抜け出すには、「解脱」しなければなりません。
その方法を、お釈迦様は「八正道」として説かれているのですね。

以上のように、私自身は理解しております。
参考になりますでしょうか?

他の皆様方のご意見も、宜しければお聞かせ下さいませ。
私の仏教観

『夫れ仏法遙かに非ず、心中にして即ち近し。真如外に非ず、身を棄てて何くんか求めん。』

現代の日本仏教というものを素人眼でみますと、喩えて言えば綺麗に着飾った美しい女性のように感じるのです。
厚いファンデーションを塗り、濃いアイシャドウにアイライン・・・
真っ赤な口紅に派手なほお紅。
更にはこれでもか、と言わんばかりの豪華なドレスに身を包み、イヤリングやネックレスなどでキラキラと身を飾った女性。
それぞれの好みもあるでしょうが、私としては清潔な素肌に、清潔で質素な服を着た女性に凄く好感を持つのです(笑)

そのように、本来のお釈迦様の教えである「仏教」とは、もっと素朴な「教え」であって、私達「衆生」から遠く離れたところにある教えではないと思います。
どんな者にでも理解でき、努力すれば誰にでも実践する事ができる教えを、お釈迦様は説き続けて来られたのではないでしょうか。
それを、後世の多くの祖師達により様々に装飾されて、今ではとても難解なものにしてしまったのではないでしょうか。
それはそれで、専門的な立場から見ればとても素晴らしい教えとなり、現代にまで伝えられて来られた、と言う面においては、素晴らしく尊いものであるとは思っております。
しかし、一方では私のような凡夫には全く理解する事が困難な教えになってしまったように感じるのです。

「衆生から離れて仏法というものはない」と仰ったのは確か空海だったかな?
衆生が理解できて実践できる教えこそ、本当に「自灯の教え」であり、私達が救われる「教え」なのですね。
「救われたい」と欲すれば、誰でも精進して救われる事ができる教えこそ、私は「お釈迦様の教え」である仏教だと思うのです。

小難しい知識で身を飾った「仏教」ではなく、本来の「すっぴん」の仏教こそ、私は最も大切にしなければならない「教え」だと信じております。

私自身が宗派や宗祖に拘りが無いのは、こういう考え方を基本にしているからです。
言い換えれば、宗教の「仏教」を信仰しているのではなく「一人の人間仏陀」としての、人生の教えである「仏教」を信仰する、「釈迦宗」とでも申しますか・・・(笑)

私なりの仏教に対する考え方を書かせて頂きました^^
有り難うございます。
勉強に成りました。
自分は、『三毒』に犯され、六道の下の四つをぐるぐる廻ってます。
魄を研く努力をします。
有り難うございました。
なおきさんこんばんは^^
今日の日記にも書いていますが、私とて地獄道から修羅道、畜生道を行ったり来たりしている愚かな人間です(笑)
だからこそ、お釈迦様の教えが必要なんですよ。
〜 仏教名語録 〜

■ 善もいや 悪もいやいや いやもいや
事事物物は 時のなりあい

     盤渓

■ 晴れてよし 曇りてもよし 富士の山
もとの姿は変わらざりけり

     山岡鉄舟

■ まるまると まるめまるめよ わが心
まん丸丸く 丸くまん丸

     木喰行道

■ 心こそ 心まよわす 心なれ
心に心 心ゆるすな

     沢庵

■ 形見とて 何か残さん 春は花
山ほととぎす 秋はもみじ葉

     良寛

■ 我はただ 虚空を家と 住みなして
須彌(須彌山=しゅみせん)を枕に 独り寝の春

     盤渓

■ 春は花 夏ほととぎす 秋は月
冬雪さえて 涼しかりけり

     道元

■ 門松は 冥土の旅の 一里塚
めでたくもあり めでたくもなし

     一休

■ 有漏地(うろじ=煩悩の世界)より 無漏地へ帰る 一休み
雨ふらば降れ 風ふかば吹け

     一休

■ 世の中の 生死の道に 連れはなし
たださびしくも 独死独来

     小林一茶

■ 明日ありと 思う心の 仇桜
夜半に嵐の吹かぬものかは

     親鸞

■ そのままに 生まれながらの 心こそ
願わずとても 仏なるべし

     一休

■ 心とも 知らぬ心を いつのまに
わが心とや 思いそめけん

     飲光慈雲

■ うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ

     良寛

■ 人みなわが飢えを知りて 人の飢えを知らず

     沢庵


****************************


〜〜〜 あいだみつお 〜〜〜

■ にんげんだもの

弱きもの人間
欲深きもの にんげん
偽り多いもの にんげん
そして 人間のわたし

■ 道

長い人生にはなぁ
どんなに避けようとしても 
どうしても通らなければならぬ道___
てものがあるんだな

そんなときは その道を黙って歩くことだな
愚痴や弱音を吐かないでな

黙って歩くんだよ
ただ黙って___
涙なんか見せちゃ ダメだぜ!

そしてなぁ
その時なんだよ
人間としての いのちの根がふかくなるのは・・・

■ いのちの根

なみだをこらえて かなしみにたえるとき

ぐちをいわずに くるしみにたえるとき

いいわけをしないで だまって批判にたえるとき

いかりをおさえて じっと屈辱にたえるとき

あなたの眼のいろが ふかくなり

いのちの根が ふかくなる


■ 花を支える枝
枝を支える幹
幹を支える根

根は見えねんだなぁ


****************************



■ 師に逢うて学ばざれば 去りてのちに悔ゆ

賢に逢うて交わらざれば 別れてのち悔ゆ

親に仕えて孝ならざれば 喪(うしな)いてのち悔ゆ

主に仕えて忠ならざれば 退きてのち悔ゆ

義を見てなさざれば 過ぎてのち悔ゆ

危うきをみて遠ざければ 陥りてのち悔ゆ

財を得て施さざれば 失いてのち悔ゆ

国を得て仁ならざれば 亡びてのち悔ゆ

因果を信ぜざれば 報いてのち悔ゆ

菩提を信ぜざれば 死してのち悔ゆ


     雲居禅師道膺

(雲居禅師道膺:中国の僧 曹洞宗 弘覚禅師と号す)





■ 人は常に

目のために欺かれ

耳のために欺かれ

鼻のために欺かれ

口のために欺かれ

身のために欺かれる

  
  阿含正行経より


仏教に関連すると思われる名句をご紹介しています。
どの句も、日々の暮らしの中でちょっと躓いたり迷ったりした時に、そっと勇気づけてくれるような・・・

自分だけの、そんな「言葉」を見つけてみませんか?

これからも「良いな♪」って思った言葉があれば書き足してゆこうと思います。
皆さんも、ご存知の元気が出る仏教「名僧名語」があれば是非、このトピで教えて下さいね。
買い込みお待ちしています^^

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