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こどもの教育コミュのオシム語録を通じて子供に必要な環境を考える

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少し長文で申し訳ないですが。

はやりもの?なので、日本代表監督オシム氏の言葉から「環境」というものを考えてみたいと思います。

本コミュの違うトピ
【子どもの成績が良いことのリスク(日経BP社のサイトから)】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=9338512&comment_count=34&comm_id=12801

を見ていると、とても面白いことに、結果として議論の流れが

「子供が大成?成功?するためには、社会に出る前の学歴というモノで大半が決まってしまう。だから高成績がリスクという言説が危険と感じられる」

という印象(私の解釈が違っていたら言ってくださいw)の意見がトピのURLそのものに対して出ていると見ました。

私は、トピのリンク先の意見も分からんでも無いし、「学歴なんて関係ねーよ」なんていう気もありません。
当時のユーゴと日本では環境やルールが違いますからねぇ・・・
※ついでに言うと、オシム氏は一個の素材であって絶対視するものでも無いです。

ただ、少し学歴は必要か否か、絶対か否かの方向は「社会的に上位と言われる職を得るか否か」って方向にプシュっと収束しがちなので、そちらはそちらで「向こうのトピで」やっていただきつつ・・・

少し広い意味での、

「子供にとって親の手厚い環境整備(日本で言うと私学中高とか通塾とかが一般的?)が絶対的なファクターなのか」
そして、

「それが用意されない経済環境の子供は本当に(何らかの道で)上を目指すことは出来ないのか?」

「じゃ、結局何がいるの?」

ってことを考えてみたいと思います。

>> 確かに、少し前のユーゴ(国が別れる前)は、選手レベルで言うとストイコビッチ、サビチェビッチ、ボバン、プロシネツキ、ミハイロビッチを始めワールドクラスがずらっと揃っていましたねぇ。 

チーム単位でもレッドスターは強かったし、国単位でも当時欧州最強という声は少なくありませんでした。 <<

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【以下、通称オシム語録抜粋】

サッカーを始めたきっかけなどという上等なものはない。それ以外にやることが無かったからだ。貧乏な家庭だったし、他のスポーツはカネがかかった。ボールは靴下を丸めたものだった
それをまた別の靴下に入れて、どんどん重ね合わせて上から縫いつけた。テニスボールで普通に試合をやったこともある。

おかげで凄い技術と感覚が身に付いたよ。まぁ、サッカーをやるのは時間潰しでもあったんだ。本もないし、ラジオだって10軒に1軒の家庭にしかない。そんな中でボール1個で3時間はリフティングをやっていた。

サラエボ、あの複雑な歴史に彩られた地域・・・歴史的にあの地域の人間はアイデアを持ち合わせていないと生きていけない。目の前の困難にどう対処するのか?どう強大な敵のウラをかくのか、それが民衆の命題だ。もちろんそれは物を盗むとか、人を騙すとかそんなことではない。今日は生きた、でも明日になれば何が起こるか分からない。そんな場所では人々は問題解決のアイデアを持たなければならなくなるのは当然だ。
       
同時にサッカーにおいて最も大切なものはアイデアだ。アイデアのない人間もサッカーはできるが、サッカー選手にはなれない。でも、アイデアは練習だけでは身に付かない。鍛えられない。
バルカン半島からテクニックに優れた選手が多く出たのは、生活の中でアイデアを見つける、答えを出していくという環境に鍛えこまれたからだろう。

>> オシムは13歳でジェレズニチャルに入った。最初の数週間、シューズを買うお金がなく、裸足でプレーしていた。練習試合でゴールを決めたときにユースの監督からスパイクをもらった。育成年代が現在のように細かいカテゴリーに分かれていたわけではない <<

今よりも全然いいサッカースクールだった。これをやれ、あれをやれという人間がひとりもいなかった。だから自分たちで好きなことを好きなようにトライしていた。ひとりの時はリフティングをして、ふたりになるの1対1。4人で2対2.それもいろんなルールを決めて、勝手に始めた。勝手に始めたことで身についていった。

サッカー同様にオシムは学業も優秀な生徒だった、特に数学に秀でていた。妻のアシマとの馴れ初めも、知人の紹介で、オシムが彼女の数学の家庭教師をしたことがきっかけであった。

少女アシマは驚いたという。

無骨そうな大男は難解な数式をものすごく分かりやすく、簡単に教えてくれるのだ。

「当時から人にモノを教える才に長けていた」とアシマは回顧する。

母親はオシムを医師か大学教授にしたかった。実際サラエボ大学からは大学院に進んで数学の教授にならないかという誘いもあった。

それでもサッカー選手への道を選んだのは家庭の事情だった。
              :

出典:「オシムの言葉」 木村元彦著 集英社インターナショナル 

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