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僧伽さろん@曹洞宗コミュの宗教とは何の為、誰の為に・・・?

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 初めてのトピックで失礼致します


 先日NHKのクローズアップ現代という番組だったかで、親先祖から継承して来た宗教・宗派から脱退する人が増えて来ているとありました


 私の菩提寺は先祖代々曹洞宗の寺ですが、先日親しくしている同じ曹洞宗の檀信徒の友人から、寺を出たいと相談がありました


 曹洞宗を含め葬式の為だけの寺になってしまった現在の宗教に疑問を感じたとの事です


 私も大いに共感する所があります、大変失礼な表現とは存じますが、一般の人々の間では『葬式坊主』と囁かれている現実があります


 勿論信徒の中へ入り込み熱心に活動されている僧侶も居られるとは思いますが、この現実に対して宗派や僧侶はどう考えて居られるのか・・・?


 宗教法人で課税から逃れ甘い夢を見続け、今までのほほんと生きて来た宗派及び僧侶への人々の不信感と反発が起こっているのだと思います


 今まで多くの日本人は只、受動的に先祖から受け継いで来たからと、本心からの信仰動機からでなく『世襲=運命的』に宗教・宗派を選択して来たと思います


 それが現在になって、何の為の、誰の為の宗教・宗派なのかとの素朴な疑問を持つ人々が確実に増えて来ているのだと思います


 この問いに関して在家の会員さんに、特に僧侶の皆さんに忌憚なき意見をお聞きしたいと思います

コメント(11)

> 宗教法人で課税から逃れ甘い夢を見続け

 お分かりのことと存じますが、確かに「法人」は非課税ですが(貸し駐車場やお守りなどの物品販売をしていると、それは課税対象となります)、僧侶や従業員などの「個人」は所得税を納入しています。
 本当に個人の所得の課税から逃れているとしたら、それは法律違反です。許されることではありません。

 また、寺のみの所得で生活が成り立っている寺院は、有名大寺院は別として、それほど多くなく、大半の檀家寺の住職は一般の職業との兼業のみならず、兼業で得た所得の中から寺(法人)で必要な経費を出さざるを得ないこともあるということをご存知でしょうか?


> それが現在になって、何の為の、誰の為の宗教・宗派なのかとの素朴な疑問を持つ人々が確実に増えて来ているのだと思います

 このこと自体はネガティブなことではないと個人的には考えています。
 むしろ何も考えず、先祖代々続いてきたものだから、宗祖も本山も教義も知らないと嘯く檀家より、よほどマシだと思います。
私の家は寺では生活が出来ないので誰も継いでないですよ
☆不染さんへ


 トピックへのコメントを頂戴し有難うございました


>有名寺院以外は寺の収入だけで生活が成り立たず、僧侶が一般職業を兼業として持ち、場合によってはそこから寺の必要経費を捻出せざるを得ない状況があるとのご指摘ですね


 一般職業を兼業として持つという事実は、私も学校時代何人かの僧侶に学校の教師として教えを受けたので判ります
 又、檀信徒の少ない寺では寺の維持の為に、僧侶が得た収入を寺の護持・維持の必要経費として捻出せざるを得ないという事情もある程度は想像出来ます


 大事なのはその様な事情の中にありながら、寺と檀家の間に虚心坦懐な、寺の運営についての話し合いが成される事が少なかったという事だと思います


 民間の企業なら業績が不振だと経費の見直しがあるのは当然ですし、一般家庭でも家計が苦しい時は出費の見直しをせざるを得ません


 宗教・宗派も寺も、宗教だからと何時までも過去からの伝統仏事だ、しきたりだといって見直しのないままで寺を運営して行くのは、寺にとっても檀徒にとっても苦痛が残るだけではと・・・

 
 誤解を恐れず申しますと、一昔前まで檀徒の多くは小学校を出るのが精一杯の時代背景の中で、僧侶は地域の中で数少ない知識階級だったと思います


 難解な漢字の行列した教文を諳んじる僧侶は、その様な檀徒にとって極言すれば畏れ多い存在に近かったのではと思います


 でも戦後国民の多くが高等教育を受ける様になって来て、信仰や自分の菩提寺の護持に付いて考え始める人々が増えて来たという事ではないでしょうか?


 受動的に寺と接して来た今までの檀徒にも問題があろうと思いますが、普段檀徒に姿を見せないで、葬儀や法事の時だけ活躍?する僧侶や宗派にも大いに問題があると思います


 お釈迦さんやイエス・キリストが最初に人々に教えを説き始めた時には、難解な教文も豪壮な寺院もなかったと思います、釈迦やキリストと彼らの教えを聞く人々の間に熱心な質疑応答・言葉のやり取りがあったと思います


 それが何時の間にか宗教は民衆が気軽に近づける存在ではなくなってしまった・・・この事が宗教・宗派・聖職者にとっても我々信者側にとっても最大の不幸ではないかと、私の考えです
 
☆ポークビッツさんへ


 コメントを頂戴し有り難うございました


 私の菩提寺でも以前、当時の住職さんのご子息が後を継ぐ、継がないと問題があったと両親や地域の人から聞いた事があります


 後継者の問題という事でも宗教は、宗派・僧侶と我々檀徒の間に大きな問題を残しているという事でしょうか?
壇家さんの居ないお寺もありますし
すべてひとくくりには出来ないんぢゃないでしょうか?
お寺がその地に出来た理由も様々ですし
役割も色々あったと思います

私の家は明治以降、土地やお堂が無くなり衰退し、壇家さんも居なかったようで生活も出来ず誰も後を継がなくなりました

私的には戦前でも日本の教育レベルは高かったようですし、むしろ戦後GHQによる日本人の思想変更や行政が原因かと思います

宗教が誰の為何の為かについては自分自身と答えるしか無いです。
今風で言うとアイデンティティーとかいうやつでわ?
>桜吹雪の花吉野さん

管理人の もこみち♪ と申します。
トピ立てありがとうございます。歓迎します。
こういう場だからこそ、本音で話せるトピとして機能することを望みます。

せっかくですから私からも一言残します。

まず、宗教法人(非課税)に対する社会の誤解は、おおよそ不染さんのご回答で足りていると思いますので私からは控えます(必要であれば補足しますが)。

私個人もシステムの問題というより、そういう誤解を与えてしまう一部の僧侶の言動や資質の問題だと感じています。

法的にも道義的にも、住職(宗教法人代表役員)は法人の構成員たる檀信徒の方々の浄財を「お預かりする立場」(管理を委託された立場)なだけですから。それを私的に流用していたのであれば立派な脱税行為となります。

もし脱税行為を犯す住職がいれば、それはその方の住職としての資質が問われて然るべきでしょう。

それと、葬式仏教について。

私個人はプライベートブログでも時折綴っておりますが、僧侶のひとつの責任として、これからも葬式仏教の場に是が非でも携わっていくつもりで考えております。

葬儀というリアルな「生死の現場」から、仏教の教えが退場してしまって何のための教え(生きる道を説く仏教)かとさえ感じています。よって、私は今後も誇りと自負をもって葬式仏教の立場を貫くつもりです。

上のスタンスの真意というのは、葬儀を仏教として機能させていない我々に対する自戒の念であり、社会からそのような印象しか抱かれていない現実に対する真摯な反省です。

本来、「死」という現実を通して我々は己の「生」と対峙すべき存在なのに、それを説き切れていない現状に我々はもっと危機を感じて良いと思います。それは単に我々の生活のためではなく、そういう致命的な誤解を社会に与えている点に対してです。

そういう意味において、ご指摘のような社会からの批判は、我々は重く受け止めるべきでしょう。「葬式」を「仏教」として機能させることができていない責任は問われて然るべきなのです。

人は死という現実を通してでしか、生きる意味と対峙できない現実があると考えます。生きながらにして生きる意味を考えること自体、仏教の教えと乖離しているような印象さえ受けます。

ある禅僧のことばに「人は死ぬから生きられる」とありますが、その死を一番身近に自覚できる機会というのは、何を隠そう身内の死なのではないでしょうか。その身内の死の現場(葬儀)に仏教の教えが不要とされている現実を我々は真摯に反省すべきと考えます。

家族や親しい人の死を通して、人は初めてある種の不条理や儚さを感じ、その不条理や儚さに応える教えや言葉を説けない仏教者は八万四千の法門を無駄にしているようにも感じます。それだけの教えを受け継ぐ立場なれば、そのような批判が社会から湧き上がる現実を真摯に受け止めるべきでしょう。

譬えが極端かもしれませんが、仏教で説く「生きる」という意味は何もカルチャースクールのような場で学べるものではないと考えます。「死」という現実をあくまでも自分の問題として捉えられる機会でしか、人は自らの「生」の問題を直視できない現実があるのだと考えます。

そういう意味において、今回の震災は葬儀に値する生死の現場であり、私個人としては多岐にわたる支援活動を通して、仏教の教えを説くというより体現できればと考えています。今回の震災の犠牲者を単なる「肉体の破壊」で終わらせてはなりません。残された我々がきちんと現実と向き合うことにより、支援活動が私は「葬式仏教」の場になると考えています。
>コメント頂いた皆さま

ご参加いただき、ありがとうございます。

面と向かっては話づらいことでも、このトピでは良い意味で本音をぶつけられる場にして頂ければ幸いです。

コメント書き込むうちに、多くの意見交換があり、上の私の投稿にタイムラグを感じてしまいます。

ご了承のほどをm(__)m
名前は失念しましたがある学者さんが「宗教とは死生感である」と意見されてました、さまざまな国や宗教の死と生に対する価値観を書いてましたよ
はじめまして。
宗教の正邪に関心のある方は、あやのコミュに参加してください。
よろしくお願いします。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=6054771
日本社会の特性として、人が亡くなった時のお葬式はやはりいずれかの仏教宗派のお坊さんにお願いするというのが大半の人の気持ちだろうから、お葬式や法事やお墓の管理がお坊さんたちの現世の仕事の一端を占めることになるのは仕方ないことだと思います。
問題は僧侶であろうと、在家であろうと、現世のやらざるをえない仕事は仕事として行いながらも、
さらにいかにして修行を深めてゆくか、
いかにして仕事をより清らかなものに高めてゆくか、
いかにして生活全体と精神とを絶えず研ぎ澄まし行動をより清らかなものに高めてゆくか、
などだろうと思います。

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