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旅の交心 そして郷土の交心コミュの東日本大震災救援リンク

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☆☆☆ ミッシェルさんの、 『 日本のみなさんへ 』 よりの【 転載 】です。
♭♭♭ http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1707517038&owner_id=5766188





★ 震災原発事故リンク『 震災にパプアニューギニアからも多大な善意 』x11w0417より【転載】

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日本のみなさんへ 2011年04月17日04:50 日本のみなさんへ
♭♭♭ http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=61636749&comm_id=1808806


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■ 震災にパプアニューギニアからも多大な善意   (読売新聞 - 04月17日 00:49)
♭♭♭ http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1572638&media_id=20


 西太平洋の島国・パプアニューギニアでは、貧しい山あいの村落で東日本大震災への募金運動が拡大し、これまでに2000人以上から義援金約8000キナ(約26万円)が集まった。児童100人分の年間教育費に相当する額だ。

 同国中部のゴロカ教育大学で情報管理部長を務める原田武彦さん(38)が、ローカルのFM放送番組で被災状況を伝えたのがきっかけ。

 地元住民は数百世帯に1台しかないテレビに群がり、震災のニュースを見ており、「被災した子どもを預かりたい」「水を届けたい」との申し出が原田さんのもとに殺到した。

 同大日本語学科の学生らは募金活動に立ち上がり、工事用のトロッコを募金箱代わりに村々を訪問。現金収入が限られているため、ピーナツや果物のグアバを寄付する行商の女性もいた。

 小学校では「日本人と心の痛みを分かち合いたい」とのプラカードを掲げた児童約500人が出迎えた。(シンガポール 岡崎哲)



☆★☆ ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために ☆★☆


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コメント(2)


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★ 震災原発事故リンク『 かくれんぼ・高木仁三郎 』x11w0429より【転載】

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☆☆☆ うりずんさんの、 『 かくれんぼ・高木仁三郎 』 よりの 【 転載 】 です。 ☆☆☆
♭♭♭ http://ameblo.jp/pizz-gon/entry-10877557347.html


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 4月29日。晴れたり曇ったり、夕方強い雨。気温、19度。



 Wilの街を、裏の公園から撮る。

 (写真をクリックすると大きなサイズの写真を見られます)



 21日と22日のふつか、東スイスの街Wilヘ所用で行った。いつものようにあいた時間に散歩をし、写真を撮った。この街は9世紀初めからの歴史がある古い街で、中世以来の街並みが、城壁をのぞいてほぼそのまま残っている。



 人がすれ違うのがやっとという細い路地を抜けると、子供たちの騒ぐ声が聞こえてきた。まずは、はしゃいで走りまわっている子供を写真に撮り、なんだろうと思い小さな広場の中央にある立木を見ると、大きな声で女の子が数を数えていた。かくれんぼだったのかと納得し、さらに写真を撮る。撮っているうちに子供たちのはしゃぎようがおかしく、思わずつられて笑いだしてしまった。笑いながら子供たちの写真を撮っている僕を見て、外に並べられたテーブルにすわるレストランの客たちも笑いだした。




 この坊やが走って来たのでとにかくシャッターを押したのだが、後ピンだった。




 数を数える女の子と、隠れ場所をさがす子。



 Mixiでのマイミクであるちゅみさんが、原発に一貫して反対してきた高木仁三郎の言葉を紹介していたので、転載させていただく。





☆☆☆ 『 高木仁三郎 』 へどうぞ!!! ☆☆☆
♭♭♭ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9C%A8%E4%BB%81%E4%B8%89%E9%83%8E





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彼の名は高木仁三郎と言います。核化学の専門家で日本原子力事業、東大原子核研究所に勤務した後に退職し、原発の危険性を日本を中心にして世界に訴え続けました。
 1997年に環境、平和、人権の分野でもうひとつのノーベル賞とも言われる「ライト・ライブリフッド賞」を受賞しました。
 2000年にガンで亡くなりました。62歳の生涯でした。
彼は私の住む村の隣町の出身です。妻の主治医だった医師かおる先生(女性)の弟でした。
 彼が死の1年前に記した遺書とも言うべき、岩波新書631の「市民科学者として生きる」に以下の文章があります。
 不幸にして彼が最も危惧していたことが現実になりました。
 昨日の下請け業者3人の被爆まで彼は予見し危惧していました。

217−218ページ抜粋

 「原子力には放射能の、生命と生態系への危険性、とりわ け原発の巨大事故のリスクの問題がある。
 巨大科学技術システムが共通に負っていりる、決してゼロにできない破局的事故の可能性、それに絡むヒューマンエラーの可能性の問題が、原子力には凝縮した形で存在し ている。・・・・・・・100万分の1の確率の1が明日起こるか
もしれないと言う不安は、特に原発の高い排気塔を毎日見て暮らす人には、決して無視し得ないものだ。
 しかも大事故の確率が100万分の1なのか1万分の1なのかも大きな不確かさがある。・・・・・脱原子力をはかろうとすればライフスタイルの総点検まで含めた現在の右肩上 がりのエネルギー、産業政策の根本的問い直しが必要となる。・・・・・・・・さらに、差別の問題がある。原発内作業による被爆が極端に下請け業者に偏ると言う問題から、原子力施設立地が過疎地域に押し付けられる問題、さらには放射性廃棄物が他国、他民族に押し付けられることなど、この巨大テクノロジーをめぐる差別の問題には事欠かない。」

 若し彼が生きていたとしたら、この惨状を最も悲しんだでしょう。





以上、転載。




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☆☆☆ ミッシェルさんの、 『 チェルノブイリ被害者14才少女 ほしい物は?に「モルヒネ」 』 より転載です。 ☆☆☆
♭♭♭ http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1722892961&owner_id=5766188





★ 震災原発事故リンク『 チェルノブイリ被害者14才少女 ほしい物は?に「モルヒネ」 』x11v051701より【転載】

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☆☆☆ 『 チェルノブイリ被害者14才少女 ほしい物は?に「モルヒネ」 』 へどうぞ!!! ☆☆☆
♭♭♭ http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1603202&media_id=125


 1986年4月26日、旧ソ連・チェルノブイリ原子力発電所第4号炉が爆発、放射能雲がヨーロッパ中を覆った。13万5000人が移住を余儀なくされた原発30km圏内の町や村は、25年後の現在も廃墟と化したままだ。事故直後から現地を取材し続ける、DAYS JAPAN編集長でフォトジャーナリストの広河隆一氏がチェルノブイリの真実をレポートする。

 * * *

 チェルノブイリ事故当時、タチアナ・ルキナは、原発から4km離れたプリピャチ市の自宅のベランダから、チェルノブイリ原発の火災を見た。そのことを彼女はその後長く悔やむことになった。当時タチアナは妊娠していたのだ。

「なぜ私はおなかの中の赤ちゃんを放射能にさらすようなバカなことをしたのでしょう」と彼女は涙を浮かべながら何度も繰り返す。

 事故から3年後、そのときの赤ちゃん、アリョーナには、血液の病気が見つかっていた。事故から23年経ったとき、アリョーナには腫瘍をはじめ、体中にさまざまな病気が見つかっていた。事故処理作業をしていた彼女の父親は、寝たきりになっていた。

 ガリーナもまた、プリピャチ市で暮らしていた女性だ。事故直後にバスで避難するとき、生まれたばかりの娘に飲ませる哺乳瓶の口を洗わなかったこと、瓶を開けたままにしていたことを思い出す。後悔しても後悔しきれないのだ。娘は10年後に甲状腺の病気を発症したのである。

 事故が1986年4月26日未明の1時23分に起こったとき、最初にチェルノブイリ原発から吐き出されたのは放射性ヨウ素だった。自然界ではヨウ素は海藻などに多く含まれ成長ホルモンを分泌する甲状腺の栄養分となる。

 しかし核爆弾や原発事故によって生成される放射性ヨウ素と、栄養になる自然のヨウ素の違いを、人間の体は見分けられない。放射性ヨウ素を体のためにいいものだと錯覚して、積極的に取り込んでしまうのだ。こうして甲状腺が位置するのどが被曝し、数年後にはがんの発生が始まる。

 がんが甲状腺にある間に見つかれば、甲状腺を取り除く手術を行い、そのあと毎日薬をのめば、事なきを得る可能性が高い。しかし発見が遅れたら…。がんは体中に転移し、ときには脳までをも侵して命を奪う。そのようにして事故から10年以上あとに、子供たちが次々と亡くなっていったのだ。

 事故から10年後、14才のターニャに会ったとき、彼女はもう医師から見放されていた。激しい痛みに悲鳴を上げていた。彼女は発症するまで女優になるのが夢だった。

“いまいちばんほしいものは何?”と私が尋ねると、「モルヒネ」と答えた。14才の少女は、「ほしいものはモルヒネ」と答える残酷な状況に追いやられていた。

 しかし病院は痛み止めのモルヒネを与えないという。なぜなら「薬は病気を治すためのもので、その可能性のない子に与える薬はない」と医師はいうのだ。ターニャはその2か月後に死んだ。

◆広河隆一氏の最新刊『暴走する原発 チェルノブイリから福島へ これから起こる本当のこと』(小学館刊)は5月22日発売予定。








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★★★ 今日のそのまんま575で交心11年05月17日『 蝶になり皐の花とふふふふふ 』 へどうぞ!!! ★★★
♪♪♪ http://smcb.jp/_bt01?topic_id=1128611


★★★ 良寛さんの歌を遊ぶ0205z02『 天の声地の声初夏の夜雨蕭蕭 』11v0511 へどうぞ!!! ★★★
♪♪♪ http://shashin-haiku.jp/node/99690



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